Part 5 of The Sacred Mother's Ring - Call of the Time

第九章 道を求めて(2)




「信じられない!」
 知らせを聞いた時、パトリックも歓喜に満ちた声を上げた。
「自由が得られたのかい? 自分で音楽をやれる自由が。それで、僕も協力していいんだって??」
「ああ、ああ、そうなんだよ!」ジェレミーは夢中で頷いた。
「今まで諦めずにはきたけれど、心のどこかでは、たぶん叶わないだろうって、そうも思っていたんだ。現実には、ありえないだろうって。それが……ああ、まるで夢でも見ているような気分なんだ、パット」
「良かったね、ジェレミー。一ヶ月前の君が、嘘のようだ。新しい大統領万歳、だね!」
 二人は客用寝室、もとヒルダとヘイゼルの部屋で、ひとしきり歓喜に浸った。この知らせは帰ってくるなり、ジェレミーはメラニーとパトリックに知らせていた。そして改めて従兄と二人、喜びを分かち合ったのである。その日の夕食では、わけのわからないながらも、トミーとリッキーまでが嬉しそうだった。
 
「ただ、明日から五日間は、僕は警察にいないといけないんだけれど」
 夕食が終わり、ひとしきり子供たちと遊んだあと、ジェレミーはパトリックの部屋を訪れて、そう告げた。
「警察? なんで?」
「大統領の面接で、ヘイゼルさんのことを話してしまったから。それで明日から五日間、禁固刑だって」
「なんてこったい!」パトリックは思わず声を上げた。
「まあでも、それで済んでよかった。じゃあ、明日からしばらく中断だけど、時間はあるんだ。大丈夫さ。今からできるだけ、今後のプランを考えなくちゃね」
「うん」ジェレミーもいまだ歓びが抜けない表情で、頷いた。
「大統領が言われた期限は、一年なのかい?」
「ああ。準備期間に一年くれるって、おっしゃったんだ。一年後にそれを放送プログラムに発表して、それから半年ほど自由に活動していいって」
「そのあとは?」
「そのあと、大統領と中央執行委員会のメンバーで僕の活動を評価して、続けていいか、そこで芸能局を辞めるか、さもなければ、もし悪い影響を与えたと判定されてしまったら、矯正寮か、最悪の場合処刑らしいんだけれど……」
「処刑?!」
「ああ、でも、それはよっぽど悪く転んだら、ということだと思うんだ。でも、そうだね。有頂天になってばかりもいられない。リスクは常につきまとうんだ。万が一、僕にそのつもりがなくとも、暴動とか犯罪、最悪殺人なんかが、僕の活動に触発されてか関連付けて起こってしまったなら、悪い評価を下されることになってしまうんだ」
「それに、判定が大統領だけじゃなく、中央執行委員会のメンバーたちも関わるっていうのは、ちょっと厳しいだろうね。ヘリウェル大統領は自由な考えの持ち主らしいけれど、他の首長さんの中には、もちろん保守的な人も多いだろうし」
「うん。そう思うと、リスクも常に考慮に入れなくてはならない、ということなんだね」
 ジェレミーはしばらく黙ったあと、目を上げた。
「でも僕は、最悪の場合になっても、後悔はしないと思うんだ。僕は一ヶ月前、自分は死ぬんだろうと思っていたんだ。少なくとも、僕の心は殺される、と。だから今の僕には、何も怖いものはないよ。たとえ身体が殺されることになっても、一年半の自由と夢の追求のあとでなら、悔いはない。喜んで、満足して死ねると思う。ただその時、申し訳ないのはジェナインのことで、彼も僕の巻き添えになってしまうわけだよね。僕を精神的な死から救ってくれた恩人なのに、僕は彼の命もまた危険にさらしてしまうんだ。僕らは二人で一つの身体を共有しているから」
「そうだね。でも、きっとジェナインもわかってくれるんじゃないかな」
「うん。今声が聞こえた。気にしなくていいって」
 ジェレミーは目を閉じ、頷いた。
