Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第4章 戦いの始まり (4)




 そこは小さな部屋だった。四方を真っ白な壁に囲まれ、天井に埋め込まれた白いライトに照らされた、幅一・五メートル、奥行き二・五メートルほどの空間に、黒いカーボン製の小さな机と一客のパイプ椅子、その上に載せられた端末、それだけしかない。リンツがすぐに帰ったあと、エマラインとヘレナはこの小部屋に立ち、顔を見合わせた。二人とも立ったまま、端末のスクリーン上に現れている文字を見る。
【パスワードを入力してください】
「ここはあなたの出番ね、エマライン。私にはパスワードはわからないから」
 ヘレナは微笑を浮かべて首を振り、一歩脇によけた。
「わたしにわかるかしら……?」
 エマラインは椅子に座り、手を伸ばして端末に触れた。
『君の力なら、わかるよ』
 ここでしなければならない作業を打ち合わせた時、アレイルはただそう言い、具体的なパスワードは教えてはくれなかった。彼の力でも、たぶんそこまで調べるのはできないことではないが、エマラインに任せても大丈夫と判断したのだろう。
 エマラインは目を閉じ、気を集中させた。端末から感じる思いを読み取ろうと。しばらくは無の静寂。やがてその中から、微かな声が響いてきた。
『これでいい……』
 その想念は言っていた。疲れきってはいるが満足そうな、決して若くはない、四十代の終わりか五十に差し掛かったくらいの年配の、男のようだった。
『誰かが、遠い未来にここにやってきてくれたら……本当にそんなことが起こるのか、私にはいまだに信じられないのだが、しかしマリアが言うのだ。信じよう。ここの解放プログラムを動かすパスワードは……I Believe in Future(私は未来を信じる)』
 エマラインは眼を開け、言葉を打ち込んだ。
【I Believe in Future】
 打ち終わり、入力すると、数秒後、画面が真っ白になった。そして文字が浮かぶ。
【Hello】
 するすると、音もなく背後の壁が開いた。振り返ると、そこはさっきのコンピュータルームだ。五人の仲間たちもそこにいる。
「はあ、本当に開いたなぁ」リンツが感嘆の声を上げた。
「それじゃ、外の奴らを片付けに行くか、アレイル」ジャックが指を鳴らした。
「ああ。でも、あと五分くらいたったら、だね」。
「それにしてもさ、おれ、不思議なんだけど」
 リンツが首をかしげながら、言い出した。
「ここの部屋って、外からは入れないんだろう? なのにどうやって、ここにコンピュータをすえつけたり、机やら端末やら運び込んだりしたんだ? そいつらはどうやって入って、どうやって出たんだ?」
「最初にここを設計して建てた時に、すべて設置したのよ。それからあとで、壁を作って塞いだの。外から。誰も入ってこないように」
 エマラインが答えた。それはさっき端末に触れた時に得た知識でもあった。
「ああ。そうか。最初は開いてて、後から塞いだのか」
「ここに通路を作る可能性というのを、あなたは言っていたけれど、それは可能なの?」
 ヘレナが問いかける。
「出来ないことはないと思うよ。この壁の向こうにも、部屋があるから」
アレイルはコンピュータルームの白い外壁に触れながら、答えた。
「ただ、この外壁は非常に強固だから、切り崩しは容易なことじゃないと思う。この壁の厚さは十センチくらいあって、強化ハードプラスティックに、厚さ二センチのアグノイトを挟んでいるんだ」
「ダイアモンドと同じ強度を持つ樹脂ね」ヘレナが頷いた。
「そう。でも今は、アグノイトが新しく使われることは、ほとんどないから。以前のものはそのまま使っているようだけれど、加工用の機器もない。だから、ここを加工するための技術を再び持つまでには、かなり時間がかかると思うよ。そうだね……ここを壊して何らかの通路を作るまでには、二ヶ月くらいはかかると思う」
