Part 5 of The Sacred Mother's Ring - Call of the Time

第八章  転換の時(5)




 大統領執務室は、どうも広すぎる。アンナ・ヘリウェルは執務に来るたびに、そう思っていた。彼女は新世界第一四二代大統領として、三週間前に就任したばかりだった。
 千年ほど前から、新世界大統領は十年ごとに、九つの地区の、行政を担当する中央政府に所属するすべての行政管理官の中から、世界を統括するグローバル・コンピュータが(九つの地区に住む七千万人あまりの住民すべてと社会システムを包括的に管理する、巨大なマザーコンピュータである)その適正を判断して、選出することになっていた。十年たち、その任期が終了した後、もう十年延長してその地位に留まるか、新任に交代するかも、実質はコンピュータが決定した。各九つの地区にはそれぞれ首長がおり、大統領の就任や任期延長は、基本的には彼ら全員の承認を必要とする。しかしグローバル・コンピュータの決定に異議をさしはさむものはなく、承認は形式的な手続きに過ぎなかった。大統領の任期継続は一回まで、最高で二十年。期間中のリコールも、ほとんど行われたこともない。同じように、各地区の長もコンピュータにより、十年ごとに選出されるシステムだった。
 アンナ・ヘリウェルは南アメリカ地区、ブエノスアイレス市の行政管理官から選出された。彼女は五四歳で、二四歳の時に結婚しており、三人の子供の母親でもある。彼女は末子が初等課程を終えた後に、現場復職した。この時、四十歳であった。末子のセシリアは特Aコースで、普通の子供たちより二年早く、過程を終えていたのである。それから十四年が過ぎ、子供たちはみな立派に成人した。上の息子たちは結婚して、それぞれに子供がいるし、末娘も一年前に結婚した。三人はそれぞれブエノスアイレス市に留まり、家庭を構えている。アンナは三週間前、第一四二代新世界大統領に突然任命されてから、夫とともに、中央政府本部がある、ここニューヨーク市に移住してきたのだった。医学局に所属する夫も勤務地を変わるにあたって、昇進を果たしていた。
 彼女の選出には、本人はもちろんのこと、世界中の中央政府所属者たちにとっても、青天の霹靂だったようだ。新世界の発足以来ずっと、育児休暇システムが浸透しているので、普通女性は男性ほどコンスタントには仕事が出来ず、途中かなり長い在宅勤務期間があるので、あまり出世もしない。なかには子供がいないためにそのまま仕事を続ける女性もいたが、子孫繁栄を至上とするこの社会では、子供なしはそれだけで社会的には不利になり、上位のポストになど行けることは、めったになかった。
 アンナ・ヘリウェル自身は特Aコース出身であり、十四歳で中央行政コースという、ある意味宇宙開発局や医学局よりもエリートたる部署に振り分けられた。彼女は十九歳の時に専門課程を終え、正式な職員になった。中央政府の職員である女性は通常よりも在宅勤務から仕事場に復帰するのが早く、末子が教育コースの初等課程を終えたところで現場に復帰が出来、同時に家事用ロボットが一台無料で貸し出されるのだ。
 そうして十四年前に復職して以来、彼女は順調に昇進していった。南アメリカ地区中央行政局、人口管理課第二分署長にまでなった。しかしこの上には、まだいくつも上位ポストがある。さらには南アメリカ地区自体が、新世界に属する九地区の中では、あまり強い立場ではなく、この地区出身の大統領は、歴代一四二人の中で、彼女を含めて五人しかいないのだ。

 大統領執務室の専用机は、滑らかな大理石で出来ており、どっしりとした幅広の四本の柱で支えられていた。机は金の細工で縁取られ、椅子に座ってすぐ見下ろせるよう、縦四五センチ、横六十センチほどの大きさのスクリーンが、表面に埋め込まれている。その横には指紋、声紋の認証機と簡単な操作キーがはめ込まれていた。椅子はロイヤルブルーに金の縁取りがついたやわらかい人口皮革で出来ていて、ちょうど座った時に高さの具合がいいよう、姿勢に負担がかからないように、歴代大統領の体格に合わせて調整されていた。
