Part 7 of the Sacred Mother's Ring - A Path to the Light

第1章 朝の輝き(5)




 一人の少女が、楽しげな笑みを浮かべながら、バッグの中に食料を詰めていた。パン、リンゴ、ゆでた玉子、パックに入れた野菜、チーズを。バッグはバケツのような形状をしていて、外側は細かい白のプラスティック繊維が編みこまれ、中には赤い布が張ってある。少女は十三、四歳くらいの年頃で、赤いチュニックと黒のスパッツをつけ、黒みがかった褐色の髪が、巻き毛になって肩に垂れている。長く黒いまつげに囲まれた大きな目は緑色で、頬や唇には健康そうな赤みが差し、えくぼが浮かんでいる。その隣に、やはり同じ年配くらいの、金髪の少女がいた。同じような形で、中に張ってある布は青いバッグの中に、飲み物のパックやナプキン、お手拭き、タオルなどを詰めていた。彼女は青いチュニックに、隣の少女と同じ黒のスパッツをつけていたが、その身体の線は細く、頼りなげな印象を受けた。長い金色の髪はまっすぐで、瞳はすみれ色がかった深い灰色、肌の色は透き通るように青白い。
 少女たちの顔には、見覚えがあった。もう少し成長した頃の姿を、夢で見たことがある。彼女たちは、エレノアとマリア――初代世界総督エレノア・ローゼンスタイナー・ランディスと、彼女の双子の妹で、未来を見る能力を持っていたマリア・シンクレア・ローゼンスタイナーだ。マリアの見たヴィジョンを元に遺した指針によって、彼女の恋人で、姉エレノアの夫、そして世界統一を成し遂げたランディス家の当主でもあったピエールはPAXとRAYのプログラミングを完成させ、アレイルやエマラインたちはその指針を手繰って、再び世界連邦を解放したのだった。マリアが自殺し、エレノアがピエールと手を携えて世界を取り戻そうとしていた頃のヴィジョンを、アレイルはかつて戦いの時、瀕死の重傷を負って昏睡していた、その回復期に夢で見た。エマラインもまた、映像ははっきりとは見えないながらも、概念は追えた。今、二人はまた同じ夢を見ているようだった。
 姉妹の傍らに、五、六歳くらいの女の子がいた。ダークブロンドの巻き毛を肩にたらし、濃い灰色のくりくりした目の、エレノアによく似た、はっきりした顔立ちの子だ。ピンクのワンピースの下に、膝下までの丈の紺のスパッツをつけている。小さな足には、白い靴下とサンダルをはいていた。その子はぴょんぴょんと飛び跳ねながら、手を叩いている。
「ね、ね、お姉ちゃんたち。早くぅーー!」
「ちょっと待ってよ、リルカ。もう少しで準備が出来るから」
 エレノアが笑って答えていた。そしてバッグの口を閉めると、傍らのマリアを振り返る。
「準備できたわ。マリアは?」
「できたわ」マリアもバッグを閉じ、頷いた。
 肩幅の広い、背の高い男性が、小さな男の子を肩車しながら近づいてきた。男性は栗色の髪を後ろにとかしつけ、陽気な笑みを浮かべている。その顔は、ピエール・ランディスが解放プログラムの一環として組み込んだ新暫定総長、テイパー・マクニコル・トラバースとして、アレイルとエマラインにとっても見慣れた顔だった。抱かれている男の子の方は、ちょうど出会った頃のミルトと同じくらいの年頃だろうか。クリーム色のシャツに紺色の半ズボン姿で、明るい栗色の髪に青い目の、容貌もなんとなくミルトに似ている。この子は姉妹の末の弟、リーフだろう。
「準備は出来た?」
 いろいろな色の布を編みこんだ、柔らかそうな敷物を抱えた女性が、そう問いかける。彼女は三十代半ばくらいだろうか。長く、濃い色合いの金髪を後ろで一つに結わえ、ゆったりとした若草色のワンピースに、濃い灰色のスパッツ姿だ。
「大丈夫よ、ママ。出かけましょ」
