Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第5章 自由を求めて (7)




 リンツが再び戻ってきたのは、二十分ほどたってからだった。まだ血に汚れた服のまま、二人に駆け寄ってくる。
「わりぃ、ちょっと遅くなっちまった。しばらく、てんてこ舞いだったんだよ。ヘレナに言われて布を取ってきたり、お湯沸かしたりさ」
「おう。それはわかってる。いいんだ。アレイルは?」ジャックが聞いた。
「ヘレナとシェリーが治療中だよ。でも、かなり大変らしい。何で撃たれたのかわからないけど、こんなひどい銃創見たことないって、ヘレナが言ってたぜ。シェリーが一生懸命になって、ヒーリングしてるけどなぁ」
「助かりそうか?」
「……ヘレナに聞いてくれよ。そのへんはわかんね。怖くて、聞けなかったんだ」
「……わかった。ミルトは?」
「ああ、気にしてる暇なかったなあ……いや、おとなしくしてたぜ。邪魔はしてないな」
「そうか。じゃあ、俺たちも帰ろう」
「ああ。でも、こいつらは放っておいていいのか?」
「全員死んでるしな。しばらくこのままでいいだろう。警察が介入すると、何かと面倒だ」
「エドワード兄さん……」言葉が、思わずポツリとエマラインの口から洩れた。
「兄さんは……別に、処置してあげたい。すべての……決着が着いてからでいいから」
「エドワード兄さんって、おまえさんの兄さんか?」ジャックが聞いた。
「ええ……」
「この中にいるのかよ」
 リンツが驚いた声を上げ、床の屍たちに目をやった。
 エマラインは恐る恐る、その中に倒れている白髪のやせさらばえた男を示して、頷いた。
「ああ……そういえば、その男だけは戦闘員らしくないな」
 ジャックはエドワードの遺体に近づくと、見開いたままの目を閉じてやり、他の男たちから離して、比較的きれいな部屋のすみに寝かせてやった。
「でもあんたの兄さんって、とっくに殺されたんじゃなかったのか?」リンツが聞く。
「そう思っていたわ……」エマラインは再びぶるっと震えた。
「まあ、落ち着いたら話を聞かせてくれ。とりあえず帰ろう」
 ジャックが言い、三人は彼らの住居に帰った。

 部屋に帰ると、ミルトが駆け寄ってきた。
「エマァ」
「ああ、ミルト!」エマラインは夢中で幼子を抱きしめた。
「ありがとう、ありがとう、ミルト。みんなに伝えてくれて!」
「うん」ミルトは少し得意そうに頷いた。
「ミルト、遊んでやるから、こっちの部屋へ来い。ああ、ちょっと待った、これじゃまずいから、着替えてくる。ちょうど着替えもあったしな……よし、いいぜ。みんな今大変だから、な。邪魔すんなよ」
 リンツが幼児を促し、手を引いて奥の部屋へ連れていった。ミルトはちょっと振り返ったものの、逆らうでもなく、いつになく神妙な面持ちでついていっている。同時にもう一つの個室から、ヘレナが顔を出した。
「ああ、ちょうどいい所に帰ってきてくれたわ。ジャック、手伝って。手を洗って消毒してからね。それからエマライン、悪いけれど、そこの端末から配給センターの宅配サービスへつながるから、医療コーナーを呼び出して、包帯四巻きと消毒薬一びん、それから点滴キットとブドウ糖、生理食塩水の混合液を三パック、抗生物質Aを一ユニット、急いでここまで届けるように頼んでくれる?」
「そんなものまで届けてくれるのか? それに、直接行かなくてもいいのか?」
 エマラインのかわりに、ジャックがそう問い返した。
「ええ。どうやら出来るみたい。私たちのIDからは。ここのデータベースを検索していて、偶然つい二時間ほど前に見つけたのよ。まだセッションは開いてあるから、お願いね」
「ええ」エマラインは短くそう答え、ヘレナたちの部屋に入って、端末を操作した。半時間ほどたった頃、配送ロボットが品物を届けに来た。

