Making Vapor Trails




14 Months
No Keyboard!
No Guitar Solo
Personal Lyrics
Vocal Key
Layerd Sound



VT 訳詞  VT 解説  VT Memorandum  VT TOUR   Rush Top


☆ 制作期間14ヶ月

 Vapor Trails制作のために、メンバー3人がトロントのスタジオに集まったのが、2001年1月、完成が2002年2月 (3月説もあり)――長いですねェ。2週間とか1ヶ月とかで上げていた初期の頃は論外としても、だいたいアルバム制作期間は 半年くらいというのが、Rushの標準のようですから。
 今回は敢えて締め切りを設けなかった、時間をたっぷりかけた、というのがメンバー3人に共通した言葉です。それに、今回は 五年というブランクがあいてしまった。メンバーが再びコミュニケーションを取り戻し、バンドとしてのカンを蘇らせるための 助走期間がかなりかかってしまった、というのもあるようです。実際、6月に一度1ヶ月ほど休暇を取るまでは、ほとんど作業に なっていなかった、最初の頃は話をしただけだし、その後セッションしても、あまり良いものが書けなかった、といいます。 休んで戻ってきてから、ということは、2001年の夏くらいからでしょうか、本格的にプロジェクトが動き出したのは。

 曲の面に関しては、ほとんどがAlexとGeddyのセッションから発展して行ったようですが、ある程度曲の枠組が出来てからの作業は、 かなりの部分が個人的分業で、それぞれが自分のパートのデモを録音し、他の人に渡して意見を聞く、という事を繰り返していたようです。 同時進行でないので、その分時間がかかるのでしょう。もっともこれは、「Test For Echo」の頃からすでにそう言うやり方だったと、 Neilが「A Work In Progress」で語っていましたし、「VT」に限ったことではないのですが、今回はいっそう個人的比重が増したような 感じです。だいたい、3人の作業している時間帯が、違うんですよね。
 トロントのスタジオで作業が行われていたので、AlexとGeddyは自宅から通い、Neilはトロントの家は売ってしまったので、 たぶんアパート(と言っても、日本のアパートでなく、高級コンドミニアムのようなものだと思います)を借りて、拠点にしていたのでしょう。 時々Carrieさんもトロントにやってきていたようですし。
 土日はお休み、Geddyは朝の9時ごろ出てきて夕方5時ごろ帰っていたと言いますから、ほとんどサラリーマンのようですね。 Alexは夜型なので、午後遅くに出てきて、明け方帰る。Neilはその二人の中間くらい――いったいいつ話し合いしてんだ、あんたらは! などと 言いたくなるような、見事なすれ違い。でもこれでも、バンドのコミュニケーションはしっかり取れているんですね。なんといっても 彼ら、付き合い長いですから。「お互いを信頼する」のと、「お互い相手のことは無関心」というのは違うわけで、それぞれのパートに 対してお互いが全幅の信頼を置いているからこそ、出来る形態なのでしょう。バンドとしての一体感がない? でも彼らは30年近く 一緒にやっているわけですから、お互い離れていても、わかりあっているのではないでしょうか。家族がそれぞればらばらなことをしながら、 一つのファミリーとして心はつながっている、そんな感じなのだと思います。

 とはいえ、直接的な話し合いなしには、さすがに先には進まないので、お互いにダブっている時間帯で、話し合いはしていたのでしょう。 AlexとGeddyは作曲担当ですから、当然共同作業が必要ですし、NeilとGeddyは歌詞面で共同する必要がある、直接接点のないAlexとNeilは、 AlexがNeilのドラム録音の際エンジニアをすることで、共同作業をしている――他のパートは全部録音から何から一人らしいですが、 Neilはさすがにそういうわけにはいかないのでしょう。
 お互いの作業に対して感想を言いあって、それに基づいて、言われた方は自分のパートを手直しし、再び意見を聞く、その繰り返し。 現場には自分一人、その場で「今の良いよ」とか「もう一度」と言ってくれる人はいない。自分だけが頼り。人の意見が聞けるのは、 作業にいったんけりがついてから――これは、よっぽど自分がしっかりしてないと、勤まらないな、それになんか寂しいかも――などと 私などはちょっぴり思ってしまいますが、まあそれは素人考えというものなのかもしれません。それにプロデューサーが入ってきた段階で、 単独作業ではなくなりますし。

