Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第3章 迫り来る時 (6)




 朝食後、話を聞かされたリンツとシェリーは、案の定、最初はひどく難色を示した。
「精鋭軍兵士だあ?!」
 リンツは顔をしかめながら、素っ頓狂な声を上げていた。
「なんで敵なんか、助ける必要があるんだよ。お人好しもたいがいにしてくれよな」
「あたしも、なんだか怖いなあ……」シェリーも不安げな顔だ。
「二人とも、兵隊さんに追いかけ回された記憶が生々しいから、あまりいい感じを持っていないのね。それはわかるわ。でも、その人だって、以前はたしかに敵だったかもしれないけれど、今は違うのよ。政府に逆らって、好きな人との愛を貫こうとしているの。きっと、いい人に違いないわ」エマラインは二人の方に軽く身を乗り出した。
「でも、いざって段になって、そいつの気が変わらないとも限らないぜ。おれたちが現れりゃ、捕まえて差し出したら、自分の手柄になるもんな。それで、その女との仲を認めてもらおうって、考えるかもしれないじゃないか」
「政府はそんなに甘くはないってこと、その人だってわかっているわよ。大丈夫よ、リンツ。ねえ、シェリーはどう? やっぱり元兵隊さんって、怖いからいや?」
「あたしね、自分たちも助けてもらったから、他の人を助けるっていうことには、賛成なの。だからね……でも大人の人って、なんだかやっぱり怖いなあ。女の人は、まあいいけれど……それに、もしその人が兵隊さんの格好をしていたら、やっぱりいやだわ」
「じゃあ、とりあえず話だけでもしてみるっていうのは、どうだい? 彼らに都市の外へ逃げるチャンスを与えるってことだけ、最初は言ってみては。僕たちと一緒にいるかどうかは、それから決めればいいよ」アレイルがそう提案する。
「そいつらがおれたちを裏切らないって、保証できるか?」
 リンツは、まだ疑わしそうだ。
「大丈夫。みんなには迷惑はかからないはずだ」と、アレイルは頷き、
「ね、お願い。そうしてちょうだいな」と、エマラインも熱心に頼んだ。
「ったく、あんたらのお人好しにも、ほとほと呆れるな」
 リンツは最後には、あきれたような苦笑いを浮かべていた。
「まあ、いいや。外へ連れ出すだけなら、協力してやるよ」
「わあ、よかったわ! ありがとう!」
 エマラインは思わずリンツの手を取り、声を上げた。
「じゃあ、とりあえずここに連れてきてもらって、どんな人たちか会ってみましょうよ。それでもし、一緒に暮らしていけそうだったら、仲間になってもらえば、心強いかもしれないわ。二人とも大人ですものね。でも、もしシェリーやリンツがどうしてもいやだったら、その人たちには別の所へ行ってもらうって言うのはどう?」
「うん、それならいいわ」シェリーも頷いた。
「それじゃあ、とりあえずは逃がしてやることだな。で、いつ、そいつらを迎えにいくんだ? 今夜か?」
「いや、これからすぐ行った方がいいな」
 リンツの問いに、アレイルはちょっと考えるように黙った後、そう答えた。
「もう都市の中は、就寝時間になったらしいから。あと一時間もすれば、執行隊が来てしまうよ。その前に話をして、連れ出さないとね」
「誰が説得に行くの?」エマラインは首を傾げて聞いた。
「僕が行くよ。君はシェリーやミルトとここにいてくれ。リンツにはどうしても来てもらわないとだめだけれど……大丈夫だと思う。でも、どんなことにも完全はないから。危険は出来るだけ少ない方がいい」
「おれは、いつも危険のまっただ中か? 損な役割だなあ」
「悪いね。移動には君の力が、どうしても必要なんだよ。でも、君はすぐに帰っていいよ。話が付いたらエマラインに連絡を取って、迎えに来てもらうから」
「テレパシーでか? まあ、それでもいいけど……でもなあ、アレイル。やっぱあんた一人にやばい橋を渡らせるのって、ちょっと気が引けるからさ、おれも一緒にいるよ。おれも男だもんな。ちっとは度胸があるってとこを、見せてやるぜ」
「頼もしいわ、リンツ。それでこそ、男の子よ」エマラインは思わずそう声をかけ、
「男の子、じゃないって。それじゃ、まるでガキみたいじゃないか! ま、いいや、ともかく行ってくるぜ」リンツは肩をすくめ、抗議していた。

