Part 7 of the Sacred Mother's Ring - A Path to the Light

第3章 流れの出会う時(4)




 アーヴィング・アンダーソンはコンピュータに向かって、文字を打ち込んでいた。エスポワール一三号の旅立ちを見送った翌日、新世界第三代大統領、ジェラルド・ローリングス・シンクレアがこの事件の記録をまとめるよう、アーヴィングに伝えてきたのだった。
「このレコーダーに、実際の会話が入っている。草稿が出来たら、私に送ってくれ。実際にデータベースに入れるのは、私とジョーンズでやるから」
「わかりました。でも、どの程度詳しく記すればいいのでしょうか」
「そうだな……あまり詳細に渡る必要はないだろう。一万語くらいでまとめてくれないか」
「承知しました」
 アーヴィングは頷き、その夜から仕事にかかっていたのだ。
「おつかれさま、アーヴィング。コーヒー、いれてきたよ」
 アラン・タッカーが湯気の立つ白いマグカップを両手に持って、部屋に入ってきた。
「ああ、ありがとう、アラン」
 アーヴィングはカップを一つ受け取り、一口すすってから、デスクの傍らに置いた。
「記録は進んでいるかい?」
「ああ、もうほとんど終わりだ。今、書き終わる……」
 アーヴィングはひとしきりキーを打ってから、髪をかき上げた。椅子の背に寄りかかり、カップを手にとって、もう少しコーヒーを飲む。
「こんな感じでどうだい、アラン?」
「良いんじゃないかな」
 若者はスクリーンに書かれたものにざっと目を通し、頷いた。自分のカップに口をつけながら、言葉を継ぐ。「まあ、実際この通りが記録に載るわけじゃないんだろうけれど。大統領とジョーンズさんが、最終的に編集されるんだろうから」
「そうだろうな。あまりにまずければ、書き直し命令が来るだろう」
 アーヴィングは肩をすくめた。
「会話記録は聞いていないのかい?」
 アランは傍らにおいてある、口の開きかけた黒いバッグの底にレコーダーが入ったままなのを見て、少し驚いたようにそう聞いた。
「必要ないよ。話はすべて頭の中に入っている」
「アーヴィングは頭が良いな」
「そういうわけじゃないさ。ただ、不思議な感じがするんだ」
 アーヴィングは肩をすくめた。
「不思議な感じって?」
「いや……」アーヴィングはかすかに首をかしげ、片頬を指でこすった。
「なんだか書いているうちに、以前にも同じ話を聞いたような気がしてきたんだ」
「同じ話って?」
「これとまったく同じような記録を……いや、これほど詳しくはない、概略版のような感じだけれど、どこかで読んだことがあるような」
「まったく同じ話をかい? 旧世界にも、似たような話が起こったとでも? こんなとんでもないことが二度も起こるとは考えにくいんだけど。それにそんな文献、あったかい?」
「いや、ないと思う。違うんだ。話はまったく……この話そのものなんだ。その話の記録を読んだ……いや、聞いたのかな。今、それを実体験した。そんな気分が、少ししてきてしまってね。それもあるんだろうな、記録するのに、まるで苦労もせずに、頭の中からすらすらと言葉が出てくるようだった」
「ふうん……デジャ・ヴってやつ?」
 アランはカップの中身を一口すすってから、いぶかしげに首を傾げる。
「ああ……たぶん」アーヴィングは頷いた。
「でも、どこで聞いた記憶があるんだい?」
「それがわからないんだ。ぼんやりとした、遠い、思い出せないくらい遠い記憶のような気がする」
「子供の頃?」
「いや、それよりも遠いような」
「子供の頃より遠ければ、なんだい? 赤ん坊の頃の記憶かい? でもいくらなんでも、赤ん坊にこんな難しい話はしないだろうに」
「そうだろうな」アーヴィングはかすかに笑った。
「それに記憶っていうのは、過去のものじゃないのかい? 未来に起きることが過去に記録されているって、普通はありえない。未来の記憶って、変じゃないか?」
