Part 7 of the Sacred Mother's Ring - A Path to the Light

第3章 流れの出会う時(6)




「私の罪の結果に直面する時が、とうとう来てしまいそうよ」
 その夜、勤務から帰った夫が夕食を済ますのを待って、ヘレナはそう告げた。
「……どういうことだ?」
 ジャックは一瞬怪訝そうにしたが、すぐに悟って頷いた。
「そうか……兆候が現われ始めたんだな」
「ええ」へレナが頷く。
「調べたとおりだったわ。今日、遊びに来たのはアレンとセルスだけで、二人は言ったのよ。双子たちは眠り病にかかったみたいだって。あの体質がKT−エルヴィオンに感染すると、臨界を越えるまで、感染期間の九五パーセントは無症状だけれど、最後になって過眠傾向が現れるって、RAYの資料に書いてあったわ。アレンとセルスの話だと、アディルとアリストは二週間ほど前から寝坊するようになって、それもだんだん時間が延びていって、昨日は十六時になって、やっと起きてきたそうよ。いつも二一時には眠っているのに。だから今週は、学校へまったく行けていないんですって」
「そうか……」ジャックは重い表情で頷いた。
「……間違いだったら良いと、いつも思っていたわ。虫のいい話だって、わかっていたけれど……毎週二人の元気な姿を見ているだけに……」
 へレナの声は、少し割れたように響いた。「アーサーも、二人が来なくて、がっかりしているようなの。そう……あの子たちが遊びに来ている時、見ていると……アーサーは特に、アディルが気に入っているみたいなのね。とても仲が良いのよ。大きくなったらお嫁さんにしたいなんて、先月アーサーが少し照れたように言っていたくらいだから」
「ハハ……ませてるな、うちの坊主は。まだ十歳にもならないうちに、もう将来の許婚を決めようってのか?」ジャックは引きつったような、乾いた笑いを漏らした。
「だが、あの娘は今でも、あれだけかわいいんだ。大きくなったとしたら、とんでもない美人になって、うちのなんて振られるだろうな……」そして、咽んで言葉を止める。
「残酷ね……本当に……」へレナは涙を拭った。

 翌週の訪問も、二人だけだった。
「アディルとアリストは、まだ眠り病なの?」
 アーサーはがっかりしたように、心配げに聞いた。
「うん。前よりひどくなっちゃって」アレンは頭を振り、
「そう、昨日なんて、目が覚めたの、朝なんだよ。あ、って言っても、前の前の晩に寝てるんだよ。丸一日すっ飛ばしてるんだ。でもだから、昨日は久しぶりに一緒に学校へ行けたけど、午後になったら、二人とも机に突っ伏して寝ちゃって。どうしても起きないから、パパが迎えに来たんだ。昨日は家で仕事だったから。明日にならないと、二人は起きないんじゃないかな」セルスが髪に手を突っ込み、かきむしりながらそう付け加えた。
 二人もやはり弟妹の異変に心を痛めているようで、心配そうな表情をし、いつもより活力が減っているようだった。帰り際、二人は告げた。
「あ、それでね、昨日アディルとアリストが起きてた時、伝えてくれって頼まれたんだ。たぶん今日も来れないからって」
「そう。うん、何を?」
「来週、二人の七歳の誕生日だから、絶対来てって。その時には起きてるからって」
「ああ、そうだね! うん、絶対行くよ!」
 アーサーは顔を輝かせて答えた。
「それで、小父さんと小母さんにも、一緒に来て欲しいって」
 アレンはアーサーの後ろに控えているヘレナに向かって、そう付け加えた。
「私たちも?」へレナははっとしたように青ざめ、息をのんだ。
「うん」
「あなたたちのお父さんお母さんは、それでもいいって?」
「いいって。ママはアディルとアリストが、そう言うならって。パパはぜひ来て、見て欲しいって言ってた」セルスが頷きながら、そう答えた。
「……わかったわ。伺うわ。何時から?」
 ヘレナは我知らずアーサーを背後から抱きかかえながら、青ざめた顔のまま頷いた。
「夕方からだよ。十六時くらいから」アレンが答える。
「プレゼント、何を持っていこうかな」
 何も知らないアーサーが嬉しそうに言うのを、ヘレナは鉛のような心で聞いた。