 年明けからのミックスダウンは、かなり難航したらしいです。たしかにずっと同じマテリアルを半年以上もの間、繰り返し繰り返し 聞きつづけると、客観的判断は出来なくなるかもしれません。Geddy自身、「僕は細部にこだわってしまうたちだから、客観的に 見れなくなってしまうことがあって、だからプロデューサーとか、客観的な視点で見れる第三者が必要なんだ」と言うようなことを 言っていました。ミックスダウンの段階で、彼には求める音像が、はっきり心に描かれていた、けれど、実際聞こえてくる音は、 どうやっても違う――このギャップに、かなり悩んだらしいです。それにずっとかかりきりで、ある意味、心理的飽和状態という 感じだったかもしれません。
 で、その時Alexは何をしていたかというと、ハワイでのんびりしてたんですねェ。これも「相手を信頼しているからこそ」 なんでしょうか――にしても、ともかく、Alexは離れていたので、新鮮な視点でVTを見ることが出来た。それでまあ、ともかく VT制作が無事終了したのです。
――さて、その間、Neilは何をしていたのでしょう。やっぱり「他の二人に全幅の信頼を置いて」いたのでしょうね。

 ところで、「14ヶ月もかかって、制作費が大変だったのでは?」という質問に対し、AlexだかGeddyだか忘れてしまいましたが、こんな答えを。
「いや、高いスタジオは使わなかったから。ベーシックな機材だけのところだよ。それにみんな、自宅から通ってたし」
 結構、しっかりしてますね、経済観念。




☆ キーボードなし!

 今回、25年ぶりにGeddyのパーソネルから"keyboard"が外れましたが、その理由は、「Alexがキーボードを入れたがらなかったから」
 80年代、特にSignalsからHold Your Fireまでの、いわゆる第3期は、それこそシンセ全開でした。私なども80年代RUSHというと、 あの華やかなシンセ音と、ポップによった音像を連想してしまいます。90年代に入って、シンセの使用はがくっと減ったけれど、 それでも要所要所で効果的に使われてきたわけですが、ついにVapor Trailsでは、なしに。
 本当に完全にないかといえば、厳密にはバックグラウンドにチョコっと1,2個所だけ、使っているけれど、ほとんど聞き取れないはずだ と、Geddyがインタビューで言っていました。Vapor Trailsは音密度が高いので、どこに使っているのかを聞き分けることは、 私には出来ませんが。

「キーボードは好きじゃない。生気のないサウンドで、ギターの場所を侵食してしまう」というようなことをAlexがインタビューで 言っていましたが、彼のキーボード嫌いは80年代もあったのかな、と、ちょっと気になってしまう発言でもあります。もしその頃から そう思っていたとしたら、第3期はかなりフラストレーションたまったのでは? とすると、本来仲の良いはずのAlexとGeddyが キーボードの処遇を巡って、敵対関係になってしまう危機を内包していたのでは、と思えるので。
 たしかにギタリストにとって、 キーボードは同じリード楽器というフィールドを取り合わなければならないわけですから、面白くない、と思う人が少なくないのは、 事実のようです。
 80年代の真相はわかりません。Alexが譲歩したのかもしれないし、そのころはAlexもそれほどキーボードが嫌いでなかったのかも しれない。90年代は、良いバランスだったと思います。
 もっとも「Dreamlineって、良い曲ですね」とインタビューで言われた時、 「でも、ちょっとキーボードききすぎかな」とAlexは答えていた記憶がありますから、やっぱりその頃からも、好きではなかったのかな、 と思えますね。
「Vapor Trails」に関しては、「キーボードいれないで、ギターだけ(&ヴォーカルハーモニー)でやりたい」とAlexは主張し、 それにGeddyが譲歩というか、納得した形で、あのVTサウンドが生まれたわけです。