 それから二時間あまりが過ぎた頃、ジャックがシェリーを腕に抱えて部屋から出てきた。
「気絶しちまった。無理もないな。部屋に運ぼう」
 シェリーとミルトは、居室で一つのベッドを二人で使っているが、片側にはもうミルトが寝ていた。
「ついさっき寝かせたばかりだぜ」リンツがそう説明する。
「ご苦労だったな。夕飯は?」
「食わせた」
「そうか」ジャックは頷きながら、シェリーを空いた方の側に寝かせた。
「シェリーはどうしたんだ?」
「ヒーリングのやりすぎだな。限界超えて、ぶっ倒れたんだ。無理もないな。あれだけの怪我は、お嬢ちゃんにも大変だったろう。が、この子の力がなかったら、アレイルは確実に死んでいただろうな。たいしたもんだよ。そうだ、リンツ。タオルをお湯にぬらしてきてくれ」
「わかった」
 ジャックは少年が持ってきた濡れタオルを受け取ると、少女の汗にまみれた顔と、血に染まった小さな両手を拭き清めた。買ったばかりのピンクの上衣も、すっかり血で汚れてしまっている。ジャックは着替えさせたいようだったが、相手が女の子なので遠慮したのだろう。服はそのままにして、毛布をかけた。そしてリンツを促して部屋を出た。ヘレナも洗面所へ出てきて、手を洗っているところだった。そしてジャックともども着替えをし、汚れたものはウォッシャーに放り込んでから、リビングのテーブルに座った。ジャックとリンツも自分の席についた。エマラインは一時間ほど前から、ずっとそこに身じろぎもせずに座っている。
「とりあえず手当ては終わったわよ、エマライン」
 へレナは優しい口調で声をかけていた。
「ああ、ありがとう……ごめんなさい、わたし……何も出来なくて」
 エマラインは涙ぐみながら、テーブルに両肘をつき、手を組み合わせながら頷く。
「で……アレイル、助かりそう……か?」
 リンツがおずおずとした口調で聞いていた。
「ええ、なんとか大丈夫よ。ぎりぎりだったかもしれないけれど。シェリーちゃんがいなかったら、難しかったわね。それにもう十五分遅かったら、手遅れだったと思うわ」
「あ……ああ、よかったぜぇ」リンツは大きくため息をついた。
 エマラインはほっとしたと同時に、今までマヒしていた感情がよみがえり、泣き出した。声を上げて激しく泣いてしまったが、止められなかった。
 一同はそんな彼女をしばらく見守ったあと、ジャックがぽんぽんと肩を叩く。
「よしよし、もう大丈夫なんだから、泣くな。おまえさんもいろいろとショックだったろうが、そろそろ落ち着け」
「ごめん……なさい」エマラインは涙を飲み込みながら、頷いた。
「ありがとう……ありがとう、みんな……」
「夕飯、食うかい? おれはミルトと済ませたけど、あんたら、まだだろ?」
 リンツが立ち上がって、キャビネットの戸棚を開けた。
「ああ。そういえば、もう二十時を過ぎてるな。でも、まだシチューはあるのか?」
「出てくるみたいだぜ」
 リンツはシチューを皿に受けながら、頷く。エマラインもふらふらと立ち上がって、パンとミルクを用意した。ただ彼女自身はまったく食欲を覚えなかったので、リビングを出てアレイルの部屋へ行った。
 床にはまだ血の跡がついていて、シーツも血まみれだったが、アレイル自身はもう出血していないようで、見た目の上では腹と胸の傷は、まったくわからないほどになっていた。肩と足は包帯が巻いてあり、血がにじんでいたが、乾き始めてもいるようだった。毛布が胸の辺りまでかけてあり、左腕には点滴パックがついていた。顔は血の気を失って青白く、肩を覆うまでに伸びた金褐色の髪は、普段は後ろに束ねている時もあるが、今は枕の上に広がっている。
 エマラインは手を伸ばし、そっと髪と頬のあたりに触れ、呟いた。
「ごめんなさい、アレイル……」