「でも、それだけじゃない。僕が協力者を募った場合、結果が失敗判定で、しかも僕が厳罰を与えられるようなものだった場合、協力者も巻き込まれてしまうって、大統領はおっしゃっていたんだ。処刑されるようなことはないけれど、地位の剥奪や、何年かの強制労働は避けられないって。そう思うと、君に協力を仰ぐのも申し訳ないよ、パット」
「それも、気にしなくて大丈夫さ、ジェレミー。仮に学術を追われて、矯正寮何年かのあと労働局になったとしても、僕も後悔しないさ。僕自身の夢も叶うことになるんだからね」
「パットの夢は、いつかあの音楽を、僕と二人でやることだったよね。僕は考えていたんだ。あの音楽を、世に出せるだろうかって。日のあたる場所に出して、みんなに知ってもらうことが出来るだろうかって」
「僕もそう思ったけれど……よく考えたら、やっぱり、あの音楽を公表するわけにはいかないよ。せいぜい練習として演奏できる可能性が、もしかしたらあるだろうと思う。それくらいだろう。それでも、僕としては夢が叶ったことになるから、満足だよ。もし公の場で演奏したら……僕が学術研究局を辞めるなら、それでもいいけれど、それにしても、はっきりそれはルール違反だ。せっかく大統領が温情で自由を認めてくださったというのに、明らかな違反を犯したら、判定にも不利だ」
「ああ……そうだったね。それはあるんだ」
 ジェレミーは落胆の思いに表情を曇らせた。
「ごめん、パット。僕は有頂天になりすぎて、思慮が足りなかったよ。君に迷惑をかけすぎてしまうことさえ、考えなかったなんて」
「僕の迷惑なんてのは、君が考えなくてもいいけれどね、ジェレミー。それは僕自身が決めることだから」パトリックは指を振った後、言葉を継いだ。
「ただ、思慮は必要だね。あの音楽を世に出したい。それはたしかに究極の目標だけれど、今のチャンスだけでは、そこへはまだ到達できないんだ。まず、君の活動が大統領はもちろん、他のお偉いさんたちにも認められることが、第一歩だよ。そこをクリアできれば、そのまま活動が継続できる。十分な活動結果をあげることが出来れば、そのうちに大統領にお願いして、あのファイルの音楽を演奏する許可がもらえるかもしれない。もちろんだめかもしれないけれど、チャンスがあるとすれば、現大統領の任期中しかないと思うんだ。それがうまく行けば、ファイルそのものの一般公開も夢ではなくなるかもしれないから」
「ああ、そうだね。そこまでがんばることが出来れば……」
「そう。そしてそのためには、第一関門を突破することだ」
「つまり、自由な僕自身の音楽活動を、成功させることだね」
「そうだよ。もちろん最悪の可能性も考えには入れなければならない。でも、まずは全力を挙げて成功させることを考えないとね」
「そうだね。そうだよ。君の言うとおりだ、パット」
 ジェレミーは頬を紅潮させ、手を打ち合わせた。が、もう一つ、気になることを思い出した。「パット、でも君も言ったとおり、最悪の可能性も考慮に入れなければならないんだよね。思い出したんだけれど、君には恋人がいるんじゃなかった? マーガレットさんっていう。君がリスクを伴う僕の活動に協力することを、彼女は了承してくれるかな? それに協力者は独身に限るという条件だから、一年半の間は結婚できないと思うし」
「マーガレットか。そうだね……」
 パトリックは思案しているような顔で、しばらく黙った。
「彼女には話しておかないと、だめだろうな。でも、もともと結婚は一年後くらいの予定だったから、それが半年伸びても大丈夫だよ。まだまだ限界年齢じゃないし。きっとわかってくれるよ」
「ずいぶん強気なんだね、パット」
「そうじゃない。信頼しているだけさ」パトリックは笑った後、言葉を継いだ。
「でもね、考えなければならない問題は、他にもまだあると思うんだ」
「ああ……たとえば、どんなこと?」