 エレノアが弾んだ声で答え、リルカと呼ばれた少女も、嬉しそうに飛び跳ねながらついてくる。だがマリアはバッグを取り上げたものの、小さくため息をついて、その場に立ち止まっていた。
「どうしたの、マリア?」エレノアがけげんそうに問いかけた。
「いいえ……なんでもないわ」
 マリアは答える。その顔は心なしか青ざめていた。
「どうしたの? 気分でも悪いの?」母親らしい夫人がそう問いかけた。
「いいえ……」マリアは首を振り、しばらく黙った。
「大丈夫よ、ママ」
「そう? それならばいいけれど……出かけましょうか」
「ええ」
 一家は出発した。集合住宅を出ると、広場に大勢の人が集まっている。全部で百人ほどいた。今日は街の外に、集団でハイキングに出かける日らしかった。広場には二台の大型エアロバス(前後に長いエアロカーで、五十人ほど乗ることが出来る)が着ていて、人々を乗せている。
 エアロバスは都市の入り口を抜け、十数キロほどの距離を飛行した後、止まった。人々は地面に降り、そこから歩いていく。エアロバスは人々を下ろすと、再び街へ帰っていった。夕方、再び迎えに来る予定になっていたのだ。
 青空が広がり、太陽が優しい光をなげかけていた。しばらく歩くと、木々が茂った森の中に入る。その森の中を十五分ほど歩くと、広々とした草原に出る。森の中には小川が流れていて、それが草原にも続き、澄んだ水が太陽に反射して、きらきらと光っていた。人々は持ってきた敷物を広げ、腰を下し、おしゃべりをしたり、持ってきた飲み物を酌み交わしたりした。携帯プレイヤーで音楽を流している人もいた。踊っている人々もいた。子供たちはいろいろなグループに分かれて遊んでいた。昼食をはさんで、楽しい時は続いた。
 やがて日が中天を過ぎ、西の空に傾いてきた頃、一人の子供が空をさして言った。
「あっ、見て! 大きな戦闘機が来るよ!」
「え?!」大人たちは一様に空を仰いだ。
 灰色の流線型をした、空飛ぶ大型カプセルのようなその乗り物は、エアロバスと同じくらいの大きさがあるようだった。小さな翼が両脇についていて、その下にずらりと銃口が並んでいる。子供が言うように、明らかに戦闘機だ。三機のそのかたまりが、空の一角を雲のようにふさいで、近づいてくるところだった。
「どこかの大陸で、また戦いが起きたんだろう」
「そうか、それでそこへ行く途中なんだろうな」
 人々はそんなことを言い合っていた。
「おい!」
 空を見上げていたテイパー――姉妹たちの父親が声を上げた。
「あれはセラヴィカ連邦の戦闘機じゃない。ロマリア連邦のだ!」
「ええ!!」
 その胴体に刻まれた紋章は、確かにカーライル家のものだ。それを認めると、人々は悲鳴を上げ、荷物もそのままに、駆け出した。
「森へ逃げるんだ!!」テイパーが声を張り上げた。
「森の中なら、上から狙い打たれにくい!」
 だが敵の編隊は、もう上空をすぐ近くまで来ていた。鈍い音とともに両脇の銃口から光が放たれ、近くの地面が爆発した。そこにいた十数人の人々は、声を上げる間もなく吹き飛ばされた。人々の悲鳴が大きくなった。一様に森を目指して走るのだが、その動線は複雑に絡まり、混乱して、ぶつかり合いながら進む。その間にも、上空からは無慈悲な攻撃が続いた。あちこちで爆発が起こり、火の手が上がり、さらにレーザー砲が撃ちかけられる。
「バカな、なぜロマリア連邦が、ここまで来れるんだ……」
 リルカを抱きかかえて走りながら、テイパー・ローゼンスタイナーはうめいた。
「北から……海を越えれば、そう……考えてみれば、そうなのよ。近いのよ」
 テイパーの妻であり、姉妹の母親であるアリスンは、末息子を抱きかかえて走りながら、答えていた。
「そうには違いないが……そんな大胆なことをするとは。それに、なぜレーダーで感知できなかったんだ」
