Part 7 of the Sacred Mother's Ring - A Path to the Light

第2章 たどり来た小道(2)




 場面が転換した。アレイルとエマラインにとって、それはかつて経験したことのない、鮮やかな空間だった。夜で、頭上からは色のついた人工照明が降り注いでいる。ピンク、青、緑――しかしそれ以上に衝撃的だったのは、その空間に満ちていた音だった。音楽――世界連邦下でも、音楽はある。しかし解放以前の世界連邦では、音楽といえば「世界連邦の歌」か、似たようなスローガンの、かっちりした重々しい調べの曲しかなかった。解放後、音楽は格段に増えた。しかし、どれもコンピュータ制御の電子楽器で演奏される、軽い調べだ。
 二人には、楽器の名前すらわからなかった。モーリスという男が細い棒で叩いている、たくさんの丸いものも、パトリックとテレンスという若者が演奏している、奇妙な曲線形のものも、ケネスという男が操っている、鍵盤のついた机ですらも。ジェレミーという若者はマイクを首につけて、歌っていた。その声は力強く、澄んでいて、かすかに甘い響きがあった。
 彼ら五人は、高さ一メートルほどの台の上で音楽を作り出していた。その前の広い空間に、大勢の人々がいる。旧世界連邦下の、クリスマス集会の時ほどの人出ではないが、どの人も非常に活気に満ちた印象だった。腕を振り上げ、手を叩き、一緒に歌ったり、叫んだりしている。皆、その音楽を心から愛し、聞き入り、一緒に楽しんでいるようだった。
「ありがとうございます、みなさん!!」
 ジェレミーが目の前の人々に呼びかけていた。
「今日は僕たちのために集まってくれて、本当にありがとうございました。僕たち、ジェレミー・ローリングスとM−フォースがデビューして七年になるけれど、僕も七月に三十歳になるから、芸能局の規定に従って、引退します。だから、これが最後のロード期間です。本当に長い間、僕たちの音楽を聞いてくれて、ありがとうございました」
 それに答えて、轟きのような声がかぶさってきた。
「やめないでー!!」
「まだいいじゃないか!!」
「もっと歌を聞かせてよ!!」
「もっとあなたたちの音楽が聞きたい!」
「芸能局のルールなんて、なきゃいいのに!」
――数年後のカムバックが予定されているなら、これは本当のお別れではない。でも、それを言っては引退興行の意味がなくなる。芸能局の上層部も、今や自分たちに対して寛大ではあるけれど、そこまで正直に言ってしまっては、さすがにまずいだろう。今は――お別れなのだ。少なくとも数年の間は。それに、未来には何が起きるかわからない。本当に確定した未来など、ないのかもしれない。
 そんな思いが、ジェレミーの頭の中に去来しているようだった。彼は観衆に向かい、ゆっくりと頭を下げ、傍らのパトリックと目を見交わし、次いで他の三人とも頷きあって、次の曲へと移っていった。
 音が命を持つというのは、こういう感じなのだろうか――四つの楽器が奏でる音色とリズム、歌い手の声が紡いでいく旋律と言葉、それらが絡み合い、楽曲という一つの絵を描き上げていくようだった。人の心を高揚させ、陶酔させるような――こんな音楽は、今の世界にはない。かつては、あったのだろうか。昔には――。
「今度のロードが最後だから、みなさんに聞いて欲しい話があるんです」
 ジェレミーは目の前に集まった人々に、そう語りかけていた。語っても良い許可は、一年ほど前に大統領に求めてあり、了承されていた。ただし、あまり英雄化しすぎないように、放送プログラムで話すことは、今ひとたびは控えるようにとの条件付きで。
 五年前、新世界の創立先導者たちの曲を演奏してもいいかとヘリウェル大統領に聞いた時、芸能局で放送プログラムにのせる曲でなく、演奏会でなら良いという許可をもらった。しかしその曲たちは爆発的な人気を得たために、二年前には正規の音楽としてプログラムで流して良いことになった。そうして今、自分たちのオリジナル曲二二曲に加え、創立先導者たちの曲七曲が披露されていたのだった。
「みなさん、ご存知の方はいらっしゃると思うんですが、僕たちには、五年前から三年間、公演の時だけ演奏される曲というのがありました。みなさんの多くのリクエストのおかげで、一昨年からありがたいことに新曲として放送プログラムで流すことが出来ましたが、この七曲が最初、公演時のみしか演奏されなかったわけは、これは僕たちが作った曲ではないからだったんです。実はこの曲たちは、かなり古い時代、新世界が生まれる前の世界で作られた曲なんです」
 人々の間から、ざわめきが上がった。ジェレミーは話し続けた。
「みなさんご存知と思いますが、この新世界は、それより以前の文明が二一世紀初頭、大きな災害によって滅び、生き残った人々が再び築き上げた世界です。この曲たちを作った音楽家たちは、以前の文明末期に活動していた人たちで、その当時、絶大な人気を博していたそうです。彼らは二十代の半ばから後半の年齢で、以前の世界の終わりと遭遇し、でも生き残り、そこから新世界を築き上げた人たちの一員のようです。彼らの子孫は、この世界に大勢いるようです。僕らも、またみなさんも、そうかもしれません。そして今、このロード期間で、もう一曲、彼らの曲を披露しようと思います。新曲、というには元は古い曲なのですが、僕らやみなさんにとっては、新曲かもしれません。本当は彼ら自身の演奏を聞いてもらいたいところですが、それは今のところ無理なので、かわりに拙いですが、僕らの演奏でみなさんに伝えてきました。でもこの曲は、元の演奏自体のない、楽譜だけが残されていた曲でした。僕らの演奏で、果たして彼らの思いが伝えきれるかどうか、自信はないのですが、精一杯やってみたいと思います。『New World Rising』」
 一瞬の間をおき、再び音楽が満ちた。なんと表現すれば言いのだろう。清浄――穢れなさ――すべてを乗り越えていく強さと、慈愛と悲しみと、そして希望。その思いは強烈に集まった人々を揺さぶっていくのが感じられる。アレイルとエマラインの感情をも、大きく揺さぶられた。

