Part 5 of The Sacred Mother's Ring - Call of the Time

エピローグ(1)




 ヘリウェル大統領は執務室のデスクにつき、頭上にめぐらされた六つのスクリーンを順に眺めた。そこには、世界の各地区――ヨーロッパ、東アジア、西アジア、オセアニア、アフリカ、南アメリカの各首長が映し出されていた。大統領デスクの隣にあるソファには、北アメリカ地区の首長であるニコラス・ローウェル氏が座っている。
「みなさん、今日は集まっていただいて、ありがとうございます」
 ヘリウェル大統領はデスクの上に置かれたマイクから、スクリーンに呼びかけた。そして、付け加えた。
「東アジアやオセアニア地区のミラヴィック首長、マーシャル首長には、時間外にお呼び立ててしまうことになって、すみません」
 ニューヨーク市では朝の九時でも、これらの地域では、深夜に近い時間帯なのである。
「それは構いません、大統領」
 東アジア地区の首長であるジョナサン・ミラヴィック氏がかすかな笑顔を浮かべて答え、オセアニア地区のエミリー・マーシャル女史もにこやかに頷いていた。
「それでは、みなさんのお手元に、芸能局での一つの試みについての経過報告を送ったと思いますが、そろそろこの試みについての判定を下さなければなりません。そのために、みなさんのご意見を伺いたいのです」大統領は再びスクリーンを見回した。
「私はそもそも、芸能局に新しい試みが必要であるとは、思わないのですがね」
 ヨーロッパ地区の首長であるデイヴィッド・カーライル氏が、銀色がかった太い眉毛をしかめて、そう口を開いた。
「たがが娯楽ではないですか。我々地区首長や、ましてや大統領閣下が気にかけるようなことではないと、私は思いますよ。問題のその人物が機械カウンセリングのきかない特殊体質だったとしても、処分は芸能局に任せれば良いことではないですか。いえ、大統領の人権を尊重したいというお考えは、よろしいかとは思いますが。そのために芸能局の規則を見直すことに、別に異議はありません。実際、芸能局の規則はかなり緩和されましたしね。しかし、一人のものに特例を与えることは、あまり感心しないですね」
「私も、そう思います」隣に座った北アメリカ地区のローウェル首長が同意した。
「しかし、大統領が芸能局には新しい試みが必要とお考えになったわけですから、そのことの是非をいまさら問うてみても、せんのないことです。今問うべきは、その活動を継続させるべきか止めさせるべきか、その判断でしょう」

 十二月になっていた。ジェレミーが三人の仲間とともに芸能局に戻ってきて、半年近くが経過している。ジェレミーはジェミー・キャレルから本名のジェレミー・ローリングスに名前を戻し、さらに三人の仲間たちをM―フォースと名づけて、七月に最初の自作曲、「Love Song」を発表した。音楽番組には出演しなかったが、ジェミー・キャレルが名前を変えて戻ってきました、という告知だけはした。彼の復活を待っていたファンたちや、名前だけは知っているという人々が、端末からリクエストをかけてその曲を聞き、そこからたちまち火がついた。その熱気が頂点を迎えた二週間後、さらに次の曲が出た。その後も二週間の間隔を置いて、立て続けに五曲を発表している。
 彼が発表した合計七つの曲は、どれもがたちまちのうちにリクエストのトップに躍り出た。さらにその前の曲もまだ勢いが衰えておらず、トップテン中に何曲も彼らの楽曲がチャートインしている。音楽プログラムには一切出演せずとも、映像、音源、どちらのファイルからも感じられる際立った曲の良さ、楽器群の調和が奏でる新鮮なアンサンブル、そしてジェレミーの聞くものの心を揺さぶるような魂からの歌は、大量生産されている芸能局の他の楽曲を、瞬時に色褪せさせてしまうものだったのだ。
