Part 5 of The Sacred Mother's Ring - Call of the Time

エピローグ(2)




 通信を知らせるコール音が、部屋の隅においてあったコンピュータ端末から響いた。ジェレミーは近づき、キーを叩いた。ハワード監督官だった。
「みな知っていると思うが、明日はニューヨークでの公開演奏会だ。場所は中央公園、開演は十四時。いつものように、最長でも二時間以内で終わらせてくれということだ」
「はい」
「この公演には、大統領閣下がお見えになる。何人かの地区首長閣下も、わざわざ見においでになるらしい。そして公演後、おまえたちの活動が今後も認められるかどうかの、判定をされるそうだ。大統領閣下と首長閣下たちは、公演後すぐに中央政府庁舎に戻られる。おまえたちも後からそこに来てくれということだ。受付に、話は通してあるらしい」
「はい……」
「大統領閣下からの、確認事項を伝えておく。まず、継続可能という判定になった場合には、おまえはそのまま芸能局に留まり、協力者はロード期間中のみ、一時的に芸能局出向という形を続ける。ただし、結婚は芸能局のルールに順ぜずとも良い。つまり他の三人は、一般限界年齢まで待たずとも、相手がいれば自由に結婚してよいということだ。そしてケネス・マッコールが家族に連絡することも許可する。アヴェリン・ローゼンスタイナーとおまえが会うことを罪とはしないが、社会常識に従い、決して結婚は出来ないということをよく考えた上で、おまえに判断を任せるということだ」
「えっ、ということは、アヴェリンに会っても良いんですか?」
「だから、はっきりそうは言っていない。もう一度繰り返して言うぞ。罪とはしないが、社会常識に従い、決して結婚は出来ないということをよく考えた上で、おまえに判断を任せる、ということだ。おおっぴらに会って良いということではない。ただ、ケネス・マッコールが家族へ連絡することは許可されるので、彼女の消息を知ることはできるだろう」
「そうですか……」
 熱い思いと安堵の気持ち、そしてやはり会うことは叶わないのだという寂しさで、ジェレミーは吐息をついた。
「断っておくが、今言ったことはすべて、継続許可が出た場合だ。もし単純に継続不可となった場合は、おまえは芸能局を離脱、再度適性検査を受けなおし、他の三人も元の所属局に帰る。ケネス・マッコールは速やかにシカゴ市に戻るものとする。ただし、おまえと連絡を取ることは禁止されない」
「はい……」
 それならば、アヴェリンの消息だけは知ることが出来そうだ。ジェレミーは頷いた。
「それから、最悪の場合だが、その場合は不名誉な噂が流された上に、芸能局離脱、矯正寮だ。他の三人も程度は軽いが、罰は受けてもらう。まあ、明日の公演がこれまでどおりであるならば、この処置になる可能性はほとんどないだろうと、閣下は仰っていた」
「そうですか」我知らず、深い吐息が漏れた。
「そういうわけだ」ハワード氏はそこで言葉を切り、一息を置いて、続けた。
「うまく行くことを願っている」
「ありがとうございます、ハワードさん」
 ジェレミーは感謝を込めて言った。そして、通信は切れた。
 再び、現実の重圧が襲ってくるのを感じた。期限が――思いがけず開けたこの道を、このまま歩んで行っていいかどうかの期限が、ちょうど明日だった。いくつかまだ北米で回っていない都市もあるが、もし延長が認められたら、その後で何都市か、出張公演に行く予定だった。モントリオール市、セントルイス市、シアトル市、そして、シカゴ市。アヴェリンの住む街。会えるだろうか――ひと目だけでも。会えなくとも、彼女の消息を知る事が出来るだろうか。はっきり会うのを禁止されたわけではないから、それは決して叶わない望みではないのかもしれない。
 しかしこの四都市へ行くことは、大統領から活動継続許可が下りたあとでなければ、実現できない。そして、それはほんの入り口に過ぎない。これからさらに、新しい曲を作り、演奏し、発表していけるか。より多くの人に、自分たちの音楽をこれからも聞き続けてもらえるか。そしてさらに、今は深淵に埋もれてしまった彼らの音楽を、再び世に出すチャンスが与えられるかどうか。まずは自分たちの演奏を通じて、さらには本物に触れさせ、この世界がどうやって出来たのか、そのすべてが再び明るみに出せる時が来るか。さらには、音楽がいくらかでも社会への投石となり、今自分が理不尽と感じている様々なことの一つでも、いくらかでも変わっていけるかどうか、その手助けとなれば――。
 だがすべては、今やっとスタートラインに立ったこの道を、ずっと走っていけるかどうかにかかっている。すべてはこの道の延長上にある望みなのだ。
 
