Part 6 of the Sacred Mother's Ring − The Grand Design

第2章 逃避行 (3)




「まいったなあ。おれ、超能力者なんて、ほかにいないって思ってたけど、同類っているんだなあ。そういやあ、おれがここまで逃げられたのも、ちょっと不思議なんだよな。考えてみると。ま、自分の力のおかげっていやあ、そうだけどさ。でもほかにもおれを手助けしてくれる奴がいたような……」
「それはどういうことだい?」
「いや、はっきりとはよくわからないんだけど……おれが寝てると、夢んなかで声がするんだ。『起きろ! 今すぐ。そして逃げろ!』ってさ。そんで飛び起きると、だいたいそのすぐあとに、奴らがやって来るんだ。で、なんとか逃げる暇があるわけだけどさ。最初、おれの家に連中が来た時も、ここに来た時もそうだったし、いつもいつもやばくなると、夢の中で声が響くんだ。おれって、予知能力者なのかもと思ったんだが、そうでもないらしい。だってほかのことは、からっきしカンなんか働かないもんな。それにその声はどうも、おれじゃない、どっかから来たみたいなんだ。さっき眠ってる時もさ、聞こえたよ。そんで、こんなこと言ってた。『もう大丈夫だね。あとは僕の兄弟を頼って』」
「ニコルだ、それ」アレイルは、はっとしたように手を打っていた。
「ニコルは他の人の夢には、せいぜい声でしか入れないって言っていたっけ。エフライムさんの夢も、声だけだったらしいし。そうか……彼は君がここまで無事に逃げてこられるように、導いていたんだ。君と僕たちを引き合わせるために……」
「誰だ、それ?」
「僕の双子の兄弟だよ。彼も超能力者で、眠った状態で精神だけが時空間を飛べる能力を持っていたんだ。ニコルは三年前に死んで、この世にはいないけれど、まだ夢の中で時渡りが出来るんだ。だから……」
「でええ! 三年前に死んだ奴だって? それがおれの夢に? なんだか怖い話だなあ」
「でもニコルなら、それが出来る。そのために、彼は命を捨てたんだ。彼は今も活動してる。でも、もう政府の手は及ばない……」アレイルは半ば夢想するように、そう呟いた。
「でも現実の僕たちは、常に追いかけられて、危険と隣り合わせだ。君がこれまで、どれほど苦労してここまで逃げてきたか、僕らもわかっているよ。僕らだって、そうだ。これから生き延びていくためにはね」
「そうだよな。あんたたちも超能力者だってことは、政府に追われてるってことだもんな」
「正確には、彼女はまだ手配されてはいなかったんだけれどね」
「へえ、なんでさ? 手配されてないんなら、家でのんびりしてりゃいいじゃないか」
「でもわたしも、それほど遠くないうちに手配者になるのよ。だけど一人じゃ、逃げられない。だから一緒にいるの。ちょっとこういう状態に入るのが早かったけれど、でもわたし、後悔はしていないわ。一人で家にいて恐怖におびえるのは、いやなのよ」
「まあ、連中はめざといからな。でも、わざわざ自分で早くするこたないじゃんか」
「でもわたしは、仲間が欲しかったの。お友達と一緒にいたかったの」
「お友達か……そういや、あんたらはそうだったよな。よくわかんないけど」
 少年は再び首をひねったあと、ベッドから降りようとした。しかしすぐにふらふらと座り込み、お腹を押さえてうめいている。
「は、はらへったよお〜〜それに、のどもからからだあ。お願いだ、あんたたち。おれを助けついでに、少し食いもんと飲みもん、くれ〜〜」
「丸一日半も寝ていたんですものね」
 エマラインは笑いながらパンを与え、ミルクもコップに注いで渡した。少年はがつがつとパンにかじりつき、さらにミルクを一息で飲み干している。
「そんなにあわてて食べると、体に毒だよ。しばらく何も食べていなかったんだから。もっとよくかまないと……」
 アレイルの注意も何のその、二枚のパンはあっと言う間に消えてしまった。
「だっておれ、はらへってはらへって……もう少しあったら、くれよ」
 リンツはパンのかけらを口に放り込むと、おかわりを催促し、最初と同じ量のパンとミルクをもらった。それも一回目と同じスピードで消え、さらにおかわりを催促する。
