Part 7 of the Sacred Mother's Ring - A Path to the Light

第1章 朝の輝き(1)




 その朝、目覚めた時、エマラインは自らの身体に新しい生命が芽吹き始めたのを感じた。この感覚は、以前にも何度かあった。どんな検査薬より医師よりも早く、彼女は新しい命の萌芽を感じ取ることが出来たのだ。人の思いを感じる力は世界連邦が新しい、そして本来の姿に戻ってからの十年間、意図的に抑えてきたが、この感覚だけは消せなかった。そのことに彼女は感謝していた。我が子がこの世に生まれ出るまでに、その胎内に宿った瞬間から、その存在を、その状態をつぶさに感じることが出来る。またあと一週間もたてば、二、三ヶ月の間は、あのつわりと呼ばれる不快感や吐き気に悩まされるのだろうが、その見通しもさして憂鬱には感じなかった。その間はしばらく家で調理をせず、すでに出来ている食事を届けてもらえばいい。朝日がさし初める台所に立ち、家族五人の朝食を用意しながら、エマラインの心は新たな一日への希望と喜びに弾んでいた。

 あの戦いから十年。世界連邦は大きく変貌した。ドームが開き、世界各地が自然に存在する時間に従うようになった。季節により大きく変動する気温に合わせて、防寒着や避暑着が量産され、最初の年には一人につきそれぞれ二着ずつ、市民たちに無償で配布された。その翌年から、外気温が摂氏二八度以上、又は五度以下の時には、遮光塗料を落として再び透明になったアグノイト製のドームが閉じられるようになり、それ以上の気温の上昇や下降を防いだ。中央広場のコンクリートは剥がされ、木々や花、芝生が植えられて、公園となっている。道路沿いも一部コンクリートを剥がし、街路樹が植えられた。降雨は正確な天気予報によって知らされ、傘や雨よけコートも生産されるようになった。同時にタオルの需要と生産量も飛躍的に増えた。一定以上の強い雨や風、雪などの荒天時には、ドームが閉じられるが、少しの雨では閉まらないからだ。
 労働形態や経済などの社会システムも、大きく変動していた。まず再びロボットが大量生産されるようになり、力仕事やきつい労働は彼らが受けおうようになった。人間の労働は軽減され、その報酬は倍化され、物価は格段に安くなった。教育システムも本来の世界連邦と同じように、家庭学習と学校が併用され、初等教育過程に入った子供たちは、週三回、学校へ通うようになった。
 結婚制度は大幅に変わり、政府からの強制ではなく、申告制となった。結婚したい相手がいるならば、申告する。この際、いくつかの遺伝子適正チェックが行われるが、障害の可能性が予見されていても、結婚を拒否されることはなかった。ただその可能性を念頭に置くように、とだけ警告される。その際、子供の障害を回避するための体外受精(以前規定出生と呼ばれていたもので、旧世界連邦下でも、生殖センターで行われていたものだ)を希望する場合は、無償で優先的に利用できた。
 相手がいないが結婚を希望する場合には、何人かの候補を政府側で紹介する。連絡や交際は個人に任される。この制度に移行した最初の数年は、ほとんどすべてのケースが紹介制からの結婚だったが、ここ何年かで、自由結婚のカップルも確実に増えてきていた。子供については、その有無や性別、人数、名前など、すべて夫婦の決定に任されるようになった。まだたいていの夫婦は生殖センターで子供を設けていて、その数も二人、多くて三人で、命名も政府の名づけプログラムに頼っていたが、以前の世界連邦で食事に混ぜて投与されていた抑制剤の効果が少しずつ薄れていくに連れ、多様化した生活方式にも後押しされて、人間本来の本能が頭をもたげてきたのか、自然に生まれる子供たちも、少しずつではあるが増えつつある。
 食事に関しては新体制に移行してから三年後、スープとシチュー、パンとミルクの供給制が廃止された。各家庭に設置されていた食料管は閉鎖され、水道からは飲料用の水だけが出てくる。その代わり、料理や食材が各家庭に届けられるようになった。二日に一度、宅配ロボットが、注文された二日分の食材、又は調理済みの食事を届ける。調理済みのものの場合は一食分ずつトレーにパックされ、各家庭に一つずつ設置された万能調理器で、温めるようになっている。食材の場合は、必要な素材が生のままパックされて届けられ、各家庭で料理する。そのために、煮る、焼く、蒸す、炒めるなどの調理ができる万能鍋も、物品センターで扱われるようになった。
