Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第3章 迫り来る時 (1)




 目を覚ました時、もう陽は中天を過ぎて、傾いていた。
「ああ、本当にぐっすりと眠ったわ」
 エマラインはすっきりした気分を感じながら、のびをした。
「本当だなあ。でもおれ、まだ夢見てるみたいな気がするぜ。いつもの見慣れた天井のかわりに、これだもんなあ」
 リンツはあくびをしてから、周りを見回した。
「そうね。でも、今何時くらいかしら。わたしたち、どのくらい眠ったのかしらね」
「携帯用時計は持ってこなかったから、時間はわからないな。それにもし持っていたって、ここの時間とは違っているだろうし」アレイルは空を見上げながら、そう答えた。
「でも太陽は東から昇って、西に沈むんだ。いつ昇っていつ沈むかは、季節によっても場所によっても、かなり違うらしいけれど、いつでもちょうど真南に見える時は、正午だって……昔、ニコルがそんなことを言っていたっけ。今僕たちは、第五都市のドームの真東にいるはずだから、南はこっちの方……太陽はちょっとドーム側に寄っているから、この場所で今の季節だと……うーん、だいたい十四時か十五時くらいかな」
「ここへ来た時は、朝だったわね。たしかドームと反対側に、太陽が見えたわ。時間は正確にはわからないけれど、結構長く眠ったのね」
「おれ、そういう理屈って、よくわからないなあ。でもまあ、とりあえず今は昼と夕方の間だってとこか。じゃあ、腹減るわけだよなあ」
「そういうのは、腹時計っていうらしいよ。リンツの腹時計は正直だな。じゃあ、食事にしようよ。ちょっと遅めのお昼、というより、僕らの感覚じゃ、朝食だけれどね」
「子供たちの分を残して……ああ、もう食料はこれで最後ね」
 エマラインはパンとミルクを分配しながら、首を傾げた。
「これから先、どうしましょう。ここはとても素敵なところだし、離れるのは心残りだけれど、食料を調達するのには、やっぱり街の中の方がいいのかしら」
「うん。それは、これから考えてみるよ。どっちがいいか」アレイルは頷いた。

 三人が遅い朝食を終わる頃、草の上でぐっすりと眠っていた少女が、ぱっちりと目を覚ました。彼女はしばらくぼんやりとした様子で空を見つめ、それから起きあがって、不思議そうに周りを見回している。
「ここは……どこなの?」少女は半ば呆然と周りの景色を見、頭を巡らせて、自分を見ているアレイルとエマラインと目が合った。
「ああ、夢で見た、おにいちゃんとおねえちゃんだ。あれ、あたしまだ、夢を見てるの?」
「夢じゃないっての。これは現実!」リンツが少女の前に顔をつきだした。
「おにいちゃん、誰?」少女は驚いたように目をぱちくりさせている。
「おれ? リンツ・スタインバーグってんだ。おまえたちを助けにいった、あの二人の仲間だよ。みんなをここに運んできたのは、おれなんだぞ」
「ここは、どこなの?」少女は再び最初の質問を繰り返した。
「ここはね、あなたたちが住んでいた街の外よ」エマラインが優しく答えた。
「街の外?」
「ええ。あなたは途中で、疲れ切って気絶してしまったでしょう。あれからわたしたち、このリンツおにいちゃんが待っているところまで逃げたの。わたしたち三人は、一緒に他の連邦からやって来たのよ。それからリンツおにいちゃんが、わたしたちをここまで連れてきてくれたの」
「どうやって? どうやって街から出られたの?」
「リンツはね、不思議な力があるの。乗り物も何もなくても、行きたいところへ一瞬で行けるのよ」
「ええ……?」少女は不思議そうに、そして感嘆したように少年を見つめた。
「照れるから、そういうふうに見るなよ」
 リンツはちょっと恥ずかしげに顔を赤くした。
「まあ、でもおまえだって、不思議な力をもってんだろ? 奴らのレーザーを跳ね返したっていうしさ」
「うん。でもあれはね、前には出来なかったのよ。ママとカレンお姉ちゃんが、あたしたちを車に押し込むときにね、まだ乗り切らないうちに兵隊が撃ってきて、いやだ、当たらないでって振り払ったら、本当にはじけて行っちゃったの……」