「ロマリアは……レーダーをかいくぐる技術を開発していたのよ、きっと。それでこっそり海を渡って、沖合の島に隠れていたんだわ」マリアが呟くように言った。
「それに、何度か偵察機も送り込んでいたのよ。隠密の諜報員も。このキャンプには、ランディス家のまた従兄一家が参加している。それを知って、ランディス家に揺さぶりをかけるために、襲ってきたんだわ」
「ええ?」エレノアが振り返り、声を上げた。
「どうしてそんなことを知っているの、マリア?」
「わからないわ。わからないけれど……今日は不吉な予感がしていたのよ」
 彼女は青ざめて、立ち止まった。
「森へ逃げては、だめ!!」
「なぜだ?」テイパーが怪訝そうにきく。
「森へ逃げたら……火事になる。巻き込まれる……逃げられなくなる」
「だが、あそこを越えないでは、街に帰れないぞ」
「そうよ。それに森を通らなければ、周りに隠れるところもなくて、狙い撃ちよ」
 アリスンも首を振った。
「早く走りなさい、マリア。こんなところに立ち止まっていてはだめよ!」
「逃げるなら……逃げるなら、西を目指して。南ではなしに」
 マリアは声を上げた。
「西だと?」テイパーは問い返した。
「たしかに西にも森があるが、少し遠い。街に帰るにも、かなり遠回りだ」
「それでも良いのよ。南に行ったら、助からない! お願いよ!!」
 その間にも、上空からの攻撃は続いていた。悲鳴と叫び声と、戦闘機から打ちかけられる爆弾やレーザーの音で、家族以外の人との会話は、ほとんど不可能になっていた。
「パパ、ママ、そこにいると危ない! すぐよけて」
 マリアは叫び、両手で二人を引っ張った。普段の彼女からは思いもよらないほど、強い力だった。テイパーとアリスンはともに子供を抱えているのでよろめき、一瞬バランスを崩したが、すぐに娘の言う方に走った。その直後、背後で爆発が起きた。
「わかった! おまえを信じよう、マリア!」
 一瞬の沈黙の後、テイパーは言った。そして一家は他の一行と離れ、西に向かって走り出した。そのあとから、十数人がついてきた。彼らはパニックのあまり方向を見失い、ただ闇雲に先行く人を追尾しているらしかった。
 戦闘機が次々と地上に降りてきた。ハッチが開き、その中から小型の戦車が何台も出てくる。戦車を降ろすと、戦闘機は再び上空に飛び、空からの攻撃を再開した。小型の戦車にはそれぞれ二人の兵士が乗り、レーザーや熱戦銃を手当たり次第に撃ちかけていく。
 二機の戦闘機とほとんどの戦車は、大勢の人が逃げていった南の森方向へ攻撃していた。しかし一機の戦闘機と、二台の小型戦車が、西の方に追跡して来た。別の方向へ逃げている人々を仕留めるつもりなのだろう。後ろからも上からも、レーザーや熱線が飛んでくる。
 姉妹は走った。小さな弟と妹を抱えて走る両親を気遣いながら、時には彼らの後ろになり、時には先になって。さらにその後からついて来ている人は何人か、正確にはわからなった。たぶん二十人前後くらいか。何人かの人が倒れていくのが、視界の端に捕らえられた。十人ほどが、彼らを追い越していった。森の手前まで来た時、エレノアが振り返ると、後ろからついてくる人々は、家族の他には数人だけだった。
「エレノア、マリア! 私たちに構うな。走れ! おまえたちだけでも先に行け!」
 テイパーが大声で怒鳴った。
「そうよ。あなたたちは先に行きなさい!」アリスンも叫ぶ。
「そんなこと出来ないわ!」エレノアは声を上げた。
「危ない!」マリアの声は悲鳴に近かった。
 熱線がアリスンに向かって飛んできていた。しかし彼女が気づく前に、テイパーが息子を抱えたままの妻を地面に突き倒し、身を持って立ちふさがった。同時に彼に抱えられていたリルカも地面に投げ出された。次の瞬間、熱線はテイパーの胸を貫き、そして彼はその場にくず折れた。