 キーボードの音が好きかどうか、これは個人の好みですし、アンサンブルにどの程度取り入れるか、まったく取り入れないか、 それも好き好きだと思います。それによって、異なる趣のサウンドが生まれるわけですし。個人的には、大昔バンドでちらっと キーボード担当だったこともあるのか、シンセのふわっとした音やピアノの響きなど結構好きで、キーボード入りのバンドのサウンド はギターオンリーのバンドに比べ、より叙情性があるように感じられて、好きですね。
 Rushも80年代は、さすがにちょっとシンセ 過剰かも、とは思えたのですが、まあそれはそれでいい、あの時代にはあの華やかなサウンドが合っている、と思っていましたし、90年代のサウンドバランスは絶妙だと思っています。
 ただキーボードの響きは、どうしても柔らかくなりがちで、もし入っていたとしたら、Vapor Trails のサウンドも少々切れが悪く なっていたかもしれないな、とは思えます。

 ギターに出来てキーボードにできないこと――異論はあるでしょうが、エモーションを伝えることや、細かい感情のニュアンスなどは、絶対ギターの ほうが適しているのではないでしょうか。
「ギターの感情」が伝わってこなければ、Vapor Trailsはあれだけエモーショナルなアルバムには なれなかったでしょう。The Sphereの掲示板で指摘されていたように、たとえばEarthshineのセカンドコーラスのバックに入ってくる ギターなど、本当に情感たっぷりです。シンセでは、絶対このニュアンスは出なかったでしょう。

 キーボードを廃して、ギターに置き換えたことで、Vapor Trails は非常にオーガニックなサウンドになったと思います。 ギターだけでなく、ヴォーカルもシンセの代用的にブリッジ部分に使われていたりもしますが、これもアルバム全体の「有機的な生の サウンド」に、一役買っているような気がします。
 結果的には、Vapor TrailsのNo Keyboardは、必然だったように感じられます。 Alex、MVP!




☆ ギターソロなし!

「Vapor Trails」はキーボード入っていなくて、ギターが前面に出ている。幾重にも重ねて、ギターだらけのように聞こえる。 ある意味ギターアルバムとさえ言えるのに、ギターソロがない!
 これ、不思議なパラドックスのような気がしませんか?
「なぜギターソロがないんだ。聞きたいのに!」と言う声も、しばらく海外の掲示板をにぎわせていたりもしました。

 Alexのソロって、ファンならたいがいの人が認めていると思うのですが、非常に素晴らしい! 曲の間奏部分における ギターソロはある意味定番とも言えたのに、なぜVTでは、いわゆるソロらしいソロをはずしたのか?
 これはAlex自身の選択なのですね。
「Alexはとても素晴らしいソロイストだから、ソロやってもらいたかったんだけどね」と、Geddy がインタビューで言っていましたが、それを受けてAlexいわく、
「ソロはもういいよ。みんなでやったほうがいい」
 AlexはVapor Trailsの曲たちに、ソロの必要性を認めていなかったので、敢えてソロを考えることをやめた、というのが 本人の結論らしいです。「No Keyboard」で、「No Guitar Solo」――キーボードをなくする代償にソロを辞める、というような 変なレベルでなく、両方ともAlexには、アルバムのサウンドに必要ないと思えたので、カットした、ということなのでしょう。

 Alexのソロ、私も大好きなのですが、VTに関して言えば、ソロがないことなど、気づかなかったですね。言われてみれば、 という感じで。さらに、「えっ、Earthshineの間奏って、ソロじゃないの?」などと、無知さらしておりました。
でもこのアルバム、ソロらしいソロこそないけれど、いたるところソロだらけ、という気がしてしまうのですが。