「そうか。じゃあ、それほど慌てる必要もないわけだな」ジャックが言った。
「そう。ただ、長いようで短い期間でもあるけれどね。時間がたっていくのは、僕らにとってそれだけ不利なんだ。でも、このあとのことはこれから考えよう。今はまず、目の前のことに集中しないと」
「そうだな。そろそろ外へ行く時間か?」
「ああ。じゃあ、リンツ、悪いけれど、地下二階の外廊下、東ブロックに、僕とジャックを連れて行って欲しい。君はそれから、すぐにここに帰って」
「わかった」リンツは頷いた。

 中央庁舎はエレベータホールを中心にして、放射状に伸びる四本の廊下と、環状の外廊下、中廊下の二本の通路に囲まれて各部屋がある構造になっていた。地上部分はもうないが、地下も構造は同じだ。コンピュータルームのある地下五階は、表向きは不用品処理場ということになっており、実際にその階の主な用途は(問題のその部屋以外だが)、いろいろな廃棄物を処理して、さらに地下へと埋めることだった。それゆえ、ほとんどここまで降りてくるものはいない。地下三、四階は倉庫で、武器や兵器をはじめ、ここに駐留している人々の生活必需品などがストックされていた。地下一階は食堂になっている。地下二階は、コンピュータのオペレータルームだった。PAXの基本プログラムは改変が出来ないが、データベースやファイルの追加や編集、そして大本のシステムには影響しない、末端プログラムの追加はできる。オペレーティングの他にそういった作業もこなす上級プログラマーたちが、そこで作業をしていた。だが夜間には、当直が三人しかいない。
 ごく上級の中枢幹部以外は、本当のコンピュータルームが地下五階にあることを知らない。中央庁舎を警備する精鋭軍も、コンピュータルームは地下二階にあると思っている。それゆえ、まずここに集まってくるだろうことが予測された。リンツが元の場所に帰るとすぐに、アレイルは行く手の廊下を指差した。放射廊下と外廊下の交差点だ。
「五秒後に、そこに一人来る」
「わかった」
 ジャックは頷き、銃を構えた。予想通り、精鋭軍の制服に身を固め、銃を携えた男が現れた。男が驚いたようにこちらを振り向いた瞬間、ジャックは撃った。驚いた表情のまま、男は倒れた。レーザーが心臓を貫いたのだ。
「下手なところを撃つと、すぐに死ねなくて、相手は苦しむ」
 ジャックは島でアレイルに射撃を教えている時、そう言っていた。
「どうせ殺さなければならないなら、せめて苦しまず、自分が死んだことすらわからないほど一瞬でやるのが、俺の流儀だ。それには心臓か頭なんだが、精鋭軍の連中は、頭はガードされている。顔に入れるのも抵抗があるからな。死に様が汚いのは、いやだろう。だから心臓一発が俺の流儀なんだが、的が小さいから、なかなか難しいんだぜ」
 心臓に一発――それは父がルーシアを手にかけた時と同じだ。『どうせ殺されるなら、苦しまず一瞬で逝かせる』父がそんなようなことを言っていた。忌まわしい連想だが、それは真実なのだろう。ジャックは一流の射撃手だ、小さな感嘆も覚えながら、アレイルは相方を促して次の標的を探した。外廊下を走り続けると、南ブロックの第二扉から、一人出てくる。ジャックに指示すると、彼は再び一発でしとめた。さらに北ブロックの先で待ち伏せて、もう一人。その後、中廊下に入って、南ブロックのコントロール室から出てきた兵士をしとめた。
「これで四人か。あと二人か?」
 ジャックは微かに頬を紅潮させていた。生まれながらの兵士である彼の、闘争本能が高揚を感じているのだろう。
「ああ。でも、このフロアはこれで全部だよ」
「後はどこにいるんだ?」
「地下四階に一人、地下一階に一人」
「じゃあ、先に四階の奴からやろうか」
