Ghost Rider (Part 8)





Chapter 13 : Summerlude

 LAで5日間、Gabrielleさんとの楽しい時を過ごしたあと、Neilは湖畔の家に戻ります。 LAでのデートの浮き立った気分の余韻からか、そこからケベック州にある湖畔の家までの道のりを、 わずか5日間で踏破しています。
 夏の湖畔の景色は明るく、留守を預かるKeithさんの行き届いた世話で何もかもきちんとしていて、 Neilは家に帰った時、非常に晴れやかな気分を感じたといいます。そして、「自身の赤ん坊の魂」は、 14歳の女の子に成長した、と感じるのです。ティーン向けポップを愛好し、テレビのファミリー番組 の、最も楽しい場面で涙ぐむ、その人格をNeilは「ガイア」と名づけます。

   バイク旅行は春と秋だけ。それも原則として、昼間だけ走る。冬は気候が厳しいから、夏は観光 シーズンで人が多くなるから、旅行はお休み。それが、「癒しの旅」でのNeilが決めたルールのようで、 夏の間はおもにケベックに留まり、ここからしばらくは手紙の引用が続きます。

 最初の手紙はMendelson Joeさん当てで、6月9日付。近況報告のような形で、LAからケベックまで5日で帰ってきた、 その帰路の様子が書かれています。これはRushのツアー中、BrutusさんとのツーリングでVirginiaからFriscoまでを4日、 TorontoからLAまでを5日で踏破した以上の記録だが、非常に安全で快適な旅であったと書かれています。 そのあとLAでのロマンスに触れ、それゆえに帰路が「足が地に付かないような」心境での旅になった、とも書いています。

 2通目はお約束のBrutusさん宛。これは近況報告で、最初の日付は6月11日。今義兄StevenとShelly夫妻、 義妹Debとその息子Rudyが泊まりに来ていること、庭で見かけた鳥のことなどが書かれています。後半部分は、本文より引用します。
「この時期は、また辛い時でもあるんだ。6月は僕にとって、もう一つの「呪われた月」だからね。今では、 この季節全部が呪われているような気がするよ。(「残酷な夏」として) (中略)
 誕生日は、そんなにひどくないんだ。少なくとも、まだ祝ってあげることが出来るからね。でも、いわゆる「命日」 というやつは、本当に辛いよ。
 この次のは(6月20日、ジャッキーの命日)マウント・プレザントの記念墓碑が完成するはずで、 そのことで記念すべき日となるはずだった。でもそのプロジェクトは延びに延びて、間に合うようには完成できそうもない。 (誰のせいでもないんだけれどね。たぶん僕があまりせっつかなかったからだろうと思う) それで、 落ちこんでいるよ。
 水曜日にはトロントへ出かけて、(あまり気は進まないけれど) 医者や歯医者のところへ行き、社交的な義務もいくつかはたして、 それから日曜日を、あの恐ろしい6月20日を、思い出に捧げて過ごし、その夜、サンフランシスコに立とうと思っているんだ。 (なかなかやっかいな皮肉だとは思うけれど、たまたまそうなってしまったんだ)だからその日がどういう ふうになるのかはわからないけれど、快適でないのはたしかだろうと思う。
 昨日、デブと二人でセレーナの遺品を整理し、彼女のキーリングや小グラスのコレクションを(旅行の途中で、君と僕が 選んだものが、なんと多かったことか)セレーナ記念ライブラリーに展示していた。最初のうちは、良かったんだ。 僕ら二人はいろいろなことで笑いあい、セレーナのことを話したりもした。でもそれから、デブが他の箱を開けて、 その中に入っていたいろいろな彼女の「記念品」を見た時――部屋に飾ってあったぬいぐるみやこまごまとしたもの―― ひどい気分に襲われ始めた。僕は階下へ下りて行き、キッチンのカウンターに座って、なすすべもなく泣いた。涙があふれて、 長い間、どうしても止められなかった。
 僕は大きなグラスにマカランを1,2杯ついで、ありったけの悲しい曲を大音量でかけ、(その中に溺れるように) でもどうしても、泣くことを止められず、2時間ほどはずっと泣きつづけていた。そのうちに僕は横たわり、 しばらく気を失っていたらしい。それから僕は起き上がった。すっかり疲れ果ててはいたが、気分はいくぶん穏やかになっていたよ。 こんなことは、前にもあった。2週間前、LAにいる時にね。一人ぼっちでいた午後、いきなり襲いかかってきたんだ、まるで絶望的な悲しみの 大波のように。時折こんな風に悩まされることに、もう驚きはしない。予測は出来ないけれどね。」


