Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第3章 迫り来る時 (7)




 ジャック・スウィートとヘレナ・パーシスが加わって七人になった彼らは、その場で荷物をまとめると、新たな避難地へと移動した。そこは前のキャンプ地から千キロほど離れた、海の只中にある小さな島だった。
 その島は直径五キロメートルほどで、どの連邦にも属してはいない。島の周りは、北側だけが少し岩場になっている他は、ぐるっと遠浅の白い砂浜が取り巻いていた。海のそばには所々大きな椰子の木が生えていて、砂浜の奥は熱帯の森になっている。海とほとんど同じ色合いの空から、まぶしい南国の太陽が降り注いでいた。
「わあ、これが海なのね……」
 エマラインは新たに見る光景にうっとりとなって、小さくそう叫んだ。
「なんてすてきな所かしら。なんて、広々として、きれいで、鮮やかで……ああ、これ以上、言葉が出ないわ」
「でもさあ、ここって、やたら暑くないか?」
 リンツが流れてきた汗を拭いながら、顔をしかめた。
「それに都市も遠いぜ。食料の調達が大変そうじゃないか」
「アンダーシャツだけで、上着を着なければ、少しは涼しいと思うよ。ズボンの一枚を犠牲にして、途中で切ったら、もっとましになるだろうし。あとは、出来るだけ日陰にいることだね。海に浸かっても良いし。でもあまり遠くへ行くと、おぼれる危険があるから、膝より深いところには行かないようにね。それと食料だけど……昨日都市から調達してきた分と、ジャックとヘレナが持ってきたので、しばらくはあるよ。あとは、この島の中で探していこうと思うんだ」
 アレイルの言葉に、みんな驚いたような顔をした。
「島の中で? この中にコロニーでもあるのかい?」
 リンツが問い返している。
「いいや、何もないけど、食べられるものならあるんだ。椰子の実、バナナ、芋――それから砂浜には貝があるし、海には魚もいる。あまり沖合には行けないから、大きな魚は取れないだろうけれどね。それで、しばらくやっていこう。たぶん、大丈夫だよ」
「椰子の実って、これね」
 エマラインは傍らの樹を見上げ、そっと幹に触れて頷いた。
「たしかに食べられそうね。栄養もあるし、水もとれる。いい食料になるわ。でも、どうやって取るの、アレイル?」
「木に登って取っても良いし、ミルトに落としてもらっても良いんじゃないかな」
「俺が取ってやろうか。木登りは得意だぞ。訓練で棒登りはさんざんやったからな」
 ジャックがにやっと笑ってそう申し出、
「わあ、そうしてくれると嬉しいわ」と、エマラインは思わず手を叩いた。
「あとは、バナナと芋ね。それは森の中? あとで探してみましょうよ」
「ああ、でもその前に、まず基地を確保しないとね。簡単な家を造らないと。ここじゃ、草の上に寝るわけにはいかないよ。ここにも危険な動物はいないけれど、虫はいる。それに激しい雨も降ってくるようだし。大変な場所を選んじゃって、みんなには悪いけれどね」
「たしかに意外な所ね。だからこそ、PAXの予想を見事にはずしているわ。条件が変わったのに気づいて探索命令が出るまで、ここなら、しばらく時間が稼げるわよ」
 ヘレナは感心したような口調だった。
「隊長の命令は、絶対なんだよなあ、うちは」リンツがおどけたように言い、
「僕は別に隊長じゃないけどなあ」アレイルはちょっと困ったような顔だ。
「まあ、みんなで助け合って、ということだな。じゃあ、家を造るか」
 ジャックがぽんと手を打った。

