SUBDIVISIONS
規範にはめようとする現代社会と個人の葛藤、と言うのはRUSHの普遍的テーマの一つです。この曲には、ハイスクール時代、
人と同じ事をするのがいやで自分のスタイルを貫こうとし、その結果まわりから疎外されがちになったという、Neil自身の経験が反映されていると、
「Port Boy Story」という彼の自伝に書かれていました。
曲タイトルの「Subdivision」──細分化とは、郊外地区の細かい道路によって仕切られ分化されている町並みと、それぞれの階層、職業、年齢などによる、
求められる役割の細かい厳密な規定を意味するのではないか、と思っています。
郊外族、と言うと日本人にはあまりピンと来ない感覚かもしれませんが、言ってみればニュータウンのようなものでしょうか。団地や社宅などに一定の暗黙の
ルールがあり、地域社会にとけこむために必要な通貨儀式や条件のようなものがある。人と違うこと、目立つことは好まれない。ある意味、窮屈な社会とも言える
でしょう。
「Mystic Rhythms」(以下「MR」)によると、冒頭の一句で、sprawlというのは雑草がはびこるような、無秩序な拡大を意味し、それがgeometric order──幾何学的な秩序で
というのは、非常に矛盾した言葉だ。でも、郊外の発展のしかたを考えた場合、非常に当を得た言葉だと書いてありました。都市部の周辺地域は無秩序に、しかし
幾何学的な秩序を持って拡大する。たしかにそうかも、と思ったものです。
そして郊外の生活、ある意味窮屈でいまいち刺激のない生活に飽きた若者たちは、都会へと出ていく。そしてそこで激しい生存競争にもまれ、敗れ、傷ついた時、
初めて自分の生まれ育った郊外地区を懐かしく思い出す──皮肉なものだとも、書いてありました。
歌詞そのものは、比較的ストレートです。自分はmisfitだと思っている人には、切ない歌詞かも。実は私自身、学生時代にこのmisfit感に悩んだことがありました。
(もしかしたら、今もmisfitかもしれない(^_^;) だからこの曲の歌詞を読んだ時、ドキッとし、また切なく思った記憶があります。
THE ANALOG KID
もう今や、アナログというのは旧時代的な、と言うのと同義語でしょうか。ASDL以外は。不器用で、時代に染まらない純真性のようなものも、
象徴しているような気がします。
舞台は「Subdivisions」の郊外よりもっと都会から離れた地方、草むらに寝転んで、飛んでいく鷹を見られるほどの自然の残った場所、そこに暮らし、
都会に憧れる少年が描かれています。 「ビルディングと目」と言うちょっと妙な組み合わせの意味ですが、「MR」によると、
ライトアップしたビルディングのことで、都会の象徴らしいです。うーん、窓から漏れる明かりが眼だとしたら、高層ビルには、ものすごく
たくさんの眼があることになりますね。
この『アナログ・キッド』と『デジタル・マン』は、対語のような印象です。アナログにデジタル、子供と大人──「MR」では、
アナログキッドが成長してデジタルマンになると解説されていました。少年の日に、自然の中で想像をめぐらせた都会の姿と、現実での生活はあまりに違っていて、
彼は次第にかつての純真さや無邪気さを失い、生きるために、ただその場に適応するだけで、感情の動きが少ない人間になってしまう。故郷を捨てた時に残してきて
しまうものは、かつての生き生きとした感情や純朴さ──そうだとしたら、やっぱり切ないですね。
CHEMISTRY
日本にこんなグループが、って、違う。コミュニケーションを化学反応にたとえた曲です。
この曲には、NeilのほかにGeddyとAlexが作詞に参加しています。三人で詞を書いた? これも、ケミストリーでしょうか。
A+BがCになる。水素と酸素が合わさって水ができる。化学反応は、しばしば要素を変質させ、異なるものを生み出します。
が、決して思いもよらないものではなく、まあ、ちょっと量が多かったり少なかったり条件が悪かったりして失敗もするけれど、
おおむね結果はわかっているわけです。人と人との感情の交流も、そのようなものなのでしょうか。
大事なのは、自分と相手の間に、それ以上のものを生み出すことなのかもしれません。
DIGITAL MAN
「MR」によると、デジタルマンはアナログキッドの続編なのだそうです。都会生活に適応するために、完全に自分自身を失ってしまった状態、
