Part 7 of the Sacred Mother's Ring - A Path to the Light

第1章 朝の輝き(2)




「ん? なんだ?」
 居室の端末から通信をチェックしていたリンツは、小さく声を上げた。少し怪訝そうに画面を見つめ、そしてシェリーを呼んだ。シンクレア姉弟は一緒に夕食をとりに、二時間ほど前から来ていたのだ。
「なあに?」
 キッチンで食器をウォッシャーに入れていたシェリーが手を止め、近づいてくる。
「昨日出した結婚申請の、返事が来たんだけどさ」
 リンツは昔からの癖で髪に手をやりながら、振り返った。
「なに? だめ、とかいうの? じゃあないわよねぇ」
「拒否はないわけだろ? 警告はあるけどさ」
 リンツは画面を指差した。
「で、その警告が来たぜ」
「ええ?! 障害率が上がるとか、そういうの?」
 シェリーはいくぶん青ざめた顔で、画面を覗き込んだ。そしてそこに書かれた言葉を読むと、胸に手を当てて、空いたほうの手をリンツが座っている椅子の背に置いた。
「ああ、驚いた。そうじゃないのね。そうだったら、どうしようかと思った」
「ああ。おれも一瞬びびったけど、そうじゃないらしい。でもさ、特殊体質ってなんだ? おれたち、十分特殊じゃないか?」
「まあ、そうよね。子供も超能力を持っていたりして」
 シェリーはかすかに笑い、肩をすくめた。スクリーンにはこう書いてあった。
【リンツ・バーネット・スタインバーグ(NA三九八〇年七月一三日、オーストラリア連邦パース市出生)と、シェリー・ローゼンスタイナー・シンクレア(NA三九八四年七月一〇日、ヨーロッパ連邦パリス市出生)との結婚申請を、NA四〇〇五年十月二四日付で、受け付けました。
 両人の遺伝子鑑定をしましたところ、この組み合わせには二十パーセントの確率で、ある特殊体質の出生が予見されます。この体質に関する詳しい記述は、次のページをご覧ください。以前の世界連邦下では、そして二七世紀から世界連邦が始まる以前にかけても、この体質の出生は禁忌でした。しかし新体制ではそれ以前の時代に習い、警告のみにとどめ、それでも結婚に踏み切るかどうかは、本人同士の自由意志にゆだねることにします。
 次ページをよくお読みの上、なお結婚を希望する場合は付属のフォームに必要事項を書き込み、市の戸籍局に再度、提出してください】
 
 リンツとシェリーは顔を見合わせ、ついで【次ページ】ボタンをタッチした。
 
【☆通称ブルーブラッドと呼ばれる特殊体質について
 この体質は、PXLP、PXLSという二つの因子によって決定されます。PXLPの主要DNAに占めるパーセンテージと、第十七染色体上におけるPXLS因子の有無によって、発現率が決定し、PXLPが主要DNAの五十パーセント以上で、なおかつPXLSが両親ともに+の場合に、この体質が発現します。
 この体質の持ち主は、PXLPのパーセンテージによって異なりますが、おもに以下の特徴を持ちます。
・組織の再生力、自然治癒力が格段に高い。
・並外れて優れた頭脳の持ち主が多い。
・概して老廃物の排出が少ない。
・平均より、かなり寿命が長い。
・二十代後半から三十代後半くらいまでで、外見の老化が止まる
 以前この体質が禁忌とされたわけは、優れた知能や外見上老化しないことが、普通の人々の集団から見て浮き上がりやすく、羨望に近い思いを持たれやすいゆえに、人心を安定させておくためにはあまり望ましくないという理由と、子供を設ける際、相手によっては遺伝子の組み合わせにより、健全な子孫を残すのが難しい場合が、通常の人々よりかなり高いゆえです。それも一つの多様性として、天才を生み出したいというのであれば、今の社会はそれを許容しますが、やはり上にあげたリスクは念頭に置いておいた方が良いでしょう。
・リンツ・スタインバーグさんはPXLPが四十パーセントで、PXLSはプラスです。
 PXLPは二五パーセントが母方由来、十五パーセントが父方由来です。
 PXLSは双方でプラスです。
・ シェリー・シンクレアさんはPXLPが四二パーセントで、PXLSはプラスです。
 PXLPは二五パーセントが母方由来、十七パーセントが父方由来です。
 PXLSは双方でプラスです。