 僕らの世界は跡形もなく壊れた
 もう取り戻せない、壊れやすい夢のように
 見渡す限り、不毛の荒野が広がり
 すべての命も、築き上げたものも返ってこない

 二つの世界の狭間に立って
 永遠に続くかのように見える長く冷たい夜の中
 失ったものすべてに思いをはせ
 愛するものや友たちのために嘆く

 でも僕らに何が出来るだろう
 今出来ることは、なんなのだろう
 失ったものは二度と戻ってくることはない
 僕らに出来ることは、また新しく作り直すことだけ

 過去やいとおしい思い出を胸に抱いて
 未来にはまた、何かを得られると信じて
 今、道は壊れてしまったけれど、ここからまた作っていける

   世界の狭間に立って
   二つの世界を眺めている
   一つは終わったもの、
   もう一つはこれから築いて行くもの

   さようなら、僕らの世界
   もう永遠に失われてしまったもの
   過ちは犯したかもしれないけれど
   誰も責めはしない
 
   こんにちは、新しい世界
   生まれたばかりの幼い国よ
   壊れやすく、それでも力強く
   僕らの流した涙が作ったもの

   新しい世界が上ろうとしている
   伸びろ、そして広がれ、いつまでも
   おまえは僕らの祈りで築かれた、すべての希望
   新世界は昇る、ここから、はてしなく
   そのために、僕らはここに生きてきたのだから

 二人は、同時に目覚めた。窓のカーテンの隙間から、細く金色の朝日が差し込んでいた。アレイルは起き上がり、次いでエマラインも片肘をついて、上体を起こした。二人は顔を見合わせた。
「音楽……」アレイルは呟いた。
「ええ……」エマラインも頷いた。
「素敵だったわ……」
 それ以外、言葉がないようだった。二人はしばらくお互いを見、そして肩をすくめた。
「六時五十分だね。起きようか」
「そうね」エマラインもかすかに笑って、ベッドから滑り降りた。また平穏な一日が、始まろうとしていた。

