Part 7 of the Sacred Mother's Ring - A Path to the Light

終章  つながりゆく環(2)




 小さな島だった。紺碧の海原に周りを取り囲まれ、直径二百メートルほどのきれいな円形で、一面に茂るやわらかい草の緑が、島の周辺に三、四メートルほどの幅で広がっている砂浜の白で、縁取りされているようだ。
 島のちょうど中心に、大きな樹があった。丈は十五メートルほどで、子供二人が腕を広げてやっと抱えられる太さの幹から伸びた枝が大きく広がり、エメラルド色の葉の間から、金色の木漏れ日をちらちらと地面に投げていた。枝には鮮やかな青い花が幾つも咲き、樹皮も普通の茶色ではなく、かすかに金色がかっているように見える。西の海は、少し離れた所に対岸が見えた。その対岸から二十キロメートルほど内陸に向かうと、グリーンズデイル市がある。
 この光景は、アレイルとエマラインにとっても、見覚えのあるものだった。かつて、暗黒と化した世界連邦で、追われて逃げた、南太平洋にある小さな島で、政府に反旗を翻す決意を仲間たちに告げたあの夜、二人が見た夢。アレイルとニコルとのシーンに、エマラインも入ってきて、三人で語った。
『この海の下に、RAYの本体が眠っている』
 ニコル・ウェインは、そうも言っていた。

「ああ、ここに来ると、落ち着くー!」
 アディルアが声を上げ、樹の影に腰を下した。
「やっと来られた、じゃないんだね。今までにも、来ていたのかい?」
 アレイルは娘を振り返り、軽く指を振ってみせた。
「うん。時々。ごめんね、パパ」アディルアは肩をすくめ、笑う。
「ここは特別な場所なんだ」
 アリストルが落ち着いた口調で言い、木を見上げた。
「いつか、ここに来るって、みんなで約束したよね」
「いつ?」エミリアが不思議そうに聞いてくる。
「あ、うん。ちょっと待って」
 アリストルは立ち上がり、双子の妹を見た。アディルアも頷いて立ち上がり、ニコっと笑う。「わたし、ここで歌を歌うね。聞いて」
「え」子供たちが問い返す。
「ああ、でもアディルは歌、うまいものね。きかせて」
 エミリアが促し、アレンとセルスも頷いた。
 音楽プログラムが解放されて後、時々アディルアは放送プログラムの歌を歌っていた。その声は非常に清澄で、軽やかで、不思議な響きを持っていた。金の鈴と風の音が入り混じったような。
「うん、ありがとう」
 アディルアは再び笑い、歌いだした。それは不思議な歌だった。旋律は切なく美しく、繰り返されるリフレインがどこか浮遊感と無限の広がりを覚えさせる、不思議な歌だった。それは、小さな子供の口から語られるにはふさわしくないような言葉でもあった。

 わたしの腕で遊びなさい、子供たちよ
 わたしの膝でお眠りなさい、子供たちよ
 わたしの胸にいらっしゃい、子供たちよ
 おまえたちの光が、わたしの光となるまで
 勇気を持ちなさい、子供たちよ
 強くなりなさい、子供たちよ
 愛を輝かせなさい、子供たちよ
 それがおまえたちの行く、光になるのだから
 大地も風も空も海も、世界はおまえたちのゆりかご
 光も炎も緑も雨も、時はおまえたちの保護者
 夜空に浮かぶ金の小舟
 一粒の星くずが、おまえの眠りに落ちた
 今夜おまえが見る夢は、どんな夢だろう――

(この歌は、聞き覚えがある。かすかに――)
 アレイルは漠然とそう感じた。いつだったか思い出せないほど、遠い遠い昔に――。
 やがてアディルアは別の旋律を歌いだした。聞いたことのないメロディ。言葉のない歌。その声が空に吸い込まれていくように響く。同時にアリストルがアレイルとエマラインの間に入ってきて、二人に手をかけた。
 やがて、座ってじっと聞いていた子供たち、エミリア、アレン、セルスが、ふっと崩れるように地面に横たわっていった。
「エミリア、アレン、セルス……どうしたんだ?」
 アレイルは思わず声を上げた。
「大丈夫。眠っているだけだから。ごめんね、お姉ちゃん、お兄ちゃんたち」
 アディルアは首を振り、姉兄たちをすまなそうに見た。
