Part 5 of The Sacred Mother's Ring - Call of the Time

第九章 道を求めて(1)




 その日、芸能局から専用エアロカーが、アンソニー一家の住む集合住宅の玄関にやってきた。アンソニーとマーティンは出勤してしまっているので不在だったが、心配げなパトリックとメラニー、そして無邪気に手を振るトミーとリッキーに送られてジェレミーが車に近づくと、後部座席には、むっつりと不機嫌そうな顔をしたバーナード芸能局長と、ドウェイン歌手部門総監督が座っていた。運転席の横には、これまた苦虫を噛み潰したような顔のジョンソン研修官がいて、無言で後ろの方にあごをしゃくった。中段に乗り込むと、隣にはハワード監督官が乗っていた。中央政府のビルに到着するまで、誰も口をきかなかった。ビルの受付でドウェイン総監督が来訪の旨を告げると、しばらく待たされたのち、ジョンソン、ハワード両氏を含めた五人全員が、大統領執務室に案内された。
「私どもは面接の立会いには指定されておりませんでしたが、同席してもよろしいのでしょうか。それとも、廊下で待っていたほうがいいのでしょうか」
 案内役のアンドロイドに、ハワード監督官が聞いた。
「大統領に聞いてまいります。それまで全員、ドアのところでお待ちください」
 案内役はいったん中へ入り、しばらくのちに再び出てきた。
「みなさま全員、中にお入りくださっていいそうです。ただし、面接に指定されておられなかったお二人は、部屋の中に入られたら、そのままでお待ちください」
「わかりました」
 部屋に入ると、ジョンソン、ハワード両氏はそのままドアの脇に立ち止まり、芸能局長と総監督は前に進んだ。ジェレミーも両氏のあとから、少し距離を置いてついていった。
 アンナ・ヘリウェル大統領は局長と総監督に、長いソファに座るように言い、ジェレミーを補佐官の席に座らせ、自分も座ったあと、そばに控えたアンドロイドに、「あのお二人の椅子を取ってきて差し上げて」と命じた。そして監督官と研修官が、運ばれてきたスツールに腰を下すのを見てから、口を開いた。
「あなたがジェミー・キャレルですね」
「はい」ジェレミーは頷いた。そして一瞬ためらったあと、続けた。
「本名は、ジェレミー・ジェナイン・ラーセン・ローリングスです」
「そうですか。ジェミー・キャレルというのは、芸名なのですね」
「はい」
「では、率直に本題に入りましょう。あなたは、ある違反行為をしましたね。こちらのお二人からお話を聞いて、考えたのですが、それに相当する罰は、懲罰室に二ヶ月の収監というのが妥当ではないかと、私は思いました」
「懲罰室で……二ヶ月。それですむのですか?」
 ジェレミーは驚きに、目を見開いた。
「ええ。少なくとも、機械カウンセリングが必要なほどとは、私には思えませんでしたので。芸能局のローカルルールというのは、今まで治外法権的に認められてきたのですが、あまりにいきすぎではないかという懸念を感じました」
 大統領はそこで、ちらと芸能局上層部の二人に視線を送った。
「ただ、芸能局の規則そのものを見直すとなると、もう少しいろいろと内部の事情などを調べてみないといけません。機械カウンセリング実施の実情には、かなりいきすぎを感じますが。少なくとも私は、今後はむやみに機械カウンセリングの承諾はしないつもりです。全国のカウンセリングセンターにも、署名なしの施行は決してしないよう、かたく申しつけました」
 大統領は再び局長と総監督に視線をやってからジェレミーを見、微かに笑いを浮かべた。
「もっとも、あなたに機械カウンセリングがきかなかったおかげで、全世界のカウンセリングマシンは今、総点検、再開発中です。半年くらいは使えないでしょうけれど」
「そうなのですか」ジェレミーは安堵と困惑の入り混じった、ため息をついた。
「しかし、彼らはあなたを機械カウンセリングにかけようとしたのは、あなたが犯した罪のゆえというよりも、あなたの思想偏向が好ましくないと思ったからだ、と言うのです」
 大統領は再び局長たちに視線を送ってから、ジェレミーに向き直った。
「それが本当かどうか、あなたにいくつか問いたいことがあるのですが、その前に、あなたが本当のことを言っているかどうかを、確かめねばなりません」