 ハワード氏との通信が切れて数分後、再び通信コールが響いた。ジェレミーは再び端末まで行き、キーを叩いた。
「こんにちは、ジェレミー兄さん」
 画面の向こうで、テレンスが少しはにかんだような微笑を浮かべていた。ロンドンの異父弟妹とは、母の死後、何度か通信を交わしたが、プロモーション期間になってからは、演奏会のためにロンドン市を訪れた時に実際に会った以外は、なかなか接触の機会がなかった。弟や妹たちと間接的にでも触れるたびに、ジェレミーは心の底に広がる微かなぬくもりを感じた。
「こんにちは、テレンス。ロンドン公演で会った時以来だね。元気かい?」
「ええ。この間来てくれた時には、レイチェルとルースが失敗ケーキを出してしまって、ごめんなさい。あれでも一生懸命作ったんだけれど」
「いや。おいしかったよ、本当においしかった」
 先月、ジェレミーとその一行がロンドン市を訪れた時、公演の合間を縫って、彼はアンダーソン家を訪れた。その時、レイチェルとルースは張り切って、兄のためにピンクとグリーンのアイシングをかけたケーキを焼いてくれた。『調理用素材』ゆえ、そのまま調理器のオーブン機能で焼けばいいはずのものだが、温度設定を間違えたらしく、つぶれたホットケーキのようなものが出来てしまった。しかも表面は少し焦げていた。だがジェレミーは、そこにこめられた妹たちの心ゆえに、今まで食べた中で一番おいしいケーキだと思ったのだった。
「でも完成品にするのは癪だ、こんどはちゃんと設定を間違えずに、甘さとかも調節して、きれいにアイシングも飾るんだって、あれ以来ことあるごとにケーキを焼いているから、僕はちょっと食べ飽きているんだ。父さんは太ってきちゃって。ジミーは喜んでいるんだけれど」
「そう。楽しみにしているよ」
「それでね、ジェレミー兄さん。今日は、報告に来たんだ。僕は昨日職業適性だったんだけれど、みごと学術文化研究局になったんだよ!」
「えっ、本当かい?」
「うん。伯母さんや伯父さんの受けは良くなかったけれどね。『あなたなら、もう少し良いところへ行けたと思うのに、テレンス』なんて散々言われたけれど、僕は本当に嬉しいんだ。それに、父さんも喜んでくれているよ」
「そうか。良かったね、本当に」
「うん、ありがとう。それでね、兄さん。前に兄さんに書いた手紙で言ったんだけれど、あれ……兄さんがやっている音楽集団、あれに僕、入れてもらえたら、とても良いなあ、って思って。一緒にやりたいんだ。僕、お兄さんたちの音楽を聞いて、大ファンになってしまって、余計にそう思えるんだよ。お願い。一生懸命やるから!」
「……ありがとう、テレンス」ジェレミーは胸が一杯になりながら、弟に頷いた。
「ただ、僕がこれからも今の活動を続けていけるかどうかは、明日にならないとわからないんだ。それに、アンダーソンさんには話したのかい?」
「うん。父さんも、おまえの良いようにやったら良いって言ってくれているよ」
「そう……それなら……僕が今の活動を続けていかれるかどうかは、明日決まるんだ。だから、もし活動継続の許可が下りたら、君のことを申請してみるよ、テレンス。僕らは明日以降も続けていかれるなら、あと四都市、北米で公演を行う予定なんだ。それから次の曲を作るために、しばらく準備するつもりなんだよ。だから、もし許可が下りたら、その時から来てくれないだろうか。すべてがうまく行ったとしたら、たぶん一ヶ月くらい先になると思うけれど。ちょうどメンバーは一人足りないんだ。君には、低音部のギターを受けもってもらいたい。そんなに難しくないと良いけれど。ああ、でも君と一緒にやれると思うと、アンダーソンさんには申し訳ないんだけれど、とても嬉しいよ」
「僕もだよ! じゃあ、もうちょっと待たないと、わからないんだね」
「ああ、そうなるね。その間は学術の勉強をしていると良いよ、テレンス。自分の興味を持った分野を見つけて、いろいろな文献を読んでみると良いと思うよ」
「うん。そうするよ。じゃあ、明日がんばってね」
「ありがとう」
 通信が切れると、ジェレミーは仲間たちに向き直った。三人も頷き返した。明日。明日にはわかる。未来が続いていかれるかどうかが。