 それはあの時に言った言葉でもあり、彼が即座に『君があやまることはない』と返してきたものでもある。彼女を見捨てないで留まったことは、彼の選択なのだから、と。しかしエマラインは、やはりそう言わずにはいられなかった。涙が流れて、その顔の上に降り注いだ。
「もう少し落ち着いたら、シーツを取り替えるわ」
 ヘレナが来て、後ろからエマラインの腕に触れた。
「腹部と胸の損傷を直すのに、シェリーちゃんの力でも一時間以上かかったの。だから肩と足は骨と神経がつながれば、その時点で次へ移ってって、あの子に言ったのよ。そうすれば運動機能は戻るから。正解だったわね。裂傷まではなおしきれなかったから、傷跡は残ると思うけれど、でもそれだけだから」
「ありがとう、ヘレナ……」
「ヘレナ、すげえよな。本物の医者みたいだったぜ」
 リンツも後からやってきて、そんな感想を漏らす。
「彼女は上級医療プログラマーだ。本物の医者より知識も技術もあるんだぜ」
 ジャックも来たらしい。その声は少し得意そうだった。
「でも私でも、シェリーちゃんがいなければ、どうしようもなかったわね」
 ヘレナは肩をすくめる。「最初はひどかったわ。六箇所、半径四センチくらいにわたって、組織が粉砕されているような状態だったから。とりあえず手足に止血帯をかけて、医療キットが届いてから動脈を結紮して、それくらいしか私にはできなかったわ。壊れた組織を治したのは、シェリーちゃんよ。あの子には本当に感心したわ。普通の女の子だったら気絶しそうなくらい凄惨だったのに、気丈に治療していた。買ったばかりの服が汚れるのも気にしないで、精根尽きて気を失うまで……」
「シェリーにも、本当にありがとうって言いたいわ……」
 エマラインは思わず呟いた。
「まあ、当分起きないだろうな、あいつ。力使って疲労困憊した時って、ほんとに眠くなるからな」リンツが首を振って言う。
「あれは、普通のレーザーや熱線じゃないな。まるで小型爆弾でも埋め込まれたみたいな傷だ」ジャックは重々しい表情でそう漏らし、
「私もそれは思ったけれど、でも金属片はなかったのよ。だから物理的な爆弾ではないわね」ヘレナも首を傾げていた。
「ええ。たぶん本当の小型爆弾ではなくて、レーザーのようなものでしょうけれど、原理的にはそうだって……あの男が言っていたわ。ネオ・トーキョーの市長を……処刑した時に使った、特別製の銃だって。国家反逆者の……処刑に使うんだって」
 エマラインは再び激しい震えを感じ、それ以上続けられなかった。あの光景が再び目の裏によみがえり、叫び出したい気持ちを懸命に堪えた。
「国家反逆者か。政府側からすれば、そうなんだろうな」
 ジャックが低く言った。
「ことにアレイルは、一団の首謀者とみなされているはずだ。だからか……」
「でも今は状態も落ち着いているから、大丈夫よ」
 へレナが励ますようにエマラインの腕を小さく叩いた。
「リビングに来て、あなたも何か食べた方がいいわ」
 彼らは遅い夕食を済ませ、水道水と洗剤を使って、手で食器を洗った。ウォッシャーは今洗濯中で使えないせいだ。

 四人は再び、リビングのテーブルに座った。台所から聞こえてくるウォッシャーの微かな音以外、静かな家の中、再びジャックが口火を切った。
「さてと、とりあえず一段落ついたことだし、な、話してくれないか。いったい何が起こったのか」
 エマラインは頷いた。だが、何から話し始めていいか、まだ頭の中はすっきりしたとは言いがたく、言いよどんでいると、ヘレナが上着のポケットから一片の紙を差し出した。
「発端は、この手紙なの?」
「なんだ、これ?」
 リンツが手を伸ばして取り、開いた。ふき取った血のしみが残る薄いプラスティックペーパーに書かれた内容を、ジャックとともに読んでみている。
「アレイルの上着のポケットに、それが入っていたのよ」ヘレナが説明する。