 少女は突然、言葉を止めた。大きく目を見開いたまま、身体をふるわせ、両手をぎゅっと握りしめたまま、しばらく黙りこくっている。と、わっと激しい勢いで泣き出した。
「ママが……カレンお姉ちゃんが……撃たれて死んじゃった。あたしたちを車に乗せたあと……撃ってきて……あたし、防げなかったの。車の中に……いたんだもん。ママがね……カレンお姉ちゃんを抱きしめて……あたしたちに……逃げなさい、逃げなさいって……連中はそれでも……撃ってきて、ママもお姉ちゃんも……倒れて……あたし、夢中で、車を出したんだけど……あーん、あーん」
 少女は大声を上げて泣きじゃくり続ける。泣き声の合間から、切れ切れの言葉が聞こえた。「パパもね、死んじゃったのよ……ママに知らせる時……ママは通信画面で、パパが撃たれて死ぬのを……見たって……あたし、あたし……これが夢じゃないなんて、ひどいわ。なんでなの? あたしたちのおうちを……返して。パパとママとカレンお姉ちゃんを……返して。いやよ、いやよ……あたし、どうしていいか、わかんない!」
 少女は激しく頭を振ると、座り込んだまま泣き続けた。昨晩はあんなに気丈に逃げていた彼女が、緊張が解けた今、改めて冷酷な現実に気が付いたのだろう。
 エマラインは同情のあまり一緒に涙をこぼしながら、そっと少女を抱きしめ、自分より少しだけ濃い色合いの、すべすべした金色の髪を優しくなでてやった。
「泣いてもいいのよ、大丈夫。我慢しないで。今は泣いたらいいわ。あなたのつらい気持ちは、わたしもよくわかる。かわいそうに、あなたはすべてをなくしたんですもの。いいえ、でもそうじゃないわ。あなたにはまだ、かわいい弟がいるじゃない。それに、わたしたちもいるわ。あなたの父さんやお母さん、お姉さんのかわりには、とてもなれないけれど、でも少なくとも、あなたはひとりぼっちじゃないわ。これからわたしたち、新しい家族になりましょうよ。泣くだけ泣いて、いつか悲しい気持ちが収まったら……そう思ってちょうだい」
 少女はしばらくの間、激しくしゃくり上げて泣いていたが、やがてすすり泣きに変わり、静かになって泣きやんだ。
「出来るだけ、そう思うようにするわ。ありがとう……おねえちゃん」
 少女は涙を飲み込むようにしながら呟き、頷いていた。
 気が付くと小さな弟も目を覚まして、きょとんとした顔で姉を見上げている。あまりに激しい泣き声に、目を覚ましたらしい。少女は駆け寄って弟を抱きしめ、頬と頬をくっつけていた。
「ミルト、ミルト! もう、あなたと二人だけになっちゃった。ううん。二人だけじゃないわ。おねえちゃんやおにいちゃんたちもいるの。だからがんばって、生きていこうね」
 幼児の方は、まだきょとんとした顔をしている。彼は幼すぎて、まだ何が起きたのか、まったく理解できないのだろう。ただ周りの見慣れない環境と、姉の悲しそうな様子に、小さな心のうちにも不安を感じているらしい。きょろきょろと周りを見回し、姉にしがみつきながら、小さな声で両親を呼んだ。
「パーパ、マーマ。どこ?」
「ミルト。パパもママも、もういないの」
「パーパ、マーマ! マーマア!」
「パパもママも、死んじゃったの。もういないの。お願いだから、あたしを困らせないでよ!」少女は半分泣き顔になりながら、弟を揺さぶる。
「イヤー! マーマ!」
 幼児はついに金切り声になり、火がついたように激しく泣き出した。
「泣かないでよ、ミルト! あたしだって、あたしだって……泣きたいんだから!」
 少女はそう叫ぶと、弟を抱きしめてまた泣き出している。
「かわいそうに……どうしたらいいかしら」
 エマラインは同情のあまり、もらい泣きをしながら、そんな言葉を漏らした。
「なんとかしてあげたいけれど、今はどうしてやって良いのか、僕にもわからない。泣かせてあげるしか……なぐさめようがないよ。あの子たちにとっては、どうにも受け入れられない悲劇なんだから。でもきっと時間がたてば、自分で乗り越えていけるよ。気丈な子たちだからね。僕たちに出来ることは、見守ってあげるくらいじゃないかな」
 アレイルも二人に目を注ぎながら、微かに首を振る。彼もまた深い同情を感じているようだった。
