Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第5章 自由を求めて (3)




 夕食が終わって、テーブルの上は片付けられ、七人はめいめいにくつろいでいた。テレビスクリーンからは、音楽が流れている。同じ光景だ。彼らは今、第二連邦にいた。
 第七、第二、この二つの連邦を解放するのは、予想されたように、これまでにも増して困難な闘いだった。しかし、なんとか誰も欠けることなく、ここまでたどり着いた。
 解放プロセスは、おおむね二つとも同じだった。まずはコンピュータ制御室に全員で行く。この部屋は狭いため、七人がぎっしりと身体を寄せ合って、やっと立っていることが出来る程度だった。いや、正確にはミルトは制御端末が乗った机の上に乗せていたが、なんとか全員のスペースを確保できた。リンツの瞬間移動能力で出現した先が、もし何らかの障害物でさえぎられていた場合――たとえば壁の中にめり込んだりした場合は、かなり危険なことになる。彼の能力は、出現先の半径数メートルくらいの範囲で、自動的に空きスペースを捜して着地しているようだったが、その間に十分な空きスペースがない場合は、障害物に接触した者はひどい怪我を負うか、最悪の場合死んでしまうこともある。それに、もし目標が少しずれて隣のコンピュータルームに着地してしまったら、そこはまだ致死性のガスが充満しているのだ。アレイルとリンツは中和作業のために防毒マスクをつけていたが、それ以外のものはその時点で死んでしまうだろう。敵が待機している外廊下に出てしまっても、同様だ。それゆえ、最初のジャンプには、細心の注意をはらわなければならなかった。
「おれ、今までも結構何回もハラハラドキドキしてたけどさ、なんか、最高に緊張するな。死にそうなほど緊張するぜ」
 移動前、リンツは冷や汗を額ににじませながら、そう宣言していた。
 彼の移動精度は、幸いなことに二度とも完璧だった。中和作業もうまく行った。ヘレナの作った中和剤は、青酸ガスを使った第七連邦も、新型のカチリアAを使った第二連邦でも、期待通りの効果を発揮した。ともに二、三分ほどで、毒に満ちた空気を害のないものへと変えてくれたのだ。
 その後、みなでコンピュータルームへ移動し、PAXの子サーバーを壊した後、ジャックとアレイルは地下五階を警備する五十人の精鋭軍相手の戦闘へと出て行った。催涙弾、小型爆弾、レーザー砲、そして超高熱を照射するが実際には燃えない火炎放射器など、武器庫から調達した武器と、アレイルの予測能力とで、二人はなんとか二度とも、戦いに勝利することが出来た。ただ、完全に無傷で切り抜けられたわけではなく、二人ともレーザーや熱戦に掠められたり、一瞬炎を当てられてやけどを負ったりして、シェリーに治療をしてもらった。
 その後、接続を切り替える前に、市庁舎の外に待機した精鋭軍の通信部隊と連邦総長、その護衛隊と戦闘した。移動係のリンツを間に挟んだ、背中合わせの、暗闇の中の戦闘だったが、事前に動きをシュミレーションできたおかげで、比較的短時間で、外に待機する敵を一掃することが出来た。それが終わると、接続を切り替え、地下にいる残りの精鋭軍との戦闘が始まる。階段を駆け下りてくる兵を、入り口で迎え撃つのだ。この非常階段は、せいぜい二人しか一度にやっては来られないほどの広さなので、姿をあらわした時に、火炎放射を浴びせたり、防御されていない急所である首や顔を狙い打ったりすれば、比較的簡単に倒すことが出来た。この時にはエマラインとヘレナがそれぞれの恋人のそばにつき、燃えないが超高熱を放射するその武器を手に持って、敵の姿を見るたびに、勇敢に発射ボタンを押し続けていた。レーザーや熱戦銃は、百戦錬磨のジャックや予測打ちが可能なアレイルと違い、彼女たちは不慣れだ。それゆえ、その華奢な肩に重い火器を担ぎ、正確な狙いのそれほど必要ない攻撃を繰り出していたのだ。そうして切れ目なくやってくる敵を相手に、永遠とも思えるほどの時間が過ぎた時、最初にこの階を警備していた五十人を含めて、地下には二百人ほどの兵士の屍ができていた。
