Part 7 of the Sacred Mother's Ring - A Path to the Light

第2章 たどり来た小道(3)




 その後、双子たちが眠るために寝室へ引き取り、上の三人も子供部屋へ行った後、大人たちはリビングに残り、お茶を飲んでいた。ヘレナは眠ってしまったアーサーをソファに寝かせ、毛布をそっと上からかけた。そして口を開いた。
「あの子たちは、あの年齢にしては、ずいぶん発達が早いようだけれど……ぶしつけな質問だったら、ごめんなさいね。今まで聞けなかったけれど、あの子たちは、例の特殊体質なの?」
「ああ。生後三ヶ月のDNAスキャンで言われたよ」アレイルは頷いた。
「それも、相当な高濃度だった。アリストルが九二、アディルアは九四%比だそうだ」
「……それ、ものすごく高いわね。過去最高純度じゃないかしら。なぜそんな? 前に聞いた時には、せいぜい六五くらいって言っていたのに。それにあの子たちって、性別が違うから、二卵性でしょう。なのに……」
 ヘレナは息をのんだように、そう問いかける。
「そう、偶然のいたずらなんだろうね」アレイルは苦笑を浮かべた。
「遺伝子転座――乗換えが、相当大きく起きたようだ。二人揃って。PAXが言っていた。僕たち――エマラインと僕は、PXLP因子が父方母方で、補完的なパターンになっているらしい。それが、乗換えが起きたことで、高純度のものが出来てしまった。それがペアで重なった。それも二人同時に。かなり稀な偶然の産物だと言われたよ」
「まあ……」ヘレナはそう言ったきり、言葉を失っているようだった。
「でもそれっって……そんなに高かったら、あの子たち……どんな感じになるのかしら。大きくなったら」シェリーが少し息をのむように聞いた。
「こんな高濃度はかつて例がないから、詳しい予測は難しいとPAXは言っていたよ」
 アレイルは軽く首を振った。「この体質は長い間禁忌だったから、症例もサンプルも少ない。特にPAXのデータベースで見られるNA一〇〇〇より先には、五人しか現れていないらしいから。彼らの純度はどれも五〇パーセント台から六〇前半だから、これほど高濃度の二人がどうなるか、予測はつかないらしい。かなり寿命は長くなり、老化が止まるのも二十代前半くらいではないかと、PAXは言うけれどね」
「うわぁ、そんな若いままずっと生きてたら、それは……」
 リンツは目を丸くし、あとの言葉を飲み込んだようだった。
「かなり回りから見ると、特異な存在になってしまうでしょうね」
 エマラインは表情を曇らせた。
「それを考えると心配なんだけれど、今はまだ小さいから、あまり先の心配はしたくないの。あとはあの子たちが大きくなった時、出来るだけ力になってあげるしかないわね」
「そうだな……」
 ジャックは頷き、みなはしばらく沈黙した。
やがてシェリーが膨らんだ腹部にそっと触れ、呟いた。
「アディルアちゃんは……力を持っているのかしら……?」
「ああ、そうね。赤ちゃんの性別を当てたけれど」
 ヘレナも少し不思議そうに同調する。
「わからないな、今のところは。たしかにあの子には、わかったようだけれど」
 アレイルは首を振り、答えた。
「不思議はないのよね。あの子が力を持っていたとしても」
 ヘレナが頷きながら言う。
「そう……なのかな。遺伝かどうかはわからない。それに、特殊因子がかかわっているのかどうかも。少なくとも、比率は低いけれど同じ体質のセルスは、力は持っていないようだ、今のところは。アリストルは字の認識は早いし、知能も相当高そうだけれど、特殊能力は今のところ見受けられない。アディルアは美に対する意識が高い。相当感受性と芸術センスの高い子のようだけれど……僕も驚いたんだ。あの子がシェリーのおなかの赤ん坊の性別を当てた時……僕はその時まで、知らなかった。でもアディルがそう言ったとたん、彼女が言うことは真実だとわかったんだ」
