Part 7 of the Sacred Mother's Ring - A Path to the Light

第2章 たどり来た小道(1)




 カーテンを開けると、窓の向こうには夜空が広がっていた。透明感のある、深く濃い青灰色の空に細かい光の欠片を散らしたような、その光景にエマラインはしばし見とれた。こんな空を、かつて政府に追われ、都市の外で暮らした時に見たことがある。世界が解放され、ドームが開いた後は、窓から夜空を見ることが出来たが、集合住宅の窓からでは、これほどの広がりは感じられない。しかし、一年前に市外区域の住宅区画が整備され、そのうちの一戸に移り住んで以来、広がる星空は自分たちのものだった。それだけでなく、昼間の明るい空も、家の前に広がる草原も、木々を渡る風も。
 もちろん、自然の中の暮らしは、快適なことばかりではなかった。ここグリーンズデイル市は冬になると、かなり気温が下がるし、降雪も多い。都市の中は透明なドームで防御されていたが、市外区域にはそのカバーはない。冬にはしばしば氷点下二桁まで下がる気温も、時には膝まですっぽりと埋まってしまうほど降り積もる雪も、すべて引き受けなければならないのだ。そのため家の中では、都市部にも増して強力な空調システムと、降雪の影響を考慮して、家々の屋根と、玄関までの通路には自動で雪を溶かすシステムが付けられ、家々の間を通る小道も、同様の融雪システムが施されている。
 市外住宅区域は、都市の南側の円周部にそって開発された、幅八十メートル、長さ三七〇メートルの区間で、その中に小さな個人用住宅が十五戸ずつ三列に規則正しく並んでいる。住居の区画は庭を含めて十八メートル四方で、その中に三階建ての家が建てられていた。列の間には幅二メートル弱の小道が通り、縦方向には五件ごとに同じく細い道路が通っていて、すべては都市の南ゲートから伸びる一本の道につながっている。
 アレイルとエマラインの一家は、この地区に引っ越してきた最初の移住者だった。彼らの家は南の端、最も都市部から離れた三列目の住宅区にあった。一階部は吹き抜けの玄関と広いリビング、キッチンと食堂、バスルームの他には何もない。二階に夫婦の寝室、末の双子たちの子供部屋、客用寝室が一つ、そしてアレイルの仕事部屋があり、三階には上の三人の子供たちの部屋がある。以前住んでいた集合住宅より広さは十分にあった。集合住宅とは違い、上下の階段移動がかかせないが。
 都市の暮らしに慣れている人々にとっては、気候の影響を百パーセント受けることや、家内部での上下移動などが、煩雑に思えたのかもしれない。市外区住宅に住みたいという希望者はあまり多くなく、完成時で十四世帯、一年半たった今でも十七世帯しか住んでいない。一度住んでみたものの、再び都市内の集合住宅へ戻って行ってしまう家族も少なくなかった。他に市外区住宅を作った四つのモデル都市でも、どこも三、四割程度しか入っていないらしい。
「私でも、この事態は予測できたがね」と、連邦主席プログラマーであるヴァーノン・スミソンズにやや皮肉混じりに言われたが、アレイルとてこの現状は十分予測していた。
「僕らの希望を通しすぎたかな」彼はある日、肩をすくめて妻に語り
「そうね。でも、もう少し時間がたてば、もっと人が来てくれるはずよ」
 エマラインも肩をすくめて答えていた。
「まあでも、このくらいは良いんじゃね。おれらの希望を通してもらってもさ」
 その時、妻とともに遊びにきていたリンツが、そう言ったりもした。リンツとシェリーのスタインバーク夫妻も、ほぼ同じ時期に市外区の住宅地に引っ越していたのだ。ミルトは社会人として独立するまでは姉夫婦の家にいることが三人の間で取り決められたので、一緒に暮らしている。彼らの家はローゼンスタイナー家の二件隣にあり、間の家は現在空き家だったので、少し距離の離れた隣同士のようなものだった。