 彼らはその後、二、三日かかって、森の中に簡単な家を三つ造った。この島は一日に、決まって一、二時間ほど、激しい雨が降ってくるのだ。家は、ほぼ同じくらいの大きさの四本の木を四隅の支柱代わりにして、間の木や草を払い、木を渡して並べ、蔓で縛ったものを床にした。屋根は、逃亡中に都市から持ってきたビニールシートを張った。都市外潜伏が政府に発覚した後は、もはや隠す必要はないと、少し離れた都市から、しかも工場の倉庫から持ってきたものだ。アレイルはその保管場所を的確に知ることができたので、リンツと二人でそこに行き、監視カメラに映ることも承知の上で、すばやくその包みを三つ取ると、追手が来る前に脱出していた。その時には漠然と、雨対策にこれが必要になるかも、そう思っただけだったが、あとになってこのために必要だったのだと、彼は知った。自分がほぼ無意識に三枚持ってきたことも。
 床と簡単な屋根だけの骨組みを二つ、初めの一日はそれが限度だった。その夜はその二軒の家で分かれて眠り、翌日から三日かけて、残りを仕上げた。木を組み合わせた壁で三方を囲み、一面だけはあけてそこを出入り口にし、木の葉を編んだすだれを下げる。
 家造りでは、ジャックの力がたいそう役に立った。レーザーを細めに絞って、木を真っ平らに切ったり、切り込みを入れたり、紐がわりの蔦でぎゅっと縛ったりと、まさに大車輪の活躍だ。ミルトが面白がって倒した木も、レーザーできれいに切断して、建材に使った。こうして家が出来上がったが、この森はたいそう木が鬱蒼と茂っており、さらに天井のビニールシートの上にカモフラージュのため、椰子の葉を一面にかぶせたので、仮に上空をヘリが飛んできたとしても、簡単には発見することが出来ないだろう。
 家が出来上がると、彼らはそこを拠点にして生活を始めた。この島で、食物に不自由することはなかった。椰子の実やバナナはジャックが木に登って取ったり、ミルトが遊んでいるつもりで落としたりして集めた。芋はアレイルとエマラインが探して掘り出し、貝はリンツとシェリーが砂浜を掘って集めた。時折アレイルとジャックは腰までくらいの深さの海で、木の枝の先をとがらせた棒で魚をついて、捕まえた。おかげで彼らは飢えることはなかったが、問題になるのは、激しい直射日光と海の干満だ。ことに幼いミルトには注意が必要だった。彼らはミルトにタオルを帽子のようにかぶせ、日中あまり長いこと海や砂浜で遊ばせないように気をつけていた。潮の満ち干にも、十分気をつけた。ミルトは初めて見る海が珍しいらしく、監督役が許す限り、砂浜でカニを追いかけたり、波打ち際で波と戯れたりして、夢中で遊んでいた。
 
 ある日のこと、男性陣が森に食料を探しに行っている間に、エマラインとシェリーは海岸でミルトを監視しながら、貝拾いをしていた。その日はあまり収穫がなく、つい貝拾いに夢中になった二人が、ふと気づいて顔を上げた時、ミルトは膝まで海に浸かって、波をぴちゃぴちゃと叩いていた。さっきは同じ位置で、まだ水はその小さなふくらはぎの半ばくらいだった――満潮時間が近づいてきていることを知ったエマラインは、あわてて子供を連れ戻そうとした。
「ミルト、戻ってきなさい。波が来るよ!」シェリーも弟に呼びかける。
「やだあ」ミルトは頭を振り、波を叩き続ける。
 エマラインが実力行使とばかり、海に入ろうとした時、大きな波がやってきた。無邪気に遊ぶ幼子の上に覆い被さり、海の彼方へと引きずり込もうとするかのように。
「きゃあ!」娘たちは、思わず悲鳴を上げた。その声でミルトは顔を上げ、自分の上に被さってこようとしている波を見た。彼は動じた様子もなく、つと手を伸ばした。波は動きを止め、さらに勢いよくもと来た方に跳ね返された。その隙にエマラインは駆け出し、ミルトを抱きかかえて浜辺に引き戻す。駆け戻るまでに彼女は一度頭から波を浴びたが、何とか無事に砂浜に戻ってきた。
「ああ、びっくりした。良かったわ。坊やが波にさらわれなくて」
 彼女は自分と同じくずぶぬれになった子供を浜辺におろし、ほっとため息をついた。
「なみ、やっつけたのに!」遊びを中断されたミルトは頬を膨らませ、少し不満げだ。
「そうねえ、あなたなら出来るけれど。でもね、坊や」