 ローゼンスタイナー家のリビングに足を踏み入れるのは、ヘレナとジャックにとっては二年半ぶりだった。その間にも子供たちの交流は続いていたので、アーサーはこの家に呼ばれることが何度かあり、その時には迎えに行ったのだが、いつも玄関先で引き取るだけで、中には入らなかった。エマラインは玄関先にすら出てこなかった。しかしこの時には、アリストルとアディルアに引っ張られて、スウィート家の三人を出迎えた。エマラインはアーサーには笑顔を向けたが、夫妻に笑顔を作ることは出来なかったようだ。
「いらっしゃい」エマラインは言葉少なに、それだけ答えた。
「わあ、やっと起きてるアディルとアリストに会えた。先週も先々週も来てくれなかったから、寂しかったよ。お誕生日、おめでとう!」
 アーサーは嬉しそうに双子たちに向かって声を上げている。
「うん。ありがとう。行けなくて、ごめんね」
 アディルアは両手を後ろに組んで笑い
「ありがとう」アリストルは微笑んで、それだけ言った。
 二人は共に白いブラウスを着ていた。基本的には同じデザインだが、アリストルの方はシンプルな襟とカフスで、アディルアのものにはレースがついている。アリストルはサスペンダーのついた深緑色の半ズボンに、小さな蝶ネクタイをつけ、アディルアはやはりサスペンダーつきで、フリルのたくさん入ったピンクのスカートを着ている。おそろいの白い靴下に、白い靴。いずれも、エマラインが新調してやったものだった。アディルアは豊かな金髪にピンクのリボンを飾っていた。
 二人は楽しげに、お客様たちの間を飛び回った。まだ生まれて一ヶ月のパリスのかごを覗き込み、あやしてやったあと、ロリィの手を取り、アーサーの手も取って、兄弟たちを含め、みなで遊び興じている。その姿は楽しそうでもあり、その最後の楽しさをいとおしんでいる様でもあった。
 宴の最後の方になって、ソファに座ったアーサーの元に、アディルアが駆け寄ってきた。
「アーサー、新しいぬいぐるみキット、かわいいね。ありがとう」
「うん。気に入ってくれたら嬉しいな。作ったら、見せてね」
「うん……できれば、ね」アディルアは少しためらいがちに頷き、
「あ、もちろん、病気が治ってからで良いよ」と、アーサーが笑って言う。
 そして彼は続けた。「病気って、いやだよね。ぼくも自分が病気だったから、わかるんだ。今も毎月最初の一週間は、毎日注射が必要なんだよ。でもこのお薬のおかげで、普段元気でいられるんだから。そうでなかったら、ぼくは今頃死んでいたんだって。だから、本当に良かったって思うんだ。今、元気でいられて。君たちの病気も、早く治るといいね」
 アディルアはそれには答えず、ただニコっと笑って、再びアーサーを見上げた。
「本当に、元気になれたら良いね。お注射も必要ないくらい」
「うん。でも、それは出来ないんだって。今元気だから、ぜーたくは言えないよ」
 アーサーは肩をすくめる。
「元気になれる、お祈りさせてくれる?」アディルアはそう続けた。
「お祈り?」
「うん」
「いいよ」
「じゃ、立ってくれる?」
「こう?」
「うん。でも、ちょっとわたしが届かないなぁ。なんか踏み台っと……」
 アディルアは周りを見、ソファの足台に目を止めると、それを持ってきた。アーサーの前にそれを据付け、自分はその上に乗ると、両手を広げて、アーサーを抱きしめるような形になった。アーサーは思わず真っ赤になり、セルスは「わー、ラヴシーンみたい!」と声を上げた。それに抗議するように、アディルアは言い返していた。
「茶化さないでよ、セルスお兄ちゃん。わたし、真剣なんだから」
「ごめん〜。でも、それ何のお祈り?」
「えーとね、元気を上げる、のお祈り」
 彼女はその頭をアーサーの胸にくっつけるようにして、身体を密着させた。目を閉じ、じっとそのままの姿勢を保ち続けた。その手はアーサーの背中の真ん中あたりを、ゆっくりと撫でていく。徐々にその身体から淡い金色がかった銀の光が発せられ、二人を包み込んでいくように見えた。
 興味を覚えて見守っていたその場の全員が、息をのんだ。
「……もしかして、これって……」
 シェリーが手を口に当て、言葉を飲み込んだ。
「マジでか……そういえば、おまえが治療した時の感じに、似てるよな」
 リンツは固唾を飲み込みながら、言う。
 数分たった後、アディルアは身体を離した。後ろへ下がると、ふらりとソファに倒れこむ。エマラインは慌てて駆け寄り、娘を抱き起こした。
「大丈夫、ママ。ちょっとふらふらしただけ」
「無理しないで、アディル。あなたはそれでなくても……」
 言いかける母親をさえぎって、娘は笑身を浮かべ、小さく頭を振った。
「今しか出来ないの。だって、たぶん……」
 たぶんみなに会えるのは、もう最後だから――娘が言おうとして止めた言葉を、しかしエマラインは明白にわかってしまった。彼女はわっと泣き出したい激しい衝動を感じたが、ありったけの意志を奮い起こして堪えた。この子たちの最後の誕生日パーティを、涙で終わらせたくはない、と。