「おにいちゃん。男の子だってわかったんだし……もう一つ見てくれる?」
 シェリーが神妙な顔で、向き直って聞いた。
「この子……特別な体質かしら。それとも、普通かしら」
「……僕は、意識しては十日くらい先の未来しかわからないよ。その子が生まれるのは、あと二ヶ月くらいは先だろうし。外から知識が来ない限りは、自分からは見れないんだ」
「今は来ない?」
「いや……今、来たよ。言ってもいいかい?」
「ええ、お願い」
「おれからも頼むよ」リンツも神妙な顔で言葉を添えている。
「その子は……特殊体質じゃない。三五、六%前後だ。基本的に君たちの因子の組み合わせの場合、男の子だったら、まず心配はない。普通に育つよ。元気で明るい子になるだろうな。ミルトの小さい頃のように」
「ああ、良かった」
 スタインバーク夫妻はほっとした顔で笑い、シェリーの隣に座っていたミルトも、心なしかほっとした顔を見せた。彼もまた、甥の誕生を心待ちにしていたのだろう。
「でも、ミルト坊主の再来か」リンツが大げさに肩をすくめ、そして笑う。
「懐かしいよな。おれも最近運動不足だから、ちょうどいいぜ」
「小さい頃元気でも、きっと良い子に育つわよ、今のミルトのように」
 エマラインが朗らかに付け加えた。
「そう言われると、僕、とても恥ずかしいんだけど」
 ミルトは苦笑して照れたように頭をかき、一同は笑った。
「でも、八月……そう、十二日には、リンツは仕事を休んだ方がいいと思うよ。お産の始まりが、かなり急に来そうだ。慌てないで落ち着いて病院に行けば、大丈夫だけれどね」
「おお。そうするぜ。あいわからず作戦隊長、頼りになるな」
 リンツはおどけたように答え、
 アレイルは「それはやめてくれないか」と、苦笑して肩をすくめている。
「たしかにな、未来の指針ってのは、場合によっては役に立つな。俺たちはどうだい? アーサーはこの先、丈夫になるだろうか」
 ジャックがそう問いかけた。ヘレナは少しはっとした顔をし、そして緊張した面持ちで頷いている。それは明らかに、夫婦二人の共通の心配なのだろう。
「アーサーは、最近少し丈夫になって来ているようじゃないか」
 アレイルは二人を見、ついでソファの上で眠っている子供に目を向けた。
「でも、まだまだ弱い感じがするんだ。しょっちゅう風邪をひくしな」
「子供は風邪をひいて、免疫を付けていくものだよ。ヘレナもその道のプロじゃないか。本当はアーサーも市外区に住んで、もっと外気に当たった方が、丈夫になると思う」
「わかってはいるのよ、理論では。でもいざ自分の子なると、心配してしまうの」
 ヘレナは情けなそうに肩をすくめる。
「アーサーに関しては……」
 アレイルは言いかけ、言葉を止めた。そしてしばらく沈黙したあと、首を振った。
「ごめん、見えてこないんだ」
「それって……未来が見えないって言うことなの?」
 へレナは青ざめている。
「違うよ。僕はみんなも知っている通り、自分で意図的に見える未来は十日くらいなんだ。以前は半月くらいだったけれど、今は少し短くなっているみたいだ。それ以降の未来の知識は、変な言い方かもしれないけれど、外から僕の頭の中に降りてくるの待つしかないんだ。知識が来ることもある。来ないこともある。来ないことも、珍しいことじゃないし、来ないから悪いって言うわけでもないんだ。むしろ、悪い場合は、ほとんど絶対と言っていいくらい来るから、来ないということは、悪くはないんだと思う」
「そうなの……」へレナはいくぶん安心したように頷いた。
「ありがとよ。妙なことをきいたようだが、気にしないでくれ」
「いや、わかってるよ。子供のことを心配しない親はいないからね」
 ジャックの言葉に、アレイルは小さく首を振り、答えた。
「いや、昔は心配しない親が普通だったけどな」リンツが言い足す。
「今はどうなのかしらね。昔と比べて」シェリーは首をかしげていた。