「どうせなら、彼らみたいなバンドを再現してみたいと思わないかい、ジェレミー」
「ああ、そうだね! 僕もそれは思っていたよ。僕はバンドが欲しいって、大統領にもそう申し上げたんだ。そうしたら、学術か雑務曲か労働局なら、いいっていう話だった」
 ジェレミーは伝えられた条件を繰り返したあと、少し首を傾げた。
「でも、他に誰か心当たりがいるだろうか。君のほかに。僕にはないんだよ」
「学術か雑務、労働局か。独身で、ねえ……」
「君の友達や知り合いの人はいない、パット? 同じ学術で」
「一人……いる」
 パトリックはしばらく考え込んでいるように天井に目を向けたあと、答えた。
「三ヶ月くらい前に、学術ネットワークのオンライン・ミーティングで知り合いになった人で、個人的に気が合ったんで、時々通信したり、メッセージを交換したりしている人がいるんだ。その人も、どうやらあのファイルを聞いたらしいんだ。話しているうちに、そんなことをほのめかしていた。それで、僕もそうだって言って……もちろんそれ以上詳しい話は、コンピュータ通信では、出来ないんだけれどね。実際に会ったことはないんだ。他の都市にいる人だから」
「どこに住んでいらっしゃるの、その人は?」
「シカゴ市らしいよ」
 シカゴ――その地名を聞いて、ジェレミーの心は微かに痛んだ。アヴェリンの出身都市。
「なんていう人?」
「ケネス・マッコールさんっていう人だよ。年は僕より一年と半年ほど上らしい」
「そう……」
 ジェレミーは頷きながら、考えた。アヴェリンには、たしか兄がいて、そのお兄さんは学術文化局に所属し、あの音楽ファイルを聴いたと言っていた。彼女は兄のことを『ケン兄さん』と呼んでいた。ケネス――ケン――もしかしたらその人は、アヴェリンの兄であるということは、ありえるだろうか。しかしパトリックのいうその人は、アヴェリンと同じローゼンスタイナー姓ではない。彼女の姓はシンクレア・ローゼンスタイナーで、マッコールというのは、どこにも入っていない。だが、それほどいるのだろうか。一つの都市にあのファイルを開いた、同じような名前の、学術専攻の人が。
 ともかく、アヴェリンの兄であれ、まったくの他人であれ、その人がシカゴ市在住なら、もし協力するとなると、こちらへ来てもらわなければならない。参加は微妙なところだろう。アヴェリンの兄だとしたら、なおさらだ。
「あとでその人と連絡を取ってみるよ。話だけはしてみる」
 パトリックの言葉に、ジェレミーは頷いた。
「ああ。お願い。それと、僕もその人に話をしないとね」
 話してみればわかるだろう。彼がアヴェリンと関係のある人なのか、そうでないかも。
「それと、労働局もOKなんだろう? 思ったんだけれど、モーリスはどうかな?」
 パトリックは少し間を置いて、そう提案した。
「モーリス! そうだね。最初の機械カウンセリングの時に、本気で悲しんでくれたっけ。彼と一緒に活動できたら、僕も嬉しいよ。でも、彼、音楽に興味があるかな?」
「ないとは言っていたけれど、でも声だけは、かけてみてもいいんじゃないかな。まあ、仲間集めは君の禁固刑が終わってからやった方が良いだろうけれど」
「そうだね」ジェレミーは肩をすくめ、頷いた。

 翌日から五日間、ジェレミーは警察署の禁固部屋で過ごした。そこは芸能局の懲罰室とあまり変わらない広さで、調度もベッドだけだが、食事は三食差し入れられたし、シャワーも一日おきに浴びられた。ジェレミーは突然開けた道への興奮と期待で気分が高揚していたので、早く始めたいという気にせかされたが、あれこれと今後のプランを考えるのは楽しかった。