 その日は朝から雪が降っているようだった。空は厚い灰色の雲に覆われ、細かな白の粉が落ちてきているようだった。しかし雪の日には、ドーム全体が暖められるので、空から降ってきた雪はドームの表面に当たった瞬間、あっけなく溶ける。そのため、雨のようなちらちらとした水の線を残して、流れていく微かな光が見えた。太陽が厚い雲に隠されているので、街は決して明るくはなかった。しかし都市の中は雪も降らず、気温も調整されている。ジェレミーは肌着の上に水色の上衣と黒い細身のズボンをつけただけだったが、寒さは感じなかった。だが会場となった中央公園に到着した時、それとは違う震えを感じた。
 公園の広場は、長辺が一二五メートル、短辺が四十メートルほどの広さで、北側の短辺中央に舞台が設置されていた。舞台は長さ二四メートルほど、幅が八メートルほど、高さは二メートルの、プラスティックのプラットフォーム状になっている。その上に電気ドラムスのセット、電子鍵盤楽器、そして電子ギターが置いてある。マイクスタンドは立っていない。歌手は首に透明なカラーを巻き、そこに小さなマイクを据え付けて、声を拾うのだ。そうすれば両手は自由になり、見た目も損なわれない。しかしジェレミーは昔使われていたという、手で持つタイプのマイクが欲しかった。以前、ジェナインの記憶を通じて見た彼らのコンサートのように、マイクスタンドをくるくる回したり、まるで自分の一部のように操ったりしてみたかった。しかし、今は諦めるしかない。
 舞台の両端には、電子楽器やマイクで拾った音を増幅して会場に流すスピーカーが、いくつも積まれていた。各電子楽器やマイクからの音はいったん舞台の後ろにある集音機に送られ、バランスを自動で調節したのち、スピーカーで増幅して会場に流される仕組みになっている。そして後ろの方の観客のために、舞台の様子を映したスクリーンも、両側に設置されていた。
 舞台下には二メートルほどの空間があり、その後ろに透明なフェンスが設置してあった。その後ろは客席となる。椅子はない。入場者たちは地面に直接座るか、立って見るのが常だ。ジェレミーたちのコンサートでは、ほとんどの人たちが立っているが。そして後ろの方の観客が見づらくなるのを避けるため、地面全体がステージに向かってすり鉢状に緩やかに傾斜していた。これは演奏会や集会の時に使われるシステムで、普段は平らになっている。
 舞台から十メートルほど離れた中央部に、特別席がしつらえてあった。長さ十メートル、幅五メートルにわたって透明なフェンスがめぐらされ、その中央に、反射を抑えた銀色の金属製の、前面は強化ガラス張りになった大きなカプセル状の特別席がセットされている。中には紺色の座席がいくつも見えた。大統領や地区首長たちは、あの席で見るのだろう。
 まだ観客が入っていない会場で、ジェレミーたちは音を出し、各楽器や歌のバランスを調整した。それから客たちが入ってくる。その間、ジェレミーたちはステージの後ろに備え付けられた大型の移動式コンテナの中に入って、待機するのが常だった。中は広めの部屋になっていて、椅子やテーブルがあり、照明もある。そこで出番を待つのだ。
 