「もうないわ。今ので全部よ」エマラインは笑って首を振った。
「そうかあ……」
 リンツも残念そうに吐息をついて、ミルクだらけの口元を拭っている。
「まあ、でも生き返ったぜ、ありがと。でも、なんだかあんたたちの食料を全部平らげて、悪かったなあ」
「いいよ、気にしなくて」アレイルは寛大な様子で笑い、
「ねえ、どこか行く当てはあるの?」と、エマラインは問いかけた。
「ねえよ。だっておれ、こんな遠くの国に来たの、初めてだもん」
「そうでしょうね。だったら、ここにいなさいよ。ここは空き家だし、今のところは安全だから。逃げるなら、わたしたちと一緒に逃げましょうよ。仲間は多い方が心強いわ」
「まあ、そりゃ安全な隠れ家がありゃ、言うことないけどさ……」
 リンツは頭をぽりぽりかきながら、考え込むように黙っていた。
「わたしたちのことが、まだ信用できない?」
「いや、そういうわけじゃないさ。あんたらは悪い奴らじゃないと思うよ。おれに親切にしてくれたのは、あんたらが初めてだしな。でもおれ、その……あんたらがいう友達って奴に、なれる自信がねえんだよ」
「じゃあとりあえず、うまく逃げるための仲間っていうことにしたらどう? あなたとわたしたちが力を合わせれば、バラバラにいるよりも、きっと長く逃げられるわ」
「ああ。僕たちには君の力が必要なんだ。君なら、どこにでも移動が出来るから、食べ物を取ってきたり隠れ家を移ったりすることが、簡単に出来るよ。でもそのかわり、僕たちも君のために安全を提供できる。危ない状況を避けて、政府に出来るだけ見つからないようにする手段を探すことが出来るから。君が今までやってきたような危険な綱渡りは、もうあまりしなくてもいいようになると思うんだ」
 エマラインとアレイルの言葉に、リンツは考え込んでいでいるようだった。
「お互いに利用しあうってわけか。そうだなあ。それは悪くないかもなあ。夢の中の声も、言ってたしなあ。奴の兄弟を頼れって。奴の兄弟ってことは、あんたなわけだろ? てことはやっぱ、ここは言うことを聞いた方がいいのかなあ」
 少年はもう一度、探るように二人の顔を見つめた。そして再び頭をかきながら、しばらく黙っていたが、やがて意を決したように両手を叩いた。
「よっし、決めた。おれ、とりあえずあんたたちと一緒にいることにするよ。あんたらの食料、すっかり平らげちゃったことだし、同じお尋ね者同士なら、協力するってのも悪くはないよな。それに実を言うとこれから先、おれ一人で無事に逃げられるか、ちと心許ないしさ。もうはらはらドキドキはこりごりだし……」
「じゃあ、決まりね。良かった」
 エマラインはうれしさのあまり、少年の両手を取った。
「改めて、自己紹介させてね。わたしはエマライン・ローリングス。この三月で十八歳になったの。よろしくね」
「僕はアレイル・ローゼンスタイナー。去年の十二月で十八歳。よろしく」
「へえ、あんたたち、同い年か。おれよか、四つかそこら上なんだな。そっちの姉ちゃんなんか、おれとあんまり変わらないように見えたんだけどなあ」
 少年は首を傾げて、言葉を続けた。
「まあ、いいや。おれ、リンツ・スタインバーグ。十四歳って……別に言わなくても、あんたら、もっと詳しいこと知ってんだよなあ。じゃあ、おれは紹介しないぞ」
「いいわよ。じゃあ、これであなたもわたしたちの仲間ね」
 エマラインは微笑みかけながら、少年の手を握った。
「あ、まあ……よろしく」
「急にしおらしくなったなあ」アレイルはその様子に、ちょっと笑っていた。
「だっておれさ……なんか照れちまって」
 リンツは恥ずかしそうに笑っている。
「あら、初めて笑ったのね」エマラインは微笑した。
「あなたはきっと、笑えばとても良い表情になるだろうって、思っていたの。本当ね」
「やめてくれよ。もう、ほんと照れちまうよ」
 リンツは毛布で顔を隠し、みなは心から笑いあった。