 六日目に、刑が明けて伯父の家に帰ってくると、夕食後再びパトリックの部屋に行き、二人はまず、モーリスに連絡をした。彼にはジェレミーが最初のカウンセリングを受け、ジェナインとして覚醒し、再びジェレミーの自我に戻った翌日、連絡を取っている。その時、モーリスは涙を流して喜んでくれた。彼の思いが嬉しく、ジェレミーもまた涙したものだった。それから何度か、お互いに連絡を取り合っていたが、ジェレミーはずっと外出禁止だったため、『三人で一緒にどこかの簡易食堂で、食事して語り合う』という約束は、まだ果たされていなかった。
「よお、連絡が遅かったな。大統領の面接は一週間前じゃなかったか?」
 モーリスは開口一番、そう聞いてきた。
「うん。ちょっとね」
 ジェレミーは苦笑し、面接の経緯や、連絡が遅くなった理由を改めて報告した。そして与えられた活動条件や、リスクもすべて話すと、言葉を続けた。
「それでね、君にも協力してもらえないかなと思って、モーリス」
「協力?!」モーリスは素っ頓狂な声を出した。
「協力って、俺が音楽をやるのか? 俺、歌は歌えねえぜ! 自分でもひどい声だと思うからな」
「歌はいいよ。僕がやるから」
「じゃあ、俺は何をするんだ?」
「出来たら、楽器のどれかを担当してもらいたいんだ」
「楽器って何だ?」
「歌と一緒に演奏するものだよ。普通だったら、コンピュータで伴奏しているけれど、それを別の器具を使って、再現するんだ」
「俺、あまり頭が良くないから、機械操作なんぞ覚えられるかな?」
「機械操作じゃないんだ。楽器の演奏はまた別のものなんだよ。相当に練習は必要だと思うけれど、一年あるんだ。もし君が協力してくれるなら……」
「なんだかわからないが、いいぜ」モーリスは頷いた。
「俺はおまえらに、借りがあるんだ。何だって、やってやるぜ。それで借りが返せるってもんだ。それでこっちの仕事が半分になるんなら、言うことないしな」
「ああ、ありがとう、モーリス! でも、一年半結婚できないよ、大丈夫?」
「一年半か? 俺はそうなると、二六、七だな。まあ、それでも限界年齢までしばらくあるし、かまわないぜ。どっちにしろ、こんな環境じゃ女もできねえし、関係ないさ」
「失敗した場合は、罰則があるんだけれど」
 ジェレミーはもう一度罰則のあらましを語った。相手は笑い飛ばした。
「矯正寮は、もう慣れっこだぜ。それに労働局なんて、クビになりようがないからな。俺のことは、気にしなくていいぜ。なんでもやってやるよ」
「ありがとう、モーリス。本当に感謝するよ」
「だが、俺は本当に物覚えが悪いぜ。それだけは覚悟しておけよ」
 モーリスは少し自嘲気味に、少しおどけた口調で、そう付け加えた。
「大丈夫だよ。それじゃ、大統領に申請して、正式に許可が下りたら連絡するね。本当にありがとう」
 通信を終えると、ジェレミーはパトリックと顔を見合わせ、笑いあった。これで三人になった。

 そのあと、パトリックは自分の端末からケネス・マッコールに連絡を取った。端末の画面越しに見たその人は、鳶色の髪を少し長めに首筋のあたりまで伸ばし、切れ長のはしばみ色の目をした、痩せた青年だった。肌の色は少し浅黒く、頬骨が少し出ていて、ちょっとごつごつとした顔立ちをしている。一目見た印象は、アヴェリンとはまったく似ていなかった。
 パトリックは相手に向かって、従弟にまつわる事件と、簡単な経緯を語った。
「君の従弟さん……ジェレミー・ローリングスというのは、ジェミー・キャレルだね。歌手の」ケネスはしばらく沈黙の後、そう尋ねてきた。
「ああ。君は知っているのかい?」
「知っているもなにも、僕はアヴェリン・ローゼンスタイナーの兄だから」
「やっぱり、そうですか?!」ジェレミーは傍らで、思わず声を上げた。
「ええ??」パトリックは驚いたように声を上げ、絶句している。
「君も知っているんだね、ジェレミー君。妹が僕のことも、少し話したと言っていたから」
 ケネスは答えていた。