 ターミナルセンターは、最先端医療の研究所と病院になった。すべての市民は七十歳を過ぎても生きることができ、自然に寿命が尽きるまで、老後をのんびりと過ごすことが可能になった。医療も世界連邦発足時のレベルに戻った。

 あれから十年がたった――その年月を、その一日一日を、いとおしむように過ごしてきた。エマラインはサラダを盛り付ける手を止めて、キッチンの小さな窓から見える風景に目をやった。並び立つ集合住宅の建物の果てには都市の境界を区切るスティールの壁があり、そのはるか向こうに、少し色の変わりかけた初秋の草原の色合いが、ほんの少しだけ見える。
 解放の戦いを終えた後、七人は再び第二連邦第十二都市に戻ってきた。いや、今はその名前ではなく、本来の名前、カナダ連邦のグリーンズデイル市だ。彼ら七人はしばらく同じコンパートメントで暮らしていたが、解放から半年がたった四月、ちょうど結婚システムが切り替わってまもなく、ジャックとヘレナが結婚した。それにともない、二人は同じ建物にある、別のコンパートメントに移っていった。その翌年、エマラインは初めての子供を身ごもり、アレイルと結婚し、エマライン・ローリングス・ローゼンスタイナーとなった。リンツ、シェリー、ミルトの三人はそのまま同じ住居に留まり、数年間はにぎやかな同居状態が続いていたが、三年ほど前にリンツが、その翌年にはシェリーとミルトが別のコンパートメントへ移っていった。
「もうそろそろ、おれも独立しなきゃな」と、リンツは宣言し、
「あたしも、いつまでもおにいちゃんとおねえちゃんの好意に甘えているわけにはいかないわ」シェリーも名残惜しそうな口調ながら、きっぱり言った。
 アレイルとエマラインにとって、三人の独立は、あたかも弟妹たちの巣立ちのようであり、寂しさも伴った。が、自身の子供たちによって作られる新しい家族のおかげで、寂しさはかなり紛れた。それに独立したとはいっても同じ建物内であり、よくお互いに行き来しあってもいた。ジャックとヘレナとも、頻繁な交流が続いた。彼ら七人はお互いに親戚のようなものであり、仲間であり、無二の友人でもあったのだ。

 世界連邦解放の時十八歳だったエマラインも、今は二八歳になっていた。線の細さは今も変わらず、その大きな瞳は感情や光を映して様々な色に輝き、金色の髪は長く伸びて、後ろでゆるく一つに結わえられていた。もう年に一回強制的に髪を短くされることもなく、理容ロボットの出張サービスは必要な時に個人で行い、髪形も自由に選べるようになった今、彼女は髪を伸ばすことに決め、今やその髪は腰の辺りまで達していたのだ。洋服もさまざまなスタイルや色が売り出されるようになり、値段も下がった今、季節に合わせて五、六枚以上の洋服を持つことが出来た。中でもお気に入りの、やわらかい素材で出来たローズピンクのゆったりとした上衣に、濃いグレーの細身ズボン、そしてピンクと白のチェック模様の作業上衣をつけたその姿は、今でも少女めいたものを感じさせた。
 アレイルも起きていて、エマラインの傍らで朝食用のコーヒーをセットし、万能鍋でゆで卵を作っていた。同じく彼も今は二八歳。この十二月で二九歳になる。五年前、都市工学の専門課程を終えた彼は、グリーンズデイル市(元の第二連邦第十二都市)の都市設計管理局に勤務している。オペレータではなく、デザイン局技師として登録されているのが、彼の年齢では破格の待遇だったが、それは『解放者』の特典であると同時に、専門課程での成績の優秀さの賜物でもあった。緑色チェックの薄手シャツにクリーム色の上衣、濃いグレーのズボンをつけた彼は、金褐色の髪は世界連邦解放当時より、いくぶん短くなったが(逃亡時、髪を再び短くされる直前であったことや、それから解放までの半年以上もの間、切る機会がなかったため、肩にかかるくらいの長さになっていたのだ)、今その髪は、うなじを覆うくらいの長さでそろえてある。彼もエマライン同様、年月の流れをあまり感じさせない。ただ二人とも、家庭人であり三人の子供の親であるという落ち着きが付け加わっていた。