 三人の同盟が結ばれてから、無事に十日が過ぎた。食料調達には、リンツの能力は非常に役に立った。どの階のコンパートメントでも、厳重にロックされていても、やすやすと侵入できたからだ。彼らは留守中の家に入り、パンやミルクを少しずつ失敬してきた。どの家が現在留守で、しかも監視カメラにも見つからないかを探るのには、アレイルの能力が活躍した。空間透視――離れた場所を自由自在に“精神の眼”で見ることと、危険予知、時間透視系の技で、そこの家の監視カメラの作動時間、人の流れなどを見るのだ。実際現場に行くのは男性二人で、エマラインはいつも家に残っている。彼女は二人が留守の間、気を集中させて周りの音、もしくは想念を聞いていた。
 十日目の朝、彼女は隣のコンパートメントに住む子供が、「隣から時々話し声がするよ」と、母親に言っているのを聞いた。「あら、そう。きっと誰か越してきたのね」と、母親の方は、たいして関心もなさそうに答えている。誰が隣人であろうが、彼らには関係がないことなのだ。エマラインはその無関心に、この時ばかりは感謝した。
 しかしアレイルは彼女からその報告を受けた時、“危急”を感じたらしい。彼はしばらく黙ったあと、真剣な表情で告げた。
「場所を変わった方がいいね。隣の主婦は、僕たちに感心がない。今のところはね。でも廊下を通りかかった時に、何かの拍子にここの玄関を見て、何も表札が出ていないのを見たら、変に思うよ。そうすれば通報される」
「通報? だって政府はわたしたちの手配を、一般には知らせていないんでしょう?」
「そう。僕らが手配されていることは、普通の人は知らないよ。でも一週間ほど前、第二連邦内の放送プログラムで、告知されたんだ。あるはずのものが突然なくなったり、ほかにも何か不思議なことを見たり聞いたりしたら、知らせて下さいって。その本当の理由は知らせないで、番組のためにそういう体験談を募集します、採用されたら謝礼を差し上げますってね。平均月収の半分くらいの額を」
「げげ、それじゃあなあ! 手配されてるのも一緒だよ。連中、うまいこと考えやがったな」リンツが両手を上げて叫んだ。
「隣の主婦が謎の隣人の話を知らせたりしたら、たちまち踏み込まれるよ」
 アレイルは難しい顔で続けた。「だからそうなる前に、場所を変わった方がいいんだ。明日中くらいにはね。だいたい一カ所に長くとどまるのは危険だよ。どんなに用心しても、いつかどこからか、小さな水漏れが起きてしまうんだ」
「ここには、水道は来てねえぜ」リンツが怪訝そうに口を挟んだ。
「そういう意味じゃないよ。どんなに用心しても、今みたいに隣の人に話し声を聞かれたり、共同水道やトイレに行くところを、住人に見られたりすることもあるっていうことさ。そうならないように、注意はしているけれどね。それにたぶん、ここの人たちは仮にそんなところを見ても、新しい住人か、単なる通りすがりだろうと思って、気にはしていないだろうけれどね。でも今、集合住宅の玄関にあるカメラは、監視強化されているし、管理者にも巡回を強化するように言われている。空き家のチェックも、この都市内では頻度が高くなってきている。二時間に一回、十分。それが限度みたいだけれど」
「むう。そうかあ。最近クロゼットに隠れるのがやけに頻繁だなと思ったら、そういうことか。トイレも思うようにいけないしなあ」リンツがため息とともに、首を振っていた。
「もっともおれ、監視カメラのチェックなんて、てんで考えてもいなかったから、すぐ見つかるのも無理なかったけどなあ。ここじゃずっと平和だったんで、やれやれと思ってたんだけど……」
「あなたの予知じゃ、隣の主婦から政府に情報が伝わるまで、どのくらいかかる、アレイル?」エマラインの問いに、アレイルはしばらく考えるように黙ってから、答えた。
「二日……だね。隣の主婦は明日の夕方、ここの表札が係っていないのを見るよ。そしてその夜通報して、真夜中に偵察隊が武装して、ここに……」
「げえ、もうあんまり余裕ないじゃんか!」リンツは悲鳴に似た声を上げた。
「だから、明日の昼には場所を変わろう。行き先はこれから探してみるよ。空いているコンパートメントで、両隣に子供がいないところをね。子供はたいてい一日中家にいるから、気づかれやすいんだ」
「そうなると、あまり候補がないわね」
「でも、何もこの都市の中じゃなくても、いいんだからね。今はリンツもいるし」