 アレイルとエマラインの間に男女の双子、アリストルとアディルアが誕生してから、まもなく三年になろうとしていた。アレイルとエマラインの特殊能力が減衰し、リンツ、シェリー、ミルトの特殊能力が消えてからも、ほぼ同じくらいの年月がたっている。彼らの力は、それから戻っては来なかった。かつての政府の時代では、恐れ、呪ったこともあったが、道を切り開くためには不可欠な力でもあった。しかし今は平和となったこの時代に、さほど特殊能力の必要性はない。しかし、時おり惜しいと感じる時もあるようだった。その思いは、便利で使い慣れた道具を喪失した寂しさにも似ているのだろう。
 シェリーは今初めての子供を妊娠中で、この夏に出産を控えている。その他には、大きな変化はなかった。ジャックとヘレナは市外地区へは引っ越さなかった。この夏で六歳になる一人息子アーサーの健康を案じ、気候の厳しい外での暮らしを望まなかったためだ。アーサーはよく風邪を引き、軽い喘息もあった。

 長い冬があけ、春の息吹に景色が染まった、美しい五月の一日だった。エミリア、アレン、セルスは学校へ行き、在宅勤務日だったアレイルがアリストルとアディルアをプレイガーデンへ送っていっている間に、エマラインは家を片付けた。もう何百年何千年も昔から、空中に舞う埃は家々の空調システムに回収され、家具や床が埃をかぶることはなくなっていたが、完全に掃除から自由になったわけではない。しかしおおむね昔から、自動掃除機やロボットによる掃除サービスはあった。旧世界連邦下では、各コンパートメントの清掃は居住者に任せられたが、もともと個人の所有物が多くない時代だったので、それほど煩雑にはならなかった。しかしエマラインは時おり、自分が育った家のざらついた床を思い出した。母はほとんど床を掃かず、エマラインが時おりスイーパーを持ち出して拭いていたことを。子供たちのおもちゃや学用品を所定の場所に片付け、自走式の掃除機を作動させると、窓ガラスに目をやった。まだガラス磨きは頼まなくても良いだろう。
 やがて戻ってきた夫が仕事をしに部屋に行ってしまうと、エマラインは新しく覚えたカスタードパイを焼いた。八年前、様々な料理のレシピのデータベースが公開され、そのために必要な食材もセットで注文できるようになって以降、エマラインは時おり覗いては、自分が作れそうな料理に挑戦していた。シチューやオムレツなどの料理から始めて、徐々にお菓子へと。アップルパイは去年から挑戦し始め、今はかなりうまく焼けるようになっている。今回のカスタードパイも、なかなかの出来栄えだった。そのパイを帰ってきた子供たちと、おやつとして、家族全員でにぎやかに食べた。食事の準備をしながら子供たちにシャワーを浴びさせ、そして夕食。二十時に双子が眠るのを見守り、二一時に上の三人の子供たちは部屋に引き取っていった。
 いつもと変わらない一日だ。暖かい、幸福に満ちた。エマラインは寝室の窓を閉め、カーテンを引いた。そして自分も眠る前に、子供たちの様子を見に行った。
 隣の部屋で眠る双子は、今も一台のベッドを共有していた。お互いに頭を寄せ合って眠っているような格好の二人を、愛しそうに眺める。先に生まれた男の子のアリストルは薄緑色の寝間着を着て、淡い茶色の癖のない髪を首筋の辺りで切りそろえ、その髪が頭の回りに小さな円を描いて広がっている。薄いピンクの寝間着を着た妹のアディルアは、緩やかにカーブを描いた淡い金髪で、その髪を背中まで伸ばしている。一番上の娘エミリアも髪を長くしていて、エマラインは娘の髪にいろいろな飾りをつけ、結ってやるのが好きだった。だが、十一歳半になるエミリアは、もう自分で髪を結べるようになった。エマラインは娘の成長を頼もしく思いながら、しかしまだ面倒を見てやれる小さな娘がいることを喜んだ。アディルアの髪はエマラインよりかなり薄い色合いで、光が当たるときらきらと輝き、髪を結ってやりながら、エマラインでさえ時おりその輝きに見とれた。エミリアも小さな妹に夢中で、母親と競争で彼女の髪に触りたがった。今はその髪が、光の筋のように枕の上に広がっている。二人ともまつげは長く、ほんのりと赤みを帯びた頬に触れそうだった。
