山の麓の、人が十人は座れそうな大きな岩に二人は並んで腰をかけていた。チョコボはといえば、クラウドの背後に控えるように蹲りのんびり毛繕いをしていた。
ユフィは足をぶらぶらさせながら、しかしやや暗い表情で俯いてしまっていて、なかなか用件を切り出そうとはしない。
闊達な少女のそんな様子に珍しいなと思いつつも説明を催促するでなく、少女の決心がつくまで待とうと、クラウドは青く晴れ渡った空を流れる雲を見上げていた。
町中に引き込まれている水路を流れる水音が此処まで聞こえてくる。そして周囲を取り巻く森から漂う木々の香がそれに合わさり、心地よい空気を醸し出している。
普段鉄やサビの臭いが漂うエッジに住んでいるクラウドにとってそれらは、贅沢な限りのものだった。
しばらくそうして時を過ごしていたが、やがて決心がついたのだろうユフィが岩の上にすくっと立ち上がった。
「クラウドに見せたいもの、あるんだ」
言い様、岩の上から飛び降り、手招きした。
敏捷な足取りで足場の悪い岩の道を、それを苦にした風もなく駆けていく。
子鹿のように身軽なその姿に、クラウドは微笑ましさを覚えていた。
ダチャオ神の像がある場所に辿り着いたユフィは神像に背を向けるように進行方向を変え、ただ無作為に突き出ているように見える岩の連なりへめがけて跳躍した。そして3つほど岩を飛び移るとクラウドの方にくるり向きを変え、手招きを繰り返す。
こちらに来いという合図だと悟ったクラウドは、だがしかし途方に暮れた。
今まで連れ歩いていたチョコボの体格ではこの岩の道は通れない。自分の連れているチョコボは海チョコボだから、その能力を使って別のルートから目的地に向かうのも一つの手だ。しかしユフィはチョコボの存在を知りながら、敢えて不便な道を選んでいる。其処に何か思惑があるのだろう。
少し逡巡してみたが、結局この場に置いていくのが得策だとクラウドは思った。
握っていた手綱を引き摺らないようにハーネスに軽く挟み込み、チョコボの首筋を軽く叩きながら山の麓まで戻ってそこで待っているよう話しかけると、チョコボは主の言い分を理解したという風に頭を振って一声啼くと、辿ってきた道をとことこ戻っていった。
チョコボの姿が完全に視界から失せたのを確認してから、クラウドはユフィの後を追って岩に飛び移った。
そうして山の少し裏手へと岩を飛び伝って移動していくと、突然岩の道が姿を現した。
ユフィは軽くかけ声をかけながら、やや離れた距離にある岩場へと飛び移り、そこから這い上がるようにしてその道へと移動する。
クラウドは少し身を屈めて力をためると、一気に岩の道まで跳躍した。
クラウドのそんな挙動に一瞬びっくりした表情を浮かべたユフィだったが、すぐに面白いと言いたげに口元をにやり歪めた。
またひたすら岩の道を歩いていく。その間中、おしゃべりな性質のはずのユフィは沈黙を守ったままだ。それにひっかかりを覚えながらも、元来話し下手なクラウドは自分から口を開こうとはしなかった。
やがてクラウドの耳は大量の水が高所より落下しているような水音を捉えた。
その水音は徐々に大きくなっていき、やがて二人の目の前に瀑布が広がった。
滝口から滝壺までかなりの高さがあり、二人が今いる下方から三分の一程度の高さから滝口を望んでも、かなり顎をあげなければならなかった。水量もかなり豊富で、まだ滝まで距離があるというのに水飛沫が濃霧のように舞っている。
二人が踏みしめている道は、その滝へと続いていた。
「こっち、こっち来てよ」
滝のすぐ脇まで続いている小道へとクラウドを引っ張っていく。滝の水量はかなり多く、当然その道は濡れていて滑りやすい。クラウドは片手をユフィに引っ張られているという不安定な姿勢のまま、足許に細心の注意を払って歩いていった。
滝のすぐ近くまで行くと、その小道がさらに滝の裏側へと続いているのが判った。
どうやらユフィはその滝の裏側へクラウドを連れてきたかったようだった。
滝の裏側にはぽっかり大きく口を開けた洞窟があり、少し進むとその先に灯りが見えた。
洞窟はたいした長さがあるわけでなく、すぐに行き止まりとなっている。その行き止まりの部分がちょっとしたホール位の広さを持っていた。