 その2日後に、2通目が追加されています。お客様たちはみな帰り、今一人で、暑い午後、 湖で水浴している、と。(裸なので、見ないでくれよ!などとも書かれています。) 昨日、湖で泳いだら、周りの水が自分に同化したような気がして、とても不思議な気がした。世界が穏やかに 変容してきているような気がした。まだこの季節、泳ぐには早いのだけれど、今年は水温がわりと高い、と。 この日の午後、お客様たちを見送った後、デッキで服を脱ぎ、再び湖で泳いでみた。それで気分が良くなった、と。
 そして、新しく発展した人格、「ロマンティック・スーパーヒーロー・エルウッド」について書いています。
「彼はかつて僕らがそうであったような、年を食った奴じゃない、あのドラムバカで、誰も発音できない妙な名前の奴 ではないんだ。(中略)エルウッドは、ジョン・エルウッド・テイラー(いつも憂鬱なやつ)とシェフ・エルウッド と同じ奴ではないし、弱々しいゴースト・ライダーとも似ていない。そして彼はたしかに、小さなガイア――ポップソング に感傷的になって涙ぐむような、思春期の少女とはまったく似ていないよ」
 そして、この「ロマンティック・スーパーヒーロー・エルウッド」の出番として、来週SFで予定しているロマンスの 顛末を後で報告するから、と言う感じで、手紙は終わっています。
以下、地の文での引用です。

「そんなわけで・・我らのロマンティック・スーパーヒーロー、エルウッドはトロントまで行き、いくつかの事務的用事を片付け、 アレックスと奥さんのシャーリーン、ゲディと奥さんのナンシーと一緒に食事をし、(彼の数々のロマンス談は彼らをわくわくさせたこと 間違いなしだ)墓地を訪れて、そこで数時間涙に暮れて過ごした後、ガブリエルに会うために、サンフランシスコへと飛んだ。
 もう一度、エルウッドは(彼女に)感銘を与えるため、最善を尽くした。美しい町並みとサンフランシスコ湾を見下ろせる ノブ・ヒルの豪華なスイートルームを予約し、町の観光ツアー、アルカトラズへのボート旅行、ミュージカル「レント」、ストラヴィンスキーのシンフォニーの夕べ。 しかし、どうも上手く行かないようだった。たぶん、彼は強く出すぎたのかもしれない。それは彼の真剣な意図と、 今は「楽しみたいだけの少女」(訳注:Girls Just Wanna Have Fun :シンディ・ローパーの曲)を地で行くように見える 若い女性との間で起きた、避けられない摩擦のようだ。それとも、彼がいつもため息をついたり、時々涙に暮れていたりするせいかもしれない。 (中略) ともかく、彼女は不可解にも、突然彼に対して「冷たく」あたり、4日後、彼は意気消沈し、混乱して、モントリオールに 帰っていったのである。」


 途方にくれたNeilは深酒をしますが、その翌日、二日酔い状態で起きてきて、突然ひらめきます。
「今こそ、急進的な行動を、自暴自棄の手段として、起こす時だ。僕にはまだ、最後の避難場所がある――ドラミングだ」

 でも、それはまだプロに復帰するうんぬんというレベルまで、心理的には至っていない。よけいな期待を抱かせても困る、と思い、 AnthemのSheilaを通じて、Le Studioを予約する際、本名ではなく、「John Taylor Project」と言う名で押さえてもらいます。 Le StudioはRushで何度もレコーディングに使ったスタジオですが、湖畔の家に一番立地的に近いこともあって、選ばれたのでしょう。
「『テスト・フォー・エコー』ツアーでの最後のコンサートから、丸2年、完全にプレイから遠ざかっていたが、それ以前には30年以上も 叩きつづけてきたので、物理的なテクニックは、すぐに戻ってきた。
 音楽的に、どんなことが起きたか、それを知って僕は驚いた。ランダムなパターンを様々なテンポで叩いているうちに、自分がいつのまにか その中から現れてきた大きな『テーマ』を演奏していることに気づいたのだ。僕は自分の物語を語っている。音楽的にでなく、詞の1節を通して でもなく、あるパッセージを叩いている時に、思えてくる。『ああ、これはあの部分だ』と。
 僕はかつて、芸術を通して『ストーリーを語る』ことを、否定的に見ていた。でも今、そう言うこともあると、これほど感じたことはない。 僕は怒りを、フラストレーションを、悲しみを、そして部分的な旅の物語をさえ演奏していた。ハイウェイのリズムを、壮大な景色を、気分のダイナミックな高揚と落ちこみを。 現れてくる一つながりの物語は、飛び散る汗と発散される力とともに、僕を清め、元気付けてくれるようだった」