 九月になる頃には、若者たちが放送プログラムに寄せるリクエスト、開くファイルの八十パーセント近くが、ジェレミーたちの音楽になるという現象が発生した。十月から彼らはロード期間に出、演奏会を開いたが、あまりの人気ぶりに各都市では、大勢の人を入れるために公園を解放してコンサートを開かなければならない有様だった。
 
「異例の大人気ですな」
 南アメリカ地区のパーフィット首長が、苦笑を浮かべて首を振った。
「先月彼が、我が地区の主要六都市で行った公演には、のべ十万人が集まりました。今までは芸能局の歌手が公演に来ても、せいぜい一回千人くらいの規模でしたが、今回は十倍以上ですよ」
「ヨーロッパへ来た時もそうでしたね。他の地区も、みなそうだと聞きます」
 カーライル首長は、少々苦々しげな笑いを浮かべた。
「ええ。今彼らは北アメリカを巡回中ですが、今のところ、ここでもそうですよ」
 ローウェル首長は肩をすくめた。
「大変な人気ですな」西アジア地区のグリーンウェイ首長が、短い茶色の口ひげを撫でながら言い、そして続けた。
「ただ、これだけの大騒ぎが社会的に好ましいものかどうか、私には判断がつきかねます」
「社会は穏やかな方が良い。あまりに騒々しいと、せっかく平穏に来た我々の世界にとって、不安定の種をまくのではないかと、私は懸念します」
 カーライル氏が再び眉を寄せた。
「必ずしも、完全なる安定が望ましいとは限らないと、私は思いますがね。流れる水は腐らないと言いますから」
 東アジア地区のミラヴィック氏が、頬を掻きながら言い、
「しかし、そのたとえで言うなら、水面が波立ちすぎると、こぼれる危険はありますよ」
 アフリカ地区の代表であるジョンソン首長が、かすかに肩をすくめて反論している。
 ヘリウェル大統領はスクリーンに映る六人を見、傍らに座るローウェル氏に目を移し、ついでデスクに視線を落とすと、再び顔を上げた。
「彼はかなりの反響を巻き起こしたようです。しかし、彼の活動中における若年世代の勉学、労働の生産性には、さほど重大な影響は見られません。みなさんにお渡しした資料にも、そう記されていると思います。むしろ微増しています。彼の活動に関係しているのかどうかは、わかりませんけれど」
「今のところは、そのようですな」グリーンウェイ・西アジア首長は資料に視線を落としたようだった。他の数人も頷いていた。
「だが、思想に問題はないですか? この人物は芸能局より、思想に偏向があるということで糾弾を受けたと、記されているようですが」
 カーライル・ヨーロッパ首長が問いかけた。
「実際に彼と話したところ、たしかに社会的な不満をいくつか持ってはいるようでした。しかし、破壊的な衝動や反社会的な行動意欲はないようでしたので、危険とはみなしませんでした。それに彼が今発表している歌にも、反社会行為を助長するようなものはないと思います」ヘリウェル大統領が答えた。
「そうですね。歌詞を見たところでは」
 マーシャル・オセアニア首長がそれを受け、頷いている。
「たしかに彼の活動による、直接の弊害は、今のところは見受けられないようですね。コンサート当日、会場周辺の交通混雑が激しくなるのは多少困りものですが、芸能局所属者が演奏会を開くのは、合法ですし」パーフィット・南アメリカ首長が肩をすくめた。
「交通混雑は、致し方ないでしょう。一般の業務に差しさわりのないよう、休日もしくは夜間限定で演奏会を開くようにさせていますし」ヘリウェル大統領が答えた。
「それで、彼の今後の活動継続を認めた場合、同じような活動形態を、他の芸能局所属者にも認めさせるわけですね?」ローウェル・北アメリカ首長が聞いた。
「そうですね。希望があれば」大統領は頷く。
「それでは将来、そういう形態が広まったとして、芸能局所属者以外でも、そういう活動形態をお認めになりますか?」ローウェル氏が少し眉根を寄せて、そう聞く。
「それは、その時に考えましょう。しかし当面は芸能局限定で良いと思います」
「それならば……今のところは、問題ないかもしれませんね」
 ミラヴィック・東アジア首長が考え込むように口を開いた。
「まあ、たがが芸能のことですからね。私個人の意見を言えば、どうでも良いですな」