「今日は夕方から、リンツたちが来るって」
 エマラインは夫に話しかけた。
「ああ。そうだってね。連絡をもらったよ」アレイルは頷いた。
「今週はもうあなたは、登庁勤務はないのよね」
「ああ。それにもう今週分の仕事は終わったよ」
「それなら、これから三日はお休みね」
「そう。だから、できるだけ手伝うよ」
「ありがとう」エマラインは嬉しそうに微笑む。
 都市設計管理局デザイン部門の技師は週三回七時間ずつ市庁舎で勤務し、それ以外は決められた仕事を、自宅で空き時間にこなす。市庁舎勤務の上級事務、技術職は、基本的にみな、そのスケジュールだった。一般オペレータや工場などの生産区の技師、それに治安維持隊――警察と治安維持軍を合わせて、今はそう呼ばれていた――は、基本的に週五回六時間ずつの勤務で、自宅作業はない。
 ジャックは治安維持隊に入り、現在は区隊長である。リンツは三年前に専門課程を終えた後、農林生産局のオペレータとして働き始めていた。シェリーは服飾デザインの上級コースを現在勉強中で、ミルトは中等教育課程に入っている。エマラインとヘレナは現在、育児休職中だ。以前は子供が三歳になるまでだったその休暇は、現在では初等教育に入るまでに延び、それ以降も子供が中等教育を終えるまでは、在宅の短縮勤務となっていた。
「あのね」エマラインはもう一息置いて、再び話しかけた。
「赤ちゃんが出来たみたい」
「そう……」
 アレイルは驚きと喜びの入り混じった表情を浮かべて、妻を見た。
 
 彼も世界解放の後は、自らの力を積極的に働かせることをやめていた。それゆえエマラインからの知らせは、いつも新鮮な驚きをもって受け止めることが出来た。しかし意識では制御できないアレイルの能力の一部は、その知らせを受けると同時に、漠然とではあるが、その子供の未来についての予感を感じてしまう。八年半前、長女エミリアが宿ったと知らされた時、アレイルは喜びと祝福を感じ取った。この子は無事に生まれ、多少の悲しみやつまずきはあるものの、おおむね穏やかで幸福な生涯を送るだろうと。五年前に長男アレンが、そして三年前に次男セルスが生まれた時にも、同じような思いを感じた。あえて力を働かせて見なくとも、エマラインが妊娠三ヶ月になる頃には、子供の性別も自然に感じ取れた。エマラインも彼女自身の能力で、おおむね同じような時期に、男の子か女の子かがわかるようだが。
 だが、「赤ちゃんが出来た」と告げられて、漠然とした悲しみを感じてしまう時もあった。エミリアが生まれて一年二ヶ月が過ぎた時だ。本来二人目の子になるはずの子供は、妊娠三ヶ月で流産となった。受精卵に障害があって、それ以上育つことが出来なかったようだった。アレイルは妻から妊娠を告げられた時、その行く手に悲しみを感じた場合も、できるだけその思いをエマラインに気取られないよう努めていた。ただ、エマラインも能力者である。彼女もできるだけ意識的には力を働かせないようにはしているものの、子供が無事に生まれるかどうかというのは、母の強い本能的な要求なのだろう。無意識に夫の気持ちを探ってしまうために、その結果は彼女にもまた、いやおうなしに伝わってしまうようだった。しかし、悲しい結果は一度だけだ。その子供の未来が約束されていると感じ取れると、彼女自身もえもいわれぬ喜びの中で、その命をはぐくむことが出来る。
 しかし、この朝、妻の言葉とともにアレイルが感じ取った思いは、今までに感じたことのない種類のものだった。喜びもある。祝福もある。だが、かすかな悲しみと――何か明言しがたい、畏怖にも似た思いを感じたのである。そして奇妙な懐かしさの感情と。
「どうしたの?」エマラインは一瞬不安げに見上げた。共感した思いを、彼女自身もどう解釈していいか、わからないようだった。
「いや……大丈夫。その子は無事に生まれるよ」
 アレイルは頭を軽く振り、エマラインに微笑みかけた。
「いや、その子じゃないな。その子たちだ。双子だよ」
「双子?」エマラインは驚いたように声を上げ、軽く腹部を押さえた。
「そう。たぶん」
「まあ、大変。そうなると五人になるわ。忙しくなるわね」
