Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第3章 迫り来る時 (3)




 細い道をしばらく歩くと、突然家並みがとぎれ、広い場所に出た。そこにはいろいろな草が、雑然と茂っている。草原に生えていたような草に混じって、見慣れない植物が多く見られた。背の高いのや低いの、丸い葉っぱやとがったもの、まだ明らかに成長段階にあるものから、花の咲いているもの、実の入ったものまで、いろいろな草がごたまぜになって入り乱れている。その奇妙な草むらは、百メートルほど南にある柵の所まで続いていた。東側の境界は森になっていて、西側はかなり遠い。この奇妙な草むらは、どうやら町を半周近く、ぐるっと取り囲んで続いているようだ。
「なんだ。変わった原っぱだなあ。でも、これのどこがおもしろい物なんだ?」
 リンツが周りを見回しながら、首をひねっていた。
「これは……畑なのね! 昔はここで野菜を作っていたんだわ。それが今も残っているのね」エマラインはかがみ込んで、足下に伸びている見慣れない草の葉に触れながら、何度も頷いた。
「そうだよ。畑に落ちた種や埋もれた球根の中から芽を出して、生長して、枯れて種を落として……途中で消えたものも多いけれど、その繰り返しを八百年も続けてこられた野菜が、ここにあるんだ。すっかり雑草と混ざっちゃっているけれどね。でも野菜の形がわかれば、なんとか区別はつくさ」
 アレイルはしばらく草むらを探すようにした後、薄緑の葉が丸い球になっているものを、その根元を家から持ち出してきた包丁で切り、持ち上げて見せた。
「あった。キャベツだ」
「キャベツって、スープに入っているやつか?」
 リンツが目を丸くして見つめ、そう問い返した。
「そうだよ」
「ええ、本当に? キャベツって、そんな形なの」
 シェリーもその答えに驚き、その塊を触りに来る。
「うそお。ああ……でも、葉っぱよね? たしかに」
「そう。この葉を一枚ずつはがして、それを切ったものがスープに入っているけれど、もとはこんな形なんだ」
「知らなかったなあ。おれ、キャベツって、ああいうひらひらした葉っぱなんだと思ってたぜ、元々」
「あたしも……」
 シェリーがちょっと恥ずかしそうに同意し、リンツが肘でつついてからかっている。
「ほらほら、おまえ、俺のことバカバカ言うけど、おまえだって知らないじゃんよ」
「わたしも見つけたわよ」エマラインが近くにあった、背の高いとがった葉っぱを引き抜いて、その根元に出来た玉を見せながら、ちょっと得意げに笑った。
「これは、タマネギよ。ほら」
「ええ! タマネギってそんな形?」
 リンツとシェリーが駆け寄って、同時に声を上げる。
 それからさらに、アスパラガスやブロッコリー、カリフラワー、キュウリといった野菜が目の前に現れるたび、二人は目を丸くして驚いていた。彼らは今まで、調理済みの野菜しか見たことがなかったのだ。アレイルとエマラインにしても、本物の生の野菜を見るのは初めてだったが、彼らの力がその本来の形を教えてくれた。
「夏になったら、もう少したくさんの野菜が採れると思うよ。トウモロコシやいんげん、トマトやジャガイモなんかも、この畑にはあるようだ。まだ収穫の時期じゃないけれどね。それに、あそこにある茂みはブルーベリーだ。ちょっと甘酸っぱい小さな果物だね。それも夏になったら収穫できるけれど、あと二か月くらい先だね」
 アレイルは周りを見回しながら、そう説明していた。その言葉の奥にある(二か月先には、ここにはいられないと思うけれど)という思いを、エマラインも感じ取ることができたが、あえて彼同様、言葉には出さなかった。
 一行は、住居から持ち出してきた、細いプラスティックで編んだかごの中に野菜を集めた。小さなミルトはまだ野菜のなんたるかが理解できず、ただおもしろい遊びと考えて、手当たり次第、草を引き抜いて投げたり、集めた野菜を放り投げたりして遊んでいたが。
