Part 5 of The Sacred Mother's Ring - Call of the Time

第八章  転換の時(4)




 それから三日が過ぎた。大きな変化はないが、穏やかで幸福な日々だった。ジェミー・キャレルは病気療養中ということになっているため、外出はできず、芸能局の仕事もお休みになっているため、ジェナインができることはそう多くはなかったが、メラニーを手伝って食事を整えたり片づけたり、子供たちの面倒を見たりし、パトリックの部屋へ行って、文献を一緒に読んだり、マーティンも含めて三人で、昔ジェレミーがしていたように、夜コーヒーを飲みながらリビングで語り合ったりした。そして三日目の夕食の後、ジェナインは一家に『明日はジェレミーに戻れると思う』と告げた。
「それは良かった」一家はすぐにそう声を上げたが、同時に「君に会えなくなるのは残念だな」とも続けた。「本当に、身体が二つあったらよかったのにね」と、メラニーは繰り返した。その彼らの思いが真実であることが、ジェナインにも感じられた。
「ありがとう」彼は微かに笑った。
「でもたぶん、僕はもう一度戻ってくるよ。再カウンセリングの後に」
「また君に会えることを祈っているよ。それは再カウンセリングが失敗に終わったことの証明だしね。でも、それだけじゃない」
 アンソニーがそう言い、メラニー、マーティン、パトリックも頷いていた。トミーとリッキーにはまだその意味が分からないらしく、きょとんとしていたが。
 
 その夜、ジェナインはベッドに寝転び、手を開いたり閉じたりしていた。感覚を確かめるために。手を伸ばしてベッドの柵木を触ったあと、目を閉じた。
「リアルか……」彼は小さく呟いた。
「不思議な感覚だな、やっぱり。でも楽しかった。まあ、長い期間だと疲れそうだけれど。ちょうどいいくらいだろうか、三日間は。僕にはやっぱり俳優より、観客の方が落ち着くような気がする。もしかしたら、昔からずっとそうだったように。いや、俳優と監督だな。僕は監督なんだ……」
 眠りの誘いを感じた。彼は目を閉じ、その波に身を任せた。

 かつて夢に見た風景だった。ジェレミーが機械カウンセリングにかかる前に見ていた夢――彼が驚いたのも、無理はない。あれはジェナインの記憶だったのだから。一面の花畑。丘の上にそびえる透明な神殿、輝く二つの太陽。その中に、自分は立っていた。ただし、もう子供ではなく、成人しているようだ。紫紺色の光る布で出来た長い服に身を包み、神殿を見上げている。
 目の前に、大勢の人が見送りに出ていた。みな同じような薄い青の長い衣装を着、額に銀色の飾りのような輪をはめ、髪を背中にたらしていた。髪の色はさまざまだが、その顔はどれも神々しさを感じさせるほど美しく整っている。
 その人々の先頭にいるのは、まだ少女と言っていいほどの年ごろの人だった。まっすぐな髪は淡い金色に輝き、両端には一房ずつ青い髪が混じっている。少女の瞳は澄み切った宝石のような緑色で、真っ白い生地の丈の長い着物を着ていた。彼女は両手を合わせ――といっても、片方の手を包むようにして、互い違いに組んでいるような感じだが――自分と、もうひとり傍らに立っている人を見ていた。その唇から漏れた言葉は、また耳慣れないものだったが、意味はわかっていた。
『お気をつけて、お母様、お父様。無事、聖太母神様から授けられた使命を果たされることを、ここからお祈りいたします。さようなら』
『ええ。ありがとう。後は頼みましたよ、エルフィ』
 自分の傍らに立った人が、手を伸ばしてその髪と頬に触れ、そう言葉を返していた。
『我々がお守りします、アルフィアル様。ご安心ください。エルフェディア様はあなた様の後継に恥じない、立派な神官長におなりでしょう』
 少女の傍らに立った銀髪の若者が、不思議なしぐさをした。それが忠誠の証であることを、自分は理解していた。
『ええ。わたしにはわかります。それゆえ、あなたたちに対する不安は、まったくありません。あなたたちはここで、クィンヴァルスの神殿を守っていってください。もうすぐに訪れる、昇華の時まで。わたしたちはこれから別の道を行かなければならないのが、残念ですが……』その人は一瞬寂しげな表情になり、一行を見つめたあと、振り向いた。
『それでは、行きましょうか、ヴィヴァール』
 その人は長い光のような髪に両端がやはり一房青く、その目は澄みきった、青に近いような濃い水色だった。かつて夢で見たあの少女が成長した姿なのだと、すぐに直感できた。

『ヴィヴァール。今だから告白しますけれど、わたしは永遠にこの時がこなければいいと思っていました』
 場面が変わり、奇妙な乗り物の座席に並んで座ると、その人は憂いを含んだ声で言った。
『お気持ちはわかります。アルフィアさま』
『あなたまでさま付けするのは止めてください、と前から言っていますが、相変わらずですね、本当に』
 その人は微かに苦笑したような表情になった後、再び真顔になり、優雅な動作で首を振った。『やらなければいけないことを、嫌だと言っても、今さらせんのないことですね』
『起源子となるのは、大変だとは思いますが、あなたがそれを恐れているとは思いません。あなたはまだ、気になさっているのですね。聖太母神様の祝福を』
『荒療治ですからね。それに彼らがそれを望んだわけでもないですし』
『それを言うなら、私たちもそうでした。私は忘れてはいません。あの時の苦悩は。しかしそれでも、今私は心から感謝しています』
『わかっています。行くしかないですね』
 その人はちらりとこちらを見、微笑んだ。
『あなたにも、この場でお別れをしなければなりませんね、ヴィヴァール。ありがとうと……そしてこれからも、お互いにがんばりましょうと、言っておきたいです。あなたも大変でしょうから』
『それも覚悟の上です。アルフィアさま』
『お別れと言っても、またすぐに会うのでしょうけれど、わたしたちは』
『そうですね。でも今の生のあなたとは、一度ここで別れることになりますから』
『ええ。では、また会いましょう』
 その人は微笑し、両手を操縦桿の上に置いた。光が、見る見るうちに光があたりに充満し、その人を中心にして巨大な光の珠が弾けていった。回りの空間が飲み込まれ、光の中に包まれていく。その光は徐々に輝きを増し、目もくらむような光になり、そして弾けた。