「配給センターで渡されたのよ。職員さんに。でも……それは偽物だったの。手紙を書いたのは、スタインさんじゃなくて……」エマラインは言いかけた。
「セオドア・スタインってのは、何者だ?」ジャックが聞いてくる。
「アレイルのお父さんの、同僚だった人らしいわ。一回、家に来たことがあるらしいの。でも、その手紙を書いたのは、スタインさんじゃなかったの。わたし……わたしが触ってみたら、わかったかもしれない。でも、触らなかったの。わたし、兄さんが生きているって書かれていたから、動揺して……アレイルもそうで……それに彼、あの時には力がなくなっていたから、わからなくて……とりあえずアレイルの家に行ってみたら……本当にお父さんと妹さんが、ひどい仕打ちを受けていて……彼、動揺して……わたしも……それで本当に兄さんが生きているかもって……わたしの家に行ったら……」
 エマラインは切れ切れの言葉で語った。アレイルの意識を経由して知った、敵の作戦を。第二連邦が落ちる前に、あらかじめPAXの支援を受けて、特別部隊をこの街にもぐりこませていたこと。兄をおとりにしてエマライン一人だけを呼び出し、彼女を拉致して人質にしたことを。
「まあ……」ヘレナは驚いたような表情で、小さく声を上げた後、続けた。
「私たちは、何も知らなかったわ。荷物だけがきた時にも、何も疑問に思わなかった。あなたたちが家に行った理由を書いてくれたら、少しは違ったのかしら……」
「ごめんなさい。でもわたしたち、その時にはこれが罠だなんて、思ってもいなかったの。本当にスタインさんが心配してくれているんだと、思っていたから……」
「まあ、無理もないな。解放した連邦にまだ敵が残っているなんて思わないからな」
 ジャックがそう言い添えてくれた。
「でも普段のアレイルだったら、罠だということはわかったはずね、きっと。ちょうど力が疲弊していた時期に当たってしまったから……」ヘレナは少し眉根を寄せ、
「タイミングわりぃって感じか」リンツは首を振る。
「ここへ来てからずっと、漠然とした不安のような、落ち着かない気持ちは感じてるって、彼は前から言ってはいたんだけれど」
 エマラインはテーブルに両手を組み合わせ、話し続けた。
「だけど、ここがわたしたちの故郷だから、いろいろな思いや罪の意識があるから、そのせいだって……アレイルもわたしも、なんとなくそう思っていたの。でも今になってみれば、力はなくなっていても、完全に消えたわけじゃなくて、彼の意識の奥底で、警告を発していたのだと思うわ。ただ、わからなかったの、その時のわたしたちには……」
(わかっている。それはしかたがない。誰もあなたたちを責めはしない)
 そんな思いを他の三人から感じ、エマラインは慰めを得て、話し続けた。
「わたしは元の家に兄さんが本当にいるのを知って、動揺してしまった。一人で来てくれって兄さんが言うのを、そのまま受け入れて、一人で行ったわ。アレイルは心配したけれど、その時の彼には、中の状態は見えなかった。先の状態も、わからなかった。わたしも……わたしもそうだったの。兄さんが生きていたことに動揺して、兄さんがわたしに会いたいというのなら、会わなくては、それが少しでもわたしの償いになるのならって……そう思ってしまったのよ」
 エマラインは兄から感じた自分への憎しみの強さを思い返し、再び震えた。そしてその後起こったことを、時々言葉に詰まりながら、三人に伝えた。
「わたしはアレイルに、逃げてって頼んだの。逃げてくれればって。男たちが彼を殺そうとしていたのは、わかっていたから……言うことを聞いたら殺されるから。でも彼は、そんなことはできないって言って……」
「……できねえだろうなぁ。そりゃ、ちょっと……」
「俺が同じ立場で、ヘレナを人質に取られてたらと思うと……わかるな」