 その日の朝も、ヘリウェル大統領は執務室の椅子に座り、仕事を始める前に部屋を見渡した。机の横に、かなりスペースをおいて、私物を入れておくためのキャビネットが置いてある。その奥は洗面室。机の前にもかなり広い空間があり、その後ろに、ロイヤルブルーの人工皮革張りの三人がけソファが一客と一人がけのものが二つ。中央にアクリルガラスのテーブルが置いてある。その応接セットの上から、ぐるりとスクリーンがいくつも張り巡らされていた。これは各地区の首長やその関係者たちと、連絡を取るためのものだ。ただそこで終わりではなく、応接セットとスクリーンから、その向こうのドアまで、また何もない空間がずっと広がっていた。ざっと奥行きは四十メートルくらいあるかもしれない。大統領はデスク背後の専用扉から入ってくるために、この距離を歩かなくてもいいだけ、まだましというものであった。部屋の幅は二十メートルくらい。壁の片側には広い窓があり、ニューヨーク市中央部のビル群が見える。
 普段はこのだだっ広い部屋で、一人きりで執務をすることが多い。いや、厳密にはアンドロイドの秘書が二人いるが、必要なことを要請したり、手続きを頼んだり、コーヒーや食事を持ってきてもらうという雑事に、必要なだけであった。彼らは話し相手にはならないのだ。
 いったい何故グローバル・コンピュータは、私などを新大統領に選んだのだろうと、いまだに不思議に思うことも多かった。彼女は俊敏な頭脳の持ち主であることは、自分でもわかっていたが、世界の指導者の資質が自分にあるとは、思えなかったのだ。金糸の縁取りをした白の上着とロイヤルブルーのズボンという大統領のユニフォームがこれほど似合わない人間も、珍しいかもしれない。なんといっても、圧倒的に威厳不足だ――そうも思えた。彼女は決して背は高くなく、体格もやせぎすではないが、ふくよかでもない。決して見苦しい顔立ちではないが、美人とは言えない。特に造作の中では少し大きすぎる鼻が、小さい頃から悩みの種だった。肩の長さに切りそろえた豊かな黒髪には、かなり白いものが混じってきた。瞳は澄みきった青だったが、目尻と口元に少し刻まれた加齢の印は、高級化粧水を使っても、なかなか取れなかった。
「今日の予定は? 通常執務のほかに、何かある?」
 ヘリウェル大統領は、傍らに控えたアンドロイド秘書に聞いた。
「はい。芸能局長より、面会申請が入っています。今日中にお会いしたいと。何時からがよろしいでしょうか?」
「そうね……」ヘリウェル大統領はスクリーンに眼を落とし、今日こなさなければならない執務量をチェックした。たいした量でもなさそうだ。
「今からでもいいけれど、そうもいかないでしょう。午後の最初にしてもらえないかしら。十三時からということで」
「わかりました。そう伝えます」
 秘書の一人がそう答え、執務室を出て行った。隣にある控え室にいる職員に、連絡を要請しに行くのだろう。なんだか二度手間のような気がする、と思いながら、彼女は仕事を始めた。まずは昨日の教育、職業、結婚の三種の適性検査とその結果を見ていかなければならない。実際にはもうすべての診断は下されたあとなので、彼女に出来ることはただ一覧を見て、【承認】を押し、光学ペンをとって、所定の場所にサインをすることだけだ。膨大な名前のリストも、ろくに読まずに承認したとて、何も変わりはしない。しかし彼女は一通りすべての名前を読んでいった。たとえその名前がスクロールされていくスクリーンと一緒に、記憶からすぐに消えていっても。

「芸能局長、ノーマン・バーナードです。初めてお目にかかります」
 面会時間にやってきた男は、そう名乗った。光沢のある赤い縁取りのついた白い上着とグレーのズボンをつけ、襟に芸能局の記章が光っている。五十歳くらいの年配で、背は高く、横幅もあるが、肥満の域まではいっていなかった。短く切った髪はアッシュブロンドで、顔立ちはかなり険しい。くぼんだ細い目は、はしばみ色だった。
 隣には、局長よりいくぶん背が低く、体格も少しずんぐりとした男が立っていた。芸能局の記章がついた紺色の縁取りつき白い上着とグレーのズボン、生え際の後退した茶色の髪に口ひげを蓄えている。
「これは、芸能局総監督の一人で、チャールズ・ドウェインです」
 バーナード局長にそう紹介されたドウェイン氏は、頭を下げた。
「お初にお目にかかります。大統領」
「初めまして」ヘリウェル大統領は二人に軽く挨拶をした。
「そちらの椅子で、お話を伺いましょう」
 芸能局の二人は促されて、大きなソファに座った。大統領は一人がけ用のソファに座り、控え室から来た補佐官が、もう一つのソファに座った。二人のアンドロイド秘書は応接コーナーの両側に立ち、会話を記録していた。
「実は、所属歌手一人の処分に困っているのです」
 バーナード局長はソファに座ると、そう切り出した。
「どういうことでしょう? 説明してもらえますか?」
「はい。歌手の一人が芸能局の掟を破って、デビュー前の女性歌手と恋仲になり、無断欠勤の上、二人で街の外へ逃亡したのです」ドウェイン総監督が話しはじめた。