 カーライル氏が首を振りながら言い、さらに渋い顔で付け加えた。
「しかし、一個人に特別権限を与えるというのは、どうも賛成しかねるのですが」
「一個人に特別権限を与えるというのなら、大統領職など、その際たるものですよ」
 ヘリウェル大統領は微かに苦笑を浮かべながら、首を振って答えた。
「地区首長職にしても、同じではないですか? 我々の場合はコンピュータが選別するにせよ、大勢の中央政府職員の中から、一個人が選ばれるのですから。彼の場合、選んだのは私ですが、彼には選ばれるべき要因があったとも言えると思います。芸能局の異分子であり、機械カウンセリングがきかなかったという時点で。そしてこの決定は、私の独断でもありません。彼と面接し、芸能局の活動実績記録を見、この案を思いついた時、私はグローバル・コンピュータに案の正当性を問い合わせました。そして今回の彼の活動と社会実績とをつき合わせた評価も、求めました。両方とも、グローバル・コンピュータは肯定的な答えを出しました。その記録を、これからみなさんのところへ送ります」
 大統領はデスクのパネルを操作した。数秒後、それぞれの首長が手元のデータに目を落とす姿が映し出された。
「グローバル・コンピュータが是認していることならば、特に異議はないですね」
 カーライル・ヨーロッパ地区首長が額を撫でながら、口を開いた。
「ええ。我々が口を挟む余地はないと思います」
 ローウェル・北アメリカ首長が肩をすくめる。
「私はみなさん個人としての反応が知りたかったので、コンピュータの算定結果はあえて送りませんでした。しかし、最初の討論でも全体的には容認の流れでしたし、このまま活動を継続させても良いと判断しても、差し支えはないでしょう。ただし、反社会的な扇動や不利益が起こらないよう、その活動を常に監視しておかねばなりませんが」
「私は、異議はありません」
 西アジア地区のグリーンウェイ首長が口火を切り、他の六人も次々に頷く。
「それでは、そういうことにいたしましょう」
 ヘリウェル大統領は満足げに頷いた。
「ところで明後日に、ここニューヨーク市の中央公園で、彼らの演奏会が開かれますが、私もローウェル首長とともに、見に行く予定です。そこで演奏会の後、彼らに最終決定を伝える予定ですが、みなさんは彼らの演奏会を見に行かれましたか?」
「いいえ」スクリーンの六人全員が首を振った。
「よろしければ、一緒に見ませんか? 距離があるので、無理にとは言いませんが」
「ああいう音楽には興味がありませんので」
 カーライル氏がまっさきに首を振った。
「私も遠慮します。もう継続は決定されたのでしょうし、遠くまで見に行く価値があるとも思えませんので」グリーンウェイ氏も肩をすくめていた。
「私は行ってみたいと思います」オセアニア地区のマーシャル女史は頷き、
「私も行ってみます」ミラヴィック・東アジア首長もそう返事をした。
「わかりました。パーフィット首長とジョンソン首長はどうなさいますか?」
 大統領は頷いて、問いかけた。
「行っても良いですよ。多少の好奇心はありますから」と、ジョンソン首長は言い、
「私は遠慮します。申し訳ないですが」パーフィット首長は首を振った。
「それでは、私を入れて五人ですね。それでは、来られる方は明後日の朝までにいらしてください。休日ですので、公演は十四時からです」
 ヘリウェル大統領は六つのスクリーンを順に見やり、隣に座るローウェル氏と頷きあってから、言葉を継いだ。
「それでは、会議は終わりにします。今日はどうもありがとうございました」

 リビング壁面のキャビネットに据えつけられたコンピュータ端末の画面に、愛する人の姿が映っていた。アヴェリンはソファに腰掛け、魅入られたようにスクリーンを見つめていた。今年の夏、思いがけなくスクリーンの中で再会して以来、アヴェリンは毎日、何度かここに座って、ジェレミーの姿を見ずにはいられなかったのだ。それは彼女に、決して結ばれることはない人なのだという悲しみを与えはしたが、同時にいまだ変わらぬ愛と、これから生きていける力を与えてくれるような気がした。彼女の腕には、もうじき一才になる赤ん坊が眠っている。濃い金色の巻き毛に、ピンク色の頬をした男の子だ。