「そうだね。そうして戻ってくると、地下一階の一人はここに降りてくる」
「そうか。じゃあ、行こう。どの階段だ?」
「北階段を使おう」
 外廊下の北と南には、らせん状の階段が設置してあった。移動はエレベータを使うことが多いが、数階の移動で、なおかつ距離が近い場合に使われることもある移動手段だ。しかし今は、エレベータは止まっている。相手も階段を使って移動しているはずだった。地下三階を過ぎて数段降りると、アレイルは相手を制した。
「ここでしばらく待って。もうすぐこの階段を上ってくる」
「わかった。じゃあ、待ち伏せだ」ジャックは頷く。
 まもなく階下に足音がして、やがて精鋭軍兵士が姿を現した。同時にジャックが撃ち、またも一発でしとめた。そして踵を返し、再び地下二階へ移動する。階段から廊下へ移動し、放射廊下を突っ切って、エレベータホールにいる最後の一人を、ジャックは廊下から狙い撃ちした。相手はこちらに気づいてすらいなかった。
「これで全員か。いやはや、あっけないな、本当に」
 ジャックは首を振った。
「じゃ、後はプログラマーだ。コンピュータルームに行くよ」
「おう。それで三人とも、結局殺すのか?」
「ああ……」アレイルは目を閉じて、頷いた。
「できるなら、殺したくなかったけど……でも、ここに取り残したら、出られないから死んでしまうだろう。食糧倉庫の鍵は一階にあるから開けられないし、飢えて乾いて……そんな目には会わせたくないから、一緒に地上に出るしかないけれど、でも一人は確実に危険分子だ。あとの二人にしても、たしかに言うことは聞くけれど、他の人に話してしまう。僕らに脅されたと。そして、僕らが中央庁舎ビル爆破の犯人だ、という噂が一部に広がってしまう。それはやがて、一部の治安維持軍に僕らに対しての不信感を植え付けることになる。新体制になったあとでも……それは危険なんだ。だから……」
 アレイルは自分自身これほど冷酷なことを言っているという事実が、信じられなかった。実際、犯人は自分たちではないか。それを知られることを恐れるから、目撃者を殺すというのは、凶悪犯罪以外の何者でもないのではないか、と。しかし今は良心の声を聞いている時ではないのだ。
「わかった」
 ジャックは頷いた。オペレータルームのドアを封じる暗証番号は、アレイルが番号を察知して開けた。ジャックは中に踏み込み、驚いて立ちすくむ三人のオペレータたちを、次々と撃ち殺していった。わずか三十秒ほどしかかからなかった。
「終わったか……」
 ジャックはレーザー中を肩に担ぎ、微かにため息をつくと、踵を返した。その顔はもう紅潮はしていなかった。兵士ではない、無抵抗の一般人を撃ったことは、彼にもあまり良い感情を起こさせなかったのだろう。
「ごめん、ジャック………」
 アレイルは片手を相手の腕にかけ、視線を床に落とした。
「なんで謝るんだ?」
「あなたばかり、撃たせてしまった。僕にはとても、プログラマーたちは撃てなかったと思う。わかっていても。ごめん。いやなところをみんな、あなたにやらせてしまって」
「気にすんな。これが俺の仕事だからな。俺には、おまえさんたちみたいな特殊能力はない。言ってみれば、これが俺のとりえなのさ。まあな、たしかにあいつらを撃つのは、ちと心が痛む。だがな、仕方がないじゃないか。これが俺たちの戦いなんだから。おまえも、最初にそう言ったろ。その覚悟だったんだろ? 人を殺さなければ、前に進めない戦いなんだからって。もっと大きなものを目指しているんだったら、犠牲は仕方がないんだぜ。そう割り切らなきゃな」
「わかってる。ありがとう、ジャック……」
「さてと、エマラインに終わったって合図を送ろうぜ」
「そうだね」アレイルは頭を上げ、ついで微かに笑顔になった。
「いや、その必要はないみたいだ。彼女にはもう伝わったようだよ。リンツが来ている」
