Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第3章 迫り来る時 (4)




 それから四日後、彼ら五人は次の場所へと移動した。そこは第四連邦中部の森林地帯で、小川の上流に天然の洞窟もある。彼らはそこを基地にして、十日間暮らした。食料は近隣の都市や、少し離れたコロニーの畑から集めてきた。そしてさらに次の移動を行って、第五連邦内の大きな湖の畔にやってきた頃には、もう七月、季節は夏になっていた。
 彼らは逃亡生活を長く続けるうちに、自分たちの能力がだんだんと強くなっていくのを感じていた。リンツの瞬間移動能力は、五人一緒の長距離ジャンプを繰り返すうちにどんどん強力になり、一緒に持っていける重量も大きくなり、負担をかけずに飛べる距離も長くなっていった。回復力も、以前よりかなり早くなっている。アレイルの透視力や予知力もより広範囲に、またより深くなっていったし、エマラインはかなり広範囲の思考を察知できるようになり、サイコメトリー能力もかなり強力になっていった。
 彼ら五人が一緒に逃亡生活を初めて、もう二ヶ月半になろうとしていた。夏の日差しは暑く、虫に悩まされる以外、野外生活は非常に快適な環境になっている。少々暑すぎることはあったが、そんな時には、できるだけ日陰を探して休んだ。彼らは戸外での生活を続けるうちに、強くなったのは特殊能力だけではないことに気が付いていた。都市に住んでいた頃に比べて、身体が健康になり、丈夫になってきたことを、みなは感じていた。一日中外で活動し、夜は渡りすぎる風の音を聞きながら、深い眠りにつく。そして夜明けとともに訪れる自然な目覚めは、一日の新たな活力とさわやかな気分を運んできてくれた。政府の追っ手という大きな影にいつも悩まされてはいたが、彼らには今の生活を楽しむ心のゆとりさえ、出来ていたのだ。
 小さなミルトは、みんなの中で唯一政府の影に悩まされることなく、野外生活を楽しんでいるようだった。もうパパやママ、それに大きいお姉さんのことはすっかり忘れたかのように、新しい生活に慣れて、新しい仲間たちにも、すっかりなついている。そのおまけとして、三人とも髪の毛を引っ張られたり叩かれたり、小さないたずらにも良く悩まされたし、ことにリンツは何回もお気に入りの自動車ごっこにつきあわされて、エアロカーの役をやらされ、幼子を乗せて四つんばいで歩いたり跳んだりしなければならず、すっかり閉口しているようだった。ミルトは良く薪や鍋、野菜などの周りのものを、空中にふわふわと浮かせて遊んでもいた。しかし、機嫌のいい時にはそれだけですんだが、ひとたびかんしゃくを起こすと、あたりは大混乱になる。森の木をいっぺんに二十本ほど、なぎ倒してしまったこともあった。
「このちび助爆弾を、どうしたもんかねえ。こいつは手に負えないぜ」
 リンツは半ばうんざりしたような口調で、そう言ったものだ。
「まだちっちゃくて、何もわかっていないのよ」
 エマラインは今も木の葉を舞わせて遊んでいる幼児を見守りながら、微笑んだ。
「でもたしかに、あの子の力は強力ね。今は何もわからないでしょうけれど、大きくなって自分の力を理解できたら……あの子にちゃんと制御できるかしら」
「無垢の力ってところだね、今は」
 アレイルも無邪気に遊んでいる幼児の姿を眺めながら、微笑を浮かべていた。
「あの子は、今は何にもわかっていないよ。自分の力だって、便利なおもちゃくらいにしか考えていないんだろうね。でもあの子が大きくなって、はっきりとした意志を持つようになったら……今は未知数だよ。だから僕らで出来るだけ、正しい方向に導いてやれるように努力しなくちゃね」
「そうね、それがわたしたちの義務かもしれないわ」
 エマラインは頷き、そして声を上げた。
「あら、あの子、今度は何をする気かしら」と。
 ミルトは木の葉を舞わせるのに飽きて、湖の畔に近づいていったのだった。
「危ないわよ、ミルト。あんまりお水に近づいちゃ、だめ!」
 シェリーが声をかけている。
「おみず、あちょぶの」ミルトはくるっと振り向き、にこっと笑った。と、いきなり沖合の水が、噴水のように高く吹き上がる。
「わーい、きれい、きれい!」幼児は声を立てて笑い、手を打ち合わせた。