「ええ。僕もそれで、もしかしたらと思ったんですが、姓が違うから、違うのかも、とも思っていたんです。それにあなたは、あまり彼女とは似ていらっしゃらないし」
 ジェレミーは通話マイクの前に進み、そう言った。
「ああ。僕は父親似なのさ。妹は母の母――祖母に似ている。僕らが兄妹だなんて、見た目からじゃ、わからないだろうな。姓が違うのは、僕は父の姓を継いでいるからなんだ。僕が生まれた時には、父もまだ結婚前だったし、適正はあわなくとも、父方の姓を名乗ることを認められたからね。それで、母が僕の姓をローゼンスタイナー・マッコールとしたんだ。だが、妹が生まれた時には、もう母は父と別れさせられて、こっちに来た後だったので、父の姓を名乗ることは認められなかった。それで母の旧姓、シンクレア・ローゼンスタイナーになったんだ」
「旧姓なんですか? では、お母さんの今の姓は違うんですか?」
「母はアヴェリンが生まれて一年半後に、別の人と結婚したんだ」
「そうだったんですか。やっぱり」
「そう。政府はもうすでに子供を生んでいても、限界年齢過ぎて独身でいるのは許可しないんだよ」ケネスは乾いた笑いを浮かべた。
「それでは、その人のお子さんも?」
「母が結婚後に生まれた子供が二人いるよ。男の子と女の子で、双子なんだ。ナサニエルとキャサリンといって、今十三歳だ。僕ら兄妹の末っ子たちというわけだね」
「そうなんですか。あなたのことしか、アヴェリンからは聞いていなかったので、知りませんでした」
 ジェレミーはそこで思い出した。アヴェリンが『母は育児期間中なので在宅勤務なんですけれど、もともと学術だから』と言っていたことを。アヴェリンは最初、教育局の三級オペレータコースの専門課程を勉強していた。芸能局に入るためにコースを外れたが(普通部門の三級や四級の下級オペレータコースの場合、芸能局への途中転入は比較的容易だった)、職業適性試験は済んでいる。それでも育児期間中だということは、下にまだ職業適性検査前の弟妹がいるということを意味していたのだろう。その時には、さほど気に留めてはいなかったが。
「ああ。あえて話す必要性もなかったからだろう。でも別に僕らと下の二人との仲は、悪いわけじゃない。普通に兄妹だ。良く話もするし、小さい頃は遊んでやりもしたよ」
「そうなんですか。それで……今のお父さんは?」
「……彼は非存在だ。だから語れない。父親が存在しない点では、ナットやキャシーも、僕らと変わりはしないんだ。だから母の姓も、元に戻った。そして弟妹たちも父親の姓がなくなり、母の姓と同じ、シンクレア・ローゼンスタイナーとなったんだ」
 ケネスの言葉に、ジェレミーは凍りついた。どういう事情があって、アヴェリンとケネスの母親と結婚した人は、自ら命を絶ったのだろう。アヴェリンの母は、妻のいる人を愛したために――いや、アヴェリンの話ではもともと恋愛関係にあったのだが、相手と結婚適正が合わず、別れさせられた後、父の方は限界年齢になって別の人と結婚したわけだが、彼らの母は結婚限界年齢まで未婚を通したのだろう。ということは、彼女は政府のお見合いシステムで、相手の男性を紹介されたに違いない。その男性はやはり、結婚限界年齢まで未婚でいたのだろう。もしかしたら、同じような事情だったのかもしれない。心に決めたほかの人が忘れられず、自ら命を絶ったのだとしたら――それは根拠のない推測でしかないが。
 ジェレミーは首を振り、言葉を捜そうとした。だが、ケネスの方が早かった。
「そういうわけだから、仮に僕が協力する意思があったとしても、大統領閣下が認めてくださるかどうか、わからない」
「そう……ですね。あなたがアヴェリンのお兄さんなら……アヴェリンと僕は、二度と会ってはいけないと言われていたのだし」
「とりあえず、僕は明日そちらに行くことにするよ」
 ケネスは口調を変え、そう言った