 やがて足音がして、赤毛の少年が現れた。
「おっと、おれを撃つなよ〜。エマラインが、あんたらはオペレータルームの前にいるって言うから来てみたんだが、このフロア、みんなオペレータルームじゃないか。ちょっと探しちまったよ。終わったのか?」
「ああ。地下に残っていた奴らは、みんな殺った」ジャックが頷いた。
「じゃ、帰ろうぜ」
 リンツは両手でそれぞれの腕をつかんだ。そして三人は、残りの仲間たちが待つ地下五階の密室、本当のコンピュータルームへと帰った。そして彼ら七人は待った。解放プログラムが動き出し、第八連邦が呪縛から解き放たれる時を。

 机の上の端末が小さな音を鳴らした。スクリーンが一瞬ホワイトアウトし、続いて薄いブルーのバックに、文字が浮かぶ。
【解放プログラム一番を、今から起動します。オプションがあったら、入れてください】
「オプション?」
 ジャックとヘレナは顔を見合わせ、ついでアレイルに視線を送った。
「オプション……? ああ、そうだ……」
 アレイルは理解したように頷き、エマラインを見やる。
「ええ……そうね」
 エマラインはディスプレイのふちに軽く手をかけていたが、目を閉じ、二、三度頷くと、椅子に腰をかけ、入力キーを叩いた。スクリーンが変化する。
【パスワードを入れてください】
 エマラインは再び目を閉じ、マシンに刻まれた記憶をたどろうとした。かつて世界のコンピュータシステム、PAXとRAY二台をデザインし、この壮大なゲームをデザインした、ピエール・ランディスの思いのこだまを聞き取ろうと。やがて、答えが得られた。
 彼女は眼を開き、再び言葉を打ち込んだ。
【In the Name of Hope】(希望の名の元に)
 再び入力キーを押すと、画面が変化した。
【Phase 1プログラムの有効期間を定めてください】
 その下に、デフォルトの有効期間は三十日で、最大では九十日まで設定できる旨が記されている。
「Phase 1プログラムって何かしら?」ヘレナが問いかけた。
「……連邦都市を、外からの侵入を受けないように閉鎖する期間ね」
 エマラインはしばらくキーに触れたのち、そう答えた。
「そう。それも含めての、第一段階のプログラムだね。それがこれから始まるはずだよ」
 アレイルが言い添える。
「都市のゲートが開いて、外部侵入が可能になるまでに数か月とあなたが最初に言っていたのは、これね。それは正確には、最大三か月、と」へレナが頷く。
「そう。あの時には漠然とした言い方をしたけれど、最大は三か月なんだ。エマライン、Phase1プログラムの有効期間は、最大の九十日に設定してくれないか」
「ええ」エマラインは頷き、【九十日】と入力する。
【それでは解放プログラムPhase1を起動します】
 その後、画面に時間表示が現れた。その表示は二列になっていて、上は七月二一日 三時十分、下は同じく日付こそは七月二一日だが、時間は十七時十分になっていた。
「どうして二つの時間があるのかしら」ヘレナが怪訝そうに、そう口にした。
「上の時間は、連邦の標準時間。この都市内でも、この時間だね。下の時間は、本来の時間だ。都市の外での時間、僕らが暮らしていた島で流れていた時間だね」
 アレイルはしばらく画面を見た後、答えた。
「ああ。そうか。あそこじゃ、今はきっと夕方なんだろうなあ」リンツが頷く。
「でも、ここじゃ真夜中なのよね」
 シェリーが不思議そうに画面を見ながら、首を傾げた。
「本来の地球には、場所によって様々な時間が同時に存在しているからね。このドームが開けば、きっとこの街も本来の時間で動き始めるよ。あと三ヶ月したら」
「三ヶ月たったら、ドームが開くのね」へレナが問い返す。