☆ パーソナルな歌詞

 Carrieさんに出会うまでは、手紙や日記以外にものを書くという気力もなくなってしまったというNeilですが、 救いの女神に会って、意欲を取り戻し、めでたくバンドへ復帰したわけです。
 そうして再びRushの曲の歌詞を書き始めたNeilですが、やはりというか、予想どおりというか、「Vapor Trails」の 歌詞は、それまでの詞に比べて、かなりパーソナルな色合いが濃いです。
 あれだけの、文字どおり世界がひっくり返るような 悲しみの体験をして、絶望の底から這い上がってきた人が、歌詞に限らず創作活動をする場合、やはりその経験や心情が 反映されるのは、普通のことなのでしょう。

 自分では想像してみるしかないのですが、あまりにトラウマが重たい場合、逆に蓋をしてしまって、一切それに触れないものを 作るということもあるでしょうし、そうしたい気がするというのも、わからないでもありません。傷に触られたくない、という 感じなのでしょう。NeilがModern Drummer誌以外のインタビューをまったく受けず、Meet&Greetにも決して参加しないというのは、 やはりそのあたりに事情によるものと思われます。(元々の気性もあるのでしょうが)
 でも、避けて通るだけでは、真のセラピーにはならないわけで、過去に大きなトラウマを負った人が、それを完全に乗り越える ためには、その現実から目をそらさず、傷つくことを覚悟の上で直面するというプロセスが、不可欠なのだそうです。
Neilが今回、 自分自身の心情をGhost Riderという本の形ですべて書いたことなど、「過去をしっかり直面した上で、自らの感情の上で、きっちり処理する」 という意志の現われではないかと思います。「Vapor Trails」の歌詞が、かなりパーソナルな心情を反映したものになったことも 同じプロセスなのでしょう。
 Alexがインタビューの中で、VTの歌詞がかなりパーソナルになった理由について聞かれ、
「Neilにとっては、今まであったことを感情の上で整理するために、歌詞の形で表に出す必要があったからだろう。それは、彼には 必要なプロセスだったんだ」と言うようなことを答えていましたし。

 とはいえ、「Vapor Trails」の歌詞は、確かにパーソナルな要素を多く含んでいますが、いわゆる私小説風ではなく、 Ghost Rider(本)のような完全に個人のドキュメントでももちろんなく、もう少し一般的にも取れるようになっています。
Geddyがインタビューで言っていましたが、最初にNeilが出してきた歌詞は、かなりパーソナルで、ほとんど第一人称で 書かれていたらしいです。で、あまりのその内容がNeilの心情そのままだったので、Geddyはちょっと驚いて、言ったそうで。
「ちょっと待った。一人称はかんべんしてくれ。これは君の物語で、僕のじゃないから、このままじゃ歌えない」
――まあ、Rushの場合、詞を書いている人と歌う人は違うわけですから、こういう問題は、どうしても起きてくるわけですね。 Alexもこのことに関しては、こう言っていました。
「でもGeddyが歌詞を歌うわけだから、もしあまりに歌詞がパーソナル過ぎたら、 彼にとって、ちょっと難しくなるだろうね」
そこで、作詞者と歌い手との間で意見交換が行われ、何度か書きなおして、もうちょっと一般的な感じにした、ということでした。
「Ghost Rider」などは、それでもかなりパーソナルではないかと思いますが、これは一人称ではないし、完全な一人称は 「Sweet Miracle」ですが、内容はかなり抽象的になっています。

 もと歌詞がどんなのだったのか、今となっては知る由はありませんが、結果的に「Vapor Trails」の歌詞はパーソナルな要素と 一般化、抽象化が絶妙なバランスでかみ合っているように思います。そしてそれゆえ、余計に心に響くような気がします。 ヴォーカル・パフォーマンスも、いつになくエモーショナルですし。
 第一人称では歌えずとも、Geddyにとって、そしてやはりエモーショナル なギターパフォーマンスを披露しているAlexにとっても、Neilの心情がわかっているのでしょう。二人とも、3年半の不安定な年月を ただひたすらNeilの心情を思いやって見守りつづけた、バンドメイトであり親友なのですから。