 アヴェリンの出産予定日は十二月二十日だったが、予定より一週間早く産気づき、彼女は母親に付き添われて病院の門をくぐった。そして三時間後、元気な男の子が生まれた。医師は赤ん坊の状態を確かめ、「重篤な障害はない」と告げた。
「見たところ、軽い障害もないように思います。健常児ですよ」
 医師はそう言葉を継いだ。
 生後一週間たって、赤ん坊のDNAマップが採取され、登録された。生まれた子はすべて家系図とDNAマップ、指紋、虹彩紋が戸籍に登録される。成長期の子供にはまだIDリングは装着されず、かわりにサイズ調整のできる柔らかいブレスレットが、利き腕でない方の腕に嵌められた。そして、子供は市民として認識されることになるのだ。
「赤ちゃんの父親である人と、あなたの因子の組み合わせを見ると、約三分の一の確率で、ある非常に特殊な体質が発現する懸念がありました。この赤ちゃんは違うようで、本当に良かったですね。ですから、あなたたちの結婚適性は合わなかったのでしょう」
 生後一ヶ月検診で、医師は赤ん坊のデータを見ながら、そう告げた。
「特殊な体質……ですか?」
「ええ。とても特殊なものです」
「それは……障害なんですか?」
「いえ、障害というわけではないのですが、一般にはタブーです」
「それは、どういう……?」
「それを一般の人に説明することは、禁じられています。そして万が一、その体質が発現してしまったら……まあ、めったにそういう症例はありませんが、その子供は両親の元から、政府の施設に移されます。そして、そこで一生を過ごすことになります」
「監禁されて……ですか?」
「いえ、とても手厚く扱われるようですよ。大事に庇護されて、何不自由なく育つそうです。それは社会の発展のためには、とても大切な才能なのです。ただ、故あって一般の人とは違いすぎるので、隔離されなければならない。それだけです」
「そうなんですか……でも……わたしの手元では、育てられないんですね。そうならなくて、本当に良かったです」
 アヴェリンは青ざめた顔で頷き、同時に小さくため息をついた。
 トロント市の病院で別れて以来、ジェレミーの消息を彼女は知らなかった。彼は機械カウンセリングにかけられたはずだ。そして別人に作り変えられたはずだ。彼女のことも、覚えてはいまい。ずっとそう思っていた。
 アヴェリンはシカゴ市の自宅に戻った後、いっさい音楽プログラムも日報も、見なくなっていた。母親の結婚後に生まれた双子の弟と妹も、以前はリビングのコンピュータ端末で見ていた音楽プログラムを、姉の目に触れないよう、自室で見るようになっていた。アヴェリンとケネスの異父弟妹であるナサニエルとキャサリンは、姉と歌手ジェミー・キャレルとの悲劇的なロマンスを母から聞かされていたので、彼が病気療養中ということを発見した時、姉に告げるべきかどうか、母に相談した。それに対し、ジェーンは首を振り、「止めておいた方が良いわね。アヴェリンはどうしても心配してしまうでしょうし、でもあの娘にはどうにもならないことだから」と言ったのだった。
 そのころ、兄ケネスが「学術局の特別研究で、ニューヨークに来年いっぱい滞在することになった。内容は極秘なので、その間は連絡が取れない」と、家を離れた。その後、本当に兄からは音信がなくなっていた。それゆえ、その兄がまさか、かつての恋人と活動をともにしているなど、アヴェリンには知る由もなかった。もう二度と自分の知っている、愛しているジェレミーに会うことは出来ないのだと、幾度となく涙を流しながらも、自らの身体の中で確実に大きくなっていく赤ん坊――二人の愛と思い出の結晶に、生きる意味と慰めを見出してきた。その子にどれほど自分が救われたか、そしてこれからも、どれほど救われることだろうか。この子が自分の手元から取り上げられることがなくて、本当に良かった――アヴェリンは再び涙を流しながら、そう思っていた。