 彼女はそばに控えたアンドロイド秘書に「用意して」と命じた。秘書は部屋の隅に行き、何かを取り出してからジェレミーに近づき、腕にはめた。それは銀色の金属で出来た輪で、真ん中に二センチほどの丸い緑色のライトが微かに光っている。
「あなたが嘘をついていると判定されると、その腕輪のライトが赤く点灯します」
「はい」ジェレミーは短く頷いた。
「あなたは人を傷つけたいと思ったことがありますか」
「ありません」ランプは緑のままだ。
「あなたは誰かを殺したいと思ったことがありますか」
「ありません」ランプの色は変わらない。
「あなたは他の誰かが持っているものを欲した時、どんな手段を使っても、それを手に入れたいと思いますか」
「人が持っているものを奪わなければならないのなら、欲しくはありません。自分でまっとうに手に入れられるものなら、努力します」
「あなたは自分の利益のために他の人を陥れたり、裏切ったり出来ますか」
「出来ません。特に信頼してくれる人を裏切るのは、最低だと思います。まして、自分の利益のためだなんて」
「自分の目標や欲望を実現するために誰かが邪魔になった時、その人を排斥したいと思いますか」
「いいえ。その人を排斥しないでも実現できる道を探したいです」
 一連の質問にも、ランプは緑のままだ。そしてその色は最後まで変わらなかった。
「では、あなたの目標や欲望を実現するために、社会の法律が邪魔になった時、それを破ってもいいと思いますか」
「いいえ、と答えることは、僕には出来ません。僕はすでに、自分の思いのためにルールを破っていますから。僕は、理不尽と思えるルールには、盲目的に従う自信はありません」
「そうですか」大統領は考え込むように少し黙った後、再び質問を始めた。
「たとえばどんなルールが、あなたには理不尽だと思えるのですか?」
「いろいろありますが、芸能局のルールは、たいていにおいて理不尽だと、僕は思えます。芸能局の所属者は、極端に自由が少ないのです。休暇は年間十日ほどですし、現役の所属者は、外部に通信も出来ません。恋愛禁止ですし、現役中は、少なくとも歌手部門の所属者は結婚も出来ません」
「しかし、それはみな入局の時に了承済みのはずだ」ドウェイン総監督が声を上げた。
「おまえもそれを承知で入ったはずだぞ。いまさら、とやかく言うんじゃない」
「反論はあとで聞きますから、とりあえず今は黙っていてください」
 ヘリウェル大統領は総監督に目をやった。
「は、申し訳ありません」
「しかし、彼の言うことも一理ありますね。芸能局のローカルルールは、入った時にわかっているはずです。入局要綱にありますしね。あなたも承知で入局したのではありませんか」
「はい。それがわかっているので、僕も今まではルールに従ってきました。ただ、実際に恋に落ちてみると、恋愛禁止ルールがいかに残酷かわかります。でも、ルールだから諦めようともしました。でも今回のことは、我慢の限界を超えたのです」
「それほどまでに、彼女を愛していたのですか?」
「はい。それに彼女は、理不尽な目にもあっていました。ある上司から性的関係を迫られて、拒否すれば機械カウンセリングにかけるとまで脅されていたのです」
「まあ、それは本当ですか?」
「はい。それで僕は、そんなことには我慢できなかったのです。彼女のためにも、自分のためにも。それで逃げようと思ったのです」
「それが本当なら……」ヘリウェル大統領は、局長と総監督に鋭い視線を送った。
「彼の脱走の罪は、かなり帳消しになりますね。その女性の処分も含めて。そんな無法なことがまかり通っていたとは、知りませんでした。その不届きな上官は誰ですか?」
「名前を挙げることは、簡単ですが……」
 ジェレミーはちらりと総監督に視線をやってから、一息おいた。
「でも、もしこれが芸能局全体の体質であるなら、同じことを考えているのは、彼一人ではないと思います。芸能局では、所属者は基本的に人間扱いされていません。芸能局所属者は、たいてい自然出生で、それもいろいろと出生に傷のある人が多いと聞きます。僕もそうでした。だから自分の好きなように動かして、なんら問題はないと思っているようです。ちょうどロボットやおもちゃのように」
「自然出生で、なおかつ婚外だと、遺伝子変異が大きくなるリスクがあるので、社会的に発展できないとは、聞いたことがあります」ヘリウェル大統領は頷いた。