 戦いの最中では、自分が人間を殺しているのだとは考えなかった。そんなことを思えばスイッチを押す手にためらいが生じ、自分が殺される。これは戦いなのだ。だが戦いが終わり、累々たる屍の山を目の当たりにすると、自分がやってきたことの重さと残虐さに、改めて震える。アレイルもエマラインもヘレナも、そして戦闘が職業であったジャックでさえも、その思いを感じたようだった。そしてシェリーやミルトにこの惨状を見せなくてすんでよかったと、密かに胸をなでおろし、同時にこの犠牲が無駄にならないことを祈らずにはいられない。第七でも第二でも、それは同じだった。闇の中で、二人の連邦総長の命乞いを聞いた時にも、それでも非情に殺さなければならないことに良心の呵責を覚えた。二人に明確な罪があるわけではない。そして精鋭軍兵士たちにも、中央庁舎に常駐する上級職員たちにも。彼らはただ、上からの命令に従っているだけに過ぎないのだ。しかし、そのことに躊躇していたら、負ける。これまでの戦いも、犠牲も、すべて無駄になる。その思いの中、彼らは進んでいった。そして二つの連邦の解放に成功したのだ。

 第二連邦を解放してから、五日がたっていた。そして七人は今、第一都市ではなく、アレイルとエマラインの故郷である、第十二都市にやってきていた。第二連邦の第一都市は西海岸沿いにある。ここ、東海岸に近い場所にある第十二都市は、第二連邦の中ではもっとも中心都市から遠い位置にあったが、最後に目指す第一連邦第一都市に最も近い位置にあることもあって、第二連邦解放二日後に、彼らはここにやってきたのだ。ただ場所は、かつてアレイルやエマラインが住んでいた家ではなく、少し離れた居住区にした。かつての家を見てみたいという思いはあるものの、それは二人に複雑に交錯した感情を抱かせるために、今は思いとどまっていた。いつかは訪ねてみたいという気持ちはあったが、それはすべての戦いが終わった後になるだろう。
「いよいよ残るはあと一つというところまで来たな」
 ジャックが興奮を抑えたような口調で言った。
「本当に、早くすべてが終わってくれたら良いわ。もちろん、良い方向で」
 エマラインは祈るような口調で言い、テーブルの上で手を組み合わせた。
「こっからは近いから、おれ、もう大丈夫だぜ」
 リンツが赤毛を振りながら、そう宣言する。
「まだ第一に関して具体的な作戦は出来ていないから、行くのはもうちょっと先でしょうね。中和剤が今度も必要だとすれば、まだ作ってもいないし」
 へレナは小さく首を振った。
「ああ……今は少し休息しよう。もう少し」
 アレイルは頭に手をやりながら、かすかにため息をついていた。
「まあ、第七から第二も、一週間できたからな。ここで休息も良いだろう。俺たちはあんたの指示に従うよ」
 ジャックが笑って頷き、みなも同意した。

 その後、子供たちは早めに休み、年長の四人もそれぞれの部屋に引き取っていた。
「頭痛は大丈夫、アレイル?」
 エマラインは自分の部屋に行く前に彼のところに行き、そう聞いた。
「ああ……知っていたんだ。そうだよね、君だったら、当然か」
 アレイルは軽く肩をすくめた。
「能力を使いすぎたんだと思うわ。ちょうど第三連邦を解放したあとに、リンツとミルトが倒れたように。あなたは第七と第二の戦闘で、ものすごく力を、フル回転と言っても良いくらい使ったでしょう。敵の動きとか、細かいところまで予想して。だから、疲れたのよ。少し休んだ方がいいわ」
 エマラインはベッドの端に腰を下ろすと、心配そうに見上げた。
「そうだろうと思う」アレイルはスツールに座り、相手を見やって、頷いた。
「第二連邦を解放してからずっと、あなたが凄く消耗しているのがわかるの。疲れて、気分が優れなくて、先を予測しようとすると、頭痛がするんでしょう。時間軸だけでなくて、空間軸を移動することさえ、頭が痛くなってしまって、出来ない。でもそれを言うと、みなが心配するから、口に出せない。そうでしょう。でもね……」
 エマラインは立ち上がり、相手のそばに行って、その肩に手をかけた。
「お願いだから、一人で抱え込まないでね。大丈夫よ、きっと。しばらく力を使おうとしないで、ゆっくりしていれば、また戻ってくるわ」
「ありがとう、エマライン」アレイルは相手を見上げ、微かに笑った。
