TOM SAWYER
『トム・ソーヤー』は、マーク・トゥエインの有名な同名小説の主人公から取られたタイトルです。もともとは同じカナダのバンド
MAX WEBSTERの『LOUIS THE WARRIOR』と言う曲として産声を上げたものらしいですが、作詞者PYE DUBOISがRUSHに詞を提供し、
Neilそれをもとに書き上げたのが、この曲だということです。このあたりの事情は、RUSH FAQやSOEさんのホームページに、
詳しくのっています。
『現代のトム・ソーヤー』──それは、『ニューワールドマン』でも触れられているとおり、この現代社会を理想的に渡っていく人間
──まわりに無用な軋轢や迷惑を引き起こすことなく、なおかつ自分の主体性を失わず、純粋性も失わず、己の芯をしっかり持って生きて
いく人、その理想形であると思います。
訳上、二、三気づいたこと、もしくは原対訳との違いですが、まず一つcompanyは会社でなく、仲間と訳すほうが適切で、これに関して
はライヴ盤で、修正されて出ていました。もう一つ、初めのフレーズ“mean,mean pride"を『けちなプライド』と訳すことに少々
引っかかりを感じました。”mean“には、たしかに卑しいとか、けちなという意味はあるのですが(mean streakと言うと、いやな奴という
意味です。『The Big Money』にも出てきましたが)、現代の戦士、理想像というイメージと、『けちなプライド』というのは、どうも
しっくりこない気がするのです。『Exit‥‥』盤では、『とるに足らない自惚れや』となっていましたが、これもいまいちイメージが
‥‥‥‥もしかしたら、meanはもう一つの語、中庸とか、ほどほどと言う意味の言葉ではないかと推測し、「ほどほどのプライド」と訳して
みました。うーん、それで本当に意味が通るか、いまいち自信はないのですが。
“The world is, the world is/ Love and life are deep”というライン、歌では一つながりで流れるため、
つい『世界とは、世界とは、愛と人生が深く』と、両方で一文のように訳してしまいそうになるのですが、よく見ると、それぞれ独立した
文章のようです。それで、『世界はある』という訳になりました。『変化は存在する』と同じ意味のbeだと解釈したのです。
これは、もしかしたらDubois氏の傾向かもしれませんが、“Catch the sprit〜”のリフレインや、“He gets high〜”“He gets
by〜"と、似たような音を重ねているところ、内容もさることながら、かなり音の響き重視で書かれているような印象です。直訳すると、
かなり妙な訳になってしまいそうなので、ほとんど意訳になりました。(意訳は常に解釈ミスのリスクも付きまとうので、
『それは違うよ』と思われたら、どうかメールをください)
この曲に書かれているヒーローの姿は、たぶんに自分自身のことでもあると、Neilは言っていたそうです。Neilに、そしてRUSHという
バンド自体に、『現代のトム・ソーヤー』の姿が、見えるような気がします。
RED BERCHETTA
一見、赤い車でレースする歌、なのですが(それも間違いじゃない) これはSFです。レースする相手が、エアカーなのですから。
以下、「Mystic Rhythms」(以下、MR)からの参照ですが、この曲の舞台は近未来、車が道路から締め出され、移動はすべて電車などの
公共施設を使わなければならない時代なのだそうです。車の所持はエネルギーの浪費であり、個人主義を助長させるという意味で、
禁止されています。道路は人が歩くだけで、車は走ることができません。エアカーは、治安維持のために使われている警察の車です。
人々は都市やその郊外圏に一括して住み、田舎の地区には人が住むことを禁止されています。(農業はどうなっているのだろう? すべて機械化されているのでしょうか?)
