視界の隅に『兄』と呼んで然るべき存在が、自分のことを穏やかに見つめていることを知って嬉しくなった。そんな眼差しで自分を見つめてくれるとは思っていなかったら、カダージュは至極穏やかに微笑んだ。微笑むことができた。
自分に向けて微笑みかけているようで、その実何処か別の場所に向けて笑っているようなその顔を、クラウドはただ静かに見つめた。先刻までの激しい闘いが嘘だったかのように、とても優しい表情をしていると、そう思った。
微笑みを浮かべたまま、カダージュの手が中空へと差し伸べられる。
翡翠の瞳が自分とは違う何かを捉えていることを、クラウドは知った。
誰かがその視線の先にいるのか。
カダージュの身体が宙に引き上げられていく。
その指先から徐々にその身体が溶け崩れていく。
今までその肉体を形作っていた要素が、緑光となって空中へ四散していく。
クラウドは、少年の姿が総て消える最後の時までじっとその光景を見つめていた。
成り行きから敵対し闘うことになってしまったが、正直言ってカダージュという少年を憎むことはできなかった。少年もまた、以前の自分のように『彼』に操られていることが判ってしまったからだ。だから、少年に対して負の感情を抱くことは難しかった。それをすれば結局は自分に対してそう思うのと同じことになってしまう。
少年と自分は、ある意味同じモノだった。
そう、同じモノ。
『彼』という大きな存在の意のままに動かされていた『操り人形』。
自分はその大きすぎる支配力から仲間たちの協力を得て抜け出すことができ、今現在己自身としてこうして在るが、少年は最後のその時、その立場から抜け出すことができたのだろうか。
できたのだと、自分は信じたい。最後には少年が安らかな顔をしていたのがその証拠だと、自分は信じたい。
クラウドは心の中でそう強く念じた。
『彼』の意思が地上から去り、『彼女』の意思によって浄化された空間に差し込む日差しは清々しく、クラウドは久方ぶりに心地よい空気を胸一杯に吸い込んだ。
何かとても綺麗なモノがそこから体内に入り込み、心身を清めていってくれている気がする。
プロペラ音が近づいてくるのに気がつき、クラウドはふと視線を左斜め方向に滑らせた。すると、新型の飛空挺の姿が視界に入った。
クラウドは思わず笑みを浮かべていた。『彼』と二人きりで闘わせてくれた、そんな仲間たちの気遣いに心が温かくなった。恐らく今頃仲間たちは、勝手なことを言って楽しそうに笑いあっているのだろう。2年前のあの旅の中でもそうだったように。
一つのことを成し遂げた爽快感に浸りながら、クラウドは静かに瞑目した。そしてもう一度大きく深呼吸しようとゆっくり顔を上げた。
その瞬間、背後から胸元を貫く閃光がクラウドの左胸を突き抜けた。
完全に意表を突かれたクラウドはその攻撃を避けることが出来ず、防御もまた間に合わず、まともに銃弾を受けてその場に膝から崩れ落ちた。
銃弾はほんの僅か心臓からずれており、体内に忌まわしい細胞を持つクラウドを即死させるには至らなかった。だが重傷には違いなく、傷を負った左胸から、また内臓を傷つけられたお陰で唇からも鮮血が溢れだす。
クラウドは自分の迂闊さを呪った。カダージュとの、ひいては『彼』との闘いにのみ意識を向けすぎて、残された二人のことをすっかり失念していた自分を罵りたい気分になった。
受けた傷はかなりひどく、傷がもたらす激痛にともすれば意識が飛んで行ってしまいそうになる。しかしここで倒れるわけにはいかないと、持てる気力を振り絞り意識を保とうとする。その耳元に、微かに声が聞こえた。
「一緒に帰ろう」
浄化の雨に打たれて徐々にその存在を薄れさせていきながらも、それでも己の存在意義を全うするため引き金をひいたヤズーは、しかしそれ以上銃を支えていることができず、手の中から落としてしまう。
その傍らでやはり姿勢をきちんと維持できず、上半身をふらつかせたロッズが、頼りない口調で呟いた。
「皆で遊ぼう」
カダージュがいなくなった今、二人は『兄』であるクラウドに意識を向けるしか術はなく、そしてその意思は『兄』の命を抹消する方向に動いた。『兄』に対して感じている思慕以上に、闘争心の方が格段に強かった。ヤズーもロッズも、カダージュほど情緒に恵まれておらず、色々なことに対して思考を巡らせるという術を欠いていた。だからこそ、『彼』が去った後になっても、自分という存在が薄れていこうとしている現在でも、クラウドの命を奪うという意思に縛りつけられていた。