「あなた!!」アリスンは悲鳴を上げた。
 とっさに母にかばわれたものの、転んだ衝撃を受けたリーフは大声で泣いている。地面に転がったリルカは目を見開いたまま、次の瞬間には泣こうかという風情だ。
「逃げろ……」テイパーは搾り出すようにそれだけ言うと、絶命した。
 一家は衝撃に立ちすくんだ。しかし、森は目の前にある。ここで止まっていては、全員がやられてしまう――その認識に全員が揺さぶられたようだった。アリスンは涙を流したまま再びリーフを腕に抱え、走り出した。
「ごめんなさい、あなた……」そう呟きながら。
 姉妹も気力を振りおこした。エレノアは小さな妹の手をとって声をかけた。
「リルカ、行くわよ。泣かないのよ。泣いてる暇はないのよ。走れる?」
「う……ん」
 小さな少女は必死で涙を飲み込みながら、姉の手に捕まって立ち上がろうとした。
「危ない!」
 マリアはもう一度悲鳴を上げた。しかし間に合わなかった。妹が立ち上がったその瞬間、上空から撃ちかけられたビームが、その小さな身体の首から胸にかけて、背後から貫いた。そしてエレノアとリルカの間の地面に落ちて、小さな焼け焦げを作った。
「きゃあ!!」
 姉妹は振り絞るような悲鳴を上げた。母も凍りついたような表情で、振り返った。リルカは驚いたような表情のまま、倒れた。まるで壊れた人形のようだった。悪夢だった。誰かが自分にぶつかって、森の中へ逃げ込んでいった。もう一人は父の身体を踏んで行った。
 エレノアははっとしたように頭を上げた。とにかくここにいては、みな死ぬ。あと少しで森の中だ。父の身体を抱えることは出来ないが、妹は踏ませたくない。彼女はリルカの身体を抱えあげて、森の中へ走りこんだ。生命の抜けた身体は鉛のように重かったが、その時の彼女には、気にはならなかった。母も気力を振り絞って、再び走り出したようだった。マリアもついて来ている。振り返ると、戦闘機は引き返していったようだったが、戦車はまだ追って来ている。大勢の人が逃げた南の森は、マリアが予言したとおり燃え上がっていた。ここは大丈夫だろうか。
「この森は燃やされないけれど、あの人たちは、ここへ追ってくるわ」
 マリアが青ざめた顔のまま言った。「見つかったら、殺されるわ……」
「ここへ逃げても、安全じゃないということなの?」
 エレノアは問い返した。
「ええ。隠れるか、早く抜けるかしないと」
「わかった。でも、ちょっと待って……」
 エレノアは木々を抜けて、柔らかい落ち葉が積もった上にリルカの身体を横たえた。その身体には、ほとんど傷がついていない。胸のところに空いた小さな焦げた穴以外は。後ろ首にも焦げた穴が開き、その部分の髪の毛が脱落していたが、あおむけに寝かせてやるとほとんど見えなかった。開いた眼を閉じてやり、その小さな両手を胸の傷跡を隠すように置いてやると、ただ眠っているようにさえ見える。
「ごめんね、リルカ。すぐまた連れに来るから……待っててね」
 涙に詰まりながらそう声をかけ、エレノアはマリアを振り返った。彼女もまた涙を浮かべている。
「ママとリーフに追いつきましょう、マリア」
「大丈夫……二人は逃げられるわ。ママは怪我をするけれど……撃たれて、リーフと一緒に、壕のような場所に転げ込んでしまうの。それが逆に見つかりにくい場所になって……兵士はすぐそばに別の生き残りの人を見つけて、追いかけだすから、二人は助かるのよ。でもわたしたちが一緒に行っては、だめ。四人では隠れられないから」
 マリアはかぶりを振った。彼女の瞳は、はるか遠くを見ているようだった。
「マリア……」エレノアは双子の妹を見つめた。
「どうしてわかるの? あなた……考えてみればさっきも……どうしてわかるの? まるで先のことがわかるみたいに」
