Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第5章 自由を求めて (6)




「動くなよ。よけようなんて考えるな。それは約束違反とみなして、女は解放しないぞ」
 男は一歩後ろに下がり、銃を構えた。そして薄い唇の端を舌でなめるようなしぐさをしたあと、ボタンを押した。次の瞬間、軽いはじけるような音と、エマラインのくぐもった悲鳴が同時にこだまし、アレイルは左足膝の上辺りが爆発したような激痛を覚えた。思わず声を上げ、手で押さえようとしたが、両手は固定されていて、動かすことは出来ない。力を失った左足は支えることが出来ず、右足一本で立たねばならなかった。傷口から溢れた血が足を伝って、床に流れ落ちる感触を感じた。
「一発でしとめるには、おまえの罪は重すぎるんでね。そう簡単に楽にはさせない」
 男が嘲りの笑みを浮かべ、銃で肩をとんとんと叩いた。
「これはな、レーザーなんだが、原理は小型爆弾と同じなんだ。発射されて、対象物に当たると、爆発するように広がる。ただ、範囲はごく小さい。半径三、四センチ程度だ。だが通常の熱戦銃やレーザーより、食らった苦痛は大きいはずだ。どうだ? 次はどこを撃って欲しい?」
 相手が一発でしとめてこないことは、わかっていた。ネオ・トーキョーの市長がそうだったように、何発か巧みに急所を外して打ち込まれるのだろう。相手の男はジャック並みに射撃の才はありそうだ。ただ何かをそれ以上考えようとしても、痛みは思った以上に激しく、うめき声を上げないようにこらえるだけで精一杯だった。
 男は時計で測ったように二分の間隔を置いて、次を撃ってきた。これは右肩に命中した。そして再び二分あけて打ったレーザーは、右足の太腿に当たった。両足ともに力を失って、もはや立っていることは出来なかったが、両手が固定されているので、倒れることも出来なかった。体重の重みを受けた右肩の銃創が耐えられなく痛んだが、さらに追い討ちをかけるように二分後、左肩に弾が飛んできた。なぜ相手がこれほど時間をかけるのか、それは苦痛を長引かせる以外の、なにものでもない。だがそれでも、一思いに殺してくれと懇願することは、アレイルには出来なかった。死ねば苦痛からは解放されるのだろう。だが、自分は絶対、今ここで死ぬわけにはいかない――。
 五発目が腹に来て、アレイルの意識は一瞬遠のきかけた。その時、鮮烈なヴィジョンが湧き上がるように現われた。他のものには見えない、彼だけに見えた、ここから先に続く時間軸――自分がここで殺された場合の未来を。戒めを解かれたエマラインは、彼の死を目の当たりにしたショックで、すぐに動くことが出来ない。ようやく服をつかみ、走り出すが、その時にはカウントはすでに七。エマラインは拘束衣を着せられていたせいで関節が痛むのか、どことなくぎこちない走りで、カウントが十になる前にドアまでたどり着くことができない。彼女の背後から、男たちはレーザーや熱線を残酷に撃ちかける。背中を撃たれ、頭を撃ちぬかれて、玄関前の廊下に倒れこむ彼女が見えた。男たちは彼女の死体を引きずり、自分のそれと一緒にビニールに包んで床に投げ出し、次の作戦に移る。今仲間たちが住んでいるアパートメントの下の階に住む家族に近づき、報酬と引き換えに、その家の子供に仲間たちのところへ届け物をさせる。もちろん、不自然でない口実を設けて。中にはきれいな着色を施したボールが入っている。だが喜んだミルトが床に弾ませたとたん、爆発。それは部屋の中を一瞬にして吹き飛ばすほどの激しい爆発で、ミルトとシェリー、リンツは即死状態。ヘレナとジャックは瀕死の重傷を負い、そのあと管理人室から口実を設けてキーカードを借りて、入ってきた工作員に止めを刺される。愚弄されながら。そして九十日が過ぎ、ドームが開いた後、やってきた世界総督とその中枢メンバーによって、解放された連邦たちは次々と元の傘下に入る。RAYの子サーバーにつながれていたラインは再びPAX本体へとつなぎ変えられ、新たなサーバーが建設される。そして世界は再び暗黒時代に戻る――。