 リンツとジャックは神妙な顔で、首を振っていた。
「でも、冷静に最善を考えるなら、たしかに逃げ帰るのも、一手なのよね」
 ヘレナは微かに頭を振りながら、そんな意見を口にする。
「だけどさ、もしおれ、アレイルがエマライン見捨てて帰ってきたら、考えちまったと思うぜ。こいつについてって、いざって時に見捨てられないかなって。自分の恋人を全体のために切り捨てられるんなら、おれなんか、なおさらだよなってさ」
「そんなことはないわ。わかってよ、リンツ。仮にそうしたとしても、それだとしても……でも、みんなは助かるのよ。わたしだけの犠牲ですむの。本当だったら、わたしたちみんな、今頃死んでいるの。アレイルが自分の……死を、予測した時間軸では……今頃わたしたち、敵の陰謀にかかって、みんな死んでいるのよ」
 エマラインは声を上げた。そしてアレイルが生命の危機にさらされながら見たヴィジョン――彼女はその映像を見ることは出来ないが、共感し理解した未来の時間軸を、三人に語った。十七時半を過ぎたころ、階下の子供が訪問に来る。『お父さんがこれを買ってきてくれたんだけれど、僕はボール遊びって好きじゃないから、ここに小さい子が引っ越してきたってお母さんが言うから、あげる』と差し出すプレゼント。中にはきれいなボールが入っている。一方的にもらうのでは悪いとためらうヘレナとジャックに、その子は言う。『じゃ、要らないおもちゃと交換しようよ』ミルトはボールを欲しがり、パズルの一つと交換する。そして、その子は帰っていく。部屋に戻ったミルトが、ボールで遊ぼうと床に弾ませた瞬間、その衝撃で――。
「うへぇ!!」リンツが声を上げた。
「マジかよ!」それ以上、言葉が出ないようだ。
「これは……普通、疑わないな。まあ、今までろくに近所づきあいなんてなかったのに、急に友好的になるってのも早いとは思うが、子供のことだからな。ことに俺たちも、もう解放したから危険はないって思っているしな」
 ジャックは頬をぽりぽりとかきながら、うなるように言い、
「なんてことかしら……」ヘレナも言葉を失っていた。
「もちろん、その子に何の罪もないわ。あの連中は、わたしたちを殺したあと、その子の母親に近づいて頼むのよ。ゆえあって階上の子供たちにプレゼントを渡したいのだけれど、事情があって面と向かって渡せない。お子さんにぜひ仲介してくれって、その母親が喜びそうなものを持って、そうして、こういう風に言って渡してくれって、その子に頼むの。その子にももちろん、好きなプレゼントをあげて……」
 エマラインもかすかに震えながら、説明を続けた。
「巧妙な作戦を考えたものね……」
 へレナは低く呟いた。そしてしばらくの間の後、ふと気づいたように言葉を続ける。
「でも、それがわかったということは、アレイルの力は戻ったのね?」
「ええ」エマラインは頷いた。
「わたしが捕まるのと、ほぼ同時に戻ったらしいわ。もう少し早く戻ってくれたらって、彼は悔やんでいたけれど……」
「差し迫った危険があまりに大きかったから、それがたぶん、戻るきっかけになったのね」
 へレナは納得したように頷いている。
「で……その後は、なんとなく見当がつくな。おまえさんを人質に取られたんで、アレイルも相手に従って拘束されたわけだ。それで処刑されかけた、と」
「ええ……」ジャックの言葉に、エマラインは再び震えながら、小さく頷いた。
「うーん。そうか……でもさ、そうするとさあ……」
 リンツが考え込むように首をかしげ、ジャックとヘレナを見た。二人も肩をすくめ、ヘレナが代表して口を開いている。
「誰が敵の工作員を倒したか、ということでしょう? ジャックとリンツが行った時には、その男たちはみんな倒れていて、五人は死んでいて二人は虫の息だったわけよね。でもアレイルもエマラインも当然反撃など、とても出来ない状態だったのだし、二人とも物理的な攻撃力は持っていないはずだから……」
