QUEEN U

Released 06/1974


Procession
Father To Son
White Queen
Some Day One Day
Loser In The End

Ogre Battle
Fairy-Feller's Master Stroke
Nevermore
The March Of The Black Queen
Funny How Love Is
Seven Seas Of Rhye




プロセッション



インストルメンタル




父より子へ

おまえの耳に届け
父から息子への言葉
私の言うことに、耳を傾けなさい
私はおまえとともに戦ってきた
おまえのために戦ってきた
おまえが生まれる、ずっと以前から

喜ばしき響きをもって
言葉はめぐる
父から息子へと
愛する息子へと

澄みきった声が
繰り返し繰り返しおまえに呼びかける
おまえに呼びかけ続ける
おまえが目の当たりにしているもの
それを壊してはいけない
それが、あるべきこの国の姿だ
おまえが勝ち取り、築き上げてきた国だ

王は戴冠するだろう
そして言葉は響き渡る
父より息子へと
愛する息子へと

家族に伝わる歌を歌おう
そして受け継いでいこう
もう知っていると思うが

私の手紙をおまえに渡そう
息子よ、それを高く掲げるのだ
その中に書かれた言葉を、
おまえは理解しようとはしないだろう
だが、おまえの命が尽きるその前に
おまえはまったく同じことを書き残すだろう

おまえの耳に届け
父から息子へ伝える言葉
おかしなことだ。
おまえは私の言うことを一言も聞いてはいない
だが私の手紙をそばにおいて置きなさい
歳月が過ぎ去り、おまえの孤独が払われるまで
もしそう望むなら、歌うといい
だが、おまえの呼吸するその空気を
この命ある限り、私はおまえのために送ろう

父から息子へと‥‥‥‥

喜ばしい響きを持って
言葉はめぐる
父から息子へと
愛する息子へと

王は戴冠するだろう
言葉はめぐり続けるだろう
父から息子へと
愛する息子へと


ブライアンのお父さんのイメージと愛国心が結びついた曲でしょうか。今は彼自身が父親ですが。父から息子へと、代々伝えておきたい言葉は、真実なのか、本質なのか、それとも別のものか――いずれにせよ、非常に大事なものに違いありません。
 ところで、アルバムが出た当時、イギリスのクリティックに『止まらない鼻血のようなギターソロ』なんて、ひどい形容をされていましたが。
でも明るくかつ荘厳なイメージで、個人的に好きな曲です。




ホワイト・クイーン

彼女の瞳の、なんと悲しげなことよ
微笑みながらも、暗き瞳
彼女の瞳の、なんと悲しげなこと
すべてはそこから始まったのだ

このように風もない夜
私の額にそっと触れていく
私は一人、歩みを進める
まわりの空気がかすかに揺れている
悲しみの中で
我が貴婦人がこのように(思いを)掻き立てるだろう
白の女王が歩みを進める
夜はふけていく
彼女の髪に、魅力の星々がきらめく

求めても──聞き届けられることはない
切なる願いは──ただ一言
私の瞳の、なんと悲しげなこと
彼女の目に触れることはない

どのように、汝は行ってしまうのか
汝は何を見しか
緑の柳の母よ
私は彼女の名を呼ぶ
私はその窓の下に身を潜め
彼女の立てる足音を愛でる
そして彼女が来たりしまさにその時
白の女王よ、私の心はなんと痛むことか
私の乾いた唇に、もはや言葉もない

私の女神よ
私の絶望きわまる怖れを聞き給え
もう、すべては遅すぎる
私は永久に待つのみ

さらば、愛する友よ
もはや涙さえ浮かばない
なんと悲しい終わり方だろう
まるで、これから始まるかのように


『白の女王』は、美しく、気高くも、物悲しく清楚なイメージです。
柳の木がほとりに生えた川の向こうに、霧にかすむ城。報われない恋に胸を打つ若者。個人的には、そんなイメージが浮かんできます。(柳に霧というと、なんだか別のものも出てきそうな気がするけれど‥‥)




サムディ・ワンディ

君は以前、僕の歌を聴いてくれたことはなかったね
あまりにうるさすぎる音楽だからと
でも今は、ちゃんと聞いてくれるようになったと思っているよ
今なら、僕ら二人とも、適切なやり方がわかっているから
行く手を照らしてくれる星は、ただ一つもなく
暗く、恐ろしげな雲がたちこめているけれど
でも、いつか、ある日に・・