「いえ……なんとなくそんな気がするだけなの。気にしないで、エレノア」
 マリアは悲しげに目を落とした。
「……わかったわ。今はそんなことはどうでも良いわね。とにかく、行きましょうよ。あいつらに見つかったら……」
 エレノアが奥へと進みかけた時、マリアはさえぎった。
「だめ、そっちは危ないわ。こっちへ行った方が安全よ」
 だから、どうしてわかるのよ――エレノアはそう言おうとしたが、言葉を飲み込んだ。そして小さくため息をついたあと、踵を返し、マリアの言う方向へと歩みを進めた。マリアが本当に先を読めるのかどうかわからないが、今は彼女の言うことを聴いておいたほうが安全なような、そんな気がしていた。
 
 森の中をジグザグに進み、日が暮れようとしているころ、ようやく二人は再び開けた場所に出た。草原の向こう、かなり遠くに、瞬き始めた灯りに彩られた、ニューヨーク市のドームが見えた。この場所だと出た時とは違うゲートに着くことになるが、姉妹は都市に向かって歩みを進めた。ロマリア連邦の戦闘機は、応戦に出たセラヴィカ軍に二機は撃ち落とされ、残りの一機は逃げ去ったようだった。消火隊とレスキュー隊のエアロバスが何機か、暗い空を北西の森に向かって飛んでいくのが見えた。まだ森は燃えているようで、黒い煙が立ち昇っている。
 痛む足を引きずり、夜が明け始めたころ、姉妹はやっと都市のゲートにたどり着いた。門番がIDを確かめた後、中へ通し、二人は小型のエアロカーに乗せられて、中央庁舎第二ビルの中にある、広い一室に連れて行かれた。そこには、ピクニックキャンプ中に襲撃されて、かろうじて生き残った人々が収容されていたが、彼女たちの他には、三人しかいなかった。夫と二人の子供をすべてなくした中年の女性。結婚三年目の妻とまだ赤ん坊の子供を失った若い男性、そしてすべての家族を失った十二歳くらいの男の子。手や足や顔にはバンテージテープが巻いてある。逃げる時に負傷したのだろう。みな一様にむっつりと黙り込み、時おりすすり泣き、呆然と視線を中にさまよわせている。
「助かった人たちは、これだけなんですか?」
 エレノアは青ざめて聞いた。
「軽症の人たちは、そうですね。重傷を負って病院で手当て中の人が、四人ほどいます。現在まだ救助中なので、これで全員かどうかはわかりませんが」
 その部屋に待機している、市の職員らしい女性が答えた。
「重傷者は……どんな人たちですか? 会えますか?」
「今はだめです。警察の担当者がこれから来ますから、話を聞かせてください。あなた方にもし生死不明の家族がいるなら、そのあとで病院まで連れて行ってくれるでしょう」
 その後、警察官が数名部屋に来て、聞き取り調査を始めた。他の三人はかなり取り乱していたが、それでも途切れ途切れに質問に答えている。その中でエレノアとマリアは比較的しっかりと状況を話した。父と、特に小さな妹の死を話した時には、二人の声は涙に途切れたが。
「遺体も現在レスキュー隊が収容しているから、明日にはお父さんと妹にも会えるよ」
 二十代半ばと思える若い警察官は、同情をこめた声でそう言ってくれた。
「それで、お母さんと二歳の弟は生死不明なんだね。問い合わせてみよう」
 その警官は無線機を取り出し、通信を始めた。数分後、彼は告げた。
「一時間ほど前に、北東の森の中で、お母さんと弟さんと思える二人を保護したそうだよ。女性の方は怪我をしているので、病院に搬送するそうだ。君たちも来るかい?」
「はい、お願いします」
 エレノアとマリアは同時に立ち上がった。

 病院で再会した時、母アリスンに意識はなかった。姉妹はストレッチャーに乗せて運ばれてきた母親を見、そしてその後についてきた医師を訴えるように見た。
