小学校に入学したとき、僕は学年で1番身長が低かった。そしてクラスで2番目に身長の低い女の子が来原きみちゃんという子だった。僕の初恋はこのきみちゃんだった。 何故、僕はきみちゃんを好きになってしまったのだろう?それは、今ではわからない。当時もわかっていたのかどうか…。だけど、クラスで1番背の低い僕のとなりに座った宮田さんを好きにならないで、斜め左後ろに座っていたきみちゃんを好きになったのは何かしら理由があったはずだ。それはきみちゃんが僕を好きになってくれたからかもしれない。 … 「ぼく恋人ができちゃった」 これは小学校に入学してから、まだそれほど日が経っていないある日、学校から帰ってきた僕が母に嬉々として言った言葉だそうだ。自分では記憶していないのだけど、よく母から笑い話として聞かされた。この‘恋人’がきみちゃんだった。 ただ、自分が一方的に好きになったというだけではいくら僕でも‘恋人’という表現は使わなかったと思う。そこにはきみちゃんと何か心が通じた出来事があったと思うのだけど、それは残念ながら記憶にない。 可愛くない小学1年生なんていないと思う。きみちゃんもそれなりに可愛かったのだろうけど、アルバムに貼ってあるきみちゃんの写真を見ても飛び抜けて可愛いというほうではなく、むしろ変わった感じの子だった。きみちゃんとは中学でもいっしょだったけど、その頃はもうつきあいはなくなっていた。遠目に見るきみちゃんはますます不思議な感じになっていた。普通の子と雰囲気が違っていた。物静かで、だけど暗いというほどでもなく、絵が好きで芸術家のような感じだった。はしゃぐということがなく、常に淡々としていた。淡々としている女の子なんてそういるものじゃない。 僕達が仲良くなった理由の一番は単純に席が近かったからのように思う。クラスで1番背の低い女の子の宮田さんは僕のとなりに座っていたけど、メガネをかけていて、はきはきした子供だったので、僕の好みではなかったのかもしれない。物静かでいつもはにかんだような笑顔を浮かべて、淡々としている不思議少女の方が僕には気になる存在だった。 僕達に共通していることと言えばふたりとも絵が上手だった。図工の時間におともだちの顔を描くことになったとき、僕はきみちゃんを描き、きみちゃんは僕を描いた。その場面は今でもよく覚えている。顔を見詰め合い真剣に描いた。そして、お互いの絵を見せ合った。きみちゃんの描いた僕は本物よりもかなりハンサムだった。 もうひとつ印象に残っている場面は放課後の校庭をふたりで歩いたことだ。何かを話しながら歩いたはずだけど、その内容は全く覚えていない。ただ、人のすくなくなった校庭をとぼとぼとふたりで歩いた。そして、上級生が理科の実習で植えている稲を僕がきみちゃんにあげようとして引っこ抜いたのを見つかってしまい、上級生に怒られた。きみちゃんの前でかっこをつけたかったのが、裏目に出てしまい、ちょっと気恥ずかしかった。 また当時住んでいた家の近くに三菱銀行があった。ここに家は預金をしていたのだけど、きみちゃんちもそうだったようで、おかあさんとよく来ていたようだ。母が銀行から帰って来て、「きみちゃんがお母さんと銀行にいるわよ」と言われて3軒横にある銀行まで走って行ったこともあったっけ。そしてふたりで子供らしからぬ、あるいは微笑ましい光景を作っていた。 それにしても、僕は何できみちゃんを好きになったのだろう。なぜ、きみちゃんだったのだろう。明確な理由なんてわからない。ただ感性だったような気がする。しかし、人が人を好きになる理由でもっとも大切なのは感性のように僕は思う。成長にするにしたがっていろいろなものがその理由として付帯してくる。そしてほんとの自分の心の声が小さくなっていく。その心の囁きをいつまでも聞き逃さないようにしたいと思う。(2003.11.19) |