「アンナ・ヘリウェル……ヘリウェル大統領って言っていたっけ。どのくらいの時代の人なんだろう」
 その日、アレイルは書斎で、仕事が一段落ついたあと、昨夜の夢の断片を思い起こした。以前の世界連邦下では、個人のコンピュータ端末からは歴代の世界連邦総督の概要しか閲覧できなかった。しかし今はそれ以前の時代を見ることが出来た。さらにPAXが指定した“解放者”IDとパスワードがあれば、すべてのファイルを見ることが出来る。PAXのデータベース内には、ルーガー・ソーンフィールドの改竄を見越して、世界連邦創立前数百年の歴史からしか保管されていないが、双子のコンピュータRAY本体が眠る島の地下にあるコンピュータ・ルームには、本体とともに、それ以前の歴史や資料を記した膨大なデータベースがあり、PAXからRAYを経由して、その閲覧も可能だった。これは“解放者”のみに与えられた特権なのだ。
 データベースを検索した結果、アンナ・カーライル・ヘリウェルは四〇世紀末から二十年間就任していた、第一四二代新世界大統領であり、様々な規則の緩和に踏み切った人で、彼女のあとに続いた大統領たちもその路線を踏襲し、のちのネイチャー・コロニーや自然回帰運動、民主主義自由社会の礎を築いた人であることがわかった。ヘリウェル大統領の就任時代ということは、昨夜夢に見たジェレミー・ローリングスとその仲間たちも、その時代の人たちなのだろう。
「四〇世紀末か」アレイルは天井に目をやり、呟いた。
 二人同時の夢は、だんだん時代が遡っていっているようだった。最初のネオ・トーキョー市長とその弟の夢は、六百年前の出来事だ。エレノアとマリアの姉妹は、七百年前の人だ。ネイチャー・コロニーの家族は、そのコロニーの名前から、四九世紀後半から五二世紀後半まで、約三百年の間、現アメリカ連邦の北西部、カナダ連邦との境界線近くに建設されていたことがわかった。住民名簿は五二世紀にコロニーが暴徒の襲撃で壊滅した時に紛失したらしく、家族を特定することは出来なかったが、夢に出てきた父親の言葉の中に、「あれはちょうど五十世紀になるころ」という言葉が出てきた。彼ら夫婦の若いころのロマンスを息子に話している時だ。ということは、五十世紀になって四半世紀が過ぎた頃――だいたい千年弱前だろう。その次の夢は、シーンは取り立てて印象的ではなかったが、青年の一人が、やはり当時の大統領の名前を挙げていた。調べた結果、その人は四六世紀中ごろに就任していた人だとわかった。その次の医師と患者の夢では、部屋のシーンで、ディスプレイにカレンダーが表示されていた。NA二二六七年七月のものだった。世紀にすると、四三世紀になる。そして今。夢のシーンは四十世紀も終わりのころになった。今から二千年近くも前に。
 過去のヴィジョンを、これほどまで遡ったことはなかった。三年前に力が弱まって以来、過去のヴィジョンを見ること自体も、ほとんどなかった。しかし、あの夢だけは例外だ。エマラインと二人揃って見る、“例の夢”だけは。
 夢に出てきた人たちは、グレン市長やエレノア・ランディス初代総督同様、それぞれの時代を生きた実在の人たちなのだろう。ただ、ネイチャー・コロニーの夢に出てきた人たちは、コロニーの市民名簿が残っていないため、確かめられなかった。他の二つの夢では、登場人物の名前がフルネームでなく、ファースト・ネームだけで、都市情報もなかった。だが、昨夜の夢に出てきたジェレミー・ローリングスとその音楽仲間たちの記録は、残っていないだろうか――彼らはその時代、かなりの人気を博した音楽家たちらしい。もし彼らの記録が残っており、さらに音源ファイルもあったとしたら、その音楽が昨夜夢の中で聞いたものと同一であるかどうか、照らし合わせることが出来る。アレイルの“知識”は夢の内容が事実に即していることを教えていたが、しかし彼は確かめてみたかった。彼はRAYのデータベースへの検索をかけてみた。四十世紀から四一世紀 音楽家ジェレミー・ローリングスについてのデータを、表示せよと。
 三十秒ほど待った後、夢で見た面影そのままの写真とともに、画面にデータが現れた。
【ジェレミー・ジェナイン・ラーセン・ローリングス
 NA一九六二・七〜二〇一八・十一
 アメリカ地区、ニューヨーク市出生。母、シンシア・ローリングス・アンダーソン、旧姓シンシア・ラーセン・ローリングス。父は不明。母の結婚前に出生した子で、出生時、多重双生児であったが、分離手術によって健常児の機能を得た。双子のもう一人は、手術時に死亡。他に異父弟が二人、異父妹が二人あり。
 職業適性で宇宙開発局コースになるも、中間過程論文で不適格となり、自主的に再検査を受けて離脱し、芸能局に転向。芸名をジェミー・キャレルという。NA一九八五年五月、本名に戻し、従兄であるパトリック・バートン・ローリングス、モーリス・ローリングス・ハイマン、そして友人のケネス・ローゼンスタイナー・マッコールとともにM−フォースという音楽集団を結成し、再デビュー。一年後に異父弟のテレンス・ローリングス・アンダーソンを加える。非常な人気を博すが、芸能局ルールにより、一九九二年七月、三十歳の誕生日に一端引退。その後、学術文化研究局に転向し、三年間を過ごす。その後、要望により再び現役歌手となり五年間活動後、完全引退。その後は学術文化局員として生涯を過ごす。二〇一八年十一月、免疫系難病により死去。享年五六歳。第一四二代新世界大統領、アンナ・カーライル・ヘリウェルがNA一九八七年に施行した、強制結婚緩和条例の恩恵を得て、生涯結婚はしなかったが、非婚カップルとして認められたアヴェリン・シンクレア・ローゼンスタイナーとの間に、ノエル、シリル、セシリア、カレンの、二男二女をもうけた。なお、アヴェリン・ローゼンスタイナーとケネス・マッコールは兄妹である】