「途中までは意識があったらしいけれど、急に嘔吐して意識をなくしたようだ。頭を打っていると思うから、これから緊急手術をするからね」医師はそう答えた。
「お、お願いします!」エレノアが咽ぶように声を上げ、ついで聞いた。
「リーフは? 弟は大丈夫ですか?」
「赤ちゃんの方ね。大丈夫だよ。擦り傷程度で、たいした怪我はない。今、看護婦が連れてくるから。ひどく怖がっているようだけれど、君たちを見れば安心するだろう」
 たしかにリーフはひどく怯えているようだった。大きな目を見開いて、真っ白な顔色になっている。エレノアが抱き取ると、ものすごい勢いでぎゅっとしがみついてきた。
「大丈夫よ、リーフィ。怖かったよね。怖かったよね!」
 エレノアはこらえきれず泣き出した。マリアも両手を姉の肩にかけ、泣いている。
 幸いにも母の手術は成功し、命を取り留めた。アリスンは病室に移された。そこには襲撃で怪我を追った人が四人ほど、一緒に収容されていた。
 エレノアとマリアは母の隣のベッドに寝かされている少女を見て、再び言葉を失った。
「ミュリエル!!」エレノアは声を殺して叫んだ。
 ミュリエル・スタンフォードは姉妹より一歳年上だが同じ学校に通っている、大の仲良しだった。長い亜麻色の髪にほっそりとした身体、きらきらした茶色の瞳の陽気な少女だ。しかし今、彼女はうつろに中空を見つめていた。右腕には点滴パックが付けられ、身体のあちこちにバンテージテープが撒かれている。左手は手首から先が切断されていた。
「あなたたちは、この子の知り合い?」看護婦がそう声をかけてきた。
「ええ」二人は頷いた。
「この子の名前と住所、家族構成はわかる?」
「ええ。彼女はミュリエル・ハリソン・スタンフォードという名前で、私たちと同じブロック……十八区第三ブロックのB棟五−十二号に住んでいます。五月十三日生まれで、今十四歳です。家族は両親と、それに十七歳のお兄さんジョセフと十歳の弟ジェサミンがいます。彼女たちは家族五人で出かけて……あたしたち、一緒にお昼を食べたんです」
 エレノアが答えた。
「そう。助かったわ。この子は発見された時からこんな状態で、重度の心神耗弱に陥っていて、何も認知しないようだったから。IDリングもつけていなかったの。まあ、手ごと切り落とされていたから、無理もないけれど。これからDNA照合をかけようとしていたところなの。切られた手も発見されていないのよ。池にでも捨てられたのかしら」
「なぜ? いったい誰に?」エレノアは呆然と問いかけた。
「ロマリア連邦軍の兵士にでしょう。彼女はひどい暴行を受けたようだったわ。おまけに手を切り落として、身体中にナイフで傷をつけたようね。面白半分に玩んで、そのまま捨てたようだわ。止めを刺されなかったのが、彼女には幸いなのでしょうけれど……」
 エレノアもマリアも息を止め、変わり果てた親友に目をやった。彼女はこのまま、心が深い深淵に沈んだまま、ずっと生き続けることになるのか。一思いに殺されるのと、心に癒されぬ傷を負ったまま生かされておいたのと、どちらが残酷なことだろう。
――なぜこんなことになってしまったのだろう。そんな思いが、エレノアにもマリアのうちにも、強烈に湧きあがってきていた。ランディス家とカーライル家、セラヴィカ連邦とロマリア連邦は、もう百年近くにわたって抗争を続けてきた。その争いがあまりに長期化したために、主戦場となったアジアやオーストリア地域以外では、戦争が継続しているということを、あまり感じることなく過ごしてきた。しかし、最近ロマリア連邦が攻勢に出、長く続いた二つの家の戦いに決着をつけようとしているという噂が聞こえてきた。そして今――平和に思えたここニューヨーク市で、ランディス家のお膝元であり、セラヴィカ連邦の首都であるここで、その郊外でこんな惨劇を仕掛けてくるとは、思ってもみなかった。