 だめだ――そんな未来は、絶対に選ぶわけにはいかない。そう思った瞬間、新たな苦痛を受けて、彼の意識は再び現実に戻った。六発目は右胸少し下あたりに命中していた。男が笑いを浮かべ、言っているのが聞こえる。
「さてと、最後は三分、時間をやろう。そうしたら、楽にしてやるよ。我々は全員で、おまえに止めを刺す。それでフィニッシュだ。最後は全員参加だ。光栄だろう?」
 部屋にいる七人の男がみな、エマラインを拘束している三人も含めて立ち上がり、銃を構えて立ち並ぶのが見えた。しかし、もはや視界は端から暗く閉ざされ始め、その中心は歪んで、はっきり見えない。死ぬわけにはいかないと、いくら強く思ってみても、アレイルは自分の死が目の前に来ているのを感じた。だが、自分が死んだら、その後の未来は――仲間たちは――。
(僕は間違っていたんだろうか、ニコル……)
 激痛の中で遠のきそうになる意識の底から、そんな思いが湧いてきた。かつて――家を出た前日に見た夢、三年以上前に死んだ双子の兄ニコルが言っていたこと。
『時には情を切り捨てなければならない場面に会うだろう』
 だが、あの時エマラインをおいて逃げることが正しい選択だったとは、絶対に思いたくなかった。彼女に妹の二の舞をさせることは――しかも、何もわからない状態で即死したルーシアと違い、エマラインには長引く残酷な死が待っていると、わかっているのだから。でも、その結果、どうなるのか――自分が殺されるだけではない。エマラインも、リンツもシェリーもミルトも、ジャックもヘレナもみな命を落とし、彼らの戦いはすべて無駄になる。アレイルは自らの無力を感じた。暗い、どうしようもない無力感だ。あと三分で、いや、もう三十秒くらいは短くなっているだろうか――男たちはいっせいに彼に向けてレーザーや熱線を撃ちかける。その攻撃を浴びたら、自分の命はそこで終わるだろう。しかし逃げられない自分はその運命を待つしか、できないのだろうか――。
 希望はないように思えた。アレイルは生涯ではじめて、はっきりとした絶望感を抱いた。家を出たあの日でさえ、ここまで暗澹とした、救いのない思いを感じたことがなかった。自分にミルトのような、物理的攻撃の力があったら――しかし、それはないものねだりだ。仲間の救助を待つ望みもなかった。五人は今、居室でくつろいでいる。リンツとシェリーはミルトをはさんで、陣取りゲームに興じていた。これは以前解放した連邦の配給センターで買った娯楽品だ。ヘレナはコンピュータ端末を使って、何かの文献を熱心に読んでいた。ジャックはやはり以前解放した連邦で購入した携帯端末機で、本を読んでいる。その光景がはっきり見えた。みな、二人が危機に陥っていることなど、夢にも思っていない。彼らにこちらの窮状を知らせることが出来たら。しかし、エマラインは他者の想念を感じ取ることは出来ても、離れた相手にこちらの思いを伝えることは、今のところ出来ない。いや、彼女もどうやら、こうしている間に仲間たちに向かって、『助けて』と繰り返し伝えているようだった。しかし仲間たちの様子を見る限り、その信号は届いていないようだ。
「神様……」ふと、言葉が口をついて出た。
「助けてください……僕が死んだら、仲間たちも死んでしまう……これまでやったことが……犠牲も何もかもが……無駄になってしまう……せめてこの男たちを、倒せる力が……僕にあったら……」
 呟きに近い言葉は、喉をせりあがってきた異物で途切れた。咳き込むと胸に想像を絶する激痛が走り、再び遠のきそうになる意識の中、口から血が流れ出すのを感じた。
(ニコル! 僕はどうしたら良いだろう!)
 もはや声にはならなかったが、アレイルは残された力で天を仰いだ。
『……諦めないことだよ』
 ふと、頭の中に声が響いた。聞き覚えのある声が。呼びかけに答えるかのように。
『絶対に生きてやるという意志を、強く持つことだ。状況は絶望的に見えても、君の意志が強ければ、きっと乗り越えられる。僕も少しだけ、力を貸すよ。でも君が信じなければ、始まらない』
(乗り越えられるのかい、この状況で……?)