「ああ。完全に開ききるはずだよ。そして都市自体が、外気の中に直接さらされることになるんだ。雨が降ったり、暑かったり寒かったり。僕らが今まで暮らしていた、外の世界と同じように。そして五十世紀ごろ栄えていたという、ネイチャーコロニーのように」
「雨が街の中にも降るのかよ。なんだか変な感じだな」リンツはそんな感想を言う。
「まあ、おれたちは慣れているからいいけれど、街の連中、びっくりするだろうな」
「僕たちも最初は驚いただろう。でも、今は慣れたわけだし。きっと街の人たちも次第に慣れていくと思うよ」
「だが、完全にドームを開いたら、危なくないか? 他の連邦からどんどん進撃されてしまうことになるぞ」ジャックは眉を寄せ、腕を組んだ。
「そうなるね。だからそれまでに、完全に決着をつけなくてはならないんだ」
 アレイルはスクリーンに眼を落としてから、みなを見回し、決然とした口調で言った。
「完全な決着というと、それまでに他の七つの中央サーバーと、PAX本体を壊すこと言うことか?」ジャックが問い返す。
「そういうことだよ。最大三ヶ月。それが、僕らの戦いのリミットだ。それまでに残りの七つの中央コンピュータを壊し、PAX本体を壊す。そうしなければ、大勢の人を巻き込んだ大戦争に発展し、たとえ勝てたとしても、多大な犠牲を払ってしまう。だから、それまでに終わらせなきゃならないんだ。すべてを」
「三ヶ月か。世界を転覆するにしては、短い時間だな」
 ジャックがうなるように言う。
「それじゃ、そうのんびりもしていられないのね」
 エマラインも緊迫した顔になり、再び画面に眼を落とした。
「今日は七月二一日。ここから九十日というと、十月十九日ね。それまでに……」
 みなの間に、再び重い緊張が走ったようだった。勝利の喜びには、いつまでも浸ってはいられない現実の厳しさを思い出したように。
 
「プログラムを起動すると言っても、なかなか始まらないわね」
 長い沈黙の後、ヘレナが他へ話題を転じようとするかのように口を開いた。
「六時までは、このままだと思うよ」
 アレイルは再びスクリーンに眼を遣った。
「まだみんな、寝ている時間だから。もちろん治安維持軍や警察は、真夜中の中央庁舎大爆発に、みな驚いて動揺しているに違いない。通信機や端末から、連絡を取ろうとしているだろう。だから解放プログラムが起動された時、彼らに緊急指令として、朝六時まで待機すること、しばらく後処理で忙しくなるから、それまで体力を温存して眠っておくように、という命令が出されたようだ。だから僕らも、六時まで待とう。こうしている間にも、この地下にあるRAYの子サーバー、ここの、もう一つの中央コンピュータは、それ自身に組み込まれたプログラムを動かしている最中だと思う。六時になったら、この連邦は動き出すよ。新たな心臓を得て」
「じゃあ、それまでの間に、何か食べておく?」
 エマラインが一同を見、そう問いかけた。
「おれ、まだ緊張が抜けてないみたいで、あまり腹減ってないな」リンツは首を振る。
「あら、あなたにしては珍しいわね。でも、わたしもよ。そうは言ってみたけれど、おなかは空かないわ」エマラインも苦笑した。
 ただミルトだけは空腹のようで、手を伸ばしてバナナをねだり、二本食べて、ココナッツミルクを飲むと、やっと満足したようだった。そしてコンピュータルームの白い壁沿いに、ぐるぐると歩き回って、所々壁を手で叩いたりしている。
 他のみなは最初、あまり空腹を覚えなかったが、ミルトが食べているのを見ているうちに食べる気になり、島から持ち出してきた簡単な夕食を口に入れた。そして床に毛布を広げ、その上に座った。
「ここ、でられないの?」
 ミルトが姉の元に戻り、ちょっと心配そうに言った。彼なりにこの部屋を探検した結果、完全なる密室であるということが、微かな不安感を呼び起こしたようだ。
「おれが外へ出してやるさ」
 リンツが幼児の栗色の巻き毛をくしゃくしゃっとやりながら、答えた。