 エマラインは幼児の頭をなでながら、静かに言い聞かせた。
「海は怖いのよ。いくらあなたが強くても、いつもいつもやっつけられるとは限らないわ。あまり海の中に入ってはだめよ。海は優しい時には、あなたの遊び友達になれるけれど、怖いときにはだめなの。だから、お願い。あまり海の中へ入っては、だめよ。中へ入れば入るほど、怖くなって行くわ。そうなったら、あなたでももう勝てないのよ、ミルト。ねっ、だから、呼んだらすぐ戻ってくるのよ」
 ミルトには、エマラインの言うことの意味は、完全には理解できないだろう。でも、彼女の真剣な表情と、姉の心配そうな顔から、何か自分がまずいことをしたのを悟ったのだろう。そしてエマラインの優しくも厳しい口調に、ともかく言いつけは守った方がいいと思ったらしい。
「うん……」と、渋々な表情ながら、頷いていた。それからは、ミルトもあまり危ない目に遭うこともなく、島での暮らしは平穏に過ぎていった。

 毎日楽しく働き、遊び、語らっているうちに、二週間がたった。その間も、ミルト以外の六人はふと現実に帰り、この楽しい生活も長くは続かないだろうという思いがかすめることもある。特に偵察衛星の完成予定を知っている年長の四人は、彼らの自由の終焉が来ることを、まざまざと意識していた。
 その夕方、ジャック・スウィートとヘレナ・パーシスは、二人だけで海岸を散歩していた。食事の支度はミルトを別として、ジャックとヘレナ、アレイルとエマライン、リンツとシェリー、それぞれ三組のうち二組が順番に担当していたので、この時二人は食事当番を外れ、自由時間を楽しんでいたのだ。彼らは島の西側の、普段はあまり来ない砂浜の波打ち際を、裸足で歩いていた。しっかりとお互いの手を取り合って、しかしあまり口はきかずに。やがて陽は西に傾き、空が金色に染まっていった。二人は歩みを止めて、海に沈む夕日を眺めた。空の金色が、ゆっくりと海を染めていき、波に反射して、きらきらと光っている。
「きれいね……」ヘレナがささやくような声を出した。
「ここへ来てから、何度も夕焼けを眺めたけれど、何度見ても、見飽きないわ。本当に美しいと思うわ」
「そうだな」ジャックもゆっくりと頷いた。
「俺は今まで、世界に美があるなんてことを、知らずに過ごしてきたんだ。美しいものなんて見たこともなかったし、その価値も認めてやしなかった。だがな、ここへ来てからは……正直に言えば、俺は素直に感動しているよ。この歳まで生きてきて、今になって、まるで子供になったように感動しているんだ。世界は素晴らしいとな」
「そして、生きていることもね」ヘレナは微笑んで言い足した。
「私たちには、子供の時代なんてなかったのよ。だからここへ来て初めて、今まで閉じこめられてきた子供の感性を、解き放つことが出来たんだわ。ここでは、単純に毎日が楽しいの。食料を集めたり、料理をしたり、みんなと話したり、あのミルト坊やと遊ぶこともね。それに、この自然よ。私、知識だけでは外の世界を知っていたの。でも興味はなかったのよ。大変な冒涜だったわ。こんなに、自然が素晴らしいなんて。空も、海も、緑も、風も、雨でさえね。私はここで初めて、生きていることの喜びを知ったのよ」
「俺も同感だ。この二週間、これほど幸せだったことはなかった。そう……あれからもう二週間だ。俺はつくづく、あの時に死んでいなくて良かったと思うよ。みんなが俺たちに救いの手をさしのべてくれて、本当にありがたかった」
「そうね、本当に……」ヘレナは腰から上を相手にもたせかけながら、頷いた。
「このまま時が止まってくれたら、どんなに良いかしら。あの時も、そう思ったわ。でも今、それ以上の時間があっても、やっぱり同じ思いを抱いてしまいのよ。なんて飛ぶように早く、時は過ぎていくのかしらと」