 アレイルとリンツは出かけていった。残った二人の娘は簡単に朝食の片づけをし、ミルトはパンくずを蟻にやって遊んでいた。片づけが終わると、エマラインとシェリーは並んで腰をおろし、小さなミルトを見守っていた。
「ねえ、おねえちゃん……」シェリーは小さな声で呼びかけた。
「その人たちが、もしここに来て、あたしたちと一緒に暮らすことになったら、あたし本当にその人たちのこと、好きになれるかしら。エマラインおねえちゃんや、アレイルおにいちゃんや、リンツみたいに……なんだか、あたし、自信ないの」
「あなたからは、うんと大人に見えるでしょうからね、シェリー。それに、どうしてもいやな思い出もあるんでしょうね。でも、あなたのお父さまも、地方都市治安軍の将軍さまだったんでしょう? だったら、お父さまと同じお仕事なんじゃないの、兵隊さんって。お父さまの部下の人たちって、怖かった?」
「ううん。優しい人もいたわ。あたしイーストンおじさんが好きだったの。いつもあたしたちににっこり笑ってくれて、優しかったし、キャンディーなんかもくれたの」
「イーストン副将軍?」
 エマラインは、小さくその名前を反復した。姉弟の父の処刑や家族の抹殺、二人の追撃を指揮した、その人ではないか。しかしシェリーは、その事情を全く知らないのだった。
「おじちゃんのこと、知ってるの?」シェリーは少し不思議そうに聞いた。
「いいえ、知らないわ」エマラインは頭を振った。知らないほうが幸せな事実もある。今は少女の人への信頼を、むやみに壊したくはなかった。
「とにかく、どんな人かは来て見ればわかるわ。でも大丈夫。きっと怖い人じゃないわよ」
「うん。そうだといいなあ……」
 二人はそう言いあい、風に吹かれながら、草原に腰を下ろしていた。

 そこは、夢で見たとおりの部屋だった。あの男女も、まったく夢のままの風貌と様子だ。ただ二人とも最初の服装に戻っていて、ベッドに寄り添い、お互いに手を握り会いながら腰をかけている。アレイルとリンツが突然二人の前に出現した時、男女は驚きのあまりだろう、思わず握り合った手を離していた。
「お、お、おまえら……」
 男はしどろもどろに叫び、はじかれたように立ち上がった。
「なぜ、ここへ来たんだ?! どうして?!」
「はじめまして」
 アレイルは一歩前に進み出て、ちょっと遠慮がちにそう挨拶をした。
「本当は礼儀正しく玄関から入ってきたかったんですけれど、ロックされているし、執行隊と間違われて撃たれても困ると思ったから、こんな不作法な入り方をしてしまいました。すみません」
 リンツの方は何も言わず、ささっと後ろへ隠れてしまっていた。長い間兵士に追い回されてきたので、わかっていても、やはり気後れがしてしまうのだろう。
 男女は、しばらくまじまじと二人を見ていた。
「手配中の超能力者グループの二人ね。特E一号と二号――瞬間移動術者と、透視能力者でしょう」女の方が、二人に視線を据えたまま呟いた。
「ああ、そうか。一号と二号が手を組んでから、捕まえるのがえらく面倒になったんだったな」男の方もなお二人を見たまま、頷いている。
「おい、一号だ二号だって、変な呼び方すんな。おれはリンツ・スタインバーグで、こっちはアレイル・ローゼンスタイナー。ちゃんと名前があんだぜ」
 リンツはそう抗議をしたあと、連れに向かって言った。
「なあ、アレイル、もう帰ろうぜ。おれ、やっぱこいつら、いけ好かないよ」
「職業意識っていうのは、そう簡単には抜けないんだよ、リンツ。この人たちは、今までずっと僕たちのことは、一号二号だったんだから。でも大丈夫さ。それだけだよ。この人たち、僕たちを捕まえたりはしない、保証してもいいよ」
「たいした自信だな、おい」男も苦笑いを浮かべた。
「だが、間違ってはいないな。もう俺たちは、おまえさんたちとは無関係な人間だ。今さら捕まえようとは思わないさ」
「でもあなたがたは、いったい何の用なの?」女が静かな口調で、そう聞いた。
「私たちには、もうあまり時間がないのよ。悪いけれど、出来るだけ邪魔はされたくないの。用件があったら、手短にしてちょうだい」
「食料でも欲しいのか? なら、適当に台所を荒らして持っていけ。欲しいものがあったら、適当に持っていっていいぞ。武器はだめだかな。これから必要なんだ」