 この組み合わせでは、二五%の遺伝子が二つ組になった場合、この体質の発現が予想されます。ただしその際、遺伝子の乗り換えが起きると、PXLP比率が五十パーセントを切る場合もあります。乗換え率も計算に入れると、特殊体質発現確率は、約二十パーセントになります。お二人の父方母方の因子を考慮すると、特殊体質になるのは女子であるとも推測されます。
 お二人にとって幸いなのは、父系、母系ともにPXLSがプラスであることです。もしお二人とも、父系か母系のどちらかにPXLS因子がなければ、二〇パーセントの確率で化学流産になり、出生率の低下を招く危険がありました。父系、母系どちらもマイナスは、ありえません。その場合、お二人ともに胎児期初期の段階で死亡してしまったでしょう。
 なお、この体質は結婚相手がPXLSマイナスの場合、初期流産の確率が高まるため、不妊率が上がります。先ほども述べたように、それが以前この体質が禁忌であった大きな要因でもありました。 
 この事実を踏まえ、熟考されて後、それでも意志が変わらないならば、申請書の再提出をお願いします。もし疑問点、質問事項などがありましたら、医療局生殖センター遺伝子課までコンタクト願います】

 二人はしばらく画面を眺めていた。やがてシェリーが呟いた。
「どうしよう」
「どうしようって……やめるのか?」リンツが驚いたように聞く。
「ううん。そうじゃないわよ」シェリーは頭を振った。
「ちょっと驚いているだけよ。でも……これって、障害じゃないのよね。特殊体質よね」
「ああ……それに、かなり良いことづくめじゃないか? 頭は良い、年はとらない、寿命は長い……まあ、だからかなり浮くというのは、わかるけどなぁ」
「でも、人と違うっていうなら、あたしたちみんなそうだし」
「まあな」リンツは苦笑いして肩をすくめ、言葉を継いだ。
「再申請、出していいか?」
「うん」
 リンツはセッションを移動させ、再申請用紙に必要事項を入力し、シェリーとともに署名した。その間に、食堂で電子本を読んでいたミルトもやってきて、後ろから画面を見ている。「どうして、もう一度申請を書いてるの?」と問いかける彼に二人は事情を説明し、ついでリンツが頭を掻きながら、続けた。「また証人署名も要るんだなぁ。明日もう一度アレイルとエマラインの所に行ってこなくちゃ」
 政府の紹介でなしに、自発的に結婚申請を出す場合には、二人の証人が必要なのだ。基本的には成人だが、ジャックとヘレナの時には特例で、当時未成年だったアレイルとエマラインが証人になった。その二人が結婚する際には、ジャックとヘレナが証人役になっている。
「特殊体質かぁ。でも、僕らもそうだよね」
 ミルトも姉たちと同じことを言った。
「まあ、これとは違うがな」リンツは肩をすくめて笑う。
「でも、もうやり方は忘れたなあ。ここ十年使ってないからな」
「嘘ばっかり。一度やったじゃない。寝坊して、仕事に遅刻しそうになった時。あたし、知ってるわよ。あたしとミルトが泊まりに行ってた時だったから」
「ああ。二年前な。そうか。おまえもいたんだよな。あの時には、まともに行ったら絶対遅刻だったからなあ。人にわからないように、こっそりやったんだが。それに、あれっきりだぜ。それにおまえだって、一度やったじゃないか、シェリー。ミルトが鉄棒から落ちた時に」
「だって腕を折ってて、痛い痛いって泣くから……誰も見てなかったし、良いと思って」
「ああ、僕が五つの時だね」
 ミルトはちょっと照れたような笑みを浮かべた。
「あなたはやってないわよね、ミルト?」
 シェリーが念を押すように聞く。
「だってもう、小さい頃から力使うな使うなって、そればっかりだから。まあ、それに力がなくても面白い遊びが一杯あるしね。でも……この間、学校で使っちゃったよ」
「ええ? ダメじゃない! みんな見てたの?」
「見てない。気づかれてないよ。友達のカードが側溝の中に落ちちゃって届かなくて、だから誰も見てない時に、そっと移動させたんだ。手の届く範囲に」
「おお、それは人助けだな」リンツは、にやっと笑った。