 アレイルは他のメンバーのデータも探してみた。全員が、やはり見覚えのある顔写真とともに引き出せた。
【パトリック・バートン・ローリングス 
 NA一九六〇.九〜二〇三七.三
 アメリカ地区、ニューヨーク市出生。父アンソニー・ラーセン・ローリングスと母メラニー・バートン・ローリングスの次男。姉と双子の兄あり。一九六一年十二月、南アメリカ地区サンパウロ市に転居。七六年六月、ニューヨーク市に戻る。学術文化局に所属するも、一九八五年から九二年と、九五年から二〇〇〇年年までの間、M−フォースの活動のため、芸能局に一時出向する。楽団ではギターを担当。二〇三七年三月没。享年七六歳。妻マーガレット・コールダー・ローリングスとの間に、ニコラス、エドウィン、エミリー、アネットの、二男二女がいる】
【テレンス・ローリングス・アンダーソン
 NA一九六九・四〜二〇四一・一〇
 ヨーロッパ地区、ロンドン市出生。父ジョン・スタンフォード・アンダーソンと母、シンシア・ローリングス・アンダーソンの間の長男。妹二人と弟一人あり。他に異父兄一人。この異父兄が上述のジェレミー・ローリングスである。学術文化局に所属するも、一九八六年から九二年と、九五年から二〇〇〇年までの間、M−フォースの活動のため、芸能局に一時出向する。楽団では低音ギターを担当。二〇四一年一〇月没。享年七二歳。妻エイダ・ニコルス・アンダーソンとの間に、ローラ、シンシア、エドワードの、一男二女】
【モーリス・ローリングス・ハイマン
 NA一九五八・五〜二〇三八.九
 アメリカ地区、ニューヨーク市出生。父バリー・グリーンウッド・ハイマンと母エセル・ローリングス・ハイマンとの間の長男。弟と妹が一人ずつあり。労働局に所属するも、一九八五年から九二年と、九五年から二〇〇〇年までの間、M−フォースの活動のため、芸能局に一時出向する。楽団では打楽器担当。二〇三八年九月没。享年八〇歳。妻スーザン・ビュフォード・ハイマンとの間に、ディクソン、ディーン、カーリンの、二男一女】
【ケネス・ローゼンスタイナー・マッコール
 NA一九五六・二〜二〇三〇・一二
 ヨーロッパ地区、パリス市出生。父ギルバート・ストレイツ・マッコールと母ジェーン・シンクレア・ローゼンスタイナーとの長男。父母の間に婚姻関係はない。妹一人、異父妹、弟一人ずつあり。一九六五年一二月、アメリカ地区シカゴ市に転居。学術研究局に所属するも、一九八五年から九二年と、九五年から二〇〇〇年までの間、M−フォースの活動のため、芸能局に一時出向する。楽団では、鍵盤楽器を担当。二〇三〇年一二月没。享年七四歳。妻モーリーン・スミス・マッコールとの間に、マライア、ヘンリック、エリスの、一男二女】

