学芸会の思い出(前編)


これは僕が小学校5年生の時の話です。

 僕の通っていた小学校では一年毎に学芸会と展覧会を交互に開催していた。僕が1、3年生の時は学芸会、2、4年生の時は展覧会だった。したがって5年生の学芸会は僕にとって、いや僕だけでなく5年生全員にとって小学校生活最後の学芸会だった。

 学芸会は学年単位で劇と音楽を行なう。その日は僕のクラスでも劇と音楽の組分けが行なわれようとしていた。当時、男女は反目することが多く、この組分けでも女子は全員音楽を希望し、男子は全員劇を希望した。当然、そんなことは認められるわけはなく、音楽でも劇でも男女は半々にならないといけなかった。

 女子のほうは先生の説得で比較的容易に劇を希望する人が多数出て半々に分かれた。もともと劇をやりたい女子は多いわけで、男子が全員劇を希望したものだから音楽にしてしまったのだろう。

 ところが男子の方は先生の説得にもかかわらず、自ら音楽を希望する人は出なかった。誰も音楽を希望しなかった理由として、純粋に男子は音楽でハーモニカや笛を吹くより、劇で大道具や小道具を作ったり、舞台で何かの役をやるということの方に面白味を感じていたのだろう。さらには男の意地というのも多少はあったかもしれない。

 劇では実際に舞台に上がって何かを演じる人間と、大道具・小道具のセット、照明、音響などの裏方と2つに分かれる。まずはその役者の方を決めようということになった。役者は舞台で台詞をしゃべらないといけない。みんなの前で国語の本を朗読させて、うまい人を多数決で決めようということになった。

 通常の劇では舞台に立つ役者よりも裏方の方がはるかに多いだろうが、小学生の劇では大道具や小道具はみんなで作ってしまうし、実際の劇では上級生や先生が手伝ってくれるため、裏方だけの人間はそんなに必要ない。確か僕のクラスの男子は当時18人、そのうち9人が劇組になれて、さらに9人のうち裏方は3人だけだった。そして僕はその裏方希望だった。いや、僕だけでなくほとんどの男子が何故か裏方を希望していた。

 男子は全員、女子の前で国語の本を朗読し、その後、全員黒板の方を向かされた。先生はひとりひとり男子の名前をいい、女子に挙手させた。黒板の方を向いているので当然僕達にはすぐに結果はわからない。だけど途中でわけのわからない歓声とか上がってあまり気分のいいものではなかった。

 この朗読で6人の劇に出る男子が選出された。僕は選ばれなかったが、もともと裏方希望だったので気落ちはなかった。それは他の男子も同じで、先生は気が変わって音楽にいきたくなった男子を募ったが誰もいなかった。先生もどうしょうもなく、1時間目のホームルームの時間が終わった。

 2時間目も話し合いが行なわれたが、結論が出ないばかりか、3人の裏方をどうやって決めるかという方法さえ出なかった。そしてこの日休んでいたひとりの男子(M君)のことが話題になった。M 君は3年生のとき劇で主役を演じていた子だった。たまたま学芸会の組み分けをした日に休んだというだけで音楽にしてしまうのは可愛そうだということで先生が休み時間に本人の希望を訊くことになった。M君の希望は劇だった。

 次の時間にそのことを先生がみんなに告げて、どうしたらいいと思うかと訊いたところ、女子のひとりが「彼を劇に入れて、先ほど朗読で選ばれた男子のひとりを裏方に回せばいいと思います」と発言した。そうすると朗読で選ばれていたF君が裏方をやりたいと言い出したのだ。まだ、劇、音楽ともどちらにも決まっていない男子11人は‘裏方をやりたいのなら朗読で劇に選ばれたことを辞退するべきだ’と猛反発した。

 しかし‘M君を劇に入れて、F君は裏方に回す’という発議で多数決をとることになり、女子全員とすでに劇に決まっていた男子の大半が手を上げ決まってしまったため、この案が通ってしまった。まだどちらとも決まっていない男子以外はどうでもいいから早く決めてくれという感じだったのだろう。これによって裏方の椅子はあと2つになってしまった。

 4時間目は普通に授業が行なわれたが、11人の男子だけは廊下に出されて自分たちだけで劇と音楽の組み分けを決めるようにと先生に言われた。みんなは廊下でいろいろと話し合った。だけど、いい意見はほとんど出ないで関係ない遊びの話とかをしている子も数人いて他の子にもっと‘真面目に考えろ’とかたしなめられたりした。しかし、今度はそのたしなめた子が関係ない話に夢中になっていたりして、進展は全くなかった。そしてF君を非難する意見ばっかり出た。

 僕はだんだんともうどうでもよくなってきたが、なかなか音楽にいくとはいいだせなかった。それは1年のときも3年のときも僕は音楽の方をやっていたからだった。まだ、音楽が好きでハーモニカや笛を吹くことが好きならいいんだろうけど、僕はどっちも苦手で‘どうせまともに吹けないんだから、ずっと同じ音を出していなさい’と言われたこともあった。だから、劇の裏方で何かをしっかりとやりたかった。それに自ら音楽にいくと発言する勇気もなかった。

 給食の後の5時間目はクラブだったのでみんなそれぞれのクラブ活動に参加した。この日はこれで授業は終わりだったのだけど、11人は放課後も残って劇と音楽の組み分けを行なうことになった。教室には子供11人と先生だけが残った。

 当時、僕達の担任の先生は清水先生という若い男性だった。やさしい先生で生徒はみんな清水先生が好きだった。清水先生は自らは何も指示をせず、子供達だけでこの問題を解決させようとしていた。‘僕が指示して決めしまうのは簡単でした。しかしそれでは意味がないと思ったのです’と清水先生は後に学級通信に書いている。

 後編につづく…(2003.7.8)




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