 ノエルと名づけられた赤ん坊は、日に日に成長していった。恋人によく似た面影を宿しながら、ますます愛らしくなっていく息子は、文字通り彼女の支えだった。
 
 そして、季節は夏になった。その日の夕方、自分たちの部屋で音楽プログラムを見ていたナサニエルとキャサリンが、頬を紅潮させてリビングに飛び込んできた。
「ママ! お姉ちゃん! 兄さんが放送プログラムに出てきたよ!」
「え? なんですって?」ジェーンがソファから立ち上がった。
「ケンがなぜ? 極秘研究の発表かなにか?」
「違うよ。芸能局の音楽プログラムに出ているんだよ。リクエスト形式の。映像ファイルだけど」ナサニエルは興奮したためか、頬のそばかすがほとんど目立たなくなるほど赤くなっていた。
「そうよ。信じられる? あのケン兄さんが芸能局の映像ファイルに……しかも、ジェミー・キャレルと一緒に出ているの! あっ、今は名前が変わっているようだけれど。ジェレミー・ローリングスって」キャサリンが畳み掛けるように言う。
「それは、ジェレミーの本当の名前よ!」
 アヴェリンは思わず立ち上がった。その弾みに、彼女の膝に捕まって立ち上がりかけていた赤ん坊のノエルが転び、泣き出した。あわてて息子を抱き上げてなだめながら、アヴェリンは混乱した気持ちを抑えきれず、部屋を歩き回り始めた。
「どうして? いったい、どういうこと? ジェレミーが本名に戻って、活動しているの? あの人は別人になってしまったはずだわ。別人になっているなら、本名に戻るなんて、なおさら変だし……ああ、それにどうしてケン兄さんまで、そこにいるの?」
「どういうことなの、いったい……」
 ジェーンも言葉に詰まったように、双子たちを眺めた。
「ナット、キャシー、ちゃんと説明してちょうだい。わたしは混乱してきたわ」
「わたしたちにも、よくわからないの」
 キャサリンが赤毛の頭を振り乱し、両手を広げた。
「ナットと一緒に、わたしの部屋で『今週のリクエスト・カウントダウン』を見ていたのよ。そうしたら、一位に出てきたの。ジェミー・キャレル、じゃなかった、今は本名なのね、その人が。ああ、っと思って、でもお姉ちゃんには言えないなって、ナットと言っていたんだけれど……でも、凄く素敵な歌だったわ。本当に凄いの。それでね、ジェミーさんの他に三人の人がいて、楽器って言うの? それで伴奏をしているんだけれど、その中に兄さんがいるのよ。わたしたち、もう驚いちゃって、慌てて報告に来ちゃったの。ごめんなさい、アヴェリンお姉ちゃん」
「どうして謝るの、キャシー。知らせてくれて、ありがたいと思っているわ」
 アヴェリンはそっと妹の頭に手を置き、微笑した。
「でも、不思議だわ。ジェレミーは機械カウンセリングを受けて、別人になってしまったはずなのよ。今プログラムに出ているジェレミーは、わたしの知っている彼かしら。それとも……」
「それにしても、兄さんは学術だよね。どうして芸能局にいるんだろう? 極秘研究って言っていたのに」ナサニエルが不思議そうに、とび色の巻き毛の頭をかしげた。
「そのうちケンに連絡が取れたら、しっかりそのあたりの事情を聞いておかなければならないわね」ジェーンは頭に手を当て、微かにため息をついた。
「わたしには、何がなんだかわからないわ。アヴェリンの恋人さんが病気療養中だということは、ナットとキャシーから聞いて、知ってはいたけれど……」
「病気だったの?」
「うん。去年の春からずっと、活動してなかったんだよ。病気で長期休業中って、発表されてたんだ」
「でも、ママに聞いたら、お姉ちゃんには黙っていた方が良いって言われて」
 ナサニエルとキャサリンが、そう言い足す。
「ごめんなさいね、アヴェリン。あなたに心配させたくなかったから、言わなかったのだけれど。それに思い出させたくなかったし……」
「忘れたことなんかないわ、ただの一度も」
 アヴェリンは息子をきゅっと胸に抱いた。