「そうだね。だから今まで以上に、身体を大事にしないと。君はテーブルに座ってていいよ。僕がトレーを運んでいくから」
「ありがとう」エマラインは微笑んでテーブルについた。宿ったばかりの命に対してアレイルが感じた思いは奇妙ではあったが、決して否定的なものでないようだということに、安心したようだった。

 まもなく子供たちが起きてきた。十二月で八歳になるエミリアは長いダークブロンドの髪に、母親によく似た顔立ちながら、大きな瞳は父親譲りの緑だった。九月に五歳になったばかりのアレンは、父親と同じ色合いの髪がやわらかく波打ち、緑がかった灰色の穏やかな目をしている。来年の二月で三歳になるセルスは母親譲りの金髪で、巻き毛になって小さな頭を覆っている。目は灰色がかった深いすみれ色だ。ただ、母親のように色は変わらないが。
 エマラインはエミリアが小さい頃からそうしていたように、娘の髪をとかして両脇を少し結わえ、ピンクのリボンを結んでやった。アレイルが息子たちを促して顔を洗わせ、着替えを見守ってから、一家の朝食が始まる。パンとサラダ、コーヒーにフルーツ、ゆで卵。子供たちはコーヒーのかわりにミルクで、アレンとセルスはパンとサラダのかわりに、はちみつ入りのオートミールだ。にぎやかに朝食が終わり、簡単な片づけを終えると、一日が動き出す。
 その日はエミリアも学校に行かない日だったので、一家はパンに野菜やチーズをはさんだ簡単なランチと飲み物のパックをバッグにつめ、市外地区に行くことにした。市外地区とは、都市の外の地域で、ドームが開いている時には、自由に行き来できる。グリーンズデイル市は夏でもあまり気温が上がらないので、冬の数ヶ月以外は、ほぼいつでも外に行ける。外は空気がいくぶん涼しくなっていたので、エマラインは軽い素材でできた青い上着をはおり、子供たちにも寒くないように、もう一枚余分に着せてやった。駆け回って暑くなると、すぐに不要になるものではあったが。
 ストリートウォーカーは、以前は一人用しかなかったが、解放後二年目から、二人用のものも走るようになった。しかし三人乗り以上はないので、それぞれ二人用のウォーカーにエマラインはエミリアと、アレイルは息子二人と乗り込み(小さな子供なら膝の上に乗せられるので、三人一緒に乗ることが可能だった)、一番近いゲートまで行った。今はどの都市も出入りは自由で、東西南北の四つのゲートは、門柱の横についているセンサーに、IDチップをかざすと開いた。腕の中にすでにIDチップを埋め込まれている人はそのままにして、新しく成人した市民には、指輪に埋め込んだものが渡されている。未成年者にはやはり、シリコン製の細いブレスレットにIDチップがついたものが配布されていた。出られるのは人だけではなく、エアロカーも、シャトルも同様だ。かつて世界の都市間を結んでいたインターシティシャトルも、三年前から運航を開始していた。
 都市の南ゲートを出ると、草原の中に着いた細い道を、一家は歩いていった。その道は幅一メートル半ほどで、むき出しの土と砂利が足元で小さな音を立てる。それは八年ほど前、パスメイカーと呼ばれる機械で、ロボットによって作られた道だった。
 その道を二十分ほど歩くと、右側に林が現れる。その中にある広場まで、小径は続いていた。二十メートル平方くらいのその広場の周りは木々に囲まれ、地面は柔らかい草や落ち葉が積もっていた。近くには澄んだ水をたたえた小さな池もあり、夏場は水遊びに最適だった。今は紅葉の季節で、木々が鮮やかな色どりで景色を染め、地面を染めていた。エマラインは柔らかな落ち葉の上に敷物を広げて座り、冷えないようにひざ掛けをかけて、秋の終わりの金色の日差しにぬくもりながら、子供たちを見守った。
「ここに来ると、いつも思うんだけどね。市街地区にも家を建てられたらいいって」
 子供たちと遊んでやっていたアレイルはランチが終わると、エマラインの傍らに腰を下ろし、小さく笑って、そんな意見を口にした。
「あら、そうね! それもネイチャー・コロニーのような、一家族一軒の小さな家が良いわね」エマラインは思わず歓喜の声を上げた。