「あら、本当にきれいね。それにほら、お水のしぶきの中に、小さい虹が見えるわ」
 シェリーが指さしながら、感嘆の声を上げた。白く吹き上がった水に太陽の光が乱反射し、七色の光が斜めに弧を描きながら、飛び散っている。
「あら、本当ね。初めて雨上がりの虹を見た時も感激したけれど、空だけじゃなくて、水にも虹は架かるのね」エマラインも、うっとりと眺めた。
「本当、外にはいろいろと、おれたちの知らなかったものが、いっぱいあるんだなあ」
 リンツは不思議そうに、目の前の光景を見ている。その言葉はまた、全員が感じている思いだっただろう。

 新しいキャンプの近くにコロニーの跡地はなかったので、野菜の調達は難しかった。彼らは持ってきた野菜を出来るだけ大事に食べ、パンやミルクは六十キロほど離れた第五連邦の第十一都市から調達してきた。
 今度の場所には野菜はないが、しかし新しい自然の贈り物を発見した。南に十キロほど離れた場所に、南に傾斜していて日当たりの良い、一面クローバーに覆われた斜面がある。そこに、野生のイチゴがたくさんなっていたのである。その光景はまるで緑の絨毯に、赤いガラス玉をおびただしくまいたように見えた。彼らはそれを集め、最初は恐る恐る口に入れた。
「おいしーい! 甘くて!」シェリーが目を丸くし、感嘆の声を上げる。
「本当ね。甘いものなんて、久しぶりだわ。クリスマスのチョコレート以外、甘いものは滅多に食べたことがなかったんですものね。でも、これはあのべとべとしたチョコレートなんかより、ずっとさっぱりして、気分まですっきりするような甘さだわ」
 エマラインは弾んだ口調で言った。
「うーん。うまい」リンツは口いっぱい頬張って、うなっている。
「でも、惜しいよなあ。あんまり腹の足しにはなりそうもないぜ」
「たくさん食べれば、そうでもないよ。でも、そこまで食べられるかどうかはわからないけれどね。飽きる方が早いかもしれないから」アレイルは少し笑っていた。
「わたしは飽きないわよ。でも、たしかに食事という感じではないわね。パンとミルクと一緒に食べたら、素敵な食事になりそうだけれど」
「飽きてないのが、そこにもいるぜ。おーい、シェリーにミルト、あんまり食べると、あとで腹が痛くなったりするかもしれないぞ!」リンツが呼んでいる。
 二人ともその間中、イチゴを摘んではせっせと口に運んでいたのである。
「だって、おいしいんだもん。ね、ミルト」
「うん!」
 二人が顔を上げると、エマラインは思わず笑って声を上げた。
「あらあら、二人とも、あとで顔をふかなくちゃね。口の周りが真っ赤よ」

 彼らはそれからしばしば、その場所にイチゴ摘みに出かけた。新しい場所に移ってから九日目のその朝も、食事を済ませたあと、エマラインはシェリーとミルトを連れて、イチゴを摘みに出かけていた。リンツは三人を連れてきたあと、すぐに帰っていった。またお昼前には迎えに来てくれるはずだ。
 野原はまだ朝露の名残で少し濡れていて、草の上にとまった水の球が太陽の光を反射し、きらきらと光っている。エマラインとシェリーはズボンの裾が濡れないようにたくし上げ、上着の袖も折り返した。そしてミルトのズボンと袖もまくり上げてやってから、草の上にテーブルクロスを広げた。それは逃亡中に都市の住居から持ってきたものだが、ちょうどその日、その家では新しいクロスを買ったばかりだったことを、アレイルは能力で知り、それならあまり迷惑はかからないだろうと、古い方を失敬してきたのだ。そのテーブルクロスの上に、摘んできたイチゴを積み上げていく。ミルトは草の中にダイビングしたり、イチゴを手当たり次第採っては食べたりしていたが、そのうちにこの方が手っ取り早いと思ったのか、二人が摘んでおいたイチゴの山の中から、勝手に取って食べている。そしてお腹がいっぱいになってしまうと、今度は虫を追いかけて遊びだした。その間も二人の娘たちはせっせとイチゴを摘み、時おり自分たちの口へ入れてのどを潤すほかは、ミルトが食べてしまった分を補ってあまりあるほど、収穫した。
「もう、このくらいでいいかしらね」
 ついにエマラインは顔を上げ、山のようになったいちごを眺めた。
「たくさん取ったわね。みんなでお昼に食べましょうよ」
 シェリーがうれしそうに、クロスの裾を結んで袋にしている。