 アレイルは指を振って、微かに笑う。リンツも誇らしげに宣言した。
「そうそう。おれにかかれば、ひとっとびさ」と。

 三人はその後、同じ第二連邦内にある、第三都市にやってきた。そして十一区にあるアパートメントの空き部屋に身を潜めた。都市のドームを超え、数百キロの距離を超えて、ビルの七階に位置するコンパートメントの中に入るのは、リンツの能力なしには考えられなかった。今度の住処は、左隣が結婚間もない若夫婦、右隣は子供たちもすでに教育課程を終え、家族全員が社会人になっていた。彼らはたいてい夜しか家にいないし、在宅の時もたいてい放送プログラムを見ているので、空き家の住人の存在を悟られにくいのだ。
 ここにはまだ政府の非常線が張られていなかったので、カメラのチェックも最初の頃は、一日に三回しか来なかった。しかし三日目から六回になり、五日目からは二時間に一回になった。八日目の夜、チェックタイムが終わってクロゼットから出てきた三人は、いつものようにベッドやソファの上に腰掛けた。
「また、忙しくなってきたわね。もうそろそろここも、変わったほうがいいのかしら」
 エマラインはふっとため息をついた。
「そうだね。近いうちに……」アレイルは考え込むように、そう答えた。
「でもこれからは、どこへ行っても、すぐにマークがきつくなるだろうね。パンやミルクが不思議ななくなりかたをするっていう話は、すぐに政府に知られるし、それでたちまち政府側は今僕らがどの都市にいるのか、わかってしまうから。それに都市間の移動をしたことで、向こうはもう、リンツと僕が一緒になって行動していることは、わかっているよ。君のことはまだ、確定ではないけれど、エマライン。でも、君も僕らと一緒にいるだろうって、奴らのコンピュータは、はじきだしているみたいだ」
「敵も手強いなあ……」
 リンツが夕食のパンをほおばりながら、ため息混じりに首を振った。
「よくまあ今まで、無事に逃げてこられたと思ってるぜ。おれはさ、正直うぬぼれる気はないぜ。おれひとりじゃ、ここまで生き延びるのは無理だったろうな」
「僕たちも君と一緒じゃなければ、ここまで逃げては来られなかったよ、リンツ。僕たちだけじゃ、明日の食べ物にも寝るところにも、困っていただろうね」
「そうよ。本当にあなたのおかげ」
「いやあ、そう言われると、照れちまうな」
 アレイルとエマラインの言葉に、少年は恥ずかしそうに頭をかいた。
「でもおれはさ、あんたたちと一緒になってから、危ない目に遭わずにすんだことが、大きいと思うんだ。おれはただ、自分の力を使うことだけ考えてりゃいい。どこへ行くかは教えてくれる。そういうのって、結構楽なんだ。おれみたいに頭使うことが苦手な奴はさ」
「アレイルとあなたが、お互いに自分の力を生かして、政府の追っ手をかわしているのよね。わたしはあまり役に立たなくて、申し訳ないわ。いつも二人の力に頼ってばかりで」
「そんなことはないよ。君だってここに移る前、隣の一家が僕らの存在に気づいたことを教えてくれたしね。それに、エマライン、君はそれ以上に、僕らにとっては必要なんだよ。君は僕らの精神的な支えなんだ」アレイルは熱心な口調で主張し、
「そうそう、男ばっかじゃ、つまんねえよ」リンツはにやっと笑う。
「それにあんたの力も、結構良いとおれは思うぜ。人にだまされることは、絶対ないだろうからなあ。なんたって、信用できねえ奴ばっかだからさ」
「わたしたちのことも、まだ信用していない、リンツ?」
 エマラインは優しく問いかけた。
「いいや、そんなことはねえよ。あんたらは信用してるさ」
 少年は赤毛の頭を振りやって、即座に宣言した。
「おれさ……正直に言っちまえば、あんたらの仲間になれて、その……本当に良かったって思ってるんだ。おれ、ほかの人間といて気持ちよくなれたのって、初めてなんだ。あんたたちとは……その、これからも一緒にいたいと思ってるよ」
「そう言ってもらえてうれしいわ、リンツ」
 エマラインは少年の言葉の真実を感じ取り、手を取って微笑みかけた。
「わたしたちは、もうお友達ね、そうでしょう?」