おかしなものだね、ページがめくられ
その狭間に、僕らを封じこめるさまは
霧の中に建つ宮殿が、君を待ち受けている
君を女王として、迎え入れるために
今、雲が僕らの上に覆い被さり
すべては灰色の色彩の中
でも、いつか、ある日に・・

僕が若く、君と僕が二人で一人で
そして、僕ら二人とも、とても若かった頃
一緒に、すぐ近くまで行くことができた
でもあと少しのところで、称えられぬまま、終わるのかもしれない
そうして、雲はまだ僕らの行く手に深く垂れ込め
僕らはたった二人、ここにいるけれど
でも、いつの日か、そう、ある日に・・
故郷へ帰ろう


 Brainの詞で、一見ラヴソング風にも読めるのですが、これはかなりの点で、自分の気持ち、 将来に対する不安の中で、夢を捨てられずにいる、その思いが反映されているような気がします。 some dayは、未来のいつか、one dayは、過去のある日――未来と過去の、漠然とした時を 同時に表すこのフレーズの中に、「本当にそんな時が来るのかわからないけれど」と言う 自信のなさと、「それでも、その日が来ると信じたい」という切ない思いがこめられている と思えます。
 この当時のQUEENは、デビューアルバムはプレスに酷評され、週給何ポンドの生活で、たしかに 先の見えない不安はあったのだろうな、と察せられます。

ToshiyaさんのQUEEN小説にも触れられていましたが、この曲の続編というか、ある程度成功した時点から同様のテーマを描いたものが、「A Day At The Races」の、「Long Away」なのでしょう。 そしてどちらも、「旅」のイメージを強く感じさせる詞だと思います。夢を追いかけての旅でしょうか。




ルーザー・イン・ジ・エンド

ママは、すっかり困り果てている
なんて言ったらいいかさえ、わからないでいるんだ
かわいい息子が今日、そう、たった今家を出て行ってしまった
ママはとうとう、失くしてしまったんだ
結局、敗残者になってしまったんだ
そんなふうにひどく扱ったら、君は永遠の理解者を失うことになるだろう
彼女は、君の母親じゃないか
いつも頼りにできる人じゃないか

彼女は20年近い月日の間、来る日も来る日も、
君の面倒を見、洗濯をし、食事の世話をし、着る物を整えてやって
そして最後に得たものは、「さよなら、ママ」の一言だけなんて
彼女にとっては、涙に暮れるしかない悪夢だろう
彼女はとうとう、失くしてしまったんだ
結局、惨めな負け犬になるしかなかったんだ。
そんなふうにひどく扱ったら、君は永遠の理解者を失うことになるだろう
彼女は、君の母親じゃないか
いつも頼りにできる人じゃないか

だから、聞いてくれ、世界中の母親たちよ
一人の母親の息子として、言わせてくれないか
子供たちを好きに楽しませてやれないなら
最後には、彼らから忘れられてしまうだろう
後悔なんか忘れて、ただ、思い出して欲しい
あなたたちも少し前には、若かったはずなんだから

あなたたちは、最後には敗者になってしまうだろう
結局は、敗残者になってしまう運命なんだ
彼らは自分自身で、新しい靴を選ぶだろう
それはそんなに、受け入れがたいことじゃないはずだ
あなたたちは、彼らがいつも頼りにできる、母親なのだから


 これ、たぶんにRogerの経験談でしょうか? Rogerはかなり裕福な中流階級のでだと 聞きましたし、家庭的には、たぶんに保守的なところがあったのでは。それゆえ、ロックンローラー になりたいという彼と両親とは、結構軋轢があったのでは、と推測されるような詞です。
「自分を育ててくれた親に対して、悪いことをしたかな」という気持ちと、「でも、子供には子供の 人生があるんだから、好きにさせて、見守っていて欲しい」と言う気持ちが、こめられている感じです。
 まあ、当時はRogerも若かったですが、5人の子供の親になった今も、やはり気持ちは同じでしょうか。

 個人的な感想として、私も若い頃、「親はわからずやだ! こんな家、出て行きたい」と思ったことは、多々あります。でも月日が流れ、もう若いとも言えなくなり、子供の親になった今、もし息子が将来、「ミュージシャンになりたい」などと言ったら、(ミュージシャンでなくとも、かなり運に左右される職業なら)「あんた才能ないし、第一安定しないから、堅実な仕事につきなさい」と言ってしまうと思います。そんな私も、「bound to be the loser in the end..」