 収穫したキャベツ二玉、玉ねぎ四個、アスパラガス十数本、ブロッコリー三株とカリフラワーを一株、キュウリ五本をかごに入れて、家に持って帰ると、井戸の水をくんで、さっと洗った。井戸は建物や家具と同じく腐食防止コートがされていたので、最初のにごった水のあとには、澄んだ水が湧き出してきていた。
 一同は、とってきた野菜の半分を使うことにし、タマネギの皮を手でむいたあと、家に残っていたまな板――平たい四角い板の上で、他の野菜とともに、適当な大きさに切った。野菜を切るのには、ここにあった包丁が役に立った。さすがに八百年もたっているので、いくら最先端のさび止めが塗布されていても、ところどころに錆が浮いていたが、同じく家にあった砥石と水と使って研ぐと、切れ味が復活した。ミルトに触らせないように、普段は彼の手の届かないところに置いておく必要があったが。キュウリを除いたすべての野菜をそうやって切った後、まとめて鍋に入れ、井戸から汲んできた水と岩塩のかけらを少し入れてから、庭にしつらえてあったかまどの上に鍋をかけた。
 かまどは半球状の形の鉄でできており、長い年月の間にやはり防錆コートもかなり腐食していたが、崩れ落ちる心配はなさそうだった。真ん中に燃料を入れる大きな穴がある。昔は精製された固形燃料を使っていたようだが、それはなかったので乾いた小枝や草を入れ、家で見つけた着火棒で火を点けた。野菜洗いはミルトをのぞく四人でやり、かまどはアレイルとリンツの係、調理はエマラインとシェリーがやった。二人とも初めて包丁を持ったために、扱いには不慣れで、何度も手が滑って指を切った。シェリーがすぐに治せたのは、幸いだった。ミルトはちょこちょこ走り回ってなんでも手を出したがり、せっかく洗って切った野菜をまた土の上に転がしたり、熱い鍋に触りそうになったりと、邪魔になることおびただしかったが、一同奮闘の末、ついに野菜スープができあがった。それを商店の跡地にあったお皿に入れ(もちろん、その前によく洗った)、同じように調達してきたフォークを添えて、ちょっと堅くなったパンと一緒に食べた時、一同は感嘆の声を上げた。「おいしい!」と。
 単純に塩で調味しただけの物なのだが、いろいろな野菜のうまみが解け合って、今までに食べたことのないくらい、美味に感じられた。食料センターから一斉に支給されてくるスープは塩辛く薄いコンソメスープに、申し訳程度に野菜の切れ端が浮いたものだっただけに、多くの野菜がゴロゴロと入っている具沢山のスープは、その甘味や歯ごたえも含めて、一同にはご馳走だった。岩塩をつけたキュウリもみずみずしく、新鮮だった。

 その夜、エマラインはベッドの中でふと目覚めた。もともとあったベッドマットはさすがにボロボロになっていて虫も湧き、とても使えなかったので(都市部ではベッドにマットは標準装備だったので置いていったと思われる)、強化プラスティック製の寝棚の上に、野原や庭に生えていた草の葉を集めて敷き、その上にやはり商店の倉庫だったところから持ってきた布を広げてかぶせて、使っていた。透明な袋に入ったそれは、外側はボロボロになっていたが、布自体は少し毛羽立ったり黄ばんだりしている以外、それほど劣化していない。おそらくこういった形態の商店は、当時でも都市で営業することはできなかったために、置いていったのだろう。それが残っていたのは幸いだったが、草はそれほどたくさんは集められなかったので、寝床は固かった。そのせいで、目が覚めたのだろうか。いや、それだけではない。何か落ち着かない。強い想念が、眠りの中に入りこんでくるのだ。
 エマラインは目を開き、暗い天井をじっと見つめた。この部屋には常夜灯がついていないので、わずかに窓から差し込んでくる月明かりだけが、唯一の光だ。彼女は神経を張りつめ、自分の寝ているベッドから感じられる誰かの思いを受け止めた。それはかつてこの部屋の持ち主だった、この家を去った当時十八歳の娘の思いだった。それがかすかなエコーを伴って、エマラインの頭の中にこだましてくる。
『どうして、ピアジェックを離れなければならないの?』
