さくらももこさんの漫画の中に‘盲腸の朝’という作品がある。さくらももこさんが20歳のある朝、お腹が痛くなり、それがだんだんと酷くなっていくのだけど家族がなかなか信用してくれないで…という内容だった。その時の不安な気持ちの揺れや、盲腸との診断が出て得意になってしまった状態が面白く描かれている。
人間は不思議なもので病気自慢をしたくなるときがある。シリアスではなくて、比較的なる人が多くて、それでいてそんなに軽いものではない病気が最適だ。僕もちょっとそんなことをしたくなってしまった。 … 数年前の7月のある金曜の夜、会社から帰ってきた僕は夕食を取り終えた後、自室でスルメを肴にしながらチューハイを飲み、競馬新聞で明日のレースの予想をしていた。競馬の後は友達4人と東京ドームで行なわれる巨人-阪神戦の観戦に行く予定であった。野球が始まるのは6時からだから、その前に東京ドーム横にある後楽園のWINSで一勝負しようともくろんでいたのだ。うまく行けば野球が終わった後の酒代くらい浮くのではないかと思っていた。 スルメをかじりながら、チューハイをチビチビと飲み、競馬新聞とにらめっこをしていた。チューハイをグイグイと飲んでしまうと完全に酔っ払ってしまい、競馬の予想に狂いを生じるかもしれない。だから、チビチビなのだ。 そうしていると、右腹の下部がチリチリという感じで痛くなってきた。しかし、それほどたいした痛みではなく、たぶんスルメがいけなかったのだろうと思い食べるのを止めて、また競馬新聞に赤い印を付けたりしていたのだが、痛みは徐々に深みを増していく感じだった。 これはいよいよスルメがいけなかったのだなと思い、トイレにいったのだけど、思うように出てくれない。トイレから自室に戻っても痛みは増す一方だった。だけど、この時点はよくある腹痛でそのうち便意がきて、出せば治ってしまうだろうと軽く考えていた。 部屋に戻ると何となく出そうな感じがしたので、またトイレにいって、気張ったが全然ダメでどうもそれが原因ではないように思えた。大の方だけでなく小の方もほとんどでなかった。おかしいなと思っているうちに、痛みはさらに増して、明らかに何か重大なことが体に起こっているという感じになってきた。 居間にいた母親のところにいき、お腹が痛くてどうにも我慢できないから救急車を呼んでくれと言った。その頃にはもう立っているのがやっとという状態だった。恐らくその時の僕の額から流れる脂汗と形相はすごかったのだろう。母親はちょっと躊躇していたが、119に電話をした。 そのうち、吐き気が襲って来て僕はトイレで何回も吐いた。そして右の下腹が痛いことから盲腸だと思った。それにしてももうほとんど我慢できないほどの痛さになってきて、立っていることさえできなくなってしまった。トイレから何とか這い出るとまた吐き気が襲って来て、また戻り、便器の中に頭を垂れるような感じで救急車が来るまで吐き続けた。 救急車のサイレンが微かに聞えてきた時は何ともいえない気分になった。ほっとした気持ちと自分はどうなってしまったのだろうという気持ちが入り混じっていた。たぶん、盲腸だとは思うけど、腸捻転とかだったらちょっと深刻かもしれないななどと思った。激しい腹痛が症状の病気はこの2つしか僕には思い浮ばなかった。 救急隊員は2人やってきた。僕は何回も吐いてゲロ臭くなってしまった口を水でゆすいだ。救急隊員に症状を訊かれたので、右の下っ腹が激しく痛むことと、強い吐き気があることを告げた。もうひとりでは歩けない状態だったので2人の救急隊員に抱えられて救急車に乗りこんだ。僕は救急車の中にあるベッドに寝かされ、母親が心配そうに真向いの席に座っていた。 救急病院は家から歩いても10分かからないところにあるS大学の大学病院だった。こんな近いのに救急車を呼んでしまって…とちょっと申し訳ない気分になったが、歩いていくことは無理だったので仕方なかったと思うことにした。救急車に乗ったのは生まれて始めてだった。そうそう救急車なんてのれるものではない。これは後で話のネタになるかななんてちょっと考えた。 