「そうね。ああ、でもそろそろ、イチゴも終わりね」
「ずいぶん食べたものね」
「ええ。でもそれだけじゃなくて、もう小さな実があまり残っていないわ。今年とれる分はおしまいなのね。次の収穫は、来年まで待たないとね」
 エマラインはいちごの袋を傍らに置くと、草むらに腰を下ろした。
「来年、またここに来れるかしら」
 シェリーも続いて草の上に座り、遊び疲れて自分の膝によじ登ってきたミルトを抱き上げながら、首を傾げた。
「来られるといいわね」エマラインは静かに頷く。
 シェリーはしばらく黙って弟を抱いていたが、やがて吐息とともにぽつんと言った。
「でもあたしたち、来年まで生きてるかしら」
「生きていると信じましょうよ。たとえ、いろいろ難しいことが多くてもね。生きることを、諦めたらだめよ。生きているのは楽しいでしょう、シェリー」
「うん、楽しいわ。あたし、ずっと生きていたい」
 シェリーは頷いて、下を向いた。激しく瞬いた眼から、涙が頬に零れ落ちていく。
「あたし、死ぬのはいや。パパやママやカレンお姉ちゃんはいないけど、今だって楽しいもん。ミルトもいるし、エマラインおねえちゃんやアレイルおにいちゃん、それにリンツもいるもん。あたし、お外で暮らすのって好きよ。ずっと十日くらいで場所を変わっていっても、それだけいろんな所へ行けるし。あたしこれからもずっと、来年も再来年も……ずっとこうして生きていたいわ」
「そうよ。ずっと生きていきましょう。あなたたちが大きくなって大人になって、おじいさんおばあさんになるまで。わたしたちは、政府なんかに負けられないわ」
 エマラインは少女の震える肩を抱きしめた。
「ぼく、やっつける!」
 ミルトが姉の膝から顔を上げ、無邪気な口調で声を上げる。
「そうね。敵なんか、やっつけちゃおうね! 頼りにしてるわ、坊や」
 エマラインは笑って、子供の小さな頭に頬を押し当てた。
 七月の太陽は暖かく、時には暑く、三人の上に降り注いでいた。一陣のさわやかな風が起こり、クローバーの原をさあっと吹き過ぎていく。その風の音とともに、エマラインの耳に小さなささやきが聞こえたような気がした。
(もっと生きていたかった……幸せになりたかった。死にたくない……)
 まるですすり泣いているようなその声に、エマラインは思わず頭を起こした。風に吹かれ、緑の中に、銀色の波が立っている。その中で、何かがきらりと光ったような気がした。エマラインは立ち上がってそこへ行き、探してみた。金色の指輪が、クローバーの根元に落ちていた。長い間風月にさらされたために幾分くすんではいるが、それでもなお黄金に輝いている、透かし彫りの小さな指輪だ。
「これは、何かしら」エマラインは不思議そうに手にとって、じっと見つめた。
「わあ、きれいね」シェリーがのぞき込んで、感嘆の声を上げている。
「あたし、知っているわ。それ、指輪でしょ。指にはめるのよ。ママが一つ持っていたの。ママのは銀色だったけれど、きれいだったわ。パパが結婚する時に、くれたんですって。ねえ、それもそうかしら」
「わからないわ。だってわたしのお母さんは、こんなアクセサリーは持っていなかったんですもの。でも、本当にきれいね……」
 エマラインはそれを陽に透かしてみた。
「あら、内側に何か書いてあるわ」
「じゃあ、きっと同じだわ。ママのも、そうだったもん。なんて書いてあるの?」
「『三四〇〇・七・一三  TからBへ。愛を込めて』――あら、じゃあこれはまだ、六百年くらい昔のものね。世界連邦が出来たのが、確か新生紀元の三三一三年だから、これは今の連邦が出来てからだわ。まあ、なぜこんなものが、ここに落ちていたのかしら」
 エマラインは首を傾げた。次の瞬間、彼女はその答えを知った。手にしたその指輪が語ってくれたのだ。その持ち主に関する、すべての物語を。