「いいえ、僕らは別に何かが欲しいから、来たわけじゃありません。詳しい説明をしている時間はなさそうだから、手短に言いますが、僕の夢に、あなた方が出てきたんです。それでみんなで相談して、決めたんです。あなた方に会って、もう少し二人でいられる時間を上げられたらと思って。それでここに来たんです」
 アレイルも二人を見返し、静かな口調でそう告げた。
「なんだって?」二人は驚きの表情を浮かべた。女は息をのんだように黙り込み、男は急き込んだような口調で聞いてくる。
「どういう意味だ、それは?」
「僕らと一緒に、外へ出ませんか? 街の外へ。あなたたちは、あと三十分もしたら自決する気なんでしょうけれど、でも、それよりはもっといい方法があるんじゃないかって、思ったんです。リンツの助けを借りれば、少なくとも都市の外へは出られる。そうすれば、少なくとも三十分よりは長い時間を、あなたたちにあげられると思うんです」
「……逃がしてくれるって言うのか、俺たちを……」
 男は短い沈黙の後、詰まったような声を出した。
「だが、どうしてだ? どうしてわざわざおまえたちが、俺たちなんかを助けてくれるんだ? おまえの夢に俺たちが出てきたというが……それは、どういう意味だ? そもそも俺たちは、おまえたちを今まで追いかけてきた立場の人間だぞ。そんな人間が、信用できるのか? なぜ助けてやろうなんて気になれるんだ?」
「おれも、実はそう思ったんだよ」リンツが後ろから顔だけ出して、再び言った。
「シェリーとミルトの時も、アレイルの夢に出てきて、それで助けようってことになってな。あんたたちも同じなんだが、でもシェリーやミルトと違って、あんたたちはどうだろうなって、おれは思ったんだ。信用できるのかなって。でもまあ、アレイルは大丈夫だって言うし、エマラインも助けてあげたいって頼むから……人がいいっていうのか、お節介っていうのかさ……性格なんだろうな」
「彼女は放っておけないんだよ、困っている人を。それが彼女の美点の一つだと思うね。それに、僕もそう思う。誰か困っている人がいて、自分たちの力で助けてあげることができたら、できるだけそうしたいって。君もそう思ったからこそ、シェリーとミルトを助けることに協力してくれたんだし、ここにも来てくれたんだろ?」
「まあな、たしかにそうだ」
「おまえさんたちは、博愛主義者なんだな」
 男は苦笑を浮かべ、しばらく二人の顔をじっと眺めていた。
「本気なんだな、おまえさんたちは。呆れた奴らだ。元の敵にまで同情して、逃がしてやろうと考えるとは。そんな人間にお目にかかったのは、初めてだよ」
 男はクックと笑い出した。それは次第に、ヒステリックな高笑いになっていく。
「なんてこった、本当に。俺は今まで、何を信じて生きてきたんだろうな。政府は、とてつもなく冷たい。異端者の方が百倍も良い奴だ。いや……俺も、もう異端者なんだな。だが、本当に……なんて皮肉なんだ。なんて矛盾だ……」
「おそらく、あなたがたの方が……そしてたぶん、今の私たちも……人間としての、そうあるべき姿でいるのじゃないかしら。それが政府にとっての異端だとしたら、この世界には人間は存在してはいけないっていうことになるんだわね……」
 女は両手を膝に組み合わせ、静かな口調で言った。そして二人をじっと見つめたあと、穏やかに笑った。
「あなたの夢に私たちが出てきたというのは、どういう意味を持ってなのか、それはわからないけれど、でもあなたたちはそれをやり過ごさないで、わざわざ私たちを助けに来てくれたのね。どうもありがとう、私たちを気にかけてくれて……」
「僕たちと、一緒に行ってくれますか?」
 アレイルは改めて、男女にそう問いかけた。
「ええ、よろこんで……ただし、もしジャックが一緒に行くならば。でも私は、もっと生きていたい気がするの。たとえ、一週間でも十日でも」
「俺もだ」男も力強い口調で、そう同意していた。
「俺は、君と一緒にいたいんだ、ヘレナ。あの世のことまでは、保証できないからな」
「じゃあ、急いで下さい。もうあまり時間がないから。必要な荷物をまとめて、それから、ユニットもはずして下さい」
「ユニットか、こいつははずせないぞ。中に埋め込まれているからな」
「でも、はずさないと。あなたもわかっているでしょう」