☆ ヴォーカルのキー

 今さらあえて言うまでもないことですが、昔のGeddyは、かな〜りハイトーンでした。「ヘリウム吸ったRobert Plantのようだ」とか、 「バンシーの泣き声みたい」だとか、散々言われておりましたが、ともかく非常に特徴的なハイトーンでした。それが、82年の 「Signals」あたりから、唱方が変わって、キーが低くなった。相変わらず特徴的な声ではありましたが、いわゆるバンシーの雄叫びでは なくなったわけですね。
 本人曰く、「もうちょっと気持ち入れて歌いたいと思ったんだけど、あんなに高いキーだと難しくて」ということです。
 まあ、たしかに 超人的な高音域で、なおかつ情感入れてというのは、難しいかもしれません。Cygnus X-1とか、危機感出すには効果的だったかも しれませんが。
ただ、これはハイトーンヴォーカリスト全般に言えることですが、往々にして30歳前後くらいから、高音が出にくく なっていくようなんですね。「Signals」が出た時、Geddyは29歳だったですから、ちょうどその境目くらいの年齢なわけで、その点も あったでしょう。'96年の「Test For Echo」あたりでは、もうかなりキーが低くなっていまして、往年のキーを彷彿とさせるのは、 「Dog Years」くらいでしたし、だんだん加齢してくるわけですから、もう昔のようにハイトーンで歌うことはないのでは、と、なんとなく 思っておりました。
 でも「Vapor Trails」で、ハイトーン復活。非常にギターオリエンテッドなサウンドとあいまって、まるで初期に戻ったような, とはいえ、初期とは比べ物にならないほど洗練され、熟成されているものの、非常にエネルギッシュなサウンドになっています。それは One Little Victoryにおける、いきなりツーバスドコドコのNeilのドラミングにも象徴されていて、「いったいどうしたの、3人とも!  なんか凄く若返ったみたい!」と、腰を抜かしたものです。曲によっては泣ける主題も多いものの、アルバム全体に「復活の喜び」が 溢れているような感じでした。

 ヴォーカル・キーを戻した理由ですが、これに関して、ツアーが始まってからのあるインタビューで、Geddy自身がこんなことを 言っていました。
「MFHでいろいろな歌い方を試してみて、どのあたりのキーで歌えば、自分の声が一番パワーをもって響かせられるか、 わかってきたんだ。だから、Vapor  Trailsでは、かなり曲のキーに気を使った。結果的に、自分にとって最適だと思えるレンジが、 今までよりちょっと高めだって、わかったんだ。だから、「Presto」以降の4作を聞いていて、時々、自分が間違ったキーで歌ってたな、と 感じる時があるよ。曲そのものは良いのに、その必要とするパワーが、このキーでは出せていなかったなって」

――つまりは、「ヴォーカリストであること」に対して、近年、今まで以上に自覚的になってきた、ということなのでしょうね。
 正直に言えば、私個人としては、「Geddy Leeという人は、ベーシストとしては凄いと思うけれど、決して『感激するほど上手い』 シンガーではない」と思っていました。が、「Vapor Trails」では、思わず感激してしました。特にもうすぐ40代も終わり、という年齢を 考えると、なおさら驚きです。




☆ 多重録音

 ごく初期の頃は別として、70年後半〜80年代前半、Rushがセールス的な頂点を迎えていた頃、彼らには、「ライヴで再現できない ことは、レコードでもやらない」と言う、明確なコンセンサスがありました。ステージには3人しかいない、使える機材も限られるし、 手も足もそれぞれ2本ずつしかない。よって、ギターは一本、コーラスもなし、ベースと足で弾けないキーボードは同時に鳴らない、とまあ、大雑把に言えば この辺は基本事項だったわけです。
 中には、「Production piece」と呼ばれる、ライヴでの再現を前提としない、オーヴァーダブを駆使して録音された 曲もありましたが、数は決して多くなく、せいぜいアルバム中1曲あれば良い方でした。彼らはライヴバンドで、アルバムの曲はあくまで そのままライヴで再現できることを、前提としていたのです。
 この前提が外れたのは、「Power Windows」からでした。コーラスやストリングスを導入し、演奏中サンプルをトリガーすることで、 CDに近い音を再現できる、このテクノロジーの発達によって、Rushは新しい音楽形態を手に入れることが出来たのです。
 そのあとに出た「Hold Your Fire」で、テクノロジー路線は早くも頂点を極め、その後「Presto」から「Test For Echo」までは、 比較的シンプルに戻ったようなサウンドでした。とはいえ、ギターの多重録音やヴォーカルのコーラスはありましたし、キーボードは完全に ライヴではサンプル化してましたが。