 開演時間の十四時が近づくにつれ、広場は人で埋まっていった。十分前には、VIP用特別通路以外、ぎっしり人が立っている。今日は休日なので、この時間の開演だが、平日は夜になる。夜の公演ではあたりが暗く、ステージ上に設置されたライトも、さほどたくさんの色があるわけではないが、それなりに映える。しかし昼間の公演では、照明は使えない。掛け値なしの演奏のみで評価されるのだ。
 開演時間直前になって、大統領と地区首長一行が何台もの護衛シャトルに囲まれて到着し、中央にしつらえた特別席に座った。来ている地区首長は北アメリカ、アフリカ、東アジア、オセアニアの四地区で、他の三人は欠席だということを、ジェレミーはハワード氏から知らされていた。
 舞台の後ろから覗くと、警備の人やロボットに囲まれた特別席の中に座る五人が見えた。ヘリウェル大統領が中央で、彼女の右隣の人もまた、カールした茶色の髪を後ろで一つにまとめた、大統領と同じ年頃の女性だった。この人はオセアニア地区のエミリー・マーシャル首長だろう。彼女は三ヶ月ほど前に、新しく地区首長に就任したばかりだ。大統領の左隣の人は、写真で見た記憶のある、北アメリカ地区の首長、ニコラス・ローウェル氏だ。そうすると、両端の人は東アジアとアフリカの首長ということになる。どちらがどちらかはわからないが、二人とも色は白く、髪は片方が黒、片方が茶色の、紛れもなくほかの三人と、そして会場に集まってきた人々や自分たちと、同じ人種だった。旧世界では、東アジア首長の肌は黄色く、アフリカ首長は黒い肌をしていたのだろうか――昨日ケネスが言っていたことを思い出したジェレミーは、微かな憧憬を感じながら、そう思った。他とは違ったバリエーション。失われた人種、言葉、都市――そして、音楽。だが音楽は、今自分たちがこの手に取り戻そうとしているのだ。

 開演時間になり、四人は舞台に上がった。観客たちは、歓声を上げて迎えてくれた。かつてジェミー・キャレル時代には、甲高く甘い響きの、女の子たちの声ばかりだったが、今の形態になってからは、男声女声入り混じった、分厚い音の塊のようだった。この響きに、ジェレミーは聞き覚えがあった。かつてジェナインが見せてくれた幻の、創立先導者たちの演奏会で聞いたものだ。歓声のヴォリュームは遥かにあちらの方が凄かったが、しかしこの響きが他でもない自分たちに向けられたものであるゆえに、それはいつも快い、震えるような興奮を感じさせてくれた。
「こんにちは、ニューヨーク市のみなさん。ジェレミー・ローリングスとMフォースです。今日はわざわざ来てくださって、本当にありがとうございました」
 演奏会の挨拶というのは、彼らの場合、こんなに堅苦しくはなかったな、と、いつも思うのだが、今はみなこういう挨拶が常なのだ。ジェミー・キャレル時代からこの挨拶に慣れているジェレミーも、他にどう言ったらいいか、わからなかった。
 最初の曲名を告げて、演奏を始める。何十回となく演奏会をこなしてきたために、仲間たちの楽器演奏も、非常に滑らかになってきていた。心地よいリズム、ギターとキーボードの響き、それらが絡み合って、調和する。ジェレミーは歌い出した。自分のすべてをその中に込めて。観客たちは演奏中、黙って聴いている人が大半だった。しかしあちこちで、足でリズムを取る人や一緒に歌っている人が見かけられた。曲が終わると、拍手や歓声で讃えてくれた。そして、演奏会は続いていった。