「我々の新世界では、社会的生産性と、次世代の育成が最大懸案ですから、それに貢献できがたいものは重く見られない。それゆえでしょうね。しかし、彼らの基本人権まで侵害されていいはずは、ないと思います。彼らはロボットではないですからね」
「恐れながら大統領、芸能局に関する規定は、遠くカーラ・ゴールドマン大統領の時代に、過去の失敗の反省から、最大の英知を持って作られてきたものです。そして千年以上もずっと、滞りなく機能してきたものなのです。芸能局は今まで、ずっと安定して、十分その役割を果たしてきました」バーナード局長がそう訴えた。
「カーラ・ゴールドマン大統領の理念は、私も見てみました」
 ヘリウェル大統領は答えた。
「彼女の理念は、正しいのでしょう。ただ、どんな体制も、千年も続くうちには、最初と同じものではありえない、と私は思っています。それに彼女は芸能局所属者を『つけあがらせないように』とは注意すべきと定めていますが、『その尊厳を踏みにじってもよい』とは規定していません。それは決してイコールではないのです。しかし、芸能局は今まで何の問題もなく機能してきましたし、内実が一つの独裁国家のようになっているからと言って、むやみにルールを変えてしまうのは、混乱を招く恐れもあるので、私もあまり気が進みません。ただ、もう少し風通しを良くする必要はあるでしょうね」
 そして彼女は再びジェレミーに向き直った。
「では、他には理不尽と思えるルールには、どんなものがありますか」
「はい……」ジェレミーは一瞬躊躇した。今まで思っていたこと。社会の壁と感じていたこと。それを言うのは、危険だろうか。そうかもしれない。しかし――。
「結婚適正も、僕には理不尽に思えます」
「適正で拒否された人は、たいていそう思うでしょうね」
 ヘリウェル大統領の薄い唇が、微かに歪んだ。
「はい。そうかもしれません。でも愛情は、判定では図れないものなのです。僕も彼女とは適正があわないので、どのみち結婚できないと言われました。だから、彼女ももう二度と、僕に会ってはいけないと」
「そうですか。適正が合わないのは残念ですが、お互いに別の人を探した方が、当人たちにとって幸せであることは、たしかですね。会ってはいけないというのは強すぎるかもしれませんが、お互いに結婚できないのに未練を引きずるのは、良くないと思います」
「そうでしょうか。僕には従姉がいました。とても優しい人でした。その人は愛した人と適正が合わず、別れてほかの人と結婚しました。子供も生まれました。でもその人が忘れられず、家出をしてその人のところに行ってしまったのです。そして遠くまで逃げて、最後には、二人で自殺しました」
「自殺者のことを口に出すのは、犯罪ですよ」
 ヘリウェル大統領は厳しい口調で遮った。
「聞いているのが私たちだけですから、せいぜい禁固数日の軽犯罪ですが」
「わかっています。しかし、どうして自殺者のことを言及してはいけないのですか」
「人が自らの手で命を断てるのだ、ということは、決して人には知らせてはいけないことです。中には自分で思いつき、実行してしまう人もいるでしょうが、外からわざわざ知らせる必要はありません。自らの役目を全うせず、自分から命を絶ってしまうなど、身勝手です。どんな悩みがあるにせよ、生きるのが困難なことにせよ、勝手に生きるのを止める権利はありません。自殺は重罪です」
「それはわかっていますが……」
「それに、その従姉さんにやはり非があると、わたしは思いますね。結婚し、子供までありながら、昔の恋人に走るなど。相手も結婚しているならば、彼女は二つの家庭を壊したわけです。なぜ今の婚家で、精一杯尽くさなかったのでしょう」
「彼女は一生懸命尽くしたと思います。ご主人の要求にも懸命にこたえて、努力していたと。しかしご主人には理解がなかったそうです」
「しかし彼女は内心、その別れた恋人をずっと思い焦がれていたとしたら、ご主人は当然、面白くなかったでしょうね。奥さんに十分な思いやりをかけてやれなかったとしても、全面的にご主人を責められないでしょう。形式的にいくら家庭を整えても、心が入っていないわけですから。たとえ相手のことをご主人は知らなくとも、そういった気持ちは伝わるものです」
「……」
「私もかつて、結婚適正を否定されたことがあります」大統領はそう続けた。