「わたしも、はっきりとはわからない。でも……」
 エマラインは両手を自分の身体に回し、ぎゅっと締めつけるようにした。
「あの男たちは、自分たちが撃った銃に、当たったのだと思うわ」
「なんだって?」ジャックが驚きの声を上げた。
「あの……処刑は、ネオ・トーキョーの市長さんと同じ、残酷なスタイルで……行われたのよ。一発ずつ、二分間隔で弾を打ち込んで、最後は三分おいて、七人の一斉射撃。その最後の瞬間に、アレイルの前に見えない鏡が……降りたようだった。それに跳ね返されて、自分たちが発射したレーザーや熱線が……自分に返ってきたみたい。狙ったところを。最後はみんな、一発で致命傷になるように、狙っていたのよ。だからそれが、自分の致命傷として……返ってきたの、だと思うわ」
「マジかよ……そんなことも出来るのか、アレイル?」
「あの時、一度限りだと思うわ。最初から出来ていたら、あんなひどい怪我は負わないもの。あれは……彼のここで終わってはならないっていう強い意志と、ニコルさんの助力のおかげだと思うのよ」
「ニコル? ニコル・ウェイン? アレイルの双子の兄弟の? あの人は三年以上前に死んでいて、でも時々夢の中に出てくるって言っていたけれど、でもたしか……」
 ヘレナが言いかけた言葉を、エマラインが引き取った。
「そうよ。わたしたちが戦いを始める三日前に、夢に出てきたのが最後のはずだったわ。アレイルの夢の中に出てくるニコルさんは、三年以上前に病床にあって、生死の境をさまよっていた頃のニコルさんで、夢の中では時渡りができるからって、そんなことを言っていて、でももう力が届く最後だって。わたしも会ったのよ。その夢の中で。アレイルとわたしと、二人の夢が溶け合って……たぶんニコルさんが結びあわせてくれたのだと思うわ。RAYの本体が眠っている海の、近くにある島で。でもね、あの時は夢じゃなかった。現実に、声が聞こえたのよ。まるで天から降ってくるみたいに……まるでアレイルの危機を救いに来たみたいに……」
 四人の間に、長い沈黙が降りた。みな、適切な言葉が見つからないようだった。
「以前……アレイルが言っていたっけな。七百年前にデザインされた壮大なゲームの、自分たちはプレイヤーに過ぎないのかもしれないと。それは……だが、プレイヤーの危機に、デザイン側が介入することがあるのか?」
 ジャックが沈黙を破り、頭をかきながら口を開いた。
「ニコル・ウェインは、デザイン側ではないと思うわね。いざという時の、アレイルのアシスタントなのかもしれないわ。それも、本当に絶体絶命の時にしか発動しない、究極技のようなものかもしれないわね」
 ヘレナは首を振り、そしてしばらく間をおいて、言葉を続けた。
「でも大きなデザインといえば、その通りかもしれないわね。ここへ来て一つ、私も不思議なことを発見したわ。ここの端末から私たちのIDで入ると、今まで解放した連邦より、はるかにいろいろなところにアクセスできるのよ。医療キットの宅配なんて、ここが初めてだったわ」
「ああ、そういえばそうだな。あの時はドタバタしていて深く考えなかったが……たしかに不思議にも思ったものだ」ジャックが頷く。
「そうよ。まるで必要になるのを見越していたみたいに……」
 ヘレナの言葉に、再び四人は言葉を捜すように黙った。
「ピエール・ランディスは予知能力者、マリア・ローゼンスタイナーの描いた青写真を元に、RAYの解放プログラムを組んだと言っていたわね。だから、彼女にもきっと、見えていたのでしょうね。この事態が」ヘレナが首を振り、再び口を開いた。
「それじゃ、その女予知能力者は、この先も見通していたんだろうなあ……」
 リンツが頬杖をつきながら、そう呟く。