「今の彼の状態を、知らなければならないわ。知るのは怖いけれど、知っておかなければならないのよ。キャシー、ナット、そのプログラムは何?」
「リクエスト・カウントダウンは、終わってしまっていると思うわ」
 キャサリンは大きな茶色の目をくりくりさせながら、そう答えた。
「でも、芸能局で出している曲は家の端末からリクエストして、いつでも聞けるはずよ。その端末から聞いてみたら良いと思うわ。素敵な歌だったから、わたしももう一度聞きたいな」
「そうね。そうだったわ……ママ、ノエルをちょっとお願い」
 アヴェリンは息子を母親に渡すと、キャビネットの前に座り、コンピュータ端末のキーを叩いてプログラムを呼び出した。彼女の頬は紙のように青ざめていた。
「曲のタイトルを覚えていない?」
「ええと、たしか……『Love song』だったかな」
 ナサニエルが答えると、アヴェリンは端末を操作して、その曲の映像ファイルを呼び出した。そして『再生』リクエストをかける。操作する指が、我知らず震えた。
 一瞬暗くなった画面に、タイトルと歌手名が現れる。
 『LOVE SONG − ジェレミー・ローリングス&M-Force』と。その後、文字が現れた。『作詞 − ジェレミー・ローリングス 作曲 − ジェレミー・ローリングス&パトリック・ローリングス 編曲 − M-Force』 
 これは、彼らの自作の曲なのだ。そう気づくと、アヴェリンは軽い衝撃を受けた。やがて画面に、ジェレミーの姿が浮かび上がってきた。ジェミー・キャレル時代に来ていた、フリルのついた甘い色の衣装でなく、シンプルな白い上衣に紺色のズボン姿だ。その周りに、三人の若者がいる。ギターと呼ばれる楽器(これは以前から時々、芸能局の歌手たちが小道具に使っていたのと同じもののようだ)を抱えた、栗毛で、整った顔立ちの若者。彼はかつてジェレミーが写真を見せてくれたので、アヴェリンにも誰だかわかった。ジェレミーの親友で従兄だという、パトリックだ。一群の太鼓の後ろに座る、浅黒い肌のがっしりした若者には見覚えがなかったが、普段伴奏の時に使われる鍵盤楽器の後ろにいるのは、紛れもなく兄ケネスだった。彼ら三人はおのおのの楽器を操り、不思議な音のアンサンブルを奏でていく。こんな音を、アヴェリンはかつて聞いたことがなかった。それは心地よく、統制が取れていて、脈々と流れる生命に満ちていた。
 そして、ジェレミーが歌いだした。彼女の良く知る、甘く澄んだ声で。今まで聴いたことのないような美しく甘く、躍動感に満ちたメロディだった。

 君と過ごした日々は、僕にとって至福の時だった
 その思い出は、今なお輝き続けている
 結ばれない定めの僕たちだけれど
 今でも君を愛しているよ
 君に会いたい
 声が聞きたい
 今君は、どうしているのだろう
 君の笑顔が見たい
 君を抱きしめたい
 もう一度、僕の名を呼んで欲しい
 会いたくて、会いたくて、気が狂いそうなほど
 それでも、僕に何が出来るだろう
 僕に出来ることは、僕の思いを歌にすることだけ
 君に届くことを夢見ながら

 涙が溢れてきて止まらず、アヴェリンはその場で泣き崩れた。この歌が自分に向けられたジェレミーの思いであることを、彼女はすぐに悟った。そして同時に、彼女の愛したジェレミーは、今もなお失われていないことを知った。これは、彼が以前語ってくれた夢――いつか自分がやれたらいい、無理だとは思うけれど、と言っていたその夢の音楽、そのものだ。それが実現したのだ。なぜそうなったのかは、わからない。しかし、確実に奇跡は起きたのだ。
 再生が終わると、アヴェリンは息子を膝に抱き、再びリクエストをかけて映像を呼び出した。そして小さなノエルに語りかけた。
「あなたのパパよ、坊や。世界一素敵な、あなたのパパよ……」
 そうして再び、彼女は涙に咽んだのだった。