「そう……たぶん、戻ってくる。そんな気はするんだ。たしかに消耗しすぎたんだ。でもここ何日か乗り切れば、大丈夫だろうとも思う。ただ、なんだかひどく落ち着かない気分なんだ。あと一つですべてが終わる、それのせいなのか、それともまたこの町に帰ってきた、そのせいなのか、両方なのか。ここに来ることは、拠点上有利だったし、戻って来たくもあったからだけれど、でも、来て良かったんだろうかっていう気もするんだ」
「ちょっとここに来るのは、早かったのかもしれないわね。わたしも、そんな気がするわ。複雑な気分なのは、わたしも同じよ。でも同時に、やっぱりここに来たかったっていう思いもあって、だからここに来たのかもしれないわ」
「僕もそうだよ」
 彼は頷き、そしていくばくかの沈黙の後、言葉を継いだ。
「君の力はありがたいな、エマライン。言わなくても、わかってくれる……」
「こういう時には、わたしも自分の力に感謝したい気がするわ」
 エマラインは微笑んだ。「でもね、きっと力がなくても、人と人はわかり合えるんだと思うわ。お互いに相手のことを大事に思えるなら」
「僕は……君のことをわかっているかな?」
「とてもよくわかってくれていると思うわ」エマラインは再び微笑んだ。
「休みましょうよ。あなたは疲れきっているのよ。肉体的にも、精神的にも。だってあれだけの戦いをこなして、そのために力もフル回転させて。今のあなたには休息が必要だわ。戦いのことも、これからのことも、しばらく何もかも忘れて、眠らないと」
「ああ……ありがとう」アレイルは深くため息をついて、頷いた。
 エマラインはそっとその身体に手を回し、軽く抱擁した。そしてキスを交わしたのち、彼女は自分の部屋に戻っていった。都市の中の居住区はすべて個室なので、シェリーとミルトを例外として、それぞれ別々の部屋に眠っていたのだ。

 第一連邦第一都市の世界連邦総督室には、再び四人が集まっていた。世界総督ダンカン・ジョグスレン、第一連邦総長ハリガン・ジョーンズ、世界連邦主席プログラマー、ヴァーノン・スミソンズ、そして第一連邦主席プログラマーのカートライト・クラークソンだ。
彼らはいつもの方法で会話していた。イヤレシーバーにコンピュータ端末を使って。
『しかし、とうとう残るはここだけになってしまったぞ。もうあとがない』
 ジョグスレン総督が口火を切った。
『そうですね。第七連邦も第二連邦も、結局してやられましたから』
 ジョーンズ総長が顔をしかめた。
『しかし、収穫はありましたよ』スミソンズは主張した。
『第一に、連邦ビルは爆発炎上した。同時に停電。明かりは消え、ドアも開かなくなった。これが第二、第七、両方の通信部隊が送ってきた連絡のすべてです』
『それだけか? それなら予測していたことと、変わらないではないか?』
 苦り切った顔の総督に、クラークソンが弁護するように言い添えた。
『恐れながら、閣下。予測が裏付けられたということが収穫です。PAXの予測はかなりの精度があると、信頼して良いでしょう』
『それもそうだな』
『それだけではありません。これからさらに、一つのパターンが浮かび上がってきます。通信部隊が市庁舎の爆発炎上と停電報告をしてから時間にして、第七連邦では十三分二十五秒、第二連邦では十七分五秒ほど、『変化なし』報告があり、その後、短い断末魔の声とともに通信途絶しています。これはつまり何を意味するかですが、変化なしの時間帯では、彼らは地下で戦闘をしているものと思われます。その後、遠隔待機している部隊を殺しに来る。接続を切り替えないまま、です。彼らは停電の闇と、ドアが開かないために隔離された状況を利用して、待機部隊を抹殺しているようなのです』
 スミソンズは淡々とした口調で、そう報告した。
「なるほど。敵ながら、考えているわけだな」
 ジョーンズ総長が微かに首を振り、そう漏らした。
『しかし、地下には総勢二百人待機させているわけだろう。それをたった七人にやられてしまうのか? 六号とて、それほどの精鋭だったとも思えないが。それも地下部隊はかなり重武装していたはずだ』
 ジョグスレン総督は、険しさと不審が入り混じったような表情だった。