 ジャックは恋人の身体に手を回し、しばらく黙っていた。そして海に視線を据えたまま、ぽつりと言った。「限界は見えているからな……」と。
 そしてヘレナの目を見ながら言葉を継いだ。
「あれから二週間たったということはだ、あと三週間もしないうちに、あれが完成してしまうってことだ。そうなれば、すべて終わりだ。俺たちの幸せも、それから、あいつらのもな。なんだかそれを思うと、やりきれないな。連中が俺たちを助けてくれたように、俺たちがみんなを逃がしてやれたら良いんだが。だが、それは出来ないことなんだ。みんな、俺たちより非常時の力は持っている。だがそれでも、どうしようもないことだからな」
「そうね。でも、他人に情けをかけるなんて、今までのあなただったらあり得なかったわね。あなたはここへ来てずいぶん変わったわ、ジャック」
「ああ、俺の元上官が見たら、きっと嘆かわしい堕落だと言うだろうな。しかし、俺はそうは思わない。以前の俺が、いや、きっと治安システム全体が狂っているんだ。俺は実際に人を殺したことは、今まで数えるほどしかない。全部、異端者の処刑だ。だがその時は、何とも思ってやしなかったさ。こいつらは生かしておくと、政府の害になる。殺されて当たり前の奴らだと思ってな。正直、殺しを楽しんでいたこともあった。だが、今は後悔している。そいつらはきっと、良い奴らだったんだろうなと思えるからだ。政府の異端って言うのは、たいてい良い奴らなんだ。俺には、それがわかったよ。俺は自分の心境が変化したことは自覚しているさ。だがそれは、俺の人間としての進歩だと思うな。それとも、君は俺がふぬけになったと思うか?」
「いいえ、そんなことはないわ。そんなあなたが……好きよ。前よりもずっと」
 ヘレナは少し顔を赤らめて、そう答えた。
「それは、ありがたいな」ジャックは少しばつが悪そうに、顔を赤らめて笑った。
「だが君も、ここへ来てずいぶん変わったぞ。君は元々静かな人だった。だがここへ来て、笑うようになったな。俺は君が笑ったのを、それまで見たことがなかったんだ」
「そうね。たしかに、私も変わったわ。今までは人間らしい感情を極力押し殺していたのよ。そしてそのうちに忘れてしまったんだわ。でもね、あなたを好きになった時、私は自分の心を思い出したわ。そして、ここで完全に取り戻したのよ。でも、あなたはクールで物静かな私が好きだったの、ジャック? ふざけたり笑ったりする私は、嫌いかしら?」
「とんでもない。静かでクールな君も悪くないが、今の君はもっと素敵だ。俺は君が、ますます好きになっていく一方だ」
「本当に? うれしいわ」
 二人は見つめ合い、そして抱き合った。愛する人の胸で、ヘレナは静かに吐息を尽き、ささやいた。
「私、幸せだわ……本当に、今、時が止まってしまえばいいのに」
「それを言うな。苦しくなるから」ジャックは頭を振り、ため息をついた。
「ああ、切ないものだな。でもやっぱり、俺たちは感謝すべきだ。たとえあと一月かそこらですべてが終わりになるにせよ、その前にこの至福の時が与えられたことをな」
「そうね」
 二人は身体を離し、並んで砂浜に腰を下ろした。そして、風になぶられる髪をなでつけながら、ヘレナが言葉を継いだ。
「他のみんなは、どう思っているかしら。子供たちには、あともう少しで今の生活がだめになることなんて、知らされてはいないようだけれど……」
「もう一組のカップルがどう思っているか、と言うことか?」
「ええ。アレイルは当然知っているでしょうし、エマラインだって人の心が読めるのだから、知らないはずはないわ。でも、二人はそれをどう受け止めているのかしら」
「さあなあ。まだリンツやシェリーには秘密らしいから、二人ともおおっぴらにそのことは、何も言わないからな。ちびたちのいないところで聞いてみたいと思ったことは何度かあるが、だが聞いて何になる、としか思えないからな。今はそのことを考えたくないのかもしれないしな」
