A NICE MORNING DRIVE

By Richard S. Foster       


 1982年3月の、晴れた朝だった。暖かい陽気と澄み渡った空は、早い春の訪れを感じさせた。
バズはその朝早くに起き出すと、朝食をもどかしげに掻きこみ、ガレージへと飛んでいった。ドアを開けると、 彼の愛車──15年もののMGBロードスターが陽光を浴び、ボンネットの上にその光を反射させてきらきらと輝きながら、 彼を待ち受けている。
燃料レベルやタイヤ圧、イグニッションワイアの具合を丹念に調べてから、バズは運転席に滑りこみ、エンジンを回した。 たちまちそれは火を吹き、生命を持った。これから車の中で過ごす数時間のことを考えると、幸福な気持ちになる。 だが、その幸福も最近、影がさしつつある。以前のように気楽には行かなくなったのだ。

 事情が変わり始めたのは、12年前からだった。初めのうちは、新車の製造に当たって、安全性と排気ガスのシステムの向上が、 控えめに求められただけだった。だが、それは次第に包括的なものとなっていった。政府の要請する適正水準に達したあとも、 勢いは止まらず、車の安全性に対する要求は、より厳しいものとなっていった。今では、それ以前の旧式モデル車を見かけることは、 ほとんどなくなった。自然に壊れていったものもあったが、他の理由によるところも大きい。

 ロードスターのエンジンが充分温まったので、バズはガレージから走り出た。この早朝には、 何のトラブルも起こらないことを祈りながら。谷へと下る道を進みながら、彼は計器に目を注いでいた。 谷の道が使われなくなってから、長い時がたっている。近隣の小さな農場はみな博士たちの所有物であったし、 道路自体、MSV(Modern Safety Vehicles──現代式安全カー)には、いくぶん狭いものだった。

 最初の頃は、安全推進運動も上手くいっていた。いくつかの軽はずみな計画が施行され、合理性の感覚も次第に強くなっていった。 だが70年代の後半に入り、もはや大きな戦争もなく、ガンは治癒可能な病気となり、社会福祉システムも整備されるようになってから というもの、政治家たちは新たな克服すべき課題として、その矛先を再び自動車に向けたのだった。安全に関する規制は、 より厳しいものとなっていった。車はより大型化し、より重く、より非効率的になっていった。新型自動車は恐ろしいほど ひどくガソリンを食うので、合衆国はアラブ諸国の最大の同盟国にさえなっていた。新型車は、すばやく止まることは難しく、 機動性に欠けた。だが、時速50マイルで衝突しても、乗っている人々の命は守られる。二億台の車が道路にひしめく現代では、 どっちにしろ、ほとんど誰もそんなスピードは出せないだろうが。

 めったに使われない道ゆえ、路面はでこぼこしていた。それを器用に避けつつ、バズは谷底への道をすべり降りていった。 エンジンは引き締まった快音を響かせ、車全体の感触もぴったり来る、いい感じだった。彼はいくつかのSカーヴを通り抜けた。 次のカーヴでギアを戻すまでに、サードギアで6000回転──そのペースを保ちながら。  彼は警察がここまで下りて来ることは、心配していなかった。そう、やっかいなのは、警察じゃない‥‥

 安全性向上計画の発展は、それ自体は基本的によいアイデアだったのだが、思いもよらない副産物が生じてきていた。 時速10マイルぐらいの衝突事故では、車はまったく損傷しない、人々はそのことを当然と思うようになっていった。 事故によって怪我を負う可能性など、それ以上にありえないことだった。その結果、人々は自分の進路が完全に空いているか どうかにたいして注意を払わなくなり、事故率は毎年、実にぴったり60%にまで跳ね上がっていた。しかし実質的な車の損傷や 人の負傷は減少していたので、政府は満足していたし、保険会社も満足し、車のオーナーたちも幸せだった。だが、MSVでない車の 運転者たちは、向こう見ずなMSV車をかわすのに必死にならねばならず、その結果旧式な車はますます道路を追われ、 姿を消していったのである。旧式車はハイウェイで二台の六千ポンドも重量のある巨漢につぶされるか、保険仲介業者に二束三文で 買い叩かれる運命にあった。最悪なことに、旧式車は標的になっていたのである。