 娘の苛立ったような哀しそうな声が、遠くから漂うように響いてきた。微かなイメージとともに。黒い髪を長くして肩のところで一つにまとめ、丈の長い赤いワンピースに黒い細身のズボン、袖のない白い作業着のようなものをつけた、背の高い乙女。幻のようなその映像の彼女が、悲しげな表情を浮かべている。『わたしはこの町が好きだわ。都会になんか行きたくない。きっと、息が詰まってしまうわ。わたしは風の音が聞きたい。雨に触れたい。太陽の暖かさを感じたいの。でも都会には何もないんですもの』
『無理を言うんじゃないよ、へスター』
 父親らしい言葉の残像がかすめる。同じように、うっすらとした幻が脳裏に浮かんだ。半白の髪を少し長くしていて、青いチェックのシャツに、紺色の幅広ズボンを着た、中年の男性。その表情は曇り、悲しみとあきらめが入り混じっているようだった。
『政府が決めたことなんだ。一ヶ月以内に、全てのコロニーを閉鎖すると。今はコロニーを襲う暴徒たちが幅を利かせている。今までに相当な数のコロニーが壊滅させられたんだ。いつまでもここにいたら、このピアジェックの町も――私たちが愛するこの町も、焼け野原になってしまうかもしれないんだよ。この町が暴徒に滅ぼされるのを、見たくはないだろう? 政府はコロニーを取り壊しはしないと言った。この町がそのまま残るなら、私たちも、その代償を払わなければならないんだよ』
『わたしも、この町が暴徒にめちゃくちゃにされる所なんて、見たくはないわ。でも、でも……ああ、この町と別れるのは、胸が引き裂かれるようよ。政府は壊しはしないと言ったけれど、でも立入禁止になってしまうんでしょう? もう二度とここに帰ることが出来ないなんて、やっぱり悲しいわ』
『仕方がないんだよ。どうしても受け入れなければならないことが、この世にはあるんだ。逆らえないのなら、出来るだけ適応して行くしかない。おまえはもう十八だ。それだけの強さはあると、信じている。ステファンやレイチェルのためにも、おまえがいつまでもぐずっていては、示しが付かないだろう?』
『ええ。わかっているけれど……』
『それにわたしたちはリヨン市ではなく、パリス市へ行くんだよ。おまえのためにね』
『ポールと一緒の都市へ?』
『そうだ。そこでおまえたちは新しい生活を始めたらいい。私たちは感謝すべきなんだよ、へスター。暴徒の犠牲になったほかの不幸なコロニーのように、このピアジェックが地獄に変わって滅びはしなかったことをね。もしそんなことになっていたら、おまえも私たちも、そしてポールも今頃生きていないか、さもなければ身も心もぼろぼろになって、都会の保護センターにいるだろう。そうならなかったことを、感謝すべきなのだ。そして私たちの愛する町のためにしてやれることは、せっかくこのまま美しく残ってくれた町を、ずっとそのままにしておいてやることだ』
『そのために、わたしたちは黙って去らなければならないのね……』
 娘の心には、さまざまな感情が渦を巻いている。悲しみ、憤り、町と自然への強い愛着――その中で彼女は父の言葉の正しさを認め、ここを去る決心をしたのだった。
(さようなら、ピアジェック。わたしの愛したすべて……もうお別れね。でもわたしには、まだ愛する人が残されているわ。父さんと母さん、ステファンとレイチェル。それに、ポール……ああ、愛しているわ……)
 二十歳くらいの青年のイメージが浮かんで来た。栗色の髪をやはり心持ち長くし、優しげな茶色の目をした若者。その彼が微笑んで手を差し伸べる。そのヘスターという娘が、思い浮かべたイメージなのだろう。暖かく、熱い感情の波がうねって揺れている。その波に揺られるように、エマラインはいつしか再び、深い眠りに落ちていった。

 目覚めた時、部屋には朝日がいっぱいに射し込んでいた。エマラインは起きあがり、窓に歩み寄ると、大きく開け放った。身体を包み込むような、暖かい太陽の光を感じる。風が髪を揺らし、頬をなでていく。彼女は頭の上に広がる青空と、緑の木々の間に点在する家々を眺めた。エマラインは大きく身体を伸ばし、深呼吸した。朝の冷たさと湿り気を含んだ空気が、まるで乾いた身体に浸みとおる清らかな水のように、胸の中から体中に広がっていく。