「ああ。僕もそう考えていたんだ。都市の中では集合住宅もいいけれど、自然の中では、その中に溶け込めるような小さな家が良いって。ただネイチャー・コロニーのような共同体を作るには、まだ難しいと思うから、都市部周辺の、農場区でないところを住宅区として開発して、個々の家を建てる、都市の周辺部を拡大する形にしたらいいんじゃないかなと思っているんだ」
「そうね。それが出来たら素敵ね」
「ただそうなると、考えなければならない問題がいくつかあるんだけれどね。まずエネルギーと水道、交通、それに通信とセキュリティを確保する。最低限それは必要だよ。今の段階では、都市の中とそれほど遜色ない生活の利便性が確保されなければ、誰も市外区へ住もうなんていう人はいないだろう。僕ら以外にはね」
「そうね。誰も隣人がいないのも寂しいわね」
 エマラインは小さな笑いを漏らした。
「それと、ドームの外に作ることになるから、極端な暑さや寒さが来た時に困るこということもあるね。このあたりは、問題は冬だけだけれど、都市によっては、市外区を作るのは難しいところもあるかもしれない」
「そうね。でも可能な都市も、いくつかはあるでしょうから……それに、多少暑くたって寒くたって、対策は可能なんじゃないかしら。よっぽど極端でない限りは。ねえ、それって実行に移せないかしら。わたし、本当に都市の集合住宅でなくて、自然の中の一軒家に住みたいのよ。どうもあの半年間で、野生が身についてしまったのかもしれないわ」
「たぶん僕ら七人は、みんなそうだろうね」アレイルは肩をすくめた。
「ただね、今はまだみんな、それほど市外区への関心はないんだ。僕らはたびたび出かけているけれど、グリーンズデイル市の統計だと、全世帯数のうち、都市の外へ出かけた、つまり都市のゲートを通って外へ行った人は、まだ十五パーセントくらいしかいない。それも、年三回以上というのは、五パーセントに満たないんだ。インターシティシャトルも復活したけれど、今のところほとんど荷物を運んでいるだけだ。都市の外へは行かない。他の都市へも行かない――まだみんな、昔の世界連邦の頃から、あまり心理世界を広げられてはいないんだろうな。余暇は増えたけれど、相変わらず家で放送プログラムを見たり、ゲームに興じたりしている。むしろ市外地区にレジャーランドでも建てた方が良いんじゃないかって、局長は言っているしね」
「人の心は、それほど急には変わらないのじゃないかしら。でも時間があればきっと、もっと変わっていくわよ」
「そうだろうね。この十年の間にも、少しずつではあるけれど、変わって来ているわけだし。さっきの統計を逆手に取れば、少なくとも五パーセント近くの人が、年に三回以上、市外地区へ行っているんだ。ということは、この街の中で一万四千人くらいの人が、都市の外の世界に興味を持っているんだよ。かなり有望な数字だよね」
「そうよ。ねえ、テストケースとして、作れないかしらね。市外住宅区。そこで何人かが興味を持って住んでくれれば、もっと興味を持ってくれる人も増えると思うし、それが広がっていけるかもしれないわ。設計局の一技師としてじゃ無理かもしれないけれど、あの専用ラインを使ってみれば?」
「PAXに直談判かい?」アレイルは苦笑し、再び肩をすくめた。
 彼ら七人には市民IDとは別の、解放者としての特別IDがPAXから通知されていた。家庭のコンピュータから、そのIDを使ってセッションを開くと、カナダ連邦の中央サーバーを経由して、PAXと繋がる。さらに世界総督ダンカン・ジョグスレンや主席プログラマー、ヴァーノン・スミソンズとの通信も可能だった。このラインを使って、新世界連邦のシステムに対する要望を二、三伝えたことはあるが、ここ数年は使っていなかった。
「やってみる価値はあるかもしれないね。家へ帰ったら打診してみよう」
「実現すると良いわね」エマラインは両手を組み、頷いた。
「ママ、パパ、きれいな葉っぱを一杯集めたの、ほら!」
 そこへエミリアが頬を紅潮させながら来て、両手一杯に色とりどりの葉をひろげて見せた。
「あら、きれいね」エマラインは感嘆の声を上げる。
「ぼくも、ぼくも。みて!」
「みて、みて!」
 アレンとセルスも駆け寄ってきて、彼らの戦利品を見せた。三人とも頬は濃いピンク色に染まり、髪は拭き乱され、目をきらきらと輝かせている。子供たちも自由に駆け回って遊べる、都市の外が好きなのだろう。