「そうか。はずしていかないと、場所が割れるか。少々荒療治だが、仕方がないな」
 男はポケットから折り畳みナイフを取り出すと、ぐさっと自分の左腕に突き立てた。少し顔をしかめてぐるっと刃先を回し、直径三ミリほどの、小さな円形の金属板を掘り出す。それは血に濡れて、床に落ちた。男は女の方を振り向いた。
「君の分も取らないといけないな、ヘレナ。ちょっと痛いが、我慢してくれ」
 彼女は頷いて、上衣の袖をたくし上げた。男は同じ動作を繰り返し、すぐにもう一つの小さな金属片が床に落ちた。
「こいつが、IDユニットって奴か。初めて見たぜ。たしか、社会人になる時に埋め込まれるんだよなあ」
 足下に転がってきた金属片に目をやりながら、リンツが言う。
「そう。いってみれば、一人前の印さ。おまえさんたちはみんな、まだ教育課程だったから、誰も持っていないんだな」
 男は相手の女性の傷口を縛りながら、にやっと笑った。
「持ってなくて、良かったぜ。取るの、痛そうだもんなあ」
 リンツは二人の腕から血が滴るさまを、ぞっとしたような面もちで眺めている。
「よし、準備OKだ」
 男は自分の傷口を縛り終わり、簡単に荷造りをすませると、顔を上げた。
「レーザーは身を守るために一本は持っていきたいが、こいつは置いていこう。もうおれとは関係のないものだからな」
 彼は椅子の上に放り出してあった軍服を、ぽんと叩いた。
「そうしてくれると、ありがたいぜ。もし、そいつを着ていったりしたら、ミルトが間違って、あんたを殺さないとも限らないからなあ」リンツがにやっと笑った。
「たしかに、可能性はあるね」
 アレイルもちょっと笑ったが、すぐに表情を引き締め、緊迫した声で言葉を継いだ。
「急がないと。もう、執行隊がそこまで来たようだから……」
 彼がそう言い終わらないうちに、玄関でどすんと鈍い物音がした。男女ははっと青ざめ、男の方は反射的にレーザーに手をかけている。
「わあ、急がなきゃ。みんな、早くおれに捕まれ!」
 リンツが慌てふためいた声を上げた。
「荷物は持った? 絶対、手を離さないで!」アレイルが短く注意する。
「大丈夫」男女は、かすれた声で返事をした。と、次の瞬間、ばんと玄関のドアが壊れる音がし、同時に彼らは翔んでいた。

 一瞬の後、新たな景色が目の前に開けた。一行が飛び出した地点は、みなが寝泊まりしている場所から、数百メートルほど離れた森の中だ。
「悪いなあ。焦ったもんだから、ちょっと目標がずれちまった」
 リンツが頭をかいた。
「ぎりぎりのタイミングだったから、仕方ないね。でも、間に合って良かった」
 アレイルがほっとため息をつきながら、苦笑した後、後ろに立っている男女を振り返って、言葉を継いだ。
「ここから少し離れたところに、僕らの仲間がいるんです。あなたがたも、もう知っているでしょうけれど。とりあえずそこへ行って、これからのことを決めましょう」
「ああ」男は頷き、周りをきょろきょろと見た後、感嘆したように言葉を継いだ。
「しかし、ここはいったい、なんて所だ。やたらと木ばかり、たくさんあるぞ。しかも真っ昼間だ」
「都市の中は第一連邦第一都市に時間を合わせているけれど、外は違うから。今は昼間なのね、本当の時間は。そして、これが森なのね」
 女が周りを見回しながら、静かに言った。
「空気がきれいね。それに日差しのわりに涼しいわ。緑がきれいだこと……」
「森を抜けると、もっと暑くなりますよ。今は夏だから」
 アレイルは二人を見やり、微かに頭を振って説明した。
「そうね。外には季節があるんですものね。都会の中にいると、忘れているけれど。それに、外は今昼間だということも、すっかり忘れていたわ」
 女は穏やかに微笑し、周りの景色をゆっくりと眺めながら、歩みを続ける。
「俺は明後日、外へ出るはずだったんだ。左遷されなければ……だがな」
 男があたりに目をやりながら、ぼそっと言った。
「僕たちの追跡隊、ですか?」
「そうだ。まあ、おまえさんには、ばれているとは思っていたがな。他の連邦でも、追跡隊が繰り出す頃には、いつもアジトはもぬけの殻で、もうとっくに次の潜伏地へ逃げているというパターンの繰り返しだという噂を、俺は何度も聞いた。だから今回も、期待はしていなかったさ。ただ俺としては、都市の外へ出られるということが、ちょっとした楽しみだったわけさ。少しは気晴らしになるだろうとな。それが昨日になって上官の奴が、俺はもう任務をはずれたと言いやがったんだ。そして俺に、他の都市に行って治安維持の任務に就けと言ったんだ」男は唇をかんだ。悔しげな表情だ。