(へスター・シンクレアがなぜ、ここを出ていく時あんなに悲しんだか、わたしにはわかる気がするわ。もしわたしも生まれた時からここで暮らしていたなら、きっとここがたまらなく好きになっていたでしょうから。あんな非人間的な都会へなんか、行きたくないに決まっているわ。彼女の時代には、今の都市よりはいくぶんましだったでしょうけれど、それでも、こんな暮らしは出来なかったでしょうし。ああ、わたし、ここが好きだわ。ここに来られて、本当に良かった……)
 エマラインは再び大きく息を吸い込みながら、そう考えた。

 彼らはピアジェックの遺跡に、三週間近く暮らした。生活は快適だった。雨露をしのぐ家はあるし、監視カメラもない。南ヨーロッパの五月は、都市の中とほとんど変わらないくらい、穏やかで暖かだった。近くの川で水浴をし、濡れた身体を太陽の光で乾かしても、寒さは感じない。水浴はミルトを例外として、男性組と女性組に別れて行った。彼らは男女の性差に無知で無垢ではあったが、やはり生まれついての本能なのだろうか、いくばくかの羞恥心が働いたからである。食料も不自由はしなかった。果樹の収穫は残念ながら秋まで待たねばならず、ベリーやカランツ類も収穫にはまだ早かったが、少し離れたところにある比較的広い川には、魚がたくさんいた。大きいもので、大人の手のひらくらいの大きさだが、それを木の棒の先を細くとがらせたもので突き、かまどの火で焼いて食べる。女性陣は「かわいそう」と、口にしたが、しかし岩塩をふって焼いた魚のおいしさが勝ったのだろう。「ごめんね。ありがとう」と言いながら、ほおばっていた。
 アレイルは、ほぼ狙いを外すことなく魚を突いていた。百回に一回当たればいい方のリンツは、「上手いよなぁ。なんでそんなに上手いんだ?」と、感嘆したように聞いている。それに対してアレイルは「魚の進路がわかるから」と答え、リンツは「ずるいぞ、それ! おれもその力、ほしかった!」と、声を上げていたりもしていた。
 畑の跡地からは、かなりの野菜が収穫できた。収穫できるものは、相変わらずキャベツと玉ねぎ、アスパラガス、ブロッコリーとカリフラワー、そしてキュウリだけだったが、あっさりしたとおいしさは飽きが来ないようだった。パンやミルクは相変わらず、近くの第七都市から失敬してきた。量が減ってしまうと、その理由として外で生活し、自給しているという推測をされるというアレイルの見通しに従い、増えた人数に見合うだけの量を調達してきたので、一同はかつて感じたことのない、満腹感さえ感じることがあった。さらに一度、都市から全員の着替えを調達し、それまで着ていた服は川で洗濯して草の上に広げ、太陽の光で乾かした。初夏の陽は長く、彼らは日の出ともに起き、日が沈むとベッドに行って寝た。家の中の移動は、夜になると真っ暗になるため、アレイルが持っていた携帯用ライトの光だけが頼りだったが(このライトは光電池内臓なので、昼間外に置いておけば、充電できる。本当の太陽の光は、都市内の疑似太陽光よりもはるかに効率が良いようで、朝置いておけば、お昼になるまでには完全充電できた)、みなすぐに眠ってしまうので、必要な場面はあまり多くなかった。
「このまま一生、ここで暮らせればいいわね」
 ある日、エマラインはそう呟いたが、それは他の四人の気持ちでもあっただろう。とうてい不可能なことだとはわかっていたが、こうして平和に暮らしていると、ひょっとしたらそれも可能かもしれないという思いさえ、湧いてくるのだった。

 しかし現実に立ち戻らなければならない時が、ついにやってきた。ピアジェックの町の跡地に暮らしはじめて十九日が過ぎた日の午後、野菜畑で夕食用の玉ねぎを引き抜いていたアレイルがふと手を止め、空を見上げた。
「あ……」小さな叫びとともに、しばらく上を凝視したあと、手をかざして呟く。
「何かが見てる……僕たちを」
「えっ!」エマラインは驚いて、手に持っていたアスパラガスを取り落とした。
「何、どうしたの? 政府に見つかったの? だって、ヘリなんて飛んでこなかったわ」