「まあ……それで、どうなったのですか?」
「はい。二人は発見され、連れ戻されました。女のほうは運悪く妊娠していましたので、そのまま芸能局を離籍させました。今はもとの教育局の三級オペレータコースに戻ったようです。子供が生まれると、またすぐに休業になるのでしょうが。我々としては大損害です。彼女には多くの資金をかけ、半年間レッスンをし、もちろんその間の生活も養い、これからデビューという時でしたのに、男に引っかかって、すべてがご破算です」
「それは災難でしたね」
「はい。まったく憤懣やるかたない話で」
 ドウェイン氏は赤い顔をして、額の汗をハンカチで拭った。
「しかし、やむをえないですね」
 大統領は両手を膝に置いたまま相手を見、言葉を継いだ。
「妊娠したとなると、子供が最優先ですから。それに芸能局はそういう事態を避けるために、恋愛禁止ではなかったのですか? なぜ二人は恋に落ちたのです?」
「それは……たぶん、問題の男性歌手の付き人を、その女性歌手の見習いにやらせたことが、最初のきっかけではなかったかと思います。研修中に先輩の付き人を勤めるというのは、芸能局のカリキュラムの一つなのです」
「相手が異性でも関係なく、付き人をさせるわけですか?」
「はい……いえ、性にこだわるのは良くないと、思ったものですから」
 ドウェイン総監督はさらに赤くなり、汗を拭っている。
「それは軽率ではないかと、私は思いますね。芸能局が恋愛を禁止しているのは、局のローカルルールですから、私も今のところ、とやかく言うつもりはありませんが、恋愛禁止なら、なぜわざわざ、男の歌手の付き人に女性をつけるのですか?」
「いや……ですから……」
「いつもではありません。性差にこだわらないでおこうという、新しい試みだったのです」
 バーナード長官があとを引き取った。「しかし、仰るとおり、軽率な試みだったことは否定できません。今後はやはり、同性のみにいたします」
「その方がいいと、私も思いますね」
 ヘリウェル大統領は頷き、そして問いかけた。
「それで男性の方は、どうなったのですか?」
「彼にはかなりの思想偏向が見られました。それに恋愛禁止違反、無断欠勤、逃亡と重ねて罪を犯し、通常矯正は不可能だと思いましたので、機械カウンセリングにかけました」
「機械カウンセリングですか? あれは犯罪者だけではないのですか?」
「犯罪者に行うものもありますが、芸能局でも職務に不都合なほど偏向をきたしている場合は、スムーズに順応させるために機械矯正にかけているのです」
「私は、はじめて聞きました。機械矯正は死刑がない今、もっとも重い処罰ではないのですか? どうにも通常矯正では不可能なほど悪に染まった重犯罪者たちを、社会に適応させるための、最終手段だったと思いますが。それが芸能局では、厳密に一般の社会法に照らして規定できる罪を犯したわけでもないのに、思想が偏向しているから、芸能局のローカルルールに違反したから、職務の執行に影響があるからという理由で、機械矯正をかけるのですか?」
「いえ、ですから……」バーナード局長も赤い顔になり、額に汗をかいていた。
「これも芸能局の特例として、認められていたのです。現に歴代大統領の許可も、そのつどいただいています」
「私は納得がいきませんから、サインはしませんよ」
 ヘリウェル大統領はきっぱりとした口調で告げた。
「これは重大な人権侵害なのではないですか? 思想が偏向しているから粛清とは、いつから芸能局は全体主義の治外法権に成り果てたのですか?」
「いえ、ですから芸能局に所属するような連中は、たいてい自然出生で身よりもない、社会のくずが多いのですから」
「でも彼らにも、人権はあるはずですね。どんな生まれでも、どこに所属していても、その基本的人権は保障されている。新世界憲法、補遺三の二条にありましたね。どこに所属していても、なのですから、芸能局とて例外ではないはずです」
「はい……」
「本題に戻りましょう。その気の毒な歌手は機械矯正にかけられたのですね。私はサインした覚えがないのですが、いつのことなのですか?」
「一ヶ月前です」
「ああ。それでは、まだ先代の頃ですね」
「はい。マクニコル大統領の任期最終週でした」
「そうですか」ヘリウェル大統領はしばらく黙り、視線を膝に落とした。
「そうなると、処置も一ヶ月前に終わっているわけですね。女性の処分も決まっているわけですし、これ以上何か困った問題があるのですか?」
「それが、機械矯正が失敗したのです」バーナード局長は苦渋に満ちた口調だった。
「失敗? 機械矯正が失敗とは、どういう意味です?」