「そうね。私も何度か聞いてみようと思ったことがあるけれど、それは無情な気がして、口には出していなかったのよ。でも、もしかしたらあの二人は、状況を突破しようと考えているのではないかしら……そうも思えてきたの。昨日の昼間、私は森の中で二人が話しているのを、偶然きいたのよ」
「ほう……なんて言っていたんだい?」
「『あと三週間か。時間は待ってくれないな』と、アレイルは言っていたわ。『その間に見つけられるかな、答えを。もどかしいよ。残された時間がどんどん過ぎていくのに、正しい道がまだ見えてこない』と。そうしたらエマラインが、『三週間と言う時間は、たしかに短いと思うけれど、焦らないでね。正しい道はきっと見えてくると、わたしは信じるわ』と、彼女独特の、優しいけれどきっぱりした口調で励ましていたわ。アレイルはそれに答えて、『うん。どこかに正しい道がある。それはわかるんだ。僕たちみんなが生きていける未来が……』二人は歩いて移動しているようだったから、そこから先は聞こえなかったけれど……」
「俺たちみなが、助かる道があるって言うのか?」
 ジャックは驚いたように声を上げた。
「こんな状況で、まだ逃げおおせられるっていうのか? たしかにみんなが春から今まで逃げおおせてきたのは、リンツの移動能力の上に、アレイルがPAXの予想を察知して、裏をかき続けてきたからこそだが……だが偵察衛星相手には、あいつだって無理だ。偵察衛星って奴は、どこへ行こうと、二四時間以内には居所がばれるようにできているんだぞ。そんなに毎日毎日、移動できるものか。そのうちにリンツがへたばるぞ。ちび助は機嫌が悪くなるだろうし、おまけにPAXの予想も、どんどん進歩していく。どうがんばったって、一ヶ月ももたんだろうな」
「そうね。理論的に考えれば、助かる道はないように思えるわ。でも、彼がどんな結論を引き出すか、私は興味を持っているのよ。あの子たちが絶望していないなら、突破口を探そうとしているなら、私たちもまだ絶望するには早いんじゃないかしらって、そんな気さえしてくるの」
「そうかな。俺はそこまで楽観的には、なれないね」
「常識的に考えれば、たしかに状況は絶望的ね。でも私、ふと思い出したの。私の上司の、主席プログラマーのエヴァンズさんが、数ヶ月前――そう、シェリーたちが逃亡したあとかしらね。端末前に座って、独り言を言ってらしたのを聞いたのよ。『一ヶ月とちょっとの間に、特Eが四人か。さらに疑わしいのが一人、と。しかも全員に逃げられて、おまけに一緒に逃亡しているらしいだと? 用心しなければ。超能力者は連邦の危機につながる、それは本当だろうか? まさかな……だが、ともかく早く捕まえて、枕を高くして眠りたいものだ』って」
「何? それは、どういう意味だ?」
「さあ、私もはっきりとは、わからないけれど」
「まあ、たしかに、政府は超能力者にたいしては、異常に厳しいと俺も思ったが。ただの死刑じゃないからな。親類縁者を全部絶つんだ。だがいったい、政府はなぜ超能力者を恐れるんだ? たしかに理解できない力には違いないが、悪用されなければ問題ないだろうに。悪用されると困るからという論理もわからんじゃないが、それが連邦の危機などという大げさなものでもないだろう。超能力者が何人集まったとて、世界連邦がどうなるものでもないと、俺は思うがなあ」
「私もそう思うわ。でもね、そう言われると、たしかに疑問も残るのよ。あなたはさっき、精鋭部隊のあなたたちでさえ、実際に人を殺したのは数えるほどしかなくて、それもみんな、異端者の処刑だって言っていたでしょう? 第一都市は、他の都市に比べて規模は二倍あるけれど、都市の中で異端が出るのは一年に十何人、多い時で二十人くらいでしょう。それに処刑なんて無抵抗な人を射殺するだけだから、警察に任せたっていいくらいよね。実際、他の都市は治安維持隊が執行しているわけだし。それなのに、どうしてあなたたちのような、物々しい軍隊が必要なのかしら。昔ならともかく、今は政府に敵対する都市もないし、街の治安を守るだけなら警察隊で十分なのに。あなたは不思議に思ったことはない、ジャック?」
