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   「どうしたの? 京一」

   「えっ? いやなんでもない」

   「ボーっとしているね。そんなに仕事の方が忙しいのかい?」

   いきなり目の前に現れた沙羅(こう呼ぶように申し付けられた)が、心配げに俺の額に手を置く。


   「熱はないようだね。……葉月、何か栄養あるものを食べさせてやりなさい」

   「はい、父さん。この所新しい企画をいくつか任せられているからかな?

    ……僕のサポートが至らないからかなぁ」


   「……違う。葉月はよくやってくれている。ただ、その……」

   首を傾げて儚く微笑む葉月に、慌ててフォローをするが穏やかな微笑で自分を見つめる沙羅に

   次第に口が言いよどむ。俯いてしまってしまった俺に彰吾が沙羅の腕に甘えながら、


   「父さんは自分以外の人と仲がいいのが気に喰わないんだよ。沙羅は葉月のお父さんなのにね」

   無邪気な息子の言葉が心に突き刺さる。子供は結構真実をついてくるからな。

   どんなに小さいことも覚えていつからな。日々気が抜けない。

   けど、自分の言ったことはすぐ忘れるんだがね。ずるいよな〜。


   「ふむふむ。そうかそうか。葉月と京一君は仲がいいからね。まあ、私も葉月とは久しぶりだから

   もう少し我慢してくれ。役目が終われば帰らなければならないからね」


   すべてを見透かしたような顔で可笑しそうに笑う彼に、俺は顔を真っ赤にして、否定していると、

   お袋に容赦なく頭を叩かれた。


   「お前は昔から柔軟な考えってものができないんだ。だから安心してたのに。

   再婚すると思ったら嫁が男。はぁ、孫がいるからまだいいけど」


   葉月を認めた途端、俺を責めはじめた。

   まったく、自分の親ながらこの変わり身の早さには脱帽する。

   葉月も苦笑を浮かべてそれを黙って見守っていた。


   「そういえば、役目って何ですか? どこかへ行かれるの?」

   「……今はただその時期ではない。ある場所に行かなければいけないのだけどね」

   「時期ではない?」

   「そう。物事にはすべては時が重要だ。だからまだなんだよ」

   見透かしたような、達観したような不可思議な笑顔。瞳の奥にはどこか哀しみが滲んでいた。

   俺にすっと視線を合わせた。その時の彼の顔はひどく真剣だったが、次の瞬間には

   満面の笑顔だった。


   「そういえば、鎌倉にある紫雲館という美術館があるのを知っているかい?」

   思い出したように言われて皆首を振る。

   沙羅はすぐに興味をなくしたかのように彰吾の手を取り、静子と居間で団欒を始めた。


   「何かがあるのかな?」


   「父さんはあまり自分のことを話さないから。きっと何かを待ってるんだと思う。

   それに……こんなに長く他人といるのは初めてじゃないのかな。あの人達は自分勝手だからね」


   「お前も?」

   「うん、時たま何も言わずに出かけられた。そういう時って、どうしたらいいのか判らなくて、

   ずっと膝を抱えて待ってたよ」


   寂しそうに笑う葉月に、考える前に抱きしめていた。ホッと安心したように力を抜き、

   もたれかかった。しっかりと抱きしめて、耳元にそっと囁いた。


   「愛している。お前を独りにはしない。だからそんな顔をするな」

   「……ごめん。あのね、僕も愛している」

   彼の黒髪に軽くキスをして、宥めるように背を撫ぜた。その瞬間彼の身体が震えた。

   えっと驚いて彼の顔を覗き込むと、耳まで熟れたトマトのように真っ赤だった。

   震えた手でシャツを掴まれる。葉月から少し早くなった鼓動が聞こえた。

   この所仕事やら何やらで二人きりになる機会がなく、人の目を気にしてキスのみだった。

   ずっとそのことを考えないようにしていた俺も彼の熱を感じて自身も熱くなる。

   さてどうしたものかと、考えていると、視線を感じた。居間へと目を向けると、沙羅と目が合った。

   すっと玄関を指されて、頷かれた。いいのかと目で問いかけると、よく絵本などで見かける慈愛に

   満ちた天使の微笑を浮かべて再び頷いた。


   「……」

   「あの、京一?」

   「黙って」

   無言で頷いて葉月の腕を連れて財布と車の鍵だけを持って家を出た。車を走らせて暫くすると、

   葉月がクスクス楽しそうに笑い出した。


   「どうした?」

   「だって。僕たち大切な家族を置き去りにして、車で二人きりになれる場所に行こうとしている。

    そう思ったら、何だが可笑しくなって」


   「そうだな。でも……お前にずっと触れていない。家で二人きりになることはないし、

    会社でもこの所忙しくて。ずっと我慢していたけどな」


   ちらりと横目で葉月を見やる。わざとらしく窓の外を見ていたが、そっと手が俺の手に重ねられた。


   「僕もそう。あなたに触れていない。あなたが……京一が足りない」




                      
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