「そうだろうな。僕の思い違いかもしれないが……」
 アーヴィングは再び苦笑を浮かべ、頷いている。
 しばらく二人は沈黙していたが、やがてアランが首を振って笑みを浮かべた。
「それまとめたら、今日の仕事は終わりだろ? 姉さんがちょっと報告したいことがあるんだって」
「ああ、わかった。良い知らせだといいな」
「いい知らせだと思うよ」アランはぱちっと目配せする。
 アーヴィング・アンダーソンは半年前に、アラン・タッカーの姉、エレーンと結婚していたのだ。アーヴィングは記録を終わると、大統領に向けて内容を送信し、コンピュータのセッションと閉じた。そして義弟と連れ立って、部屋を出た。

 アレイルは、眠りから覚めた。一瞬遅れて、エマラインも目を開けた。二人は顔を見合わせた。
「長い夢だったね……」
「ええ。それに、凄い夢だったわ。未来と過去がクロスするなんて……本当にあったのかしら」
「あったんだと思うよ。新世界の初期に。僕らは見ることが出来ないけれど、RAYのデータベースの奥深くに、記録は眠っているんだと思う。あの人たちの出発までは、封印されたままだろうけれど」
「そうなの……」
 エマラインは頷いた。夜中の三時近くだった。傍らのコットの中で、赤ん坊のクローディア・ロゼッタがもじもじと身体を動かし、むずがりはじめている。エマラインはベッドを出て、娘を抱き上げた。そろそろ授乳の時間だ。エマラインに残っている力は、言葉で訴えることが出来ない赤ん坊の気持ちを、感じ取ることが出来た。オムツは汚れていない。おなかは空いている――軽くその小さな背中をさすり、片方の乳を含ませてから、娘を抱いたまま、彼女は夫に向き直った。
「あの……夢に出てきた女性。エミリアさんっていう、うちの子と同じ名前の……あの人は、あなたと同じような力を持っている人みたいね」
「そうだね。厳密に言えば、昔は僕も持っていた力だけれど」
 アレイルはベッドに寝たまま、腕を頭の下に組んで目だけを動かし、頷いた。
「不思議ね。わたしたちも能力者なのだから、不思議はないのかもしれないけれど、遠い未来にも……千年以上先にも、同じ能力者が生まれていたなんて。その人は宇宙船に乗って、地球以外の星を目指していく、なんて」
「しかもその船が遭難して、異星人と出会って、その助けを借りて戻って来たら、五千年前の地球だったなんてね」
「あの話が事実だとしたら、九八人の乗組員は、あの時代に留まったのよね。過去からもう一度やり直す、っていうのも、なんだか凄く変な気がするわ」
「ああ。普通はタブーだろうね」
「今は、三十世紀以前の記録にはアクセスできないけれど……いつか出来るのかしら。その時に、この記録も見られるのかしら」
「時期が来たら……今は、そんな感じがしているよ。時期が来たら、たぶん見られるんだろうな」
「そうなの。良かった。そうしたら、確かめてみたいわ。それに、あの音楽のオリジナルも聞いてみたい」
「そうだね……」
 お腹が満ち足りたクローディアは、再び眠ってしまっていた。エマラインはしばらく軽く背中をさすりながら、そのまま抱いていた後、そっと赤ん坊をコットに寝かせた。そして、ベッドに戻る前に、カーテンを少し開けて外の景色を見た。夜の静寂、広がる星空も、彼女の愛するものの一つだった。
 その時、彼女の目は庭の中に佇む、二つの小さな人影を捕らえた。
「あら!」エマラインは思わず小さく声を上げた。
「どうしたんだい?」アレイルは半ば身を起こして問いかける。
「あの子たち、どうして庭にいるの?」
「え?」
 庭の真ん中に、アリストルとアディルアがいた。二人は手をつないで、庭の中に入ってきたところらしかった。月光を浴びて、アディルアの髪が少し銀色に光っている。二人とも、寝間着のままだった。