 はるかな昔に、僕たちの世界は生まれ変わった
 大いなる痛みと犠牲の上に
 気高い勇気と愛の上に
 僕らが生きるこの世界は
 その上に築かれた
 だから、誇りを持って生きていこう
 愛を持って、生きていこう
 この世界を作ってくれた人たちに
 恥じない自分となるために

 これは、新世界創立伝説を元にした曲だろうか。ヘリウェル大統領は思った。歌詞だけをざっと読んだ時には、道徳のスローガンのようだと思っただけだったが、こうして彼が歌うのを聴いているうちに、その思いが湧き上がってきたのだ。
 彼女自身は、伝説の詳しい内容は知らない。しかし概略だけは、大統領になった時に知っていた。歴代大統領には、新世界の起源と歴史は、就任と同時に知っておかなければならない事柄だったからだ。彼女は両脇の四人に、ちらりと目を走らせた。しかし、誰も深く気にとめてはいないようだった。まあ、良いだろう。新世界創立伝説は門外不出とされているが、この程度のほのめかしならば、差しさわりはあるまい。それに、それほど躍起になって隠さなければならないものなのだろうか。自らの生きるこの世界が、どうして出来たのかを知ることが。旧世界が天災と人災の複合のような大災害で壊滅した。生き残った人々が、大勢の仲間を失い、かつての生活や希望も失いながら、未来に希望を託して新世界を作り上げた。そこからすべてが始まった。そのことを知るのが、どうしていけないのだろう。先導者たちの音楽ゆえ、と、ファイルのガイドには書いてあったが、このジェレミー・ローリングスが今の音楽活動を始めたいというきっかけを作ったのも、先導者たちの音楽であったと聞く。それは、本当に危険なのだろうか。
 芸能局の歌手や曲に、彼女は魅力を覚えたことはなかった。内心ではくだらないと見下している部分も、他の中央政府の所属者たちと同様、確かにあった。しかし、ジェレミーの音楽には魅力があると、ヘリウェル大統領も密かに認めていた。
 明日にでも、極秘ファイルを見てみよう。あのファイルは開けないと彼には言ったものの、実は大統領には、特別権限がある。閲覧だけしか出来ないが、学術限定の極秘ファイルでも、もしその第一、第二姓どちらか一方でも、十九の姓のうちの一つであるならば、特例でアクセス出来るのだ。そして大統領自身、第二姓――彼女の旧姓は、あのファイルを開ける十九の中に入っている。見て、確かめてみれば良い。そうすれば、その先の判断が出来る――。

「ありがとうございます。では、最後はこの曲を演奏します。『Love Song』」
 ジェレミーはそう告げ、一呼吸置いて、演奏が始まった。

 今君は、どうしているのだろう
 君の笑顔が見たい
 君を抱きしめたい
 もう一度、僕の名を呼んで欲しい
 会いたくて、会いたくて、気が狂いそうなほど
 それでも、僕に何が出来るだろう
 僕に出来ることは、僕の思いを歌にすることだけ
 君に届くことを夢見ながら