「昔のネオ・トーキョーのように、どこかの都市が蜂起したら、戦争になる。さもなければ、宇宙から外敵が来るかもしれない。そんなことを教えられたな。だが、そんなことはありえんことだ。今にして思えばな。あのころは言われたことを鵜呑みにしていたし、実際必要性がどうのとか、そういう細かいことは考えたこともなかったが……冷静に考えてみれば、たしかにそうだ。必要性のない軍隊が、なぜ必要なのか。でも、まさかあいつらが……いや、俺たちも含めてだが……政府に反逆したところで、ひとたまりもないぞ。だが、それだけのためなのか? 超能力者たちをつぶすためにだけに、俺たち精鋭軍がいたというのか……?」
「私には、わからないわ。何も詳しいことは……」
 ヘレナは首を振った。ふと気づくと、いつの間にか日は沈み、あたりはすっかり暗くなっている。二人は自分たちが夕飯に遅れたことを知って、少しあわてたように、来た道をたどりだした。
「あの子たち、心配しているかしら。悪いことをしてしまったわ」
「まあ、仕方がないさ。出来るだけ急ごう。それにな、このことは俺たちが議論したところで、始まらないことだ。出来ることは、残された日々を満足して生きることさ」
「そうね」
 二人は薄暗くなった砂浜をあとにし、森の境界線あたりの灯りに向かって、小走りに進んだ。それは仲間たちが夕飯を調理している、たき火の光だった。

 それから三日後の夜だった。エマラインは夜中にふと目が覚めた。家にいるのは、彼女一人だ。寄せあうようにして建てられた両隣の家からは、それぞれの住人たちが眠っている気配がする。静かな夜の中、彼女はそっと地面にすべりおり、連れを探しに出かけた。相手を捜し出すのに、彼女はたいして迷わなかった。耳を澄まし、思いを澄ませば、彼が今どこにいるかわかる。エマラインは森を抜け、南側の砂浜へ出た。その夜は満月に近い晩で、白い砂浜は月明かりで、うっすらと明るく見えた。
 アレイルは砂浜の上に座って、空を見上げていた。彼女はそっとそのそばに近づき、無言のまま隣に座った。彼がちょっと驚いたように振り向くと、エマラインは微笑し、優しく口を開いた。
「どうしたの、こんな夜中に? 心配したわよ」
「ごめんよ。なんだか、眠れなかったんだ。それでつい、外へ出たくなってしまってね」
 アレイルは再び空を見上げた。「すごい星空だよ、ほら……」
「そうね。本当にきれい……」エマラインも見上げながら、小さく感嘆した。
「青空も太陽も星空も、外へ出てから初めて見たけれど、本当に美しいわね」
「ああ。覚えているかい、エマライン。僕らが初めて愛しあっていることに気づいたあの晩も、こんな星空だったね」
「ええ……」彼女は我知らず頬を紅に染めながら、頷いた。
「僕はね、まだ都市で普通に暮らしていた時から、外の世界は知っていたんだ。夢の中で、時々見たっけ。青い空、太陽、草原、風の音、森のざわめき、そして海……こんな夜の光景も、見たことがあるんだ。そう……今、この景色そのものをね。はっきり思い出したよ。あれはまだニコルが生きていた頃、四年以上前の夢だ。でも、今と同じ光景だった。夜の海、砂浜、そしてこの星空……ほら、あの星が見えるかい? 南の空にある、ひときわ目立つ四つの星を」
「ええ」
「あれは、南十字星という星座だって、ニコルが言っていたんだ。地球の南半球でしか見えない星らしいから、リンツの故郷からは見えても、僕らのふるさとでは見えない星だね。あの星たちが南半球の、天の中心らしい。北半球の天の中心は、北極星という一つの星で。でも僕はまだその時には中等教育課程だったし、星や星座については何も知らなかった。街から星は見えないし、そういった知識は一級専門課程に入ってから、地球の地理と同じように、ほんの概要だけ学ぶものだからね。でもあの時に見た夜空には、圧倒されたっけ」