 どっしりとした臙脂色のソファに身を沈めながら、バーナード芸能局長は顔をしかめて、今届いたばかりの通信を眺めた。それはヘリウェル大統領からのメッセージで、ジェレミー・ローリングスの特別活動の延長許可が、各首長からなる中央会議で認められた、ただし本人への正式通達は明日の演奏会が終わってから行う、というものだった。局長は一層顔をしかめて、落ちつかなげにシガレットのカートリッジを吸い、傍らの椅子に腰かけたドゥエイン歌手部門総部長を見やった。
「おい。延長が決まったらしい」
「やはりそうですか。いやな予感はしていましたが。大統領は、あいつに甘いですからね」
 ドゥエイン氏は苦々しげな顔で、髭をこすった。
「我々も、ローウェル首長にはかなりお願いし、ロンドンの支部長もカーライル首長に頼み込んだのだがね。『大統領権限はかなり強いから、我々の力にも限界があるよ。暴動でも起こってくれれば、別だがね』と、仰っていた。案の定だ」
「局長。いっそのこと、暴動を起こしてみるというのはどうでしょうかね。明日、連中の公開演奏会が、ここで開かれるのでしょう? 元愚連隊の連中を抱きこんで、けしかけてみては」
「元愚連隊の連中なんぞ、五年前の粛清で、みな骨抜きになっているからな。使えんだろう。口が堅いかどうかも、信用ならないだろうしな。万が一、我々が暴動をけしかけたなどと、大統領にわかってみろ。私もおまえも地位を失うことは確実だぞ。たかだか歌手の一人が好き勝手をやっているのが気に入らないからといって、自らの地位を危険にさらすほど、私は阿呆ではないつもりだ」
「……」
「おまえは短絡的過ぎるようだな、ドウェイン。後のことなどを考えないで、過激なことばかり考えたがる。失敗した場合も、考えてみろ。私は犯罪者になるのはごめんだと、前にも言ったはずだ。おまえもいい加減に私怨を捨てないと、他のポジションへ回してくれるぞ」
「は……はい」ドウェイン氏は顔を赤らめ、渋々といったていで頷いている。
「大統領は、なぜかあいつを気に入っているようだ。一人の歌手が目をかけられ、特典を与えられているのも、せっかく長年秩序を保ってきた芸能局が、規則緩和で生ぬるくなるのも、たしかに面白くない。現に歌手の結婚制限も、外部通信禁止も撤廃されたし、現役連中にもスタッフにも、適正に休日を与えなければならん。まったくもって、不愉快だ。おかげで付け上がる連中も出てくるだろう。芸能局は、我々が作り上げてきたものだ。大統領とはいえ、外から手出しして欲しくないという気持ちだ。だが、仕方がない。上には逆らえん。グローバル・コンピュータが、私かおまえを次期大統領に指名してくれない限り、どうにもならん。だが、そんな可能性はゼロに近いし、万万が一あったとしても、九年後だ」局長は顔をしかめると、さらに猛烈な勢いでカートリッジを吸った。
「我々は、成り行きを見守るしかないだろう。今後、芸能局は厄介な状態になっていくかもしれん。しかし、それは我々の責任ではないしな。私がこれからも今の地位にあり、変わらない報酬が支払われ続ければ、あとは私の知ったことではない。仮に芸能局の統制が乱れたら、それは大統領の政策ミスだ。責めを負うのはあっちで、我々ではないのだ。それに今のところ、あいつは稼いでくれている。客から見れば、物珍しいからだろうな。そういうものは長続きしないだろうが。それが、せめてもの救いだな。稼いでいる間は、やらせておけば良い。廃れたら、さっさと引退勧告を出せる。どっちにしろ、こっちに損にはならないだろう」
「そうですね……とても納得はいきませんが、そう思うしかないようです」
 ドウェイン氏は額まで赤くなりながら、悔しげに唇をかんだ。

 ジェレミーと仲間たちは世界を回り、今再びニューヨーク市に帰ってきていた。公に活動を始めて半年近くが過ぎ、その成果と予想以上の反響に、メンバーたちはみな、高揚した気分だった。制作した七曲を三ヶ月の間に発表し、そのあと二ヵ月半で、彼らは世界の主要都市を、駆け足で巡った。最初はオセアニア地区、その後、東アジア、西アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南アメリカと来て、最後に北アメリカに戻ってくる。明日のニューヨーク公演が、彼らにとって三八回目の公開演奏会だった。
