Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第3章 迫り来る時 (2)




 翌日の朝、五人は新しい拠点に移った。新しい風景が目の前に開けたとたん、みな一斉に目を見張り、声を上げた。
「町があるわ! ここはどこなの?」
 エマラインも思わず、そう叫び声を上げていた。 
「うん。僕も最初ここを見た時は、びっくりしたよ。こんな所に小さな町があるなんて、どんな地図にも載っていなかったから。それに、人も住んでいないようなんだ」
 アレイルはみなの反応に、微かな笑いを浮かべていた。
 そこはたしかに小さな町だった。薄い灰色の四角いタイル状のコンクリートが敷き詰められた、幅八メートルほどの道がまっすぐに伸び、四、五十メートルおきにほかの道路と交差している。どの道も両側には十五メートルほどの間隔で、同じ木がずっと生えている。木の根元や道の両側は煩雑に茂った草花で覆われ、その木からさらに二メートルほどの間隔を置いて、小さな建物がずらりと並んでいた。どの建物も煉瓦やコンクリートで出来ていて、せいぜい二、三階くらいの高さしかない。どれも十メートル前後の距離をおいて建っており、その間の空間も道の両側と同じように、もしゃもしゃに入り乱れて茂った草花に覆われていた。
 小さな建物は、それぞれ独立した一軒の家らしい。一つの家族だけが住む家だ。そしてすべての住民たちは、すでに遠い昔に去ってしまったことは、はっきりしていた。家の屋根や壁は所々はげ落ち、町全体がしんと静まり返っている。
「これがどうやら、この街の名前らしいよ。ほら」
 アレイルが古い看板を指さした。それは広い道路の起点に建っている、緑色のすすけた門の横にかけられていて、色のさめた緑色に塗られた金属板の上に、元は金色だったらしい、今は薄い茶色になっている文字で書かれている。看板には腐食コートが施されているらしく、その文字はまだ読めた。
【ピアジェックの町。ネイチャーコロニー、第四十六号。創立と認可、NA二六四八年。位置E三二−N五一】その下に少し消えかかったような薄いグレーの文字で、【NA三一七〇年の人口、三四七三人】と、書いてあった。
「今の世界連邦が出来る前に出来た、昔の町のあとなのね、ここは」
 エマラインは軽い驚きに打たれた。世界連邦以前の時代が存在していたことはわかっていたけれど、歴史でもその詳細は決して習わないので、非存在と同じくらいの感覚だったのだ。
「町に番号じゃなくて、固有の名前が付いているわ。ピアジェック――意味は分からないけれど、いい感じだわ。わたし、そういう方が好きよ。単に番号で呼ぶよりも、親しみがもてるじゃない。でもネイチャーコロニーって、いったい何なのかしら。都市のような大きな街でなくて、こういうこぢんまりとした小さな町を、そう呼んだのかしらね」
「そうかもしれないね。でもこの町は、いつから人が住んでいないのかな。少なくとも世界連邦じゃ、こういう都市の形は絶対ないはずだし……この看板の、NA三一七〇年くらいが最後なんだろうか。そうすると、八百年以上無人のままっていうことになるね」
「ひえー、そんな昔の町かよ!」
 リンツが頓狂な声を上げ、ついで首をかしげて問いかける。
「でも、三一七〇ってえと……おい、今年は何年だっけ?」
「今年はNA三九九五年。そんなことも知らないの? あたしだって、知ってるのに」
 シェリーがあきれ顔で答えていた。
「うっせえな、ちょっと忘れてただけだろ」
 リンツは顔を赤くして言い返した後、再び首をひねって考えているようだった。
「って、ことはよ。三九九五引く三一七〇か……八百と……十五?」
「違う。八百二十五。あなた、本当に十四なの?」
「うっせえって。ちょっと間違えただけだろうが、シェリー。馬鹿にすんなよ!」
「あなたたち、喧嘩しないのよ」
 エマラインは苦笑して二人をたしなめた後、再び門の表示を見やった。