周囲に気を配り、同調し、そして忙しく生きる。現代都会人の姿は、『GRACE UNDER PRESSURE』の「BODY ELECTRIC」のようなロボット人間にもたとえられます。
両者は同じようなものだ、ともにこの大量生産時代の落とし子、没個性的な、主体も感情も失いかけている人間として描かれていると。
それでも、彼の心は完全に死んだわけではないのです。『彼はシオンで過ごす夜〜』のくだりは、古代ユダヤ人のバビロン捕囚がもとになっています。ユダヤの王国はバビロニアに滅ぼされ、人々はバビロンに連れ去られ、
長くそこで暮らしたあと、バビロニアを征服したペルシャによって解放され、エルサレムへ帰ることができたのです。シオニストと言う言葉があるように、
シオンとはエルサレムにある神殿の丘のことです。
現代のバビロンに暮らすデジタルマンは、シオンに帰ることを喜んでいるのでしょう。
ところで、このバビロンという言葉で連想するのは、同じく聖書の黙示録──
『倒れた、大いなるバビロンは倒れた。汝は災いだ』という文句で、バビロンは大都会の象徴なのです。それも滅ぶべき運命の──今の世界に未来はあるのか、
などとつい思ってしまうような一句です。
THE WEAPON
『恐怖兵器』などと妙な邦題がついてしまいましたが、普通に訳せば、単なる『兵器』です。そして、ご存知『Fear三部作』のパート2です。
『Fear トリロジー』は逆順に製作されたのですが、これはどっちにしろ真ん中、恐怖の本質であるパート1と、もっとも外側の偏見や無知との間に来る本作は、
宗教上の恐怖がテーマになっています。
これも「MR」からの参照なのですが、この曲にはかなり聖書からの引用がちりばめられ、内容も非常に宗教的なのだそうです。
『汝の王国は成就されるであろう』と言う一句は、『THE BIG MONEY』同様、主の祈りからの引用です。
良い行いをせよ、神を信ぜよ、そうすれば魂は救われる。さもなければ地獄に落ちて、永劫の炎で焼かれるであろう──これが宗教における脅しであり、
恐怖であるわけです。でも、キリスト教の本質とされる愛の概念でさえ、生きている間にしか実行できないものなのに(愛も時間の制限を受ける)、
人生の一部であるにすぎない犯した罪によって、人生そのもの、果ては永遠の命まで失って、地獄の責め苦を受ける(命そのものよりも重いその一部など、
ありえるのだろうか)──永劫の罰という恐怖は、悪事を働こうとする誘惑からの防波堤になるわけですが、同時に私たちの行動を縛る枷ともなるわけです。
うっかり、もしくは不本意に罪を犯してしまった場合、一生恐怖に怯えなければならない、それは理不尽ではないか──
本当なのか? 人を怯えさせて、それが嘘だったらどうするんだ──それが、『死ぬことより、嘘の方が怖い』という意味ではないでしょうか。
結局、宗教のあり方とはなんなのか。それを問いかけているようです。
ちなみに冒頭の一句はもとアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトの有名な言葉なのだそうです。
NEW WORLD MAN
これは、デジタルマンの一歩進化した形、もしくは自己に目覚め、没個性から脱出したデジタルマンの姿であるとされています。(Mystic Rhythmsより)
「TOM SAWYER」にも通じる、現代の戦士──というより、この曲で描かれている人物像はもっとしたたかで、自分をしっかり持っていながら、まわりの情勢を
見て必要なことはとり入れ、修正していくことができるという人のようです。でもデジタルマンと決定的に違うのは、自分の主体性をはっきりもっていること、
自分の弱さや欠点も、しっかり把握しているということでしょうか。
「新世界」は、この場合、北米大陸を意味します。RUSHはカナダのバンドですから、まさに『新世界人』ですね。『旧世界』はヨーロッパ、『第三世界』はその他、
つまりアジア、アフリカ、オセアニア、中南米です。『新世界』は『旧世界』と『第三世界』の良いところをとり入れ、両者の橋渡し的な、取りまとめ的名な役割を
果たす、といったところでしょうか。
余談ですが、この曲、RUSH唯一のTOP40ヒットです。『三分間プロジェクト』で、ほとんど即興で作られた曲ですが、それが最大のヒットになるなんて、
皮肉といえば皮肉なものかもしれません。わかりやすいから? POLICEっぽいから?