 世界連邦が生まれ変わった時、ミルトはまだ三歳前だった。それゆえに、彼には自らの力を封印しなければならない理由が、当時はわからなかった。しかし、仲間たちが彼の行動に気を配り、新しい遊びや面白い遊具などで、できるだけ他のことに気をそらせようと努め、うっかり力を使ってしまった時にはやんわりと、しかし根気よく注意を続けた結果、四歳になる頃には、自らの特殊能力は使ってはいけないものだと、感じるようになっていた。ことに派手な破壊能力は、封印しなければならない。それは人を傷つけてしまう、という理由を明確に悟ったのは、もう少し後だが。ミルトの破壊能力が怒りと連動しないことは、彼にとって幸いだった。怒りだけでは、力は発動しない。彼の意思を持って、初めて発動するのだ。それゆえ、封印するのは比較的容易だった。ただ破壊能力でなく、通常の念動力――手を触れずに物を動かす力は、七、八歳の頃から、人が見ていないところで迷惑をかけないことなら、という自分に課した条件つきで、こっそり使ってみることもあり、それが時には役立つことも知った。
「あなたは今の世界になった時のことを、覚えている?」
 六歳の時、シェリーからそう聞かれて、ミルトは「うん」と答えた。その時には逃亡中に見た風景や、コンピュータを壊した時のことなどを、おぼろげながら記憶の木霊として思い出せた。しかし父や母、それに一番上の姉や、一家が住んでいた家のことは、その時でも思い出せなかった。もうすぐ十三歳になる今は、さらに逃亡や戦いの記憶も彼方にかすんで、ほとんど思い出せなくなっている。彼にとっての家族は六人の仲間たちであり、その子供たちでもあった。姉とともに独立した後も、それは変わらなかった。そしてその姉がリンツと結婚することになったことにも、ミルトには当然の、そして好ましい変化と感じられた。リンツは彼にとっては、兄そのものであったからである。しかし二人の姿を見ていると、漠然と、いずれは自分もここを出て、一人にならなくてはならない時が、遠からず来るのだということをも、おぼろげに感じさせた。
「新居だけどさ、やっぱファミリー用を申請するか?」
 リンツが振り返って問いかけた。彼の居室も、シンクレア姉弟のも、二〜三人用のものなのだが、ファミリー用は五〜六人分の生活スペースがある。
「そうね。今はあたしたち三人だけど、子供が増えたら狭いものね。でも、この建物で空いてるかしら」
「わかんねえな。でもま、ここになくても、近けりゃ良いんじゃないか?」
「そうね」
 そんな会話をしている二人に、ミルトはきいてみた。
「あのさ、僕もやっぱり、一緒に行くの?」
 二人は驚いたように目を見開き、ほとんど同時に答えた。
「当然でしょ」
「あたりまえだろうが」
 そしてリンツは自分の赤毛をくしゃくしゃやりながら、付け加えた。
「つか、おまえはやなのか?」
「いや、そんなことはないけど……」
「だったら、来いよ。いまさら遠慮すんな。おまえはおれにとっては、弟なんだよ。血はつながってなくてもな。おまえが二つ半の時から一緒にいるんだから。文句あっか?」
「いや、ないけど……ありがとう」
「あたしはね、ミルト」
 シェリーはいまや彼女とほとんど変わらない背丈になった弟の肩に、手をかけた。
「パパとママとカレンお姉ちゃんが殺されて、まだ小さかったあなたと二人きりになってしまった時、思ったのよ。あたしがあなたのお母さんになるって。あなたを守るって。だから、これからもそうするつもりよ。あなたがいやでも」
「いやなことはないよ……ありがとう……」
「まあでも、もうちょっと大きくなって、一人でやりたくなったら、独立しても良いけどな。おれたちがアレイルとエマラインのところから出たように。だけど少なくとも、今じゃないだろ。おまえもまだ十三にもならないんだしさ。まだまだ頼ってろよ。おれたちのことをさ」リンツはぱちっとウィンクをした。

 その次の夜、三人は再びローゼンスタイナー家を訪れ、リンツとシェリーは簡単な経緯を説明した。
「へえ。二人のところにも来たのか」
 アレイルが少し驚いたように言い、妻を見た。
「わたしたちもそうだったのよ」と、エマラインも頷く。
「えっ?」リンツとシンクレア姉弟は、声を上げた。
「そうだったのか。でも、おれらには何も言わなかったよな」
「わたしたちだけで、なんとかできると思ったから」
 エマラインは軽く肩をすくめた。
「おにいちゃん、おねえちゃんの所は何パーセントくらいの確率だって言ってきたの? 今までの子供たちはどうだったの?」シェリーが問いかける。
