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   僕には父親がいない。そして唯一の肉親である母は僕を憎んでいた。

   売れない歌手であった母は事ある事に言っていた。

   僕がいるから再婚もできず、いいステージにもパトロンにも恵まれないと。

   殴る蹴るを日常的にされてきた。

   でも僕はほんの気まぐれで手料理なんかを作ってくれる母親が
大好きだった。

   ある日、母親は笑顔で僕を呼んだ。嬉しかった。

   でも彼女は僕の10歳の誕生日に、借金の形にある裏の実業家に僕を……売った。

   僕は美人と称される彼女に似て、よく女の子に間違えられていた。

   いまだに信じられないが、父も僕のことを綺麗だと言っていた。

   よく「可愛いバンビ」と呼んでいた。ただ黒目がちなでっかい瞳にひょろりと長い肢体で、

   父のような美貌の持ち主ではない。

   そんな僕を彼らは何を勘違いしたのか、上玉だと言っていた。

   それからは急転直下。僕は会員制の秘密デートクラブへ出されることになった。

   客への礼儀作法として最低限の教育と、接客術、そしてセックスのすべてを教わった。

   幾度か逃げ出したが、その度に連れ戻され酷い折檻を受けた。やがて反抗の意志はなくなった。

   一年後、店に出た。それから専ら男の会員に奉仕するようになった。

   抱かれることはもちろん、望まれればどんなこともした。

   嫌でも仮面の笑顔が板についていくが、心は疲れきっていた。

   心の片隅でずっと母親が迎えにくる
ことを願っていた。願いが成就することは……なかった。

   さらに一年後のある日、客に請われて客の家での奉仕を終えた後、小さな野良猫と出会った。

   ただ温もりが欲しくて……。猫の温もりを抱き締めて振り出した雨の中、工事現場近くの資材置き場

   で雨宿りしていた。

   「何をしている? 坊主」

   見つけてくれたのは……沙羅。初めて親の温もりを与えてくれた人。欲望もなく、純粋に子供として

   愛してくれた人間ではない絶世の美貌を持つ『鬼天狗』一族の沙羅。

   雨上がりの森を思わせる深緑の瞳を持つ僕の父親。

   引き取ってくれた父は信じられないことに、単身出向いてさっさと話をつけにいったのだ。

   そしてそれは成功し、僕には父親ができた。戸籍上の関係はなく、後見人という立場だったが。

   母は既に亡くなっていた。

   僕を売った頃、母は覚醒剤に手を出していて、後戻りできないところまできていた。

   自力で育てられないと悟っての行動だったらしい。何を考えていたのかはわからない。

   母は間違っていたのかもしれない。でも少なくとも僕のことを考えてくれていた。

   母の墓は沙羅が作ってくれた。

   「たくさんのことを見せよう。お前の母親ができなかった事を。

   将来出会うであろう伴侶のために……」

   「沙羅(出会った頃は名前で呼ぶように強制された)は人間じゃ無いの?」

   「ああ。我らは『鬼天狗』と呼ばれている。地球界とは別の位相に位置する異次元界『御山』の生き物だ。

    この銀河に生きる生物が死した後、我らが魂を呼び『御山』へと運び、禊と裁判を受けさせる。

   私はある企業の調査でここにきた。調査も大事な仕事だ。暫くこちらで生活することを申請した。

   我が愛し子よ。お前の成長を見守ろう。我が力及ぶ限り慈しみ、あらゆるものを見せてやろう」

   そして大きくて真っ白な翼を見せてくれた。腕に抱かれて翼にくるまれる。

   それはとても安心感があり、父親の温もりだった。

   それから10年ずっと一緒にいた。それまでに沙羅は色んなものを見せてくれた。人間界に

   棲んでいる異世界の住人たちとの語らい、自然界の不思議な現象や、魔法のような力でいろいろな

   奇跡を見せてくれた。父は僕を呼ぶとき、「愛し子」と必ずつける。どうやら沙羅の一族は気に

   入った人間につける呼称みたいだった。

   父に帰還命令がでた。御山へと帰らなければいけなくなり、渋る父を説得したのは僕だった。

   そして幾つかの約束をした。

   「息子よ。お前のその瞳が以前のように、絶望と悲哀に満ちないことを祈る。

   幸せにおなり……私の愛し子」

   幾度も見せてくれた翼が現れる。真っ白で巨大な翼。父の腕の中に抱かれ、翼にくるまれる。

   それは成長しても変わらず、安堵の溜め息をつく。ここは無条件に安心できる場所。

   約束は月に一度は手紙と写真を同封して、ある場所充てに送ること。

   そして何かあれば、絶対に呼ぶこと。

   それが彼からの約束で、ずっと欠かさなかった。

   父が御山へと帰ってしまた。がらんとした家で待っているのは、年寄りになったミントと、

   拾ったばかりの二匹の猫達。正直とても……寂しかった。

   それから……それからどうしたっけ。どうしたんだろう。なにか大事なことを忘れているような気がする。

   とても温かで愛しい感情。忘れたことで焦燥感が……胸がぱっかりと穴が空いたような飢餓感。

   苦しい切ない。苛立ちが募る。

   朧げながら思い出すのは、優しく抱き締めてもらえる腕……そして愛撫。

   ここで膝を抱えている場合じゃない。探さないと。このまま寒い思いをただ抱えて苛立ってはいられない。

   「そう、探しなさい。お前を待っている人達が待ちくたびれてしまっているよ」

   闇の中でぽっかりと姿を現したのは、父だった。5年たっても父の美貌は衰えることはなく、

   それどころが全然変わらなかった。そしていつものように白く輝く翼を広げて僕を見下ろしていた。






                      
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