「人格や記憶が、消去できなかったのです。頭に植え付けたナノマシンも消えてしまいました」
「それは機械かプログラムの不備ですか?」
「それも考慮して、一週間後に再処置をしたのです。万全の注意を払って」
「一週間後ですか。それにはサインはもらったのですか?」
「いえ、ちょうどヘリウェル大統領の就任式の日でしたので、煩わせてはと思い、そのままにしてしまいました。それに前回の処置が不備だったゆえの再処置ですから、サインは不要だとも思ったのです」
「機械カウンセリングには大統領の承認サインが必要なはずですよ。再試行も含めて」
「はい。申し訳ありません」
 バーナード長官はドウェイン総監督ともども、額の汗を拭った。
「しかし、再試行も失敗したのです」
「二度も失敗ですか?」ヘリウェル大統領は目を見開いた。
「カウンセリングセンターの機械は、それほど精度が悪くなっているのですか? 立て続けに二度も失敗するほど?」
「機械の問題ではないと思います。被験者が特殊なのだと」
 バーナード長官は手を泳がせるようなしぐさで、言葉を継いだ。
「実はその十日後に、再試行を試みたのです」
「三回目ですか? またも私の許可なしで?」
「はい。申し訳ありません」
「私には、あなた方のほうが、よほどルールを逸脱しているように見えますね」
 ヘリウェル大統領は、じろりと二人をにらんだ。
「もうこんなことは、二度とないようにしてください」
「はい……」二人はその大きな身体をちぢこめるように、頷いた。
「しかし三回目も、失敗したのです」
「なんですって? また失敗ですか? 三回連続で機械カウンセリングが失敗するなど、前代未聞ではないですか」
 ヘリウェル大統領は驚きの声を上げた。そして首を振り、言葉を続ける。
「もう少し精度が上がるまで、機械カウンセリングは停止した方がいいですね。死者でも出てしまったら、大変なことです。全地区のカウンセリングセンターに手配して、機械の点検と再開発を命じたほうがいいでしょう」
「しかし大統領、これは機械側の不備ではないのです」
 バーナード局長があわてた面持ちで手を上げ、言いつのった。
「あくまで被験者が特殊なだけです。機械には何の不備もありませんでした」
「被験者が特殊とは、どういう特殊なのですか?」
「潜在的二重人格とでも申しましょうか。そのようなのです」
「二重人格?」
「はい。もともとこの被験者は出生時、双子のようでした。それも重度のシャム双生児で、脳の一部を共有していたため、手術で一人分の身体にして生かせた時、死んだ相方の脳も一部取り込んでしまったと、本人が言うのです。その普段は隠れている人格が、機械カウンセリングから覚醒したあと、いつも出てくるのです。その後三日ほど経過するとその人格は消え、もとの人格が出てくるのです。その際、記憶や感情はまったく処置前と同じです。三回とも、このパターンでした」
「生まれた時に身体がくっついていたから、双子の相方の精神が残った、というのは、まるでテレビドラマか、小説のようですね」
 ヘリウェル大統領は微かに唇をゆがめて笑った。
「しかし、それが証明されるのですか? 本人の申告だけで。機械の影響で人格は変わったけれど、長続きしなかった、ということも、十分考えられるのではないのですか? それに、仮に被験者が特殊な体質だったとしても、今後また同じような特殊体質の被験者が出ないという保証も、まったくないとは言えないのではないですか? その時には必ずカウンセリングが失敗してしまうのなら、やはり今のプログラムやシステムは、改良しなければならないと思いますね」
「……はい」
 バーナード局長とドウェイン総監督は、しぶしぶといったていで頷いていた。
「それで、あなた方のご相談というのは、その彼の処置についてでしょうか?」
「そうです。機械カウンセリングがきかないので、どのような処罰を与えたらいいかと思いまして」
「芸能局のペナルティは機械カウンセリング以外に、どのようなものがあるのですか?」
「懲罰室に収監が一般的です。機械カウンセリングは、あくまで最終手段ですから」
「それでは彼を、その罪に応じて懲罰室に入れてはいかがですか? 恋愛禁止を破ったことと、無断欠勤と逃亡の罪は、懲罰室にどのくらい入っているのが、妥当なのでしょうか」
「一年は下りますまい」バーナード局長はうんざりした表情を浮かべた。
「長すぎませんか?」
「いえ、どれも芸能局には重罪なのです。なにしろ、機械カウンセリングが適応されるほどですから」
「私には、それほど重大な罪には思えませんね」
 ヘリウェル大統領は再び冷ややかな目で二人を見やった。