 愛しても、愛しても
 この思いは君に届かない
 切なくて、どうしようもなくて
 胸を引き裂かれそうだけれど
 僕に出来ることは、君の幸せを祈ることだけ

「これは、結婚適正があわなかったという女に捧げたものでしょうかね」
 ミラヴィック・東アジア首長が頬を掻きながら、言った。
「そうらしいですな。なんとも女々しいことだ」
 ジョンソン・アフリカ首長が首を振ってみせた。
「まったく、これで結婚適正に従わない者でも出たら、厄介だな」
 ローウェル・北アメリカ首長が顔をしかめる。
「でも、そうは言ってないですわ。歌詞では」
 マーシャル・オセアニア首長が穏やかに抗議した。
「たしかに。まあ、この程度なら問題ないでしょうな」
 ミラヴィック氏とジョンソン氏は頷き、ローウェル氏も渋面ながら、同意している。
 ヘリウェル大統領の脳裏には、昔の思い出がよみがえってきた。記憶の底に封印した思い出が。まだ二十代になったばかりの娘だった頃、彼女は一人の若者と恋に落ちた。カート・セイヤーという名前の、ダークブロンドに優しい灰色の目が印象的な若者だった。あの時彼に感じていた思いは、紛れもなく強い愛情に他ならなかった。結婚適正が拒否された時、すべての生きる目的が失われたような虚脱感に陥ったものだ。しかし、無理やり自らを叱咤して、立て直したのだった。彼女は両親を愛していた。エリートコースに乗った娘を彼らは大変な名誉と思い、期待していた。その彼らを裏切るわけにはいかないと思った。それに適正拒否という事実は、どうあがいても変えられないのだ。彼女は仕事に全身全霊で打ち込み、痛みを忘れようとした。そして優しい夫にもめぐり合い、家庭を築いた。しかし、夫を愛していると思っているが、カートに感じていた感情とは、少し違うようだ。
『愛し合っている二人が、適正が会わないからといって結ばれないのは、ひどく理不尽に思います』
 ジェレミー・ローリングスは自分の前で、毅然と言い切った。それは二十数年前の自分の思いでもあった。しかし、仕方がないことと自らに言い聞かせた。そうでなければ、とても生きてはいけなかった。この中に――ヘリウェル大統領は群集を見つめながら、思った。この中の何人かは、彼や自分と同じ思いに泣くのだろうか。そして世界中には、もっと多くの人がいるに違いない。この痛みは、経験したものにしかわからない。幸運な人たちは、知りもしないものだ。
 社会の幸福と個人の幸福、どちらが優先されるかといえば、これまでは圧倒的に社会の幸福が優先されてきた。個人の幸福が軽視されているわけではないが。しかし、もう少し考えてみても、良いのかもしれない――いや、自分に権限があるとはいえ、結婚適正の撤廃などは、とてもできないだろう。周りの反発が大きすぎる。しかし、非適正者の救済の道をもう少し考えてみることは、悪くないかもしれない――。

「この曲で最後ですね」ローウェル首長が言った。
「いつもどおり、何事もなく終わりそうですね」
「客は喜んで聞いているようですが、暴れはしませんしね」
 ミラヴィック首長が肩をすくめた。
「私はかなり楽しめましたわ。はるばる遠くから来た甲斐はありました」
 マーシャル首長がにっこりと笑った。
「そうですな。まあ、悪くはなかったですよ。思いのほか」
 ジョンソン首長も両手を広げて同意している。
「しかし、歌詞は陳腐ですね。あの踊りも少しぎこちない。楽器演奏はものめずらしいかもしれないが、慣れれば当たり前になるでしょうし、それに少々やかましいですね」
 ローウェル首長は苦笑いをしていた。
「まあ、中には表現が直接的すぎて、聞いていて気恥ずかしいような曲はありましたよ。でも、若者の娯楽としては、良いんじゃないでしょうかね」
 ミラヴィック氏は再び肩をすくめ、笑っていた。
「彼らにはこの演奏会の後、継続の決定を告げます。今後も問題なく行けるといいですね」
 ヘリウェル大統領は四人を見回し、そして頷いた。