「違うんだ。ヘリじゃない。もっと空の高いところ……あれはなんだろう、人工衛星? そこに積んであるカメラが、僕らを見ていたんだ」
「人工衛星って何だ?」リンツが怪訝そうに尋ねた。
「地球の遥か上空を周回している、小型の無人宇宙船だよ。でも、変だな。連邦政府は、宇宙開発なんて、やっていないはずなんだ。時間と労力の無駄だからって。そう……あの衛星は……昔の政府がそのまま飛ばしているものだよ。だから見つかっても、その情報は今の政府には届かない。ありがたいことにね」
「なあんだ、脅かすなよ、アレイル。おれはてっきり政府に見つかったんだと思ったぜ」
 リンツはほっとしたように息をつき、肩をすくめると、自分も落っことしてしまったキュウリを拾い始めた。
「僕も最初は相手の正体がなんだか、わからなかったんだ。ごめんよ、脅かしてしまって。でもね……今のは大丈夫だってわかっても、不安が消えないんだ。少し危険が近づいているのかも……ちょっと待ってて。今、もう少し詳しく探ってみるよ」
 アレイルはしばらく空を見上げ、それから片手を頭に当てると、畑の中に座り込み、目を閉じてうつむいた。今、彼の能力はフル稼働の状態にあり、現在と近い未来の探索中であることは、ミルト以外の他の三人は知っている。彼らはみんな作業の手を止めて、待っていた。
 しばらくするとアレイルは頭を上げ、ふうっとため息を吐きながら立ち上った。
「行かなければ、だめだ。ここは本当に、良いところだったんだけれど……もう危険がかなり迫ってきている。明日の午前中に、移動しないと」
「ええ、もうそんなに危なくなっているの?」
 エマラインは驚きと落胆の中から、そう叫んだ。
「ああ。政府のコンピュータが、都市外に潜伏している可能性があるって、はじき出したようだ。一番怪しいのはコロニーの跡地。ある程度生活機能が残っているからね。そして時々食料がなくなる第七都市のそば。つまり、ここなんだ。連中の読みは正しいよ。残念ながら。明日には……ここに偵察隊が来る。しかも僕らが見つかったら攻撃できるように、武装して来るはずだ。でも、戦闘になるのは避けたいな。いくらミルトの力がすごくても、援軍が多くなって、爆弾でも落とされたらおしまいだし、せっかく残ったこの町も、壊されてしまう」
「町を壊してはならないわ」エマラインは思わず声を上げ、頭を振った。
「昔この町の住人たちがここを去った時、どんなに悲しい思いをしたか、でも愛するこの町を守るために、どんな思いでその悲しみに耐えて、見知らぬ都会へ行ったのか、わかったから……そんな思いまでして守ったこの町が、わたしたちのために壊されたら、わたし、その人たちにどんなに謝っても足りないわ。そうならない前に……やっぱり行かなくちゃ」
「ここは本当に、居心地が良かったんだけどなあ」
 リンツの声は残念そうな響きに満ちていた。
「でもここにいたら、政府の追っ手が来ちゃうんでしょ? あたし、もうあんな怖い思いしたくないわ」シェリーは駆け寄ってきた弟を抱きしめながら、頭を振っている。
「でもおれさ、政府の連中は都市からは出れないって、思っていたんだ。だって、都会のドームって、出口なんかないだろ?」
「秘密の出口があるの」シェリーが小さな声でそう答えた。
「パパがね、いよいよあたしたちが危なくなったら、そこを開けてくれるって言ってたの。パパはお仕事で、そこのキーカードを持っているから、車に乗って、そこから外へ逃げればいいって……でも……」
 少女は涙ぐんだ。失った家族の思い出がよみがえったのだろう。
「そう。軍部のトップクラスの人間しか、出入り口の存在は知らないんだよ。何か非常事態の時に、そこを通って兵を送ったり迎えたりするためなんだけれどね」
 アレイルは慰めるように、少女の肩を軽くぽんぽんと叩いた。
「もともと都市のドームには、入り口が四か所あった。東西南北に一つずつ。今の政府はそこを封鎖して、通れないようにしたんだ。でも幹部の人間はシェリーの言うとおり、そこを開けるキーカードを持っているから、開けられる。それで明日、第七都市から偵察隊が来るんだ。第一陣は十六時に。人数は二十人。装備はレーザー、機関砲、それに小型爆弾……」