 そしてその後、7月9日付で、Brutusさんへ手紙を書きます。
 まず最近、ひどく気分が落ち込むこと。ロンドンでグリーフワークをやっていたときに、「2年目の方がひどい」と言われ、当時は理解できなかったが、 実際自分がその立場に立ってみると、良くわかる。それは鋭い悲しみというよりは、コンスタントな憂鬱感であり、なにもしたくないという無気力に 苛まれることに他ならない、ということだと。そして、それを逃れるためによく深酒をしてしまうが、酒に溺れきって人生に破滅するような 事はしたくない。アル中にもなりたくない。だから、酒量には懸命に気をつけている、と。
 そしてその後、前日の真夜中に襲ってきた嵐のために眠りから起こされ、慌てて家中の窓を締めきったあと、窓越しにずっと空いっぱいに閃く稲妻 を眺めていたこと。その光景は第1次世界大戦の空襲の記録映画や、ビートルズのコンサートでのフラッシュを思い起こしたが、Le Studioのナタリーが 以前言っていた「ディスコみたい」と言う表現が一番あっているな、と思ったことが書かれています。
 サンフランシスコでのロマンスが不首尾に終わったこと、そして、財政的にちょっと困っていることも書かれています。最近、収入の6倍の支出に 追われている。悲劇は精神的に打撃だっただけでなく、高くついた。ロンドンやバルバドスの滞在費に加えて、そのあいだ、良い投資の機会もなくしてしまったから。 今までの蓄えをかなり消費したが、でも破産する心配はない。まだ元本はあるから――そんなようなことを書いています。
「それとも――僕は仕事に戻るべきだろう。でも僕の小さな赤ん坊の魂は、その考えにひどく怯えるんだ。たしかに、ル・スタジオでのドラム探検の試みは成功した。 僕はまだテクニカルにプレイできるだけでなく、ドラムとコミュニケーションを取ることも出来る事を確信したんだ。 <中略> でも、僕はまだ他の二人と一緒に、大きな『プロジェクト』に飛びこむ心構えが、まだ出来ていないんだ。それはたぶん、演奏する気はあっても、 まだ仕事をする気はおきない、その違いじゃないかと思う。だから、もうしばらくは休んで、様子を見ていようと思う。」

 同様に、かつての過去の情熱のうち、一番最初に戻ってくるだろうものは、散文を書くことだと思っていたが、たしかにその通りで、 書きたい気はある、でも大きなプロジェクトとして『本』を書く気にはならない、とも言っています。まだ自分の中の人格たち、 「ゴーストライダー」や「エルウッド」「ガイア」たちが、特にバンド活動のような、長い間の時間的拘束を伴う大きなプロジェクトには、 我慢ならないだろう、とも。
 その後、5月にベニス・ビーチへ行ったときにやってもらったタロット占いに感銘を受けて、自分も初心者用のタロット本を買い、昨晩 スリー・カード・スプレッドをやってみた、とも書いています。これに関しては、別コラムの「VT&Tarot」で書きましたので、 そちらをご参照ください。