「うん、これからの話は、お姉ちゃんやお兄ちゃんたちには、聞かれたくないんだ。ローディアはまだ赤ちゃんだから、わけがわかってないだろうけれど……」
 アリストルは寝ている姉兄たちを見、そっと一人ずつ手を触れた。
「目が覚めたら、ぼくたちが眠らせたことは忘れているよ。ただ、ここで楽しく遊んだっていう記憶になっていると思う」
「こんなこともできるのか、おまえたち……」
 アレイルは言葉をのんだ。
「うん。眠りチャントをかけたの」アディルアは首を傾げて微かに笑い、
「でもパパとママまで寝ちゃうと困るから、僕は二人に抵抗をかけたんだ」
 アリストルは頭を上げて、父母を見つめた。
「約束したよね。ここでまた、四人で会うって」
 その言葉、その瞳の色に、アレイルは息をのみ、呟いた。
「ニコル……」
「うん。今のぼくになる前は、そうだったね」
 アリストルはにっこりと笑った。
「そうなの……けれど、今は、あまり気にしないわ。そんなことより……」
 エマラインはクローディアを抱いたまま、アリストルとアディルアの間に座り込んだ。
「うん。ママの言いたいことはわかるよ。ぼくたちが起きていられるのも、あと一時間ちょっとしかないから、その時間を楽しい思い出にしたいって言うんでしょう。でも、そのために今までがあったんだし、ね、たくさん楽しい思い出、出来たよ。すごく、楽しかった」アリストルは真剣なまなざしで言い、
「うん。すごく、楽しかったし、幸せだった。わたしたち、今の時代に、パパとママの子供に生まれてきて、本当に良かったと思ってるの」
 アディルアが両親を見上げ、両手を合わせて、感嘆したように言葉を継いだ。
「そんなこと……言わないで。まだまだ……七年しか……いないじゃない」
 エマラインは涙にかすむ目で、二人を見下ろした。
「時間はたいして重要じゃないんだ、ぼくたちには」
 アリストルは小さく首を振った。
「ぼくたちは今まで、たくさん生きてきたもの」
「でも正直言えば、できるんだったら、もうちょっと生きてたかったな、って思うわ」
 アディルアは少し名残惜しそうな表情になっていた。
「アディル! ここまで来て、そう言うの? 君は相変わらずだよね」
 アリストルはあきれたような顔で、妹を見やる。
「だって、楽しかったもん、すごく。あと三年、あと五年、一年だっていいわ。もう少しここにいていいっていうんだったら、わたし喜んでいたいと思うの」
「そういうこと言うと、ママやパパが悲しむよ」
「でもあなたみたいに悟りきってたら、パパやママの悲しみが減るっていうの? そうは思わないな。それにわたし、今行くのがいやとは言ってないわよ。ああ、ほんというと、いやだって思う部分もあるんだけど、仕方ないじゃない。それがわたしたちの運命だって、わかってるもん。だけど本当に短くて、名残惜しいの。だって七年よ。最短じゃない、今までの? これが最後だっていうのに」
「わかったよぉ、本当に君は相変わらずなんだから」
 アリストルは双子の妹の背中を軽く叩き、少し困ったような笑みを浮かべた。
「最後の……時なんだね、今が」
 アレイルは二人の前に膝をつき、屈みこんだ。
「四つの流れが出会った時、それが今なんだ。おまえたち二人と、エマラインと僕。選ばれた四人……」
「うん、そうだよ。だから悪いけれど、お姉ちゃんやお兄ちゃんたちには、眠ってもらったんだし」アリストルがこくっと頷く。
「流れが出会って……そして、どうなるの?」
 エマラインはかすれた声で聞いた。
「最後の答えがわかるって、昔言ったのよね。あの時には言えなかったけど。四千年の時が過ぎたら……最後の質問で、最後の答え」
 アディルアが両親を見上げ、答えた。
「待って……ちょっと待ってくれ。今の言葉、かすかに聞き覚えがある。四千年の時が過ぎたら……ちょっと確認させてくれ。アリストは……ニコルなんだな。その他には……僕は会っているかい?」