オウガ・バトル

それは昔、昔のこと──ひとりの老人が、僕に伝説を語ってくれた
笛吹きが行ってしまい
テーブルのスープも冷め
黒いカラスが新たな方向を目指して飛び去る時
それが前兆だと
さあ、今夜
人食い鬼を見に行こう
人食い鬼の戦いを見に出かけよう

あいつは恐ろしく大きな叫び声を上げると
大海をも飲みこんでしまえるような口をあけ
巨大な舌でハエを捕まえる
その手のひらは、信じられないような大きさだ
ただ一つしかない大きな眼は
どんな方向にも狙いを定める
ほら、戦いは続いていく
さあ、今夜
人食い鬼を見に行こう
人食い鬼の戦いを見に出かけよう

人食い男はまだ中にいる
二つの方向に出口を持つ、鏡張りの山の中に
ここにいれば、誰の目にも触れない
中から外は覗けるが、中を覗きこむことは出来ないのだ
「しっかり見張りをしておけ!」
人食い男のお出ましだ
双方向に通路を持つ、鏡張りの山の中から
連中は背後から襲い、ぐるりと取り囲んで
おまえの逃げ道をふさいでしまう

人食い男は家路を辿る
激しい戦いは終わった
角笛は吹き鳴らされ、トランペットは吹き叫ぶ
人食い鬼の戦いは、永劫に続いていくと
さあ、誰でもおいで
人食い鬼の戦いに


 ブラックサイドは伝説や寓話を題材にしたものが多いようですが、これもその典型ですね。 人食い鬼の伝説は日本にもありますが(いや、日本は山姥が多いかな)、イギリスにも多々あります。 ジャックと豆の木に出てくる巨人も、たしか人食いでしたし。
 余談ですが、この曲昔バンドでやったことがあるので、個人的には思い出深い曲です。私たちの場合、冒頭の音はシンセサイザーで作りましたが、クイーンの場合「No Synthe」なので、ギターのホワイトノイズでしょうね。どうやって作ったのでしょう。





フェアリー・フェラーの神業

あやつは妖精のきこり

新月が輝く夜
妖精仲間らが輪になり集う
真夜中の12時に
そいつが胡桃を割るさまを、見んがために
厳かに斧を振りあげるや
頭上に高々と掲げ
振り下ろす
渾身の力を込め、振り下ろす
なんと見事な腕前よ

農夫、あらゆる種類の「ワゴナー・ウィル」ども
歩哨のパイプをくわえた政治家
あいつは、まったくたいした奴よ
教育者は一瞥をくれ、しかめ面をし
サチュロス(好きもの)は女物のガウンの下から、覗き見る
汚い奴よ
まったく汚い野郎よ
ボロを来た奴、おまつり野郎
盗人、トンボのトランペッター
あいつはみんなの英雄
気取り屋の妖精は、なじみのガールフレンドの機嫌取り
ニンフは黄色い声で叫ぶ
「あの凄い技を、見せてちょうだい!」
まったく、とんでもない奴よ

兵士、水夫、鋳掛け屋、仕立て屋、農夫
みな、その音を聞こうと待ち構える
茶目っ気たっぷりの手品師が、司会役を勤める
そやつが指導者なり
オベロンとタイタニアは、意地悪ばあさんに見張られ
マブは女王
そして、腕の良い薬剤師
挨拶に行こうではないか
気取り屋の妖精は、なじみのガールフレンドの機嫌取り、
ニンフは黄色い声で叫ぶ
まったく、困った奴よ

馬丁は手を膝の上に置き、凝視する
さあ、ミスター・フェラー
どうか割ってくれないか


 胡桃割りの名手である、たぶんかっこいい妖精のきこりがいて、その技を見るためにいろいろな人や 物の怪たちが森に集まっている、いかにもおとぎ話的と言うか、ファンタジックな光景です。 そもそも新月って、輝かないし。(月が見えない時が、新月ですから)
 オベロンとタイタニアは、シェークスピアの戯曲「真夏の夜の夢」に出てくる妖精王と女王です。 たぶん他の固有名詞(マブとか、ワゴナー・ウィルなど)も、何かからの引用だと思いますが、 不勉強ながら出典は不明です。ごめんなさい。
 この曲の詞は、ロンドンのテートギャラリーにある絵をもとに書かれたそうです。
(※ Toshiyaさんより、この絵の作者であるRichard Daddに付いてのHPを教えていただきました。それによりますと、この絵のタイトルは、この曲と同じく「The Fairy−Feller's Master−Stroke」なのです。本当に、その絵のままを歌詞にしたのですね。
 HPで、絵が見られます。一見大きな絵のようですが、実際は54cm×40cmという小さなものだそうです。ちょっと怖い絵です。なお、作者のRichard Daddは精神を病んでいて、父親殺しの罪で、20代後半から69歳で亡くなるまで、精神病院で過ごした人で、この絵も病院内で書かれたものだそうです)