「聞いてみると、芸能局のシステムには、いろいろと不自然な点が多そうです。少し調べなおしてみることにしましょう」
「お待ちください、閣下……恐れながら、閣下は彼にお会いになってないから、そうおっしゃることが出来るのです。彼の逸脱は、特に思想の点において、非常に危険なのです」
 ドウェイン総監督が、訴えるように声を上げた。
「そうでした。思想偏向がありましたね」ヘリウェル大統領は頷いた。
「しかし、思想偏向にも、いろいろあります。真に危険なのは、社会に騒乱をもたらし、生産性や構造を破壊しうるものだけです。しかし、真に危険な思想であっても、思想だけで具体的に反社会的行動を起こしていないものは、憲法や法律に照らしても、罪にはならないですね。センターでカウンセリングを受けることは必要でしょうが。機械ではなく、人間の手によって。それでも矯正不可ならば、彼らは犯罪者予備軍として、矯正寮に入れられる。連邦政府法例十二条三において、そういう規定になっていますね」
「はい」
「彼の思想偏向は危険なのですか?」
「危険です」
「どのように?」
「彼は、職務を熱心にやっていません」
「職務に熱心でないとは、遅刻や無断欠勤が多いのですか?」
「いえ、そうではありません。仕事は普通にやっていました。あの事件までは。しかし、身が入っていないのです。いやいややっているのが、普通の人から見ると分からないのですが、我々から見ると、はっきりわかるのです」
「彼は自分の仕事が嫌いなのかもしれませんね。しかし一般の人が見てわからないなら、あまり差し支えはないのではないですか? 仕事を普通にこなしているなら、身が入っていないくらいは、問題ないように思いますね。それが顕著なら一般の人にもわかって、人気は落ちていくでしょうし、それは彼の問題です。でもそれが危険だとは、私は思わないですね。彼が放送プログラムで視聴者に違法なことをするよう呼びかけたりするのでなければ、法には触れないでしょう」
「それだけでは……それだけではないのです」
 ドウェイン総監督は汗を拭いながら、言い募った。
「他には何があるのです?」
「彼は回りの人間と交流を持ちたがります」
「それは至極普通なことと思いますが。どの職場でも、社会的交流は奨励されていますよ」
「芸能局は例外なのです」
「なぜ例外なのですか?」
「恋愛は禁止ですし」
「それでは同性とだけ交流を持ったら、よいことではないですか?」
「あまりそれも、私たちは認めたくありません」
「なぜですか?」
「歌手たちは虚栄心が強く、すぐにいがみ合いになることが多いからです」
 バーナード局長があとを引き取って、そう説明している。
「その論理は納得いきませんね。いがみ合いになることが多いから、交流もだめなのですか? 逆に交流しあうことで、いがみ合いを解消できる可能性もあるように思うのですが。少なくとも、自然発生的な交流を押さえつけるのは、不自然だと思いますよ」
「いえ、それはたいした問題ではありません。交流は別にいいのです」
 バーナード局長は汗をかきながら、首を振った。
「彼は奇妙な行動をします」
「奇妙な行動とは?」
「担当官によりますと、彼は毎夜仕事が終わると、シャワールームに閉じこもり、一時間ほど出てこないそうです。その後ベッドの上で、体操をしたりします。ロード期間中それに気づいた担当官が、何をしているのかと聞いたところ、歌がうまくなりたいので練習しているというのです」
「良い事ではないですか」ヘリウェル大統領の唇が、再び苦笑で歪んだ。
「そうすると、先ほどの職務に熱心でないというのも、矛盾するような気がしますね。それほどに練習熱心ならば、なぜ仕事に身を入れないのでしょう」
「よくわかりません」ドウェイン総監督は苦い顔で、首を振った。
「今まで多くの所属歌手や俳優を見てきましたが、彼はまったく変わっています。変わっているから、逸脱が激しいのではないかと思えるのです」
「どこがどう変わっているのか、主観的なお話だけでは、つかみにくいですね」
 ヘリウェル大統領はテーブルに視線を落とし、再び上げた。
「その歌手本人と会ってみましょう」
「キャレルとですか?? 大統領閣下ともあろう人が、歌手ふぜいとじかにお会いになるのですか?」ドウェイン総監督が、驚いたように声を上げる。
「たがが歌手ふぜいかもしれませんが、彼らもまた基本的人権を保障された人間であることには、違いありません」ヘリウェル大統領は、ドウェイン総監督をまっすぐに見た。
「あなた方の主観的なお話をいくら聞かされたところで、実際に彼の逸脱度がどのくらいのものなのかは、本人に会ってみないと、わかりませんから」