「そうね。わたしも実際外へ出て初めて見るまで、そういう自然のものって、ほとんど知らなかったわ」
「僕らの社会では、ほとんどの人が本当の世界を知らずに、一生を終えているんだね。でも……みんなは自然に接したら喜んでくれるだろうか? 感動してくれるだろうか? 長いこと心が死んでいた人たちだから……」
「そうね。それはわからないけれど……」
「チャンスは与えられるべきだ。そうだね。この前も言っていたことだった」
 アレイルは頷いて立ち上がり、波打ち際に歩み寄った。そしてかがみ込んでしめった砂を指ですくうと、砂の山を作り始めた。
「ミルトが昼間、作っていたっけね。砂の山を……」
 彼は呟くように言いながら、山を丸く積み上げていった。
「だけど何回作っても、波に壊されるって怒っていて、しまいには波を跳ね返したりしていた。でも、波が来るたびに返すことは出来なくて、結局は壊れて……それで最後には、壊されることを面白がっていたっけ。ほら、今も壊れていく……」
 波が押し寄せ、今作ったばかりの砂山を崩し、押し流していった。アレイルはしばらくその様子を黙って眺め、静かに言葉を続けた。
「この社会も……この砂の山と同じだ。漠然とわかっていたことが、今はっきりしたよ。世界連邦は、砂山の上の社会なんだ。大きな波が来れば、簡単に崩れる。そして、僕たち自身が、その波になれる。ただ、連邦が乗っている砂山はとてつもなく大きいから、小さな波では壊せない。でも大きな波が起こせれば……正しい道さえ見つかれば、僕たち七人だけでも、じゅうぶんに大きな波が起こせるんだ。それは危険だけど、それほど複雑な道じゃない。そう……ここまではわかったよ。でも……ああ、あともう少し、具体的な答えさえわかれば……」
 アレイルは深くため息をつくと、立ち上がって空を仰いでいた。エマラインはその腕にそっと触れ、あまり思い詰めないでと優しく声をかけた。彼は機械的な仕草で頷いたが、心はなおも深い霧の中を、一筋の光明を求めてさまよっているのが、彼女にも感じられる。
 
 彼の心に去来しているのは、かつての記憶――四年以上前に見た夢で、ニコル・ウェインが言っていたこと。その言葉が漠然と脳裏によみがえってきた。
『僕は星空を眺めるのが好きだ。そして、僕の星を探すことが。うれしさ半分、切なさ半分っていう気分だけれどね。いつも思ってしまうから。帰りたいなって』
 似たような言葉は、ずっと以前にも聞いたことがある。思い出せないくらい、遠い遠い昔――『僕の星を探してるんだ。見えないけれど、どこかにあるって気がして……』
 ああ、そう言っていたのは、誰だっただろう――。ニコルでないことはたしかだが、思い出せない。
『僕は北極星が好きだな。変わらないからさ。天の指針になってくれる』
 ふと、そんな言葉も心の奥から湧き上がってきた。今見上げているこの南十字星が南天の中心なら、北天の中心は北極星――さっきエマラインに言ったことだ。今、心の奥から湧いてきたこの言葉は、誰のものだろう。最初の言葉とは違う人だ。だが、それはあまりにも遠い記憶だ。彼が彼になる以前の――そう、あとの言葉は、より自分に近いような思いもある。でも自分が自分でない時など、あるのだろうか? それは、いつの時代だろうか? でも、たしかに誕生以前の遥かな昔の記憶というものの存在を、おぼろげに感じるのだ。流れていく砂山、降るような星空、おぼろげに聞いた言葉――そう、遠い昔。自分はかつて、何かの知識の断片を知っていたような気がする。でも、それは何だったのだろう。その時に感じた思いは――ひとつの道があって、ひとつの目的に流れる。運命――?