「この人口表示の看板が、どのくらいの割合で更新されていたかわからないから、その年にいなくなったとも言えないんでしょうけれど、たぶんそれから多くの年月はたっていないのでしょうね。ということは、やっぱり八百年はたっているのね。この町に誰もいなくなってから。そうね、世界連邦が創立されたのは、だいたい六八〇年前だから……八百年前というと、動乱の暗黒時代のはずね。百年戦争直前の……」
 エマラインは同意を求めようと、アレイルを見やった。しかし彼は彼女たちの言葉が耳に入らなかったように、町を見ていた。その視線は動かず、目を見開いたまま、身じろぎもせずに、なにかをじっと見ているようだった。
「何を見ているの?」エマラインは軽くその背中に触れ、問いかけた。
 その声でアレイルは我に返ったように振り返り、頭を振って答えた。
「ああ……ちょっとぼんやりしていたよ、ごめん。この町の昔の姿が見えたんだ。その道をたくさんの……でも、ごみごみしていない程度に多くの人たちが歩いていて、時おりストリートウォーカーやエアロカーとは違う、二つの車輪がついた車に乗っている人もいる。荷物を運んでいるんだね。両側の家も、みな新しくて、庭にはきちんと花が植えられていて、木も草もきれいに手入れされていて……右側の建物のいくつかは、どうやら商店らしいよ。いろんな見たこともないようなものが並んでいて、人が出たり入ったりして買って行くんだ。友達同士、若い夫婦、兄弟、子供連れの家族、老夫婦………いろんな人たちが通って行くんだ。みんな楽しそうで生き生きとして、生きていることがうれしいっていう表情で。世界連邦じゃ、ほとんど見たことのないような表情と動作の人たちばかりだった。幸せな町……幸せな人たち……ああ、この町のそんな時代に生まれて、ここに住んでみたかったって、そんなことも思っていたんだ」
「そう……」エマラインは彼の腕にそっと触れながら、頷いた。
「わかるわ。ここは幸せな町だった。わたしも感じるわ。遠い昔に消え去った、幸せな時代が……」
「おれには、わからねえよ。二人で納得すんな!」
 リンツがからかい気味に声をかけ、
「いいわよねえ、あたしも見たい」と、シェリーは羨ましそうだ。
「ごめんよ、二人とも。でも僕たちは、この幻に浸るために、ここに来たわけじゃないんだ。ここはほら、家がそのまま残っているし、中にも所々家財道具が残っているようなんだ。だからここで生活した方が、森の中の何もないところより便利じゃないかと思って。それにこの奥には、まだおもしろそうなものがあるんだ」
 アレイルは苦笑して首を振り、腕で弧を描くようにあたりを示した。
「まだ、おもしろそうなものがあるの?」みなは不思議そうに問いかける。
「そう。でもそれは、もう少しあとにしよう。まず少し町の中を探検してみようよ。住む家も、探さないといけないしね」
 彼らは大通り(といっても連邦の都市では、幹線道路を結ぶ枝道くらいの幅だが)をゆっくりと歩いて、町の中へと入っていった。
「所々に、看板の掛かった家があるわね」
 エマラインは道の両側の家を、興味深げに見ていた。
「これがきっと、あなたが言っていた商店のあとね、アレイル。ここは……『食料品』。ここは『雑貨』……ここは『工具店』。『パン屋』……『青果』……だいたいどんなものを売っていたか、見当がつきそうね。あら、でもここは何を売っていたのかしら。『通信局』って書いてあるわ」
「ここはたぶん……今の社会ではコンピュータでやっている電信を、まとめてやっていた所じゃないかな。きっとこの町は、コンピュータ制御されていなかったんだよ。だからメッセージや物をやりとりするのに、ここを利用したんじゃないかな」
 アレイルはその由来を知ろうとするかのように、しばらくじっと建物を見たあと、頷いて答えた。
「わざわざここまで来るのかよ。えらく不便だなあ」
 リンツがそんな感想を漏らしている。
「でも、ここに住んでいる人たちは、それを当たり前と思っていたのね」
 エマラインは微笑し、頷いた。
「ねえ、八百年前って、そんなに文明進んでいなかったの?」