救急車から隊員に抱えられて降り、車椅子に座らされて救急診療室に入った。時刻は9時過ぎだったが、診療室は人で溢れていた。こんなにいっぱいの人が夜の救急病院には来るものかと驚いた。僕が診療室のベッドに寝かされた後もひっきりなしにいろいろな人が運ばれてきた。自動車事故でケガをした人…、胸が苦しくなった人…、僕と同じように腹痛の人…、ひとりでやってきた小学生もいた。 ベッドの寝かされた僕は医師から経過と症状を訊かれ、体を触ったり、血を採ったりと診察がされた。医師は若いインターンのようで数人いた。そのうちの年かさと思われる男性が他のインターンに何の病気だと思うと、笑いながら問いかけている。俺の病気をクイズにするな!と頭にきたが、もう痛さはほとんど我慢できない状態だったので、どうでもいいから何とかしてくれという感じだった。 だが、その医師の方はいたってのんびりしていて、なかなか解答が出ないのをニヤニヤしながら楽しんでいるようだったが、やがて‘尿路結石だよ’と勝ち誇ったように周囲を見回して言った。尿路結石?僕はてっきり自分は盲腸になったものだと思っていたので、その解答は以外だった。それとなくその医師に盲腸ではないのか?と訪ねたが、尿路結石ですとのことだった。 その時はわからなかったが、尿路結石とは尿の中にある固まりやすい成分が腎臓に中で凝固し、石のようになる。これが腎臓から流れ出し尿路に詰まってしまうと尿が流れなくなり、腎臓が腫れて激痛になるらしい。詰まる場所によって病名が微妙に変わるらしい。腎臓で見つかれば腎臓結石、尿管で見つかれば尿管結石、膀胱で見つかれば膀胱結石、尿道で見つかれば尿道結石…総称として尿路と呼んでいるようだ。そういえば数日前から何となく小便の出が悪かったし、腰が重かったりした。しかし、それはそういわれて始めて気づく程度のことだった。 男性医師はまだ若い女医に引継ぎ他の患者を診にいってしまった。女医は僕に点滴をすると何も言わずにいなくなってしまった。点滴をされたから痛みがやわらぐかと思ったが、緩和されるどころではなくもう我慢できない痛みになってきた。僕は近くにいた看護婦さんにそのことを訴えると、先生に訊いてみますといって訊きにいったが、しばらくすると戻ってきて今は点滴をするしかないそうですと言った。 1本目の点滴が終わると女医が来て状態を訊かれた。僕は痛くてどうしようもないといったらもう1本点滴をすることになった。痛みがある程度やわらぐまでは点滴をするしかないようだ。2本目の点滴で痛みはかなりやわらいで何とか我慢できる程度の痛さになった。そして2本目も終わりそうだったので、そのことを看護婦にいったのだが、なしのつぶてになってしまった。 点滴は完全に終わってしまい、僕の血がチューブを逆流しだした。点滴の長いチューブの半分くらいまでが僕の血で赤くなった。これはまずいなと思ったが、どうすればいいのかわからない。僕は痛む腹を押さえて立ち上がり、誰か処置をしてくれる人間を探したがみんな忙しそうで捕まらない…。 そのうち、僕に点滴をした女医が見つかり、‘まあ大変’とか言って処置をして、新しい点滴を付け直した。‘終わったら止めてくださいね’と言われたが、僕は点滴などするのは15年振りくらいなので、止め方などわからなかった。最近、救急病院で子供が放置されて死亡してしまうという痛ましい事件が起きたが、この時の経験から情景が何となく目に浮かんでしまう。 新しい点滴をつけた後、また吐き気が襲ってきて僕はトイレで吐き続けていた。さすがに今度は医師が心配になったらしく、外からしきりに‘大丈夫ですか?’との男性の声が聞えていた。トイレから出るとちょっと年配の男性の医師がいて丁寧に診察をしてくれた。始めの採取した血液検査の結果も出たようで、今度は超音波を使って腎臓の状態を診てくれた。あとで知ったのだけど、この医師は泌尿器科の専門医だった。 その医師は血液検査の結果と超音波による診断で‘これは痛かったでしょう’と同情的に言った。やっと僕の痛みを理解してくれる人が現われ、僕は‘ええ、それはもう…’と今までの苦しさが一気に報われるような感じがした。