 その強い畏怖の感情に襲われたように、アレイルはびくっと身体をふるわせた。そのとたん、彼は現実に返り、何かを感じた。空の上を飛ぶ、何か――。
「衛星……」アレイルは空を見上げたまま、呟いた。
「また、飛んでいった。昔の衛星が、千年以上も軌道を保って……どうして今まで、飛び続けているんだろう。飛んで、パルスを送っている。どこへ……? 何のために……」
 彼の精神は、遥か上空に吸い込まれ、一瞬無になった。次の瞬間、白紙のスクリーンに、鮮明な映像が切り込んできた。空を飛ぶ衛星。中央政府のコンピュータルーム。深地下に眠る、双子の白いカプセル。世界連邦初期の支配者たち、精鋭軍――爆発炎上する本部。無数の映像が、フラッシュのように光って入り乱れ、バラバラの断片のように降ってくる。やがてそれはそれぞれの定位置にはまり、ある明確な一つの啓示となった。
「コンピュータなんだ……」
 アレイルは深い吐息とともに、押し出すように言った。
「それを壊せば、砂山は崩れるんだ。この文明が……」
 アレイルはしばらくじっと宙を見つめていたが、やがてふっと我に返り、傍らのエマラインを振り返った。
「わかった、わかったよ、エマライン! 僕らはどうすればいいのか。ああ、やっと答えが見つかった!」
「本当ね! ああ、よかったわ!」
 エマラインも目を輝かせ、小躍りした。それ以上の言葉は必要なかった。彼女もまたすべてを共感し、見守っていたのだから、それは同時に知った知識だ。二人は思わず砂浜を走って飛び上がり、最初の歓喜が落ち着くと、そのまましっかりと抱き合った。
 そしてアレイルは深く息をつき、ちょっと苦笑して続けた。
「でも、まだ考えなければいけないことが、たくさんあるよ。これはまだ出発点に過ぎないんだ。いや、到達点かな。だから、そこへたどり着く道を考えなくちゃ」
「また、道をたどるのね」エマラインは、いたずらっぽいような微笑みを浮かべている。
「でも、それはこれからゆっくり考えればいいわ。とにかく、大目標がわかったんですもの。ねえ、これでめどがついたわけだから、そろそろみんなにわたしたちの考えを、打ち明けてみない? 詳しい作戦や何かは、みんなの意見を聞いて考えた方が、わかりやすいかもしれないわ」
「そうだね。目標がわかれば、方法を考えるのは、それに比べれば大変じゃないはずだし。明日、みんなに相談してみよう。そんなに無謀な賭けじゃないって見通しがつけば、みんな協力してくれるだろう、きっと」
「そうね。みんなに勇気さえあれば。でも、大丈夫よ。みんな、戦う勇気は持っているわ。勝てる可能性があるのならね」
「可能性はあるよ。百パーセントではないけれどね。危険があるから、確率は五分と五分……それよりはちょっと少ないかもしれないけれど……でもとにかく、僕らが勝てる可能性は十分あるさ」
「半分近くも? なんだか夢みたいね。ああ、わたしたち自身の手で明日を開ける可能性があるなんて」
「夢にはしたくないな。僕らは勝たなきゃ。それしか生きる道はないんだから」
 アレイルは握った手にぎゅっと力を込めながら、暗い波間を見つめた。エマラインも頷きながら、海に目をやった。二人はしばらく無言で、夜の海と空を眺めていた。
 暗い風景の中に、月明かりがまるで彼らを導く光のように揺れている。それは彼らの心の情景を移しているかのようだった。暗闇の中に見いだした光。そして夜は明けるだろうか? 大きな希望と恐れが交錯する心の中で、二人は同じ思いを抱いて立っていた。
「僕らは、行かなきゃ……」
 アレイルは海を見つめたまま、そう呟いた。
「そうね。わたしたちみんなの未来のために」
 エマラインも頷き、彼の肩に頭を持たせかける。
 耳には波の律動的な響きが聞こえ、風は静かに舞っている。世界はまだ、目覚めていない。しかし二人の心の中に、未来が初めて開けたのだった。




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