「でも、かわいそうだわ。あの子たち、あんなに小さいのに」
「親父とお袋と姉貴が死んだってのは、おれも同じだぜ。でもおれは、全然悲しくなかったな」リンツは半ば不思議そうな表情で、首を傾げていた。
「たぶん君の家族が、君のために危険を冒したり、命を投げ出したりするような愛情深い家族だったら、きっと君も悲しかっただろうね」
「まあ、そうかもしれないな。おれなんて、家族に良い思い出ないからさ」
「あの子たちの家族はきっと、お互いに慈しみあって暮らしてきたんだろうね。この社会では、本当に珍しい一家だよ。お互いが好きだったから、自分の命を投げ出しても守ろうとしたり、その死を悲しんだり出来るんだ」
「まあな。あんなに小さいのに身寄りがなくなっちまうのは、たしかに心細いだろうな。でも、おれには少しうらやましく思えるぜ。なくして惜しい家族がいたってことがさ」
「そうね……」エマラインも静かに頷いた。
「幸せが大きければ、それをなくす不幸も大きくなるって、聞いたことがあるよ。でも今の僕らに出来ることは、あの子たちがこれから生きていくのに、出来るだけ力になって上げるくらいだろうな」アレイルは考え込んでいるような口調だった。
「そうね……」エマラインは再び頷き、リンツは神妙に宣言していた。
「おれ、ちょっとなら遊んでやってもいいぜ。子供ってやつは、苦手なんだけどさ」

 幼い姉妹は、やがて涙が枯れ果てたように泣きやみ、年長の三人にも宥められ、いくぶん気が静まったようだった。
「ところで、あんたらの名前、なんていうんだっけ?」
 リンツが二人にパンとミルクを差し出しながら、改めてそう聞いた。
「シェリー・シンクレア」
 少女は食料を受け取りながら、答えた。そしてパンを半分にちぎってミルクに浸したものを弟にやりながら、付け加えている。
「この子は、ミルトよ。ミルト・シンクレア」と。
「何歳になるの?」エマラインは、にこやかに聞いた。
「あたしは十歳。七月十日に、十一になるの。ミルトはね、二歳。えーと、十二月七日がお誕生日だから……二歳と、四ヶ月ね」
 そう答えると、少女はお腹が空いているのを思い出したのか、しばらくはもくもくと、パンとミルクを食べていた。弟の方も旺盛な食欲で姉のくれる食べ物を平らげ、もっとと催促している。
 食事が終わると、少女は不思議そうに聞いた。
「おにいちゃんたちやおねえちゃんは、どういう人なの? あたしたちを助けてくれたのは、なぜ? どうやって、あたしたちのことを知ったの?」
 三人は改めて名前を名乗り、簡単に自己紹介をした。それからエマラインとアレイルが交互に、彼女たちを知ることになったいきさつから助けに行くまでを、出来るだけ子供にもわかりやすいように気をつけながら説明した。
「じゃあ、あたしたちって、みんな不思議な力を持っているのね」
 少女は不思議そうに話を聞いたあとそう言い、にっこりと笑った。
「あたし、お礼を言うのを忘れていたわ。助けてくれて、どうもありがとう」
「あなたの声を聞いたら、そうせずにはいられなかったの。当然のことをしただけよ」
 エマラインも微笑み返し、その頭に手をやって撫でた。
「そう。わかっていながら、見過ごしには出来ないよ。ああ、ところで日が暮れそうだね、もう。今夜は、ここで寝ることになりそうだ」
「わあ、本当ね。空が真っ赤だわ」エマラインは驚きの声を上げた。
「まるで火が燃えてるみたい!」少女も、びっくりしたように目を丸くしている。
「ああ、まるで空が燃えているようだね。でも、本当に燃えているわけじゃないらしいよ。これは夕焼けっていって、時々、日が暮れる時こうなるらしいんだ。それは、明日もいい天気だって印だって」
「いい天気ってことはさ、悪い天気っていうのは、どんなんだ、アレイル?」
 リンツが不思議そうに聞いた。
「さあ……僕も、はっきりとはわからないんだけれど。ニコルが教えてくれたことだからね、夢で。でも、雨とか曇りとか雪とか……そんなものらしいよ」
「なんだ、それ?」
「僕も直接にはあってないから、はっきりはわからないんだ。でもずっと長く外にいるとすれば、いやでも知ることになるんじゃないかな。雪はともかくね」