 この指輪をつけていたのは、今から六百年近く前にこの近くにあった都市(数字ではなく、ネオ・トーキョーと呼ばれていたらしいが)に住んでいた、当時二三歳の女性だった。彼女の都市には、その当時ある革新的な人物が、市長の座に着いていた。そして彼は、その三年前に就任した新しい世界総督の打ち出した新政策に対し、異議を唱えたのだった。当時の総督は反対意見に全く耳を貸さず、もし自分の政策に従えないのなら、その都市の存続を認めないと脅した。それでも反対を叫び続けたその街の市長と市民たちに対し、ついに攻撃に出たのだった。市民たちは果敢に抵抗したが、しかし数の上で圧倒的に勝る政府軍に抗しようもなく、戦端が開かれて数日で、都市は壊滅的な打撃を受けて敗北した。市長はとらえられて、みせしめのために残忍な方法で公開処刑に処され、かろうじて生き残った一部の市民は全て他の都市へと強制的に連行されて、一生牢獄で、過酷な労働を強いられたのだった。
 この指輪の持ち主であるブレンダ・シュミットという女性は、都市が陥落する時に敵の手を逃れ、半年前に結婚したばかりの夫とともに、必死でここまで逃げてきたのだった。しかし彼女は敵の攻撃で傷を負い、ここまで来て力尽きたのだ。夫も負傷しており、ここで妻とともに息絶えた。そう――これはかつて壊滅させられたコロニーの跡地で、共感した思いに似ている。ただ違うのは壊滅させられたのはコロニーではなく、もっと人の多い都市だったということ。そして明らかに世界連邦の創立後に起きた事件だったということだった。
「おねえちゃん、泣いてるの?」
 シェリーが不思議そうに声をかけた。指輪の持ち主の心――絶望と悲しみ、そしてもっと生きたかったという、消え去った未来に対する切ない願いがエマラインの心を激しくふるわせ、目に涙を流させたのだった。この指輪は、その最後の思いを吸収し、その声を放ったのだろう。遠い遠い昔のこだまを。でも、その最後の切望――幸せなはずだった未来を生きてみたかったという思い。それは、ほんの数分前に自分たちが交わした会話と、なんと似ていることか。でもこの女性を取り巻く環境は、あまりに過酷すぎたのだ。
「この指輪の持ち主は、かわいそうな人だったのよ」
 エマラインは涙を拭い、そっとその指輪を土に埋めた。しかし詳しい物語は、少女には何も話さなかった。

 エマラインは拠点に帰ると、アレイルにだけはその物語を語った。そして聞いた。
「あなたは気が付いていたでしょう? この近くに都市の廃墟があったのを」と。
「ああ、ここからだいたい南東に十五、六キロくらい離れたところに見つけたけれど。でもコロニーのあとじゃないようだったし、畑の跡地もなかったから、食料はとれないと思って、何も言わなかったんだ。でもあの街に、そんな経緯があったなんてね……」
「ねえ、わたしをそこへ連れていってくれないかしら。この目で見たいの」
「え? でも君はこの前コロニーの廃墟に行って、もういやだって言っていたし、大丈夫かい? 見ても、あまり気分のいいものじゃないよ」
「そうでしょうね。でも……なんだか、どうしても見てみたいのよ。言ってみればそこの人たちは、この政府に対する最初の反逆者でしょ。どうしてそんな気になったのかを、知ってみたい気がするの」
「たしかにね。でも行くのなら、リンツに頼まなきゃ。十キロ以上も離れているんだから、歩くと四時間くらいかかるし、ミルトもいるから無理だよ」
「そうでしょうね」
 頷きながら、エマラインは思った。それだけ長い距離を、あのブレンダ・シュミットという女性とその夫は、二人で手に手を取って、歩いてきたのだ。いや、正確には、あの地点からは十キロほどだが。夫婦は最初の三キロほどは、走って逃げた。雪の中を、政府軍に追われながら。そして二人は背中を撃たれた。それでも夫婦は前に進み続けた。よろよろと前に進む二人を、さらに撃とうとした部下を、上官が制した。「放っておけ。あのケガでは、どのみちすぐに死ぬ。ひと思いに殺すより、野垂れ死にさせてやれ」と、かすかな笑いを浮かべながら。部下たちも「確かにそうですね」と、薄笑いを浮かべて答え、他の逃亡者たちをとらえるために、その場を去っていった。それから七キロもの距離を、二人は歩いたのだ。遠くへ行けば、逃れられるかもしれない。自分たちも命が助かれば、そこで生きられるかもしれないとの思いで、最後に力尽きるまで。雪の上に点々と落ちる血痕。つながれた手――それは、指輪を手に持っていた時に、彼女が感じた映像だった。エマラインはかすかに身震いし、自らの身体に手を回した。

 その日の午後、二人はリンツに用件を話して、その遺跡へと行った。シェリーとミルトも、二人だけで残しておくわけにはいかないので、一緒だ。
