食べ物の好き嫌いは年齢とともに変わるものらしい。子供のとき、好きだったものが、大人になっていつしか嫌いになっていたり、その逆もある。私の場合、子供のときは好きでよく食べていたのに、大人になってから食べられなくなってしまったものに納豆がある。 子供の頃はほとんど毎朝、納豆でご飯を食べていた。母によると私は、納豆が食卓にないときは、「納豆でご飯食べる」と催促し、それが切れていたりするとたちまち不機嫌になったそうだ。ところが成長するにしたがって、納豆を食べる回数が減っていき、高校生になった頃からは、ほとんど食べなくなってしまった。単に食べなくなっただけでなく、嫌いになっていた。 二十代後半の頃、友人と旅行に行き、泊まった旅館の朝食に納豆が出た。私は旅館等で出された食事は、残さない主義なので、十数年振りに納豆に兆戦した。食べなくなってはいたが、嫌いになった理由も見当たらず、また食べられるようになっているのではないかという期待があったのである。しかし、それを口に入れた瞬間吐き気がした。何とか全部食べることはできたが、ほんとに納豆が苦手になってしまったと再認識することとなった。 何故、あれだけ好きだった納豆が食べられなくなってしまったのか、わからないが、子供の頃、食べ過ぎたのではないかと考えている。あまりにもたくさん食べたため、飽きてしまったか、体が受けつけなくなってしまったように思う。 逆に子供の頃、全く食べられなかったのに、成人してから好物になったものとしてトマトとナスがある。ナスはただ単に食べず嫌いだったが、トマトはほんとに大嫌いだったのだ。あの独特の臭みがどうしてもだめで、なかり苦労した。 小学校2年生のとき、給食にトマトが出た。私は当然、食べることができず、残そうとした。しかし、担任の女性教師は、それを許さず、全部食べ終えるまで食器を片付けてはいけないと言った。午後の授業に入る中、私の机の上だけに食べかけの給食が乗った食器が残り、泣きたいような気持ちになった。私はトマトをチビチビと食べ、目に涙を浮かべて同情を買おうとしたが、冷酷な女教師に通じるはずもなく、約1時間もかけて何とか全部食べた。それ以来、トマトは見るのもいやになり、さらに嫌いになってしまったのである。 子供に嫌いなものがある場合、それを無理矢理食べさせるのは逆効果だと思う。極端な偏食でない限り、嫌いな物は嫌いなままでよく、食べさせる必要はない。私も野菜は全般的に好きであり、トマト1つを食べないくらい成長には何の影響もなかったはずなのだ。 大嫌いだったトマトが好きになったのは、社会人になって働き始めてからだった。会社の食堂でカレーを食べるとき、必ずサラダをいっしょに注文した。私は野菜が好きで、中学生の頃あたりから、レタスなどまるまる1個でも食べてしまうほどだった。だから、カレーの付け合せにサラダを注文するというより、もしろ逆でサラダに一番合うものとして、カレーをいっしょにつけていたのである。 そのサラダなのだが、透明な器に入れられていて、一番下にキャベツが敷かれ、その上にトウモロコシ、そして頂点に4分の1ほどに切られたトマトが乗っていて、オレンジまたは白のフレンチドレッシングがかかっていた。つまりこのサラダのメインはほとんどトマトだった。これを注文して、トマトを残すのは、何ともやり切れなく、例えばカツ丼を注文して、豚肉を残すような感じがして、私はいやいやながらもトマトを食べていた。そして、気づいたら何時の間にかトマトが好きになっていた。そして年々その傾向が強くなり、最近では丸かじりするまでになってしまった。 ナスは子供のとき、食べた記憶がなく、見た目で敬遠していた。しかし、二十歳を越えて何回か食べているうちに、知らず知らずのうちに好きになっていた。ナスのおいしさというものは、子供の若い舌にはわかりづらいような気がする。このように年齢を重ねると、それまで嫌いだったものでも食べられるようになる場合もあり、子供が食べないからといって、それほど心配する必要もないように思う。またある出来事がきっかけとなり、食べられなくなってしまったものもある。 数年前に尿管結石になった。この日の昼に食べたのがマーボーナスだった。尿管結石になったことに、マーボーナスを食べたことは何の因果関係もないが、この日以来かなりの期間、マーボーナスを食べることができなくなってしまった。このようなことは、自分の場合だけかと思っていたのだが、以外とよくあることらしい。辛い体験とその周辺の記憶がリンクしてしまい、これをしたらまたあのことが起きるのではないかという深層心理が働き、自分でも意識なしに拒絶してしまうらしい。だから、食べ物に限らず、いろいろなものがその対象となるようで、私もマーボーナス以外に、結石の痛みに襲われたときに聴いていたSimply RedのStarsは、それ以来一度も聴いていない。 私の場合、旅行に行くようになってから、好き嫌いがなくなっていった。前にも書いたが、旅先で出されたものを残すのがいやなので、あまり食べたくないなと思うようなものでも、食べているうちにだいたいのものは食べられるようになってしまったのである。見た目で判断せず、まず口に入れ、ゆっくりと味わうということが好き嫌いを少なくする第一歩なのかもしれず、これは食べ物だけに限ったことではないように思うのである。(2004.8.22) |