『これはPAXの仮説なのですが、彼らも重装備で来ているのではないかと思われます。各市庁舎の地下部には、かなりの兵器があります。爆発でも地下部は無傷だとすれば、それを使うことは可能です。そして二号がこちらの動きを予測し、それに見合った作戦を立て、六号がそれをサポートして実行すれば、PAXの予測でも七十パーセントほどの確率で、彼らが勝つことが可能なのです。もちろん各階の兵は分断した状態でですが、停電状態なら、それも可能だったでしょう』スミソンズが重ねてそう説明し、
『付け加えますと、停電の闇を利用するとわかってから、第二連邦では携帯照明を使いました。しかし、それも打ち破られたようですね、どうやら。連中は真っ先に携帯ライトを壊したようですから』クラークソンが補足する。
「何とかならんのか?」
 ジョグスレン総督は声に出して言った。その声は焦りと苦渋に満ちていた。
「あと一つ、残るはここだけなんだぞ。本当にもう、あとがない」
「我々も総力を振り絞って、作戦を考えます。ですが……」
 スミソンズはそこまで声に出して言うと、しばらく黙り、微かに頭を振って、キーを打った。
『まだ残っています。第二連邦に関しては。実は隠密に、もう一つ手を打ってあるのです』
 彼は、その作戦を総督たちに伝えた。同じようにボイスシステムを使って。
「だが……これも見抜かれたら、お終いだろう」
 ジョーンズ総長が驚きと不審の入り混じった顔で声を上げた。世界連邦総督も、同じような表情を浮かべている。
『そうですね。二号が見逃すとは、今までの活動からかんがみると考えにくいのですが、一か八か、だめでもともとのつもりで、手を打ってみました。そして今のところ、まだ作戦は生きているようです』
『それは、どうやってわかるのだ?』
『彼らには通信機ではなく、シグナル発射のみだけのものを持たせています。密かに……はっきり通信して、連中に悟られる危険性を避けたいからです。特別部隊がまだ生存し、活動準備中であるなら、九時と二一時に、シグナルを一度発射します。そのシグナルは、本日二一時に、まだ観測できました』クラークソンが報告した。
『ほう。まだ、見つかっていないわけか。珍しいな』
 ジョグスレン総督の顔に、微かに期待するような笑いがさした。
『彼らが作戦開始の場合は、時間に関係なく一回、無事任務を遂行できた時には二回、連中を完全に一掃できれば三回、シグナルは発射されるはずです。そちらの方はまだ観測されませんが、特殊部隊からのシグナルが届いているうちは、今しばらく静観してもいいかもしれません。もちろん我々も、その作戦が失敗した時も考え――何しろ相手は二号ですからね、侮れません――ここを守るための背水の陣を、できるだけ手を尽くして考えます』
 スミソンズが表情を変えないまま、端末のキーを通して伝えた。
『それが不要になればいいがな』
 総督は不安と期待を込めた笑みを漏らした。

『成功すると思うか?』
 その翌日、十四時ごろ、スミソンズの研究室で、クラークソンがいつもの方法で、そう問いかけてきた。
『わからん。しかし、今回は希望があるな。第二連邦が落ちて、もう八日になる。しかしその間もシグナルは送られ続けている。今日も九時のシグナルが送られてきた。今のところ、我々は二号の裏をかくことに成功しているのかもしれない』
『だといいがな。今まで散々見破られ続けてきて、ここだけ成功できるなどとは、なかなか信じられないが、特殊部隊がまだ生存しているということは、期待が持てるかもしれない。まあ、それだけ我々も周到に準備をしたのだが、正直五十人の地下警備部隊より、信頼は置いていなかった。特殊作戦など、簡単に見破られるだろうと』
『私もそう思った。しかし、PAXも言うように、二号も所詮、人間だ。これまでは完璧だったかもしれないが、百パーセント完璧ではありえない。どこかに見落としが生まれる可能性も、ゼロではない。特に第二第七、二つの連邦の戦闘では、相当に能力を駆使した後だろうから、油断するか疲弊するか、隙ができるかもしれないと。どうやら、本当にそうかもしれない。いや、実際に作戦が動き出すまでは、まだなんとも言えないが』
 スミソンズは画面に目を落とした。そこには何も映ってはいないのだが。
 クラークソンはまだ半信半疑と言った表情で、問いかけてくる。
『実際に作戦を発動させるためには、連中がそこに移動していなければならない。可能性としては、どうだ? PAXはかなり高確率で予測しているが』
『PAXの予想を私は信頼している。コンピュータは人間と違って、間違いは犯さない』