 観客たちは、満足と感動を伝えていた。歓声と拍手で。ジェレミーは歓喜の波が押し寄せるのを感じた。仮に今日、活動が終わってしまったとしても、この瞬間を何度も仲間たちや観客たちと共有できたことで、悔いはないような気がした。しかし同時に、もっと続けたいと思う、貪欲な思いも抗いがたく強かった。止めたくない。ずっとこの音楽の高揚の中に自らを浸していたい。これからも、ずっと――。
『ジェレミー』聞き覚えのある声が、頭の中に響いた。
(ジェナイン!)ジェレミーは声には出さず、思いの中で呼び返した。
『夢は叶ったね』
(ああ、でもまだまだ、もっと夢を見続けていたいよ。まだまだやりたいことが、たくさんあるんだ)
『大丈夫だよ、きっと』
(ありがとう。そう言ってくれると、嬉しいよ。僕はシカゴに行って、アヴェリンに会いたいんだ。僕らの子供にも。それから、彼らの曲を世に出して……)
『どっちも、きっと叶うと思うよ』
(そうだといいけれど)
『大丈夫。僕を信じて。僕は最近、未来が見えるようになったんだから』
(本当にかい?)
『疑っているね、ジェレミー。でも信じようと信じまいとね、これからは、僕のような力を持っている、生身の人間も出てくるかもしれないよ。かなり未来のことだろうけれど』
(空想小説みたいだね)
『今はまだそうだけれどね。ただ、彼らの曲を、彼らの演奏で世に出すのは難しいかもしれない。大統領はきっと、強烈過ぎると判断を下すよ。感銘は受けるだろうけれど』
(大統領閣下は、あのファイルをご覧になれるのかな?)
『大統領は特例で、あのファイルを見られるんだよ。先導者の直系子孫の証の、十九の姓の一つであれば。彼女の第二姓も、そうなんだ。そして今、君たちの歌と演奏を聴いて、そうしようと思われたみたいだ』
(へえ……どうしてわかるの? ああ、そうか。君は本当に特別な力があるって、言っていたものね、ジェナイン)
『でも、君たちの演奏でなら、許可されると思う』
(それなら良かった。彼らの演奏を聞かせられないのは、残念だけれど)
『でも、近いものには、なるんじゃないかな。来年テレンスが入ったら、君たちはちょうど五人だ。しかも君以外はみな、昔の自分たちの曲を演奏することになるんだから。同じポジションで』
「えっ?」思わず小さな声が出た。
『もっとも、彼ら自身はそんなこと、覚えてはいないけれどね。でも深いところの記憶は持っているんだよ。だからパトリックもケネスもモーリスも、再現できたんだ。はるか昔に、彼らが彼らになる前にやっていたパートを。テレンスも、入ったらそうなるよ。だから大丈夫』
(ええ。そうなんだ……じゃあ、パットはあのギタリストさんの生まれ変わり……? なんだか、不思議な気分だね)
『彼だって聞かされたら、ぽかんとするだろうね。まあ、前世以前のことなんて、今生きているうちに意識しても、仕方がないからね』
(ああ……それに、ちょっとがっかりした部分もあるんだ、ジェナイン)
『君は、彼女じゃないって事を?』
(そう。そこが一番肝心な部分なのに。彼らの音楽をあれほどの次元に引き上げているのは、あの人なのに。ほかのメンバーは純正でも、僕は違う。いや、僕があの人の生まれ変わりなんてことは、一度たりとも考えてはいないけれど……それでも、気にはなるんだ)
『でも君は、あの人の後継者なんだから、彼女の代理としては、ある意味一番適正なポジションにいるんじゃないかな』
(あの人の後継者……僕にその資格があるのかな?)
『資格以前に、君はその宿命を持って、生まれてきた人なんだよ、昔から。そしてパトリックが僕の後継者なんだ。詳しいことを今説明している暇はないけれど、いつか、君の人生が終わる頃に、すべてを話すよ、ジェレミー。前にも言ったように』
(ああ……興味深い話だけれど、そろそろコンサートを進めないとね)
『そうだね。観客たちもパトリックたちも、この先があるのかどうかを、気にし始めているよ。じゃあ、最後に、これだけね。信じようと信じまいとかまわないけれど、歴史はこれから大きく動いていくよ、ジェレミー。今までは、わりと平坦な一本の道だったけれど、あと千二百年がすぎたら、その先からしばらく、そう、千年近くの間は、動乱の時代かもしれない。最後の安定に行き着くまでは。でもそれも、必要な変化なんだ。君と仲間たちがこの時代を生きて、あの大統領が選ばれたのも、時の必然だろうね』
(ヘリウェル大統領も、彼らとゆかりの人の転生なのかい?)
『まあ、そうだね。彼女はスタッフ側だけれど。そして彼女が今大統領に選ばれたのも、純然たる時の必然なんだよ。聖太母神様のご意志と言っても良いけれど、君にはわからないよね。じゃ、コンサートに戻りなよ』
「うん……」
 ジェレミーは我に返った。観客たちは手を振り、口々に叫んでいる。
「凄く良かった!!」
「もっと聞かせて!」
「素敵な歌を、ありがとう!」
「感動したよ。もっと聞きたいな!」
 歓声は聞き取れない言葉の渦となって、拍手とともにジェレミーと仲間たちを包み込んでいた。
 パトリックがジェレミーのそばに歩み寄り、言ってきた。
「ジェレミー、これで持ち曲全部終わりだけれど、どうする?」
 ジェレミーは一瞬思案した。彼らの曲を発表しようかという誘惑を感じたが、すぐに断念した。今はまだ許可は取れていない。そんなことをしたら、継続許可が下りなくなる可能性が大きいだろう。
「あとどのくらい時間がある?」ジェレミーは問い返した。
「一時間ちょっとくらいかな」
「じゃあ、最初からもう一度やろうよ」
「そうしようか」
 パトリックは頷いて、自分の立場所に帰っていった。ジェレミーは振り返り、モーリスとケネスに頷くと、観客に向きなおった。
「それでは、最初からもう一度やります! 聞きたい人は、どうか残っていてください」
 観客は誰も帰らなかった。そして演奏が始まった。
 