『だから、諦めちゃだめだって。相変わらず君は懐疑的だね、アレイル』
 ニコルの声が、微かな笑いを含んで響いた。
(ありがとう……信じるよ)
『この後のチャンスなんかない。君たちが倒れたら、ピエール・ランディスの解放プログラムも失敗に終わる。ゲームは負けだ。リトライは許されない』
(ああ……)
『君たちは最初で最後、唯一つだけのチャンスなんだ。そして君がここで死んだら、ジ・エンドだ。ゲームオーバー。それはいやだろう?』
(いやだ、絶対に)
『ならば、信じることだよ』
(ああ……)
 アレイルは再び目を開けた。もはや視界の半分は暗くなっていて、周りの音もやけに遠く聞こえたが、男が言うのはわかった。
「さあ、時間だ。これで終わりだな、二号、こと、アレイル・ウェイン・ローゼンスタイナー。おまえの名は最悪の反逆者として、歴史に残るだろう。一般に知らせるつもりはないが、俺たち名誉ある上級階級の間ではな。光栄か?」
 一瞬の間をおいて、オレンジと薄い緑の光が飛んでくるのが見えた。オレンジは熱線、薄い緑はレーザー。
 かつてないほど強い情動が、身体の底からわきあがってくるのを感じた。この光が自分に届けば、そこで命は断たれる。だが、それを甘んじて受け入れるわけにはいかない。ここで自分が死ねば、エマラインも殺され、ミルト、シェリー、リンツ、ヘレナ、ジャックも命を失う。世界連邦は暗黒の中に戻される。今までの戦いも犠牲も、すべて無駄になる。それは絶対にいやだ――絶対に――起こってはならないことだ。この光は、自分に届いては――ならない!
 一瞬の間に、自分の前に光のようなものが舞い降りたように感じた。何が起こったのか、アレイル自身にさえわからなかった。次の瞬間、複数のうめき声が上がり、どうっと重い身体が床に倒れる音が続けて起こった。リーダー格の男が立ったまま、自分を凝視していた。その胸のちょうど心臓の所に、黒くくすぶった大きな穴があいていた。男が信じられないように目を見開き、倒れるのが見えた。

 エマラインは目を見開いて、男たちが魔法のように次々と床に倒れていくのを見つめていた。何が起こったのか、彼女にもわからなかった。一瞬前までは、悪夢のようだった。もうすべてが終わりだと思った最後の瞬間、彼女は突然何か強い力で、自分たちが守られたことを知った。それは、ニコル・ウェインなのだろうか。アレイルが絶望の中で呼びかけた彼の兄弟。それとも、神様という何かわからないもの――いや、ニコルは『力を貸すよ』とは言ったが、その力を発動させたのは、アレイルの強い意志なのだろう。ここで終わってはならないという――。
 エマラインは涙を流した。ここへ来て囚われの身になってから、ずっと涙を流し続け、頬から肩にかけて、すでにびっしょりとぬれていたが、それでも涙は流れたりないようだった。彼女は叫びたかった。奇跡的な力で即死は逃れたが、アレイルがまだ瀕死の危機にあることは明らかだ。撃ち込まれた六発のレーザー砲が、彼の体内で炸裂したのだ。それによって損傷を受けた身体と、床に大きな血だまりを作るほどの出血が、あと三十分もしないうちに、その命を奪うだろう。
『エマ……エマライン……』
 かすかに自分に呼びかける声を感じた。アレイルがもう声には出せないが、思いで彼女に呼びかけているようだった。エマラインは答えようとしたが、うめき声が漏れるばかりで、声には出せなかった。
(アレイル! アレイル、ごめんなさい!!)
『あやまることは……ないよ』
 思考が返ってきた。声には出せなくとも、彼女の思いは伝わっているようだ。
(どうすればいい……? あなた……このままじゃ……)
『ああ……でも、君たちは……助かる』
(でも、わたしたちが助かっても……あなたがいなければ、先へは進めないわ。それにわたし……あなたがいないなんて……とても耐えられない……いや……)
『ありがとう……』
 アレイルの意識は薄れていくようだった。思いの声がだんだん小さくなっていく。
(何も出来なくて、本当にごめんなさい。わたし、本当に何も出来なくて……あなたをおろしてあげることも……助けを呼ぶことも……何も……あなたはわたしのために、そんな……そんな目にあって、しまったのに……ごめんなさい!!)