 パーティが終わって、帰り支度をするスウィート夫妻に向かって、アレイルは言葉をかけた。「明日……いや、時間ができたらでいいけれど、アーサーを病院に連れて行って、もう一度検査をしてみて欲しいんだ。きっと、もう薬は必要ないよ」
「治っているのか、本当に……」ジャックがかすれた声で聞き返す。
「アディルアは治療能力も持っているんだ。この冬には、ローディアの病気を治した。あの娘は、最後にアーサーの病気も治したんだ」
「……なんていうこと……なんでしょう」
 へレナは嗚咽をこらえるようにして、呟いた。
「それだったら……それだったら、私のやったことは……まったく無駄だったのね。単にあの子たちの……人生を奪ってしまっただけ。なんていうことでしょう……」
「いや、そんなことはないよ」アレイルは首を振った。
「あの薬は、同じ病気で苦しむ他の人たちを助けるだろう。それに、アディルの力がアーサーの病気を完治できるくらいに高まったのは、エルヴィオンが感染して身体が壊れる寸前の、今の状態だからこそだ」
「うん。パパの言うとおりだよ」
 アリストルがその傍らに出てきて夫妻を見上げ、言った。その緑色の目には、子供らしからぬ光が湛えられていた。「アディルは今の状態じゃないと、アーサーを治せるパワーは出せないんだ。肉体の枷が外れそうな今じゃないと。それにね……小母さん、小父さん、気にしないで。小母さんたちが悪いわけじゃない。誰も悪くない。ぼくたちはそういう風に生まれたんだ。そうなるしかなかったし、それがぼくらの運命だったんだ。小母さんたちは、運命の手先に利用されただけだよ」
「……ありがとうよ。小さな哲学者くん」
 夫妻はしばらく沈黙し、目の前の子供を見つめていたが、やがてジャックが手を伸ばして、そのさらさらした栗色の髪に触れ、軽くなでながら、そう呟いた。二人の頬には涙が流れていた。
「僕もアリストの言うことは、本当だと思う。だから、あなたたちを責めない。理性の上では」アレイルは息子の肩に手を置き、夫妻をまっすぐに見て、言葉を続けた。
「ただ、感情の上では、僕らは今、嵐の中にあると言っていい。もう……別れが近いから。今はそれだけしか考えられない。エマラインは、なおさらそうだ。だから元通り付き合えるようになるまでには、もう少し時間をくれないか」
「ああ、わかっている……俺たちがどうこう言えるものじゃない。それに、罪は罪だ。おまえさんたちが俺たちに償いをさせてくれるというなら、どんなことでもする。それだけは覚えておいてくれ」ジャックは言い、ヘレナは泣きながら頷く。
 やがてアーサーが、他の子たちと一緒に玄関にやってくる気配がした。ジャックは妻を軽く突付いた。「泣くな。泣いたら、子供たちに変に思われる。家に帰って、アーサーが寝たら、思い切り泣くといい」
「ええ……」ヘレナは涙を懸命に飲みこんでいるようだった。
「今日はどうもありがとう。さよなら!」
 一緒に玄関に出てきたアディルアは快活に言い、大きく手を振った。
「さよなら」アリストルもいくぶん小さめの口調で、控えめに手を振っている。
「うん! 今日はおめでとう! お招き、ありがとう。またね!」
 アーサーも手を振り、振り返り振り返りしながら、両親とともに帰っていった。

 二人はスタインバーク家の面々が帰る時にも、同じように言った。
「今日はどうもありがとう。リンツおにいちゃん、シェリーおねえちゃん、ミルトおにいちゃん。さよなら」
「うん、さよなら」
「さよなら、かよ。切ないな。いつものように、またね、って言ってくれよ」
 リンツは片手に眠ってしまったロリィを抱き、空いた方の手で目をこすっていた。二人はただ両手を後ろに組み、ちょっと困ったように微笑しただけだった。
 ミルトは二人に屈みこみ、両手を伸ばして髪に触れ、それからそれぞれの手をとった。
「君たちのことは、絶対忘れないよ。また来るから」
「うん、ありがとう」二人は小さく頷く。
 シェリーはパリスを抱きかかえたまま、堪えきれずに泣いてしまい、言葉にならないようだった。片方の手を差し伸べ、二人に触れると、ようやく言う。
「また会いに来るわ。これで終わりじゃないわよね……」
「うん。あともう一回だけ、起きるから。その時にきてくれれば、会えるわ。シェリーおねえちゃんやミルトおにいちゃんには。でもその後は、もう起きてないかも……」
 アディルアの言葉に、シェリーは泣き笑いをしながら、断固とした口調で応えた。
「行くわ。絶対に。それからも、行くわよ。あなたたちが眠っていても、ずっとね」
「うん。ありがとう」アディルアとアリストルは小さく笑って頷いた。