 アレイルは肩をすくめた。「もしここで夜を過ごすなら、もう少し毛布がいるな。夜は結構冷えるから、そのままで寝たら病気になるかもしれない。特に小さい子たちはね」
「んじゃ、ちょっと行って失敬してくるか?」リンツが立ち上がった。
「そうだね。悪いけれど。ついでに夕食分のパンとミルクもね。今、街の中はまだ昼間だから、人のいない家も多いよ」
 二人は再び都市の中へと飛び、三件の無人の家から、毛布を一枚ずつ、同じく三件の家からパンを数個ずつ、そして別の家からミルクを一瓶持ってきた。一軒の家から全部持ってくると、その家の住人が困るゆえの配慮――元々やっていることは盗みなのだが、今は生きることが最優先で、良心の声を聞いてはいられない。しかし、せめて相手の被害は最小限にしたいという思いで、何件かの家を渡っていたのである。毛布も、予備が全くない家は避け、薄い布団などほかに夜具がある家から持ってきていた。
 二人が取ってきた品物を受け取ろうと、立ち上がりかけたエマラインは、鋭い痛みを足首に感じ、顔をしかめて再び座り込んだ。姉弟を助ける時に痛めた足首のことを、今まで忘れていたのだ。座っている時にはあまり痛みを感じなかったせいだが、こうして再び立ち上がろうとしてみると、ひどく痛い。右のくるぶしが紫色に腫れ上がり、手でそっと触ると、かなり熱を持っていた。
「大丈夫かい? かなりひどくなってしまったね、君の足」
 アレイルが心配そうな表情で、そっと手を触れていた。
「もう、ずいぶんいいんだろうと思っていたよ。こんなに腫れているなんて、知らなかった。寝る前に、冷やしておけばよかったね」
「わたしも、今まで忘れていたのよ。動かさなければ、痛くないから」
「おねえちゃん、あの時転んだから、怪我したの?」
 シェリーがのぞき込んで聞く。
「ええ。たいしたことはないって思っていたんだけれど。でも、心配しなくていいのよ」
「じゃあ、この近くに小川があるから、何か布を冷やして持ってくるよ。何もやらないよりはましだから……」
「待って、おにいちゃん。あたし、おねえちゃんの怪我、治せるかもしれない」
 少女はそっとエマラインの紫色に腫れた足首に手を触れた。両手を重ねて触れたまま目を閉じて、じっとしばらくそのままでいる。それからごく静かに手を動かし、さすった。その小さな手の下で腫れはだんだんと引いていき、紫の色合いも赤からピンクへ、そして普通の肌色へと変化していく。シェリーがため息をつきながら、ぱっと両手を離した時、エマラインの足首はすっかり元に戻っていた。
「治った?」少女は頭を上げてそう問いかけ、
「まあ……」エマラインはしばらく言葉を失って、足首に触れた。
「すっかり良いわ。治ったわよ。あなた、こんなこともできるの、シェリーちゃん?」
「うん。昔カレンお姉ちゃんの怪我を、治したことあるの。すごくひどい怪我だったんだけど。元通りになれって一生懸命思いながら、手で触ってるとね、だんだん治っていって。でも、それからやったことないから、自信はなかったのよ。だってママが、もうやっちゃいけませんって、怖い顔で言うんだもん」
「お母さんは、きっと政府に見つかるのが怖かったんだろうね。ヒーリングか……すごい力だね。君は世界一のお医者さんだよ」アレイルが感嘆したような声を上げ、、
「おまえらって、ホントすごい姉弟だなあ」リンツは恐れ入った顔だった。

 彼らはその晩、森の入り口近くの草原で一夜を過ごした。そして翌日、森の中へと入り、柔らかい窪地を見つけて、そこに落ち着いた。午後になって、アレイルとリンツが都市へ行き、二、三日分の食料を調達してきた。お腹の空いていた仲間たちは遅い昼食をせっせと食べ、その後これからのことを相談したのだった。
「ここなら監視カメラがないから、気楽だよなあ。それにヘリも飛んでこないしさ」
 リンツが首を振りながら、真っ先に言った。「おれ、チェックタイムの間中、忙しくクロゼットの中へ隠れるのって、大嫌いなんだよな。昔のこと思い出して。ここは街の中よか、ちょっと涼しいみたいだけど、おれはここの方がいいよ 」