『エマライン……大丈夫……愛……してるよ……』
 その思いを最後に、思考が消えた。エマラインは激しいめまいを感じた。まさか――しかし、どうやら意識がなくなっただけで、死んではいないことがわかると、彼女は心から安堵のため息をついた。
 だが、このままでは時間の問題だろう。エマラインは自らの非力が恨めしかった。無様に床に転がったまま、壁に貼り付けられた愛する人が息絶えるのを、見守るしか出来ないのか。そんなことは、とても耐えられそうになかった。今まで目の前で展開されたことも、とても耐えられないと思い、自らの非力を呪ったが、奇跡が起き、男たちが死んだ今も、やはり自らの無力を呪うしかないのだろうか。いや――そんなことは、絶対にいや――。
(助けて!)彼女は思いの中で叫んだ。
(助けて! お願いよ! 助けて!!)
 それはこの悪夢のような十数分の間に、何度となく祈った思いだった。しかしその祈りは、叶えられはしなかった。彼女は絶望感に負けまいと、思いを続けた。
(アレイルの危機を救ってくれたニコルさん、それとも神様さん? なんでもいいわ! お願い! わたしにも力を貸して!! わたしはあなたの兄弟ではないけれど、アレイルを救いたいの! このままでは、死んでしまう!)
『君の力を信じることさ』
 突然、声が響いた。その声は天から降ってくるような響きがあった。しかし、彼女にも聞き覚えがある声だった。それは二、三分ほど前に傍受した声でもあった。
(ニコルさん?)
 しかし、もはや返答はなかった。もともと双子の兄弟であるアレイルとは違い、ニコル・ウェインにとって、エマラインとは、それほど長く感情の交流は出来ないのだろう。しかし届いたメッセージは紛れもなかった。
『力を信じること――』
 エマラインはきっと唇を噛もうとした。布とテープに邪魔されて、できなかったが。自分にできることは一つしかない。ここに囚われの身になってから、何度も送ったメッセージを、もう一度仲間たちに向けて送ろう。『助けて。すぐに来て』と。ただ、あの十五、六分間は、彼女の気持ちもあまりに動揺しすぎて、集中などとても出来ない状態だった。今なら、出来るかもしれない。相変わらず気持ちは激しく波立ってはいたが、目の前の危機は去ったのだ。ただ、急がなければならない。手遅れになる前に――エマラインは目を閉じ、横になって、再び床に頭をつけた。この体勢が、とりあえずは一番楽だ。そして気持ちを一点に絞って、仲間たちの想念を探った。

「なあに?」
 陣取りゲームに興ずるシェリーとリンツの間で、コマを積み重ねて遊んでいたミルトが、ふと頭を上げ、きょろきょろと回りを見回しながら、不思議そうに声を上げた。
「エマぁ? なあに?」
「どうしたの、ミルト?」
 シェリーが顔を上げ、怪訝そうに弟を見た。
「エマ、かえったの?」
「えっ、おねえちゃん? まだ帰ってきてないと思うけれど」
「どうしたんだよ、ミルト」リンツも問いかけた。
「こえ、したの」
「おねえちゃんの声が? あたしは聞こえなかったわよ」
「おれも。まあ、そろそろ帰ってきても、おかしくない頃だがな」
 リンツは目を上げ、キャビネットにはめ込まれた時計を見た。
「十六時五二分か。まあでも夕飯までに帰るって言ってきてたから、二人であちこちのんびり見てるんじゃないかな」
 ミルトは立ち上がり、まわりを見回してから、再び座り込んで、もう一度遊びの続きをやりかけた。が、また立ち上がる。
「なあに、エマ?」
「どうしたのよ、ミルト」シェリーはちょっとじれったそうにきいた。
「おねえちゃんが帰ってきたら、あたしたちにもわかるわよ」
「ううん」ミルトは首を振った。
「きて、いってるの」
「来て?」
「うん」
「エマラインおねえちゃんが?」
「うん」
「いつ?」
「いま」
「だってエマラインおねえちゃん、まだ帰ってないじゃない」
「うん。でも、いってる」
「エマラインってさあ、人の考えは聞けても、自分のって発信できたっけ?」
 リンツが怪訝そうに聞いた。
「わからない。今までやったことはないと思うけど」シェリーは首を振っている。