「コンピュータ通信では、言えないことも多い。協力できるにしろそうでないにしろ、ともかく直に会って話がしたいんだ。そちらの住所を教えて欲しい」
「わかりました」
 ジェレミーはアンソニーの住所を教え、乱れる心を抑えて通信を切った。

 翌日のお昼過ぎに、ケネス・マッコールはやってきた。そしてメラニーに軽く挨拶をすると、ジェレミーとパトリックとともに、客用寝室に閉じこもり、話し合った。
「アヴェリンには、君に会うということは内緒にしてきたんだ。ただ学術のミーティングでニューヨークに行くと言ってきた」
 ケネスはスツールに腰を下すと、そう口を開いた。
「アヴェリンは元気ですか?」
 ジェレミーは思わず、そう聞かずにはいられなかった。
「少しつわりがあるようだが、おおむね元気だ。だが、彼女には君のことは、なにも話していないんだ。妹は君が機械カウンセリングにかけられて、何もかも忘れ、別人になったと思い込んでいる。僕も昨日パトリックに聞くまでは、君の機械カウンセリングが失敗したなんて知らなかったから、彼女が知らなくても無理はないだろう」
「僕が言うのは余計なことだけれど……だったら、知らせてあげたらよかったのに。妹さんは今も、悲しんでいるんじゃないのかな」パトリックがそこで口を出した。
「知らせたら、きっとアヴェリンは喜ぶだろうと思うよ、たしかに」
 ケネスは小さくため息を吐き出した。
「だけど、どのみち、彼とアヴェリンは結婚できないんだ。結婚適正があわなかったんだからね。アヴェリンは母と同じ道を歩もうとしている。母はごく若い時、父と知り合い、僕が生まれた。でも、その時に出した結婚申請は、拒否されたんだ。でも母は父への思いを断ち切れなかった。社会的に許されなくても、なお付き合い続けた。そのうちに僕らの父親は結婚限界年齢になり、他の人と結婚した。しかし母はそれでも愛し続け、アヴェリンが生まれた。そこで政府の手によって、二人は強制的に別れさせられ、母と僕たちは遠く離れたシカゴ市への移住を余儀なくされた。そこで母は結婚した。しかし、相手は双子たちが三歳の時に、非存在になったんだ」ケネスは再びため息を吐き出した。
「ここでは僕らしか聞いていないだろうから、言ってしまうが、本当に修羅場だった。新しい父は僕ら兄妹を殺そうとすらした。母が止めに入ると、彼はナイフで自分の胸を突き刺したんだ。即死だった。なぜ彼がそんなことをしたのか、どういう思いだったのかは、はっきりとはわからない。しかし彼が最後に叫んでいた言葉は覚えている。『おまえはどうして、俺のことを好きになってはくれないんだ。いつまで前の男を愛しているんだ! そんなおまえと、これ以上結婚生活を続けるのは耐えられない』と」
 その言葉に、ジェレミーは背筋が凍るのを感じた。パトリックもぞっとしたような顔で、目を見開いている。
「アヴェリンも、いずれ他の誰かと結婚しなくてはならない」
 ケネスは静かな口調で、言葉を継いだ。
「彼女にも、その子供にも、出来うる範囲ででも、幸せになってもらいたいと思っている。母のように、永遠に結ばれない人を一生思い続けていては、決して本当に幸せにはなれない。彼女には、母のような人生は選んでもらいたくないんだ。結ばれない恋人のことは、過去の思い出として、諦めて欲しい。カウンセリングにかかって別人になったと思っていれば、死んだと同じで、諦めもつくだろう。だが無事でいるとわかれば、また強い愛情がわきあがってくるだろう。それは必ずしも、彼女のためにはならないと思うんだ」
「でも、ジェレミーは一年後には、また公の場に出るんだよ。その時にはわかってしまうんじゃないかな」パトリックは首を捻りながら、そう言う。
「妹は音楽番組を一切見なくなっているんだ。もしかしたら、知らずにすむかもしれない。もし仮に彼女が知ったとしても、それは一年後の話だ。その時、アヴェリンがどう思うか……そこまでは、僕もわからない」