 スクリーンにゆっくりと流れる文字を見ながら、アレイルは夢の光景を思い出していた。彼らの人生も、要約すれば数行に収まってしまう。その間にどれだけの日常があり、思いがあったのだろう。後のファイルには、自分の一生も数行の言葉に表されてしまうのだろう、とも。いや、たいていの人は、データすら残らずに、消えていくのだろう。自分たち七人はPAXの解放者として、RAYのデータベースに残ると、PAXは言っていたが。
 彼はふっと息をつき、さらに検索を続けた。彼ら五人の音楽団体、M−フォースについて、データが残っていないかと。その結果、ファイルに残っていたのは活動概暦とメンバー五人の簡単なプロフィール(先の個人データと変わらないものだ)、それに四十曲以上に渡る、曲目リストが見つかった。無印は彼ら自身が創作した曲、★マークのついているものは「過去、他の人によって製作されたの曲の再演」とある。ただし、音源ファイルが残っているのは、五曲しかなかった。すべて印のない、彼ら五人による制作曲だ。そのうちの一つを再生してみた。それは聞き覚えのない曲だった。しかし次に再生した曲は覚えている。夢の中で、あの五人が演奏していた曲だ。紛れもなく、このメロディ、この声。そしてこの楽器の音の重なり、このリズム――夢の中で感じたと同じ戦慄が、背筋を走りぬけた。