 エマラインは階段を駆け下り、玄関へ走った。中からロックされている。一瞬、この状態でどうして二人が外へ出られたのかと不思議に思ったが、すぐに納得した。アディルアは瞬間移動能力者だ。きっと今度はアリストルも一緒に連れて、力を使って家の外へ出たのだろう。しかし、こんな真夜中に――。
「アディル! アリスト!」
 エマラインは庭へ出て、二人に駆け寄った。
「どうしたの? こんな夜中に? どうしてお外にいるの?!」
「ごめんなさい、ママ」
 アディルアは、少し申し訳なさそうにうつむいた。
「怒っているわけじゃないのよ」エマラインは二人を抱きしめた。
「ただ心配しているだけなの。こんな夜中に、しかもこんな寒い夜に、寝間着のまま外へ出たら、風邪をひいてしまうかもしれないじゃない。どうして外へ出たの?」
「お星さまが見たかったの」アディルアは母を見上げ、答えた。
「お星さま?」
「うん」二人は頷き、空を見上げた。
「だったら、寝る前に見ましょうよ」エマラインは微かに苦笑する。
「うん。でも夢で見たの。そうしたら、急に見たくなって」
「それに、行きたい場所もあったんだ」
 アリストルがまじめな顔で付け加えた。
「でも部屋に帰ってくるはずだったのに、ちょっと目標がずれちゃった」
 アディルアは手を後ろに組みながら、少しきまり悪そうな表情をした。
「壁にめり込まなくて、良かったね」アリストルが少し笑って言う。
「そんなへまはしないわ」アディルアも小さく笑い声を上げた。
「でも庭に出て、ママに見つかったのは失敗だよ」
「そうね。すぐお部屋の中に戻ればよかった。でも、ここの空もきれいだったから。星は少ないけど」
「まあ、何でも良いけれどね、あなたたち」エマラインは安堵のため息をついた。
「お願いだから、夜中に出歩くのは、やめてちょうだい。あなたたちは、まだ六歳の子供なのよ。ベッドで眠っていなければならない時間よ」
「そう。大人だってこんな時間には、めったに起きていないぞ」
 アレイルも外へ出てきて、二人に身をかがめた。
「ごめんなさい、パパ、ママ」二人は神妙な顔つきで謝った。
「あなたたち、まだやる気でいるわね。ママにはわかるわよ。今度は見つからないようにしよう。そう思ったでしょう」エマラインは少し怖い顔を作った。
「うん……ママにはわかっちゃうのね」
 アディルアはうつむき、次いで両親を見上げた。両手を胸の前に組んで、訴えるように言う。「でも、わたしたちは、時々そうしなきゃならないの。とってもそうしたいの。じゃないと、落ち着かないんだもん」
「パパやママには心配かけないから。お願い」アリストルも真剣な顔で訴えた。
「やれやれ。どうしてそんなに、おまえたちは夜中に星が見たいんだい?」
 アレイルが問いかけた。
「うーん」二人は顔を見合わせ、しばらく黙った後、答えた。
「懐かしい気持ちになるから」アリストルはそう答え
「それとね、わたしたちの星を見つけたいの」アディルアが付け加えた。
「あなたたちの星?」エマラインが少し訝しげに問い返す。
「どういう意味だい?」アレイルも問いかけた。
 アディルアとアリストルは顔を見合わせ、首を振った。
「今は言えない。でも、どこかにあるの。わたしたちの星が」
「うん。それをさがしているんだ」

「自分の星を見つけるなんて、何かのお話で読んだのかしら」
 エマラインはもう一度ベッドに入る前に、夫に向かって問いかけた。双子を自室に帰し、もう一度眠るのを見届けた後のことだった。
「ああ……」アレイルはベッドに横たわり、天井を見つめたままそう返事した。
「どうしたの?」
「いや……あの夢の中で、アーヴィングさんという人が言っていたこと……どこかで聞いたことがある……アランさんという若い人も言っていたこと。デジャ・ヴ……そんな感じが、僕も強くしたんだ」
「どこかで聞いたことがあるって、なにが?」