 エマラインは手を伸ばし、アリストルの頭をなで、アディルアの髪を少しだけ整えて、その柔らかい頬に触れた。そして少し位置がずれてしわになっていた毛布をかけなおし、部屋を出た。階段を上り、三階の子供部屋へ行く。もうじき七歳になるセルスと九歳のアレンは、同じ部屋を共有していた。二段寝台の上と下で、兄弟はほとんど同じポーズで毛布を跳ね飛ばし、手足を投げ出して寝ている。エマラインは微笑んで、二人をもう少しお行儀よく寝かせてやり、毛布をかけてやった。
 エミリアはもう、自室に勝手に親が入ってくるのを嫌がる年頃になった。エマラインはドアに手をかけ、娘の気を探るのみにとどめた。娘が健やかに眠っているかどうか、それを知ることは、彼女に残った力でまだ可能だったからだ。そのことをエマラインは感謝したい気分だった。

 二階の寝室に戻ると、アレイルが片方の腕で頭を支えるような格好で、天井あたりを漠然と見つめていた。
「どうしたの?」エマラインは声をかけた。
「いや……」アレイルは妻の顔を見、頭を振った。それから再びエマラインに視線を戻すと、しばらく黙ってから、苦笑して言葉を継いだ。
「今日は、例の夢を見そうな気がするんだ」
「あら、そうなの?」エマラインは小さく肩をすくめた。
 例の夢、それはまだエマラインが双子を妊娠中に見た、ネオ・トーキョーの市長とその弟の夢に端を発した、二人同時に見る夢のことだった。その後、エレノアとマリアの夢を見た。それから二年あまりの間、そういう夢は訪れなかった。しかし一年前から、再びそれは現われるようになり、三回ほど、二人は同じ夢を見たのだ。しかし劇的だった最初の二回に比べると、最近の三回はどれも、平和な光景の一シーンという印象しか残さなかった。出てくる人物も、まったく知らない人たちだ。しかし、まったく同じ場面を二人同時に見るということで、不思議な思いは拭えなかった。三回のうち最初の夢は、ネイチャー・コロニーと呼ばれる自然共同体――世界連邦設立前、動乱の時代より以前、世紀で言うなら五十世紀前後に栄えていた、『自然とともに暮らそう』という旗印の下に集まった人々の集落が舞台だった。現実に二人は、逃亡生活の間にその跡地をいくつか訪れたのだが、夢の中では四三〇〇人あまりの人々が生活を営んでいた。今の新世界が始まる前の時代をモデルケースとして作られたこの共同体の町外れに、その一家は暮らしていた。父親と母親、そして四人の子供たち。父は四九歳、母は四七歳。一番上の息子が二三歳、二十歳と十八歳の娘、そして十五歳の末息子という家族構成だ。一家は野菜と鶏を育てて、生計を立てているらしかった。ただ、やり方は現在の、専用ドーム内でのロボットと機械による水耕促成栽培とは、ずいぶん違う。土の上で栽培され、日光や水は通すが虫は通さない薄い網で畑が覆われていて、畑の中に設置されたスプリンクラーで水を撒く。収穫は一家総出で、道具を使って行っている。その作物を青果商に引き取ってもらって、収入を得ていた。鶏は小屋の中に百匹ほど飼っていて、毎日卵を採集する。その小屋は広く、太陽がたっぷりと入ってくる。鶏たちはその中をチョコチョコと歩き回っていた。その卵もまた、商店に売って貴重な収入源となる。鶏舎の掃除も自分たちの手で、奇妙な道具を使ってやっていて、糞などで汚れた表土を取り除き、新しい土と藁を入れる。汚れた土は菜園へ持っていき、畑に漉きこめば、滋養分に満ちた土壌となるのだ。そんな暮らしをしていた一家だが、アレイルの視点では父親、エマラインの視点では上の息子になっていた。息子に好きな娘が出来、そのことや将来について、父親にあれこれと相談している場面だ。父親はかつての自分の、現在の妻とのロマンスを息子に話し、激励していた。
 次の夢は、もう少し前の時代のようだった。漠然とした感じだが、四七世紀ごろの、どこかの都市のようだ。男性の友人同士で、場面では二十代前半くらい、飲食店のようなところでグラスに入ったドリンクを飲み交わし、「人生の意義」や、「世界のこれからの展望」について語らっていた。彼らは熱心で、希望に満ち、誠実だった。
 最近の夢は、さらに前の時代のようだった。四三世紀ごろだろうか。二人は、医師と患者だった。病気によって一つの夢を諦めざるを得なかった青年が、医師の励ましと見守りによって、新しい道を見つけ、努力していこうとしていた。そこでは医師がアレイルの視点、青年がエマラインの視点だった。