 演奏会を開くための手配は、芸能局でのロード期間の時と同じように、現地のイベント分局という、都市管理局の一部署が行ってくれるので、ジェレミーたちはハワード監督官を通じて、必要なものや設備を彼らに要請すれば、必要な舞台を作り上げてくれる。宿泊場所も都市の簡易宿泊施設があてがわれ、食事も付いてくる。次の公演地までのインターシティ・シャトルも手配される。芸能局主催の公開演奏会は、新人の場合はたいてい無料だが、それ以外は観覧料金が設けられる。ジェレミーとその仲間たちの場合、入場料は三ドルで、決して高いものではない。しかし入場者が桁違いに多いので、主催する側のイベント局や芸能局に、かなりの収益をもたらしていた。
「やっとここに戻ってきたね」
 パトリックが苦笑いしながら、練習場のスツールに座った。
「ああ、なんてったって、世界中駆け巡ったからな。こんなことは、初めてだぜ」
 モーリスはパック詰めの炭酸飲料を飲みながら、頭を振って笑った。
「でも、どこ行っても変わんねえな。シャトルに何時間か乗って、次へ行くとさ、本当に次に来たのかよ。元の街に戻ったんじゃねえか、って気になってしまうんだよな」
「どこも、街の作りは同じだからね。同じ設計で、同じ建物が建っているから。僕もニューヨークへ出てきて、シカゴとほとんど変わりないのに、少し驚いたよ。都市の規模が違うだけさ」ケネスが肩をすくめた。
「昔は、街ごとに違う風景があったって聞いたけれど」
 ジェレミーは壁に目をやった。練習場は地下室にあるので、窓はないのだが、彼の頭の中は、外の景色を思い描いていた。
「旧世界の頃にはね」パトリックは肩をすくめ、同じように目に見えない風景を探そうとするように、壁に視線を向けている。
「でも新世界になって、都市がすべて同じデザインで作られるようになったから、都市ごとの特色というものは、なくなったらしいよ」
「そして、そこに住む人々も同じになった、と」と、ケネスが続けた。
「昔は大雑把に分けて、三種類の人間がいたらしい。肌の色が白く、髪や目の色が様々な白色人種、肌が黄色っぽく、髪と目が黒い黄色人種、そして肌も髪も目も黒い、黒色人種。ところが旧世界から新世界に移行する際、生き残った人間の四分の三近くが白色人種だったため、新世界で二千年がたつうちに、有色人種が消えてしまった。いや、正確には白色人種の中に溶け込んで、新しい白色人種が出来たと言っても良いかな。旧世界の頃には、アジア地区には主に黄色人種が、アフリカ地区には主に黒色人種が住んでいたらしい。南北アメリカでは、かなりいろいろな人種が交じり合っていたと聞く。あの新世界創立伝説ファイルの社会編に、旧世界についてそう書いてあった。だが今や世界中、どこへ行っても、同じ人種だ。髪の色や目の色、肌の濃淡の違いはあれ、同じ新白色人種しかいないからね」
「それじゃ、俺なんかはさしずめ、ちょっとばかり黒が入っているのかな」
 モーリスは、不思議そうな口調になっている。
「まあ君の場合は、遺伝子の中にあるその要素が、少し強く出ているのかもしれないね」
 ケネスは彼に目を向け、少し笑って答えていた。
「あんたの話は、ちょっとばかり難しすぎて、よくわからねえ」
 モーリスはそんな感想を述べている。
「でも、なんだか不思議な感じだね。旧世界から見たら、今の世界ってどういう感じなんだろうかって」ジェレミーはふと首をかしげた。
「完全なる異世界に見えるだろうな。彼らが新世界の人々からそう見られたように、彼らの方もきっと、そう思っていたと思うんだ」そのパトリックの言葉に、
「うん、そうだね……」と、ジェレミーは頷く。
「ああ」ケネスも深く頷いていた。
「おまえら、そうやって三人しかわからない話で、納得しあわないでくれよ」
「ああ。ごめん、モーリス」ジェレミーは小さく笑った。




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