「パパに? ううん、その時だけだよ。今のパパにはね。でもその前に、ぼくがパパの兄弟になる前の生で、ちょっとだけ会ってる。ママにもその時に会ってるけれど、本当にちゃんと会ったって言えるのかは、わからないんだ。ちょっと変な形だったから。話はいっぱいしたけれど」
「それはいつごろ?」エマラインが質問をはさむ。
「二千年くらい前」
「ええ?」
「ちょっと遠いよね。それで、ぼくはパパとママに、その前も何度か会ってるよ。それも正確には会ってる、って言う感じじゃないかもしれないけど」
「待った……わかった。思い出せないけれど……そうなんだ」アレイルは呟いた。
「そのうちに思い出すよ」アリストルは、にこっと笑った。
「あと、パパが言いたかったのは、ぼくはニコルとしてパパに会ったけれど、アディルは会ってるか? って言うんでしょう? ううん。彼女は今のパパとは会っていないよ。パパになる前、かなり前だよ。それともう一つ、今は関係ないけれど、前からパパが気になっていたことを教えてあげるよ。パパの妹、ルーシアさんのこと……彼女はそこにいるよ」
 アリストルは母の腕で眠っている赤ん坊を指差した。
「え、ローディアが?!」アレイルは驚いたように見た。
「今度は前より、ずうぅと幸せになれるよ、ね」アリストルは微かに笑う。
「アリストが言ったように、わたしがパパに会ったのは、うんと昔よ。四千年前。だからパパが覚えてなくても、しょうがないって思うの」
 アディルアは父親を見上げた。そして母親に目を移し、続ける。
「ママとは、生きて会ってはいないわ。わたしになってが、初めて」
「そうだったわね。そういう話だった……たしか。そう言っていたわ、夢の中でも」
 エマラインは手を伸ばし、娘の髪に触れた。
「でもママも、わたしのことは知っていたはず。わたしがわたしになる前だけど。でも、今のわたしは、わたしなの。前のわたしも、その前のわたしも、ずっとみんな同じわたしだけれど」
「ええ……それにわたしにとって、前のあなたたちがなんだかというのは、どうでもいいことだわ。今のあなたたちが、わたしたちの大事な、かわいい子たちだっていうこと。それだけ」
「ありがとう。ぼくたちもパパやママが大好きだよ」
 アリストルは感謝のこもった目で母親を見上げ、言葉を継いだ。
「でもね、今だけは重要なんだ。ぼくたちが誰だったか。あなたたちが誰だったか。そうでないと、最後の答えがわからないから。ぼくたちは以前、パパやママに話をしたよ。覚えていないだろうけれど。今からもう一回話しても良いんだけれど、でも時間がそんなにないから……思い出して」
 アリストルは立ち上がって、父母の手をとると、じっとその目を覗き込んだ。
 次の瞬間、まるでシャワーの中に立っているかのように、知識と記憶が降り注いできた。かつて、遠い昔に――生と死の狭間で語られた知識が。

 地球から遠く離れた銀河――六億光年の彼方に、その星はあった。アクウィーティア・セレーナ。その星の民は水の中でもある程度は生きられるという以外、そして思春期までは男女に分化せず、女性も授乳期だけしか胸は膨らまないという以外、地球人に酷似した容貌と機能を持っていた。その星は地球と同じような進化の道をたどり、文明を築き上げ、そして地球と同じように壊滅的な災害によって滅びかけた。しかしやはり地球と同じように生き残った一万人ほどの人々が、新たな世界を起こしていった。それは、今から約二億年前のこと。それから発展を続けたアクウィーティアの人々は幾多の銀河に植民し、勢力を広げていった。人種としても、進化していった。これから千二百年先に地球を出航するはずのエスポワール一三号が出会った『光の民』たちは、約二億年の間、種の進化を続けたアクウィーティアの人々の末裔だった。アリストルとアディルアは、二、三世前までの人生を、アクウィーティア人として過ごしてきたのだ。二人はアクウィーティア・セレーナの民。アクウィーティアン、先達者、エルダーレース――二人の前身が、自らをそう呼ぶのを聞いたことがある。エスポワール一三号の人々が会ったという、光の民の長と行政長もまた、二人のかつての生だった。年代がずれているのは、実はエスポワール一三号は実際に認知されている以上に、多くの時間を飛び越えていたからだ。彼方の銀河に飛ばされた時点で、実は二万五千年も時を逆行していたエスポワール一三号は、地球に戻ってきた時、再び二万年、今度は時を順行し、彼らが出発する五千年前の地球にたどり着いていたのだった。