「今度は、どんな関係の場面になるのかしらね」
 エマラインは微笑を浮かべ、首を傾げた。
「さあ」アレイルも肩をすくめ、頭を振る。
「でも、最近のものは、あまりいやではないわ。怖くないし。特にネイチャー・コロニーの夢は良かったわ。ずっとこうだったら良いわね」
「そうだね」
 二人は灯りを消し、眠りについた。

 五メートル四方くらいの部屋に、五人の若者がいた。薄茶色のプラスティック樹脂でできた丸いテーブルの周りに、椅子が五つ。背もたれとひじ掛けのついた、薄緑のビニール張りのその椅子に、それぞれ座っている。部屋の隅には黒い長椅子が置いてあるが、その上には五つのバッグ。彼らの荷物なのだろう。テーブルの上には飲み物のパックと、カットされた果物が盛られた皿、丸い筒に入れられた細長く固いパンのようなものがいくつか――それに手を伸ばしながら、彼らは楽しげに話をしている。みな、色違いの、襟のついた丈の長い上衣と、比較的脚にぴったりとした濃い灰色のズボンという格好だ。髪はみな肩に触れるかつくくらいの長さで、二十代後半から三十代初めくらいの年配だろう。その会話の中身はたわいのないものが多かったが、お互いに親しみと信頼が感じられた。
 とび色の髪に茶色の目をした、少しごつごつした顔立ちの男の人は、この中ではもっとも年長のようだ。三十代半ばくらいだろうか。仲間内で、彼は「ケネス」又は「ケン」と呼ばれていた。その隣に座った、がっしりとした体つきで肌の色も浅黒い、精悍な感じの若者は「モーリス」。その隣にいる、明るい茶色の巻き毛を肩まで延ばし、緑色の目をした若者は、「パトリック」又は「パット」と呼ばれている。まだ二十代半ばで、この中では一番若いと思われる黒髪の若者は、「テレンス」又は「テリー」と呼ばれていた。その隣にいる金髪の若者、エマラインの目のように色の変わる目の持ち主である彼は、「ジェレミー」。お互い、そう呼び合っているので、それが彼らの名前だとわかった。
 会話の中で、パトリックと呼ばれる茶色の巻き毛の青年が、生れたばかりの赤ん坊の写真を他の四人に見せた。その赤ん坊は薄いクリーム色のベビー服を着て、薄い茶色の産毛が小さな頭を覆い、ぱっちりとした灰色の目をしている。
「エドウィンってつけたんだ」パトリックは少し誇らしげな口調で言っていた。
「わあ、かわいいね!」
 テレンスと呼ばれる若者が、目を輝かせて声を上げる。
「本当だな。どっち似だ? おまえにも似てるし、マーガレットさんにも似てるな」
 モーリスという若者が、ひょいと写真を手にとって眺めながら問いかけ、
「どっちかといえば、君の方に似ているんじゃないか」
 ケネスと呼ばれる人が微かに笑い、
「でも鼻と口の辺りはマーガレットさん似だね、パット」
 ジェレミーと呼ばれる金髪の若者も微笑み、言葉を継いだ。
「ニコラスは二歳で、お兄ちゃんになったんだね。弟に対して、どうしてる?」
「興味は持ってるみたいだね」パトリックは軽く肩をすくめた。
「規定出生なら、二才違いの兄弟なんて、ありえないんだろうけれどね。最低でも三年は、間を空けるから」
「規定出生をする気はないのかい、パット?」ケネスが聞いた。
「うーん。その方が安全だとは思うんだけれど、ニコラスが自然で出来てしまったから、もう自然でもいいやと思ったんだ。彼が自然出生で、他の子が規定だと、それはまたそれで、生まれた時から差がついてしまうような気がして」
「だが君のところは夫婦なんだし、ニコラスも健常だったのだから、他の子が規定でも、差別はないだろうと思うんだが。昔から、そうだったからね」
「まあ、目に見える差は、そうなんだろうけれどね、ケン。君のところは、やはり規定にするのかい? マライアもそうだったから……」
「そうだな。来年にはモーリーンとともに、生殖センターへ相談に行くつもりなんだ。マライアも二歳になったし、そろそろ二人目、三人目を考えているんでね。僕自身は自然だったが、やはりそれだけにリスクは犯したくない。君は規定出生だから、子供が自然でもそう問題はないのかもしれないが、パット、親が自然出生だと、自然に任せては子供の障害率が上がるというのもまた、動かしがたい事実だからね。それにまだ僕の頭には、昔からの社会規範が残っているようだ。自分が婚外出生だということで、社会的な不利はそれほど蒙らなくなった。大統領のおかげでね。でも、やっぱり完全には昔からの通念は払拭できないんだ。僕がそうであるように、まだかなりの人々が昔の社会規範を引きずっていると思う」