 シェリーは不思議そうに首を傾げている。
「そんなことはないと思うよ。コンピュータ制御都市は、NA二〇〇年頃には基本が完成していたって、聞いたことがあるんだ。三十世紀くらいには、今とそれほど変わりないシステムだったらしい」
「三十世紀か。ところで今は、何世紀だっけ?」リンツが頭をかいた。
「六十世紀よ。そんなことさえ知らないなんて、信じられなーい!」
「ちょっとど忘れしただけだぜ、シェリー。馬鹿にすんなよな。ともかくさ、ってことはここが出来るずっと前に、それだけ文明は発達してたってことだよな。なのになんでここの奴ら、そんな原始的な生活してたんだ?」
「あえて使わなかったんでしょうね」
 エマラインはしばらく物思いに耽ったあと、静かにそう答えた。
「たぶんここの人って、そういう都市文明が嫌いだったのよ。なぜだか良くはわからないけれど……いいえ、たぶんこういう自然のままの暮らしが好きで、あえてこういう町を作ったんだわ。そうよ、だから“自然自治体”なんだわ。この町は、自然が好きな人たちであふれていたのね。今もその感情の木霊がかすかに残っているわ。八百年以上たっても、まだ感じられるのよ」
 思わず微笑みが上がってきた。彼女は周りを見回し、言葉を継いだ。
「もしわたしがこの時代に生きていたら、きっとここで喜んで暮らしていたわ。この町には、今のわたしたちが忘れていた物や、心でいっぱいよ」
「君はきっと、誰よりもここの住民たちと理解し合えただろうね、エマライン」
 アレイルは微笑して、彼女を見やっていた。
「あたしも、ここが好きになれそうよ。いろんなものが見られて、おもしろいわ」
 シェリーが目を輝かせて、そう同意した。さらに通りをちょこちょこ走り回って、興味深そうにあちこち見て歩いている弟を見て、付け足している。
「ミルトも飽きないみたいよね」と。
「坊やは本当に、見る物全部が珍しいのね」
 エマラインはあどけない様子の幼児を見ながら、再び微笑を浮かべた。
「でも今のわたしも、坊やに劣らず好奇心の固まりになっているわ。わたしたちみんな、初めて見るんですもの。こういう生活を」
「おれも」リンツも周りをきょろきょろと見回しながら、同意した。
「特にさ、外へ出てからは、びっくりすることばかりだぜ。こんな世界があったなんて、夢にも思わなかったなあ」
「それにしても、かわいらしい町ね、ここは。町全体も小さくて、家もこじんまりしているわ。どれも二階か三階建てで、全部で五つか六つの部屋と、洗面所が一つか二つしかないなんて。これじゃあ、一つの家に一つの家族しか住めないでしょうね。なぜ、こんな建て方をしたのかしら。自分のプライバシーを確保して、お隣とはつきあいたくなかったから? いいえ、違うわね。たぶんわたしたちが住んでいた都会の方が、家族ごとに隔離されているわ。たとえ同じ建物に住んでいても、お隣同士のつきあいなんて、全然なかったもの。ここはむしろ一軒一軒は独立していても、お隣同士仲良く暮らしていたようだわ。それははっきり感じられるもの。じゃあ、いったいなぜなのかしら」
「都市工学のテキストじゃ、こういう建て方は、土地と建物の無駄遣い以外のなにものでもないんだろうね」
 アレイルは苦笑しながら答え、考えるようにゆっくりと続けた。
「だけど、なぜあえてこういう非効率的な建て方をしたのかって言うと……はっきりとは言えないんだけれど、たぶん、土地と光が欲しかったからじゃないかな。これだけ屋根が低くて、家の間に空間をあければ、太陽の光がたっぷり家の中に入ってくるし、新鮮な空気も通るはずだよ。あいた土地は家に属していて、そこの家族が花や木を植えて楽しんでたらしいんだ。今は誰も手入れする人がいないから荒れ放題だけれど、ほら、所々まだ花が咲いてる。きっと昔の花壇の名残だよ」
「そうね。本当にきれい」
 エマラインは道ばたに咲いていた、ピンク色の大輪の花を摘んだ。