「アディルが言ったことだよ。わたしたちの星を探している。どこかにあるはずだって」
「えっ? じゃあ、やっぱり何かの元があるのね。あの子たちが、ああ言い出したのって」
「いや、子供用のプログラムとか、お話じゃないと思うんだ。そうだ。昔、ニコルが夢の中で言っていたことだ。でもその時も、同じ感じだった……本当に、遠いかすかな記憶をかきたてられたみたいな。昔、誰かがそう言っていた。本当に遠い昔に」
「いつ? 子供の頃?」
「じゃなくて、もっと昔のような」
「子供の頃より昔って言ったら、赤ん坊……? あら、いやね、まるで夢の中の会話そのものだわ」エマラインは思わず小さな声を上げて笑った。
「そうだね。あの時のアーヴィングさんの感情も、まったく同じようだったよ。僕はあの人に同化していたから」
「わたしはアランさんのほうよ。不思議ね。同じ夢の場面なのに、あなたとわたしで、別々の人に感情移入しているのは」
「そうだね」アレイルは肩肘をついて身を起こし、妻に向き直った。
「ねえ、君は不思議に思うことはないかい? あの例の夢……グレン市長とその弟の夢から、今の宇宙船の夢まで……君と僕が同時に見る夢には、何か意味があるんだろうか?」
「意味って……不思議だけれど、わからないわ。夢に理由をつけるのも、よくわからないし。ただ、わたしは時々あなたの夢に共振するから、そのせいじゃないかしらって思っているのだけれど」
「それはあるかもしれないね。君は能力者だから。僕が見ている夢を共感することが出来る。でも君が力を使って感じる夢には、視覚はそれほどないわけだろう。それに、他の人に感情移入しているというのも、その理屈では説明できないし」
「そうかもしれないわね。それに、いつもいつも同じ夢を見るわけでもないし」
「僕は、時々不思議に思っていたんだ。でも、答えは得られない」
 アレイルはかすかにため息をつくと、起き上がって電気を消した。
 しかし再びまどろみかけた時、まるで稲妻が落ちるように、急激に何かが――知識が落ちかかってくるのを感じ、アレイルは再び目を開け、思わず身を起こした。半ば眠りに落ちていたエマラインも、夫の上に落ちてきた知識の衝撃を共感したように、同時に目を開いていた。
 あれは、かつての自分たちだったのだ――。
 すべての人生が、どれも、今の自分たちになる前の人生。別の人間、別の人生――でも、核の部分は変わらない。魂――自己と呼ぶべきもの。それは、不変。今まで二人は、これまでの自分たちの歴史を見てきたのだ――。
 そんなバカな――アレイルは自らに反駁した。ありえない。生まれてから死ぬまで、それがすべてだ。生まれる時に自分は存在を始め、死んだら存在は消える。それだけのはずだ。生まれる前、死んだ後の自分など、あるわけがない――。
 まだ若い頃、暗黒の世界連邦下で、病に倒れて死んだ双子の兄ニコルの言葉が、脳裏に蘇ってきた。
『今の人生だけが、すべてじゃないんだよ』彼はそう言っていた。
『君が君として生きる前には、たくさんの別の人生があった。別の名前で、別の人間として生きている、でも自分だと自覚している、そんな人生が。やがて死んだ後、核の部分だけが残り、別の新しい人生を生きる。そうして繰り返していく。これからも、それは続いていくだろう。今までよりもっともっと多くの人生が。君は、信じないかもしれないけれどね。それが真実なんだ』
 あの時には、彼の言うことは真実なのだろうと思った。ただし、実感は湧かなかった。それでは彼方からの記憶というのは――子供の頃ではない、もっと遠い記憶というのは、それ以前の、別の人生からの記憶なのだろうか。しかし、今までに見た夢のどれもが、その登場人物に同化しながらも、見た後に既視感――デジャ・ヴの感覚に襲われることはなかった。かつての自分なら、もっと妙な懐かしさを感じてもいいはずではないか――?