 都市の廃墟は、広い円形状をしていた。大きさはアレイルやエマラインがいた第二連邦第十二都市より、半径にして二、三キロ大きそうだ。周りをぐるりと高さ一・五メートルくらいの堅いコンクリートスティール製の壁が取り巻いていて、その上五十センチくらいの幅で、透明な特殊樹脂の壁が出ていた。
「これは……アグノイトだね」
 アレイルは透明樹脂の壁に触れ、すっと指を走らせた。
「アグノイトって……あの、ダイアモンドと同じくらい堅い樹脂?」
 エマラインも手を上に伸ばして壁に触れながら、そう問い返す。
「そう。この都市のドームは、このアグノイトで出来ていたんだ。それにこの下の壁は……ほら、合成メタルだよ。たしか耐熱温度が、五千度くらいあるものだ。衝撃にも強いし。だから、見てごらん。都市の内部はほとんどめちゃくちゃになっているけれど、この壁は変形さえしていない。ちょっと中が黒くすすけているだけだ。今でもすべての都市がこのアグノイト製のドームを使っているけれど、外から遮光フィルムを貼って、中に光が入らないようにしている。でも、これだけ外壁が頑丈で、しかもアグノイト製のドームだったら、ドームを閉じたままにしておけば、政府軍の攻撃だってかわせたはずなのに、このドームは開いてる。明らかに開いたままで、攻撃を受けているんだ。なぜだろう……」
「きっと政府の奴らが、ここを攻め落とした後で、自分の軍勢を入れるために開けたんじゃないのか?」リンツが頭をぽりぽりかきながら、そう言う。
「バカねえ。攻撃された時もう開いてたって、さっきアレイルおにいちゃんが言っていたじゃないの、聞いてないの? それに最初の敵は、どうやってドームの中に入るのよ」
 シェリーが首を振った。呆れたような口調だ。
「ああ、そりゃそうだなあ。じゃあ、どうしてだろう」
「わたしもよくわからないけれど……ひょっとしたら、この都市の内部からだけじゃなくて、中央政府の方からの操作で、このドームは開いてしまったんじゃないかしら。だって、世界連邦の都市全部が、中央にある一つの大きなコンピュータで統制されているわけでしょう?」エマラインは壁に指を滑らせながら、答えた。それは、その壁から知った知識だ。
「ああ、きっとそうだね。じゃあ、最初からこの都市は、政府の手の中にあったわけだ。それじゃ、どう戦っても、絶対に勝ち目はなかったことになるね」
 アレイルは改めて廃墟に目をやっていた。
 それは以前見たコロニーの廃墟より、はるかに大きなものだった。崩れているのは小さな家ではなく、高層ビル群。コンクリートの隙間には雑草が茂っている。中央部にあった、元の中央庁舎と思われるビルは粉々に砕けて黒い残骸と化し、その周りを幅五百メートルほどの、元は公園だったらしい区画には多くの木が再生して茂り、地面は緑に覆われていた。しかしあとは一面、灰色の残骸となってすすけている。
「なぜ、ここの人たちは、とうてい勝てるはずのない戦いを挑んだのかしら……」
 エマラインは崩れ落ちたビルの残骸に腰を下ろして、そう呟いた。その時、彼女はこの都市の跡地全体から立ち上っている気を感じた。それは人間としての誇り、そして勇気。自由を失い、人間としての心を失うくらいなら、戦って死んだ方がまだいいという気概。彼らは今の社会の姿を、予想していたのだろうか? 完全に抑圧され、心を失った世界を。今、社会の外に立ってみて、彼女はそのことを痛切に感じていた。仮に自分たちが許されて、元の社会へ戻れるとしても、二度と帰りたくはない。社会の鎖を断ち切って、政府から追われるアウトサイダーになって初めて得た自由、友情、そして自然の恵み。こうしたものを全て失ったら、もう自分は生きてはいけないだろう。この都市の人々は、まさにこういったものを欲していたのだった。それを求め、勝ち取ろうとして、最初から勝ち目のない戦いを挑んだのだ。そこにあったものは、恐怖ではなく、勇気。それも決して自暴自棄な勇気ではなく、自尊心と自負心に裏打ちされた、強い心なのだ。そして、さらにもう一つの思いが、強く彼女を揺さぶる。