そんな時代に住む主人公は、居住禁止エリアに隠れ家を持っている伯父を、毎週末にこっそり訪ねます。(タービン貨物列車に密航して)
伯父は隠れ家に、昔の愛車である赤いバーチェッタを持っていて、それをいつもぴかぴかに磨き、整備しておくことに生きがいを感じて
います。そして、もう二度と走ることができなくなったこの車を、もう一度走らせたいという悲願を持っています。でも、自分自身は
もう年老いてできない。それで、若い甥にその夢を託し、主人公であるその甥は伯父の夢に答えて、毎週、赤いバーチェッタを無人の
道路に走らせるわけです。
しかし、この時には警察のエアカーに発見され、追跡されます。主人公は必死のカーチェイスの末、見事逃げ切って伯父の元に戻る
‥‥‥‥でも、そんなことができるの?
『MR』の作者は、そこで疑問を呈しています。そこで警察の車を振り切ったとしても、他にも警察の車はたくさんいるだろうから、
次から次へと追跡の手は迫ってくるのでは。第一、伯父の隠れ家がそう長く発覚しないでいられるわけがない。となると、これはすべて
甥の空想の中の物語ではないか。年老いた伯父とともに、赤いバーチェッタを走らせるという悲願が見せた幻、暖炉のそばで見た夢では
ないのだろうか、と。
私も実は、一つ単純な疑問を感じたものです。相手はエアカーなのに、一車線の狭い橋で振りきるなんて変だな、と。両側が断崖絶壁なら
ともかく、エアカーなら道幅関係なしに、川の上を飛んでしまえばいいのではないか、それとも、構造上無理なのかな、と。
しかし、最後の結末(の推論)は、多少ショックでした。まあ、これはPriceさんの結論であって、本当かどうかはわかりませんが。
『伯父さん、僕は今あなたと同じ夢を見ているんだ/今、同じ思いを感じているよ』
私が昔、この曲を訳した時、最後にこんなフレーズを思わずつけてしまったものした。きっと主人公はそう思っていると感じたからなの
ですが、Priceさんの結論にも通じる、赤いバーチェッタを通しての、伯父との感覚や夢の共有──本当にドライブしたかどうかはわから
ないけれど──それが、『伯父といっしょに暖炉のそばで夢を見る』と言う最後のラインに現われていると言う気がします。
(SFに暖炉と言うのも変だけれど、暖房装置、だと、ちょっと気分壊れるかなと言う感じですし)
「Exit Stage Left」のビデオでは、車は自由や個人の尊厳、セクシュアリティ、そう言ったもののメタファーだと言うようなことを、
Neilが語っていました。BerchettaはFiat社の車種名で、Ferrariの旧タイプ・スポーツカータイプのオープンカーだそうです。
訳に関して、一つよくわからないことを白状しますと、”well-weatherd leather”非常に語呂の言い響きのこの言葉、
直訳すると『日にさらされて乾いた皮』名のですが、実際これが何を指すのか、いまいちピンと来ないのです。車のパーツなのでしょうが。
(t-nabeさんより、ご指摘をいただきましたが、これは車のシートのことだそうです。革張りのシートで、オープンカーですから、日に照られて熱い、という感じですね。
t-nabeさん、ありがとうございました。)
ところで、この曲のもとネタというか、インスピレーションになったというRichard Fosterの“A Nice Morning Drive”を
個人的に翻訳してみました。近未来を描いた短編(もっとも、舞台は1982年なので、今では近未来とは言えないけれど)で、
Red Berchettaの世界と通じるものが、たしかにあります。特に、カーチェイスのところは、この曲を彷彿とさせます。
☆「A Nice Morning Drive」
YYZ
この曲はインストなので、本来歌詞解説はいらないのですが、タイトルについて一言。
この曲のタイトルは、トロントのピアソン空港の認識コードから取られていて、イントロはそこから発信されるモールス信号だという
ことは、かなり知られている事実です。余談ですが、カナダの都市は、Yで始まるコードが多いですね。バンクーバーは「YVR」、
カルガリーが「YYC」、モントリオールが「YMX」、そして「YYZ」がトロント。
「YYZが荷物タグにつく日は、僕らにとって幸福な日なんだ」と、Neilがツアーブックに書いていました。長いツアーを終えて故郷に