「だったら……」
「今知らせても同じだろうと、君は言いたいんだろう、パトリック。これは君にはわからないことだろうね。だが僕としては、その時になるまで、妹には知らせたくないんだ。その時になったら、彼女は自分自身で心を決めるだろう。その時もなお彼を愛しているのなら、僕にはいたし方がないことだ。人の心は、他の人にはたとえ兄妹とはいえ、どうしようもないものだからね。ただ、僕自身は後押ししたくない」
「わかりました」ジェレミーは相手の目を見、頷いた。
「あなたの気持ちは、わかります。でも僕はあなたに会えて、良かったと思います。アヴェリンが無事で、元気でいることがわかったから」
「君は今も、妹を愛しているのかい?」
「はい。きっと死ぬまでそれは変わらないと思います」
「君もいずれは、他の人と結婚しなければならないのだよ」
「わかっています。それを思うと、穏やかじゃないです。アヴェリンが他の人と結婚しなければならないということも。でも今のところは従うしかない規則なら、せめて選ばれた伴侶を不幸にしないよう勤めたいです。どんな人にせよ」
「アヴェリンもそうであってくれることを祈るよ」ケネスは再びため息をついた。
「ところで……君の活動への協力だが、僕はそういうわけで、大統領がお許しくださるかどうか、はなはだ心もとない立場だと思うよ」
「そうですね。それに、あなたが協力したくないという気持ちもわかります」
「いや、協力したくないとは言っていない」
「えっ?」
「僕は妹の結ばれざる恋人、未来の甥か姪の父親に会うためだけに、わざわざニューヨークまで来たわけじゃない。僕も事情が許せば、君たちとともに活動したいんだ」
「えっ、そうなんですか?!」
「あの音楽は……強烈だった」ケネスは思い出すように、目を閉じた。
「もうとっくに二ファイルとも再生限度を越えて、聴けなくなっているが、今も心に響いてくる。あれ以来僕は、この世界にあるものがすべて幻で、実体のないもののように思えてしまった。影の世界に生きているような……何もかもが、物足りなくなってしまった。だが君のように芸能局に行く勇気は僕にはなかったし、この顔では面接で落ちるだろう。年も若干行き過ぎている。それに、芸能局の音楽は嘘だ。あの音楽が真実なら、実体ならば、芸能局の音楽は虚像だ。まがい物だ」
「ええ。ええ、僕もそう思っていました。あなたはわかってくださるんですね」
 ジェレミーは夢中で頷いた。
「あれに触れると、正気ではいられなくなる。僕の内部では渇望に沸き立っているのだが、発散するすべがなかった。君の活動に加担して、いくらかでも本物の音楽への道を開いていけるならば、この思いも癒されるだろう。そんな気がするんだ」
「じゃあ、協力していただけるんですね!」
「出来るものなら、そうしたい。だが許可されるかどうか」
「それなら、とりあえず申請だけして、判定は大統領にゆだねようよ」
 パトリックがそう提案し、そして続けた。
「それで許可されたら、君は四人目のメンバーになってくれるんだね、ケネス?」
「ああ。そうしよう」
「じゃあ、申請してみます!」
 ジェレミーは通信端末を開き、ハワード監督官につないだ。彼が中央政府にいる大統領とジェレミーの仲介として、連絡役になっているのだった。

 翌日の午後、ハワード監督官から連絡があった。大統領からの返信が来たという。
「申請した三人は、協力者として認める、ということだ」ハワード氏はそう告げた。
「ただし、ケネス・マッコールに対しては、条件付きだ。期間中はシカゴ市を離れ、単身ニューヨーク市に住むこと。家族には学術関係の特別研究ということにして、期間中連絡を一切しないこと。妹のことを含む家族の話題は禁止。もちろんジェレミー本人が彼女に連絡を取るのは厳禁だ。以上が守れるならば、許可するということだった」