LOSING IT
直訳すれば、『それを失っていく』ですが、歌詞を見る限り、『それ』とは邦題の『夢』と言うより、『かつて自分が持っていた、貴重な、誇れるもの』と
いうような気がします。同時に、『平静を失う」と言う成句でもあります。
この曲については、Modern Drummer誌のインタビューで、Neil自身が答えていました。ダンサーは肉体的な破滅、作家は才能の破滅だと。
FAQにもありましたが、作家のモデルは文豪、アーネスト・ヘミングウェイです。その代表作である『日はまた昇る』、『誰がために鐘は鳴る』が、歌詞の中にも
登場しています。ヘミングウェイは晩年、何も書けなくなっていた。それでもなお書こうとした。それはまさに悲劇だ。初めから何も持たないでいるより、
素晴らしいものを持っていたのにそれを失ってしまう方が、はるかに悲しいとNeilは言っていました。生まれた時から目が見えない人は、初めから視覚という概念を
欠いています。でも、途中で失明してしまうと、失った光、視覚が、それがなんであるかを知っているだけに、より深い悲しみを起こさせてしまう。
才能の喪失も、同じかもしれません。それは才能だけでなく、愛であっても、幸福であっても、悦びであっても、同じでしょう。
ところで、他のHPのレビューに、この曲についてこう触れていました。『自分たちもやがてそうなるだろうということを予測しているのが伝わってくる曲』だと。
うーん。いずれは彼らにも、そういう時が来てしまうのでしょうか。あまり想像したくないけれど。
余談ですが、この曲には当時FMと言うバンドにいたBEN MINKがゲストプレーヤーとして、エレクトリックヴァイオリンで参加し、曲中、かなり重要な役割を
果たしています。この人、去年Geddyのソロで共同製作者として活躍していました。(ギターはちょっと地味かなと、思うけれど) FMはMOVING PICTURES ツアーの時、
RUSHのサポートアクトを勤めていたから、この頃から交流があったわけですね。
(ドキュメントビデオで初めて見た時、ちょっと小林克也似の、あまりに普通のおじさんだったので、
少々驚きましたが)
COUNTDOWN
これは、メンバーがスペースシャトル、コロンビア(第一号シャトルですね)の初打ち上げを見学した時の体験を元にした曲です。
歌詞はけっこう、そのまんまです。この時彼らが見学したエリアが『レッド・セクターA』なのだそうですが、この曲には直接その単語は触れられていません。
この曲のプロモビデオには、NASAの映像がふんだんに使われていて、迫力があります。NASAに、お友達かファンの人でも、いたのでしょうか。
この曲でアルバムが終わっているのは、この頃から近未来に視点を移し、人間とテクノロジーとの共存、葛藤を描き始めた時期を象徴しているとも言えるでしょう。
テクノロジーの進歩は、ついに宇宙へ飛び出すに至った。まあ、その前からアポロ計画で月に有人飛行が実現してはいましたが、スペースシャトルはまた新たな
宇宙時代の一ページを開いたわけです。この後、チャレンジャーの爆発事故もありました。コロンビアも事故で、宇宙飛行士の命と共に失われて
しまいました。技術はやはり、諸刃の剣なのでしょうか。
アルバム全体について
RUSHの一大方向転換、と話題になった作品です。サウンドはシンプルになり、聞きやすさが重視され、曲はコンパクトに、
歌詞は現在及び近未来の視点になっている。言ってみれば、今までのRUSHのイメージを全て覆したような感じで、ファンの間で
賛否両論を呼んだらしいです。実際、『第二期までのRUSHが好きだった』という声はよく耳にします。
でも、こういう声って、出てくるのはだいたい次の作品が出る時なんですよねぇ。私もこのアルバムが出た当時を知っていますが、
少なくとも当初はそういう意見は聞いた覚えがありません。(まわりにRUSHファンはいなかったので、あくまでメディアの意見しか
知りませんが) 『GRACE〜』になってから、『SIGNALS』はイマイチ、という声が聞かれだしたのです。
私個人の意見では、やっぱり最初は、『やっぱり今までのRUSHと違う』と、違和感を覚えたものです。でも聞いているうちに、
『これはこれでいいか』という気になってきたものです。聞いていると、味が出てくる。全体的に重いけれど、でも妙な浮遊感と透明感が
あって、慣れると癖になります。
|