ネヴァーモア

もはや、わたしの人生に生きる悦びはない
海は枯れ
雨が降ることもない
もうこれ以上泣かないで
わからないかい?
そよ風に耳を傾けて
私の耳に囁きかけておくれ
私を戻ることのできない道に、連れていかないでおくれ

かつては日の光が暖かく優しく降り注いでいた谷も
今や何もはぐくまぬ不毛の地
わからないかい?
なぜ私を置き去りにしなければならなかった?
なぜ私を欺いた?
あなたはもう二度と戻れぬ道に、私をいざなった
あなたがもうわたしを愛していないと言った、その時に
もう二度と戻れない
もう二度と‥‥‥‥


 叙情性に富んだ、美しい小曲です。あっという間に終わってしまいますが、その切なさと美しさが、印象に残る曲です。






マーチ・オヴ・ブラック・クイーン

本気なのか?
本気になったら、どうなんだ
なぜ、私はおまえに従う
おまえはどこに行こうとしているんだ

このようなものを、かつて見たことはなかっただろう
まるで天国に上り、地上に帰ってきたように
詳しく話そうじゃないか
世界中が認めるだろう
だが、ちょっと選ぶ時間をくれ
水の赤ん坊たちが、睡蓮の浮かぶ悦びの池で歌い
水色の猿が、夜の静寂に祈りを捧げる

黒の女王がやってくる、山のようなお付きをしたがえて
ほら、黒き女王のお通りだ、一列縦隊で
連れていけ、身のほどをわきまえさせるのだ

そいつらを無作法な少年たちと一緒に、地下室に放りこんでおけ
ちっぽけな黒人を、少しは見られるようにしろ
そしてベビーオイルをどんどん塗りたくれ
黒く塗れ、指の爪もつま先も、全部黒く塗るのだ
まだ始まったばかりだ、そう始まったばかり
これをしろ、あれを作れ、あらゆる騒音を立て続けるのだ
さあ、腹もいっぱいになった
私のかわいこちゃんになってくれるかい?
私のかわいい恋人に──いいですとも!

背後から聞こえる声が、私に思い起こさせる
おまえは天使だ──その翼を広げるのだ
ほんの少しの愛と悦びを
光の速さで届けるのを忘れるな
おまえがすることにはすべて
意思と疑問と理由が存在する
ほんの少しの愛と悦びも
あらゆるすべての魂は人間に嘘を教え
すぐに彼は欺き、そして発見するであろう
だが人生の最後の時になって、
彼は愛を少しだけもたらすであろう

我は右手で統治し、左手で支配する
我は闇の支配者、我は夜の女王
力は我にあり──
さあ、黒き女王の行進をするのだ
私の命は、あなたの手の中に握られています
喜んでお供をします
どんな人間にもなります
あなたが望むなら、どんなことでもします
悪い人間にもなります
あなたのためなら、悪人にもなれます
黒き女王の行進をいたしましょう

規律を持って歩みを進める
彼女は俗悪、かつ邪悪
ほら、黒き女王がパイに刺青をしている
それを、ゆでて焼き上げる
だが、細かいことには注意を払わない

懐かしい歌も子守唄も忘れるがいい
この蛍飛ぶ街に降伏するがよい
楽団のビートに合わせて悪魔と踊り
手に手を取って、地獄へ行くのだ
だが、もう行かなくては──永遠に


『白』と違い、『黒』のイメージはやはり邪悪で、そして美しくパワフル、そんな印象です。
話し手がころころ変わる感じなので、少々分裂したような詞ですが、情景は浮かびます。
美しくも、怖い世界です。どことなく、『不思議な国のアリス』のトランプの女王をも、連想させますが。




ファニー・ハウ・ラヴ・イズ

いたるところに愛は存在する、なんとおかしなことだろう
どこへ行こうと、その行きつく先に愛はある、なんとおかしなことだろう
あらゆる歌の、あらゆるキーの中に愛はある、なんとおかしなことだろう
お茶の時間になると、愛は家に帰ってくる、なんとおかしなことだろう
おかしな、おかしなものだろう