帰る彼らの姿を想像して、思わず和んだ記憶があります。
まったく私的なことで恐縮ですが、私はこの文を読んで以来、『いつかは私の荷物にもYYZのタグをつけたい』と言う悲願を抱き、
ついに新婚旅行で、それを実現させたのでした。タグは空港につくと、添乗員のお兄さんが切ってしまうため、それより前に自分の
トランクを探し当て、しっかりゲットしたYYZのタグは、今も私の宝物です。本当に私的なことで、申しわけありませんでした。
わたしは楽器のことはよくわかりませんが、この曲がRUSHのインストの代表曲(La Villaと並んで)だというのは、とても
よくわかる気がします。凄い曲です。
LIMELIGHT
ライムライトというのは、直訳すると、石灰光──石灰を入れたシリンダーの中で水素を燃やし、レンズを使って集光する照明機器の
ことで、19世紀の初めから、電気照明が使われるまで、舞台照明装置として使われていたものだそうです。舞台照明という意味から転じて、
『注目を浴びる』と言う意味にも使われ、“in the limelight"で、「脚光を浴びる」という意味です。
歌詞にそれほどひねりはないので、『ああ、これはつまり芸能界についての歌だな』と、察しがつくと思います。『Superconductor』も
そうですが、あれほどシニカルではないかも。
ライムライトの中で生きること、それは、そう見られたい人にとっては普遍的な夢であるけれど、その中は非現実の世界であり、
本当にその中で生きようと思い、なおかつ現実の上に立って、真実や本質を見失わないように生きていこうとするならば、世間からの
疎外感を、上手く克服していかなければならない──疎外感はなぜ起きるかというと、それは現実ではない、非現実を生きているからだ──
そんな気がします。って、まんまの解説ですね。(解説にもなっていない。失礼しました!)
『ライムライトの中』つまり芸能界を生きている彼ら──Neilの視点であるから、よけいにそのメッセージは重みを増すように思われます。
THE CAMERA EYE
自らの観察を『カメラの目』にたとえ、そこに映る風景を描写した──『現実を見つめていきたいと思う』と語っていたNeilの意図が
もっとも具現化された曲かもしれないと思います。『MR』では、この曲は『Limelight』と同一線上にあり、Part2とも言える、とありま
した。たしかに、『Limelight』の中には“caught in the camera eye"というフレーズが出てきますが、(RUSHのアルバムにおいて、
いくつかの曲にまたがって、特定のフレーズが繰り返し出てくることは珍しくなく、ある種キーフレーズとなっている)あちらは『見られる
こと』が主で、こちらは『見ること』が主のような気がします。こちらは芸能界、関係ないし。
いわゆる一番はニューヨーク、二番はロンドンについて歌われています。どちらも代表的な都市ですが、それぞれの描写のしかたが興味
深いです。ニューヨーク、ちょっとあまりな書かれようじゃない? (私の訳が悪いのか?)とも、思ってしまいますが。言ってみれば
東京(もしくは大阪。せかせか度が)と京都のようなイメージ?──いえ、もっと大きな、アメリカとイギリスと言う二つの国の描写に
つながるのかもしれません。
ところで、二番の最後のほうに出てくる、ささやき声と言うか台詞が、何を言っているのかとFAQで話題になっていましたが、結局
はっきりとはわからないようです。ネイティヴの人たちの聞き取りでは、もっとも有力なのが、“Allo──Mornin' Guv"──
コックニーアクセントで、『やあ、おはよう』的なニュアンスだということでした。うーん、まあ、そう言われればそうかも、でも
違うような──わかりませんね、やっぱり。すみません。でも二番の舞台はロンドンですから、ロンドンの下町言葉であるコックニーが
出てくると言うのは、わりと頷けるような気もします。
WITCH HUNT
Fear三部作のPartV──でも、一番最初に出てきた曲です。Fear三部作については、FAQでも『MR』でも出てきたのですが、
解説は『Enemy within』の方に書きましたので、そちらを参照してください。