 その後、二人は地球に転生した。アディルアは本体と分身に分かれ、世界が一度滅びる以前から新世界創立期までを、二人の人間として生きた。アリストルの方は、新世界が安定した後、やはり二人に分かれ、一人は四十世紀に影の存在として、もう一人はニコル・ローゼンスタイナー・ウェインとして生きてきた。そして揃って、最後の生を生きるために転生した姿が、今の二人だったのだ。四千年かけて、二人の魂を乗せる十分な身体を――かつて起源子、アディルアの前世からその子孫たちへと、地球に蒔かれたPXLP因子、アクウィーティア人特有の因子を再びアレイルとエマラインの中にほぼ半分ずつ集め、その二人の子供として、必要な因子を結集させて生まれてきたのが、アディルアとアリストルなのだ。特殊能力も、もともとは二人が持っていた力。地球人の因子が入り、かなり弱くはなったものの、もともとは彼らが保持していたものだ。それを一時的にリンツやシェリー、ミルトに委託した。世界を元に戻すために。アレイルとエマラインには、もともと精神的能力があったが、それも少し強めた。だから双子がこの世に生まれた時、その力は本来の持ち主へと返ることになったのだ――。
 知識のシャワーを浴びながら、アレイルとエマラインの脳裏に、切れ切れの記憶の断片が掠めていった。二人にとっての、別々の記憶が。エマラインの意識を最初に掠めたのは、幻のような少年の記憶だった。少し色の濃い金髪、緑色の目、でも容貌はかつてRAYのファイルで見た四十世紀の音楽家、ジェレミー・ローリングスに似た――ジェレミーはかつての自分かもしれない。そんな認識を、少し前から持っていた。音楽パートナーであり従兄でもあるというパトリック・ローリングスは、かつてのアレイルなのだろうと。でも、その幻の少年は? その少年が手を振ると、ゆっくりとその手が消えていくのが見えた。胸から下も――。
「ジェナ……ジェナイン……」
 エマラインは息子の眼を覗き込みながら、呼びかけた。アリストルはニコっと笑った。
 映像がまた浮かぶ。足元まであるゆったりとした紫の上衣を着て、濃い琥珀色の長い髪をした、緑の瞳の、気高い姿。この姿は――そうだ、映像こそはっきりとは見えなかったが、アレイルが世界連邦解放戦で瀕死の重傷をおって眠っていた時、夢に出てきた人。ニコル・ウェインが『自分の本来の姿』と言っていた人。その人が語っている。自分たちはどこから来たか。何のために来たのか。適合子と――起源子。光と影の――パートナー。
 アレイルの脳裏にも、かすかな記憶の断片が掠めていた。初めに出てきたのは、やはり紫色のローブを着た人。ニコルからその姿になった――その人が、遠い記憶の中で語りかけていた。
『わたしたちが何のために来たのか。それは自然にわかる時が来ます』
『光と影のパートナーは、これからの長い年月の間、生まれ変わるたびに交差し続けるでしょう。最後の時まで』
『あなたは私の後継者。そしてあなたの光のパートナーは、私のパートナーの後継者……』
 別の人物の映像が浮かんできた。かすかな記憶の彼方から。淡い金色の髪、明るい青い瞳の――その人が誰であるかは、アレイルも知っていた。RAYのファイルで、ほんの二日ほど前に見た――守護者(ガーディアン)と呼ばれる人だ。その写真を初めて見た時、(この人はだれかに似ている。今は思い出せないが……)そんな意識が掠めたことも。
『僕がここに来た理由は言えない。本当だな、死んでも言えない』
『僕の星を探しているんだ。どこかにあるはずだって』
『発生が早いから進化が進んだ。それだけのことだよ。地球人だって、あと二億年もすれば、そのくらい進化するさ』
『それは最後の質問さ。でも、いずれわかるよ。あと四千年がたったら』