「しかし、なにも大統領がじきじきにお会いにならなくとも、カウンセラーでも十分ではないですか」
「それならなぜ、あなた方は私のところに相談に見えたのですか?」
「……いえ、彼の今後の処置をご教授いただきたく……」
「ですから、私の判断としては、あなた方が挙げた罪状では、せいぜい二、三ヶ月ほど、あなた方の言う懲罰室に収監するというのが、妥当に思えますが。少なくとも、機械カウンセリングなどという重い罰が問題外であることは、明らかです。ただ思想の逸脱というのは、場合によっては危険なケースもありますから、それを判断するために、彼に会ってみましょうと言うのです。何か問題がありますか?」
「いえ、ありません……閣下がよろしいのでしたら……」
 バーナード局長はうなだれ気味に、そう答えた。
「では、彼を……そうですね。明後日の午後一番、十三時にここに連れてきてください。その歌手の名前は何というのですか?」
「ジェミー・キャレルです」
「聞いたことがありますね。ああ……弟の子供が気に入っている歌手ですね。あの子ですか」ヘリウェル大統領はさほど表情を変えずに頷いたあと、二人の男に視線を向けた。
「ご心配なく。姪のお気に入りであっても、関係はありません。職務に私情は交えないつもりですから」
「はい。よろしくお願いいたします」
「それでは、もうお引取りになって結構ですよ。また明後日に」

 バーナード局長とドウェイン総監督は中央政府の建物を抜けると、専用エアロカーに乗り込んだ。双方ともに、気がつくとハンカチが汗で湿っていた。
「妙な成り行きになったものだな」
 バーナード局長がため息とともに口を開いた。
「新しい大統領は、ずいぶんと扱いにくいですね」
 ドウェイン総監督も汗を拭いながら、首を振っている。
「ああ。危うく薮蛇になるところだった。処置に困ったから極秘に処刑していいかなどと、とても言い出せたものじゃない」
 局長は苦虫を噛み潰したような顔で続けた。
「歌手の人権か。まったく厄介な人が大統領になったものだ」
「大統領に相談などせず、我々だけで決行してしまった方がよかったですかね」
「一応承認をとっておかないと、重大な法律違反になる。それだから、わざわざここに来たわけだろうが。機械カウンセリングにも、大統領の承認が必要なぐらいだからな」
「それは、そうですが……でも、薬剤の事故ということにしておけば……芸能局の内部で起きたことなら、外部にはわかりませんよ」
「わからんぞ。キャレルの身内が騒ぐかもしれない。奴の従兄がカウンセリングセンターに押しかけたようにな。キャレルの後見人は、他の連中のように無関心ではなさそうだし、万が一警察にでも訴えて、ことが発覚したら、大変だぞ。大統領の許可のない殺人だからな。許可があれば見過ごしてもらえるが、そうでなければ、我々は重大な犯罪者になってしまう。しかもまだ、キャレルは後見人の家にいる。芸能局に置いておいて無駄飯を食わせるのは我慢ならんなどと、おまえが言うからだ。それに二日後には、キャレルを大統領に会わせねばならん。だめだな。その後に決行したとしても、万が一大統領に不審をもたれたりしたら、かなわん。それにフェイトンの件からまだ半年ほどで、続けざまに薬剤の事故などと言ったら、あの大統領なら、そんな危険な薬剤を使っているのかと言われ、調査される可能性もある。この案は、諦めた方がいいだろう。あの大統領のことだ。生ぬるい処分になる可能性が大きいが、最高権力者には逆らえまい」
「くそっ」ドウェイン総監督は低い声で悪態をついた。
「しかたがないだろう。よく考えれば、たがが一人の歌手が、少しばかり逸脱していたというだけのことなのだ。心配なのはキャレルの処分が軽いことが他の所属者たちに、安心と造反を生んでしまうことだが、それも隠し通せばいいことだ。幸い、キャレルの造反はハワードとジョンソン、それに私を含めた上層部しか知らないことだ。他の連中には、何も知らせなければいい。公にはキャレルは病気療養中となっているのだから、他は誰も疑うまいよ」
「それはそうですが……」
「おまえがキャレルを快く思わないのは、よくわかる。私も、ああいう手合いは嫌いだ。芸能局のような組織には、明らかに異分子だからな。しかしキャレルのことは、これ以上我々としては、どうにもならん。大統領の裁定にお任せするしかないんだ」
 バーナード局長はシガレットのスイッチをつけ、口にくわえた。
「しかし、そういう明らかに合わない分子を、しかも関心のある親戚つきを、入局させた奴にも責任がある。ハワードはもう処分済みとして、あとは誰だ? キャレルの入局面接で合格させた奴は」