 その後、7月22日から3日連続でBrutusさんに手紙を書いています。初日のものは、周りの景色や野鳥たちについて、そして 普通の日常、と言う穏やかな感じの手紙です。 朝食にジュースを絞って、絞りかすを捨てようとごみ箱を開けたら、中にいたネズミと目が合った、と言う話もありますが。
 翌日の手紙は、前日よりトーンダウンしていて、気分がややふさいでいること。あの女性(ガブリエルさんのこと)が8月に、 自主制作映画の主要な役を演じるため、オンタリオにいるということを知って、会いに行こうかと思っていること、8月の終わりごろには 再び旅に出て、今度はラブラドールまで行き、ニューファンドランドからノヴァ・スコシアへ出て、 そこで出版関係の友人Lesley ChoyceさんとWilliams一家を訪ね、それから南下してNYまで行き、そこから西へ、というプランを 立てていることを話しています。
 三日目のものは、翌週にはトロントに、また用事を片付けに行くこと、その際、AlexとLiamとAndrewに会うこと。(彼らはFront Lounge Club仲間。 4人でツアーバスの「喫煙セクション」を形成していたらしい)8月半ばにBradとRitaが来ること、旅立ちの日は去年と同じく8月20日と決め、 その旅の最初にすることは、「あの女性」にもう一度会ってみるつもりだ、と。今はそう言う予定の狭間にいて、湖畔の家に一人。 こんなスワヒリのことわざを思い出したといいます。「終わりのない坂はない」「暗い中トイレに行くと、悪魔が耳を殴りに来るよ」
 手紙はそれぞれ、比較的短いものなので、3日連続して書いて、一度に投函したのかもしれません。

 その後、7月29日付けでGeddyに、お誕生日おめでとうレターを書いています。結構長い手紙です。もともとRushは「夏はお休み」 体制で活動していたので、バースデイレターは近況報告を兼ねていることが多かったのですが、これもそうだということで、最初は 最近トロントへ行って、用事を片付けた後、2日ほどバイクで近隣地区をツーリングした時のことが書かれています。巡ったルートやホテルの様子、途中タイヤの空気が抜けて困ったことなど、 わりと詳しく書いた後、今の自分の状態はヨーヨーのようなもので、アップダウンを繰り返している、と。「2年目の方がひどい」と言うセオリーは Brutusさんの手紙とほぼ同じなのですが、そのことに関連して、かつてのRushのクルーに手紙を書いた。その人は深刻なヘロイン中毒に 悩んでいて、そこから抜け出して6年きれいな身体でいたのですが、「Test For Echo」ツアー中に再びはまってしまった。その人に 「自分もそうなってしまったかもしれないのだから、気に病むな」と、言ったと。さらにサンフランシスコから意気消沈して戻り、ドラムを叩いてみた、 演奏は出来るけれど、大きなプロジェクトにはまだかかれない、時間がかかる――そして今後の予定。このあたり、本当に夏の報告の総括という感じですが、 まあ、バースデイレターですから、最後はこんな感じで締めています。
「君と君の家族に良いことが起こるように、今日という日を(他の日もね)楽しく過ごしていることを、願っているよ。気が向いたら、一筆よこしてくれ。 機会があったら、いつかタラウナに旅行に行くから、その時に会おう。幸運を願っている、友よ。返事を待っているよ」

 そして8月5、6日付で義兄のStevenに当てて、手紙を書いています。トロントでの「Front Lounge Club」の集いのこと、自分の中の 人格たちのこと、これからの旅行プラン――これも繰り返し出てきていることなので、割愛しますが、最後にアフリカやヨーロッパ、オーストラリアなどへの本格的な旅をしたいと思っていること、 でもそれはあまりに大変だから、先送りだ、とも。

 8月14日付のBrutusさんへのかなり長い手紙で、この章は終わっています。この手紙には、BradさんとRitaさんの滞在している間の出来事に始まって、 彼らの滞在中、またもや悲しみの発作に襲われた、と、正直な心情を吐露しています。
「何もかもが、僕を泣かせる。見るものすべて、聞くものすべて、考えることのすべてが。楽しい曲をかけても、悲しい曲でも、餌付け場に来る小鳥たちや、木々や花や 湖、そしてすべての思い出が。何もかも、真っ暗だ。セレーナは、そこにいないから。<中略> 僕は娘がいなくて、とても寂しい――
 他の人たちが、時々同じ言葉を僕に言った。ジャッキーやセレーナがいなくて、寂しい、と。でも僕は、軽々しくそんなことは言えない。 (君がそう思うって――?) デブや僕でさえ、そんなことを口に出していったことはなかった。それは、あまりにあたりまえ過ぎることだからだと思う。 そう、それはまったくあたりまえ過ぎて、そして、本当のことなんだ」

 その後、先日近所のきこりたちと「薪集め」をしたが、きこりは本当に骨の折れる仕事で、自分たちには(BradとKeithも参加)本職にはとても叶わない。 でもともかく薪は手に入れたし、健康的で楽しい一日を過ごせた、と書いています。そして、4月頃はリスの被害に悩んだが、今は狸の被害に悩んでいる、信じられないくらいだ、とも。 ガブリエルさんから電話があった。今オンタリオにいる、と言っていたが、連絡先は教えてくれない。また電話するというので、 待っている、とも。