「わかりました。条件は守ります」
 まだアンソニー宅に滞在していたケネスは、より生真面目な顔で頷いた。
「あとで誓約書にサインをしてもらうことになる。他の二人もな。そして三人とも、本業もこなさなければならない。学術の二人は普段どおり、レポートを提出すること。労働局の者は、担当官と掛け合い、九時から十三時三十分までの勤務ということになった。期間中の結婚禁止の特例も含む、そういった制約をまとめた書類を夕方持っていくから、全員をそちらに呼んでおいてくれ」
「はい。ハワードさんにもご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
 ジェレミーは軽く頭を下げた。
「いや、こんなことは長い芸能局生活でもなかった。なかなか興味深いことだ」
 監督官はうっすらと笑いを浮かべながら、そう答えていた。

 それから三日後、ジェレミーの特別活動がついに本格的に始動した。練習場所はニューヨーク市の外れにある地下倉庫の一室が割り当てられ、そこに楽器類が運び込まれた。すべて電気で増幅するタイプのものであるが、ドラムセット、ベースギター、ギター、そしてシンセサイザー。シンセサイザー以外の楽器は、もう十何世紀も封印され使われていなかったものだが、中央政府の地下倉庫奥深くに眠っていたという。それが今、永い眠りから覚め、再び使われるのを待っていた。
 ケネス・マッコールはいったんシカゴ市に帰り、その二日後にニューヨーク市に戻ってきた。そして一年契約で、練習場からシャトルで十五分ほどのところにある、単身者用アパートメントを借りた。ジェレミーも同じアパートメントの別の部屋を契約した。アンソニー伯父のところで一年以上も厄介になっていては、家族が増えた今、ヒルダの一家が帰ってきた時に、泊まる部屋がなくなってしまうからだ。パトリックは自宅から、モーリスは労働局の寮から通ってきた。
 誰がどの楽器を担当するかも、比較的すんなりと決まった。ジェレミーが歌、パトリックがギター、そしてモーリスは「俺は力仕事の方がいい」とドラムスを選び、ケネスは「機械の扱いは得意だから」と、シンセサイザー担当に回った。
「ベース奏者がいないね」
 担当が決まると、パトリックは仲間たちを見回し、肩をすくめた。
「本当だ。一人足りないね」ジェレミーも首をかしげる。
「でも、もう一人入れるのも、今のところ心当たりがないし、どうしようか。僕が歌いながら弾いてもいいけれど……」
「それも大変じゃないか?」ケネスが鍵盤を操作しながら、首を振った。
「足りないパートはシンセサイザーの機能を使えばカバーできる。ひとまずベースは空位にしておいて、僕がシンセサイザープログラミングを使って、代用しよう。少し迫力と音圧は不足するが、なんとかなるだろう」
「そうですね」ジェレミーはほっとして頷いた。
「で、何をすりゃいいんだ? これを適当にぶったたいていればいいのか? こりゃ、ストレス解消にはもってこいだな」モーリスが笑いながら聞いてくる。
「適当に叩いちゃ、だめだよ」ジェレミーもつられて笑った。
「とりあえず、あの音楽練習用ファイルから、練習プログラムを作ってみたよ」
 パトリックが各自にシートを配った。それは彼が新世界創世記ファイル・音楽の基礎編を元に端末を使って編集し、プラスティックペーパーに打ち出したものだった。
「ああ、これか」ケネスはすでに見ていたものゆえ、すんなりと受け入れたようだった。だがモーリスには、まったくのちんぷんかんぷんだったようで、最初の一週間、ジェレミーがつききりで基本動作と楽譜の読み方を教えなければならなかった。




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