「お友達か……だといいけど。あんたらは、そう思ってくれるかな?」
「もちろんよ」
「あたりまえさ」
 二人は同時に頷いた。
「じゃあ、おれもそう思っていいよな。ああ、なんかうれしいな。一人じゃないのがうれしいなんて、初めてだけどさ」
 三人は顔を見合わせて笑った。彼らの間には、この二週間あまりの間に、強い仲間意識が芽生えていた。エマラインはその思いをたしかに感じられたし、その能力はなくとも、アレイルとリンツにも感じられていることだろう。そう思えた。冷たい社会で、他人とのつながりなどほとんど感じることが出来なかった今までの人生に、初めて人との、心からの交流が生まれたのだ。明日をもしれない逃亡生活の中で、彼らは今までになく暖かく、自由でのびのびとした気持ちを感じていた。
「人と交流できるって、楽しいことなんだね。時にはいやなこともあるかもしれないけれど、一人でいるよりきっと良いよ」アレイルは考えるように、そう言い出した。
「リンツは僕らと初めて会った時、友達って言う言葉さえ知らなかったんだよね。リンツだけじゃなくて、みんな、ほとんど知らないんだ。僕も言葉だけでは知っていたけれど、エマラインと会えて、初めて実感できた。ほかの人たちとわかりあえることが、これほどうれしいなんてね。自分のほかはどうでも良いっていうのは、正しいことじゃないよ。今は、はっきりそう思うんだ」
「同感ね。でも、あなたはまだいい方よ、アレイル。あなたの家族は基本的にみんな、感情豊かな人たちだったから、あなたは家族と気持ちを通わせることが出来たんですもの。お父さん以外は。でも、わたしはそうじゃなかったわ。求められても得られない空しさが、どれだけ悲しかったことか。でもそれさえも、気づくことはなかったのよね。あなたに出会うまでは」エマラインは、かすかなため息をついた。
「でも、あんただって、まだましだぜ。殴られたり怒鳴られたり、放り出されたり閉じこめられたり、ほんと、おれ家族にいじめられっぱなしだったもんなあ。あいつらがいないときは、天国だった。こんな環境で、他人が信用できる人間に育つわけないよなあ」
 リンツは吐息混じりに、肩をすくめている。
「そうね。それは本当に、ひどかったわよね。でもあなたはそんな環境でも、純粋に育っているわね、リンツ。それは本当に素晴らしいことだと思うわ」
 エマラインは同情を込めて頷いた。「わたし、今はすごく満たされた気分だわ。不思議に思えるけれど、でもわたし、今まで生きてきて、今が一番幸せかもしれない」
「おれも、それは言えるかもな」リンツも神妙な顔で頷いている。
「幸せか……うん。ちょっと厳密な意味は違うような気がするけれど、充実はしているね、たしかに。今までで一番不安定な生活なのに、すごく生きているって実感できる。不思議だよね」アレイルも考えるように天井に視線をやりながら、頷いていた。
 社会をはずれて、常に生命の危険と隣り合わせの生活の中で、初めて生きていると感じ、友情を知る。それは奇妙なパラドックスであったが、たしかにそれが偽らざる実感だと、三人ともに感じていたのだった。

 その夜のことだった。アレイルはひどく鮮明な夢を見た。まだ寝入りかけてまもなく、彼の眠りに進入してきたのは、海を隔てた遠い国の、見知らぬ家族の光景だった。
 そこは市庁舎で働く上級官僚用の、高級アパートらしかった。一般の住宅よりも広い間取り、高い天井、上級素材で出来た家具。窓には薄緑色のカーテンがかかり、居間の床には、薄いベージュ色の絨毯さえしいてある。