 そして「Vapor Trails」が出たわけですが――この怒涛の多重録音には、最初は驚きました。いったい何本ギターがかぶっている のでしょう! Alexはインタビューで、
「開放弦が鳴っているから、たくさんかぶっているように見えるけれど、実際はそれほどオーバータヴはしていないよ」 と言っていましたが、それでもかなりのマルチ・トラックに聞こえます。ベースもマルチトラックですし、ヴォーカルもシングルトラック の場所などないくらい、重なっているし――そのうちにオペラティックコーラスやるなんて、言い出さないでね、Queenじゃないんだから、 などと、余計なことを思ってしまうほど――楽器的には私は無知に近いので、間違っているかもしれませんが、重なっていないのは ドラムスだけじゃないのぉ、と思えます。
 まるでミルフィーユのように、音のレイヤーがものすごい。その音密度の高さに圧倒されたと同時に、 「これ、ライヴでどうやって再現するのだろう」と、思ったものです。

 ツアーが始まってみれば、新譜からの曲は、オルタネイトも入れて五曲だけ。少なすぎるんじゃないのぉ!と思ったと同時に、 やっぱりライヴの再現は難しかったのかなぁ、とも思えました。

 Rushの初期〜中期の、サンプリング導入以前のサウンドが好きだ、音が少ない分空間的な広がりがあって、独特の雰囲気があった、 今は普通のバンドになってしまった、そんな声を、海外の掲示板で時々聞くことがあります。
 個人的には、「Hold Your Fire」が 出た頃、「いいんかなぁ、この方向に来ちゃって・・」と、ちょっと戸惑いを覚えた記憶があります。かなり音が大衆化してきた ように思え、当時は「孤高のバンド」的意識を持っていたゆえに、ちょっと音との落差に戸惑ったわけですが、アルバムの曲そのものはどれもすごく 好きだったので、「OK!」(単純ですが、ファンって、そんなものかも)
 私自身はプログレ畑の人間ではなく、QUEENファンで、 TOP40大好き、アメリカンハードロック大好き、の人間ですので、Rushが聞きやすいサウンドに変化することには、嗜好的には あまり違和感がなかったのかもしれません。

 Rushとは、決して「凡人には近づけない孤高の世界を持ったバンド」ではなく、「その時その時の時代の音を吸収して、自らの中で 消化し、進化していくバンド」であるゆえ、Rushのサウンド変遷は、彼らにとって必然だったのでしょう。

 ところで、「ライヴとCDは別物」か、「ライヴでは出来るだけCDを再現して」かは、バンド側のスタンスによってきまるわけでして、 Rushは確実に後者ですね。で、オーディエンス側が期待するものは、アーティスト側の思惑とはまた独立して、存在するものです。
 時々海外の掲示板で、「同じセットリストでは、つまらない」と言う意見を目にします。(実際は3曲ほどオルタネイトなんですが) Rushの場合、「完璧な再現」を求めるために、そうおいそれと新曲を追加できないんですが、ファンとしてそこをわかっているのかと 小1時間――
あっ、いかん、2ちゃん風になってしまった――

 求めるものには、きりがない。すべての人を満足させることは、出来ない。今を受け入れられるか、離れていくか、それは受け手の問題であって、 アーティスト側の責任ではない。彼らは自ら作りたい音楽を作る、全力で。それだけ。
 私――? とことん付き合いますよ、こうなったら、最後まで。あまりその最後が近くないことを、祈りつつ。





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