「君はそう言うと思ったよ。僕も同感だな。今のところは政府も、都市内のチェックしかやっていないから、外の方が安全なんだ。それに小さな子も入れて五人で都市のコンパートメントに隠れるのは、かなり難しいと思うんだ。外には空調がないけれど、今は五月のはじめだから、これから季候は良くなっていくよ。かなり暖かくなるから。でも、問題も少し残るね。今頃は、雨は少ないけれど、時々は降るし。それに外で食料を調達するには、今の時期はちょっと難しいんだ。果物は夏か秋にならないととれないし、キノコもまだ早い。川があれば魚を取ることもできるけれど、簡単に食べられるものと言えば、いくつかの草ぐらいかな」アレイルの言葉に、リンツが素っ頓狂な声を上げていた。
「草あ? そんなもんが、食べられるのかあ?」
「食べられるものもあるわよ。たとえば……これね」
 エマラインは足下に伸びている一本の草を引き抜いた。
「これはゆでれば食べられるわ。そのままでは味があまりないから、お塩がいるけれど」
「すごい。どうしてわかるの?」シェリーが不思議そうにきいた。
「触るとね、草が語りかけてくれるの。中には毒のあるものもあるけれど、食べられるものもわかるわ。でも、お塩はどうしましょう。今度街へ行った時、持ってきてくれる?」
「それはちょっと難しいな。普通の家に、調味料はないからね。配給センターの倉庫に行かなくちゃならない。それに、もし僕らに塩が必要だって政府にわかったら、彼らはなぜいるのかって考えるだろう。そうしたら、政府のコンピュータが、僕らが街の外にいるって、突き止めてしまう」
 アレイルが考え込むような口調でそう答え、首を振った。
「それは、たしかにそうね。考えが足りなかったわ。でもきっと食べられる草でも、お塩なしじゃ、おいしくないと思うわ。わたしたちにぜいたくは言えないんでしょうけれどね」
「だったら何も、無理して草なんか食うことはないんじゃないか? 都市から時々パンとミルクを、失敬してくればいいだろ。そうすれば奴らも、おれたちがその都市にいると思って、必死で街の中だけチェックしてるさ、なあ、アレイル」
「そうだね。それも、量は減らさない方がいい。人数が増えたのに、必要な食料が増えないというと、不自然に思われるから。その家の人には、申し訳ないけれど……それが今のところ、一番良いかな」アレイルも頷いている。
「でも、パンとミルクだけじゃ、飽きそう」
 シェリーはちょっと口をとがらせていた。
「おまえなあ、贅沢言ってるんじゃないよ。そりゃ、今まではお偉いさんのお嬢さんだったんだから、おれたちと違って、いい暮らししてきたんだろうさ。でも、今はもうおまえたちも、政府のお尋ね者なんだぜ。これからは、生きて行くだけで精一杯なんだ。食い物なんて、あれば幸せってもんさ」
「だって……」
 シェリーは黙り、涙ぐんだ。失った過去とつらい現実を思い出し、急に悲しくなったのだろう。少女はしくしくと泣き出した。
「泣くなよ……おれは別に悪気があって言ったんじゃないぞ。謝るよ。だがなあ、おまえも少しは新しい環境に慣れてくんなきゃさ」
「リンツったら、気持ちはわかるけれど、そんなにすぐには無理よ。まだ小さいんだから。ごめんね、シェリーちゃん」エマラインは少女の肩を抱いて慰めた。
「でもね、少しずつで良いから、今の現実も受け入れてね。昔のことを思い出すと、今の生活はつらいでしょうね。だけど、我慢してね。わたしはそれだけしか言えないわ。泣きたい時には、泣いていいから。怒りたい時には、わたしに怒ってちょうだい。そうして少しずつ、今を受け入れてちょうだいね。わたしたちみんなを」
「うん、ありがとう、おねえちゃん」
 シェリーは涙の中からも、眼を上げて頷いていた。
「あたしもわかってるの。でも、やっぱり思い出しちゃうのよ。パパやママやカレンお姉ちゃんが生きていて、みんなで街に楽しく住んでいた頃を。そうすると、やっぱりつらいの。もう、帰れないんだもん。パンとミルクだけのお食事がいやっていうんじゃなくて……あのころに戻れないのが悲しいの」
「思い出すのは当然だよ。つい昨日のことなんだから。忘れられるわけなんかないよね」
 アレイルの口調は穏やかで、慰めるように響いた。彼も手を伸ばし、少女の髪に触れた。