 居間には、三人の子供がいた。一番上の女の子は、だいたいリンツと同じ年頃だろう。背は高いが華奢な体格で、灰色のワンピースを着て、黒いタイツをはいている。この時代、政府から支給されてくる服は、飾りのない被り式の上着とズボンなので、この子の服は、そして他の家族のものも、個人で購入したものなのだろう。肌の色は青白く、黒いまっすぐな髪はもうすぐ肩に届く長さで、結ばずに垂らし、前髪も額に下げている。大きな目は灰色で、長いまつげは頬にくっつかんばかりだ。彼女は小さな口を軽くとがらせて、手に持った携帯読書用端末を熱心に見ていた。その傍らに妹らしい、十歳か十一歳くらいの女の子が寄り添うように座っている。この子は姉よりもいくぶん肉付きが良く、頬も健康そうなピンク色だ。姉と同じ型の紺色のワンピースを着て、濃い灰色のタイツをつけ、姉と同じまっすぐな髪で、同じ髪型をしているが、色は黒ではなく、エマラインの髪よりも少し濃い色合いの金髪だった。大きな瞳は明るい色合いの青で、顔の造作はいくぶん姉よりもはっきりしているが、小さくとがった口元はよく似ていた。姉妹は頬をくっつけあうようにして、本を読んでいる。それは子供向けの、色つきのきれいな立体アニメーションだった。姉妹の足下の床には、薄い茶色のカバーオールを着た、二歳くらいの小さな子供が、ぐっすりと眠っていた。その手には、柔らかい素材でできた緑色のボールをしっかりと抱えている。やわらかそうな栗色の巻き毛が頭を覆い、黒いまつげは長く、頬はピンク色だ。
 子供たちの向かい側のソファで、大人向けの小説を入れた携帯端末を読んでいる婦人は、母親らしい。三十代後半、そろそろ四十に手の届きそうな年輩だが、まだ顔にはかなり若々しさと美しさをとどめている。まっすぐな金色の髪を娘たちと同じように垂らし、丈の長いグレーのドレスを着ていた。彼女はふと目を上げ、床の上で寝入ってしまった末っ子に気がつくと、にっこりと微笑んだ。その微笑は、母親らしい愛情にあふれている。婦人は“本”をテーブルの上に置いて立ち上がり、そっと子供を抱き上げて、部屋を出ていった。子供用寝台に寝かせに行ったらしい。戻ってくると、優しい声で娘たちに呼びかけている。
「カレン、シェリー、あなたたちももう、ベッドへ行く時間よ。ミルトはもう、ねんねの国へ行ってしまったわ。子供は大人のお休み時間まで起きていては、いけませんよ」
「あたしたち、ミルトほど子供じゃないもん、ママ」
 妹の方が、不満げに頬を膨らませてそう抗議したが、姉に諭され、二人で部屋を出ていく。子供部屋へと行ったようだった。
 居間のアームチェアには、一人の男が座っていた。四十前後の年輩で、黒い髪にはちらほら白いものが混ざっている。彼は両手を膝の上に組んだまま、放送プログラムが映し出されている端末の前に座っていた。しかしその目は画面には注がれておらず、難しい顔をして床の絨毯を見つめている。
 子供たちを寝かしつけ終えた夫人は、夫のそばのソファに腰掛け、しばらく一緒に放送を見ているようだった。その間、彼女は何度も夫の様子を心配げに見やり、やがて立ち上がってそばへ行くと、そっと肩に手を触れた。そして静かな声で、気遣わしそうに尋ねた。
「どうかしたんですか、ローランド。何か心配事でも、あるのですか?」
「ああ」男はしばらく黙った後、頷いた。
「マーサ、私は不安なんだよ。どうしても気になることがあるのだ」
 そして、彼はついと立ち上がった。
「いや、ここで考えていても始まらない。私はこれから、市庁舎へ行って来るよ」
「こんな夜遅くにですか?」妻は驚いたようだった。
「もう、二二時半を回りましたよ。あなたが向こうへ着く頃には、消灯時間になってしまうわ」
「大丈夫だ。市庁舎は二四時間機能しているんだ」
 彼は紺色の薄い上着を羽織りながら、妻に笑顔を見せた。
「心配するな、マーサ。ちょっと調べものがあるんだ。私の勤務時間内では、出来ないんだ。なに、たいしたことはないと思うが……知りたいことがあるんだよ」
「それは……もしかしたら、子供たちのことですか……?」
 夫人はしばらく黙った後、不安げな顔でそう問い返した。
「そうだ……」
 男はしばらくためらったような表情を見せた後、頷いた。
「実は今週分の処分者リストが、私の手に回ってこなかったんだ。こんなことは、初めてだ。この第三連邦の第五都市で該当者が出ること自体は、せいぜい年に七、八回ほどだから、ほとんど任務には関係ないのだが。しかし全連邦内では、毎週何人かは出ているのが普通だ。そのリストは毎週、私の所に回ってきた。ところが今週に限って、まだ届かないのだよ。たぶん執行日は今夜のはずなのに、だ」
「でも……それはその週は、世界中で誰も該当者がいないということではないのですか?」