背後から自分に向けられる殺気は未だ薄れず、クラウドは苦鳴を漏らしながらも敵を排除しようと気力を振り絞り立ち上がった。しかし止まらない出血に想像以上のダメージを覚え、ふらついてしまう。この分では自分の命は助からない。そう判断したクラウドは最後の持てる力を使って敵を道連れにしようと決意した。
一瞬、飛空挺で待って居るであろう仲間たちの顔が浮かび、クラウドは顔を曇らせた。闘いの前にデンゼルと約束した言葉を守れないのかと、思ってしまった。
殺気はますます強まっていく。
クラウドはそんな思考を一瞬で振り払うと、ゆっくり背後を振り返った。
蒼い瞳が、その輪郭を半ば以上崩れさせた二人の人間を捉える。
予想したとおりの二人が其処に佇んでいることを知ったクラウドは、表情をきっと鋭いものに変えて一気に彼我の距離を縮めるため、走り出した。重傷を負ったその身に愛剣の重さは支えづらく、クラウドは剣先を引きずりながら持てる力総てを使って二人に斬りかかる。
すでにこの世に留まっているのがかなりつらい状態になっていた二人も、これで最後だと腕に埋め込んであるマテリア総てに意識を向けてその発動を促す。腕が壊れてしまいそうなくらい強い力が其処に集中していく。
クラウドは地面を蹴って宙に舞い上がり、剣を両腕で頭上高く振り上げる。
二人の腕から膨大な光輝が溢れでる。
クラウドは全体重を剣先にかけて振り下ろす。
三人の目前で強大な力がぶつかり合い、反発しあう。
一瞬後、巨大な爆発がその場で起こり、三人が居た場所はその爆発の光に包み込まれた。
爆風に吹き飛ばされ、クラウドは足場にしていた建物の上から地面に向けて落下していく。何とか開けた視界のなか、二人の青年も同様に落ちていく姿を捉えることが出来た。
◇
飛空挺でクラウドの帰りを待っていたティファの視界の片隅で、不意に強い爆炎が広がるのが見えた。
まさかと思いつつその方向に視線を遣れば、先程までクラウドが闘っていたはずの場所で激しい爆発が起こっているのが見えた。
「クラウド!」
必死に名前を呼んだが、それに返る声は無論なかった。
◇
久しぶりに見たクラウドは以前よりももっと格好良く見えたなと思いつつ、デンゼルはその帰りをマリンと一緒に自室で待っていた。約束をしたからきっと帰ってきてくれる、前みたいに一緒に暮らせる、そう思いながらも何故だか胸騒ぎがしてならなかった。
空から降ってくる綺麗な水。
デンゼルはそれに触ってみたいと思っていたが、それでも此処で待っている約束だからと、マリンを雨に濡れさせる訳にはいかないと、我慢していた。
「・・・クラウドも帰ってくるよな」
窓の外を見つめながら呟き、デンゼルは繋いでいるマリンの手をぎゅっと握り締めた。
◇
クラウドは自分が果てしない淵へとどんどん沈んでいくような気分に襲われていた。自分という存在を認識しながらも、目を開けることは叶わず、ただ落下していく感覚を覚えていた。
あの爆発に巻き込まれた以上は自分は死んでしまったはずだから、これが死というものなのかと、クラウドは妙に冷静に思考を巡らせていた。
自分という存在以外何もない世界。
それは絶対的な孤独を意味し、自分が犯してきた沢山の過ちを考えればそれも当たり前かと、クラウドは自嘲的に思った。
そんな思考の流れを断ち切るように、突然、第三者の声がクラウドの脳裏に響いた。
【あ〜あ、やっちまった。もう少し早く、こいつら迎えに行ってやるつもりだったのに・・・】
その声を認識した途端、クラウドはまさかと思った。まさかこんなところで聞くはずのない声だと、幻聴に違いないと思った。
頭の中に思い浮かべただけのそれが相手に不思議に伝わったらしく、相手は大げさなため息をついてみせた。
【なあ、それが久しぶりに会った親友に対する態度なのか?】
記憶の中にあるそれと何ら変わることのない聞き慣れた調子で、懐かしい声音が言葉を紡ぐ。
【おまえ・・・なのか?】
口を動かしている感覚はないから、恐らく思っていることが言葉として認識されているのだろう。それでもクラウドは自分は今話しているという風に感じていた。