 バズは今やドライヴに夢中になっていた。覚えている限りの技術を総動員して、谷の道を駆け抜け、右に左にカーヴを切っている うちに、彼は最初に感じていた心配を忘れ去っていた。まっすぐに伸びている道ではパワーを上げ、オーバーステアをキープしながら 突っ走った。道がでこぼこになっているところは、克服すべき曲がりくねったシケインとなった。古い橋の一つをやり過ごす時、 車体は一瞬浮き上がり、それに続く古いハンリン農場とグローヴ農場の長いストレートでは、ロードスターが今でも時速110マイルで走れるかどうかを試してみた。
そして、そろそろ切り上げようとペースを落とした、ちょうどその時だ。ミラーに最新モデルのMSVが映っている。 そのMSVはボディのほとんどが手描きの模様で覆われていた。(1980年以降の規制緩和の一つだ) バズは相手がただの観光客か、 ガソリンスタンドを探して道に迷った気まぐれなドライヴァーだといいと願った。だがMSVの運転者はロードスターに狙いを定め、 消音器を通して、浄化された排気ガスのくぐもったエキゾースト音を響かせ、追跡を始めたのだった。

 新しいMSVは旧式車に大きなダメージを与え、自分自身はまったく傷つかずに走り去っても、たいして責任を問われないことを 運転者たちが認識するのに、長い時間はかからなかった。結果として、めったに車の通らない場所で旧型車を捜し求め、 道路からはじきとばしたり橋の迫台にぶつけたりした挙句、自らは無傷のままスピードを上げて逃げ去り、それで憂さ晴らしをする ドライバーたちが出現した。警察は辺境の、人里離れた場所をパトロールすることはめったになかった。警察には、他に注意をはらう べき場所がたくさんあった。それゆえ、それはある種のドライバーたちにとってのスポーツのようなものとなっていったのである。

 バズはそれでも、さして心配はしていなかった。こんなことは、以前にも何度かあった。 MSVのドライバーがよほど天才的にうまい運転者でない限り、ロードスターはたいして苦労もせず、相手から逃れることができるはずだ。 それでもミラーに映るけばけばしいMSVには、何か気になるものがある──だが、それはなんだろう。
 注意深く考えをめぐらせてから、バスは相手が12ヤードほどの距離に近づいてくるのを待ち、それからやにわにスピードを上げて 急旋回し、相手の右側をすり抜けて下っていった。MSVのドライバーはブレーキをかけた拍子に400フィートも滑り落ち、重い動作で Uターンすると、再びロードスターのあとを追い始めた。これで、ロードスターは相手との距離を1/4マイルも稼ぐことができた。 こんなことができるのも、数年前に搭載したラディアル・タイヤとフロントとリア両方のアンチロールバーのおかげだと、 バズはひそかに感謝した。シフトダウン、コーナリング、加速を繰り返し、一方ではこれから先、どのルートをたどったら いいかを考えながら、彼は飛ぶように曲がりくねった道を走っていった。たとえMSVを完全に振り切ることが難しくとも、あと一、 二時間ほどこのまま走り続ければ、相手の車の燃料はかなり危なくなるだろう。そう、彼は考えていた。だが、それでも なお何か引っかかるものがある。相手の車の何かに──

 二台の車は長いストレートにさしかかった。バズの車は常に相手より先にあり、ずっと同じ距離を保って走っていた。 MSVはかなり後方にいたが、それでもその車の後ろバンパーに立っている高いアンテナに気づくのには、充分な近さだった。 アンテナ! 警察でないとするなら、あのMSVは市民バンド無線を積んでいるのだろうか? 彼はかすかに震え、そうでないことを祈った。 長く伸びたストレートが終わりに近づくと、彼は最後のぎりぎりまでブレーキングを遅らせ、時速75マイルのスピードで右にカーブを 切った。これで、さらにMSVとの距離を10ヤードほど稼ぐことができた。
だが、1/4マイルも行かない先に、もう一台の巨大なMSVがゆっくりと道路を横切り、進路をふさぐような形で止まった。その車も、市民バンド無線を積んでいた。この二台目の車も、一緒になって 追跡に加わってきたのだ。

 バズは完全にトラブルのまっただ中にいた。彼は相手が数百ヤードの距離まで近づいてくるのを、アクセルに足をかけたまま待ち、 そしてやにわに強く踏みこんで、左へ行くかのように見せかけた。MSVがのろのろと進路を変えると、バズはすかさず相手の右側へ飛びこみ、 路肩の小石を激しく跳ね上げながら、その傍らをすり抜けた。二台のMSVはお互いにぶつかり合うほど激しく、ロードスターのあとを 追いかけてくる。バズは最初の交差点を右に曲がり、それからすばやく左にハンドルを切り、これで相手が自分を見失ってくれればいいと 願った。実際、数分間はそうしてやり過ごせていたのだが、やがて、彼が走っている道と平行に走る大通りをMSVの一台が走っていくのが 見えた。同時に、もう一台もそのすぐ近くを走っているのが、ミラーに映った。
 二台の車は谷の向こう側の道を登って、こっちにやってこようとしていた。バズはエンジンが持ってくれることを祈りながら、 彼らから逃れるために、同じく谷を上っていくしかなかった。MSVの一台は大通りを離れてから姿が見えなくなっていたが、 もう一台の姿は、彼の車の後ろにちらちら見え隠れする。モニュメント道路の旧道を登りながら、バズはなんとか時間をかせいで 頂上まで辿りつき、それからまっすぐに古い未舗装道路に下りて行かれればいいと願っていた。そこなら、彼の追跡者たちが通るには 少々狭すぎるはずだ。