「いや。たしかにそういうこともあるが、その時には『該当者なし』とだけ記されたリストが来るはずなんだ。まあ、何かの手違いか作業ミスで届かなかったのなら問題はないが、もし何らかの事情で、私には見せられないものだとしたら……それがどうも、気にかかるのだよ」
 彼は玄関のドアを開けるボタンを押すと、妻を振り返った。
「マーサ、君は子供たちと家にいてくれ。消灯時間が過ぎても、できたら私が帰るまで、起きて待っていて欲しいんだ。非常用のライトをつけていれば、ある程度は明るいから、それほど怖くはないだろう」
「ええ、待っています。とても眠れたものじゃないわ。あなた、気をつけて下さいね」
 妻は気遣わしげに、両手を振り絞った。
「心配するな、マーサ。きっと大丈夫さ。何かの手違いで、届くのが遅れただけだろうとは思うよ。単なる、気の回しすぎかもしれないんだ。私たちは今まで、細心の注意を払ってきたのだからね」
 夫は妻に微笑みかけると、出ていった。
 彼女は不安そうに、夫の消えたドアを見つめていた。そして両手を握り会わせ、長い間じっと立っていた。消え入るような声で呟きながら。
「ああ、ローランドと子供たちが……何事もありませんように……」

 場面が変わった。さっきの男が市庁舎にあるコンピュータルームのメイン端末の前に座っている。熱心にキーを叩き、ついに望みのリストを引き出したようだ。それを見た彼の顔色が変わった。思わずよろよろとよろめき、椅子に寄りかかっている。それからどっかりと椅子に座り込むと、両手で顔を覆い、切れ切れに呟いていた。
「何ということだ……ついに、恐れていたことが……」
 彼はしばらくそのままの姿勢でうつむいていたが、やがてはっと気を取り直したように顔を上げ、通信回線を切り替えて、自宅で待っている妻を呼びだしたようだった。
 すぐに、心配そうな顔をした夫人が画面に映った。
「あなた、どうしたんですか? 出かけてから、もう一時間近くになるのよ。私もう、心配で、心配で……」
「私のIDとパスワードでは、コンピュータにアクセスできなくてね、しばらく手こずったんだ。だが、そんなことはどうでもいい。いいか、マーサ。逃げろ! 今すぐ子供たちを起こして、逃げるんだ。もうあと三十分ほどしか、時間はないぞ!」
「やっぱり、そうなんですか……」
 夫人の顔は、唇まで蒼白になっていた。消え入りそうな声でそう呟くと、しかしすぐに気を取り直したように、きっぱりとした口調で言葉を継いでいる。
「わかりました。私で出来るだけのことをやってみます。でも、あなたはどうするんですか、ローランド」
「私はもう、家まで帰っている余裕はない。もしも無事にここから出られたなら、例の場所で落ち合おう。しかしそれが無理なら、私にかまわずに行け。急げ、もう時間がない! 私の車を使え! 私も、ここでできる限りのことをする」
 彼ははっと息をのんだように、振り返った。背後のドアが開き、七、八人の男たちが武装して入ってきたのだ。そのリーダーは、昨日までは彼の部下だった男だ。その男は苦笑いに近い表情を浮かべていた。
「シンクレア将軍、職権乱用は困りますね。それと、公私混同もね。もともとあなたはここ数年、逸脱が目立ってきていました。家族と仲良くしすぎだと。あなたは注意深くやったおつもりでしょうが、家族でピクニックはやりすぎです。それでとうとう来年には、将軍職を解任され、末端の隊員に降格される予定だったのです。しかし、さらに残念なことになってしまいましたね。お子さんの容疑は特Eですから、直系親族のあなたも、連座しなければなりません。おまけにあなたは、事前に極秘情報を夫人にリークしましたね。あなたの罪は重いですよ、将軍。もっとも、こうお呼びするのも、これで最後ですが」
「待ってくれ、イーストン!」
 ローランド・シンクレア将軍は(それが彼の名前なのだ)、はじかれたように椅子から飛び上がった。その顔から見る見る血の気が引いて、青白いのを通り越し、土気色になっている。彼は懇願するように、言葉を継いだ。
「私の命はくれてやる。だが、子供たちには何の罪もないんだ。お願いだ。妻と子供たちは見逃してやってくれ。君が今回の責任者なら、できるはずだ」