出入り口を滝に塞がれている割に洞窟内はそれほどひどい湿気があるわけでなく、微かだが乾いた空気がどこからは入り込んできていることをクラウドは頬に感じた。
戦時中の名残なのだろうか、洞窟内には様々な物が置かれている。明らかに人々が此処に籠もって暮らすことを意識した備蓄品が山のように積まれていた。
そんな山々のさらに奥、壁に一番近い場所に古ぼけたベットが一台、ベットの近くにある小机の上にカンテラが置かれており、それがうっすらと周囲を照らし出していた。
そのベットに人が一人座っている。夜目の利くクラウドにはそれだけで十分と言えるが、普通の人間にはかなり暗いと映るだろう灯りのなか、その人物は入り口の方角に背を向け、壁をじっと見つめていた。
特に気配を殺したり足音を押さえている訳ではないから、人が来たことはその人物にも感じられているはずなのだが、それでもその人物は動く気配を見せず俯いている。
その様子に居たたまれなくなったユフィが大きなため息をつく。そしてその人物の真正面に回り込むと、その肩を掴んで強引にクラウドの方に身体を向けさせた。
その人物の顔を見た瞬間、クラウドは絶句した。
顔中を黒い痣が縦横無尽に覆っているのだ。よくよく見れば服から覗いている肌も同様な状態になっている。
ここまでひどい痣を身体に刻みながらも存命している人間に、クラウドはこれまでお目にかかったことはなかった。
星痕症候群。
この人物はそれに罹患していた。
顔を痣に覆われていて不気味な印象を拭えないが、以前はさぞかし好意を抱かれただろう整った顔立ちをしていることが判る。年の頃はクラウドと同年代くらいと思しい若者だった。
黒髪に黒い瞳。ウータイエリアに住んでいる人々の身体的特徴を持った若者の面差しは、どこかユフィと似通っている。もしかして血縁なのかと思ったクラウドのそれを肯定する言葉がユフィの唇から洩れた。
「アタシの・・・従兄だよ」
告げられた事実に、クラウドは愕然とした。そしてユフィが自分を此処まで連れてきた真意が判らず、困惑する。ただ具合の悪い人間を自分に見せるためだけに、『緊急』という言葉を使ったとは到底思えなかった。
「ユフィ?」
言外に自分を呼び出した目的を話すよう促すが、ユフィは軽く首を左右に振り、
「黙って見てて」
硬い口調でそう言うと従兄だと紹介した若者へ視線を引き戻してしまう。
仕方なくクラウドも若者に視線を据えるしかなった。
二人の人間に凝視されているというのに、若者はそれを気にした風もなく宙を見つめている。明らかに若者の意識は彼岸へと向けられていた。
星痕症候群の特徴の一つとして鋭い痛みがあげられるが、症状が進行すればするほどその痛みは強さを増すという。若者の状態から見て、その痛みは激痛どころの騒ぎではないだろうことは簡単に推測できる。
その痛みから逃れる術として、もしかすると若者は意識をこの世から切り離してしまったのだろうか。
時々、若者の上半身が不安定に揺れる。まるで船に揺られているかのように、前後左右あらゆる方向に身体が動く。そしてそれにあわせて若者の口から意味をなさない単語の羅列が洩れるのだ。
これに良く似た状態にあった人々をクラウドは知っていた。
クラウド自身も一時このような状態になっていたことがある。記憶にはあまり残っていないが、仲間たちは自分のそんな時期をよく覚えていて、一度だけ詳しい話を聞かされたことがあった。
魔晄中毒。
高濃度の魔晄、すなわちライフストリームに晒された者は、あまりに高密度な情報を脳内に一気に送り込まれることになり、その情報量を脳が処理しきれず破綻してしまう。そんな状態になった者のことを指す言葉である。一度魔晄中毒の状態に陥ってしまえば快復の見込みはほとんどない。だがしかし、クラウドは今までに二度この魔晄中毒の状態に陥りながらも不死鳥の如く蘇り現在に至っている。
若者が時々見せる様子は魔晄中毒患者のそれに良く似ていた。
クラウドは自分だけが何故この地に呼ばれたのか、理解した。
若者のすぐ傍らまで歩み寄ったクラウドはそのままその場で膝立ちになり、下方から若者の顔を見上げるようにして瞳を覗き込んだが、黒い瞳は焦点がまるであっておらずそこにはどんな感情も浮かんでいない。人間らしい情動というものが一切見受けられなかった。