「でも、ヘリウェル大統領が無事再選されたら、改革ももっと進んでいくだろう。社会も徐々に変わっていくと思うよ」パトリックは首を振って主張する。
「だが継続の場合でも、大統領閣下の任期は、あと十二年だ。その次の大統領が保守的だったら、時代はあっという間に元に戻ってしまうだろう」
 ケネスは眉根にしわを寄せて、微かに首を振っていた。
「そうならねえことを願いたいな」モーリスが両手を叩き、嘆息するような声を上げた。
「俺もさ、自然でディクシーができちまった。あいつが生きづらい世の中にはさせたくないんだ。俺の昔みたいにさ」
「ディクシーも来月一歳だよね。かわいい盛りだね」
 ジェレミーが微笑を浮かべてそう言い、
「おうよ。俺はあいつのためなら、何でもするぜ」
 モーリスは熱心な口調で答えた。
「兄さんは、どうするの? このロード期間が終わったら?」テレンスが聞いてきた。
「学術文化研究局への編入試験を受けて、合格したら学術になるよ。だめなら、芸能局の事務オペレータだって。ハワードさんがそう言っていたんだ」
「そう……事務オペレータなの? 研修官じゃなく?」
「僕が研修官になると、担当歌手を甘やかすから、だめたって」
「それに君は知名度がありすぎるからね。芸能局では、かなり人気の出た歌手の場合は、有名すぎて担当になった人が浮つくから、基本的には事務に回されるってきいたし」
 パトリックも指を振って付け加える。
「そうなんだ……どっちにしろ、これからはまた別の意味で忙しいと思うよ。子供たちにすごく手がかかって、アヴェリンも大変みたいだから、僕も手伝いたいんだ」
 ジェレミーは楽しそうな微笑を浮かべた。「幸い、大統領閣下が法を改正してくださったから……結婚適正で拒否された相手との救済策を出してくださったから、僕らは一緒に暮らしていける。みんなのおかげで、その資格が出来たから」
 結婚適正――この時代では、遺伝子の相性が悪いと、結婚許可が下りない。以前なら、その時点で終わりだった。政府が結婚上限年齢を定め、それまでに相手を決めて申請を出さないと、ちょうど以前の世界連邦がそうであったように、政府の決めた相手と強制的に結婚させられた。しかし、それより四年ほど前、当時のアンナ・ヘリウェル大統領が強制結婚制度を緩和した。不適合で申請が却下されて、それでも相手との結婚を望む場合、『救済申請』を出すことが認められたのだ。その申請を出し、結婚上限年齢までに健常な子供を一人以上設けることができれば、強制結婚は保留となる。さらにそれから五年以内に、健常な子供を三人以上持つことができれば、他の人と結婚しなくともよい。法的な夫婦とは認められないが、非婚カップルとして夫婦に次ぐものと認定される。不適合同士の男女は、遺伝子的組み合わせが難しいことが多いので、片方を第三者の適合する精子や卵子を使っても良い。それは生殖センターで供給可能だが、非婚カップルの場合、正規夫婦と違って、規定出生の費用は半額負担となる。さらに限界年齢から五年以内に健康な子供が三人持てなかった場合には、その時点で同じような条件の他の人と強制結婚させられる。そういう条例が設定されたのだ。
 結婚している男女が、それぞれの配偶者以外の相手と一緒に住むのは、禁止されていた。ヘリウェル大統領の時代になっても、その法律は継承されている。ただ、非婚カップルが夫婦に次ぐものと認められた今、お互い結婚せずに一緒に住むこと自体は、法的な罪にはならなかった。結婚適正を拒否された男女が一緒に住むことは、以前は社会的なタブーだったが、これとて、もとから法的な規制があったわけではない。ただ、以前は結婚上限年齢で、他の相手と強制結婚させられた。結婚後は、その相手と住まなければならず、その相手と子供を作らなければならない。相手に対し、結婚に伴う義務を果たさなければならない。それに違反することは、明確に処罰の対象とされた。それゆえ、どうせ結ばれないのなら、早いうちに諦めて他の相手を探す、という事が通例になっていたのだ。