 お客様たちがすべて帰ってしまうと、二人は眠くなってしまったようだった。エマラインが手伝って寝間着に着替えさせ、寝室へと連れて行く。その後姿を見送りながら、セルスがポツリと呟いた。
「今度はいつ起きてくるのかな、アディルとアリスト……」
「今日のお昼に起きるまで、三日寝てたから……今度はもっとかもね」
 アレンも考えこんでいるような表情で、首を傾げている。
「一週間先になるだろうね」
 アレイルが息子たちの肩に手をかけながら、答えた。
「そんなに?」二人は驚いた声を出す。
「ねえ、パパ……いったい、アディルとアリストはどうなっちゃうの? 眠り病って何? 治るの? あたし、ずっと気になっていたのよ」
 エミリアが真剣な顔でそう問いかけた。
「おまえたちにも、話しておいたほうがいいかもしれないな。座りなさい」
 アレイルは三人の子供たちを促してソファに座らせたあと、続けた。
「アディルとアリストは、特殊な病気にかかってしまったんだ。治す方法はないんだよ。今度目が覚めたら、たぶん何時間かは起きている。でもそれが、最後になるだろうと思う」
「最後って……?」
「もう目が覚めない」
「眠り続けるの、ずっと?」
 エミリアは口に手をあて、青ざめながら問いかけた。
「いや……たぶんそのまま……」
 アレイルは静かに首を振った。
「嘘……」エミリアの顔はさらに色を失い、固まったように絶句していた。
「死ぬって……こと?」
 アレンとセルスは同時にそう呟くような声を出し、同じように青ざめている。
「なぜ? どうしてなの? 二人とも元気じゃない!? 最近寝すぎる以外は! 信じられない!」エミリアがこらえきれないように激しく声を上げた。
「まだあたし、何にもしてあげてないのに。これから、いろいろ一緒にやりたいこと、いっぱいあったのに! 信じられない!!」
 部屋に戻ってきたエマラインも、娘の嘆きを聞いだのだろう。子供たちに駆け寄り、三人を同時に抱きしめると、泣き出した。子供たちも、咳を切ったように泣き始めている。
 重苦しい時間が過ぎ、みなの嘆きの発作が鎮まると、子供たちはそれぞれの部屋へ引き取っていった。エミリアは「あたし、今日はとても眠れそうにないわ」と、部屋に入る際に宣言し、セルスはベッドに入る時、兄に言った。
「ねえ、これが全部夢だったら良いね。起きたら……」
「うん」アレンは頷いて、毛布を引っかぶっていた。