「少しずつ、変わっていくと信じたいわ。わたしたちだけじゃなく」
 エマラインは両手を組み合わせ、頷く。
「変わって行くって言ったら、新しい音楽プログラム、出来たよね。『過去からのこだま』」
 ミルトがふと思い出したように言い、
「ああ、ええ、そうね。昔の音楽を流しているのよね。前よりずっといいわ」
 シェリーも少し表情を輝かせて頷いている。
「うん。僕は好きだよ。それに、とても気に入った曲もあるんだ」
 ミルトがそう続けた。「でも流れてくるのはランダムみたいだから、なかなかまた聞けないのが残念だな。自由にコンピュータから選んで、聞けたらいいのに」
「解放者IDで、RAYのデータベースにアクセスしたら、音源ファイルは聞くことが出来るよ、ミルト」
「本当? じゃあ、やってみよう!」
 アレイルの言葉に、ミルトはうれしそうに声を上げる。
「RAYのデータベースは宝箱のようね。あそこに入ったら、きりなく読んでしまいそうだわ」へレナは肩をすくめ、そんな感想を述べていた。
 その夜遅くに、リンツとシェリー、ミルトは三件先の我が家に歩いて帰り、ジャックとヘレナのスウィート夫妻とアーサーは一晩、ローゼンスタイナー家の客用寝室に泊めてもらって、翌日早くに彼らの集合住宅へと帰っていった。

 窓を開けると、初夏の朝の風がふわりとカーテンを翻した。庭に植えたライラックの香りが部屋を満たす。その香気に満ちた空気を胸に吸い込んで後、エマラインは細かい繊維で編まれた網戸を下した。風は心地よいが、都市の中とは違い、窓を完全に開けっ放しにしておくと、たまに蜂や蚊などの、あまり歓迎しない虫たちが入ってくることもあるのだ。網戸越しには、景色はかすかに白いもやがかかったようになるが、それでもはっきりと見える。風も入ってくる。出窓には、エミリアが摘んできたピンクのサンザシの花束が飾ってあり、ライラックの芳香と交じり合って、えもいわれぬ甘い香りをかもしていた。
「今日も良い天気よ」
 エマラインは朝食のテーブルについている家族たちを振り返った。
「こんな日は、学校でお勉強するの、惜しいなあ」
 エミリアがカップを置きながら、残念そうに声を上げる。
「僕も。早く学校終わらないかな。外で遊びたいんだ」
 アレンが同調し、セルスもシリアルをほおばりながら、頷いている。
「エミリーお姉ちゃん。あのお花、どこで摘んできたの?」
 アディルアは、そう問いかけていた。
「お散歩していて、見つけたの。場所は秘密よ」
 エミリアはいたずらっぽく目をつぶって見せた。
「明日は学校がないから、午後から連れて行ってあげるわ」
「わあ、ほんと! うれしい!」
「ぼくも連れてって!」
 アリストルがスプーンを振って声を上げる。
「良いわよ。じゃあ、明日お昼を食べてからね。アレンとセルスはどうする?」
「行ってもいいよ」二人は同時に頷いていた。
「あなたたちだけで大丈夫? 一緒に行きましょうか?」
 エマラインは少し心配げに子供たちを見やったが、
「大丈夫よ。そんなに遠くないもの」と、エミリアが首を振る。
「どこなの?」
「だから、それは秘密だって言っているじゃない」娘は笑い声を上げた。
「でも今日は学校だな、おまえたち。明日も出かける前に学課は済ませるんだよ」
 アレイルがコーヒーを飲みながら、子供たちを見回し、
「はあい、パパ。パパは今日、お仕事行くの?」と、エミリアが聞いてくる。
「今日は家だよ。明日が出勤日なんだ」
「あたしは今日十六時までよ」エミリアはちょっと肩をすくめ
「僕は十五時」「あっ、僕も」と、アレンとセルスが言う。
 学校の登校日は週三日で、食堂で供給されるランチをはさんで、午後まであるのだ。
 