「きれいね、本当に。いくつもの花びらが重なり合って、すごく豪華で、それでいて可憐でかわいいの。これは、なんていう花なのかしら」
「ああ、これはね、たぶん……薔薇じゃないかな」
 アレイルはしばらくじっと見たあと、答えた。
「夢で見たことがあるんだ、昔。いろいろな色があったけれど、これと同じ花がたくさん咲いていて、ニコルがこれは薔薇っていう花だって言っていたんだ」
「きれいな名前の花ね」
 エマラインは頷き、しばらくその花をもてあそんでいたが、ふと思いついて、自分の金色の雲のような髪の中、右耳の上あたりに花の茎を挿し、振り返って微笑んだ。
「どう。似合う?」
「きれいだね。なんだかもっと……かわいらしくなったよ。女らしくなったって言うかな……」
「そう。だったらうれしいわ」
「わあ、あたしも欲しい。飾ってよ!」
 シェリーが二人の間に割って入り、そうせがんだ。そして同じ大輪のピンクの花を髪に飾ってもらうと、にこっと笑ってポーズを取る。
「あたしも似合う?」
「似合う、似合う。かわいいよ」
「本当にかわいいわよ、シェリー」
 二人にほめられて少女はうれしそうに笑い、また違うポーズを取ってみせる。と、その髪の毛から花が落ち、彼女は慌てたように拾い上げた。
「もう。あたしもおねえちゃんみたいに、巻き毛だったらいいのになぁ。お花が止まってくれないの」
 不満げなシェリーに、エマラインは再び花をさしてやった。
「あら、あなたの髪も、とてもきれいよ、シェリーちゃん。滑らかですべすべしていて。こんなまっすぐな髪に、わたしは憧れていたわ」
「髪なんて、いっそずっと坊主のままの方が楽なんだがなぁ。なんたって、伸びてくるから。ここじゃ、理容ロボットは来ないからなあ。どのみち、おれたちお尋ね者だし」
 リンツは自分の髪に手を突っ込んで、くしゃくしゃやりながら、言葉を継いだ。
「それにしてもさ、見た目にこだわるって、おれにはわかんねえな」
「そうね……少しでも美しくしたいって思うのは、今の社会では異端なのでしょうけれど……でも、わたしはやっぱり、きれいなものが好きだから、それで飾ってみたいって思ってしまうわ。自然の中に入って、わたしは“美しさ”と“色”を知ったから、そういうものを身につけられたら、素敵だと思うの。自分自身も一緒にきれいになったような気がして、嬉しいのよ」エマラインは髪に刺した花をもう一度手に取り、それをくるくるっと回してから、今度はポケットに刺してみた。
「うん。それにね、ママが言ってたわ。一緒にいる人たちを不愉快にさせないためにも、きちんとしましょうねって。だからあたしも、きちんとしたいの。それに、自分がきれいになると思うと、うれしいじゃない?」シェリーの口調は、少しの郷愁を感じさせた。
「えらいわね。本当に、そうね。できる限りちゃんとしたい。もっとも、こんな中では難しいけれど、それでもね。あなただって、きれいにしている人と、そうでない人とでは、見た時の印象は違うんじゃない、リンツ?」
「まあ、なあ。でもちゃんとしてても、みっともない奴っているぜ。おれだってさ。あんたたちはみんな、それなりに元が良いからなぁ」
「でもそういう人でも、きちんとしている人とぼさぼさの髪でだらしない服の着方をしている人とでは、見る目は違うでしょう?」
「まあな」
 リンツは咲き乱れた花々を見、空を見上げてから、最後に女性たちに目をやった。
「まあ、きれいなものは良いな、ってのは、おれもわかるぜ」
「本当にね。でもきっとそれも、外へ出てみなければわからない美しさだね」
 アレイルも周りに目をやりながら、頷いていた。

 彼らは町の奥までたどり着き、みんながひと目で気に入った一軒の家を、しばらくの間、住処とすることに決めた。もとは白だったらしい壁と、緑色の屋根の、小さな家だった。材質は鉄と木、コンクリートで、腐食防止コートを施してある。八百年以上たった今でも、壁や屋根の色がかなりくすんでいるものの、まだ家は頑丈だった。扉も屋根と同じ緑色で、黄土色の取っ手がついていた。たぶんこのノブは、元は金色に輝いていたのだろうが、今では風化して輝きを失っているのだろう。