 遠くから――幾多の人生を経て、はるか深くに埋もれた記憶の底から、一つの認識がわきあがってきた。そうだ。僕は多くの人生を生きてきた。今まで。アディルアやアリストルが生きてきた人生の総数に比べたら、一万分の一にも満たないかもしれないけれど、それでも多くの人生を。あれは、あの次だ。昨夜見た、『すべての始まり』のシーン、あの神父さんと呼ばれていた男性の、その次の生。僕は――音楽家だった。そして、彼に出会った。起源の子――そして、世界の終わりを見た。さっきアディルが歌っていた歌に聞き覚えたあったのも、彼が歌っているのを、一度聞いたからだ。『天の母の祈り――』
「アーディス……アーディス・レイン……エアリィ?」
「うん。すごく久しぶり。また会えて、嬉しいわ、ジャスティン、じゃなくて、今はパパね」アディルアはちょっと肩をすくめ、笑った。
 エマラインの脳裏にも、光景が蘇ってきた。それは光色の髪に白く長いローブをつけた、神々しいばかりの人だった。
『あなたはもう、僕のお父さんじゃないの?』
 自分はそう問いかけた記憶がある。
『記憶は残っていますよ』その人はそう答えた。
『時が来たら、また会いましょう。遠い未来に。その時は父と子では、もうないですが。でも、あなたとわたしが今、親子の関係になったのは、偶然ではないのです。わたしはかつて遠い過去であなたの立場に生きていたし、あなたもまた遠い未来でわたしを生きることになるのですから』
「あなたは……守護者(ガーディアン)?」
 その認識が、すっと心に落ちてきた。
「その呼び方は、少し違和感だったわ。だから一度、抗議したんだけれど」
 アディルアは再び肩をすくめ、母を見上げた。
「見てはいたけれど、守っていたわけじゃないもの。そこまでの力はなかったから。守っていたのは御子で、わたしじゃない。わたしは基本、ただ見てただけ」
「遠くから見ていた……そうだったわ。『これから発展していく世界を御子の繭から見ていますよ』……そう言っていたわね」エマラインは微笑し、娘を見た。
「思い出したわ。そう、父と子では、たしかになかったわね。母と娘よ。おまけに、順序が逆ね」もう一つ思い出した言葉に、彼女は苦笑して付け加えた。
「それにあの時、言わなかった? アルフィアル・アルティスマイン・レフィアスさん――それが、あなたの真の名前と言っていたけれど――わたしはわたしのパートナーと結婚することになるのかって懸念したら、そんなことないって言ったでしょう」
「そんなことはないとは、言ってないわよ。考えない方がいいって言っただけ」
 アディルアはいたずらっぽく笑った。
「でもね、あの時にはイコールに思われることも、わかってたの。でも、その方がいいかなって思って。今は違和感なくても、あの時はあったんじゃないかなって。知らない方がいいことって、あるのだと思うわ。この最後の時だけは、元の性別がどうでも、夫婦という形で、その子供として生まれるパイロットの旅立ちを見送ることになるってことを」
 アディルアは再び小さく笑うと、そう言葉を継ぐ。
「あ、それとね。新世界初代大統領もわたしよ。こっちは分身で、ウエイト低いけれど」
「分身って、どういうこと?」エマラインは問い返した。
「入りきらなかったの。魂のすべては。因子が足らなくて。今なら入れるんだけど。全部入るには、最低でも九十パーセントの因子が必要だから。あの時は八五パーセントしかなかったから、理性部分を三分の二、落としたの。だからその落とした理性部分だけで、もう一回転生したのよ。わたしにとってのシャドウ、理性の分身ね。わたしはあまり理性的でも論理的でもないから、だからシャドウなの」
「ぼくはアディルより全然因子が足らなくて、ほんの一部しか入らなかったんだよ。いわゆるブルーブラッドにすらなれなかったから。今、やっと全部入ったんだ」
 アリストルは苦笑して、そう付け加えた。
「分けるってどういうこと? 魂を……二つに分けるの?」