 そしてまた、Neilは旅に出るのです。





Chapter 14 : Eastering

 8月20日に出発する予定が、なかなか旅立つ気力が起きず、少し遅れて29日に、再び「癒しの道」をたどる旅が始まります。 今まで旅をともにしてきたGSはまだ修理パーツが届いていないので使えず、代わりにK1200Rに乗って出かけます。 このバイクは4台目で、同じく赤のカラーリング。荷物スペースが少ないので、キャンプ道具は積まず、でもそのほかの積荷は GSと同じように、特にガソリンはGSより余分に食うので、予備のガス缶をしっかり積んで、出発します。
 ケベックからニューファンドランドへ。途中いくつか川や海峡を越えるので、フェリーにも乗って、ラブラドールに到着したところで、 Brutusさんに手紙を書きます。ここは1995年の9月に、初めてBrutusさんと一緒にツーリングに出た場所でもあり、Rushのツアー中、 JackieさんSelenaさんが飛行機で来て、Halifaxで合流したことも何度かあるので、その思い出に浸りながら走ってきたとも言います。

 9月4日付の手紙は、ラブラドールまでの道中を簡単に説明しています。Quebecの家からQuebec Cityを通り、 Saguenay Riverをフェリーで渡って、Tadoussacへ。そこから東へ進み、St Laurence河を渡るフェリーに乗って、 対岸のRimouskiへ。このフェリーに乗る前に、Manate行きの別の便が出ていたのですが、急いでそれに乗るより、二時間待って Rimouski行きのフェリーに乗ろうと思ったのは正解で、このフェリーは「Quebec州で一番早」く、結果的に前のより30分も早く着いたそうです。 Rimouskiで一泊し、翌日はNew BrunswickのCampbelltonまで行きます。途中、観光したかったのですが、9月2日にフェリーを予約してあるので、 急がねば、と思い、パス。(8月は30日までしかないと勘違いしたらしい)翌日、8月31日だというので、 新しく開通したPrince Edward島へ渡る橋を渡って、brundenellで一泊。旅の間に、Saul Ballowの Herzogという本を読み終わった、と言う話から、ジャックロンドンや、良く見るテレビ番組の話になっています。

 翌日、この続きが書かれていて、Brundenellからフェリーに乗ってPictouへ。そしてCape Bretonを回って、 Cabot Trailへ。これは、95年のツーリングルートでもあったそうです。そして、この新しいバイクK1は 良いバイクなのだが、GSに比べて、いささかちょっと乗りにくい、とも書かれています。
 Sydneyからフェリーに乗り、そこからはとても快適な道だったので、思わずスピードを出して飛ばした。 時速200キロを超え、最大220をマークした。でも次の日、時速85キロで走っていたら、パトカーに捕まった。 ここは60キロ制限区間。切符を切られたNeilは、点数を稼ぐために微細な違反で捕まった事を怒り、これから2年間も、カナダの道を走る時には気をつけなければ ならないことを知って、(違反点数の余裕がない?)悪態をついています。
「くそ! くそ! 死ね死ね!」
 そして、あのガブリエルさんの生まれ故郷である、半島の北にある小さな漁村に来たNeilは、埠頭で 一服しながら、彼女のことに思いをはせます。ここでいったんBrutusさんへの手紙は切れ、地の文になります。

「ごつごつして荒れた岸辺にしがみついているフジツボのような小さな漁村の埠頭に立ち、質素な小さい家々が密集している様や 岸に点在する、漁具を入れておく掘建て小屋、港につながれた、使い古された漁船などを眺めていた。僕の心の目に、この環境の元に育った小さな少女の姿が浮かんできた。その少女と、僕がハリウッドで出会った、 「態度を硬化させた」大望を持った若い女性と比べてみた。
 それにしても、あの漁村からサンセットブルバードまでは、長い道のりだっただろう。良くも悪くも、彼女はその道を旅してきたのだ。 自分の人格に話が及ぶ時、僕は誇りを持ってこう言う。「今までの人生が、今の僕を作り上げたのだ」と。 それは、彼女も同じだろう。あの若さで、彼女はすでに多くの経験をしてきたのだろう。
 僕はロブスター用の罠と防波堤のコンクリートブロックの間で煙草を吸いながら、無意識のうちに、 現実をはっきり見ることが出来た。彼女はもはや、「ここで生まれた」彼女ではない。彼女は、僕がそうだろうと思っていたような 女性ではなかった。そして僕は、愚かな幻想から解き放たれた。その時から、僕は悟ったのだ。彼女とは、完全に終わってしまったと。」