「げげ、それじゃあ偵察ってより、攻撃する気満々だな!」
 リンツは驚きの表情で、両手を上げていた。
「そんな連中に太刀打ちするのは、かなり難しいわね。レーザーや機関砲をどんどん撃ちかけられたら、とても防ぎきれないわ。それに爆弾もあるなんて」
 エマラインも難しい顔で首を振る
「ああ。それに一時間おきくらいに、第七都市からも、他の都市からも、援軍がどんどん来るだろう。もし戦闘になったら、たぶん半日くらい持ちこたえるのが、せいぜいだろうと思うよ」アレイルが空をにらみながら頷いた。
「でも、政府が秘密行動を起こすのって、夜じゃないの?」エマラインは聞いた。
「都市の中は夜なんだよ。少し早いけれど、二二時くらいだ。でも普通の人はみな家にいるから、気づかない。いつもの時間だと、外は日が暮れてしまうから、偵察には不向きなんだ」
「ああ、それはたしかにそうね」
「僕らとしては、戦いは避けなきゃ」
 アレイルは首を振り、残りの三人を見回した。
「今日中に出来るだけ準備をして、明日の朝、食事がすんだら、すぐに出発しよう」
「今度はどこへ行くの? もうコロニーの跡地は、使えないかしら」
「そうだね。きっと政府は真っ先にそう予測するだろうから、時々行くことは出来ても、長いこといるのは危険だと思うよ」
「じゃあ、食糧の確保も難しくなるわね。今のうちのできるだけ野菜を集めて、持っていきましょうよ。リンツとシェリーも手伝ってね。それからお塩とお鍋も持っていきたいわ」
 エマラインは中断していた収穫作業を再開しながら、できるだけ快活に言った。不安な気持ちを鼓舞したかったのだ。
「五人と食料たっぷりか。荷物も結構あるんだよなあ。それみんな持って移動するのか?重そうだなあ」
「あなたに負担がかかりすぎるかしら、リンツ?」
「ま、そんくらいなら、なんとかなるよ。距離にもよりけりだけどな。地球を半周なんてのは無理だぜ、言っとくけど」
「そんなに遠くへは行かなくても良いよ。でも、それだけの荷物を持って、リンツがへたばりこまない距離っていうと、どのあたりが限界なんだろう……」
「おれにはわかんねえな、あまり。やってみないことにはさ。そういう見通しっつうか計算つうか……それはあんたの担当だぜ、アレイル。行き先は、あんたに任せるよ。決まったら、地図で教えてくれよな。おっとっと、でも地球は丸いんだっけ。それは、どういう風に考えたらいいんだろうな?」
「地図の端と端をくっつけてみたら」
 エマラインが世界地図を持ってきて、実際にやって見せた。
「ね、これでわかる?」
「ああ、そうか……」
「じゃあ、任せても大丈夫だね、リンツ。でも、今は先に野菜を取っておいた方がいいな。陽のあるうちでないと、畑の仕事は出来ないからね。行き先は夕方探すよ。それでも遅くはないから」アレイルは再び野菜の収穫を始めた。
 みんなも午後遅くまでずっと、野菜畑で収穫にいそしんだ。小さなミルトさえ、手伝おうとして、手当たり次第草を引き抜いている。もっとも使えそうなものは、二、三十本のうち一本もあれば、みつけものだ。でもみんなはミルトの勤労意欲を褒めそやしたので、得意になってせっせと草抜きをし、少なくともみんなの邪魔にはならなかった。そして昼間の作業にくたびれ果てて、夕飯がすむとすぐに、ぐっすりと眠ってしまったのだった。

 その夜、次の行き先が決まった。第三連邦と旧西アジア地区である第四連邦の境界に近い川の畔で、そこから二十キロほど東に行ったところに、やはり滅ぼさずに残っているコロニーの跡地がある。いちばん近い都市は第三連邦の第十三都市だったが、食料を調達するのに、政府の追跡の目をくらますため、そこと少し離れた第十六都市の両方を使った。川の畔に野営し、石を積み上げて間に練った土を塗り込んで固めたかまどを作って、そこで野菜を調理した。そのために鍋だけでなく、バケツや包丁、着火棒とその燃料、お皿とフォークも、以前の家から持ち出してきていた。草の上に毛布を掛けて眠り、天候の良くない日だけは安全を確かめた上で、コロニーに残っている家を利用した。持ってきた野菜がなくなると、コロニーの畑に調達に行った。そうして十二日間暮らしたあと、再び追っ手が迫りそうになって、次の避難地へと移動したのだった。