「なんていうのかなぁ、生命のもとって、思ったより流動的だったりするの。増えたり、くっついたりもするの。水滴みたいに。じゃないと、人は増えたり減ったりするのに、困るじゃない。まあ、増える方は動物から進化してくるのもあるけれど、でもものすごく長い道よ。それで魂にも細胞と同じように核があって、分かれたら、核はどっちかに行って、もう一つはまっさらなの。わたしはね、前の生では起源子は核つきで、初代大統領の方は核なし。だからあっちの方の人生は長かったけれど、わたしにはあまりインパクト与えなかったの。元々シャドウだし」
「ぼくは両方とも核なしだったけど。因子が足りないせいで」
「だから変な形だったわよね。アリストの本体は、わたしと一緒に御子の繭にいて、いろいろ話したり見たりしてたんだから……残りの自分を」
「ある意味、すごく妙な気分だったね、あれは。それに最初の場合、生まれてすぐに身体が死んだっていうケースだったし。精神体だけ。ある意味、足慣らしにはちょうど良かったけれど」
「……因子っていうのは、その……PXLPという特殊DNAのことかい?」
 アレイルが聞いた。
「うん。それがアクウィーティア人由来の因子なんだ」アリストルは頷いた。
「正確には、アクウィーティア人だけじゃないんだけれど」と、アディルアが付け足す。
「その因子を伸ばす……起源子は地球にまかれた種で、そのために……文明の暴走をいったん白紙に戻すため、旧世界は滅びた……そう言っていたわね」
 エマラインは新たに浮かび上がってきた記憶を手繰りながら、言った。
「なんのために……そう、それが最後の答えなんだな」
 アレイルが言葉を引き取る。
「うん」子供たちは頷いた。

 晴れた日だった。海から来る風に吹かれて、無数の木の葉がこすれあう音がする。金色の木漏れ日が、ちらちらと影を作り、その下で思い思いに眠っているエミリア、アレン、セルスに降り注いでいた。彼らは楽しそうに笑みを浮かべている。彼らはある程度年齢がいっているだけに、今話している内容を不思議に思ってしまうだろう。記憶にも残してしまうだろう。だが、最後の瞬間まで愛する兄弟たちと一緒にいたいという彼らの願いを退け、四人だけで来るというのも、躊躇された。それゆえアディルアとアリストルは彼らを眠らせたのだ。今三人は夢の中で、アリストルとアディルアとの最後の楽しい記憶を追っている。そっと三人に手を触れたエマラインにも、そのことが感じられた。
 一歳になる末娘クローディア・ロゼッタは幼いので、会話を聞いていても理解できないだろうが、その彼女もまた歌を聴いている間に、眠ってしまっていた。アレイルがシャトルの中から持ってきたバスタオルを草の上に敷き、エマラインはその上に末娘を寝かせた。そして毛布を持ってきて、四人の子供たちの上からかけた。海にも日の光が反射して、きらきらと光っている。
「光の樹、大きくなったよね」
 アディルアが樹を見上げ、改めて感嘆したような声を出した。
「四千年以上たつんだもの。ぼくが植えたんだよ」
 アリストルが少し得意そうに言う。
「この樹は?」
 問いかけるエマラインに、アディルアが答えた。
「クィンヴァルスの神殿の回りに生えてたの。大気の構成と重力がほんの少し違うから、育つかなって思ったんだけど、育ってくれたのね」
「育つと思ったんだ。この樹は強いから。それに二十年は枯れないように、エネルギーを与えたんだよ」アリストルが樹を見上げた。
「あとは樹の力で、伸びていったのね」
 アディルアは伸び上がり、一番低い所にある木の葉に触ろうとした。しかし彼女には届かず、その小さな手は空をかすった。
「やっぱり、本当、大きくなってる。昔は届いたのに」
「昔って、四千年前じゃない。それに君は今より大きかったわけだし」
「ええ。そうだけれど、でもね、あの時わたし、ちょうど今のわたしくらいの年で、ちょうど同じくらいの背格好の時に、この木の下に立って、一番低い枝に手が届いたのよ。お母さんがステュアートのお継父さんと結婚する前に、お母さんと一緒にマインズデールのシスターのところへ行った時。そうよね、あれから四千年だから……あの時は島じゃなかったし。それだけの時がたったんだなぁって、ここへ来るといつも思うのよ」