「開閉ボタンはどこだ?」
 リンツは玄関の扉を探しているようだ。
「自動ドアじゃないよ、これは。この取っ手を回して、手前に引くと開くんだ。鍵はかかっていないようだしね」アレイルが説明しながら、ノブを回して開けて見せた。
「手動ドアなんて、初めて見たわ」エマラインは目を丸くした。
「この町は、全く電気が来ていなかったの? いえ、そうじゃないわね。天井にライトがついているもの。ほかにも電化製品は、いっぱいあったに違いないわ。ここに住んでいた人たちが、引っ越す時に持っていったんでしょうけれど……いくら文明を拒否したとしても、そこまで原始的には、なれないものね」
「この町に人が住んでいた頃には、電気も当然来ていたんだろうね。でも、今は無理かな。町の北東に発電所があって、ひょっとしたら動かせるかもしれないけれど、でもそれが元で政府に見つかっても困るからね。水道も今は使えないよ。でも、この家は庭に井戸があるから、そこから水をくんでこられる」
 アレイルが家の中を見回しながら答えた。
「井戸ってなに?」シェリーがきいた。
「地下水っていう、地面の下を流れている水をくみ上げる、小さい池みたいなものだよ。落ちると危ないから、近づく時には注意した方が良いけど。特にミルトは」
「地面の下に水が流れているの?」
「そう。降った雨が地面にしみこんで、地下で小さな川になるらしいよ」
「なんか想像つかねえなあ、地面の下の川ってさ」
 リンツは不思議そうな表情で、頭を振った。シェリーも同じようだ。
「本当に不思議なのね、自然って」
 エマラインは強い郷愁のような、あこがれのような思いを感じた。彼女は微かに首を振り、続けた。「ともかく、電気がなくても日があるうちは、十分明るいからいいわ。それに水がそばにあるのはありがたいわね」
 彼女は窓のそばに歩いていき、窓枠に触れた。そして再び驚きに見舞われた。
「あら、この窓は開くのね」
「空気を入れるために開くんだろうね。それにこの高さじゃ、万一落ちても命には関わりないだろうし」アレイルも窓に歩み寄って、答える。
「そうね。でもこの低さじゃ、町を見晴らすのは無理ね。さぞ、きれいな眺めでしょうね。あら、でもここからの景色もすてきだわ。お庭がちゃんとしていれば、もっときれいなんでしょうけれど、でも十分きれい。緑の中に花のコントラストが素敵よ」
「景色はいいけどさ、なんか食いもん残ってないかなあ」
 リンツは家の中をがさごそと探し、
「バカねえ、八百年前の食べ物なんて、残っていたって、食べられるわけないわ」と、シェリーにあきれたように言われている。
「まあ、そりゃそうだが……おい、シェリー。おまえどうでも良いけど、そう人のことをバカバカ言うなっての。ったく、お偉いさんのお嬢さんってのは、どうも思いやりがなくていけねえや」
「だって、本当にバカなんだもん」
「おまえなあ……」
「もう、また二人で喧嘩して。おやめさない」エマラインは笑ってなだめた。
 小さなミルトはその間も、熱心な様子で家の中を探検していた。今も、前の住人が残していったらしいスティール製の椅子に、よじ登ろうとしている。
「坊や、落っこちると危ないわよ。その椅子も古いから壊れるかもしれないわ。降りていらっしゃい、いい子だから」
 エマラインが注意しても、ミルトは「やあだ!」とかぶりを振り、悠々と探検を続ける。努力が実って無事に椅子に上がると、今度はその上のテーブルへ上がり、立ちあがってきゃっきゃっと飛び跳ねて一同をはらはらさせたあと、今度は器用に椅子におり、さらに床の上へと伝っておりると、休む間もなく、ほかの興味の対象を目指している。
「この机や椅子は、まだなんとか丈夫そうだよ。食事をしたりするのに使えそうだ。都市の家では、家具はついているから、置いていったんだね、きっと」
 アレイルはミルトが降りていったあとの家具を調べ、そんな結論を下した。
「あら、坊やがまた何か引っぱり出してきたわよ」