嘘の終わる時、真実が始まる、愛はなんとおかしなものだろう
明日はやってくる、明日はもたらす
愛を目に見える姿に変えて、
それが愛というもの、それが愛というもの

愛は突然、君の心を打ち壊しもする(ハートブレイク)
なんとおかしなものだろう
愛はアダムとイブから伝えられたもの、なんとおかしなものだろう
愛は自由に、奔放に駆け抜ける、なんとおかしなものだろう
お茶の時間になると、愛は家に帰ってくる、なんとおかしなものだろう
おかしな、おかしなものだろう
この地上の下からはるかな天まで
これほど遠く、おかしなものは愛
いつでも、どこでも
愛を交わしたい時には、そうするといい
それが愛というもの、それが愛というもの

いたるところに愛は存在する、なんとおもしろいものだろう
どこへ行こうと、その行きつく先に愛はある、なんとおもしろいものだろう
あらゆる歌の、あらゆるキーの中に愛はある、なんとおもしろいものだろう
愛とは、お茶に遅れそうになって、慌てて辿る家路、
なんとおもしろいものだろう
おもしろい、おもしろいものだろう
明日はやってくる、明日はもたらす
愛を目に見える形に変えて
いつでも、どこでも
愛を交わしたい時には、そうするといい
それが、愛というもの。それが、愛というもの


 これは特に説明不用の、愛の一般論的な感じですが、「ブラック・クイーン」のラストからこの冒頭にかけての展開、いつ聴いても鳥肌が立ちます。(ゾクゾク、と言う感じです。念のため) 
 ところで、「お茶の時間に家に帰る」という言いまわし、非常にイギリス的ですね。あちらのティー タイムは有名ですから。




輝ける七つの海

汝ら、支配者や女説法師たちよ、我を恐れよ
我は空からこの地上に、汝らの上に下ってきた
不信心者たちよ、汝らのその魂に命令する
我の所有するものを、我の前に持ってくるのだ
ライの七つの海よ

汝ら、貴族や専任弁護士たちよ、我の言うことが聞こえるか?
汝らの目にはっきり見えるよう、降り立とう
我の信頼を悪用するものすべてを、滅ぼそう
汝らは我のものになるのだ
ライの七つの海よ

シスター──私はあなたのためだけに生きます
ミスター──私はきっと死んでしまうでしょう
汝らは我のもの、我のもの
私はあなた様のものです、永遠に──

マスターマラソンを急襲し、我は飛んでいく
閃光と雷の炎を抜け、生きのびるだろう
そのあと、我は自然の法に挑戦し、生き抜くだろう
それから汝らを支配する

ともに消え去ろう──汝ら、上品で怪しげな上院議員どもよ
善を分け与え、邪悪な叫びを取り除け
我は偉大なタイタンとトゥルバドールに挑戦しよう
そして微笑を浮かべ
汝らをライの七つの海へと誘おう


 ファーストアルバムのラストにインストルメンタルとして収録され、セカンドで歌がついて再登場しました。七つの海と言うと、「世界中」というイメージですが、(世界には七つの大海がある、と良く言いますし)この場合、「ライ」の七つの海ですね。このライというのは、架空の王国でしょうか。次作の「Lily Of The Valley」にも「七つの海を渡ってきた使者が伝えた。ライの王はその座を追われたと」とあります。これの続編でしょうか。
イメージ的にはキリストの再臨に近いものを感じますが、「ライ」だから、違うものかもしれません。
 タイタンはギリシア神話に出てくる、大地と天の間に生まれた巨人で、トゥルバドールは13〜15世紀の吟遊詩人を指しますが、マスターマラソンの意味だけは、わかりませんでした。(不勉強で、すみません)








個人的レビュー

 ガンズのアクセルも好きだという、そして巷でも『オペラ座の夜』と並んで、最高傑作との評価が高いアルバムです。 ことにフレディの作品による、ブラックサイドは圧巻! 息もつかせぬ展開で、まるでそれ自体一つのファンタジー組曲のようです。
 その中でもハイライトは、『マーチ・オヴ・ブラック・クイーン』でしょう。ヴァース・ブリッジ・サビという普通の曲展開とはまったく無縁な、次から次へと曲想が変わっていく型破りさ。それが恐ろしいまでに、邪悪で美しいのです。
 ブライアンが中心のホワイト・サイドも、また異なる雰囲気でまとめられていて良いです。個人的には、ことに『プロセッション』から「ホワイト・クイーン』までの流れが好きです。

        

個人的ベスト3

  1. THE MARCH OF THE BLACK QUEEN  
  2. NEVERMORE
  3. FATHER TO SON



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