「ルイス歌手部門部長です」
「では、そいつは降格だな。新人研修担当総括くらいの部署にやって、面接担当から外せ。とりあえず、それで納得するしかあるまい。そして今後は二度と同じことが起きないように、面接は慎重に行うことだ。オンラインではなく、直接来させて、様子を見た方が良いかもしれないな。それと後見人に身内がつくような奴は、最初からとるな」
「はい。承知しました……」
 ドウェイン総監督は赤い顔をして、悔しげに唇をかんだ。

 その夜、ジェレミーはアンソニー伯父を通じて、その決定を受け取った。
「明後日十三時より、中央政府大統領執務室において、芸能局長ノーマン・バーナードと歌手部門総監督チャールズ・ドウェイン立会いのもと、新世界第一四二代大統領、アンナ・ヘリウェルと接見すること。今後の処分はその時に下される」
 アンソニーはスクリーンに映されたその文面を読み上げ、ついで声を上げた。
「とんでもないことになったな、ジェレミー。大統領閣下と接見とは」

 ジェレミーは最初に機械カウンセリングを受けてから、三回の目覚めを経ていた。ジェナインが自分を守ってくれている間の、それぞれ三日間の記憶は、いつもなかった。機械カウンセリング処置室で麻酔され、気がつくとアンソニー伯父の家の客用寝室、もとのヒルダとヘイゼルの部屋のベッドにいる。そのたびにパトリックが、処置後の空白の三日間を語ってくれるのだ。
 最初に目覚めた時の驚きは、言葉にならなかった。眠りに落ちる時、もう二度と目覚めることはないだろうと思っていた。どれほど目覚めたいと思っても、叶わないだろうと。しかし彼は目覚めた。今までと変わりなく、すべての記憶を保って。ピンクとクリーム色のインテリアに、一瞬芸能局の自分の部屋にいるのかと思ったが、起き上がって周りを見回すと、違うようだ。ベッドから出て、ドアを開けると、伯父の家だった。ここは以前のヒルダとヘイゼルの部屋のようだ。これは夢だろうか。自分は長い夢を見ているのだろうか。機械カウンセリングにかかると、その心は眠りについて、こうして夢を見続けるのだろうか。
 ジェレミーは髪の毛に触ってみた。回りを見回した。再び部屋に戻って、カーテンを開けた。朝の光が差し込んでくる。現実感は、生々しかった。本当にこれが夢なのだろうか。シャワー室へ行き、身体を清めた。食堂へ行くと、みなが朝食のテーブルについていて、挨拶をしてきた。ジェレミーは微笑み、挨拶を返した。こんなに幸せな夢なら、ずっと覚めないでほしいと願いながら。
 メラニーの両側に、二人の見知らぬ幼児がいた。アンソニー一家が新たに引き取ったという、ヘイゼルの遺児トミーと、ブルースの遺児リッキーなのだろうか。三才半くらいの子がトミーで、一才半の小さいほうがリッキー。リッキーは自分を見ると、嬉しげにスプーンを持った手を振り回した。トミーは控えめににっこりと笑ってきた。この子たちは自分を知っているのか? 今初めて会ったはずなのに。それとも、人見知りなど一切ない子たちなのだろうか。
 テーブルにつくと、パトリックがすべて話してくれた。処置後、自分に何が起きたのかを。そしてこれは紛れもなく、現実であることを。そうだろうか。そうなのかもしれない。何もかも夢のような感じではなく、あまりにもリアルだから。
 食事がすむと、二人の子供が寄ってきた。トミーが彼のことを、「ジェナ」と呼んだ。そしてしばらく不思議そうに見たあと、言った。
「ううん。ジェナじゃない……」
「わかるのかい、トミー」パトリックが笑って、そう問いかけている。
「うん、パト。きのう、ジェナだった。いま、ちがう」
「そう。彼はジェレミーだよ」
「ジェル?」
「そう、ま、ジェルでもいいさ。そのうちに、ちゃんとしゃべれるようになるだろうし。で、僕はパトじゃなくて、パットだけれど、ま、それも含めてね」
 パトリックはトミーの髪を、くしゃくしゃっと撫でた。
 リッキーの方はまだ言葉が出ていないので、奇声を張り上げながら、遊んでもらおうとしてくる。ジェレミーは戸惑いながらも、パトリックとともに、しばらく子供たちの相手をした。そして考えていた。これがすべて夢でないなら――そしていまや、これが現実であることをジェレミーは疑っていなかった――ジェナインが自分を守ってくれたのだ。もう自分は死んだと思っていた。何の望みもないと、絶望していた。しかし救いの手がやってきたのだ。自分が生きるために犠牲にした双子の兄弟が、自分を助けてくれた――。
「ジェル、ないてるよ」トミーが不思議そうな顔をして、見上げていた。