 空から光がさしてきた。いつの間にか雪が止み、青く澄んだ空に、太陽がやわらかく輝いている。それは力ない冬の太陽だが、金色の光線をステージに投げかけてくれた。鳴り響く音楽は、新たな時代の序曲のように観客たちを、貴賓席の人々を、ステージの上の演奏者たちを、包んでいった。
 音の波と柔らかい太陽の光に包まれながら、ジェレミーは歓喜に身を任せ、目の前に広がる観客を眺めた。それは海とまでは言えないが、大きな池のように波立ち、歓喜の感情を投げ返してくる。かつて夢見た風景の中に、自分は今いるのだ。そしてこれでまだ、終わりではないのだ――ジェレミーの脳裏に、ジェナインが言った言葉がよみがえってきた。
『歴史は再び動き出そうとしている――』
 未来は変わるのだろうか、これまでの歴史とは違う方向に。社会は変わっていくのだろうか。人々は、より幸福になれるだろうか――。
 実現不可能に思えた夢は叶った。しかし、いまだ叶わない夢もある。アヴェリンと結ばれて、彼女と子供とともに新たな家庭を築くこと。母の人生を救うことは、自分には出来なかった。少しだけしか。過去は変えられないのだ。しかし未来を変えることは、出来るのだろうか――わからない。でも今の自分に出来ることは、音楽を作り続け、歌い続けることだけ。そして自らの気持ちに忠実に、愛を持ち続けること、それだけだ。そして、希望を信じることだ。
 
 コンサートは終わり、貴賓席の人々も、観客たちも帰っていった。舞台上にジェレミーは佇み、再び公園が元の形態に戻っていくのを眺めた。一瞬だけ光を見せた太陽もあわただしく沈み、宵闇が辺りを包んでいた。街灯の光が、公園を照らしている。
「ジェレミー、行こう。行って、裁定を聞かなきゃね。後のみんなは、もうシャトルで待っているよ。ハワードさんもいらっしゃるし」
 パトリックがぽんと肩を叩いて、声をかけてきた。
「ああ、そうだね」
 ジェレミーは従兄とともに、舞台をあとにした。先の不安は感じなかった。ジェレミーはジェナインの内なる言葉を信じていた。そして、ここから広がっていく未来も。


【第5部 終】




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