「Witch Huntが最初になったのは、アイデアがまとめやすかったから」とNeilが語っていたとFAQにありました。同心円の外周は、
もっとも目に付きやすい現象だけに、まとめやすいのかもしれません。Witch Huntに描かれている恐怖とは、未知なるもの、自分とは
異なるものへの恐怖と、それを排除しようと動くことが、また新しい恐怖を生み出しているのだ、と言うことでしょう。それが、中世では
魔女狩りを生み、近代ではホロコーストやKKKを生んだわけです。それほど規模が大きくなくとも、極端でなくとも、異端を排除しようと
する動きは、ほとんどすべての社会に存在しているのかもしれません。
この曲のレコーディング時の興味深いエピソードがFAQに(VISIONSにも)載っていました。凍りつくような寒さの中、外へ出て頭の
『暴徒の声』を録音したとか。雰囲気を出そうとしたのでしょうが、大変ですね。
VITAL SIGNS
タイトルは直訳すると、『生命兆候』で、脈拍、呼吸、意識の有無などをチェックする、医療用語ですね。この曲は、
『Natural Science』同様、レコーディング段階になって、『自然発生的なプロセス』を狙って、スタジオで作られた曲だそうです。
作詞面では、意図的に『テクノスピーク』つまりコンピュータとか機械工学的な専門用語を使って、人間の感情や働きを描いてみる、
人間を一つの機械にたとえたような描写をしてみた、というようなことを、Neilが解説に書いていました。のちの『The Body Electric』
に通じるものも、あるかもしれません。でも、機械的専門用語を多用し、メカニックに描写しようとしているにもかかわらず、人間性という
ものが、かえって浮き彫りにされている──たしかに脳はコンピュータのようなもので、感情の流れや身体反応は電流刺激を通した反射
作用でしかないとしても (このあたり、『Prime Mover』にも通じる雰囲気がある)それでも人間的な温かみと言うか、機械とは違う
のだと言うことが、感じられる気がします。それは最終ヴァースの、非常に肯定的な歌詞のせいでしょうか。
「this friction will only be worn out by persistance」は、直訳すると、「摩擦はそれを繰り返すことでのみ、磨り減ってなくなる」、
つまり摩擦(抵抗)があっても、繰り返しこすり合わせ続ければ、そのうちに面が滑らかになって、摩擦係数はゼロになる、という
意味ではないかと、思われます。つまりはがんばってやり続けるしかない、それでしか障害は乗り越えられない、という意味ではないかと。
そのたゆまぬ努力を支えるのは、「必ず夢を叶えるんだ」と言う強い確信なのでしょう。
『気分が落ちこんだりイライラしたり、体調が狂ったりするのは、生きている証拠だ。生きているからこそ起きる、生物反応だ。
当たり前のことなんだ。乗り越えようと、気を強く持てば、きっと乗り越えられる。夢を捨てずにがんばり続ければ、きっと夢は実現
できる』そんなメッセージを感じます。
『RUSHは難しいことを言っているようだけれど、本質はかなり楽天的。過ぎるぐらいに』と言う見方は、けっこう当たっているのでは。
だからこそ、力づけられることも多いのでしょう。
アルバムについて
彼らの最大のヒット作であり(今のところ)、「2112」と並んで最高傑作との呼び声も高く、根強い人気を誇る作品でもあります。
個人的な見解では、非常に『濃い』アルバムだと言う気がします。サウンドも歌詞の意味性も、ぎゅっと凝縮されている、その密度の高さ
はハンパじゃありません。テクニックとメロディの融合も、美しいとさえ言えます。Dream Theaterなどの、RUSHに影響を受けたとされる
グループは、実はこの「Moving Pictures」の再現を目標にしていたのではないかと、Burrn!に書いてありましたが、なんとなく納得。
RUSHの音楽性の変遷を考える時、よくライヴアルバムを一区切りとして数えられますが、(その分類でいくと、第二期の最終作品)
Permanent Wavesと本作は、それ以前のプログレ大作嗜好の彼らと、それ以降のよりシンプルに、洗練されていった彼らを分ける、分水嶺
のような作品に感じられます。
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