「それがどういう意味か、わかるか? 左遷だよ。だが、そんなことは今さらどうでもいい。政府が俺を一般人扱いにするのなら、ヘレナとの結婚も認めてもらいたかった。なのに、そんなことはてんで話にならんとさ。俺たちは、政府の元じゃ永遠に別れ別れになるしかないんだ。そんなこと、とても我慢できたものじゃない」
「だから、政府に逆らおうって思ったわけかい?」
 リンツが首を傾げて聞いた。
「そうさ。まあ、おまえさんたちのようなガキには、この気持ちはわからんだろうがな。バカだと思えるかもしれんな。でも、もしおまえさんたちにも本気で好きな奴が出来たら、きっと俺の気持ちもわかるだろうよ」
「僕は……わかります。ある程度は。だから僕らは、あなたたちに共感したんだし」
 アレイルは歩きながら、小さいがはっきりした口調で答えた。
「ほう……」男はひゅっと口笛を鳴らした。
「わかる、か。ほう。だから第二連邦の行方不明になった女の子と、一緒に逃げたわけか? なるほどな。おまえさんは、たしかまだ十八かそこらだろう。ガキのくせに、結構ませているんだな。俺なんか二四になって、やっとこさ恋に目覚めたんだがなあ」
「え、ええ!」リンツが驚いたように、両手を上げて叫んだ。
「てことは、なんだ、なんだ。あんたと、その……エマラインは、出来てたのか? おれ、ちっとも知らなかったぜ。なんだよ、だから最初っから二人一緒だったのかよ」
「出来てるなんて、変な言い方するなよ、リンツ。どこで覚えたんだい、そんな言葉。違うよ。一緒に逃げた頃は、まだ僕らはただの友達だったんだ。本当だよ。きっとそのころから、惹かれていたのは間違いないけれど……でも、いわゆる愛情を意識したのは……最近なんだ」
「さあなあ。お袋が言ってたような……まあ、いいさ。元からあんたら、仲は良かったしな。おれはあんたら二人とも好きだから、それはそれでいいけどさあ。愛し合ってる、かあ。なんか、おれにはよくわからねえなあ。だいたい好きだってのと、愛とは、いったいどう違うんだ?」
「おまえさんも、あと十年くらいたったら、わかるんだろうよ。え、坊主」
 男がリンツの赤毛の頭を軽くくしゃっとやりながら、親しげな様子で言い、
「坊主って言うな!」リンツは笑いながら、言い返していた。

 彼らは森を抜け、草原に出た。少し離れたところに座っていたエマラインは、その接近の気配を感じて振り返った。ついでシェリーも彼らに気づいたようで、二人の少女は立ち上がり、近づいていった。
 改めて引き合わされた時、二人の少女は新参の二人を少し不安そうな面もちで眺めた。わかってはいたものの、やはりともに二四歳の男女は、エマラインの目からも、かなり大人に見える。やっと十一歳になったばかりのシェリーにとっては、なおさらだろう。そして大人であり、特殊能力を持たないということで、なんとなく自分たちとは違うという思いと、気後れをシェリーは感じているようだ。エマラインもシェリーほどではないが、一瞬だけそんな思いを感じた。
 小さなミルトは、草原に住むバッタを追いかけるのに夢中で、初めは一行に気づかなかったようだ。すぐそばまで来て、初めて顔を上げ、四人を見つけたらしい。彼にとっては、アレイルやリンツは家族と同じだと思っているようだ。しかしあとの二人は、いったい誰だろう――そんな思いを感じさせる表情で、ミルトは立ち止まり、大きな目を見開いて、まじまじと二人を見ていた。そして、ちょっと不安そうに首を傾げている。
「大丈夫だよ、ミルト。この人たちは怖くないよ。新しいお友達さ」
 アレイルは笑って、安心させるように幼児の頭をなでた。
「こんにちわ、坊や」女の方が進み出て、穏やかな笑顔を浮かべて手を取った。
「や、やあ」男は照れたように顔をぼりぼりかきながら、にやっと笑っている。
 ミルトはなおも、黙ってじいっと二人の顔を見つめていた。やがてちょっと首を傾げ、恥ずかしそうにほんの少しだけ笑った。そして何も言わずに回れ右をすると、とことこと姉の所へ駆け戻っていく。