『そうだな。予想に関しては、PAXはまずはずれたことがない』
 その時、スミソンズのコンピュータ端末から小さなシグナル音が鳴り、画面が変化した。
『作戦発動です』PAXのボイスシステムが告げた。
「作戦発動!」
 クラークソンが声を上げ、はじかれたように椅子から立ち上ると、スミソンズのデスクへ駆け寄ってきた。スミソンズも身を乗り出し、画面を見つめた。そこには青のスクリーンに幾何学模様が繰り返し描かれているだけであったが、耳にはPAXのボイスシステムからの声が、繰り返し聞こえてくる。
『十四時十八分。作戦発動シグナルを検知しました』
「やったな!」クラークソンが短く声を上げ、相手の肩を叩いた。
「ああ。だが、喜ぶのはまだ早い。問題は、作戦が成功するかだ」
 スミソンズは一瞬ほころびかけた顔を引き締め、頷いた。
「失敗のシグナルというのは、あるのか?」
「可能なら、シグナルを一発だけ発射しろと言ってあるが、無理な場合も当然あるだろう。いや、そのほうが多いだろうな。二八時間以内に最初の成功シグナルを感知できない場合は、失敗と見たほうが良いだろう」
「成功を願いたいね。いや、今までこれほどまでに何かを望んだことは、初めてかもしれない」クラークソンの口調は、今までになく熱心に響いた。
「私の座に取って代わりたいという以上にか?」
 スミソンズは微かな笑いを浮かべ、相棒を見やった。
「それは、また別だ」
「そうだろうな」
 二人は同時に肩をすくめ、再びスクリーンを見やった。そこには相変わらず何も表示されず、耳に届くメッセージも同じであるが、あたかもそれ以上のものが見え、聞こえているかのように、二人はスクリーンを眺め続けていた。


(見つけた!)
 小さな思考の声が、突然飛び込んできた。エマラインは反射的に頭を起こした。さらに小さな思考の声が続く。同じ人のようだ。(これで新しい靴が手に入る)と。
 新しい靴――? 靴を買いに来た誰かの声だろうか――エマラインは周りを見回した。配給センターの入り口には二人の警官が立っていたが、彼らはこちらに何も注意を払ってはいないようだ。そろそろ交代の時間が近づいてきたことを、喜んでいるだけだ。他にはロビーに数名の若者がいるだけだった。たぶんみな、親のかわりに配給を取りに来た専門学生だろう。そのうちの一人が携帯用通信機で話している。
 新体制になってから、それまではあまりに高価で、一般労働者の賃金ではとても手が届かなかった携帯用通信機は、従来価格の三割にまで引き下げられていた。それゆえ、何人かが持ち始めているようだ。都市の内部にしか通じないが、この若者も、そうなのだろう。たぶん買ったのはその両親だろうが。
「もしもし、母さん。今配給センターについた。新しいテーブルクロスを買えばいいんだね。どんなのがいい?」その若者はそう言っていた。
「どうしたんだい?」アレイルが少し怪訝そうに聞いてきた。
「ううん。なんでもないわ」エマラインは首を振った。
 たぶん、あの思いは何か他のものに向かって、発せられたのだろう。自分たちではなしに。ここには危険そうな人など、誰もいない。エマラインはそう判断した。もうここは解放されているはずだ。そして、少しずつではあるが確実に、大きく変わりつつある。
 新体制になって、供給されるものも大きく変わり、値段も驚くほど安価になっていた。服や小物は、従来灰色や茶色、紺色ばかりだっだが、今はピンク、赤、青、黄色、水色、クリーム色、緑など、華やかで明るい色彩のものが売られはじめている。二人がここに来たのも、今日から配給センターで売られることになった、新しい色彩のシャツを買うためだった。ミルトには栗毛に似合いそうなクリーム色を、シェリーとエマライン自身には、春の花のようなピンク、リンツには赤毛によく似合いそうな薄い緑を。アレイルも薄い緑の服を買うつもりだった。そしてヘレナには薄紫色、ジャックには黄色を。この灰色の街に、明るい彩りを求めて。
「たまには気分転換に、二人で行ってくると良いわ」
 ヘレナがそう言って、送り出してくれた。彼女とジャックもその前日、二人でセンターに出かけ、パンと食料雑貨を持ってきたばかりだった。