「そうだよなあ」リンツはしばらく首を傾げて考え込んでいるようだったが、ふと思いついたように続けた。
「なあ、ミルト。もし頭の中でエマラインの声が聞こえるのなら、ひとつ、問い返してみてくれないか。来てって言うのなら、今どこにいるのかって」
「うん」ミルトは頷き、声に出して言った。
「エマ、どこ?」
 そしてしばらく何かに聞き入っているように黙ったあと、答える。
「おうち」
 リンツとシェリーは当惑気味に顔を見合わせた。
「話は進んでるみたいだな」
「でも本当かしら。あたしたちには何も聞こえないわよ」
「誰のおうちか、聞いてくれないか?」
「うん」ミルトは再び頷いて、「だれの?」ときいている。
 そしてしばらくの間の後、また答えた。
「エマの」
「なぜ来て欲しいのか、聞いてくれるか?」
「うん」ふたたび頷き、「どうして?」と問いかけるミルトだったが、今度の返答が来るまでには、しばらくかかっているようだった。なんども、「えっ?」「なあに?」と問い返したあと、ようやく答える。
「アル、しぬ……エマ、ないてる」
「ええっ!」
「はやく、いってる」ミルトはリンツの袖を引っ張った。
「ね、リン……いって。はやく」
「どういうことなんだ?」
 リンツは当惑したように、再びシェリーの顔を見た。
「アレイルおにいちゃんが死ぬって……どういうこと。事故にでも……あったの?」
 シェリーは不安げな顔になっていた。
「エマラインの家でか? どんな事故にあうって言うんだよ。転んで頭をぶつけるとかか。アレイルって、そんなドジじゃないだろ。それに一番事故の類には、あいがたい奴じゃないか。先がわかってるんだから」
「でもおにいちゃん、今は力使えないかもって、お茶の時みんなで言ってたじゃない」
「ああ、そうだったなぁ。でも、それだからって、家の中でどんな危険があるんだ?」
「わからないけれど……でも、おにいちゃんだって、本当に滑って転ぶことはあるかもしれないわよ。なんだか、気になるわ」
「あんまり想像できねえなあ。でもまあ、ミルトは冗談や作り話はしないだろうしな」
 リンツはしばらく考えているように沈黙したあと、首を振った。
「ああ、もう、考えてもわからねえ。とにかく、ジャックとヘレナに相談してみようぜ」

 ジャックは話を聞くと、太い眉をひそめた。
「ミルトがそう言っていたのか?」
「ああ。でも、ミルトのいたずら話でもなさそうなんだ。いつになく真剣だったしな」
「エマラインが力を使って、何か言おうとしていたのかもしれないわね。でもミルトにしか届かなかったのかも。ああいう小さな子は、余計な雑念や思いがないから、届きやすいのかもしれないわ。もちろん、まったくの間違いかもしれないけれど……」
 へレナは考え込むように頬に手を当て、そしてジャックを振り返った。
「行くだけ行ってみてはどう、ジャック? リンツと一緒に。間違いだったらそれにこしたことはないけれど、メッセージの内容が、かなり物騒よ。万が一、二人に危険が迫るということが……ありえるのかしら」
「今まで解放した後に、危険なんかなかったがな。まあ、行くだけは行ってみるか」
 ジャックは銃を手に立ち上がった。
「エマラインの家ってどこだい?」リンツが問いかける。
「待って、検索してみるわ」へレナが端末を操作し、しばらくのち、番地を引き出した。
「旧住所、という扱いだわね。彼女の現在居住地は、ここになっているけれど」
「まあ、ここに住民登録しているから、そうなんだろうな」ジャックは頷いていた。
「OK。じゃあ、そこに行ってみるか。なんでもなかったとしても、二人は怒らないだろうし」リンツは両手を打ち合わせた。
「まずい場面に遭遇しなきゃいいがな」ジャックは少し肩をすくめている。
「まずい場面って、どんなだよ」
「子供には、わからんさ。まあ、いい。実際に行ってみれば、わかるだろう」

 エマラインは焦る気持ちを懸命に抑えながら、床に転がったまま待っていた。初めの数分間は何も手ごたえがなかった。やっと届いた相手はミルトだ。たぶん幼いゆえに、彼女が送る想念を受信しやすかったのかもしれない。だが幼い彼の言うことを、仲間たちが信じてくれるのかどうか――エマラインは目を閉じ、呟いた。