「しかし、私は気持ちを切り替えることにして、今の夫と結婚したのです。そして成功したと思っています。ともかく、従姉さんの話はもうよしましょう。今後は決して、公の場で彼女のことを口に出してはいけません。そして今、口に出した罪は裁かねばなりませんから、明後日から五日間、警察で禁固刑に服してください」
「はい……でも……」
「でも、何ですか? 刑に従うのは不満ですか?」
「いえ、それはルールですから、従います。でも最初に言いましたとおり、結婚適正自体も、僕には理不尽に思えるのです。なぜ真剣に愛し合う二人が一緒になれないことがあるのか、と」
「結婚適正が否定されるのは、子供の流死産率や障害出生率が上がる恐れがあるからだ、ということは知っていますか?」
「はい。それは知っています。しかし、その事実を踏まえた上で、結婚に踏み切れる自由があれば、と思ってしまうのです。子供が障害児になっても、もしくは子供がいなくともかまわないと二人が思えるなら。それに規定出生が主流なのですから、それで障害を排除することは、十分にできるのではないでしょうか。最終的には、里子という手段もあるのですし」
「結婚適正が否定される場合、規定出生で健常児を選別するのも、非常に難しいことが多いのです。出来ないことではないですが、かかる費用も手間も、通常カップルの数倍かかります。障害児を治療するのにも、国庫に負担がかかります。出来るならば避けたいのは、社会経済の観点から見て、当然でしょう。それに子供がいないのは、社会生産の上からは大きなマイナスです。現在、確かに人口は七千万に到達し、これから先を考えれば、今までほど人口増加に力を注がなくとも、大丈夫ではあると思いますが。グローバル・コンピュータがはじき出した地球の適正人口は、約二億なのです。しかし、結婚適性がなくなり、人々が野放図に婚姻を始めたら、今以上に妊娠障害や障害出生率、死亡率は上がり、それにつれて社会的コストがかかり、出生率も下がり、生産性に悪い影響を及ぼすでしょう。一人二人の個人の事情ではなく、社会全体で考えなければなりません」
「はい……」
「他には、どんなことが理不尽なのですか?」
「あとは特に……特にないです。職業適性にも疑問は感じましたが、しかし、それぞれの能力を最大限に生かすというのは、納得できますから。ただ……」
「なんですか?」
「僕は最初の適正で、宇宙開発局に振り分けられたのです。しかし、思想的に偏向しているからという理由で、再適性に落ちました。考え方が合わないから排除されるというのも、少し納得がいきません」
「科学開発部門は特に、思考が柔軟であることが要求されます。いろいろな考えを偏見なしに受け入れなければ、発展もないでしょう。それは科学系技術者には不可欠な素養ですから、別に理不尽であるとは、私は思いません」
「はい……」
「どうやら、あなたは不満屋のようですね」
 ヘリウェル大統領は唇をゆがめて笑った。
「不満分子ではありますが、反逆分子ではない。本人にはひどく重荷でしょうが、外部への破壊衝動は皆無だと思いますので、危険とは判定できないですね。そして、あなたは自分の仕事が嫌いなのですか?」
「好きではありません」
「それなら、あなたにとって一番良いことは、芸能局を離脱することだと思いますよ。今、あなたは何歳ですか? 来月二二歳? それなら、その時にもう一度適正テストを受けなおしたらどうでしょうか。多くの部門は二十歳で適正を締め切ってしまいますので、労働局か雑務局、うまく行っても学術文化研究局、そのくらいしか行き場はないでしょうが、それはいたしかたがないことでしょう」
「芸能局は辞めたくないのです」
「どうしてですか? 芸能局のルールは理不尽で、仕事が嫌いであるなら、離脱した方があなたのためにもいいと思いますが」
「でも、芸能局にいなければ、僕の夢は実現できないと思うのです」
「あなたの夢?」
「はい。僕は……音楽がやりたいのです。芸能局で与えられるような、うわべだけの音楽でなく、本物の音楽が。人の心に届き、感動させるような音楽が」
「今でも、あなたのファンは大勢いるのではないですか?」
「そうですが、僕のファンはたぶん、音楽に感動しているわけではありません。造られた僕のイメージしか見ていないような、そんな気がするのです。僕には、彼らの人生は変えられません」