 その夜、子供たちが眠ったあと、アレイルはエマラインに、夢に出てきた五人に関するすべてのデータを見せた。
「まあ……」
 食い入るように画面を見たあと、エマラインは両手を合わせた。
「本当に存在した人たちだったのね。二千年も前に」
「ああ、そうなんだよ」
「たしかに……グレン市長も、エレノアさんとマリアさんも、実在した人たちだったけれど……不思議ね。二千年前に存在していた人たちが、夢に出てくるなんて」
「ああ、それにこの音楽だ。君も覚えていると思うけれど」
 アレイルが音源ファイルの一つを再生した。
「まあ、この曲! そうよ、夢の中で演奏していた曲だわ。なんて不思議なのかしら! ええ、ええ、覚えているわ。素敵だったもの」
 エマラインは何度も頷く。そして聞き終わったあと、夫に問いかけた。
「ねえ、他にも残っているかしら。夢の中で歌っていた曲が」
「彼らの音源は、五曲しか残っていないんだ。全部で四一曲発表したらしいけれど。一通り聞いてみたけれど、聞き覚えのあるのは三曲だけだったよ。全部聴いてみるかい?」
「ええ、お願い」
 五曲の再生を終わると、エマラインはほっと吐息をついた。
「素敵ね……でも、それだけしか残っていないのは、惜しいわね。他にも素晴らしい曲が、たくさんあったのに」
「そうだね……本当に」
「特にね、わたし、最後の曲が印象に残っていたの」
「最後の曲? ああ、『New World Rising』だね。あれは僕も、とても強烈な印象だった。でも、ファイルには残っていないようだ。リストにはあるけれど。この曲は……ほら、このリストを見てごらん。『過去において他者が製作したものを、再演したもの』の印がついているだろう。これはもともと、彼らの曲じゃないんだ。そしてこの印のついている曲に関しては、音源ファイルは一つも残っていない。偶然かもしれないけれどね」
「そうね……ああ、とても残念だわ。でも……」
「どうしたの?」
「いいえ。過去において他者が製作した曲って……あの人が……あの歌手の人が、夢の中で言っていたわよね。作った人たちは、新世界が始まる以前の世界を生きていた人たちだった。だから、あの曲は、新世界の夜明けを感じさせた……たしかに。不思議な気がするの。あの夢の時点で、新世界が始まって二千年がたっている。そしてあの夢の時代から今まで、二千年。わたしたちが二千年前の曲を発見したように、あの人たちも二千年前の曲を発見したのかしら」
「そうなんだろうね」
「どうやって発見したのかしら?」
「やっぱりメインコンピュータのデータベースに、残っていたんじゃないだろうか」
「そうなの? そうよね。それしか考えられないし……でも、今はないのかしら」
「わからない。ピエール・ランディスがPAXとRAYのシステムを作り上げた時、データベースにどのくらいのファイルが残っていたのか、わからないし。幸いなことに二千年前までのデータは存在したようで、そのまま移行してくれたようだけれど、それ以前は……PAXに問い合わせてみようか」
「そうね」エマラインは頷いた。
 アレイルは質問を打ち込んでみた。ややあって、PAXの返答が来た。
『世界連邦創立以前のデータはすべて、RAYのデータベース上にありますが、アクセスできるのはNA一〇〇〇年以降のものだけのようです』
「そう。ありがとう」アレイルはふっとため息をつき、微かに首を振った。
「残念ね……」エマラインも吐息をついた。
 二人はしばらく黙った。ふと、不思議な感覚を感じた。今コンピュータを通じて過去を探索しようとしている自分たちと、たぶん同じように過去を探していた、夢の中に出てきた彼ら――その姿に思いをはせた時、既視感のような思いを感じたのだ。あたかも二つの姿が重なり合うように――。
 その朝目覚めた時から、二人とも何か形にならない思いが、胸の奥底から頭をもたげてきたような感覚を感じていた。しかし、その思いははっきりした概念になることはなく、厚い壁で隔てられたように、手にとって眺めてみることは出来なかった。
 不思議な感覚は、現在に溶けていった。アレイルはスクリーンを軽く指で叩いた。
「今、この時代に戻すべきものの一つは……音楽だろう。彼らのような音楽は、もう長らく絶えて、存在しなかった。彼らのような音楽を、もっとみんなに聞かせられたら……音楽には、不思議な力があるようだ。長い間世界連邦の下で抑制されて眠っていた心をも、もっと活気付かせてくれるかもしれない」
「そうね。ああ、そうね!」
 エマラインも何かの啓示に打たれたように飛び上がった。
「音楽は、あの人たちのような音楽は、人の心を動かしてくれるわ。今まで以上に」
「まずは彼らのファイルも含めて、昔の優れた音源ファイルを音楽プログラムで流してくれるように、PAXに要望を出してみよう。もっと音楽が浸透すれば、自分たちでやってみようとする人たちも出てくるかもしれない。すぐには無理だろうけれど」
「そうね。お手本がなければ、作れないと思うわ。まずは生きた音楽をみんなに聞かせて、それがどんなに人の心を動かし、活気付けてくれるかを、わかってもらわなくては」
「以前、エレノアとマリアの少女時代を夢に見た時、大勢の人が野原で踊っていたね。音楽を流して、歌を歌いながら。そのあと、一気に悲劇に変わってしまったけれど、それまでは、本当に幸福そうな、陽気な光景だった。今は、人は歌ったり、ましてや踊ったりなんてしない。でも、もし出来れば……」
「きっとみんな、もっと前向きになれるわ。今まで以上にいろいろなことを感じることが、出来るようになると思う」
「ああ」
 それから一ヵ月後に、その計画は実現した。ソーンフィールド以降の世界連邦では、放送プログラムは唯一つだけしかチャンネルがなく、プログラムも決まった時間に放送されていて、起床時間から就寝時間までの間、ずっと流れっぱなしだったが、今は端末のオンオフで放送を切ることができ、プログラムのチャンネル数も増えた。現在の放送チャンネルは報道関係と娯楽関係に分かれ、娯楽もドラマとスポーツ、音楽とバラエティの、二つのチャンネルがある。その二番目の娯楽チャンネル上で、『過去からのこだま』というプログラムが始まったのだ。それは月、水、金、日曜日と週四回、十六時から十八時までの時間帯に放送され、いろいろな風景の映像とともに、RAYのデータベースに残っていて、アクセスできる六七個の音源ファイルをランダム再生するものだった。