「五十パーセント弱だったかな」アレイルが答えた。
「それじゃ、二人に一人くらいだな……」
 リンツは驚きの表情を浮かべていた。
「そう。だからかな。上の二人はそうじゃなかったけど、セルスはそうらしい。パーセンテージは低くて、五二だそうだけれど」
「え、そうなの?」シェリーが驚いた声を上げた。
「でも見たところ、普通だよな、セルス」
 リンツは遊んでいる子供たちに目をやった。食堂のテーブルを囲んで四人が話し、ミルトとローゼンスタイナー家の三人の子供たちは、リビングで遊んでいる。
「普通だよ、まったく。パーセンテージが低いせいかもしれないけれど」
 アレイルも子供たちに目をやり、頷いた。
「そう。ちょっと傷のなおりが、他の子たちより早いくらいね。それに、おトイレが少し遠いわ。まだ学校に行ってないから、学力はわからないけれど。でもそれ以外は、本当に普通の子よ」エマラインも子供たちをいとおしげに見やり、答えている。
「よかったわ」シェリーが安心したように胸に手をやった。
「それに君たちのこの因子の組み合わせだと、仮に発現しても、セルスと同じようなパーセンテージになるだろうから、心配は要らないんじゃないかな。PAXが言うには、このくらいのパーセンテージなら、老化がストップするのも三十代後半くらいだし、それほどとんでもなく能力が突出することもないから、かえってエリートコースを歩めるらしいよ」
 アレイルはリンツたちが持ってきたシートペーパーに目を落として、言った。それは昨日の警告を印刷したものだった。
「そうか。なら気にすることは何もないな。ああ、良かったぜ」
 リンツはほっとした表情を浮かべている。
「おにいちゃんたちの場合もそう?」シェリーが聞いた。
「ああ。まあ……僕らは六五の純度の確率もあるらしい。四分の一は」
 アレイルは妻に目をやると、説明を続けた。
「僕らは二人とも、臨界ぎりぎりの比率だったらしい。PXLSの方は、エマラインも僕もともにプラスで、父系母系両方ともそうで、それは君たちと同じなんだけれどね、PXLPのほうが、エマラインは四六パーセント、僕が四九パーセントなんだ。エマの場合、母方三五、父方が十一。僕は母方が三〇で、父方が十九なんだ」
「ええと、そうすると……どうなるんだ。おれ、よくわかんね」
 リンツが頭をかいた。
「遺伝子は生殖細胞になる時、二つに分裂する。母方由来と、父方由来に。僕らの場合、エマラインが三五パーセントと十一パーセントに、僕の方は三〇と十九という対になるんだ。それがお互いに相手と組み合わさる。単純計算すれば、僕らの場合、PXLPが三〇、四四、五四、それに六五%、この四つの組み合わせが出来る。確率四分の一ずつでね」
「えーと、そうすると……どうしてセルスが五二パーセントになったの?」
 シェリーが問いかけた。
「遺伝子交差が起きたんだろう。二つに分裂する時に、お互いの染色体が交差して、入れ替わることが普通らしいから」
「交差の確率って書いてあったのは、そういうことなのね」シェリーは頷き、
「おれはわかんねえけどな。まあ、いいや」と、リンツは頭をかいていた。
「それで、上の二人は違うのか。エミリアとアレンは」
「エミリアは四八パーセントらしいわ。ぎりぎりよ。アレンは三一。この子はまあ、普通のようだけれど」エマラインは頬に手を当て、ふと心配そうな表情になった。
「エミリアやセルスは、大きくなって恋に落ちたら、相手によっては、悲しいことになってしまうかもしれない。それが申し訳ないけれど」
 彼女は結婚を控えた二人が、一緒に沈んだ表情になったのを見て、頭を振って言葉を継いだ。「ごめんなさい。つい正直な気持ちを言ってしまったわ。でもね、それはやっぱり、覚悟しなければいけないことには違いないの。わたしたちにとっては。それもみな、全部背負って飲み込んで、毎日精一杯生きていくしかないの」
「だからって結婚を止めようとは思えなかったからね、僕らには。もうエマラインのお腹にはエミリアがいたし。本当にすべてを受け入れていくしかないって思ったんだ」
 アレイルも、そう言い添えた。
「そうだったの。おにいちゃんたち幸せそうなのに、そんなこともあったなんて、知らなかったわ」