 配送センターにはエレベータがあるが、以前は一台をのぞいて、荷物の運搬専用で、人は乗ることが出来なかったし、昼間は止まっていた。しかし今は二四時間体制で動き、自由に乗ることが出来るエレベータも、三基に増えている。衣服を扱っているフロアは七階だったので、二人はエレベータを使うことにした。エレベータには二人の若者が同乗していたが、一人は六階で降り、もう一人はアレイルとエマラインが七階で降りた後も、残っていた。たぶん上層階へ行くのだろう。その二人からは、何も危険な想念など感じなかった。当然といえば、当然なのだ。一般人には、自分たちのことなど初めから知らされてはいないのだから。エマラインは微かに肩をすくめた。
 品物を選び、窓口で所定のドルと交換する。RAYの子サーバーは、自分の解放者たちを優遇するようにプログラムされていたようで、七人はどこの連邦でも、自由に住民登録ができた他に、一人につき労働者一年分の賃金より多い千ドルが、それぞれの“財布”に自動的に付与された。一つの連邦について千ドルなので、いまや彼らの“財布”の残高は、七千ドル近くになっていた。
 “財布”は個人のID情報に記載されている“現在の所持金額”を、その家族の構成員全体で合計したもので、コンピュータのデータベース上に、家族IDとともに記載されている。みなすでに家族は死亡しているし、ジャックやヘレナはそもそもその存在自体ないので(シェリーとミルトは例外で、二人で一家族だ)、個人IDと家族IDの内容はほぼ同じ、単身の家族、ということになっているが。そこに賃金として与えられるお金や、品物の代価として差し引かれる価格が記録される。ゼロになると、買い物は出来ない。パンとミルクは生活必需品として別に配給され、衣類も一着は支給になるので、使い道は予備の衣服や生活雑貨だったが、以前は給与が少なく、それに対する品物の対価が高いために、なかなか思うように買い物が出来なかった。以前はシャツ一枚四十ドルで、一般的な工場に努める労働者の月収は、せいぜい六十ドルほどだったのだ。だが、新しいシャツは一枚十五ドルだ。子供用は十二ドル。それでも品質が悪くなったわけではない。
 二人は美しい色合いのシャツを七枚選び、代価を払った。IDチップを埋め込まれている大人は販売機でそのまま買えるが、まだ職業を持たない未成年は、各フロアに一人ずつ常駐している係員に“販売チップ”と呼ばれるものをもらい、最後にカウンターでそのチップをスキャンし、品物と照合したあと、IDカードを提示して精算するのだ。
「アレイル・ローゼンスタイナーさんですか?」
 IDカードを返しながら、情報が記された端末画面に目をやり、係員が聞いてきた。
「はい。そうですが……」
 アレイルは一瞬驚きの表情を浮かべ、相手を見た。ブラウンの巻き毛を短く切った、四十代半ばほどの女性職員は、少々好奇の感情で見ているようだったが、それだけだ。エマラインは傍らでとっさに相手の思考を読み、危険性はないと裏付けた。
「配送センター事務局に、お手紙を預かっております。警察署の、セオドア・スタイン様のお使いの方から。お見えになったらお渡ししてくれと依頼されましたので、お渡しします。少々お待ちください。事務局に連絡して、取ってきてもらいますから」
「スタインさんが……?」
 アレイルは驚きの表情を浮かべたまま問い返していた。
 一、二分後、別の職員が運んできた二つ折りのペーパーを、係りの女性経由で受け取った。セオドア・スタインという名前を、彼は知っているようだった。エマラインは相手の腕に触れ、その知識を読み取っていた。アレイルが十歳の時、スタイン氏は父を訪ねて家に来たことがあった。用向き自体は、仕事上の話だ。通信でも済むものだが、父は休みの日で、スタイン氏は勤務につき巡回中だったので(警察無線は、一般家庭の通信端末とは別回線だった)、この方が早いと直接来たらしい。母は「水を一杯くれませんか」というスタイン氏の要請で、コップに水を汲んで差し出していた。あとで母アルシアが、彼は父デヴィッドの同僚のセオドア・スタイン氏だと教えてくれた。それだけの交流なのだが、アレイルはニコルとともに好奇心に負けて、父に見つからないようにちらっと覗いた時、彼らは微かに笑みを浮かべあっていた。個人的な付き合いはできない世の中だったが、二人は実際、気の合う同僚だったのかもしれない。