顔の中央にぽっかり空虚な点が浮かんでいるように感じられて、クラウドは背筋を這い登る悪寒に耐えられず身震いした。自分もあの当時こんな状況だったのだろうかと怖気を感じてしまう。
「クラウド、どう?」
深い絶望に囚われながら、それでも一縷の望みを捨てきれない、そんな声音でユフィが恐る恐る尋ねてくる。
叶うことならば希望を与えてやりたいと思うクラウドだったが、若者の状態は楽観視できる現状には到底なかった。
「・・・判らない」
だから頭を左右に振りながら、そう答えるしかなかった。
「・・・そっか」
微かに震えるそれに、クラウドはユフィが泣いているのではないかと思ってしまった。
反射的に腰を浮かしユフィの元に歩み寄ろうと動きかけたその肩を、誰かがそっと掴んだ。
ぞっとするほど冷たい指先が、剥きだしの自分の肩に背後から触れている。まさかという思いと共に振り返れば、今まで中空に据えられていたはずの黒い瞳が、クラウドの蒼い瞳をしっかり見返していた。
一瞬、若者が正気に返ったのかと思ったクラウドは喜色を浮かべかけたが、それはすぐに消え失せてしまった。
若者の双眸は相変わらず虚無に満ちていた。
それなのにじぶんをしっかり捉えたこの腕の力は何なのだろうと、クラウドは訝しく思う。そして空虚な光を宿しながらも全身から立ち上り始めた異様な雰囲気に警戒心を強くした。
若者は明らかに普通の星痕症候群とは異なる症状を示している。クラウドが知る誰の症状ともそれは異なっていた。
若者がゆらり立ち上がる。
此処に匿うように隔離してから今まで自力で動くということをあまりしなかっただけに、若者の自発的行動にユフィの表情がぱあっと明るくなる。そして喜色満面、さしたる警戒もなく若者に駆け寄ろうと動きかけた。
それを片手で制したクラウドは、己の肩を掴んでいるその手をゆっくりと引きはがし、そっと後退る。 空虚なその双眸を認めてから、心の中で警鐘が鳴り響き続けている。若者との間に十分な距離をとりたかった。
クラウドの緊張を感じ取ったユフィの顔が強張り、信じられないと言いたげに若者の姿を見つめた。
若者の口元が、醜く歪む。
背中のホルダーに差してある二本の剣のうちの一本に、クラウドのグローブに包まれた右手の指先が触れる。
クラウドはその体勢のままじりじり後退り、彼我の距離を空けていく。ユフィもそれに倣って徐々に洞窟の出入り口の方へ足を運んでいった。
その歩みはじれったいくらい遅かったが、それでも若者はそれ以上その場を動こうとはせず、その距離は次第に広がりを見せていった。
若者の頭が緩慢に左右に振られる。何度も何度もそれは繰り返される。若者はどうやら何かを捜しているらしかった。やがて目当ての物を見つけたのだろう、初めてその眼差しに喜色という感情に色が浮かんだ。
若者と十分な距離をとったクラウドは若者の行動を見つめていた。ユフィはその背後から顔を出すようにして様子を窺っている。
若者の足がゆっくり目当ての物の方へ動き始める。
その先に何があるのか理解したユフィは、
「クラウド!」
叫んでいた。
突然あがった叫びに、クラウドは反射的にユフィへ振り返る。
「あれ、マテリアが・・・入ってる」
震える声の告げた内容に蒼い瞳が驚愕の色を浮かべる。
あんな状態の人間がどうしてマテリアを欲するのか理解できない。マテリアを発動させるには明確な意思と揺るぎない精神力が必要とされるのだ。よしんば発動が可能であってもあの状態では、マテリアのもたらす知識の泉に溺れてしまうのが関の山だろう。つまり正常な発動は全く望めないということだ。
二人の狼狽を他所に、若者は目的の物、古ぼけた大きな箱に辿り着き、無造作にその蓋を開けた。
箱の中には色とりどりのマテリアが無数に入っている。
若者の左手が赤いマテリアに伸びる。指が触れた途端、マテリアの中心部に微かな光が生まれた。
それはマテリアと若者の精神が同調を見せた証。
常識では考えられない事態が、今、目の前で起こりつつあった。
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