「うーん。でもまあ、おれらは五人に一人だしな。アレイルとエマラインがもっと厳しい条件でやってるのに、これでへこたれてはいられないな」
「そうよ。がんばってね」エマラインは若い二人に微笑みかけた。
「うん。あたしも、がんばりたいわ。おねえちゃんのように」
 シェリーは顔を上げ、微かに笑顔を浮かべた。
「そうだね。無理をせずに……それに、仮に子供にその体質が発現しても、結婚問題以外は大丈夫なんだから、あまり気にしないで育てた方がいいよ。それに、今は三分の二以上の人が、もうひとつの因子を持っているらしいから、相性もそれほど心配しなくても大丈夫かもしれない」アレイルは二人の肩を軽く叩いた。
「ありがとう」二人は同時に、声を揃えていた。

 二二時近くになって、リンツとシンクレア姉弟が来た時よりいくぶん真剣に、しかし晴れやかに帰って行ったあと、アレイルは部屋を片付け、エマラインは子供部屋へ様子を見に行った。三人の子供たちはもっと遊んでいたがったが、二〇時四〇分には彼らを強制的に子供部屋に送り込み、エマラインが付き添って寝かせた。子供たちが寝付くと、彼女はもう一度リビングへ戻ってきていたのだが、よく眠っているか確かめに行ったようだ。
 お茶のカップをウォッシャーに入れながら、さっきの会話の内容を考えているうちに、アレイルは再び遠くから予感がやってくるのを感じた。昨日の夜、エマラインに宿ったばかりの命は(いや、双子だから命たち、というべきなのだろうが)、かなり純度の高い特異体質を持つ子なのかもしれない。そう感じた時、軽い戦慄が駆け抜けるのを感じた。もしかしたら昨日、エマラインから妊娠を告げられた時に感じた予感は、そのことを暗示していたのかもしれない。
 六五パーセントの純度になるのは、因子の組み合わせからして、女の子なのだろうか。双子の二人ともそうなのか、それとも一人だけなのだろうか。いや、セルスは男の子だから、本来体質は発現しにくいはずなのに、それでもそうなった。ということは、自分たちは遺伝子転座が起きやすいということなのだろうか。それとも、ただの偶然だろうか。もし乗り換えが起きやすいとしたら、その予想最高純度を超えるのか。そうなると、その子、いや、その子たちかもしれないが、寿命はどのくらいになるのだろう。百歳を超えるのだろうか。そして老化はいつごろ止まるのだろうか。PAXが提示してくれた古い文献によると、純度が高いほど、すべての特色がより顕著になるとはあったが。その子たちが大きくなり、恋に落ちた時、場合によってはセルス以上に難しい局面に陥ってしまうかもしれない。かすかな悲しみを感じたのは、その子たちの恋がうまくいかないのだろうか。いや、それだけでない、畏怖の感情はなにゆえだろうか――。
 食器ウォッシャーに入れようとした最後のカップが手から滑り落ち、床に落ちた。しかし割れはしなかった。見た目は瀬戸物に似せて作られてはいたが、食器はすべて強化樹脂製だからだ。アレイルは身をかがめ、白いカップを拾い上げて、もう一度ウォッシャーに入れ、扉を閉めてボタンを押した。世界連邦が一新されてから、食器用と衣類用の洗浄機は分けて使われるようになっている。
 リビングに戻ると、エマラインがちょうど子供部屋から出てきたところだった。アレイルは急いで思いを払いのけた。人並みはずれて察しの良い妻は、たとえ意識して力を使わずとも、彼の懸念をたちどころに知ってしまうだろうから。
「よく寝てるわ、三人とも」エマラインは微笑んで口を開いた。
「そう」アレイルも微笑を返した。
「この子たちが生まれたら、客用寝室がなくなってしまうわね」
 エマラインはそっとお腹の辺りに手をやりながら、微笑を浮かべる。
「そうだね。それにもう少しして、みんなそれぞれの部屋を欲しがるようになったら、ここだと狭いね」
「二、三年たったら、新しいところを探す?」
「そうだね。でもできたら、それまでに市外区に住めれば最高だけれど」
「あら、そうね! それができたらいいわね!」
 エマラインは目を輝かせ、そう声を上げていた。

「シェリーから通信が来てるぞ」
 その次の夜、居室のコンピュータ端末から通信チェックしていたジャックが、そう声をかけた。ヘレナはアーサーを寝かせ、リビングに戻ってきたところだった。