「人の人生を変えるような音楽は、危険だと思いますね」
「破壊に導けば、そうでしょう。でも、彼らに力を、勇気を与え、考えることをはじめさせることが出来たら……ちょうど、あの音楽が僕を変えたように」
「あの音楽?」
「はい。新世界ファイルの」
「あれを聞いたのですね」大統領の顔に、微かな苦笑がよぎった。
「閣下も聞かれたことがありますか?」
「いいえ。大統領になると、新世界創世ファイルまでは見られるのですが、音楽ファイルは開けません。あれは学術メンバーで、なおかつ特定の子孫のみの特権です。そしてそれに関しては、一切の改変が許されないので、今後とも変わらないでしょう。あなたはなぜ、見ることが出来たのですか?」
「従兄が学術で、ファイルを開いたのです。そして僕を共同閲覧者にしてもらえたのです」
「そして認定されたのですね」
「はい。ちょうどその時、僕は宇宙開発局の再教育期間でしたので」
「わかりました。なるほど……つまりあなたは、カーラ・ゴールドマン大統領以前の時代に、音楽のあり方を戻したいというわけですか?」
「はい。それも爛熟期ではなく、新世界に音楽が、彼らの音楽が伝わった頃のようになれたら、と思うのです」
「そしてまた、歴史を繰り返せと? 再び芸術が爛熟して、規制しなくてはならなくなることは、おそらく明らかでしょう。過去の過ちを繰り返して、無駄に時代を費やせというのですか?」
「正しく導けば、そうはならないと思うのです。そのためにこそ、過去の教訓があるのだと……」
「黙って聞いておれば、貴様はどこまで出すぎた口をきくのだ!」
 たまりかねたように、ドウェイン総監督が怒鳴った。
「私は別に構いませんよ。どんな種類の意見であれ、忌憚のない考えを聞くことは、参考になります」ヘリウェル大統領は、ちらりと総監督を見た。
「少し考えさせてください、皆さん。調べたいことがあります。一時間ほど、控え室で待っていてください」
 アンドロイド秘書が近づいてきて、ジェレミーの腕の装置を外すと、一行を部屋の外へ出した。そして廊下を渡り、別の部屋へと導いた。そこは五メートル四方ほどの広さで、クリーム色の調度でまとめられた、シンプルな部屋だった。
 局長と総監督、そしてジョンソン研修官は燃えるような目でジェレミーをにらみつけ、すぐに目をそらしたあと、ソファにどっかりと腰を下し、一斉にタバコのカートリッジを取り出した。ハワード監督官は困惑したような視線を向け、そして隅の椅子に座った。
 ジェレミーは身の置き所のなさを感じながら、窓際の隅に立っていた。自分は芸能局を追放されるのだろうか。そして――学術になれたら、それもいい。パトリックとともに趣味として音楽を追求する道は、残されている。それがたぶん、最善の道なのだろう。労働局になったら――慣れない肉体労働はこたえるだろうが、モーリスと一緒に働くのも、決して悪くはない。雑務局のオペレータになり、一日中キーを叩き続けるよりは、ましかもしれないとすら思える。ただ辛いのは、その場合どちらも音楽への夢を、完全に捨てなければならないことだ。ジェレミーは唇をかんだ。
 部屋は沈黙に包まれ、時間はゆっくりとたっていった。

 アンドロイド秘書が呼びにきたのは、一時間以上たってからだった。一行は再び大統領執務室に招かれた。
「考えたのですが、一番簡単な処置は、彼を芸能局から離脱させることです」
 大統領は口を開いた。そして、言葉を継いだ。
「ただ、芸能局自体、今見直しの時期に来ているのかもしれない、とも思いました」
「それは……どういうことでしょう」
 バーナード局長が、緊張した面持ちで言葉を継いだ。
「たしかに芸能局は今まで問題なく機能してきたと言えますが、過去の資料を取り寄せて検討してみたところ、芸能局の入局者はここ二百年ほど、ゆっくりですが減少を続けていますね。そして娯楽プログラムの視聴率も、放送プログラムや楽曲に寄せられるリクエスト数も、少しずつ下がってきています。芸能局所属者たちの平均寿命は、他の職業より十五歳も短い。これは生まれのせいとも言えましょうが、同じ条件のほかの職業人に比べても、やはり十年ほど短い。そしてカップルあたりの平均出生数も、二・八人と少ない。これは結婚禁止による晩婚化の弊害ですね。そして芸能局内の機械カウンセリング処分者が、この百年で一二六人、年間一人以上出ていますね。この数は多いのか少ないのかわかりませんが、芸能局で殺人や重傷害犯罪が、この百年で二件しか起きていないことを考えれば、納得のいかない数字であることは変わりありません」