「つれてって!」
「今はまだだめよ、ミルト」エマラインがなだめるように、そう諭した。
「まあたしかに、こんな完全に囲まれた空間の中だと、居心地は悪いだろうな。チビの気持ちはわかるぜ」ジャックは苦笑している。
「そうね。わたしもあまりいい気持ちはしないけれど、でも、今少しだけの辛抱よ。みんないるから、大丈夫だから」。
「でも、今日はずっとここにいなければならないんでしょう?」
 シェリーが心配げに問いかける。
「いや、ずっとはいなくてもいいようだ。六時にプログラムが動き出して、一時間くらいしたら、そこの端末から空きコンパートメントを探して、正式な手続きを踏んで、移ることが出来そうだ。ただ外には、まだ出ない方がいいけれどね」
 アレイルが少し考えるように沈黙した後、答えた。
「あら、そうなの。良かった。予想より早かったわね」
 エマラインは両手を合わせ、うれしそうに声を上げる。
「あなたの予想も、所々微修正されるのね。ああ、誤解しないでね。いやみじゃないから。そうよね、状況は刻一刻と動いているのだし、それを最初から最後まですべて、細部まで見切るのは、出来ないことはないにせよ、難しいでしょうから」
 へレナはかすかな笑いを浮かべ、小さく頭を振っていた。
「ああ。細かいところはね。戦闘とかトラップとか、そういう生死や成功の合否に直接つながるようなことには、その場での変更なんて許されないから、しっかり見る必要があるけれど、生死に影響しないような、待っている時間とか、解放後の情勢は、その直前になって見ても大丈夫な部分があるし、その場合は僕もそうしている、というか、その時にならないと、見えてこないものもあるみたいだ。ただそういうものは、たいていそれほど重要なものではないのだろうけれどね」
 アレイルは軽く頭を振り、肩をすくめた。

 時はゆっくりと流れていった。その間にミルトはシェリーの膝を枕にして眠ってしまい、シェリー自身も眠そうに、時折エマラインに寄りかかって、うとうとしている。リンツは時折立ち上がって端末画面の様子を見に行ったり、また座り込んだりしていた。
「ちくしょう。退屈だな。ちょっと気晴らしに外へ行ってくるかな」
 時計表示が四時三十分になる頃、リンツがそう言い出した。
「外って? 街へ行くの?」
 へレナが少し驚いたように、そう問いかける。
「違うって。街の外だよ。そこなら、今だって安全だろ? 暇だからなぁ」
「気持ちはわかるけど、リンツ。今は余計な移動の労力は使わないで欲しいんだ」
 アレイルが頭を上げ、いくぶんきっぱりとした口調で止めた。
「どうしてだよ?」
「こうしている間に、少し先の見通しを詳しく考えてみたんだけれど……早い方がいい。ここから他の連邦も、できるだけ早く、取れるだけ取っておきたい。時間がたつと、どんどん向こうにも、対抗策を考える余裕を与えてしまう。今、政府側は何も手を打っていない状態だ。だから、ここはこんなにあっさり取れた。でも、これからは時間がたてば、それだけ難しくなっていってしまう。本当は、ここの解放プログラムが公に動き出して、僕らが新しい住居へ移ってから話したかったんだけれど、今時間があるから、少しだけ話しておきたいんだ」
「つまり、ここを解放しても、そうのんびりと自由を味わっている暇はないってことだな」
 ジャックが頬を掻きながら、そう問い返した。
「ああ。あさってには、次へ行こうと思う」
「あさって? そりゃまた、慌しいなあ!」リンツが両手を上げた。
「ああ。慌しいのはわかっているけれど、それが最善なんだ。あさっての夜、第五連邦へ進撃する。それがうまくいったら、三日後、第四へ行く。そしてそれが成功したら、その次の日に第六へ。それから三日で、第三へ……」
「うへ。それ、めちゃくちゃ大変じゃないかよ! それだけの距離を、それだけしか間がなくて、行けってのか?」