 エマラインも夫の当惑を受け止め、彼女自身も困惑の中にいるようだった。そんなことが、果たしてありえるのだろうか、と。しかし、おそらく今は、明確な答えは得られる時ではないのだろう。アレイルが感じたそんな予感は、エマラインにも伝わったようで、二人は再び当惑気味に顔を見合わせた。
「いつか……すべてがつながるんだろう。そんな気がする。それは……そんなに遠くない。でも、今はわからない……」
「ええ……」
「寝たほうが良いね」
「そうね」
 二人はいつしか、再び眠りにおちていった。今度は二人とも特に目立った夢も見ず、目が覚めた時には、再び朝が訪れていた。

 それからも、日々は再び穏やかに流れていった。秋が深まり、冬になり、街の外には深い雪の絨毯が敷き詰められた。市街地区に住む住民たちのために、家の間を通る道路には融雪措置が施されているので、冬の間も通勤や通学にそれほど不自由ではなかった。どの家でも玄関から道路までは定期的に雪かきをする必要があったが、日に二度、朝と夕方に除雪ロボットが巡回して、その役を担ってくれた。
 新しい年が明けてまもなく、アレイルは自宅勤務での仕事を終わらせた後、解放者IDでPAXにコンタクトし、今は封印されている三十世紀以前のデータを見る手段はあるだろうか、と問い合わせをした。この問い合わせは今までに何度も行ったのだが、その度に『申し訳ありませんが、それ以前のファイルにアクセスする手段はありません』という答えが返って来ていた。しかし、この時の返答は違っていた。
『あなたは閲覧を強く希望されますか?』
「Yes、もちろん」アレイルがそう返すと、PAXはこう答えた。
『本年六月十五日より二四日までの期間限定で、あなたと夫人、二人のみ閲覧が許可されています。それまでお待ちください。六月十五日になったら、再び同じ要請をしてください』
「わかった」
 アレイルはコンピュータのセッションを閉じ、妻が三十分ほど前に運んで来てくれたコーヒーの残りを飲み干すと、立ち上がり、デスクを離れた。窓辺に歩み寄り、外を眺める。冬の短い日は、今暮れていこうとしていた。
 PAXが今までと違う返答を返したのは、そうプログラムされていたからだ。コンピュータには人工知能があるが、それには人格を形成し得るような感情はない。あまりに人間に近くなっては不都合だと、その部分を抜いてAIを設計したのだから。それはロボットたちもみな、そうだった。彼らは基本的には、命令通り動く。会話の内容はAIがある程度アレンジはするものの、根本データは変わらないので、その内容は変わらないはずだ。閲覧が認められている短い期間の半年前、もしくは同じ年になったら、自分かエマラインに要請を受けた時に、そう答えるように、と。プログラムをしたのは、ピエール・ランディスだが、青写真はマリア・ローゼンスタイナーのもののはずだ。
 去年の秋の初めに見た、新世界初期に遭難した、七二世紀の宇宙船の夢を思い出した。あの時、宇宙船の船長は言っていた。世界はPAXとRAYの、二台のコンピュータによって統括されていると。今から千年以上先まで、この二台は稼動しているのだ。さらに『半永久的に持つんじゃないでしょうかね』と、未来世界の宇宙船船長は言っていた。自動修復機能と自動学習機能を持ち、壊れることはなく発展していく、二台のコンピュータ。それは未来にもずっと稼働し、世界を動かしていくのか。