「あら、なんて? 結婚申請の報告?」
「そうらしい。なんだかちょっと問題があったらしいが、なんとかなるそうだ。君なら、もう少し詳しいことがわかるんじゃないか?」
 ジャックは椅子から立ち上がった。
「問題?」へレナは少し眉根を寄せて、空いたばかりの椅子に座り、シェリーからの通信文を読んだ。そして頬に指を当て、頷いている。
「ああ……あれね。BBと言われていた。知っているわ。以前の世界連邦では、この体質はタブーだったのよ。配偶者を決める際には、これが発現しないような因子の組み合わせを選んでいたと聞いたことがあるわ」
「そんなに不都合だったのか?」
 ジャックは妻の肩に軽く手をかけながら、問い返した。
「不都合ね。一般人には。かなり能力が突出するから、目立った存在になるわ。それは以前の世界連邦には、好ましくないのよ。人と違うというのは。それにそれだけ能力が高いと、必ず自分で考え出してしまうから……それも、以前はタブーだったでしょう? 本来は私たちのような上級職なら、望ましかったかもしれないけれど、それでもやっぱり同じ理由で忌み嫌われたようだわ」
「でも障害じゃないんだろ?」
「そうね。それに能力的にも寿命的にも、かなり恵まれるわ。それゆえに浮き上がりやすいというのはあるかもしれないけれど」
「うーん。人と違うというのは、場合によっては、やりづらいのかな」
 ジャックは頬をぽりぽりと掻いた。「まあ、でも、あいつらだって人と違うしな、かなり。で、シェリーが書いてきたところによると、アレイルとエマラインもそうらしいな。しかも確率はかなり高いらしい。でもあいつらは、俺たちには何も言わなかったな」
「心配をかけたくなかったんでしょう。それに基本的には二人の問題だから」
 ヘレナは首を振った。「でもね、こういう場合、もし本当に発現を避けたいなら、リンツとシェリーは、それにアレイルとエマラインもだけれど、生殖センターの助けを借りると良いと、思うのにね。そうしたら、問題のない組み合わせだけを選別してくれるのに」
「あいつらはその選択肢は、選ばないかもな。人為的過ぎるとか言って。いや、本当に深刻な障害なら、そうするんだろうが。別に悪くはないしな」
「本当に追い詰められないとね」へレナは肩をすくめて、苦笑した。
「私たちには、遺伝子的な問題は、何もなかったみたいだけれど……」
「上級職は、生殖向きには作られていなかったってことがな」
 ジャックは苦笑いする。「でもまあ、仕方がないさ。それに俺たちには、アーサーが授かったんだ。それだけで俺は、何もかもに感謝したい気分だ」
「そうね」ヘレナも微笑し、そして続けた。
「それはそうと、偶然の符合かしらね。あの子たち四人とも、アレイルもエマラインも、リンツもシェリーも、みんなPXLPが四十パーセント台の、いわゆるBBぎりぎりの比率だったなんて。ミルトはわからないけれど、でもあの子もそうなら、もしかしたらそれが、超能力の発現となんらかの関係があるのかもしれないわね」
「はっ。また君の探究心が出てきたな。まあ、しかし、そういう条件の奴は、他にもいたんだろう?」
「そうね。たぶん。そういう組み合わせもあったでしょうね」
「それに二人はたしか、世界連邦創立者の末裔だったな」
「そうよ。その遺伝子は、そこから来ているのかもしれないわね。リンツやシェリーたちはわからないけれど。まあとにかく、返信を打ちましょう」
 ヘレナは後ろにまとめた髪から二、三筋垂れ下がってきた後れ毛を、耳の後ろにかき上げると、キーを打ち始めた。ジャックは妻の後姿をしばらく見守っていたが、ふと窓辺に行き、夜空を見上げた。かすかな音を聞いたからである。
「おお、ドームが閉まるぞ」
 以前とは違う、透明な強化樹脂製のドームなので、閉まっていく様子は見えづらいが、かすかに先端がきらきら光って動いている。
「もうすぐ冬だから、気温が下がってきたのね」
 ヘレナはキーを打つ手を止めずに、そう答えた。
「あいつらは当分外へ行けなくて、がっかりするだろうな」
「そうね。でも私にはありがたいわ。アーサーが風邪をひかなくてすむから」
「そうだな」ジャックは肩をすくめた。




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