「それにね、忘れる必要もないことだよ。そんなにさっさと忘れられてしまったら、君たちのご両親やお姉さんが、かわいそうだ。死んだ人たちも、君たちが覚えている限り、心の中で生きているんだから。もう昔には帰れないのだから、悲しくなるのは仕方がないけれどね。でもそのうちに、悲しさが懐かしさに変わっていく時が、いつかは来るよ。今は悲しい気持ちがいっぱいだろうけれど、負けちゃいけないよ。君たちはお父さんやお母さん、それにお姉さんが命を懸けて逃がしてくれたんだ。だから、大事にしなくちゃ。自分自身の命と、これからをね。大丈夫。君は強い子なんだから、きっと出来るよ」
「うん……あたし、がんばらなくちゃって思うのよ。でも、時々はくじけちゃうの。大丈夫よ。あたし、パンとミルクだけでも、文句は言わない。お外で寝たって平気よ。だって、あたしががんばらなきゃ……ミルトもいるんだもん」
「偉いわ、シェリー。でも、あまりがんばりすぎないでね。つらくなったら泣いて良いのよ」エマラインは少女の背中をなで、微笑んだ。

 彼らが野外で暮らしはじめて五日目に、雨が降った。しかし、さほど遠くないところに洞窟を見つけ、その日はその中で過ごしていた。
「不思議ね。空からお水が落ちてくるわ……」
 シェリーが洞窟の入り口から手を伸ばして、落ちてくる雨の滴を手のひらに受けながら、感嘆の声を上げた。
「これが雨だよ。この雨と、それから太陽が、草や木を育てているんだね」
 アレイルがそう説明し、
「本当ね。木や草が喜んでいるわ」エマラインは微笑んで頷く。
「でも、おれらは喜ぶどころじゃないなあ」
 リンツはしかめっ面をして空を睨んだ。
「まったく、ここから動けないじゃないか。雨がやむまで、ずっとこの薄暗い中にいなきゃなんないのか? あっ、こら、坊主。出ちゃだめだ。濡れちまうぞ」
 ミルトはちょこちょこと洞窟の入り口から外へ出ていこうとしていた。
「やーだ!」
「だめ、ここにいるの! お水に濡れると寒いのよ。あんた、昔噴水の池に落っこちて、風邪をひいたことがあったじゃない。また風邪引いてお熱が出るわよ!」
 シェリーが弟の手を引っ張って膝の上にのせ、厳かにそう言い聞かせていた。
「やだ! いきたいの!」
 弟は執拗に繰り返し、姉の膝からすべりおりようと、もがいている。
「だめって言ってるじゃない、バカ! どうして、そんなにいうことを聞かないのよ! おしりぺんぺんするわよ!」
「いやーだあ!」ミルトはしまいには、金切り声を上げて泣き叫んでいた。
「ああ、もううるさいなあ。静かにしろよ」リンツが耳を塞いで叫ぶ。
「仕方ないわね。ほうら、坊や、一緒にこっちで遊びましょう。この石で積み木をやってみる?」
 エマラインは巧みに誘いかけ、ミルトの気を宥めてから、微かに笑みを浮かべた。
「坊やは、きっと雨が珍しいのね。わたしたちだって初めて見るから興味深いし、ミルトは小さいから、なおさらよ。子供って、好奇心の固まりですもの。それに、この子は活発な子みたいだから、一人で遊んでいると飽きちゃうんだわ」
「そうだね。自分のエネルギーを持て余すんだろうね。でもかわいそうだけれど、この雨の中じゃ、ここで遊ぶしかないな。あの子が退屈しのぎに念力遊びを始めないことを祈るしかないよ」アレイルはちょっと笑って、幼子に目をやっている。
「それはそうね」エマラインも笑い、石を積み重ねて遊んでいる幼児を、しばらくじっと見守っていたが、静かな口調で再び口を開いた。
「あの子はまだ、何が起こったのか、わかっていないんでしょうね」
「まだ、二歳だからね。何かを理解するには、幼すぎるよ。ただ周りの人間と環境が変わった、それだけしか、わかっていないだろうね。その理由はわからないし、理由そのものはあの子にとって、今は重要なことじゃないんだ。今までの生活が壊れたことも、それが二度と戻らないことも、あの子にはわかっていない。何もわかっていないことが、あの子にとっては、幸せなことかもしれないけれどね」