 次に行ったところは、第四連邦内の森の近くだった。そこから五十キロほど北に、すでに滅ぼされたコロニーの跡地があった。攻撃にあって焼かれている分だけ、畑に残っている野菜は少なくなっていたが、ジャガイモが収穫できる時期になっていたので、大いに助けになり、彼ら五人が食べる分は確保できた。途中、一日だけ雨が降り、コロニーにある焼け残った家に泊まったが、その夜エマラインは町中に残っている悲嘆と絶望の木霊――暴徒の襲撃を受けて町が炎上した時の惨状をまざまざと感じてしまい、朝までまんじりともできなかった。そして翌朝、開口一番アレイルに、「もう、雨が降っても、ここには泊まりたくないわ」と、訴えた。
「胸がふさがれるようなんですもの。この町は、悲しみに満ちているわ。いったいどのくらい多くの人が、ここで命を落としたのかしら? 男の人、女の人、若い人、年取った人……子供や赤ちゃんでさえ、この町のほとんどの人が、残酷に殺されたに違いないわ。その思いが、この町にはまだ渦巻いているの。悲しくて悔しくて、町全体が、嘆き悲しんでいるようだわ。ああ、いったい誰が、こんなひどいことをしたのかしら」
「僕も感じたよ。この町は悲劇の中で滅んだんだ。僕も昨夜、夢で見たんだ。この町の最後を……」
 アレイルは夢の内容を思い出したように、軽く唇をかんでいた。エマラインはふとその腕に手をかけようとして、ためらった。昨夜感じた知識を、生々しい映像つきで見たくない。ぼんやりとしたイメージですら、飛びあがって叫び出したくなるほどだったのに――思わず震えた。アレイルはそんな彼女を見やり、首を振った。
「うん。君は見ない方が良いよ。本当にひどいものだったから。忘れられそうもない、残酷で凄惨で……言葉も出ないくらいに。ここへは来るべきじゃなかったかもしれないね。君にも、つらい思いをさせてしまったし。でもね、それでも……僕らが知ることも、必要だったのかもしれないって気がするんだ。過去にこんな悲惨な出来事があったってことを」
「そうね。過去を知ることは、必要かもしれないって、わたしも思うわ。同じ過ちを繰り返さないためにも」エマラインは頷き、続けた。
「今は、これほど大規模な虐殺は起きていないわ。少なくとも、世界連邦が始まってからは。わたしたちの世界もいろいろといやなことは多いけれど、こういう悲劇がないだけ、まだ良いのかもしれないわね」
「そうかもしれないね。僕も最初はそう思った。だけど……」
 アレイルは曖昧な様子に頷き、しばらく黙った後、言葉を継いだ。
「たしかに大量殺人は起きていないし、これからも起こらないかもしれない。何人かの異端者が毎週処刑されているけれど、それだけだ。でも、それだから良いかって言うと、そうとも言えない気がするんだ。僕らの社会には、いわゆる悲劇はない。でも、それが一番問題だって思えるんだよ」
「どうして?」
「だって、悲劇はなぜ起きると思う? それは、幸福が壊れるからじゃないかな。たとえばシェリーとミルトのように、家庭生活が幸せで、家族がみんなお互いを好きあっていたら、いなくなったら悲しいだろう。でもあの子たちは、例外だよね。ほとんどの人は、たぶん普段から幸せではないんだ。なくして惜しい幸福がないなら、それをなくした悲しみも、たぶん深くはないと思うんだよ。だから、今の社会に悲劇は起きない……」
「あっ」エマラインは思わず、小さな叫び声を上げた。
「そうよね。あなたの言うことはきっと正しいわ、アレイル。わたしたちの社会って、悲劇も起こり得ないほど不幸なのね」
 二人はしばらく黙って、廃墟の街を眺めていた。所々溶けたり、まくれ上がったりしている道路。黒く燻されて半分だけ残っている家もあれば、がれきの山と化している家もある。中には何軒か、昨夜彼らが夜明かしした家のように、外壁は焦げていても中は無傷の建物もあったが、ほとんどは崩れて、風化していた。焼けた時に、腐食防止コートが溶けてしまったらしい。街の上には青い空が広がり、八百年近くの月日の間に再生した木々や雑草が、そよ風に吹きなびいている。