 そして翌日、9月5日付で手紙が再開されています。沿海州での1、2日の出来事が書かれていますが、ハイキングや そのあたりのことなので、割愛します。
 7日付も似たようで、沿海州でのツーリングの描写が主です。寒かった、とも。 ニューファンドランドはかなり北なので、9月の初めといえど、気温は一桁。風が吹くと体感温度は マイナスになりかねない、ということでした。8日付のも、主に観光関係、なので割愛します。

 以降は、しばらく地の文になります。St. Johnsでニューファンドランドからノヴァ・スコシアへのフェリーを予約したり、 雑用を片付けて1日過ごし、翌日Halifaxへ。
 Halifaxでは、現地に住む友人Terry Williamsを訪ねる予定でした。TerryはNeilがSt.Catharinesにいた頃からの友人で、元ラジオ局の DJで今もラジオの仕事をしている(もうDJではないけれど)人。NeilはSt.JohnからTerryさんの携帯に訪問予定を知らせる際、 ちょっとウィットを効かせ、ラジオのDJ口調で「St.John Rocks!」とやったところ、相手はTerryではなく、18歳の息子さん。
「ええ、そうですね・・父を呼んできます」と返されたそうです。
 バンドのフォトグラファーであり、友人でもあるAndrewは、Neilの旅にいろいろ気晴らしを、と心を砕いているようで、 このニューファンドランドでも、現地の友人夫妻に連絡して、Neilは彼らと一緒に晩餐したりもします。
 Neilはフェリーに乗り、Halifaxまで行ってTerryに会い、彼の家に滞在します。Terryの奥さんChristineともNeilは知り合いで、 先に電話に出た息子Aaron、その兄Zakと数日過ごし、その間にバイクを地元のディーラーに預けて、タイヤ交換してもらいます。 Williams一家の長男Zakはダウン症で、穏やかにニコニコとしている人で、Neilは特に彼の存在に慰められた、とも言います。 ZakとNeilはともに早起きなので、しばしば二人で朝食のテーブルを囲むことが多かったのですが、数日後、Zakに
「ニール、僕は今日学校で、君がいなくて寂しい」と言われ、心のそこから微笑んだ、とも。
 9月12日は、Neilの47回目の誕生日。でもWilliams一家に気を使わせないよう、なにも言わずにいたのですが、翌日、気づいた 一家が、その次の晩、ケーキとバースデーソングで、お祝いをしてくれたそうです。
 もう一つのバーズディプレゼントは、Andrewから贈られてきた手紙で、そこには彼のアシスタントをやっている女性写真家が映っている 数枚のポラロイドが同封されていました。そう、Carrieさんです。Andrewは、Neilを彼女に会わせたがっていたのですが、Neilはその時 あいにくGabrielleさんとのロマンスに振りまわされたばかり、もうロマンスはごめんだ、と思いながら、「僕がロスにたどり着くまで、待っていてくれ。 それから、会ってみるよ」と、返事を書きます。(写真のCarrieさんは長いブルネットの髪、スリムな体型で、セクシーな笑みを浮かべていて、 「とてもきれいだ」と思ったそうですが)

 Williams一家と数日を過ごしたNeilは、タイヤ交換のすんだバイクに乗って、今度は出版社の友人Lesley Choyceさんの家に一泊します。 LesleyさんはHalifaxの大学で教えており、かつてカナダのチャンピオンサーファーでもあった人で、奥さんのTerriと、築200年の農家を改造して住んでいました。 そこで音楽やおいしい食事や会話を楽しんで、彼らのゲストハウスに泊まり、翌日Yarnmouthからフェリーに乗るべく出発し、 そこでBrutusさんへの手紙を書きます。

 この手紙には、悪天候でフェリーの出発が遅れたけれど、この小さな町での滞在を楽しんでいること。手紙を書くタイプ用紙に、 いつも使っているものでなく、薄いものしか見つからないので、それを使っていること、バイクのタイヤを交換し、ケベックから ここまで乗ってきて、やっと新しいバイクK-12にもなじんできたこと、最近読み終わった、そして今読んでいる本のことなどが、 軽く触れられています。