「どんぐりもひろったよ!」
「うん、どんぐり!」
「あたしもたくさん拾ったわよ!」
「じゃあ三人とも、その葉っぱやどんぐりを持って帰るかい?」
 アレイルの問いかけに対し、答えは即座に返ってきた。
「うん、もってかえる」
「たからばこに入れるの」
「パパ、袋ちゃんと分けて。これはあたしが集めたの」
「これはぼくのだよ〜」
 子供たちはそれぞれ専用の箱を持っており、その中に市外地区で拾った様々なものを入れていた。小枝や木の葉、木の実や花、きれいな小石などを。葉や花は、大半は時がたつとしなびてぼろぼろになるのだが、それでも彼らは大事そうに持っている。シェリーやミルトが、逃亡生活の間に拾ったきれいな貝殻や小石を、集めていたように。ただ生き物は、持って帰ることを禁じた。
「その虫は、ここでしか生きられないんだよ。街に持ち込んじゃいけない。それに箱に入れたら死んでしまうよ。元の所に返してやりなさい」
 アレイルはきっぱりとした口調で子供たちに告げ、彼らも残念そうな表情は見せるものの、その言いつけに従っていた。

 家に帰ると、ジャックから通信が入っていた。その夜、ヘレナと一人息子を連れて訪問したいと。夕方には、リンツとシェリー、そしてミルトがやってきた。
「夕飯まだでしょう? 一緒に食べようと思って、材料持ってきたの。あたしが作るわ」
 シェリーが明るい声で言った。彼女は今二一歳。華やかな美しさを持った娘に成長している。長い金髪を両脇でまとめ、赤いリボンで飾っている。軽い素材でできた赤い上着に濃いグレーのスカートをはき、その下にスパッツをつけていた。
 姉と一緒にやってきたミルトは、十二歳の少年に成長していた。かなり背が伸び、黄色い上着と茶色のズボンが、少し短くなりつつあるようだ。肩にかかった栗色の巻き毛に青い目、端整な顔立ちの彼には、昔のいたずらっ子の面影はあまりなく、本とゲームの好きな、落ち着きを伴った少年になってきていた。だが、「あっ、ミルトおにいちゃんだ!」と、エミリアが歓声を上げて近づき、ついでアレンとセルスが突進すると、ミルトも昔に戻ったように笑い、彼らと戯れている。
 リンツも背の高い青年になっていた。時々ある屋外作業のために日に焼けたせいか、以前ほどそばかすは目立たなくなっているが、少し上向き気味の鼻と大きな口、おどけたような灰緑色の目は、十四歳の頃と変わらない。濃いオレンジ色の巻き毛は、短めに切られて頭を取り巻き、その頭の小ささと、モスグリーンの上衣と黒のズボンのためか、よけいにひょろひょろと手足が長く感じられた。
 にぎやかな夕食が終わった頃、ジャックとヘレナが彼らの間の一粒種、二歳半のアーサーを伴ってやってきた。ジャックはここ十年の間に少し恰幅が良くなり、頭髪もほんの少し薄くなってきていた。ヘレナは以前より少しふくよかになった他は、十年前とあまり印象が変わっていない。アーサーは父親に似た黒髪だが、髪質は母親と同じように柔らかく、顔立ちも濃い茶色の目も、ヘレナによく似ていた。白い肌に線の細さが目立ち、よく体調も崩すということで、スウィート夫妻は一人息子の健康を、常に気にかけているようだ。
 ジャックとヘレナは望んでいたにもかかわらず、なかなか子供に恵まれず、アーサーは生殖センターの助けも借りて様々な努力を重ねた末、やっと恵まれた息子だった。アーサーが無事に生まれた時、ヘレナはおろかジャックまでが涙にむせんだという、彼らにとって掌中の玉だった。アーサーはおとなしく、人見知りもするたちだったが、彼ら五人やローゼンスタイナー家の子供たちとは、しょっちゅう行き来しているため、慕っており、また喜んで遊んでいるようだった。
 ミルトが監督役になり、エミリア、アレン、セルス、それにアーサーも加えて子供たちが遊ぶ中、大人たちはコーヒーを飲みながら歓談していた。外気温はドームのない今、季節変動するが、建物内の温度は自動調整されていて、暖かだった。ソーンフィールド以降の世界連邦では必要のなかったものだが、もともと創立時には今と同じ条件だったので、外気温の寒暖差に対応できるよう、どの建物にも調節装置がついていたのだ。
「今日は、みんなに報告があるんだ」
 リンツがカップを下に置き、意を決したように、そう切り出してきた。