「ああ、ジェレミーは泣き虫なんだよ」
 パトリックが言う。しかし彼の声も、いくらか詰まっているようだった。
 トミーはジェレミーの脚にその小さな頬を押しつけ、『いい子いい子』をしているように、小さな手でとんとんと叩いた。おそらくその仕草は、記憶が消されたあとも、彼の短い三年あまりの母との生活で、染みついたもの――泣いていた母親ヘイゼルを、この子はこうして慰めていたのだろう。ジェレミーは再び涙に詰まった。しかしリッキーが、そんな感慨などお構いなく、嬌声を上げて背中からぶつかってくる。おかげで倒れそうになり、あわててトミーをかばった。
「こら、リッキー!!」パトリックがあきれた様子でたしなめるが、リッキーはどこ吹く風で、小さな手を振り回し、三人の周りを駆け回り始めている。
 ジェレミーは笑い出した。泣きながら、笑いながらトミーを抱きしめ、リッキーを抱きしめた。この二人は、もしかしたら兄弟になったかもしれないのだ。ヘイゼルとブルースが結ばれていたら。それなのに今、根無し草の身の上になってしまっている。だがアンソニー伯父の一家がついているのが、大きな救いだ。ジェレミーは心の中で、何度も感謝の言葉を呟いていた。彼を生きながらの死から救ってくれた、彼自身の兄弟――生まれた時に身体は失われてしまった魂の朋友、ジェナインに。

 それから四日後、ジェレミーは再びカウンセリングセンターの門をくぐった。そして、同じように処置を施され、意識を失った。目覚めた時には、再びアンソニー伯父の客用寝室にいた。覚醒したジェナインがここに来させてくれと芸能局幹部に頼み、なぜか再び許可されたのだと、パトリックが説明してくれた。同じように処置から三昼夜経過していた。トミーは「またジェナから、ジェルになった」と言い、リッキーは中身が変わろうがお構いなしだった。
 次の処置は、それから六日後だった。そして同じ経過をたどった。今度はトミーも慣れてしまったようで、何も言わなかった。その翌日、おって再処置を決めるから、それまで後見人の家にいるように、ただしジェミー・キャレルは表向き病気療養ということになっているので、決して外出はしないようにと、芸能局から通達して来た。

 そしてこの夕方、ついに新しい通達が来たのだった。その内容は、彼が予期していたあらゆる想定とも違っていた。新世界大統領と接見するのだ。
「大統領とじかに会えるなんて、普通の人ではありえないな」
 パトリックも驚いたような声を出し、そして続けた。
「たしか新世界大統領って、三週間前に変わったばかりだ。第一四二代に。今度の人は、女の人だったよね」
「そうだな。アンナという名前だし、就任式も放送プログラムで見たが、女性だった」
 アンソニーが頷いた。
「僕も見たよ。見た目は普通の中年女性という感じだったね。でも、今度の大統領はどういう方針なんだろう。なぜジェレミーに会うことになったんだろう」
 パトリックは首をかしげ、
「考えられることは、ジェレミーに機械カウンセリングがきかなかったという問題を、究明するためじゃないだろうか」アンソニーも考えこんでいるようだ。
「ヘリウェル大統領はリベラル思想の持ち主だって、聞いたことがあるよ」
 マーティンがちょっと頭を振りながら、そう言った。
「リベラル? そうなると、比較的自由な考え方の持ち主なんだね。慣習にとらわれない」
 パトリックは問い返した。
「噂通りならね。まだ就任したてだから、わからないけれど」
 そんな会話を聞きながら、ジェレミーは緊張感が高まってくるのを感じた。大統領と接見。しかし、どんな結果になるのだろう。もし比較的自由な思想の持ち主という噂が本当であるなら、自分にとっては救いだろうか――。
『チャンスだよ』
 心の奥底から、声なき声が響いたような気がした。
『突破口がつかめるかもしれない』
「ジェナイン!」ジェレミーは驚きに打たれ、小さく呟いた。
「ジェナイン、君なんだね。ありがとう、僕を助けてくれて」
 しかし、もはや応答はなかった。ジェレミーは言われた言葉を噛み締めた。チャンスかもしれない。突破口を開く――危険かもしれない。しかし、やってみる価値はある。もともと一度は諦めた生命、諦めた人生なのだ。もはやこれ以上、恐れるものがあるだろうか。失うものがあるだろうか。自分のことだけなら、もう何もありはしない。ジェレミーは大きく息を吸い込んだ。明後日――明後日には、本当の運命が決まるのだ。




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