 やがて上の三人が学校へ出かけ、アレイルは下の二人をプレイガーデンに送ってから、自宅の仕事部屋で明日の出勤日までに仕上げる設計草案を作り始めた。いつもと変わらない一日だった。十時半ごろ、エマラインがコーヒーを運んできた。二言三言、たわいない会話を交わしたあと、エマラインはお盆を胸に抱くようなしぐさで、しばらくためらったように黙り、そして聞いてきた。
「ねえ……わたしの思い過ごしならいいのだけれど……三日前、双子たちの誕生会の晩にジャックからアーサーの未来について聞かれた時、あなたは何も見えないって答えたわよね。わたしもそれは、本当だと思ったわ。でも……それは本当に、何も心配することはないって言うことなの? あなたはかすかに、他に何かを感じたような気がして」
「ああ」アレイルは少し驚いて振り返り、肩をすくめた。
「そうだね。君はごまかせないな。でも、僕にもそれがなんなのか、よくわからないんだ」
「良くない感じがするの?」
「いや。明確に悪い予感じゃないんだ。なにか……背筋にちりっとした感覚を、一瞬だけ感じた。それだけなんだよ。それ以上は、わからない。だけど、それを言ってしまうと、ジャックとヘレナに必要以上に心配をかけてしまうだろうから、あの場はああ言ったんだ」
「そうなの。そうね……かすかに寒気を感じた、ということでしょう。それだと、たしかに、良くない予感に取れてしまうかもしれないものね、二人にとっては。そうでないことを祈りたいわ」
「ああ、僕もだよ。あの二人にとって、アーサーは何ものにも変えがたい宝だからね」
「親にとっては、どの子供もそうだわ。うちの子たちも、わたしたちにとっては、何ものにも変えがたい宝よ」
「そうだね、本当に」アレイルは頷いた。
「でもあの子たちももう、子供たちだけでどこかへ行かれるほど、成長したんだな」
「そうね」エマラインはくすっと笑った。

 夏の盛りの八月、リンツとシェリーの間に初めての子供が生まれた。予見されたように男の子で、赤みがかったブロンドの髪はゆるい巻き毛になっていて、父親と同じ明るい灰緑色の目をした、元気な赤ん坊だった。アレイルが前もって言っていたように、急な破水が起きたが、リンツは家で待機していたので、すぐに妻を病院に運び込むことが出来た。そして十二時間後に、無事に赤ん坊は生まれたのだった。子供はロレンツと名づけられ、すぐにロリィという愛称で呼ばれるようになった。一同は新しい命の誕生を祝い、それぞれで心を込めた贈り物を贈った。

 喜びに満ちた夏が過ぎ、秋が訪れた。外気は少しずつ涼しさを増していき、少しずつ澄んでいき、鋭さを増していった。木々の葉は緑から鮮やかな黄色や赤に染まり、地面の草は徐々に茶色みを帯びていった。
 十月になってまもないその一日も、ローゼンスタイナー家では、いつもと同じように始まった。エミリア、アレン、セルスは学校へ、アレイルは出勤日だった。ただその日は、プレイガーデンには行かない日だったので、アリストルとアディルアは家にいた。
 その日、エマラインは双子たちを連れて、シェリーと赤ん坊のロリィに会いに良く予定だった。シェリーが母になってから、週二、三回くらいは、そうして訪れていたのだ。時にはエマライン一人で、時には子供たちを連れて。シェリーはいつも心から歓待してくれ、訪問を喜んでくれた。彼女は初めての育児に不安を感じることもあるので、経験者であるエマラインのアドバイスや手助けを、心から頼りにしていたのだろう。その心が、彼女に残された能力で感じられたから、その思いに答えようと、エマラインは心を砕いていた。
 双子たちの支度をさせてしまうと、エマラインも外に出た。そしてお土産に作ったお菓子をリビングのテーブルに置き忘れてきたことに気づき、家に戻った。淡いピンクや緑のアイシングをかけたカップケーキを、透明な紙に包んでリボンをかけたものが七個入ったバッグは、そのままテーブルの上に乗っていた。エマラインはそれを取り、再び外へ出た。