「勝つか負けるか、か……いや、最終的に負けになるようなもののために、ここまで周到なプログラムを組んでいるとは思わないが」ジャックは首をひねっていた。
「でも未来は常に微修正されていくから、マリアの青写真も、自分たちがたどって現実にしていくまでは確定じゃないって、アレイルがそう言っていたことがあるわ」
 エマラインは両手を胸の前に握り合わせ、言葉を続けた。
「わたしたちは……その不確定な未来を現実にしていくために、戦っているのよ。誰かが決めたとおりに、動かされているわけじゃなくて……」
「そうね」ヘレナは頷き、ジャックとリンツもついで頷いた。
 そしてジャックがにやっと笑い、付け足す。
「やっと、おまえさんらしくなってきたな、エマライン」と。
 エマラインは感謝のまなざしを三人に向け、小さく笑った。
「まあでもさ、現実問題として、あと一つなのは変わらないけど……最後に行くのは、かなり先なんだろうなぁ。アレイルが元気になるには、時間かかるんだろ?」
「そうね。怪我自体はシェリーのおかげでほとんど治っているし、幸いショックも起こさなかったから、命はとりとめたけれど。でも相当な出血量だったと思うし、失血した分は、シェリーの力でも取り返せないのよ。だから今は、極度の貧血状態のはずだわ。まだ意識も戻らないしね。彼の体力次第だけれど……もとの状態に戻るまでには、一ヶ月くらいはかかるかもしれないわね」
 リンツの問いかけに、ヘレナは思いを巡らせるように少し黙った後、そう答えた。
「一ヶ月か。リミットぎりぎりだな。もっとも、下手をすれば、俺たちはここでゲームオーバーだったのだから、贅沢は言えないが」ジャックは肩をすくめた。
「わたしたちは、唯一のプレイヤーだって、ニコルさんが言っていたわ」
 エマラインは手を組んだまま、前を見つめ、小さくため息をついて言った。
「アレイルが絶対に負けないっていう意思を持って、究極技を発動させて、ゲームオーバーを免れたのだから……最後まで行きたい。勝ち残りたい……」
「そうだな」ジャックは同意し、ついでヘレナ、リンツも頷く。
 自分たちは、大いなるデザインのコマなのかもしれない。しかし、どんな未来も現実にならない限り、固定ではない。未来は流動的な要素を含むから――それはアレイルが繰り返し言っていたことだが、同じく未来が見通せる、それも彼よりはるかに遠い時間軸まで詳細に見通せる力を持っていたというマリア・シンクレア・ローゼンスタイナーも、きっとわかっていたことだろう。しかし明日が今日になり、現実として固まるように、未来はやがて現在になり、固定事実となる。一ヶ月先に――このデザインの終着が、どのような現実に終わるのか、ピエールやマリアにも、百パーセントは確信がもてなかったことだろう。それは、エマラインたちにとってもまた、同じだった。
 
 エマラインは自分の居室には行かず、アレイルの部屋にまっすぐ入っていった。シーツはすでに取替えたので、もう赤い色に心を乱されることもない。彼女はベッドのそばに置いたスツールに腰をかけ、腕を伸ばして、点滴パックがついていないほうの手を、そっと握った。アレイルの意識はまだ空白のスクリーンのようで、何も感じることは出来なかったが、それでもまだ彼が生きていて、その命の火は、今は細いが、途切れる心配はないことだけは、彼女にもわかった。
「ありがとう、アレイル、わたしのために……そして、ありがとう、ニコルさん。わたしたちに、力を貸してくれて」
 エマラインはそっと呟いた。そしてスツールをベッドサイドにぴったり引き寄せると、座ったまま、ベッドの空いたスペースの上に上半身を持たせかけた。今日はここで寝よう。彼の様子を見守りながら。




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