 ジェレミー・ローリングスはアヴェリン・ローゼンスタイナーと愛し合っていたが、二人の遺伝子適正が会わず、結婚許可は下りなかった。二人の間にはノエルという男の子が生まれていて、この子はまもなく八歳になろうとしている。ヘリウェル大統領が行ってくれた強制結婚緩和条例を受け、二人は正式な夫と妻にはなれなくとも、愛を貫こうと決心した。条例が発令されるとすぐに二人は救済申請を出し、ジェレミーはアヴェリンとノエルとともに暮らし始めた。そしてそれから二年半がたった去年の秋、彼の音楽活動の合間を縫って、二人は生殖センターへ赴いた。そして遺伝子組み合わせの中から、正常児になれる組み合わせを持った卵子と精子を選び出し、受精させ、アヴェリンの子宮に戻された。一気に四個も戻された受精卵のうち、なんと三個が着床し、この五月に女の子二人、男の子一人の、三つ子が生まれた。多胎ゆえ、予定日より一ヶ月ほど早く、帝王切開で生まれたのだが、みな健常で、元気な子供たちだった。最初に生まれた子供ノエルも含めて、これで彼らの子供は四人になり、正式な夫婦とは認められないものの、非婚カップルとして、家庭を築くことが出来たのだ。
 規定出生は、正式な夫婦の間では無料だ。しかしそうでない場合は、半額ではあるものの、費用がかかる。そのため、遺伝子適性が合わずに結婚が否定されるカップルの場合、第三者で組み合わせに問題のない卵子や精子を使うことが多く、生まれた子供は父母どちらかの因子しか受け継いでいないことが多い。当人同士で問題のない組み合わせを探るとなると、相当に手間がかかるゆえ、費用がかかりすぎるし、場合によっては不可能な場合もあるのだ。
 ジェレミーとアヴェリンの場合は、健常な子供もたまたま生まれていることからしても、不可能ではないのだろうが、やはり規定出生で選別するとなるとかなり手間がかかり、費用も相当に高額になった。芸能局の給与では、やはり第三者提供にするべきか、もう二人の子供は一人いるのだから――そんなことを二人で話していたという。
 しかしジェレミーとアヴェリンのロマンスは、彼と彼の音楽共同体が有名になって四年後に、彼らの最初のヒット曲である『Love Song』のモデルとして、一般に明らかにされると、たちまちにして若者たちの共感を呼んだ。そして彼らの子供を設ける試みにいくらかでも足しにしてくれたらと、世界的な規模で募金活動が起こり、楽に費用を払えて余りある金額が、彼に届けられた。それゆえ、二人は両方の血を引いた子供たちを生み出すことができたのだ。
 ジェレミーとアヴェリンの場合、三分の一以上の確率で、ブルーブラッド――この当時では、ただ「ある特殊な体質」としか言われず、詳しい説明もされなかった、その体質。アレイルとエマラインも、そしてリンツとシェリーも結婚時に警告されたそれが、発現する可能性があった。その体質は社会にとってタブーであり、発現の可能性のあるカップルは、結婚が認められない。もし禁じられたそのカップルに自然出生でその体質の子供が出来た場合、その子は生れ落ちるとすぐに政府の手によって取り上げられ、特殊な養育施設で育てられ、隔離された研究室で一生を過ごすことになる。決して粗略に扱われることはなく、むしろ科学や医療技術の発展のために重要な頭脳として、手厚い庇護が与えられるが、親の愛情はなく、他の人とのかかわりも薄くなる。それは子供にとっては決して幸せとは言えず、親にとっても辛い。そんな事態は避けなければならない。なんとしても――それゆえの決断であった。表向き、この体質は言及することも許されなかったので、障害率が上がるという理由にしたが――それも、決して嘘ではない。厳密には障害率が上がるというより、特殊体質発現と同じくらいの確率で、早期流産も起こってしまうのだ。それゆえ、自然に任せるにはリスクがありすぎる。正式に結婚できない愛する人と一緒に暮らせるだけの子供を持ちたいので、規定出生をしたい。でも自分たちの因子の組み合わせは難しいので、やはり第三者の提供しかないだろうか、と、ある音楽放送番組のインタビューでもらしたところ、ファンたちの募金活動になったわけだった。