 七二世紀にはPAXとRAYだけでなく、STARという宇宙移民プロジェクト専用のコンピュータも稼働しているという。それはPAXとRAYと連動している、とも。本来PAXもRAYも、外からの干渉は受け付けないのだが、予言者マリアには、未来のある時点で第三のコンピュータができることが見え、その時には連動できるよう、ピエールに指示したに違いない。白ディスクの遺言で。その要所要所で必要になるプログラムは、それだけで膨大な量だっただろう。今の質問のように、小さなことですら。それは天才プログラマー、ピエール・ランディスをして、二五年の歳月を費やしたシステムなのだ。
 あの夜訪れた啓示が真実なら、マリア・ローゼンスタイナーはエマラインの系列に連なる人だろう。彼女と同じ核を持つ――なぜなら、夢ではエマラインがマリアに同化していたからだ。そうすると自分はエレノアということになる。自分が女性としての人生を生きた? そう考えると、妙に奇妙な感覚を覚えた。ありえないだろう、そんな思いだ。いろいろ見た夢の中では、エレノアだけが唯一自分と同化した女性だったとはいえ――考えてみれば、エマラインにしても、同化した女性はマリアだけだった。あとはみな男性だ。自分たちは過去、兄弟だったり友人だったり親子だったり――親しい関係にありながら、基本的には男同士の友情を育んできたことになる。
 一瞬、再び奇妙な感覚に襲われた。しかし――夢が何を示唆するものであれ、今生きている自分たちには、夢以上の重みを持たないはずだ。あれが過去の現実であったにしても、今の現実ではない。遠く記憶の彼方に過ぎ去った、幻なのだ。
 アレイルは頭を振り、再びデスクに歩み寄った。椅子に座り、コンピュータ画面を見つめる。各部屋に置かれている端末はセッションを開いていない時、好みの画面を表示できるように、八年ほど前に設定が変更されていた。個人用にファイルを記録しておける、小さな記録媒体も付属されるようになった。アレイルはこの仕事部屋の端末画面に、家族の写真を表示させていた。それは去年の秋に新しくしたばかりのもので、赤ん坊のクローディア・ロゼッタを抱いたエマラインを中央に、両側にアディルアとアリストル、さらに取り囲むようにしてセルスとアレン、母親の横から後ろに寄り添うように立つエミリアが写っている。みな楽しそうな笑みを浮かべ、セルスとアレンはこっちに向かって手を突き出していた。この愛すべき家族の肖像を眺めながら、アレイルはPAXの返答を思い返していた。今年の六月十五日から二四日の間だけ閲覧を許可される、過去のファイル。それは何を意味するのだろう。なぜ、その期間だけなのだろうか――。
 六月十四日は、双子たちの七歳の誕生日だ――そう気づいた時、アレイルは軽い電流のような衝撃が身体を走り抜けるのを感じた。その翌日から十日間、ファイルが解禁になる。それは偶然なのか、それとも計算されたことなのか――?