「君の今の能力なら、行けると思う。これが、ぎりぎりだろうけれど。だからこそ、リンツ。そのために、余計な移動の労力は使って欲しくないんだ。ここまでは、よほどの突発事態がなければ、成功できると思う。そのペースで行けば」
「そうなのかぁ……わかったぜ。本当に、のんびりはしてられないんだなあ」
 リンツは床に座り込んだ。
「よほどの突発事態というけれど、やっぱり、百パーセント予測しきることは出来ないのね、あなたでも」へレナが重ねて問いかける。
「ああ。それはね。僕の力で見られることは出来る限り見て、あらゆる考えられる限りの分岐点や可能性を追跡して行っても、それですべて見切れるということは、無理だと思うんだ。何かの見落としが出てくる可能性も、ゼロじゃないと思う。そうならないように、努力はするけれど」
「まあしかし、相手に余裕を与えないうちに、取れるだけ取るという作戦は、軍事的に見ても良いと、俺は思うぜ」
 ジャックはレーザー銃の手入れをしながら、頷いていた。
「十日で五つの連邦……取れれば良いわね。リンツは本当に大変になるけれど……無理しないで、戦っていない時には、できるだけのんびりしていてね」
 エマラインは少年の肩に手をかけながら、力づけるように声をかける。
「ああ、じゃ、その間は寝てっかな。って、言ってたら本当に眠くなってきたぜ」
「もう外では、夜ですものね。シェリーもリンツも、少し横になって休んだら?」
 エマラインはもう一枚の毛布を床に広げた。
 まもなく、ミルトを真ん中にして、リンツとシェリーも眠り始めた。
「五時過ぎか。外の時間は二十時だな」
 ジャックが端末まで行き、スクリーンを覗き込んだ。
「やれやれ、この調子だと、真っ昼間に眠くなりそうだな」
「シェリーとミルトを助けに第三連邦に行った時にも、街の中は真夜中なのに、外は朝になっていて、驚いた覚えがあるわ」
 エマラインは思い出すような表情で、壁に目を走らせ、
「考えてみると不思議ね。二つの時間があることが」と、へレナも小さく首を振っていた。

 やがて六時になった。しかし、スクリーンに変化はない。
「何も起こらないぞ?」ジャックは怪訝な顔をした。
「いや、ここでは変化していないけれど、今第一都市の全治安維持軍員と警察官に、緊急起床アラームが出されたよ」アレイルは天井の一点を見上げながら、答えた。
「今、彼らの自宅端末に、こう表示されている。緊急ニュースです。昨夜、二時十九分に、中央市庁舎が爆発炎上しました。中にいた人々は、全員死亡したようです。爆発の原因は、深夜武器庫の爆薬を演習のため移し変える途中、何らかのミスが起きたと考えられております。幸い、地下二階のコンピュータルームは無事でした。それゆえ、日常の都市機能には影響は出ないものと思われます。しかし、十階から十三階までにありました放送局は壊滅しましたので、新たに放送局が開設されるまで、放送プログラムは一時的に停止します。なお、このメッセージは、一般家庭には起床アラーム時間の七時に、いっせいに流される予定です。みなさんは通常の勤務時間より一時間早く出勤し、市庁舎跡の片付け作業を始めてください。詳しい作業内容は、指揮官を通じて指示します。なお、十二時より、第八連邦暫定総長によるメッセージを流します。放送局は使えませんので、動画ファイルによるものですが、ご了承ください」
「……ほう、事故ということにされたか」
 ジャックはひゅっと口笛を鳴らした。
「地下で死んでいる人たちには、どういう説明がされるのかしら」
 ヘレナは懸念するような口調だ。
「地下部分はPhase1プログラムの有効期間が過ぎるまで、立ち入りできないんだ。シャッターが下りたままだから」アレイルは首を振って答えた。
「俺たちの逮捕命令を解く、というメッセージは、まだ出ていないんだな」