「嫌われたかな。俺は小さい子供って奴は、扱ったことがないから、わからないんだ」
 男が再び頬をぼりぼりやりながら、困ったような顔をした。
「いや、ミルトはあなたたちが気に入ったらしいね。シェリーが言っていたけれど、ミルトって子は人見知りというほどではないけれど、あまり大人にはなつかないらしいって。でも、あの子はあの子なりの判断基準を持っていて、信頼できる人には、初対面でも笑えるらしい。僕らも幸いそうだったし、あなたたちもね……あの子に認められたんですよ。この人たちは、いい人たちだって」
「子供は正直ですからね。特にミルトのような子は。あの子は両親やお姉ちゃんたちの愛を受けて、すくすく育ってきた子ですから、純粋で、嘘がないんだと思います」
 エマラインは彼らに近づき、微笑んで手を差し伸べた。
「はじめまして。きっとあなたたちはいい人たちだって、思っていました。今は、確信しますわ。ミルトも認めたし、わたしもわかりました」
「エマラインが認めれば、もう安心だなあ」
 リンツは笑い、男女に向かって、彼女は人の心が読めるテレパスなのだと告げた。
「そうか、やっぱりな。政府は疑ってはいたが。あんたが特Eなのかどうか。疑いは濃厚だが、はっきり特定は出来ず、困っていたようだった」
 男は苦笑しながら、エマラインと握手した。
「まあ、認めてもらって光栄だよ、お嬢さん」

 彼らは草の上に円を描いて腰を下ろし、男は自分たちを簡単に紹介した。
「俺は、ジャック・スウィート。元、精鋭軍兵士だ。年は二四歳と五ヶ月。彼女はヘレナ・パーシス。元、医療機能プログラマー。いわゆるメディシスさ。二四歳と十ヶ月。秋には二五だ。俺たちは二人とも、第五連邦の第一都市の出だ」
「家族はいるのかい?」リンツが何気ない調子で、そう聞いていた。
「いないよ。俺たちは精鋭者だからな。おまえさんたちは、俺たち上級専門職というものがどういうものか、知らないだろう。俺たちは家族を持たないんだ。生まれた時から死ぬまでずっとな。そういう定めなんだ」
「家族を持たない? どういうことなんですか?」
 エマラインは驚いて聞き返した。
「私たちは、政府のために作られた人間機械のようなものなのよ」
 ヘレナ・パーシスが、自嘲的な笑みを浮かべながら、話し始めた。
「連邦の中から、優秀な遺伝子を持っている人を選んで、人工的に作られたのが、私たち精鋭者なのよ。運動能力がとりわけ優れている人、知能指数が一八〇以上の人――もちろん精鋭者自身もそれに入るけれど、そういう人たちの精子と卵子を集めて、運動部門、知能部門別に、相性のいい組み合わせを選んで受精させ、健康な代理母に――彼女たちも一種の上級専門職で、同じように生まれているのだけれど――代理母専門職ね。その彼女たちに生んでもらう。私たちは、そうして生まれたの。だから私もジャックも、遺伝子上の両親が誰なのかは、知ることができないのよ。データもたぶん、残っていないでしょうね。名前もね――私の本当の名前は、H−六三一二九。彼はJ−六三四一八。私たち、知り合って三回目に会った時、お互いに番号で呼び合うのでなくて、名前を付けたいと思って、名前生成プログラムを走らせたの。私たち上級職がもっと上のポジションへ行った時に、与えられる名前を決めるプログラムだけれど――それで出たのが、この名前なのよ。私たちはそれを気に入ったから、お互いの名前にすることにしたの。彼はジャック・スウィート、私はヘレナ・パーシス。こっそりやったはずだけれど、後でわかって上司からひどく叱られたわ。もう一回逸脱したら、左遷か処刑だと言われた。でも私たちも他の人たちのように、名前が欲しかったのよ。ああ、彼は精鋭軍を外れて第十七都市に行った場合は、そこで新しい名前をもらうはずだったけれど」
 ヘレナは微かなため息を漏らし、話し続けた。
「そういうわけで、私たちは政府に作られた人間なのよ。生まれ落ちるとすぐに、ナーサリーという政府の保育機関で育てられて、物心つく前から、専門職としての教育を施されるの。十八の時、最終試験があるわ。それにパスすると、あとは一生政府のために働くだけね。結婚することは許されず、一日に十二時間以上、仕事をして過ごす。一生を終えるまで、ずっとね。いっそのこと試験に落ちて、一般労働者に回った方が、まだ幸せよ。私たちにとっては、恐ろしい恥と考えられているけれど」