 庭には誰もいなかった。エマラインが家の中に入った時、アディルアは花壇に屈みこみ、まだ残っている秋の花を見ていた。アリストルはその傍らで、蟻の行列に見入っていた。エマラインはそんな二人に、「家に忘れ物をしたわ。すぐ戻るから、ちょっと待っていてね」と声をかけ、二人は「うん」とこっくり頷いていた。それからまだ、ほんの一分ほどしかたっていない。庭の中ほどに、アディルアがかぶっていたピンクの帽子があった。
 エマラインはカップケーキの入ったバッグを玄関ポーチに置き、庭をぐるりと巡った。二、三件先の家にまで行ってみた。市外区を通る道は各列の間にあり、三列目にあるローゼンスタイナー家では、街の中に行く時には、玄関から後ろに回り込むように伸びた、丸い石に囲まれた小道を通った先にある門(家の向きからすれば裏手に当たるのだが)から道に出ていた。玄関の先には広い庭があり、家の境界を示す、白いプラスティック製の低い柵の向こうには、なだらかな草原が広がっている。草原に面した柵にも小さな門があり、そこから外へ行ける。草原の向こうには色づいた雑木林があり、草の原と小さな森の織り成す秋のタペストリーが広がっていた。しかし、そこに小さな子供の姿はなかった。木々の植えられた、こじんまりした住宅区画にもいない。エマラインは動揺する気持ちを抑えて、バッグを取り上げた。シェリーの家は二軒先だ。間の一件は空き家だ。家の間を区切る柵があるので、直接庭から庭へと行くことはできないが、外へ出る小門から柵伝いに行けば、同じように小門からシェリーたちの家の庭に入れる。実際エマラインはいつも、道を使わずに、そうやって行っていた。アリストルとアディルアも、しばしば一緒に行っているから、行き方は知っている。シェリーがたまたま庭先に出ていたか何かしていたので、二人は先に行ったのかもしれない。

 スタインバーグ家につくと、ロリィを抱いたシェリーが出てきた。
「いらっしゃい、おねえちゃん。待ってたわ!」
 シェリーは嬉しそうに声を上げる。その笑顔に笑いかけ、赤ん坊にも微笑みかけると、エマラインは口を開いた。
「こんにちは。うちの末っ子たちが先に来ていると思うけれど……」
「えっ? 一緒じゃなかったの?」
 シェリーは驚いたように目を見開いた。
「えっ、来ていないの?」
 エマラインは思わずバッグを取り落とした。
「どうしたの?」
「ああ、ごめんなさいね、シェリー。あの子たち、ちょっと目を離したら、どこかへ行ってしまったようなのよ。わたしはてっきり、先にここへ来ているのかと思ったの」
「来ていないわよ」
「そう……」
「どのくらいの間に、いなくなったの?」
「一分くらいだと思うわ。わたしがリビングにお菓子をとりにいった間に……」
「それなら、そう遠くには行っていないんじゃないかしら」
「わたしもそう思って、探したの。でも、いなかったから……もう一度、探してくるわね」
「あたしも一緒に探しましょうか」
「いいわ、シェリー。あなたはロリィがいるんですもの。心配しないで。すぐ連れて戻ってくるから。あっ、そうだ。これ今朝焼いたカップケーキよ。双子を連れ戻したら、あとでお茶にしましょう。お茶はその時わたしがいれるから、あなたは休んでいて」
「ええ。ありがとう。気をつけてね」
 エマラインはシェリーが家の中に入って行くのを見届けてから、小走りに探し始めた。あの時間なら、それほど遠くには行けるはずがない、きっと近くにいるに違いない――そう思い、家の近くを探し回ったが虚しく、小一時間ほどが過ぎ去った。
(アレイルに連絡しようかしら……あの子たちがいなくなったって。彼なら居場所を見つけてくれるかもしれない)――ふと、そんな思いが湧いた。だが、すぐに頭を振った。