 七歳の誕生日――ヘレナがアーサーの病気を治すため、初めから意図したものではなかったにせよ、結果的にアリストルとアディルアの身体を経由して、ウィルスを活性化させた。そのため、二人の余命は二年ほどになってしまった。それは、二人が五歳になる直前のこと。おそらくこの七歳の誕生日前後が、二人の別れの時なのだろう――。
 悲しみとともにその予感を認識した時、アレイルはこのファイル閲覧設定がその時期になった理由を悟った。一度は知った知識なのだろう。預言者マリアにとって。ただ具体的にそれが何であるのか、彼女自身も知らなかった。ただ彼女が認識していたのは、『この時、遠い昔の約束が果たされる。四つの流れが出会い、最後の答えが得られる時なのだ』ということだけだった。彼女にそれを教えたのは、彼女に降りてくる知識――それは、自分に降りてくるものと同じであり、さらには去年の秋見た夢で、宇宙船に乗っていた能力者、エミリア・スタインバーグが言っていたものとも、同一なのだろう。それは、どこから来ているのか――。
 再び、畏怖の感覚が襲ってきた。それは双子たちがエマラインの中に宿ったことを知った時に感じた思いに似ていた。アレイルは思わず身震いをし、スクリーンから目をそらせた。

 降り積もった雪に覆われた、寒い二月の夜だった。この地方の冬には珍しくないことなのだが、外気温は氷点下十度以下に下がり、子供たちの学校も、市外地区に住む生徒たちの登校は免除になった。そこでその日はみな、学科を家で済ませた。アレイルは出勤日で、しかし学校と違い天候での免除はないので、そのまま市庁舎に出かけた。だが、市外区居住者の荒天下での出勤についての条例が二年前に出ていて、それによると、通常の出勤日より一日少ない日数を数時間長く連続勤務し、その間は市外に帰らず、市庁舎やその周りの勤務施設に併設されている、一時滞在用居室に泊まることが定められている。それゆえ、今朝出勤していった彼は、翌日の夜にならなければ、帰ってこない予定だった。今年の冬は雪が多く、これで三回目の泊まり勤務だった。
「外に行けなくて、つまんないなぁ。パパもいないし」
 夕飯の時、セルスがそう声を上げ、他の家族も頷きながら窓の外に目をやった。まだ雪は止まない。予報では、あと二日間は降り続くということだった。
 夜、眠る時間が来て、子供たちはそれぞれの部屋に引き取っていった。エマラインはリビングのソファに座り、コットの中で眠っている赤ん坊に時おり目を注ぎながら、ベビー服を仕立て直していた。それは十五年前、最初の娘エミリアが産まれた時に物品センター(そのころは、まだ配給センターと呼ばれていたが)で購入したピンク色のロンパースで、それから八年半後に、アディルアがまた着た。その時、途中で片方のズボンのすそが少しほころびたので、白いレースを購入し、簡易縫製器で縫いつけて修復した。今、あと数ヶ月もすれば着られるようになるだろう末娘クローディア・ロゼッタのために、少し擦り切れかけたおしりの所に、白い花のアップリケを縫い付けていたのだ。こうした洋服の補修の仕方は、数年前から放送プログラムの情報チャンネルで、紹介されるようになっていた。もう着なくなった洋服で小物を作る方法も紹介され、簡易縫製器も物品センターで売りに出されるようになった。興味を示す市民はさほど多くないようだったが、エマラインには楽しい作業のように思えた。下の子供たちに、お下がりばかりもかわいそうだと思い、季節に二枚ほどは新しい服を買ってやっていたが。
 出来上がった洋服は、手を加えたところが増えてゆくにつれ、なおさら可愛らしくなるように思えた。ピンク色はエミリアが着ていた頃より、だいぶ薄くなったが。この服を着ていた幼い日のあどけないエミリアの姿が脳裏に蘇り、さらに同じこの服を着た、小さな頃のアディルアの姿も蘇ってきた。そのとたん、再びエマラインは悲しみに喉が詰まるような感じを覚えた。あの子の着ていた服を、これから小さな妹に改めて着せるたびに、同じ思いをするのだろう。そして今着ている以上には、アディルアの服はあまり増えることはないのかもしれない。七歳以降の服は、エミリアからそのまま十五年の時をはさんで、末の妹へと行ってしまうのだろう――。
 こぼれてきた涙を思わず手にしたピンクのロンパースで拭くと、エマラインはその涙を乾かすために、ソファの背に服を広げておいた。赤ん坊のクローディア・ロゼッタはここ数日風邪気味で、いつもよりぐずることが多かったが、今はよく眠っている。エマラインは片手を軽く赤ん坊の額に当て、熱の具合を見た。今はさほど熱はないようだ。気分もさほど不快ではないらしい。小さく安堵のため息をつくと、彼女は赤ん坊を抱き上げ、寝室へ向かった。夫が不在の夜は、いつになく広く感じられる。でも傍らに小さな娘が安心しきって眠っている、その姿と気配が慰めだった。




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