(自分たちは、勝つことが出来ないだろう。しかし、戦う心だけは残せる。いつか後世の人々が我々の戦う勇気を知ってくれたら、そしてそれが人々の中に引き継がれていったら、いつか本当に勝利を収めることが出来るかもしれない。だから、我々は戦うのだ。自由のために。そして、我々の子孫たちのために)
 勇気――戦う勇気。エマラインは心の中で反復した。そう、そこに鍵がある。自分たちが今得ている自由を、生命をずっと長らえるために必要なのは、それかもしれない。このまま政府の目を逃れて逃げ回っていても、いずれは終わりが来るだろう。今朝シェリーにああは言ったけれど、来年、再来年の命など、たぶん保証は出来まい。逃避行には限界があるはずだ。それなら自分たちの取る道は、二つしかない。残された限界ある日々を精一杯楽しく過ごすか。それとも、思い切って政府に反旗を翻すかだ。しかし、果たしてそんなことが可能だろうか。
 今朝、ミルトは『やっつけてあげる』と言った。幼い子供の言葉には、単純だが明白な真実がある。自分の幸福を邪魔するものを排除すれば、道は開けるのだと。でも、それはとうてい生やさしいことではない。相手は、巨大な政府組織なのだ。いわば、世界全体を敵に回すに等しい。自分たち五人だけで、世界を相手に戦うなど、この都市の人々が抵抗した以上に無謀なことだ。たしかに、どう考えても不可能だ。でも、それは本当に百パーセント不可能なことなのだろうか。いや、たとえだめだとしても、彼らのように自分たちも、せめて“勇気”を後世の人たちに伝え、“希望”をつなげるかもしれない――。
「エマライン、そろそろ行こう」
 アレイルにそう声をかけられて、彼女ははっと我に返った。
「ええ」彼女は短く頷くと、立ち上がった。
「でもね、わたしここに来て良かったと思うの。貴重な教えを、一つ受けたわ」
「貴重な教え?」
「ええ。あなたにも知って欲しいんだけれど……まだ、リンツやシェリーには話したくないのよ。余計な心配をかけるだけですもの。まず、あなたの意見が聞きたいの」
「わかった。じゃあ今夜、みんなが寝てから、少し話そう」
「ええ」
「おーい、早く帰ろうぜ!」
 リンツが向こうから、そう叫びながらやってきた。
「なんかさ、廃墟ってのは、不気味でさ。おれ、好きじゃないんだよ。コロニーもそうだったけど、ここは大きいからよけいだな。おまけにさっき、ミルトが壊れた建物のかけらで手を切っちまってさ。シェリーが治したけどな」
「そうだね。ここは子供の遊び場にするには、危なすぎるよ。時々瓦礫も落ちてくるしね。かなり陽も傾いてきたし、もう帰ろう」
 アレイルは小さく首を振り、苦笑を浮かべていた。
 彼らは拠点に戻り、以前の避難先から持ってきた最後のジャガイモをゆでたものと、パンとミルクで夕食を取った。

 濃く深い灰青色の夜空に、無数の光の穴を開けたように星が輝いていた。まるでそのまま輝く雨となって、きらきらとこぼれ落ちてきそうな数だ。中天を過ぎたところに、金色の大きな丸い月が輝いていた。ときおり柔らかく涼しい風が吹きすぎると、木々の梢の揺らめきや、湖の水面に立つさざ波の音が聞こえる。身体の下の草むらからは、まだ昼間の太陽のぬくもりが伝わってくる。
 リンツとシェリーは、毛布にくるまって、ぐっすりと眠っていた。ミルトは毛布をけ飛ばしてしまい、姉の足下で大の字になって眠っている。エマラインは起きあがって彼を元の位置に寝かせてやり、上から毛布でくるんでやった。そして再び横になると、毛布を身体の上に引き上げながら、そっと声をかけた。
「アレイル、起きてる?」
 しばらくしてから、小さな声で返答があった。
「ああ、起きてるよ」
「良かった。みんなが寝るのを待っているうちに、あなたまで眠ったのかと思ったわ」
「大丈夫だよ。それになんだか、今日は目がさえてるんだ。君の話って、なんだい?」
「ええ、わたしね……」
 彼女はあの都市で感じた印象をもう一度語り、そして問いかけた。
「あの都市の廃墟で、わたしは勇気を教わったの。戦う勇気を。ねえ、あなたはどう思う?わたしたちが戦うっていうのは、無謀なことかしら。でも、いつまでもこのままでは、いられないと思うの。きっといつか政府に見つかるわ。いいえ、あなたの力を信用していないわけじゃないのよ、アレイル。でも、あなたとわたしとリンツと、シェリーとミルト、みんなの力を合わせてがんばっても、ずっと逃げ続けていくのには限界があるんじゃないかしら」