「でも坊やは、たしかにお母さんを恋しがっているわ。わたしにはわかるの。初めての環境の中にいるのに、お母さんや大きいお姉さんがそばにいないのが、とても不安なのよ。だから唯一の身内のシェリーにいつもくっついているし、普段より甘えん坊にもなっているのよ。かわいそうだわ。あの小さな心の中は、不安でいっぱいなの」
「ああ、でも幸いなことに、小さな子供は新しいことに慣れるのも、早いらしいからね。両親の愛情には及ばないけれど、僕らで出来るだけかわいがって、面倒を見てあげようよ。そうすれば、あの子の心の不安も、少しずつ和らいでいくよ」
「そうね。それしかできないものね」エマラインは静かに頷いた。
「それに、あの子も今だって、不安は感じているものの、生きる意欲も、いろいろなことに興味を持つ好奇心も、失っていないわ。小さな子供の心って、本当に新鮮で、弾力に満ちているのね。もうわたしたちにも、かなりなついているし。かわいい坊やだわ」
「そうだね」アレイルは頷き、ついで聞いてきた
「君があのくらいの小さな子供だった頃って、覚えているかい?」
「わたしがミルトくらいの頃? そうね、あまり覚えていないけれど、あの子くらいの年頃には、わたしはいつも部屋に一人でいた記憶しかないわ。端末から子供用のプログラムが流れていて、でもわたしはそれがあまり好きではなくて、他の玩具も何もなくて。泣いても呼んでも、お母さんは来てくれなくて。覚えているのは、それだけ」
「そう。寂しかったんだろうね、君も……」
「そうね。いつも寂しかったわ。でもこれが当たり前なんだし、みんなそうでしょ?」
「そうかもしれないね。でも、君ほど感じやすい子じゃなかったら、子供の方も黙って、おとなしく放送プログラムでも見ているんだろうと思うけれど。それが当たり前だと思ってね。でもそれを当たり前にしてしまうのって、何か間違っているような気がするんだ。僕は小さいころ、ニコルといつもやっぱり子供部屋にいたけれど、遊び相手がいて、寂しくはなかった。それに時々母さんも来てくれて、声をかけたり、時には抱いたりしてくれた。父がいない時にだけれどね。母さんは優しかった。話しかけても、忙しくなければ返事をしてくれたし。父さんは怖かったけれどね。だから母さんも僕たちの食事は、部屋に持ってきてくれた。父さんと顔を合わせずに済むように。顔を合わせればにらまれたし、怒鳴られたり、殴られたりすることも珍しくなかった。父さんがそんな態度をとったわけは、今となってはわかりすぎるほどわかるけれどね」
「そうね。でも子供の頃はわからなかったのでしょうし。最良と最悪のミックスのような感じだったでしょうね、あなたにとってのご両親は」
「おれなんかさ、最悪ばっかりだったぜ」
 リンツが二人の話に、ひょいと割って入ってきた。
「おれなんか、それそっくりの親父に、ヒステリーでしょっちゅうわめき散らして、家のことなんか何にもしないお袋と、何かというとすぐおれをいじめる姉貴しかいなかったんだ。悲惨だろ?」
「そうね、たしかに。リンツのお父さんお母さんって、子供に無関心なのではなくて、いじめて喜ぶタイプだったように思えるの。そういう人が親だと、子供はたいへんだわ。あなたのお姉さんはうまく立ち回って、ご両親に取り入る方を選んだ。あなたが一人で損な役回りを引き受ける羽目になったのね、リンツ」
 エマラインは少年を見、同情を込めて頷いてみせた。リンツも少し納得したような表情になり、「まったくだよなあ」と声を上げている。
「でも、そういういろいろなタイプの両親を持ってきたわたしたち五人だけれど、今はそれが全部なくなってしまったのね。まあ、わたしやアレイルはそろそろ親から離れる年齢だし、リンツは元々なくなっても惜しくないようなご両親だったらしいけれど、シェリーやミルトはまだ、親が必要なのよね。愛情深いご両親だったようだから、なおさら恋しいのよ。でも今わたしたちは否応なしに、年齢や環境を超えて、一つの境遇にいるんだわ。社会からは抹殺されるべき存在として。もう元の集団へは二度と戻れない以上、ここにいるわたしたち五人は、力を合わせて戦って生きていかなければならないんだわ。だから、わたしたちは……せめてわたしたち三人だけでも、過去を振り返ったり引きずったりするのは、もうやめましょう。そんな暇はないんですものね」