【おいおい、何言ってんだよ。こんなハンサム、そこら辺にごろごろいる訳、ないだろ?】
随分陽気な調子でそう宣う声が聞こえるとともに、クラウドは鼻先をぴんと弾かれる感触を覚えた。
【・・・・・・。って、今は見えないか】
至極残念そうな声。
クラウドは必死で目を開けようと努力したが、目蓋が微かに震えるくらいで、完全に開くことはない。
【ああ、無理に目を開けようとか思うなよ。再生、失敗するかもしれないし。胸の傷、治したいだろ?】
ごく軽い口調で、妙に怖いことをさらり口にした相手は、優しくクラウドの左腕に触れてきた。
腕に感じるそれは生者のように暖かく、物言わぬ骸と化した死者のそれでは到底なかった。温かく優しい波動が腕から流れ込んで来るような気がして、クラウドは思わず泣きたい気分になった。
【おまえが、何で・・・。此処に・・・・・・】
その気分を見事に反映して言葉は微かに震えて響く。
相手は苦笑したようだ。そんな雰囲気が伝わってくる。自分の感覚が大分鋭敏になっていることを、クラウドは感じていた。
【さっきも言ったろ?俺がこいつら迎えに来たって。あいつが手ぇ引いたの判ったから、こいつらを元居た場所に返してやろうと思ったんだ。けどよ、迎えに来るの遅くなっちまって・・・。おまえに最後の幕、引かせるつもりなかったのに・・・】
髪型が乱れるのも構わず、頭をがしがし掻いている光景がすんなり脳裏に浮かんでくる。そんなところも相変わらず過ぎて、クラウドは切なくて息苦しい感じを覚えていた。
そんなクラウドの様子に頓着せず、相手はさらに言葉を紡ぐ。
【おまえら、早く正気に返れ!ってんだよ。お陰でクラウド、こんなに傷つけちまったじゃねえか】
背後を振り返り、誰かの頭に拳を降らせているような気配がした。其処で初めて、クラウドはこの空間に青年以外にも誰かがいる気配を捉えた。
新たに感じられた気配は二つ。そのどちらもクラウドは知っていた。つい先刻まで相対していたのだから忘れるはずもなかった。しかしそれにしては二人から敵対心は微塵も感じられず、覚えているそれよりもより澄んだ気配を放っていた。
一つの気配は、青年のそんな台詞にも悪びれず、軽く肩を竦めて見せただけのようだ。恐らくこれが長髪の男の気配。
もう一つの気配は、何だかかなり落ち込んだようで、どんよりとした雰囲気を漂わせていた。こちらが短髪の男だろう。
二人とも放つ気配から悪意は感じられず、カダージュのように『彼』の支配から抜け出せたらしい。そう思ったクラウドは微かに笑みを浮かべた。
そんな優しい表情につられたのか、ヤズーもロッズも穏やかな波動を放ってきた。
二人がその波動に相応しい笑みを浮かべている姿がクラウドの目蓋に浮かんだ。
【先に帰ってる】
【今度一緒に遊ぼう】
二人はそんな言葉を残して何処へともしれず消えていった。
ライフストリームの流れの中へ、在るべき場所へ帰っていったのだと、クラウドは感じた。
再び、温かい手が今度は額に触れる。その熱はさっき感じたものよりも幾分高く感じられた。
【なあ、クラウド。俺は、おまえをあの時ああして守ったこと、後悔してない。だからもう悩むなよ】
子供を宥めるときのように、その指先が優しく髪を梳く。
【俺、おまえと出会えて良かったって思ってるんだぜ?】
唇から紡がれ大気を震わせる声音とは違い、直接感じられる思念は、優しい優しい思いを伝えてくる。その優しさはあまりにも心地よすぎて、クラウドに抗いがたい眠気をもたらした。
【ザッ・・・・・・ス・・・】
眠気はあまりにも力強く、クラウドの思考は次第に眠りの淵につこうとしていた。
それを感じたのだろう相手は微かに笑みを浮かべた気配をみせ、
【ああ、少し眠った方が良い。胸の傷、治すの、ちょっとばっかし大変だから】
頭を撫でていたその手が今度は軽く目蓋を抑える。もう寝てしまえと仕草で促す。
もう少し言葉を交わしたいのに、疲弊している身体はそれに従い、クラウドの意識を眠りへと誘っていく。
【治ったら、ちゃんと起こしてやるから。今は眠っちまえ。仲間の元に、おまえをちゃあんと帰してやるから、心配すんなよ】
相手のそんな言葉を最後に、クラウドの意識はぷつりと途切れた。
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