「おれたち……シェリーとおれは、結婚するつもりなんだ。明日申請を出そうと思って」
「えっ?」
 みなは一様に驚いた表情になったが、次に瞬間には笑顔になり、口々に祝福を浴びせた。
「そうか、おめでとう!」
「やっぱりそうなるんだね。きっとそうだと思った」
「そうなれば良いと、わたしも思っていたのよ」
「あなたたち、昔から仲が良かったものね」
「つーかさ、他に考えられなくなってさ」
 リンツは顔を紅潮させ、照れたように頭を掻いた。
「おれも一人暮らし、なんとなくつまんないし、かといって、あまりここに戻ってきたんじゃ独立した意味ないし、ていうんで、しょっちゅうシェリーとミルトのところへ行ってたわけさ。そのうちに行き来するのが、めんどくさくなってさ、いっそのこと一緒になったらいいんじゃないかって思ってさ」
「他の選択肢がなかったから、仕方ないのよねぇ」
 シェリーは笑って、肩をすくめた。
「今だから言うけれど、あたしはね、本当はアレイルおにいちゃんのことが好きだったのよ。でも、おにいちゃんとおねえちゃんが恋人同士なのは、いやっていうほどわかってるじゃない。それにジャックはおじさんだし、ヘレナもいるし、他に男の人ってね……」
「悪かったなぁ。おれも今だから言うけどさ、エマラインのことが好きだったんだぜ。でも……ま、後の説明はシェリーと同じだから割愛な」
「それは……知らなかった。光栄だな」
 アレイルは少し照れたように笑い、
「わたしも……ありがとうね」
 エマラインもちらりと肩をすくめて、微笑んだ。
「ってかさ、エマはそのくらい、気づいてそうだったんだけどな」と、リンツは頭を振り、
「好意を持ってくれていたのは感じたけれど、ね」
 エマラインは苦笑した。
「ま、淡い初恋って奴だろうさ。でも、おまえさんたちはお似合いだよ」
 ジャックは笑い、頬を掻いた。
「ともかく良かったわね。式はいつなの」へレナが優しくきいた。
「クリスマスまでには。場所ってさ、ここ使っていいかな」
「いいよ。大歓迎さ」
 アレイルは即座に答え、エマラインも笑顔で頷いた。
 以前の世界連邦では、結婚は政府からの一方的な通知でしかなかった。指定された日に新しい住居に移るように通知され、そこで配偶者となる人に出会う。お互いに見知らぬもの同士で、新しい生活が始まるのが常だった。しかし制度が変わってからは、政府の紹介制で結婚する人でも、事前に数回は会っていた。そして結婚する日は特別な日として、お互いの家族とともに、宴席を設ける習慣が復活したのだ。
 ジャックとヘレナが結婚した時には、まだその儀礼はなかったが、五人の仲間たちは祝福の夕餉を設けた。その時にはまだパンとミルクは配給制であったが、物品センターで手に入るいろいろな食材を並べ、新しいテーブルクロスをかけて祝った。ヘレナは紺色の、丈の長いきれいなワンピースを新しく買い、ジャックも新しいグレーのジャケットと紺色のズボンを買って、その場に望んだ。そして部屋のコンピュータ端末から手続きを済ませた。アレイルとエマラインの時も、同じようだった。ただエマラインが買った衣装は、丈の長い白いワンピースだったが。
「はりきってご馳走を作るわね」エマラインは笑顔を浮かべた。
「僕も手伝うよ。君は今、大事な身体だから」
 アレイルはちょっと頭を振り、そう付け加える。
「おー、また出来たのか? 四人目か?」
 リンツが一瞬間をおいて、驚いたように声を上げ、
「わー、おめでとう!」シェリーも両手を打ち合わせて、笑みを浮かべた。
「良かったわね、本当に」ヘレナも穏やかに微笑みかけ、
「今日は本当に、おめでたい報告続きだな」ジャックは笑った。
 温かい祝福。気の合う仲間たちとの語らい、広がる未来――かつて、こんな光景を夢見ていた。何度も――エマラインは思った。十年半前から、自由を掴み取るまでの間に。それが現実になったのだ。この十年間、どの日をとっても、どの瞬間をとっても、かつて夢見ていた光景だった。そして、この時も――彼女は満ち足りた思いを噛み締めていた。それは彼らみなの思いであることも、感じることができた。




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