Chapter 11 : Back In The Saddle
「4月半ばにここを出る、その計画の手始めとして、僕の良き友ブラッドがセント・キャサリンズから
湖畔の家にやってきて、2日間滞在した。友人たちの中で、ブラッドが一番付き合いが長く――子供時代から――彼の奥さん、
リタも一緒だった。彼は僕の辛い時代を、深い共感を持って分かち合ってくれ(トロント、ロンドン、バルバドスと)、一緒にいて
彼ほどほっとできる、慰められる友はいない。
彼は僕をトロントのホテルまで、いっしょに乗せていってくれた。メキシコシティに飛ぶ前に、ここでいくつかの事務を
片付けなければならなかったからだ。
トロントは僕にとって、『亡霊の街』になっていた。僕はここに、ジャッキーとセレーナとともに15年近く暮らしていた、
それゆえそこで過ごす日々が、今だ好きになれない。見なれた通りから、突然思い出が飛び出してきて、僕に襲いかかってくるのだ。
湖畔の家のように、自制のきいた環境にいる時には、僕はそう言う思い出から、自分を守るすべを学ぶ。たとえば、いたるところに
あるジャッキーやセレーナの写真を見ることは、もうある意味で慣らされてしまっていて、なんとか適応、もしくはたぶん受け入れて
いるのだろうと思う。だが、家にいる時でさえ、予期せぬ時に、たまたま肩越しにちらりと写真を見てしまうと、その無防備ゆえに、
痛みを突き刺される気がするのだ。
それゆえ、トロントでいくらかの時を過ごさなければならない時には――結局、ほとんどは事務的な用事だが。かかりつけの医師、
歯医者、会計士、弁護士、そう言った人たちと、もちろん多くの友人たちもいる――どこへ行っても、何を見ても大丈夫なように、
僕は硬いよろいに身を包んで、その街に乗り込まなければならない。
僕は、自身の赤ん坊の魂を、ごく薄い防護膜で包むことを覚え出した。それは、時に僕の思いを別の方向へと向けてくれ、時には
悲しい思いや落胆を味わわなくてすむようにも、してくれる。時には、そうできる・・だけど、いつもそうとは限らない。
アヴェニュー・ロードを通りぬけて、セレーナが幼稚園から6年生まで通っていた、ブラウンスクールを眼下に見下ろしても、
大丈夫な時もある。だが、別の日には、僕は崩おれてしまうかもしれない。二人の墓所を訪れて、彼らの墓碑を思い描くことが
できる日もあれば、そんな考え自体が、とても耐えられないと思う日もある。
悲しみのサイクルは、今だ僕にとって、『一歩進んで、一歩戻る』ように思える。ただ、夏からいくぶんかでも進歩したと思える点は、
あの時は『一歩進んで、一歩戻る――1インチにも満たない歩幅で』だったことだ。僕の赤ん坊の魂は、よちよち歩きを始めた。(中略)
僕はまた、身を守るよろいとともに、いくつかの異なる『仮面』を発達させ始めたことに、気づいた。振りかえってみると、
初めて旅に出た8月から、すでにこのプロセスが始まっていたようだ。僕は剥き出しで、傷つきやすく、孤独だ、なおそう感じられた
ゆえに、世界に対抗するやり方を、毎日出会う他人に対するスタンスを――モーテルにチェックインする時、そしてたとえば、
気さくな他人と出会った時に、ごく普通のそつない会話をしたりするために――見つけ出す必要性があったのだ。
僕の、第1の防御人格は、クレジットカード(新しいスーパー8カード)の仮名からとって、ジョン・エルウッド・テイラーという。
その名は実際的で、禁欲的で、礼儀正しく静かな人格が必要な時に、現れる。旅行者として、彼はあまり人と関わらず、バイクの手入れをし、
地図や道路標識を読み、モーテルを選び、見知らぬ人に対して、内気な笑みを浮かべる。
ゴーストライダーは、僕の人格の中の、別の側面だ。それはよりロマンティックで、内省的な人格だ。彼は時に、放浪したいという、
落ち着かない強い衝動に突き動かされ、ハイウェイや景色、野生の自然に対して反応する。その旅をナビゲイトしているのは、
ジョン・エルウッドだが。