(だめよ、アレイルも今仕事中だし、子供が迷子になったからといって呼び返したら、迷惑がかかるわ。それに彼も以前なら、探すことが出来たでしょう。空間を視覚的に、自在に飛べたから。でも今は、その力は失っているわ。ああ、わたしも以前なら、子供たちの想念を探して、どこにいるかわかったのに。今はわからない。目に見えるほど近くにいなければ、想念は届いてこないんですもの。ああ、アディルア、アリストル、あなたたちは今、どこにいるの? 今、どんなに心細い思いをしているのかしら。教えて、今どこにいるの? 誰かに連れて行かれたりは、していないでしょうね……そんなことは……ありえないわ。考えたくないわ。でも、ほんの一分目を離しただけで忽然と消えてしまうなんて、他にはありえないのではないかしら。そんな……)
 身体中の血が引くのを感じた。やはりアレイルに連絡して、さらにジャックに連絡して探してもらった方がいいかもしれない。そう思い、家のほうに踵を返しかけた時、視界の端で、遠くの雑木林がかすかに動くのが見えた。振り返ると、その林から出てくる、小さな人影が見える。エマラインは夢中で草原を駆け下りた。
 小さな人影はアリストルだった。明るい茶色の髪に、クリーム色のシャツ、緑色のカバーオール、それに薄い黄色の上着を羽織っている。庭先からいなくなった時の服装のままだが、服にはいくつかの小さな破れがあり、かぶっていた緑の帽子はなくなっていた。
「アリスト!」エマラインは夢中で、小さな息子を抱きしめた。
「良かったわ、良かった! 心配したのよ。どこに行っていたの? アディルは?」
 アリストルは小さな拳を鼻に当て、しゃくりあげているようだった。
「おお、よしよし、怖かったのね。泣かなくていいのよ、大丈夫」
 エマラインは背中に手を回し、優しくさすってやった。
「ぼく……アディルを、追いかけたの」アリストルが小さく答えた。
「でも、そこまで行けなかった。途中まで行ったけど」
「どういうこと? あなたはアディルを追いかけたの? アディルはどこへ行ったの?」
 アリストルは無言で林の中を指差した。
「この中?」エマラインは聞き返す。
「この向こう、たぶん」アリストルはそう答えた。
「ぼく、途中でぼうしなくしちゃった」
「帽子は良いわ。ついでに探せばいいし、見つからなかったら、新しいのを買ってあげるから」エマラインは息子の頭をなでたあと、小さな手をぎゅっと握った。
「この森を抜けないといけないのね……アリスト、一緒に来る? それともシェリーおねえちゃんの所で待っている?」
「ぼく、一緒に行く」子供はこっくりと頷いている。
 エマラインは子供の手を引いて、林の中に進んでいった。この雑木林は、以前から来たことがある。木々はさほど茂ってはいないので、見通しは悪くなく、途中までは道もついているので、比較的楽に歩けるのだ。途中、小さな広場があり、ここまでは何度か訪れた。お弁当を持って、その広場で食べたこともある。しかしその先ははっきりした道はなく、低い潅木が茂っていて、歩きにくかったために、行ったことがなかった。スカートよりズボンをはいてくればよかったと後悔しながら、エマラインは進んだ。途中髪の毛が潅木に引っかかり、解くのに難儀した挙句、枝ごと引きちぎったりもした。アリストルのほうは身軽にぽんぽんと障害物をよけて通っている。それでも何度か枝が服に引っかかり、小さなほころびを作った。この子にさっき会った時、服が何か所か破れ、帽子もなくなっていたわけが、エマラインにもわかった。この子は一度、この道を自力で抜けようとしたのだろう。実際、途中でアリストルの緑色の帽子が灌木のてっぺんに引っ掛かっていたのを見つけたが、風にでも飛ばされたのか、かなり高いところだったため手が届かず、しかもその灌木はとげだらけだったので、エマラインは回収をあきらめた。
 二十分ほど奮闘したあと、やっと林が途切れた。雑木林を抜けた先にはゆるい斜面が広がっていて、背の高い黄色い花が一面に咲いていた。その下には、七、八メートルくらいの幅で、小さな川が流れている。エマラインはアリストルの手を引いたまま、斜面を降りた。二人の髪や服が黄色い花粉にまみれた。そして川のほとりに立った。息子や自分の髪や服についた花粉を叩き落としながら、目の前に流れる水に目をやった。水は澄んでいて、さほど深くはなさそうだった。