「ひどいわ、そんなことって。それじゃあ、あなたたちの人間としての権利は? 幸せはどうなるの?」エマラインは思わず頬を紅潮させ、そう声を上げた。
「そんなものは初めからないよ。お嬢さん。でも、それは我々だけではないさ。一般の連中だって、人間としての権利やら、幸せとは無縁だからな」
 ジャック・スウィートは肩をすくめて、そう答えていた。
「たしかにそうだろうね、この社会は。みんな、気がついていないだけで」
 アレイルは首を振り、言葉を継いだ。「でも、政府がそんな非人間的なことまでやっているなんて、僕も知らなかった。それじゃ、まるでロボットと一緒だ」
「ああ、まさにそうさ。しかしな。当の俺たちは誰も、そうとは思っちゃいなかったわけさ。俺たちは他の奴らとは違う。名誉ある、選ばれた人間だと、誇りに思っていたんだ。今にして思えば、とんでもない嘘だってわかるがな。しかしガキの頃から、そう教え込まれてきたんだ。俺だってヘレナに会って、恋をしたりしなければ、きっとそう思いこんだまま、生きていただろうよ。そして、誇りを持って死んでいただろうな。俺たち超兵士は、定年が早いんだ。四十才だからな。なんたって、運動神経って奴は、年を食えば衰えるからな。四十になったら、安楽死だ。だがそれも、当たり前のことだと思ってきたんだよ。なんて……まったく、なんてばかげたことだ。なんてばかげたことを今まで信じ込んで、なんてくだらない人生を生きてきたんだろうな」
 ジャックは自嘲気味に笑い、そして頭をかきむしった。
「でも、それに気がついて、良かったのよ、私たちは」
 ヘレナは静かに言い、ジャックの手を取った。
「お互い人間であることに気がついて、心を取り戻せたんですもの。たとえ先が見えなくても、わたしはそのことを幸せに思うわ」
「わたしも社会からはずれて、やっとそれがわかったの」エマラインは微笑した。
「ここは自由で、自然の恵みがあるから、わたしたちも、あるがままの自由な人間でいられるわ。あなたたちもきっと、ここで暮らせばもっと幸せになれる。きっとそうよ」
「そうだろうな。だか……」ジャックが言いよどんだ。
「ここってわけにはいかないよ、エマライン」
 アレイルがかすかに笑って首を振った。
「ここはあと一時間後に偵察軍が来るから、すぐに場所を変えないと。本当は明後日の予定だったけれど、僕らがジャックとヘレナに接触したことが向こうにもわかってしまったから、計画を早めて、そうなったみたいだ。だから二人とも、次に移るまでは、僕たちにつきあって欲しいんだ。でもそこから先は、僕たちと一緒にこのまま行動をともにするか、それとも行った先で別れるか、それを決めて欲しい」
「それはどっちかというと、おまえさんたちが決めることじゃないのか」
 ジャックはヘレナと顔を見合わせたあと、そう答えた。
「おまえさんたちが、俺たちが一緒にいてかまわないのか、それともいやか。俺たちはそれに従うまでだ」
「エマラインと僕は、あなたたちに仲間に加わってもらえば心強いと思うけれど……あなたたちがかまわなければ。リンツとシェリーはどうだい?」
「おれは別に一緒でもいいぜ。本当にあんたら、改心したようだしさ。おばさんは優しそうだし、おっさんも結構強そうだから、頼りになりそうだしさ」
「あたしも。おじちゃんもおばちゃんも、かわいそうだし。だって、お父さんもお母さんも、兄弟もずっといないんでしょう? それに二人ともいい人みたいだから、良いわ」
「ありがとう、お嬢ちゃん。でもなあ、おまえさんたち、おじちゃん、おばちゃんって言われるのは傷つくぜ。俺たち、まだ若い気なんだからな」ジャックは苦笑している。
「ごめんなさい。でも、やっぱり大人に見えるんだもん」
「大人には、違いないですものね。諦めなさいよ、ジャック。十代前半の子から見れば、二四才の人間は立派なおじさんおばさんなのよ。ことに私たち上級精鋭者なんて、たいてい歳より老けて見えるのが当たり前なのだしね。それにあなただって、お嬢ちゃんに坊や、なんて呼んでいるのだから、文句は言えないわ」ヘレナが微かに笑って言い、
「そうだよ。おれだって、結構傷ついているんだぞ」リンツがそう抗議する。