 ヘリウェル大統領は頭を振り、言葉を止めて一同を見回し、再び口を開いた。
「私は来月の中央委員会で、芸能局改正ルールを審議することにしました。ただし規則というものは、一度緩めてしまうと、再び締めつけるのは困難です。そこで、少し慎重にことをはこんでみましょう。まずは芸能局の恋愛禁止ルール、この元となる歌手の結婚禁止ルール、これの上限年齢の引き下げを提案します。人気のあるなしにかかわらず、一般の結婚上限年齢に揃えようと思うのです。そして休日の増加と、期間限定での外部通信の許可。それを提案しようと思います。これがまず第一歩です」
「はい……」バーナード局長は、観念したように頷いた。
「そして……」ヘリウェル大統領は、ジェレミーに視線を移した。
「彼に芸能局離脱の意思がないのなら、新しい試みをやらせてみるのも、面白いかもしれません。芸能局は十分に機能していますが、停滞しているとも言えます。あなたの夢とやらで、いくらかでも人々の心を変えることができるのか、試して御覧なさい」
「え?」
「そ、それはどういう意味でしょう、閣下??」
 局長が慌てたような口調で、問いかけた。
「試しに……そうですね、一年間の猶予を与えますから、その間に自分で曲を書き、伴奏をつけて、一年後に放送プログラムで発表してごらんなさい。そして来年一杯くらいまで自由に活動して、その結果ジェミー・キャレルの人気が今より上がるか下がるか、ためしてみるといいでしょう」
「ちょ、ちょっとお待ちください、大統領閣下。その間、こやつの給料や処遇はどうなるのです? 勝手にやらしておいて、芸能局から給料を払うのですか?」
 ドウェイン総監督が声を上げた。
「芸能局はもともと営利団体ではないのですから、問題はないのではないですか?」
「しかし、恐れながら、それではまるきりの浪費というものです」
「まったくの浪費かそうでないかは、やってみなければ、わからないではないですか。もともと芸術というのは、定期的に新しい試みが必要なのではないでしょうか。さもなければ、停滞するのではないかと思います。そのくらいは投資としておいては、どうでしょう」
「しかし……こやつにとてもそれだけの価値があるとは、思えません」
「それも、やってみないと、わからないことですね」
 ヘリウェル大統領は首を振った後、ジェレミーを見た。
「そして一年半後、世間の支持が得られ、私を初め、各地区首長からなる中央行政委員会のメンバーたちがあなたの活動の価値を認めれば、あなたはそのまま継続して活動を認められます。もしそうでなければ、その時には、あなたは芸能局を離脱してください。そして、もしあなたの活動が何らかの好ましくない影響を与えたと思われたなら、社会に対し、何らかの悪であると私や中央行政委員会が認識したら、あなたにはそれ相応の罰を受けてもらうことになります。その程度が軽ければ矯正寮に何年か収監ですみますが、もしもっと罪が重いと認定された場合には、あなたには機械カウンセリングはきかないので、世間的に不名誉な罪をかぶってもらい、社会的に抹殺された上、一生を矯正寮で過ごすか、最悪、極秘に処刑という事態にもなってしまいます。それでも、やってみますか?」
 ジェレミーは呆然とした。道が開けた――あっけなく、突然に。驚いたあまり、すぐには返事が出来なかった。
「選ぶのはあなたです。やってみますか。それとも、このまま芸能局を離脱しますか?」
 重ねてそう問いかけられ、ジェレミーは頷いた。
「ありがとうございます、大統領! やります! 喜んで! ああ、本当にありがとうございます!!」
「それでは、そういうことにしましょう」ヘリウェル大統領は頷いた。
 局長と総監督は、腐ったものでも口に入れたような顔をした。ジョンソン研修官も怒りを押し殺したような、うめき声をもらした。ハワード監督官だけが前を見、表情を変えなかった。ジェレミーは喜びのあまり頬を紅潮させ、飛び上がりたい衝動をこらえた。
「ああ、ああ、大統領、夢のようです!」
 ジェレミーは熱に浮かされたように、そう繰り返した。
「あなた独自にやるとしたら、今までのように芸能局の寮で暮らすわけにはいきませんね」