‘マッサージをしてあげましょう’とその年配の男性医師は僕の腰辺の付近を押したり、さすったりしてくれた。僕は彼が天使に思えてきた。彼は緑色の座薬を取り出し、‘これでだいぶ痛みは緩和されると思います’といって入れてくれた。 その下剤が効いたのか、痛みもかなり緩和されたのでレントゲンを取ることになり点滴をつけたまま車椅子に乗り、母に押してもらい、レントゲン室まで行って撮った。この後はまた診療室まで戻り、朝まで延々と点滴を続けた。そして7時過ぎにやっと立って歩けるまでに回復した。そのまま入院になってしまうのかと思ったが、入院はしなくても大丈夫とのことだった。通院で何とかなるらしい。とりあえず、10時くらいにもう一度来てくださいと言われた。7時に帰って、また10時に…と思ったが、仕方ない。 昨晩は寝ていないし、少しでも休んでおいた方がいいかなと思い、横になったが熟睡はできないので目をつぶってぼんやりとしていた。そして、10時ちょっと前にS大学病院に行ったが、大学病院の中は複雑で何処に行っていいのかさっぱりわからない。昨日の場所は緊急だけだろうし、やっぱり内科になるのか…といろいろ考えたが、訊くのが一番手っ取り早い。いろいろな人に尋ねてやっと泌尿器科という所に辿り着くことができた。
名前を呼ばれ診察室に入ると今までの経過と症状を訊かれた。昨日の夜撮ったレントゲン写真の結果が出ていて、それによると右の尿管に石が詰まっているらしい。
こんなことならシャワーでも浴びておけばよかったと後悔したが、それはもう後の祭り…。それに僕の一物はこれから何をされるかわからない恐怖のためか縮みあがっている。もうちょっと…と思っても全然ダメだった。そんなことを考えている間に医師と看護婦が入ってきた。医師はゴム手袋をしている。ふたりは僕の下半身を見下ろしながら、検査を始めた。医師はゴム手袋をはめた手で陰嚢の後とか尿道がはしっているところを触っている。看護婦はそれを黙って見ている。いつまで続くのだろうと思っていると、医師は急にお尻の穴の中に指を突っ込んだ。おい、おい…という感じだったが、これが最後だったようで ふたりが退出した後、僕はティッシュでお尻を拭き、それをゴミ箱に捨てパンツとズボンをはいた。もとの診察室に戻ると医師と看護婦がいて、次は造影剤によるレントゲン撮影をするので予約を1Fでとってくださいと言われ、薬の処方箋をもらった。帰り際に看護婦が意味ありげに笑ったような気がしたのだが、これは自分の勘違いかもしれない。 1Fで何とかレントゲンの予約をとり、薬をもらって会計を済まし家に帰った。そうだ、今日は野球を観に行く予定だったんだと思い、この時は何とか行こうと思っていたが、石が出ていない以上、またあの痛みが襲ってくる可能性がある。外出先でそうなったらと思うと残念ながら、野球観戦は諦めるしかなかった。 それにしても… これから毎回々このような検査が行なわれるのだろうか?それだったら何か対策を考えないといけないと思った。いつもいつも、縮みあがった物を見られるのはイヤだと思い、僕は対策を真剣に考えた。そして1つ名案を思いついた。自分で勝手にいやらしい場面を想像すればいいのではないだろうかと思ったのだ。 病院をSMクラブにでも見立てて、痴女看護婦とのプレーでも想像すればいやらしい気持ちが起きて、一物に血液が流れ込み大きくなるはずだ。ただ、あまり流れ込み過ぎても、それはそれではずかしいことだ。う〜ん、血液の流入量のコントロールは難しいかもしれないと思った。 こんなことを真剣に考えていたのだが、この対策は実行されなかった。というのも、造影剤を使ったレントゲン検査で石はすでに体内の外に出ていたことがわかったからだ。その後の尿検査でも全く問題なく、病院には4回通っただけになってしまった。しかし、石ができやすい体質があるようで、この病気は再発しやすいそうだ。だから、この病気になって以降はできるだけ、水分を取るようにしている。もう、あんな痛さはほんとにゴメンだからだ。(2003.6.19) |