「ハハ、悪かったよ。お互いさまって奴か。一本取られたな」
「それじゃ、わたしたちの意志は決まりね。あ、そうそう、もう一人いたわ。ミルトの意見も聞いてみましょう」エマラインもつられて笑いながら、そばの草むらで飛び跳ねて遊んでいた幼児に向かって聞いた。
「ミルト、あなたはこのおにいさんやおねえさんが一緒にいても、かまわない?」と。
 ミルトは顔を上げ、草むらから立ち上がって、ちょこちょことこっちへ歩いてきた。小首を傾げて、しばらく新参の二人をじっと眺めたあと、にこっと笑った。そして小さな手を片方突きだし、持っていたものをぱっと離した。
「うん。これ、あげる!」
「ありがとうよ」
 ジャックは笑って差し出されたものを受け取ったが、次の瞬間、「うわっ!」と叫んで、手を振り払った。手の中から、大きなバッタが彼の顔をめがけて跳ねたからである。ヘレナはそれを見て、笑い転げていた。
「情けないわねえ、ジャック。部隊一勇敢でならしたあなたが、こんな小さな虫、たった一匹に、そんなに驚くんですもの。あなたのそんな顔、初めて見たわ」
「いや、俺は、人間は怖くないんだが……」ジャックは苦笑いを浮かべた。
「こいつは坊主にしてやられたな。しかしこんなもの、初めてお目にかかったぞ」
 彼は自分を驚かせた小さな生き物が、草原を跳ねていくさまを目で追っていた。
 ミルトはきゃきゃとうれしそうに笑い、手を叩いた。そしてポケットからさらに二匹のバッタをつかみだして、「もっと、あるよ!」と、得意げに言っている。
「もういいって。おい、ミルト。そんなにやたら、虫を捕まえてくるなって言ってるだろ」
 いまだに昆虫類が苦手なリンツが、うんざりした顔で手を振っていた。
「どうやらミルトも、あなたたちを歓迎しているようね」
 エマラインは笑い、二人の新参者を見た。
「これでわたしたちの方は決まったわ。あなたたちはどうしますか?」
「あなたたちがかまわないなら、一緒にいたいわ。お仲間に加えてくれたら、うれしいわ」
 ヘレナがゆっくりと返事をした。
「一緒に暮らした方が、楽しそうですもの。こんな雄大な景色の中では、私たち二人で暮らすのは、心細いような気がしてしまうのよ」
「そうだな。それに、一緒の方が俺たちも心強い。なにしろ、おまえさんたちは逃亡のプロだからな。今までの、最高新記録保持者だ。ところが俺たちはそっちのほうじゃ、まるきり素人だからな。でもな、一緒にいておまえさんたちの損になるようなことは、させないつもりだ。俺たちはおまえさんたちのような特殊能力はないが、他のことでは助けになれるかもしれない。俺は力持ちだし、ヘレナは頭がいい。医療知識も持っている。おまえさんたちにはない経験もあるさ。まあ、お互いに助け合っていこうじゃないか」
「じゃあ、これで僕らは仲間だね。どうかよろしく」
 アレイルは手を差し伸べ、エマラインも同じようにした。ジャックとヘレナもその手を取り、お互いに握手を交わした。これで同盟が結ばれた。
「でも、時には二人きりにしてくれよな。おまえさんたちにも、便宜は計らうから」
 ジャックがいたずらっぽい調子でそう付け足し、アレイルとエマラインは思わず顔を赤くした。
「ひゅーひゅー、勝手にどうぞ。どうせおれたちは、おじゃまだからさ」
 リンツがからかうように声を上げ、エマラインは耳まで真っ赤になった。ヘレナもはにかんだように笑っている。
 シェリーはしばらくぽかんとして彼らを見ていたが、やがて頷いた。
「ああ、わかった。そうなんだ。なんだ、知らなかったわ。みんな、コイビトだったのね」
 あどけない少女の口から発せられたその言葉に、恋人たちはよけいに照れたようだった。リンツは半ば呆れたような顔で、苦笑して問い返している。
「おまえなあ、わかってて、言っているのか?」
「知ってるもん。パパとママみたいに、とても仲のいい男の人と女の人の二人組を、コイビトって言うんでしょ? ママが言っていたことがあるもの。パパとママはコイビトみたいねって」少女は無邪気な口調で答え、
「まあ、たしかにね」一同は顔を見合わせ、苦笑し、それから笑った。




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