 戦いはたくさんだ。家族が引き裂かれ、愛するものの命が、まるで塵のように失われる。人が人を殺す戦いは、悲劇しか生まない。なぜ争うのだろう。争いのない世界が欲しい――その思いが、姉妹の心に同時に湧きあがってきていた。

 二人は同時に、夢から覚めた。以前、ネオ・トーキョーのグレンとヴィクターの夢を見てから、二ヶ月がたっていた。窓にかけられた遮光カーテンの裾から、うっすらと金色の糸のように、弱い光がさしている。
 アレイルは半分頭を起こして、キャビネットの時計を見た。六時二十分だった。エマラインも頭をめぐらし、時間を確認した。そして二人は、顔を見合わせた。
「君は……エレノアとマリアの夢を見ていた……?」
「ええ。あなたも……?」
 二人は不思議な気持ちに打たれ、しばらくそのままお互いを見ていた。
「彼女たちが夢に出てきたのは、二回目だね」。
「でも、さっきの夢は恐ろしかったわ。最初の夢で言っていた、『ピクニックキャンプの惨劇』って、このことだったのね」エマラインはぶるっと震えた。
 愛するものを突然理不尽に奪われる悲しみ――それは愛情ゆえのものだが、かける愛が大きいほど、その痛みも大きくなっていく。今は彼女たちが願った平和な時代に、誰も理不尽に死ぬことがない時代に――犯罪はごくごく一部ではあるが存在する以上、完全とは言えないが、血で血を洗う大規模な戦いが過去のものとなった今、悲劇の可能性はかなり小さくなった。そのことに感謝せずにはいられなかった。
 それにしても――二人で同時に同じ夢を見たのは、三回目だ。一番初めは、南の島で政府に反旗を翻すことを決意し、みなに打ち明けた夜。『僕らにとっての、特別な場所だ』とニコルが言っていた、RAYの本体が眠る島を訪れた夢。それから二ヶ月前のネオ・トーキョー、そして今回。しかしこの二回は、最初のものとは性質が違うように思えた。アレイルもエマラインも、夢の中に直接は出てこない。見知らぬ人――名前だけは知っていて、アレイルは夢やヴィジョンで見たことのある人たちでもあったが、直接は知らない過去の人たちの、人生の断片。それを二人は、夢には決して珍しくはないのだが、夢の登場人物の誰かに意識が同化して、全体のシーンを見ているかのようだった。最初の夢では、アレイルはグレン市長に、今朝の夢ではエレノア・ローゼンスタイナーに。エマラインはネオ・トーキョーの夢ではヴィクターに視点が同化し、先ほどの夢ではマリア視点になっていた。それは何か意味があるのだろうか――それを知った時、二人は同時に思ったが、どちらも口には出さなかった。
「六時二十分か。僕はもう起きるよ。君はまだ寝ていていいよ」
 アレイルはベッドから起き出し、軽く頭を振った。
「わたしも、もう起きるわ。今から寝たら、また寝坊しちゃうから」
 エマラインも起き上がった。彼女は今妊娠七ヶ月だが、双子のせいもあって、もうおなかは臨月のように大きくなり、動作もやや緩慢になって来ている。少し頭が痛かった。でも今日はアレイルの出勤日であり、エミリアの登校日でもある。息子たちもプレイガーデンに連れて行ってやりたい。
 エマラインは慎重にベッドから降りると、窓辺に歩み寄り、カーテンを開けた。四月の日光は冬に比べるといくぶん強いが、今日はあまり天気が良くないらしく、少し弱々しい光だ。ドームも閉まっているようだ。きっと外の気温はまだ低いのだろう。空を見上げながら、エマラインは再び夢を思い出していた。今が平和であり、彼女の愛する家族や友人たちが平穏に暮らしている現在に、感謝せずにはいられなかった。




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