 ミルトはキッチンに入り込んで、流しの下にある戸棚を開け、中に入っていた奇妙な道具を引きずり出しているところだった。エマラインはそばへ寄り、のぞき込んだ。
「何かしら、これは。何か物を入れるもののようだわ」
 それは直径三十センチくらいの丸い金属の器で、十七、八センチほどの深さの円筒形をしていた。器の両側には持ち手のような丸い輪が二個、左右対称についている。その器の上には、それより少し大きめの、同じ金属で出来ているらしい丸い蓋がついていて、その真ん中には黒い出っ張りがあった。
「これは……鍋だ」アレイルはしばらくその不思議な器を見、丸い輪を両手で持ってひっくり返したりした後、それが何かを理解したようだった。
「まだ使えるとしたら、幸運だな。欲しかったんだ。エマライン、これは食べ物を煮るのに使う道具だよ。ここに住んでいた人たちが、置いていったらしいね」
「ええ……」エマラインは手にとって調べながら、頷いた。
「まだ、使えそうね。ええ、たしかに感じるわ。これを使って、ここの家族の母親は料理を作っていたのよ。でも都会では、食料センターから食事は宅配されるから、料理を作る必要がなくなって、ここに置いていったんだわ」
 ミルトはまた別の、丸い金属製で浅い形に、木の取っ手がついたものを引っ張り出していた。それに目をやったエマラインは、「こっちの器具もそうね」と手に取り、「それはフライパンだね。肉を焼いたりするのに使ったみたいだ」と、アレイルが補足していた。
「料理まで自分で作ったのかよ。めんどくせえなあ」リンツはあきれ顔だ。
「ここがきっとコンロね。この上にお鍋をかけて、煮炊きしていたのよ。下はオーブンだわ。でも残念ながら、今は電気もガス燃料もないわね。これは使えないわ」
 エマラインはがっかりしたように呟く。
「コンロが使えないなら、外にかまどを作ればいいよ。少し深めに穴を掘って、周りを石でしっかり囲むんだ。石の隙間には、良く練った赤土を詰めて。そうすれば固まってくれるよ。その中で火を焚いて、上に棒を渡してこの鍋をかければいい」
「よく知ってるんだなあ、アレイル。あんたひょっとして、前にもこんなことやってたのか?」
「やってないよ、まさか。僕もずっと都市から出たことはなかったしね。ただ、夢で見たことはあるんだ。それに今の条件で、この鍋を使って料理するにはどうすればいいかって考えると、詳しいイメージが浮かんで来るんだよ。でも……ああ、この家の庭には、外にもかまどがあるようだ。作らなくとも大丈夫だよ。ここの人たちは時々庭でも料理を作っていたのかな。外で食べるために。それだったら……」
 アレイルは台所の流し台に付属している引き出しをいくつか開け、中を探した後、「あった」と小さく声を上げて、細長い棒のようなものを取り出した。ガラスカッターや溶接棒に比べると少し細く、短くて、真ん中あたりに赤いボタンがついている。
「それは、なんだい?」
「着火棒だよ。このタイプなら燃料は揮発しないはずだし、つくかな……」
 アレイルが小さなボタンを押すと、先端からぽっと炎が出た。
「よかった。火を起こすにしても、木をこすり合わせたり火打石を使ったりするのは、大変だから。これがあれば、楽にできるよ。燃料もしばらくはあるだろうし、それに……」
 彼は再び引き出しを探し、細いノズルのついた小さな缶を取り出した。
「予備燃料もある。助かったな。ここの家の人が、野外で調理する趣味を持っていて。このあたりのものも、都会へは持っていかなかったんだね。いや、たぶん火が出るものは、都市への持ち込みは禁止だったのかもしれない。その時でも。包丁もある。これもたぶん、必要なかったのだろうし、危ないから持ち込めなかったんだろう」
「でよ、料理は出来るとして……肝心の材料はどうすんだ? ここには食いもんなんざ、何もねえぜ」
「材料は手に入るよ、きっと。ここから近い場所に、さっき言ったおもしろいものがあるんだ。でも、それはあとで。まずはこの家をしっかり調べて、それから使う部屋を決めておこうよ」