「私にどうしろというのですか? 処刑はすんだと、虚偽の報告をして、夫人とお子さんたちを逃がせと。そんなことが、出来るとお思いですか? すぐに政府に発覚するに、決まっているではないですか。そんなこともわからないほど、あなたは盲目になったのですか? それに、そんなことが政府に発覚すれば、私まで重罪人だ。あなたは自分さえよければ、どれだけ罪のない他人を巻き込んでも、かまわないというわけですね?」
「違うんだ、イーストン。ただ……」
「どこが違うんですか。ことは特E容疑なんですよ。その重大さを、あなたならわかっていらっしゃるはずだ」
「わかっているとも。だが、あんな小さな子が政府に反逆など、出来るはずがなかろう。そんなことは考えただけでも、ばかげている。第一、たとえ超能力者が百人集まったとしても、この大きな世界連邦が、びくともするはずがないじゃないか。なのにどうして政府が超能力者にたいしてそれほど神経質になるのか、私にはわからん」
「たしかに私にも、よくはわかりません。しかし、政府の方針は方針なんです。どんなに小さな危険の芽であっても、異端があれば排除しなければなりません。たとえ子供でもです。子供もいずれは、成長しますからね。ことに今は立て続けに特E容疑者が出て、しかも連続して逃げられているのですよ。そんな状況ですから、政府がこの問題に非常に敏感になっているのは、あなただってご存じだったではありませんか」
「それはそうだが……」
「将軍。もうこの問題で、あなたと話すことは何もありません。私はあなたに、個人的には、悪い感情は持っていませんでした。こんな結果になって、残念な部分もあります。しかし、もうこれでお別れです」
 イーストン副将軍はきっぱりとした口調でそう宣言すると、さっと手を上げた。それと同時に、七本のレーザービームが一斉に火を噴き、あっという間に将軍の身体を射し貫いていく。彼は短い苦悶のうめきを発すると、どうっと床に倒れた。濃紺の上着に、血痕のこびりついた穴がいくつも開き、そこからぶすぶすと煙を上げている。
 死刑執行者のリーダーは、物言わぬかつての上官の死体を、しばらく見下ろしていた。その目には何も感情を映してはいなかったが、ことさら何も思おうとはせずに見ているような感じを受けた。その後、携帯用通信機を取り上げ、別人のような口調で命令を下している。
「特E四号の件、処刑を十五分早める。第一、第二部隊は、今すぐ自宅へ急行せよ。逃亡の恐れあり、至急だ。第三、四、五部隊は、市中を見回れ。シンクレア将軍の乗用車を発見したら、直ちに通報し、可能なら撃墜せよ。以上」
「イーストン副将軍。シンクレア将軍の遺体は、どういたしますか?」
 同行してきた執行者の一人が、そう尋ねた。
「処理班を呼んで、死体処理場へ回せ。それと、もうあの男を敬称で呼ぶ必要はない。我々の上官ではなく、もはやただの逸脱者で、特Eの家族だ」
 彼はくるりと背を向けて、足早に部屋を出ていった。

 アレイルは暗闇の中、はっとして起きあがった。鮮明なイメージの衝撃に、びっしょり汗をかいている。彼はため息をつき、いぶかしげに首を振った。
(ローランド・シンクレア将軍……第三連邦……第五都市……将軍と言えば、都市の治安本部のトップだ。でもなぜこんな人が、僕の夢に出てきたんだろう)
 ただ、一つだけわかっていることがあった。この鮮明な夢の感じは、過去に起きた事実、もしくは近い未来に現実となることなのだ。これまでいつもそうだったように。しかし、自分にまるでつながりのない、一度も面識のない他人が、これほど鮮やかに夢に登場したことは、今までにはなかった。
 アレイルは壁に身を持たせるようにして、寄りかかった。暗闇の中に、壁の中に埋め込まれた時計の表示が浮き出して見える。二三時五三分――彼は、ふいに気づいた。これは、現在とほぼ同時進行の映像だったということを。では彼らは今頃、いったいどうなっているのだろう?




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