 対岸に目をやったエマラインは、ほっと安堵のため息をついた。小さな人影が、少し離れた広場にしゃがみこんでいる。白いブラウスにプリムローズ色のジャンパースカート姿で、膝を抱えるように座り、空を仰いでいるようだった。光を浴びて、その淡い金髪がきらきらと光って見えた。
「アディル!」エマラインは夢中で呼んだ。
 その声で、幼い少女ははっとしたように振り返っていた。青い目を見開き、「ママァ?」と不思議そうに声を上げる。
「どうしたの? どうして、そんなところにいるの?」エマラインは呼びかける。
「わからない。いつのまにか、ここにいたの……どうやって、帰ったらいいか、わかんなかった。ママ、来てくれて、良かった……」
 アディルアは困惑したように頭を振ったあと、ほっとしたように笑って、対岸に近寄ってきた。そのまま川の中に入り、横切ってこちらに来ようとする。
「だめよ、アディル! あなたには深いかもしれないから。だめーー!!」
 エマラインは夢中で息子の手を離し、娘に駆け寄った。水はたちまち、彼女の膝の上まで来た。アディルアのほうは胸まで水に浸かっている。エマラインは手を差し伸べ、娘が差し出してくる手を握った。その瞬間、アディルアの身体が浮いて、流されかける。エマラインは渾身の力を振り絞り、流されまいと踏みとどまった。そして娘を抱きかかえ、息子の待つ岸まで戻った。川幅がこれほど狭くて助かったと、彼女は心から安堵した。

「大変だったね、本当に」
 その夜、アレイルは妻に熱いレモネードを作りながら、声をかけた。
「風邪を引かなければいいけれどね、君も」
「ありがとう」エマラインは感謝して、飲み物をすすった。
「アディルは大丈夫かしら? 熱が高いから」
「三歳の女の子が、十月に川に浸かればね。おまけにそれから家まで濡れたまま歩いたんだから、熱も出るだろう。アリストも、ちょっと微熱があるようだし。でも二人ともよく眠っているよ」
「よかった……」
「でもなぜ、こんなことになったんだい? 君の話からすれば、目を離したのは一分かそこらなんだろう? その時には、もう庭のどこにもいなかったなんて、普通はありえない。あの二人は、なんて言っていたんだい?」
「アリストは、アディルを追っていったって。でも追いつけなかったって言っていたわ。それだけ。アディルは、ちょっと身体が熱いなって感じて、それから庭じゃない場所にいたって言うの。どこだかわからないし、うちに帰る道もわからなくて、困ったって言っていたわ。だからわたしに会って、嬉しかったって……」
「そう……」
「シェリーには悪いことをしてしまったわ。すっかり心配をかけてしまって」
「そうだね」アレイルはしばらく黙り、飲みかけのコーヒーを口に運んだ。
「一分……本当に一分くらいだったんだね。君が目を離したのは」
「ええ。そのくらいのものよ」
「それで君がもう一度庭に出た時、二人の姿はなかった」
「ええ」
「三歳の子供なら、一分で歩ける距離は高々知れているよね。せいぜい走ってシェリーの家に着くかつかないかくらいだ。それ以外なら、視界に入る場所に必ずいるはずだ」
「ええ。だからわたしもそう考えて、シェリーの家にも行ってみたのよ」
「でも、いなかった」
「ええ」
「どこかに隠れていた可能性もあるけれど……でも、あの子たちにそうしなければならない理由はないな。いたずらではない……二人とも、困惑しているようだったし」