「一階はだいたい見終わったから、二階へ行ってみましょう」
 エマラインも一同を見回しながら、そう提案した。
 リビングの隅にある少しきしんだ階段を上がると、いくつかの寝室があった。スティール製のベッドは、みんな部屋に作りつけになっている。寝具は何もないが、ベッド本体は防腐コーティングが施されているおかげで、まだ使用可能だった。そこには大きな寝室が一つと、小さな寝室が三つある。そこで大きな部屋はシェリーとミルトのシンクレア姉弟に使わせ、あとの三人がそれぞれ小さい個室を使うことに決めた。
「この家に最後に住んでいた人たちは、五人家族だったみたいね」
 部屋割りが決まったあと、エマラインは階下に降りながら言った。
「この家を去った当時、両親と十代の子供が三人いたみたい。十八歳と十三歳の女の子、それに十五歳の男の子と。わたしたちの部屋は、その子たちのものだったようよ。シェリーとミルトのは、ご両親の寝室だったみたいね」
「ねえ、でも下にもベッドが二つあるお部屋があったわ、リビングの隣に。あのお部屋は、誰が使っていたの?」シェリーが首を傾げて訪ねた。
「このお部屋でしょう?」
 エマラインは問題の部屋のドアに手を触れ、答えを理解したようだった。
「これは、お客様用のお部屋よ。町に住んでいるお友達や親戚の人たちが泊まりに来たときに、ここに休んでもらったのね。ああ、楽しそうだったこと……ここは、にぎやかで幸せな家だったんだわ」
「お客様の部屋なの。そうね……うちにも、そういえばあったわ。ヴィクター伯父さんの家族が、お泊まりに来てくれて。従姉のサラとエマには、遊んでもらったこともあるわ」
「あら、あなたの伯父さんの家、二人ともお嬢さんだったの、シェリー。男のお子さんは?」
「申請しなかったんだって。伯母さんはあまり身体が強くなかったから、三人は無理だって言われたらしいの。お医者さんに。うちもね、ママがあたしを産んでしばらくしてから、病気になったから、無理かなって言っていたんだけれど、やっぱり男の子も一人欲しくて、それでママの身体が完全に元気になるまで待ったから、あたしとミルトはこんなに歳が離れちゃったの。でもヴィクター伯父さんの家の従姉たちは、今はいないのよ。サラは七つの時、何かのアレルギーが起きて死んじゃって、エマは去年、病気で死んじゃったの。あたし、本当、悲しかった。伯母さんも病気で、もう長くないらしいし――」
 シェリーはそこで、ふいに思い出したように聞いた。
「ねえ、アレイルおにいちゃんって、あたしたちの縁続き?」
「えっ?」突然そう問いかけられて、彼は驚いたようだ。
「僕は君たちのことは、あの時まで知らなかったよ。なぜ、そう思うんだい?」
「だってね。おにいちゃんの名字はローゼンスタイナーでしょう。同じなんだもの。ヴィクター伯父さんと。ママもパパと結婚するまでは、同じだったのよ。だって伯父さんの妹だったんですもの。あたしも正式な名前は、シェリー・ローゼンスタイナー・シンクレアなのよ。ミルトもそう。だから、お兄ちゃんとも親戚なんじゃないかなって思って」
「へえ、驚いたな、ずいぶん偶然だね。たぶん僕らは、遠い縁続きなんだろうね。世界連邦になってからは、みんな同じ都市の中でしか結婚しないから、君たちのお母さんの家系と、僕の母さんの家系は、少なくとも六百年より前には別れているんだろうと思うけれど。海を挟んでいるくらいだからね」
「でも、けっこう偶然だな」リンツも驚きの表情だ。
「もう一つ、すごい偶然があるよ。僕もはじめから、そこまで知っていたわけじゃなかったけれど……みんな、玄関の脇にあった名札に気がついたかい?」
 そうアレイルに言われて、みんなは不思議そうに表に出てきた。
「あら!」エマラインは名札を指でなぞりながら、思わず声を上げた。
「所々消えかかっているけれど、こう読めるわ。アーネスト・B・シンクレア……あらあら、もしかしたらシェリーとミルトのご先祖様が、ここに住んでいたのかしらね」