「たしかにその通りだよ」アレイルも深く頷いていた。
「じゃあ、五人で力を合わせて生きていく手始めとしてね。ミルトが雨の中に出ていって風邪を引かないように、この中で遊んであげることにしよう」
「仕方ないなあ。そうするか。あの坊主、元気だけはやたらといいから、相手すんのは、疲れるんだけどなあ。怒らせると、こっちの命が危なくなるし」
 リンツは肩をすくめ、しぶしぶという感じで同意していた。

「リンツ、ちょっと出かけたいところがあるんだ。悪いけれど、連れて行ってくれるかな?」
 町の外に出てから十日が過ぎた頃、アレイルはそう声をかけた。
「あら、どこへ行くの? 昨日、街へ食料調達に行ったばかりよ。まだパンとミルクも、明日の分くらいまではあるわ」エマラインが問いかける。
「うん。街へ行くんじゃないんだよ。実はね、昨日今日と、ずっとこの辺り一帯を……二、三百キロくらいの範囲かな、見ていたんだ。それで、君が前にほしがったものを見つけたんだよ。だからこれからちょっと行って、取ってこようと思うんだ」
「危ない場所じゃないの?」
「危険はないよ。大丈夫だ」
「じゃ、いいよ。使いに行ってやるよ。どこだい?」
 リンツは気前良く頷いていた。
 
 二人は出かけて二十分ほどたったのち、帰ってきた。
「何を持ってきたの?」エマラインは首を傾げて聞いた。
「これだよ」アレイルは上着のポケットから、ハンカチに包んだものを差し出した。
 エマラインはそれを受け取って広げた。中から不規則な形の、少しピンク色がかった、小さな透明の固まりが、いくつか出てきた。
「これは……?」彼女はそのきらきらした固まりを一つ、手に取ってみた。しばらくじっと眺めた後、ふと指を触れ、そっとなめてみる。
「やっぱり……しょっぱいわ。これはお塩ね」
「ええ? お塩って、白くてさらさらとしているのよ?」
 シェリーが不思議そうにのぞき込んだ。彼女の家では、その調味料を使った経験があったのだろう。少女はちょっと指でつつきながら、首を傾げる。
「まるで氷のかけらみたい。これが本当にお塩?」
「そうだよ。君の知っている塩とは、ちょっと違うけれど。普通に使うのは、海の水から作っているんだけれど、これは天然の岩塩なんだ。岩の中の塩分が固まったものじゃないかな」
「おれ、塩なんて見たことないから、こんなもんかと思ってたよ。本当は違うのか」
 リンツが頭をかいた。
「でも、どうしてこれを?」エマラインは聞いた。
「君が前、ほしいって言っていたから。シェリーじゃないけれど、ずっとパンとミルクだけじゃなくて、ほかに何か作れないかと思って」
「それは、たしかにそうだわ。でも、ここじゃ火はなんとかおこせても、料理はできないんじゃないかしら」
「道具がないからね。それにここの川には、小魚しかいなさそうだしね」
「魚って、本物は見たことがないわ。たまにシチューに入ってくるけれど」
「あれはほとんどクローンだよ。でも、魚は無理だけれど、野菜なら、なんとかなるかもしれないんだ。実はね、この岩塩のほかにもう一つ、見つけたものがあるんだよ。そこの方が、ここよりきっと暮らしやすいと思うしね」
「新しい場所なの、それって。じゃあ、ここから引っ越すの?」
「ああ、ここにはもう十日いるしね。あまり長いこと一つの場所にはいられないよ。常に移動していかないと、見つかってしまうんだ。まあ、今すぐっていうほど、危険が迫っているわけじゃないけれど………」
 アレイルは少し考えるように黙ってから、言葉を継いだ。
「明日の朝、食事がすんだら、次へ移動しよう」
「んじゃ、そうすっか。そこは、こっからどれくらいのとこだい?」
 リンツが頷きながら、そう聞いてくる。
「ここから西南に、一二〇キロメートルくらい行った所かな。そこからだと、二〇キロメートルくらいの距離に、第七都市があるんだ」
「じゃあ、パンやミルクはそこから持ってこられるわね。そうすれば政府は、わたしたちが今度は第七都市の中に拠点を移したと思うわよ」エマラインは微笑し、頷いた。





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