「お願い、早く来て」
 声にはならずとも何度もそう繰り返し、同時に何とか拘束を外そうと手をねじったりもしたが、身体の自由は相変わらず利かなかった。
 ふと、人の気配を感じた。それは玄関からリビングへ通じる洗面所のあたりに、突然現われた。こういう出現の仕方をする人間は、一人しかいない。エマラインは声を上げようとした。しかし、うめき声が漏れるばかりだった。

 部屋に入ってきたリンツとジャックは一瞬、言葉を失ったようだった。
「お……おい。なんだ……どうしたんだよ、これは」
 数秒のち、リンツがうめくように声を上げた。
「おい、どうなってんだよ。こいつら、なんなんだ。エマライン……アレイル! おい、まさか……冗談だろ? おい」リンツはよろよろと壁に近づき、ついで小走りになり、床に流れた血に足を取られて、転倒した。
「落ち着け、リンツ!」ジャックは蒼白な顔になりながらも、回りをすばやく見回し、状況を把握しようとしているようだった。そしてさっと銃を取り上げ、床に倒れた男たちに目をやりながらも、そろそろと壁に近づき、銃を構えた。
「なにすんだよ、ジャック」リンツが慌てたように問いかける。
「レーザーで枷を切る。こいつはそれでないと、切れない。このままでは、おまえもアレイルを連れて帰れないだろう。おろさないと」
「そうか……」
 ジャックはレーザー銃の出力を調整し、アレイルの手首の枷を焼ききると、倒れてきた彼を受け止め、首の辺りに手を触れた後、リンツを振り返った。
「まだ生きている。でも、かなり脈が弱いな。先に連れて帰ってやってくれ。この出血量じゃ、まずいぞ。早くへレナとシェリーに任せないと」
「あ……ああ」リンツは蒼白な顔で頷いている。
「俺はその間にエマラインの枷をはずして、男たちの状況を見る。あとでまた来てくれ」
「ああ」

 リンツがアレイルを連れて消えた後、ジャックはエマラインの所にやってきた。そして彼女の口を縛っていたテープをはがし、口の中に入っていたランチクロスを取り出した。
「ジャック、ジャック!! 来てくれて、ありがとう! あああ!!」
 口がきけるようになったエマラインは、はじけるように叫んだ。しかしそれ以上、言葉にならない。ひきつったような、妙な叫び声が出た。
「落ち着け……というのも、無理だろうがな。だが、落ち着いたら状況を説明してくれ。それとまず、こいつらはみな、死んでいるのか? それだけ確かめてくれ」
 エマラインはなんとか落ち着こうと一息大きく息を吸い込むと、想念を探ってみた。
「五人は……死んでいるわ。二人は……虫の息」
「生きているのは、どいつだ?」
「右から二人目と……六人目」
「こいつらは敵か?」
 エマラインは無言で頷く。
「よし、じゃあ止めを刺した方がよさそうだな」
 ジャックは男たちに歩み寄り、まだ生きている二人の心臓を撃ちぬいた。そしてその向こうにおいてあった工具箱(男たちが持ってきた小道具のようだ)に目を止めると、蓋を開け、電動カッターを取り出した。
「今、その拘束衣を切ってやる。ちょっと待ってろ」
 数分後、彼女は自由になっていた。
「とりあえず、まず服を着てくれ」
 ジャックは傍にあったエマラインの服を彼女の上に投げると、顔を背けた。
「ええ……」
 エマラインは痛む手足を押して、機械的な動作で再び服を身につけた。
「立てるか?」
「ええ……ありがとう」
 エマラインは頷いた。頭の中が真っ白になってしまったようで、何も考えられなかった。身体が激しく震え出し、止まらない。
「リンツが戻ってきたら、帰ろう。落ち着いたら、話を聞かせてくれ」
 エマラインは再び無言で頷いた。堰を切ったように、涙があふれてきた。
「……落ち着いてからでいい」
 ジャックはぎこちなげに手を伸ばし、エマラインの肩に触れた。自分を慰めてくれようとしているのだが、適切な言葉が見つからない。ジャック自身もかなり動揺しているから――その思いを感じ、そして仲間が来てくれた安堵の中で、エマラインは涙を止めることが出来なかった。




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