 上り坂は続く。車は懸命に登っていく。水温は上がっていく。道いっぱいに走って行く間、シフトレバーは ひっきりなしにサードとトップの間を行き来した。ブレーキを踏むことはなく、それでもコーナーを曲がるのに必要な制御ぎりぎりの スピードを維持しながら、彼は頂上を目指して登った。旧式の火の見やぐらに向かう道が、そこから伸びている。そこを左に行けば── しかしその時、丘の反対側から、見失っていたもう一台のMSVがやってくるのが見えた! もう頼みの綱の未舗装道路には、辿りつけない。 火の見やぐら前の道を、彼は慌てて左に曲がったが、その拍子に跳ね上げた無数の小石と、ぶつかった木の枝で、右のフェンダーが やられた。車は道の反対側で止まった。エンストを起こしたのだ。急いで彼はスターターを回し、オーバーヒート気味のエンジンは やがてゆっくりと、再び息を吹き返した。彼はローギアのまま、そろそろとスピードを上げて行った。ちょうどその時、最初のMSVが 角を曲がって現われた。バズは頭がくらくらしたが、状況はまだ彼に有利だった。両方を木に囲まれた狭い道だったし、彼は地理も頭に 入っていた。道はたえず曲がりくねり、彼はセカンドギアで5000から5500回転を保った。ぶつかったところで、他の誰を傷付ける わけでもない。そして彼はMSVを引き離しつつある。でも、どこへ?
 突然、彼は思い出した。この道は火の見やぐらのところで行き止まりだ。引き返すすべはない。

 それでも、彼は進み続け、頂上まで来ると、道のはずれの空き地に車を回し、停車して待ちうけた。最初のMSVが飛ぶように空き地に 突っ込んできた。止まっているロードスターに、狙いを定めている。バズはバッグギアをつかむと、フェイントをかけるようにかすかに 後退し、それからフルスピードでバックした。MSVは相手が方向を変えることは予期していたらしい。が、予測していた方向は違っていた。 MSVは横滑りになり、木にぶつかって止まった。再び相手をかわせたバズは火の見やぐらの道を駆け下り、まったく傷一つないMSVも ただちに追跡に向かってきた。
 バズの予想は、ぞっとしないものだった。彼は全速力で、曲がりくねったアスファルトの道を駆け下る。 頑丈なMSVがそのあとを追いかけてくる。もう一台、同じくらい頑健さを誇るMSVが、またそのあとからついてくる。
 走りながら、コーナーに来るたびに激しくブレーキをかけ、次いで激しくアクセルを踏んで45マイルのスピードに戻す。 その繰り返しだった。とりわけ急なカーブにさしかかった時、一台のMSVが反対方向から回りこんで来るのが見え、バズは慌てて ブレーキをかけた。だがブレーキラインにかかった急激な極限状態のプレッシャーに、リアブレーキが持ちこたえられず、バズは制御を 失ってスピンした。ブレーキは完全に壊れてしまっている。バズはしんから絶望を感じながら、引ける限り強くハンドブレーキを 引っ張り、ギアレバーをローに倒し、同時にクラッチを踏んだ。リアタイヤは完全にロックし、ロードスターはスピンしながら、 道路からはじけ飛んだ。そして奇蹟的にも潅木の茂みの中に突っ込み、止まったのだった。
 我に返ったバズの目に、標的を失った二台のMSVがお互いに止まることができず、時速40マイル以上のスピードで正面衝突する 光景が飛びこんできた。

 この追跡劇のあと、バズと彼のロードスターが元のような元気を取り戻すまでには、かなりの時間を要した。再び谷間の道に ドライブに出かけるまでには、さらに長い時間が必要だった。それも、たいていの人たちが一日の英気を養うために眠っているような、 真中に近い早朝に限られた。そして、政府が車の安全基準を時速75マイルでの衝突にも耐えられるように引き上げるだろうという ニュースを新聞で読むと、バズはもはやロードスターをかってドライブに出かけることを、やめてしまったのだった。



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