「ええ。そうなのよ。それにね、アリストの方は、なんとなくわからないでもないわ。あそこの雑木林の入り口まで、わたしが気がつかないうちに、走って行ってしまった可能性も、ないではないと思うから。三歳の子供の足だと難しいかもしれないけれど、たまたま、わたしが見ていない時に行っていたら……でも、アディルの方はわからない。あの子を見つけた時、林を抜けてきたような擦り傷はなかったのよ。わたしもアリストも、所々引っかき傷が出来たのに。それにあの子は、一人で川は渡れないはずだわ。こっちへ戻る時も、わたしが支えなかったら、流されかけたのですもの」
「ああ」アレイルはしばらく沈黙し、コーヒーカップを置いて、妻に向き直った。
「もしかしたらで、仮定の話でしかないけれど……もし君の言うことが本当なら、一つの可能性を、僕らは考慮しなければならないかもしれない」
「どういうこと?」
「もしアディルが、かつてのリンツのような能力を持っていたら、ということさ」
「ええ?!」エマラインは危うくレモネードのカップを取り落としそうになった。
「確証はないけれどね。でもそう思えば、説明はつくんだ」
「そうね」エマラインは漠然と頷いた。
「そう思えば、アディルがあそこまで無傷で行けたのも、頷けるわ、たしかに。あっという間にいなくなってしまったのも。アリストは……たぶんアディルがどこへ行ったかは知っていて、それで自分も急いでそこへ行こうとした。あの子の姿は草原に埋もれて、わたしは見落としてしまったのかもしれない。帽子も緑色だったし。それで雑木林を抜けるか、抜けそうになったところで、先が川なのを見て、引き返してきたなら。でも……」
「君の言いたいことはわかるよ」アレイルは妻の手をとった。
「自分たちもかつて能力者だったけれど……まあ、僕らはいまだに多少はそうだけれど、子供が力を持つということは、ちょっと複雑な気分なんだろう?」
「ええ」
「それに、アディルアがもしリンツと同じ力を持っていたとしても、あの子にはまだその力のコントロールが、出来ていないということだ。あの子はまだ幼いから……昔のミルトほどではないにしろ。だから、気をつけていないと危険だろうね」
「そうね。本当にこれからは、一分一秒でも目を離さないように気をつけたいわ。ああ、でも……」
「何?」
「プレイガーデンは、どうしましょう」
「ああ」アレイルは考えるように黙り、ひとしきり間を置いてから、首を振った。
「行かない方がいいかもしれないな。学校へ行くようになる頃には、もっと力をコントロールできるようになるだろうから」
「そこまでしてしまって、良いかしら」
「ああ。アディルはプレイガーデンに行くのが好きなようだし、残念がるだろうが……でも、それが最良かもしれないと思うんだ。アディルにとっても、アリストにとっても。君は大変だろうけれど」
「大丈夫よ。それがあなたの判断なのね。二人にとっての最上。それなら、わたしもがんばるわ」
「君だけに、がんばらせないようにはするよ、僕も」
「ありがとう」エマラインはかすかに笑った。
「でも、あなたの力が言ったのね。アディルアの能力のことは、本当だって。だから、プレイガーデンを止めるのが最上だって」
「ああ。あの子はすでにシェリーの赤ちゃんの性別も当てているし、潜在的にかなりの能力者なのかもしれない。アリストルについては、今の段階ではよくわからない。でもあの子も人と違うのは、ずば抜けた識字能力と知能だけではないような気がするんだ。遅かれ早かれ、同じような力が発現してくるかもしれない」
「まあ、そうなの……」
「でも能力者を育てるなら、僕らは適任だろうと思うんだ。自分たちのこともあるし、ミルトの例でもね。大丈夫だよ。あの子たちは素直な良い子たちだから、きっと巧く適応していってくれる」
「そうね」
 深い息をつき、エマラインはレモネードの残りを飲み干した。暖かさが広がっていった。昼間の騒動で頭は重く、足は痛んだ。たぶん風邪を引くかもしれない。でもそのくらいですんだことを、感謝せずにはいられなかった。




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