 アレイルはペーパーの合わせ目を解いて、開封した。中にはこう書いてあった。
【ぜひ君に知らせたいことがある。君の家に行って欲しい。そこで、死んでなお晒されている君の父親と妹さんを、救い出してやって欲しい。君の手できちんと処理を願い出て欲しいのだ。君はもう手配されていないから、できるはずだ。それから、もしエマライン・ローリングス嬢が君と一緒なら、彼女の家に行くように伝えて欲しい。彼女の兄エドワード氏が先日私を訪ねてきて、要請されたのだ。連邦政府の手から解放され、そこで待っているらしい。彼はぜひ二人きりで話がしたいと言っていた。よろしく頼む。  
                             セオドア・スタイン】
「なんだって!」アレイルは声を上げ、手にした荷物を取り落とした。
「ええ!」
 傍らで文面を読んでいたエマラインも片手を口に当て、思わず叫びに近い声を上げた。
「そんな……そんなこと! だって、エドワード兄さんは、殺されたはずだわ!」
「僕もそう思ってた……」
 アレイルは呟いた。そして気を取り直したように荷物を拾い上げ、前よりも好奇の表情で二人を見ている受付嬢に、「ありがとうございました」と告げると、連れを促して売り場を出た。廊下を通り、人気のない階段の踊り場まで歩いた。
「ごめんなさい。わたし……つい、動揺してしまったわ」
「いや、いいんだ。僕もつい昔の警戒心が出てしまったのだと思うよ。人前であまり感情をあらわにしないようにって……ここでは、そんな必要は、もうないんだろうけれどね」
 アレイルも首を振り、ついで手にした紙片に目を落とした。
「ここに書いてあることは、本当なんだろうか……?」
「兄さんは、殺されたはずだわ」エマラインはもう一度繰り返した。
「僕もそう思っていた」
「あなたは……見たの?」
「ああ……君の兄さんが縛られて、レーザー銃で撃たれようとしているところは、見たよ。でも……それから先は見たくないと思って、そこで離れてしまったけれど」
「わたしは、兄さんの恐怖を聞いたわ……」エマラインは宙に視線を泳がせた。
「父さんや母さんと同じように。だから、兄さんは死んだと思っていたの……」
「確かめてみたほうが良いね」
 アレイルはしばらく沈黙した。その間、彼が力を使って以前の彼らの家を探査しようと試み、しかしその力が発動しないまま、頭痛によってかき消されてしまったのを、エマラインは微かな痛みとともに認めた。
「無理しないでね。実際に行けばすむことだから。ここでは、心配ないはずだわ」
 エマラインは相手の腕に手をかけた。
「ああ……ごめん」
「あやまらないで。大丈夫よ。そのうちに戻ってくるわ。だから、今は無理しないで」
「ああ」アレイルは頷くと、エレベータホールに向かって、歩き出した。
「ジャックたちに知らせた方が良いかな」
「どうやって? わたしたちは携帯通信機を持っていないわ」
「ああ、そうだね。ここで買っても、向こうに受信機を届けないと通じないし」
「一回、みんなの所に戻る?」
「ああ。でも……」アレイルはしばらく黙ったあと、首を振った。
「いや、早く確かめてみたいんだ」
「そうね。大丈夫よ。あなたのかわりに、わたしが危険感知器になるわ。わたしたちに対してよくない思いがあれば、わたしにはわかるから」
「そうだね。でも、君に負担をかけてしまうね」
「気にしないで。今まで、あなたの負担が大きすぎたの。わたしも少しぐらい、役に立ちたいわ」
「ありがとう」
「本当に、気にしないで。ところで、荷物をどうしましょう」
「そうだな。持って歩くとかさばるから、送ってもらおう」
 二人は配給センターの一階に新設された配送コーナーに立ち寄り、荷物を委託してから、センターを出た。三日ほど前から、ロボットによる有料配送サービスが始まっていたのだ。センターを出た二人は、交差点から地下に降りて、ストリートウォーカーに乗り込んだ。二人は乗れないので、一台ずつ。アレイルのかつての自宅最寄りのステーション番号は、エマラインも知ることができた。二台のウォーカーは、目的地に向けて走り出した。




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