 やっと乗ったフェリーは天候が思わしくないため揺れが激しく、8時間も遅れ、しかも嵐で欠航が続いたため、ひどく混んでいて、 Neilは酔っ払いのAl、バス運転手のJoeという、見ず知らずの2人の相客とともに、船倉の狭い部屋に押し込められた、と言います。
 フェリーからバイクがおろされるのを待っている間に、New Hampshereからのツーリング客と話をし、これからニューヨークに 「いくらかの文化を求めて」行く、と言ったら、
「ニューヨークでどれほどの文化(カルチャー)を見つけられるかね」と、 軽くあしらわれたそうです。そして、Portlandでの入国官も同じ反応だったと。
「それから、彼女は言った。
『あなたは逮捕されたことはありますか?』
『いいえ』
『いかなる理由でも、指紋を採取されたことがありますか?』
『ありません』
『軍隊に入っていた経験はありますか?』
『あー、いや、ないです』
それから、彼女は中でも一番奇妙な質問をした。
『帰りの切符は持っていますか?』
僕は黙って、バイクを指し示した。彼女は顔をしかめ、『もう行っていい』というように、手を振った。
 それからメーン、ニュー・ハンプシャー、ヴァ-モンと、マサチューセッツ、ニューヨーク州、ニュージャージー州の片隅を通りぬけ (その午後だけで、6つの州だ――それも、東部のみで)そして僕はニューヨーク市のメインストリートにいた。」


 パークとマンハッタンの摩天楼を臨む、セントラルパーク・サウスのホテルに泊まり、公園内の湖でボートをこいだり、 雨のマンハッタンを散歩したり、モダンアート・ミュージアムやメトロポリタン美術館を訪れ、『A Work In Progress』の撮影で 知り合った二人の友人RobとPaulと一晩、作家友達であるMark Rieblingと一晩過ごし、New York滞在は忙しくも楽しかったようです。 Markとは、彼のガールフレンドMindyとNeilとで、ミュージカル・コメディ『シカゴ』に付き合わせたりもしたそうです。Markは そう言うものには無縁の人間なので、彼がそこにいると思うだけでおかしい、と。そしてMarkは、喜んで、ではないものの、 優雅に耐えているように見えた、と。
 RobとPaulに会った時、二人の仕事の関係で、Paul McCartneyのプレス・パーティに出席しますが、そこで、たぶんそこに 出席していたジャーナリストの一人から、正体を認識されてしまい、
『あなたがここにいらしているなんて、思いもよりませんでした』と言われ、サインを頼まれ、さらに数分後にまた同じ体験を してしまって、非常に困惑し、できる限りさっさとその場を退散してしまった、とも言います。人に自分だと認識されるのは、 いつも恐れていることなのだと。

「『ゴーストライダー』の旅をしている間に、人から認識されたことは、幸いなことに、数えるほどしかなかった。でももちろん、 人が僕をある種の視線で見ていると感じた時には、ガードを固めることにしていた。『ジョン・E・テイラー』名義のクレジット カードは、名前によって正体がわかってしまうことを未然に防いでくれた。僕にとっては、名前で認識されることが多かったから―― たぶん、ステージでは(ビデオでも)『ドラマー』として、後ろにいるせいだろう。
 ニューヨークでの最初の晩、マーク・リーブリングと僕がグランド・セントラル・ステーションのレストランに行き、だだっ広いコンコースと きらめく星をちりばめた天井が見える、大きなスクエア・バーに座っていると、向かい側にいる常連客がバーテンダーになにごとか話し、その人は こちらにやってきて言った。
『あなたがたの片方の人は、ドラマーですか?』
 僕はこれを否定することが正当だと感じ、そして後に彼が僕のクレジットカード を丹念に調べた後、連れに向かって頭を振ったのを見た時には、内心笑みを浮かべていた。
 20年くらい、こういう『そこそこ有名人』な状態にいるにもかかわらず、僕はこの種の出会いには決して馴染めなかったが、今や特に、 私生活に起きた恐るべき事態ゆえ、以前の倍くらい「ひどい」ものになっている。僕が何ものであれ、決して彼らが知っていると思うような 人物ではないのは、絶対に確かだ。
 僕は記録にこう記した。「この頃では、今までにもまして、動揺してしまう――僕は『あいつ』じゃない」




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