「本当? じゃあ、あたしたち今、ご先祖さまの家にいるの? こんなとこに住んでいたの?」シェリーが驚いたような声を上げながら、名札をのぞき込んでいる。
「あり得ることだね、それは。ここから第五都市まで、そう遠くはないから。大部分の人は第七都市の方に移ったんだろうけれど、何人かの人は第五に行ったのかもしれない」
 アレイルの言葉に、エマラインも家の壁をなでながら、同意した。
「ええ、そうだわ。ここの人たちは第五都市へ……その当時はパリス市って呼ばれていたらしいけれど、引っ越したのよ。この家の一番上の娘さんと仲の良かった男の人の家が、親戚を頼って第五都市へ行ったの。それでここの家族はその娘さんのために、同じ所へ行ったのよ。彼女がその男の人と別れるのを、とても悲しんだものだから。彼女は……彼女はそこで、その男の人と結婚したんだわ。ほかの家族もそのまま第五都市にとどまって、この家の男の子から二十何代かたって、シェリーとミルトのお父様が生まれたのよ」
 彼女はなおもくすんだ白い壁を愛しげになでながら、半ば夢見るように言葉を継いだ。
「この家がわたしに、そう語っているわ。ここの人たちは都会へ行っても、ある程度は幸福に暮らしていた。今ほど非人間的な環境じゃなくて、ドームは透明で、許可をもらえれば出入りもできたから。世界連邦が生まれる時の大動乱が始まってもね。でも、ここに来ることは禁止されていた。ここは立ち入り禁止区域になってしまったから。でも、いつも彼らはこの町を恋いこがれていたの。ここで暮らした以上には、都会では幸せになれなかったのよ。みんなこの町を愛し、この家を愛し、ここの暮らしを愛していたから……」
「じゃあ、もしあたしたちのご先祖さまが都会に行かなくてもよくなって、ずっとここにいたら、あたしたちもここで生まれて育ったのかしら。なんだか不思議な感じ」
 シェリーが首を傾げてそんな感想を漏らし、
「そうかもしれないわね。もし、歴史が今と違う道をたどっていたら……」
 エマラインは言いかけて、言葉を止めた。もし世界連邦がなく、もっと違う社会があったとしたら、今の自分たちはどういう生活をしていたのだろうか。少なくとも政府に犯罪者扱いをされて、命を狙われるような羽目には陥っていまい。そしてこれほど人々が考える力も他者との交流も奪われた社会でなかったら、最初からもっと自由にのびのびと、そう、今のようにほかの人たちとの暖かい交流を持って暮らせたら、どんなに素晴らしい世界だったろう――。
「でもあたし、想像できない。ここで生まれた時から暮らしていたらなんて」
 シェリーの声で、エマラインは物思いからさめた。
「そうね。あなたたちは生まれた時から連邦下で、あの第五都市で暮らしてきたんですもの。結局現実は、一つしかないんですものね」
「現実は一つだね、たしかに。でも僕は時々、わからなくなるんだ。僕らの現実は、以前には未来だった。五二世紀から三世紀続いた大動乱の中から世界連邦が誕生して、今の現実になったわけだけど、もしそうでなかったら、違う現実があったんだろうか。それとも、未来も常に一つしかないんだろうか……」
「未来を見るのは、あんたの専門だろう。自分でわかんねえのかい?」
 リンツがいぶかしげに聞いている。
「僕が見ている限りじゃ、変えられる未来と、どうしても変えられない未来があるんだよ。それに今はバラバラの断片みたいで、何十年も先の全体像までは、僕の力は及ばないんだ」
 アレイルは肩をすくめ、軽く頭を振ると、気を取り直したように言葉を継いだ。
「ところでさ、もうお昼近いんだね。僕が見つけた、とっておきの場所へ案内するよ。ひょっとしたら、お昼にはパンとミルク以外の物も食べられるかもしれないよ」
「ああ、あなたが言っていた、もっとおもしろそうなものね。連れてって」
 エマラインは頷き、みなも仮の住処をあとにして後に続いた。




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