 六月、アリストルとアディルアの三回目の誕生日を、一家は家族と、かつて一緒に戦った仲間たちとともに祝った。三つの家族は、その構成員すべての誕生日をそれぞれの家で祝い、全員でお祝いをするのが、解放の年以降の恒例になっていたのだ。エマラインは朝からケーキを二つ焼き、クリームやイチゴで飾った。そして鶏のフライ、サンドイッチ、サラダとともに食卓に出した。ローゼンスタイナー家の七人を始め、ジャックとヘレナ、アーサー、そしてリンツとシェリー、ミルトが集まって、にぎやかに食事をした。めいめいが小さな、心のこもったプレゼントを用意し、双子たちは大喜びだった。
「しかし、大きくなったな、二人とも。ちょっと前には生まれたばかりの赤ん坊だと思ったのに、もう三歳か。それにまあ、かわいらしくなったもんだ。もともと器量よしだったがな」ジャックが感嘆したように言った。
「アレイルもエマラインも器量がいいから、子供たちも皆かわいいわね。でも本当、あの二人を見ていると、なんていうのかしら……ファイルで見た、御伽噺の天使のようね」
 ヘレナもため息をつくように言う。
「ヘレナ小母ちゃん、おとぎばなしの天使ってなあに?」
 セルスがそう聞いてきた。
「ああ。あのね、アーサーがお話を読むのが好きだから、子供用の話をコンピュータで探していたのよ。そこで、五〇世紀ごろに書かれた童話を見つけて、そこに出てきた絵があったの。きれいな小さな子供でね。天から来た子供だっていうことだったわ」
「本当に、そんな子っているの? 天って、お空のことでしょう? アディルもアリストもたしかにとても小さくてかわいいけれど、お空から来たわけじゃないよ」
 アレンが目を見開き、そう問いかける。
「お話は人が作り上げたものだから、本当とは違うわ。本当は、そんな子はいないのよ」
 ヘレナは苦笑して答えていた。
「ねー、お花いっぱい。きれいねえ!」
 アディルアが声を上げた。彼女はプレゼントにもらった二つの花束を、これもまたプレゼントされた透明な水差しに、さし終えたところだった。それぞれの花の色や形を見ながら、美しく並べられている。
「まあ、きれいに出来たわね! 芸術的なセンスね、アディルアちゃん」
 シェリーは感嘆の声を上げていた。
「アディルは、こういうのが好きなのよ。花を摘んできて飾ったり、絵を描いたり、ビーズで飾り物を作ったり……それはそれは上手よ。親のわたしが言うのもなんだけれど」
 エマラインは微笑を浮かべた。一方、アリストルはもらった絵本を読むのに夢中になっていた。慣れた手つきでビュワーを操作しながら、画面を見つめている。
「まだ三つになったばかりなのに、もう字が読めるのね」
 ヘレナはその様子を見ながら、感嘆したような声を出した。
「新聞も読むよ。アリストは」
 アレイルはかすかに笑みを浮かべ、肩をすくめた。
 アディルアのほうは、花を持って椅子から下り、キャビネットの上に飾りおえると、シェリーの前に来て、首をかしげ、問いかける。
「シェリーおねえちゃん、おなかのあかちゃん、げんき?」
「ええ。よく動いているわ。夏になったら生まれるのよ」
 シェリーはおなかを愛しそうに触れながら答えた。
「さわっていい?」
「ええ。どうぞ」
 アディルアはそっと近づき、青いドレスの上から丸く膨らんだ腹部に両手で触れると、その小さな頭を軽くつけるようにした。まるで赤ん坊の心音を聞いているかのようだったが、やがてにこっと笑って、身体を離した。
「あかちゃん、とてもげんきよ。早くみんなに会いたいって」
「あら、そう。ありがとう。あたしもみんなも、会いたがっているって伝えて」
「わかってると思う。聞こえてるもの」
「なあ、アディルちゃん。おなかの子は、どっちだかわかるか?」
 リンツが半ば冗談のように、そう問いかけた。
「えっ? おとこの子よ」
 アディルアはさらっと答え、跳ねるような足取りで自分の席へ帰っていった。娘がそう答えた次の瞬間、アレイルは苦笑した。エマラインは夫の顔を見、次いで末娘に視線を移して、かすかに笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「えっと、図星か。あたりなんだな?」
 リンツはかすかに当惑したように肩をすくめた。
「もし君たちが、生まれるまでのお楽しみにしていたのなら、悪いことをしたね」
 アレイルは苦笑したまま、二人を見た。
「いいのよ。どっちでもいいって思っていたし。あたしもおにいちゃんに聞こうかと思っていたんだから。本当よ。最初にわかった方が準備しやすいし、いいわ」
 シェリーは笑みを浮かべて、首を振り、
「不用意に聞いちまった、おれが悪いな。男の子か。今から名前考えとくか」
 リンツも苦笑し、ついで笑った。




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