「そうだね。限界は来るよ。どんなにがんばっても」
 アレイルはしばらく黙った後、そう答えた。
「政府の監視網さえなければ、外の世界で、僕らはいつまでもこうして生きていられるだろうけれど。でも現実には、僕らはいつも行方を追われているから。ずっと逃げ続けるのは不可能だよ。僕だって、自分の力の限界は感じてる。君が言うように、みんなの力を合わせて精一杯がんばってみても、いつかは追いつめられて、最後が来るんだ。秋になるまで生きることさえ、難しいだろうね」
「もう、そんなところまで来ているの?」
「そうだよ。僕らが長く逃げ続けていれば、それだけ政府のコンピュータに与えられるデータも多くなる。相手にとって、僕らの行動がだんだんたやすく予測できるようになる。どんな場所を好んで移動しているのか、立地条件、気象条件を考えると、どういうところを選ぶのか、どういうパターンで行動しているのか。僕らが逃げれば逃げるほど、相手はこっちの手の内を知っていく。僕らが相手にしているのは、人間じゃないんだよ。データ処理や分析能力に関しては、人間より遥かに優れた、政府の巨大コンピュータなんだ。僕はそんな化け物の裏をいつまでもかき続けていく自信はとうていないし、打てる手も、どんどん限られていってしまう。これから状況は、悪くなる一方だと思うんだ。そして最後には……きっと相手が勝ってしまうんだろうね」
「そんな悲しいことを言わないで、アレイル。お願いだから」
 エマラインは暗澹とした気持ちに襲われ、思わずそう哀願したが、たしかにそれは事実なのだろうという確信もある。一見平和で幸せに見える毎日の生活が、実は常に発見される危険と隣り合わせであるという事実が、冷酷に彼女を揺さぶっている。
「悲しいことだけれどね。これが現実なんだ」アレイルは静かに言葉を継いだ。
「それにもう一つ、僕らが長い間逃げることが不可能になる、決定的なことがあるんだ。政府は今、偵察衛星を作っているんだよ」
「え? 衛星? あなたが最初のコロニーで見たのと同じもの?」
「ああ。でもあれは前の政府が飛ばしたものが、まだ軌道を回っているだけなんだ。直接、今の政府とは関係ないよ。でも今度は、政府が打ち上げようとしているんだ。二台。今連邦政府が作っているのは、千年前の設計図と同じだけれど、一回軌道に乗ったら、一時間で地球を周回するんだ。北半球と南半球、それぞれ一台でカバーして、人が住めそうな気候の場所を、それで集中チェックする予定なんだよ。少しずつ軌道を変えて周回して、めぼしい場所をざっとチェックするのに、一日もかからない。そのデータは、すべてコンピュータに直結するわけなんだ。つまりさ、外にいてもチェックが来ることになるんだ。しかも、隠れてもだめなんだよ。衛星のカメラが取っているのは、単なる写真じゃなくて、細かく映像を解析できて、生き物を判別できる赤外線も付いているんだから。もちろん動物なんかにも反応するだろうけれど、大きさや形態でわかってしまう。だから僕らがそこにいる限りは、どんなに隠れても見つかってしまうんだ」
「じゃあ、それが完成してしまったら、もうわたしたちは逃げられなくなるのね」
「そうなるだろうね。でも、長い間宇宙開発をやっていなかった政府が人工衛星を二台作るのには、少し時間がかかるらしい。設計図だけしか残されていないから、それに必要な機械やロボット、そういうものの制作から始めなければならないからね。そう……あと一ヶ月くらいは必要だ。それまでは、なんとか僕らも安全だけれど……」
「まあ……」エマラインは思わず絶句した。
「君は戦うことは無謀かって、最初に言ったよね」
 アレイルはしばらく黙ったあと、そう言葉を続けた。
「でも、そのことは僕もずっと前から、考えていたんだ。道はないように思えるけれど、もし僕らに未来を作りたいのなら、自分たちで切り開いて行くしかないって。そのためには逃げるんじゃなくて、立ち向かっていかなければだめだって。つまり、僕らが生きていける未来を開くには、今の政府を転覆させる以外に手はないんだ。でもそれはなんだか、とても不可能なことに聞こえないかい?」
「それはわたしも認めるわ。本当にそうよね。わたしたち五人だけで、世界を転覆させるなんてこと、とうてい出来るわけがないわ」