「なぜ見ず知らずの僕のために、みんながここまでしてくれるのだろう」
 それを知った時、ジェレミーは驚きと喜び、そして当惑を隠しきれないようだった。
「みんな、君の歌が好きだからだよ。君の歌から、何かを感じ取って、力をもらっているんだ。ほら、いろんなメッセージが来ているけれど、どれもみなそう書いてある。かつて僕らが彼らの曲から力をもらったように、君もみんなにそれだけの力を与えているんだと思うよ、ジェレミー」
「そうだと……嬉しいな」
 パトリックの言葉に、ジェレミーは目を潤ませていた。
「だけど……もしそうだとしても、ありがたいことに……それは僕だけの力じゃないよ。君たちみんながいてくれたから。パット、モーリス、ケン、テリー……ありがとう。本当に。それに、ファンのみんなも……僕に力をくれて」
「それを今度の音楽番組で、ファンたちに言ってやるといい。お礼として」
 ケネスは軽く肩を叩き、微かに笑っていた。
「いやあ、感動するだろうぜ、ファン連中も。俺も感動してるけどさ」モーリスも笑い、
「本当に、本当に良かったね、兄さん」テレンスはそう繰り返す。
 そんな経緯の末、アヴェリンは身ごもり、彼らは最初の子供であるノエルも含めて、一気に四人の子供の親になることになったのだ。
「子供が無事に生まれたことを、ファンにみんなにも、報告した方が良いんだろうね」
 ジェレミーは首を傾げていた。
「そうだろうね。ロードが終わって、音楽番組に出る時で良いと思うけれど。でも写真を公開したりとかは、しない方が良いんじゃないかな。子供たちは芸能局の所属者じゃないんだし」パトリックが考えるようにそう答え、
「そうだね」と、ジェレミーも頷く。
 部屋に、一人の男が入ってきた。ほとんど髪は白くなり、ぎょろりとした灰色の目の、初老の男だ。男は白地に濃紺のストライプの入った上着とズボンをつけていた。
「あと十五分で始まるぞ」その男はそこにいた五人に、そう告げた。
「はい、ハワードさん」ジェレミーは答え、他の四人も頷いた。
「今日の観客は一万七千人だ。一人七ドルの入場料を取ったにもかかわらず、この大入りで、上層部は喜んでいるぞ。このロード期間が終わって引退するなんて、惜しいと言っていた」あとからきた初老の男は、にやりと笑った。
 今日は彼らの音楽団体の、引退興行としての公演旅行の初日だった。これからあと三十都市で、四七回公演する。その後、彼ら五人は現役を引退し、それぞれ元の所属局に戻ることになっていた。ケネス・マッコール、パトリック・ローリングス、テレンス・アンダーソンは学術文化研究局へ、モーリス・ハイマンは労働局へと。ジェレミー・ローリングスは学術文化研究局への転入審査を受け、合格なら同局へ、そうでないなら芸能局の事務員として留まることになっていた。
「どの道、それほど長くはないと思うがな」
 イーザン・ハワード氏はにやりと笑った。
「芸能局上層部は、この盛況ぶりを受けて、三年か、遅くとも五年後には、おまえたちのカムバックを予定しているらしいからな」
「カムバック??」五人はいっせいに目を丸くし、声を上げた。
「そうすれば、またファンたちが喜んで見に来るだろうと踏んでいるんだ。まったく、こんなことは初めてだ。本当の引退は当分先だろうな」
「いったい、いつになったら解放されるんだろうな」ケネスが苦笑いした。
「おまえはいやなのかよ。俺は良いぜ。労働局よりはこっちの方がさ」
 モーリスが笑う。
「いやなわけではないけれどね。どうも騒々しいのだけは苦手なんだ」
 ケネスは肩をすくめていた。
「まあ、たしかにね。でもどのみち、僕は音楽を完全に辞める気はなかったけれど」
 パトリックはジェレミーとテレンスと目を見交わし、苦笑いした。
「さあて、そろそろ着替えて舞台に行ってくれ」
 ハワード氏が手を叩いて促した。




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