「ここを滅ぼしたのは……当時の政府だ。今……わかった」
 アレイルは突然飛び込んできた知識に驚いたように、頭を上げた。
「闇の大統領、ダレン・バートランド。グローバル・コンピュータ――以前のマザー・コンピュータをのっとり、自らが大統領となった男が、ネイチャーコロニーの自由さを嫌って、滅ぼそうとしたんだ。そのために政府の息のかかった裏部隊を作り、暴徒としてコロニーを襲わせた。残虐に、住民を震え上がらせるように。その脅しが十分に効いたところで、住民の安全のためと称して、コロニーを閉鎖したんだ」
「まあ……」エマラインは言葉を失い、思わず震えた。
「政府がそんなことを。それに、闇の大統領……?」
「ああ。動乱の百五十年期は、この男が大統領となった時に始まったんだ。それ以前は、大統領――今の世界連邦総督の位置にある人を、以前はこう呼んでいたようだ――は、グローバル・コンピュータと呼ばれる、今のPAXと同じ役割をする、巨大なマザー・コンピュータによって選出されていた。その適正を審査してね。でも、その男は特別な能力があって、そのコンピュータに侵入し、プログラムを書き換えたんだ。そして自らを大統領に選ばせたらしい」
「まあ……そんなことが……」
「バートランド大統領はさまざまな悪政を敷き、二十年の任期を越えても、大統領でい続けた。自分に反対する者を、暗殺者を雇ってひそかに始末させたりもした。その間に人々の不満は抑えきれないほど大きくなり、ついに就任後二九年目に暗殺された。大統領を暗殺した男は英雄になり、その人はそれから二三年間、世界を統治した。でもその男が闇の大統領を倒したのは、正義のためでなく、自分が権力の座に着きたかったから……だからやっぱり同じような悪政を敷き、その末期に暗殺された。二人の男によって。グレッグ・カーライルとトーマス・ランディス。ただどちらが実際に今後の統治をするかということでもめて、公平を期するために世界を二分し、お互いに分けあうことにした。カーライル家率いるロマリア連邦と、ランディス家が統治するセラヴィカ連邦。でも彼らの子供たちの代から、いがみ合いが始まった。お互いに単独で世界を手に入れようとして」
「それが……百年戦争の始まりね」」
「ああ、そして動乱の百五十年と百年戦争を終わらせた平和の国家として、世界連邦が出来た。そのあたりは、初級過程で習うね。でも、その時代の詳しいことは知らされない」
「以前は、とても恐ろしい世界だった。そう習ってきたわ」
 エマラインは頷いた。実際のところは、今とその動乱期と、どちらが幸福な社会であったのだろうかと訝りながら。
「僕たちは、何も教えられることはない。過去の歴史を。動乱の百五十年期も百年戦争も、とんでもない暗黒期だと教えられるだけで、具体的な内容は知らされない。ただ、その暗黒を救って今があることを感謝すべきだ、と教えられる。でも実際は……」
 アレイルは頭を振り、思いを断ち切るように空を見上げ、言葉を継いだ。 
「もう、雨はしばらく来ない。あと四日くらいで、ここも移動しなければならないけれど、その間天気はもってくれるよ。もう、ここに来ることはないだろうね。さあ、朝食がすんだら、野菜を集めてこよう。出来たら五日分くらいね」
 彼はそばに立っていた木に歩み寄り、幹に手を触れながら上を見上げた。
「木はすごいね。こんなに何もかも滅びた廃墟でも、生きているんだ。きっと昔、街の中の木は一度全部焼けたに違いないのに。でも根が残って新芽になって、こんなに大きくなるんだ。植物の生命力って、本当にすごいと思うよ」
「そうね。野菜もそうよ。昔の種から、八百年たってもまだ再生しているなんてね。ここの畑も焼けたでしょうに、まだ野菜がとれるもの。わたしたちにとっては、植物の生命力の強さは、とてもありがたいことね」




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