「そう……とても出来るはずがない。僕もそう思ったんだよ。でもね、何かが納得しないんだ。どう考えてもだめなはずなのに、僕が未来を見ようとすると、みんなが生きていかれる道が一つだけある……それだけは、わかるんだ。それは、まったく不可能なことではないって……どうしてもそんな感じがするんだ」
「ええ、どういうこと?」エマラインは思わず片ひじをついて、身を起こした。
「そんな途方もないことが、可能だって言うの? あなたの力が、そう告げているの?」
「うん。どうもそうらしい。でも、僕にもはっきりとはわからないんだ」
 アレイルも身を起こし、相手の方に向き直って座ると、頭を振った。
「だけど、理論上は絶対に不可能でも、どこかに道があるはずだ……そんな気が、ずっとしている。それを探すことが出来れば、そして僕ら五人の力をフルに生かして、助け合って戦えたら、不可能は可能に変わるかもしれない。そんな途方もないことを感じるんだ。でもその道が何か、それは全然見えてこないんだ。深い霧がかかった感じで、まだ闇に閉ざされている。でももし、それが見つけられたら……」
「わたしたちに、未来の可能性はあるのね!」
 エマラインは身体の中から震えるような興奮を感じた。
「当然、かなりの危険が伴うだろうけれどね」
「それはそうでしょうね。でも、このままいても、そんなに長く逃げていられないのなら、戦う勇気を持ちたいわ。可能性があるなら、なおさらよ」
「そうだね。でも、みんなの意見も聞いてみないと。まあ、ミルトには無理だけれど、リンツやシェリーにはね。でも、まだその時期じゃない。反旗を翻すにしても、まだまだ機は熟していないんだ。今はまだ、どうやっていいのか全然わからない。だから……」
「時間が必要なのね。わかったわ。じゃあ、あなたの中で道が見つかるまで、リンツやシェリーには何も言わないでおきましょう。あの子たちに、今からいろいろな心配をかけたくはないもの」
「そうだね。この問題は、僕には深い迷路みたいだよ。それに、僕たちに世界が変えられるのだろうか。仮に変えられたとしても、僕たちなんかが変えていいんだろうか。それが、少し不安なんだ」
「わたしたちに世界が変えられるか、それはわからないけれど、でもこの世界は、変わらなければならないわ、絶対。あなただって、今の社会が正しいとは思わないでしょう?」
「ああ。それはたしかにね。今の世界は不幸だって、僕も思うよ」
「だったら、やっぱり変えていかなくっちゃ。わたしたちがそれだけ偉いかどうかなんて、この際考えないでおきましょうよ。そんな自信は、誰だってないに決まっているから。でもね、わたし今までの世界を離れてみて、自分たちがどんなに抑圧されてきたか、人間としての生きる喜びを奪われてきたか、どれほど貴重な贈り物を与えられずに生きているのか、よくわかったの。今の社会は、人間本来の姿を見失っているわ。だから、もしわたしたちに変えられたとしたら、もっと世界は良くなると思うの。だからといって、わたしたちが新しい世界の支配者になろうなんて、そんな大それたことは考えられないけれど。でもわたし、心を失った今の人たちに、もう一度人間になって欲しいのよ。魂を持った人間に。そのお手伝いが出来るとしたら、こんなにうれしいことはないと思うの」
「そうだ、君の言うとおりだよ、エマライン。たしかにそうだ。君の言葉ではっきりしたよ。僕は迷っていたんだ。この世界はたしかに間違っているけれど、一般の人たちが果たして変化を望んでいるのか、それが確信できなくて。でもみんなが変化を望んでいないにせよ、チャンスは与えられなければならないんだ。そう、たぶん僕たちはこの世界を転覆させられたとしても、新しい支配者には絶対にならないだろう。そうなんだ」
 アレイルは立ち上がり、しばらく黙って暗い湖面を見ていた。まるで、湖の彼方の幻を見ているように。
「誰かが……待っているんだ。僕たちが来るのを」
 ささやくように小さな声で、彼は言った。「時の向こうから……誰かが僕たちを待っている。僕たちが開く道は……彼らによって決められたんだ。連邦が出来る時に。だから……」




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