「それは十二時からの暫定総長の演説が終わったら、全治安維持軍や警察官に向けての指示として、出されるはずだよ」
「動画ファイルの暫定総長というのも、プログラム済みなのね」
 エマラインは端末に触れ、頷いた。
「実在しない暫定総長、ね。なかなか興味深いわ」
 へレナは苦笑し、小さく肩をすくめている。

 第八連邦『暫定総長』を、彼ら自身も見ることが出来た。ちょうど十一時ごろ、リンツが目覚めたので、彼らは第八連邦第一都市内の、新しい家に移っていたからだ。まだ逮捕命令撤回前ではあったが、もう都市管理機能は新しいコンピュータの管理下になっていたので、彼らは住民登録が出来た。第一都市のデータベースそのものは地下二階のコンピュータルームにあり、爆発からも無傷だったので、そのまま使えた。制御するプログラムが、まったく違ったものになっただけだ。連邦内の他都市にもその新プログラムは送られ、各都市のネットワークやデータベースは従来のまま、新体制に切り替わっていた。
 端末から空きコンパートメントを探索し、その中の一軒に、彼らは移った。RAYのサーバーには彼らは新住民と登録され、発見警報が治安維持軍や警察に行くこともなく、各家庭の監視カメラも、すべて作動が停止されていた。そのため、最初の移動こそリンツの能力を使ったが、ドアは開閉ボタンで開き、シャワーや水道も使えた。リビングルームに備え付けてある端末の電源を入れると、そこには繰り返し現在の状況が、文字のみで流されていた。市庁舎爆発炎上。被害人数は調査中。第八連邦総長、死亡。現在、全治安維持軍と警官が、人員を総動員して復旧作業中。しかし跡地が整備され、新庁舎が完成するまでには、今しばらくの時を要するだろう。放送プログラムは暫定放送局が出来るまで休止。ただ、不幸中の幸いにも、コンピュータシステムとデータベースは被害を逃れたので、都市機能に問題はない。教育プログラムは午後から復旧する予定。食糧供給も通常通り。十二時に、新暫定総長の演説があります。以上の項目が、繰り返されている。
 そして十二時になると、画面から音楽が鳴り、男の上半身が浮かび上がった。栗色の波打った髪が秀でた額に垂れ下がり、比較的整った顔立ちに柔和な灰色の眼をした、穏やかな印象の、四十代後半くらいの年配に見える男性だった。七人には、まったく見覚えのない顔だ。その人が口を開け、話し出した。
「第八連邦のみなさん、ごきげんよう。私は亡き連邦総長のあとを受け、暫定連邦総長となった、テイパー・マクニコル・トラヴァースです。このたびの突発的不幸を教訓とし、二度と悲劇を繰り返さないよう、新しい第八連邦を再び築いていけるように、努力します。みなさんの努力をも、期待しています」
 その後、『新暫定総長』は今後の生活上の注意や心構えなどを述べ、希望を訴えて、演説は終わった。歴代総長にあったような尊大さやわざとらしい熱狂さはないが、演説としては、なんら違和感がなかった。この暫定総長演説が実は七百年前に合成されたものであることなどは、誰も気づきはしないだろう。真相を知っている七人――いや、ミルトは知らないであろうから、六人の他は。
 演説を見終わると、みなは昼食をとることにした。食物用の蛇口を捻ると、スープが出てきた。まだ新しい家には食器がなかったので、ピアジェックのコロニーから持ち出してずっと使っている食器に入れ、食べた。島から持ち出してきた干し肉と芋も、一緒にとった。パンとミルクの配給チケットが端末の出力口から出てきていたので、取りに行こうと思えばできたが、まずは完全に逮捕命令が撤回されてからの方が安心だ。
「もう出ている頃か」ジャックが聞き、
「ああ。たった今……」と、アレイルは頷いた。




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