 翌日、アレイルは仕事場のデスクに座り、作業用端末の電源を入れた。そこから必要な操作をすると、一連のファイルにたどり着いた。
『RAYのデータベースに残されていた、NA一二〇〇年以前の資料はこれだけです。ことにNA四三三年以前のファイルは、その時に選択され、編纂されて残されたファイル以外、消去されたようです。完全消去ではないので、復元は可能なのですが、復元プログラムはRAYのデータベース内にあり、ロックがかかっていて、あと十年たたないとそれを外すことはできないので、今はアクセスできません』
 PAXの音声を聞きながら、アレイルは「ああ、わかった」と声に出して頷いた。端末の上端についたカメラによって、こちらの動作は認識されているだろうが。このカメラはソーンフィールド以降の世界連邦でもついていたが、インタラクティヴ、つまり教育カリキュラムなど双方向でやり取りが行われている時以外、その映像は届かないようになっていた。これも、ピエール・ラインディスが組んだオリジナルプログラムの干渉による結果で、それは今でも変わっていないようだ。
 仕事はこれから二週間、休暇を申請してあった。数年前から、夏季期間の任意の二週間、連続休暇を取れる法律が定められていたので、少々時期は早いが、休暇が認められたのだ。この時期、アレイルは仕事をする気にはなれなかった。上の三人は、今日は登校日で学校に行っているが、むしろ家にいるより、彼らにとって気が紛れるだろうと思える。エマラインは子供たちを送り出し、クローディアの食事の世話をしてやってから、赤ん坊を抱いたまま、夫の隣に椅子を持ってきて座った。
「ファイルが開いたのね」エマラインは乾いた声で言った。
「昔の記録、興味があったわ。でも今は、ちっとも気分が晴れない。あまり読みたい気もしなくなっているの」
「僕もそうだよ。でもね、今、読まなきゃいけないような気がしているんだ。君もそうなんだろう?」
「ええ……だから、ここに来たの」
 二人はファイルの内容を、一つずつ読んでいった。NA一二〇〇年から、ゆっくりと時代を遡って。しかし過去のファイルが大幅に編纂されたというNA四三三年までのファイルには、特に大きな興味は覚えなかった。ことに、家族共通の大きな悲しみに支配されている今は。ファイルに記された文は、頭の中をすっと通り抜けていくようだったが、特にこの時代はそれでも構わないのだろう、そんな気もした。
 子供たちの世話や家事の合間に、それでも夫妻は古い記録を読み続けた。その四日目に、NA四三三年にアンソニー・ローリングスなる人物によって編纂された、『新世界黎明期について』というファイルにたどり着いた。翌日から、さらにNA二五二年にラリー・ゴールドマンという人物によって編纂された、旧世界と新世界伝説に関するファイルを閲覧した。そこに残されていた音源ファイルも聞いた。

「興味深い……話だった」
 アレイルは六日目の夜、コンピュータのセッションを閉じながら、深い吐息をついた。
「ええ……」エマラインも頷く。
「古い音楽のオリジナルも聞けたわね。ものすごい衝撃だったわ、たしかに」
「ああ。あの二人も――四十世紀の音楽家の――このファイルを聞いたんだろうね。たぶん、同じものを」
「そう……なの? あなたはそう感じる?」
「ああ」
「それなら、そうなのでしょうね、きっと。それに、いつか夢で見た宇宙船の話も載っていたわね」
「かなりの省略版だけれどね」
 アレイルは軽く首を振り、肩をすくめた。しばらく間を置き、言葉を継ぐ。
「でも……僕は、もう少し違う反応を予想していたんだ。もっと内側から揺さぶられるような衝撃を受けると思っていた。いや、音楽はたしかにそんな感じだったけれど、あれは感動のせいだ。そうじゃなくて……純粋な衝撃、精神への衝撃を受けて、もっと何かがわかると思っていた。知りたかったこと、隠されていたこと……たしかに、事実は興味深かった。でも、それだけだ。僕の内部に波紋は広がらない。知識も降りてこない。ただ事実の積み重ねとして、認識されただけだった」
「どういうこと?」エマラインは言いかけ、ついで彼の当惑を感じ取ったようだった。
「……もっと明白にわかると思っていたのね。過去のファイルが開けば。でも、何がわかると思っていたの?」
「あの子たちが君の中に宿った時感じた思いから、今感じている漠然とした予感の正体が、過去のファイルを読めば、知識として降りてくると思っていたんだ。さもなければ、もう少しはっきりつながるんじゃないかってね。僕も何か、よくはわからない。ただ、たしかにあの子たちの言うように、これはすべて大きな運命の中の何かに、動かされた結果なんだろう。アディルもアリストも、君も僕も……そう、そんな気は、はっきり感じるんだ。世界連邦解放が、ピエール・ランディスの、マリア・ローゼンスタイナーの書いた大きなシナリオなのだとしたら、それからの僕たちも、誰かのシナリオどおりに生きてきたのかもしれない。ヘレナとアーサーのことも……だけど、誰のシナリオなのか、それがどういうものなのか……もう少しわかると思っていたんだ」
「……知識は降りなかったのね、今回は」
「ああ……」アレイルは深い吐息をついた後、キャビネットの時計に目をやった。二三時一五分と表示されている。
「今日はもう寝よう。明日になれば、あの子たちが目を覚ます。おそらく、最後の……」
「明日はエミリアたちも登校日なんだけれど、アディルとアリストが起きる最後の日なら、学校は休むって言い張っているわ。休ませても良いわよね」
「ああ。それからシェリーとミルトにも連絡しなければ」
「何時ごろになると思う?」
「……午後じゃないかな。はっきり時間まではわからない」
 二人は押し黙ったまま、ベッドに入って灯りを消した。その時、遅れて啓示が降りてきた。
 明日になれば、きっとすべてがわかる、と。




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