 ヘリウェル大統領は少し考えるように、ゆっくりと言った。
「他の所属者たちが不審に思うと、よくありません。あなたのことはまだ実験段階ですので、特例があろうなどということを他の所属者に知らせるのは、芸能局の秩序を保つ上では、好ましからざることです。どこか他の場所に移る必要がありますね」
「そうしていただけると、ありがたいです」
 バーナード局長が、苦虫を噛み潰したような顔ながら、ほっとしたように言った。
「いずれあなたのケースの結果が出たら、他の所属者たちのことも考えなければなりませんが、とりあえず今は後見人の家にいるといいでしょう」
「はい」ジェレミーは頷いた。
「期間中の給与は、現行より二五%カットして支給してください。これは実験期間ゆえのペナルティとします。しかし、これでもなんとか暮らしていけるでしょう」
「承知しました」
 局長は相変わらず渋い顔で、しかし減給に幾分気を良くしたような表情で頷いている。
「あなたの望む活動をするには、何が必要ですか?」
 大統領はジェレミーに問いかけた。
「広い部屋が欲しいのです。練習ができて、回りに音が漏れないような」
「防音装置を施した練習部屋ですね」
「はい。それと、出来たら仲間が欲しいのです」
「仲間?」
「はい。僕がやろうとしている音楽は、僕一人では出来ないのです。いえ、最悪は打ち込みとシミュレーションで何とかなるのですが、僕はバンドが欲しいのです」
「芸能局で仲間集めをしたいというのですか?」
「いえ、芸能局には楽器を弾こうという人はいないと思います、たぶん」
「そうですか。でも芸能局出身者でないとすると、他に誰がいるのです?」
「僕の従兄が……学術なのですが、彼はギターが弾けます。いつか二人で一緒にやりたいと思っていたのです」
「学術……」
 そう呟くと、ヘリウェル大統領は考え込むように、しばらく黙った。そして机の上で何かを打ち込み、それを見ているような仕草の後、再び顔を上げてジェレミーを見た。
「そうですね。学術文化研究局の所属者なら、あなたの協力者になっても、本来の仕事にあまり支障はなさそうですね。むしろ協力者は芸能局でないほうが、都合がいいでしょう。それならば……」
 大統領は再び考えを巡らせるように黙り、そして同じく机から何かを打ち込んで、目を落として見た。どうやら机に内蔵されている端末から、コンピュータに問い合わせをしているようだ。その後、彼女は再びジェレミーに視線を向けて、頷いた。
「わかりました。協力者を認めましょう。ただし、その協力者についての条件をつけます。協力者は最大五人まで。学術文化研究局、または雑務局、労働局の所属者に限定します。学術局の所属者は本業の論文提出を怠らないこと。雑務局、労働局の場合は所定の仕事を五十%勤めることが条件です。性別は男性に限ること。独身であること。したがって年齢は来年末までに二九歳を超えないこと。職業適性を受けていない若年者も、不可です。あなたの試みが悪い結果に終わった場合には、彼らにもしかるべきペナルティがあります。あなたのほどではないですが、何年かの強制労働と社会的な地位の剥奪を覚悟しなければなりません。それを承知の上で本人が承諾するなら、申請してください。すべての条件があえば、許可します」
「はい。ありがとうございます!」
「練習場所については、適当な場所を探して、補佐官に連絡させます」
「ありがとうございます。本当に感謝します」
「芸能局との窓口は、あなたの担当官が引き続き行うといいでしょう。ただし音源を発表して活動を始めるまでの間は、あなたの活動は特例として、私の直轄としますので、担当官の方は、連絡を直接私宛にしてきてください。後ほど専用窓口を開設させますので、その時に通信IDを教えます」
「かしこまりました。それでは、そういたします」
 相変わらず苦い顔で、バーナード局長はハワード監督官を見やり、頷いた。
 帰りのエアロカーの中では、相変わらず沈黙が支配していた。しかしジェレミーの心は喜びに沸き立ち、頬は紅潮していた。今にも大声で叫び、歌いだしそうな衝動を抑えるのに苦労した。道がとうとう開けたのだ。夢は叶うかもしれない。その思いのほかには、何も感じられなかった。




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