時がたつにつれ、僕はそう言った『後天的な人格』が現在進行中のドラマの中で、必要とされる役割を果たすために、現れているの
だと、気づいてきた。彼らはすべて、本当の僕自身(それが誰であれ)の側面の具現化であり、彼らの防御が必要な時には、いつでも
(本来の僕は)その後ろに隠れることができる。僕の亡霊的なボディガードたちだ。
しかし、僕はいつも、たとえそれが漠然としたものでも(そして様様な様相を呈していても)、一つに実体としての自分を
感じていたし、僕は自分自身のことをただ、『かつてそうだった愚か者』の残骸から成り立っていると思っていた。どんな防御を、
仮面を身につけていても、その下から世界を直視することを学び始め、人々とかかわりを持つことを、より心地よいと感じ始める
ようにもなってきていた。
何処か他へ出て行かなければならないもう一つの理由は、4月22日の、セレーナの誕生日が近づいてきている、という事実だった。
僕はその日をトロントで過ごしたくないことは、わかっていた。僕が読んだ嘆きと悲嘆に関する本によると、そう言う日は、なにかの
セレモニーをやったほうが良い、という。ふさわしいやり方で、亡くなった人を記憶にとどめておくために。カレンダーの上に刻まれた、
その重みを持つ日を、ただやり過ごそうと考えないことだ」
それで、La Pazの教会で感じた思いを振りかえり、Mexico Cityの古いカトリック教会でSelenaさんの個人的な追悼式を執り行おうと
思います。それで、4月21日に、Mexico Cityに向けてたちます。
それからのことは、4月26日付の、Brutusさんあての手紙に書かれています。
最初にMexico CityのFour Seasons Hotelに行ったところ、ダブルブッキングで、Marriottに宿泊するのを余儀なくされた。
翌日はSelenaさんの誕生日だったので、記念すべきに日にしようと、慎重に計画をたてた。Zocaloの大聖堂に入り、一番大きなキャンドル
を2本奉納して、礼拝席に腰かけ、ろうそくが燃え尽きるまでの2時間、じっと見つめ、Selenaさんの思い出に浸り、涙を流した。
その後、街に出て、歩きまわったが、時差ぼけと(嘆き疲れて)めまいがしたので、夕食を取り、早めに寝た。翌日、パレンケ遺跡から
出土した展示物のある博物館に言った後、修理の終わったバイクを受け取った。(元通りぴかぴか)なお、Mexico Cityには犬の糞が
あちこち落ちていて、それが乾いて空中に舞い上がり、匂うこと、露店の食べ物につくこと、などを書いていて、Mexico Cityで
露店のものは食べない方が良い、などとも書いています。
翌日からカリフォルニア目指して、再び移動を開始し、初日は700キロを走破。後は道中記です。昨晩、夕食の後、テレビで映画
『グリース』をやっていて、それがSelenaさんお気に入りの映画だったため、思わず涙してしまったので、誰かが気を聞かせて、
チャンネルを変えたこと。今朝はテレビでコロラドで殺された人の葬儀の模様をやっていて、また涙したことを、少々恥ずかしげに
書いていました。
アメリカに入国してから、2通目が追記されています。入国前、道路を走っていると、ミチバシリ(ロードランナー。鳥の一種)がくわえた蛇を狙って、
すぐそばをカラスが襲って来たり、スズメバチの群れの中に突っ込んで行って、通過したらヘルメットにいっぱい潰れてくっついていた
ので、それを拭わなければならなかったこと。国境はあっさり通過したこと。そしてこれから、Buddy Richの遺族を訪問するため、
Palm Springsに2日ほど滞在し、それからLAのAndrewに会いに良く予定だ、と言うことが書かれています。
そしてLAについたら電話をする。Mexico Cityから書けたら、通じなかったから、とも書かれています。
この手紙で、この章は終わっています。
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