「そうだね。君は特に、四千年のブランクがあったものね」
「でもアリストだって、実際ここに来たのって、つい最近でしょ」
「うん、そうだね。見てはいたけれどね」
「ああ、でも実がなってなくて、残念。食べたかったのに」
「十一月じゃない、なるのは。今は無理だよ。でも、去年来た時に、取ったよね」
 アリストルが肩をすくめる。
「うん。この実、おいしいのよ。わたしは大好き。でも、やっぱりパパやママが食べると、少ししびれるかしら」
「光の木の実……」
 深い記憶の地下水脈からわきあがってくる細い流れを感じ、アレイルは頷いた。
「たしかにあれは、しびれるね。一度……これをつけた水を飲んだことがある」
「でも、あの時ほどしびれないかも、今は。半分近くは、わたしたちの因子があるから」
 アディルアはちょっと笑っていた。
「じゃあ、この木の実を食べてしびれるのは、君たちのその因子、PXLPがないせいなのかい?」
「うん。この実は生体エネルギーが強すぎるから、その因子がないと、強烈過ぎるんだ」
 アリストルが頷いた。
「でも、あなたたちに届くの? どうやって取ったの?」
 エマラインが問いかける。
「うん。力を使って」
 アディルアは手を前に差し出した。木の上の方から鮮やかな青い色の花が落ちてきて、その手の上に止まる。
「あなたはやっぱり、念動能力も持っていたのね、アディル……」
 エマラインはささやくように言った。
 アディルアはその花を髪にさし、手を後ろに組んで、小さく笑っている。
「でもあまり力を見せるのは、よくないのよね。今の世界は。だから、みんながいるところでは、使わなかったの。それでね、パパ、ママ。アリストとわたしは去年の秋、この光の木の実を、うちのお庭に埋めたの。二個」
「うん。ぼく、ここへ来る前に見たんだけれど、二個とも芽を出してたよ。だから光の木もね、地球でまた増えていけると思う。ぼくらと同じように」アリストルが付け加える。
「あなたたちの木ね……」エマラインが少しかすれた声を出した。
「小さな木の苗が二本、芽を出していたのは、わたしも気がついていたわ」
「そうか……大事に育てて行くよ、これからも」
 アレイルも二人を見つめながら、頷く。
「地球とクィンヴァルスは、春と秋の環境だけは似ているから、きっと育ってくれると思うわ」アディルアが安心したような表情で、微笑んだ。
「クィンヴァルスというのは……君たちが地球に転生する前に住んでいたところ……だね」アレイルが問いかけた。
「そして、君たちの真の名前は、アディルアは……アルフィアル・アルティスマイン・レフィアス。アリストルは……アヴァルディア……アーヴィルヴァイン・セルートなんだ」
「うん。でもパパとママが付けてくれた名前も、気に入ってるのよ」
アディルアは笑って言った。
「わたしの適合子の頃の名前は、アルディーナだったの。なんとなく似てるのね」
「起源子はアーディスだったしね。どこか似るね」アリストルも肩をすくめる。
「うん。あれはアグレイアお母さんの記憶にあいまいだけれど、少しだけ伝わっていたから、そうなったのよね。レーヌは完全に余計だったけど。あなたの場合は?」
「ばらばら、まあ、良いよ。僕は影だし、適合子でも起源子でもないから。サポート役で。その方が、性にはあっていたけれど」
 アリストルはちょっと苦笑して笑っている。
 そんな二人を見つめるアレイルとエマラインは、我が子であり、七歳の子供であると同時に、地球上の誰よりも果てしなく長い歴史と、深く、純化した魂を持つであろう双子に対し、愛おしさと同時に奇妙な畏怖の感覚を感じた。そして、アレイルは気づいた。この子たちが宿った時感じた思い、この子たちの運命を知った時に感じた思いは――奇妙な恐れと畏怖に似た思いは――それなのだ。そしてこの先に待っている、四人を包括する運命と最後の答えのためなのだと。




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