 場面が再び変わった。そこは白と銀の空間。さっきと同じ船の中だろうが、自分がいるのは操縦室ではないようだ。小さな広間ほどの四角い部屋だった。自分は透明なテーブルの上に置いてある、同じく透明なボウルのような容器を見ていた。片手に銀色の大きなリングを持ち、もう一方の手は、そのボウルから伸びた透明な紐のようなもの握っている。そこから少し紫がった銀色の光がボウルの中に伝わり、中から光があふれ出している。
 やがて光が徐々に減衰していき、晴れていくと、そのボウルの中に入っていたものを、満足げに見下ろした。赤ん坊だ。雪のような白い肌と、ふわふわと頭を覆っている、光のような髪の毛。頬はかすかにピンク色がかり、閉じた目に明るい青の色合いの長いまつげが、扇のように広がっている。手に持っていた透明な紐は、へその緒のようだった。
 リングを傍らに置き、へその緒を短く切ると、赤ん坊をレースのショールにくるんだ。そっとその柔らかな頬をなで、ポケットから取り出した光る水晶のようなペンダントを、その小さな手に握らせた。透明な結晶は赤ん坊が手を触れると、ちかっと白い光を発する。
『アルフィアさま、これは、あなたがかけていた首飾りです。クィンヴァルスの神殿の素材で出来た……お守り代わりにお持ちください。私にできることなら、この役を変わってあげたい。でも、これはあなたにしか出来ないことですから……私にできることは、ここであなたを見守ることだけです。ご健闘を祈ります』
 そう呟き、赤ん坊を胸に抱くと、部屋に置かれたベッドの傍に歩み寄る。そこには一人の若い女性が寝かされていた。金色の巻き毛に、ローズピンクのワンピースを着た、二十歳くらいの美しい女性だった。かたく目を閉じ、眠っているようだ。その右腕のところに赤ん坊を寝かせると、軽くその女性の頭に手を当てる。
「アグレイア・レナ・ローゼンスタイナーさん……あなたは赤ん坊を産んだ。この子はあなたの子です。わが子として……育ててあげてください。大変でしょうが……お願いします。それがあなたの義務です」
 祈るようにそう呟くと、頭に当てた手をいったん離した。そして、両手を肩にかける。淡い銀色の光がはじけ、次の瞬間、女性と赤ん坊の姿は消えていた。
 一人になった自分は長いため息をつくと、立てかけておいた銀色のリングを手に取り、踵を返して、部屋を出て行った。操縦室へ行き、窓の外を見る。遠くに、小さな小惑星が見えた。リングをかざし、その中でその惑星に焦点を当てると、目を閉じる。銀色の光が飛んでいき、その星は爆発した。それは小さなかけらとなって飛び散る。そのさまを見守った後、ふっとため息をついて、リングをシートの傍に立てかけた。
「私の力では、これくらいの大きさがぎりぎりですね。アルフィアさまでしたら、造作もないのでしょうが……ああ、今は無理ですが」
 後ろの棚のようなところから紫色の液体の入った容器を取り出し、グラスに中身を注ぐと、それを手にして椅子に座る。
「もうあとは、見ているしかありませんね……覚醒するまで」

 再び場面が転換し、別の光景が立ち現れてきた。淡い銀色の光に包まれた空間の中に、自分は立っている。銀色の光の壁の向こうには、たくさんの木がある。この光は、結界のようなものらしかった。そしてそれを作り出したのは、自分自身だ。
 結界の真ん中にも木が生えていて、その幹に寄りかかるように座っている人がいる。そう、あれから十六年が過ぎ、赤ん坊は十六歳の少年に成長した。十三代目の起源の子――その『作品』を自分は見ている。適合子の因子が混ざったため髪には軽くウェーブがかかり、今はまだ頭頂のクラウンも抜けているが、ほぼ彼女の姿を再生できた。いや――彼は仮にも男の子なのだから、彼女と同じでは不都合かもしれないが、自分にとって、他の選択肢はなかった。日に当たるときらきら輝く、海洋人独特の淡い金髪と、やはり海洋人独特の、抜けるように白いきめの細かい肌、そして同じような明るい青い瞳に青色の長いまつげ。かつての彼女の瞳で、彼は自分を見上げている。
「今日は実体なんだね、ヴィヴ」
「ええ。そろそろ大丈夫な頃ではないかと思いましてね」自分は答える。
「うん……」相手は頷き、地面に目を落とした。
「なんかもう、いろいろなことが重すぎて、多すぎて、混乱してたけど……やっと統合できた。決心もついた。本当にもう、僕ができることは、このまま行くしかない……他には何もないんだ。地球がマザーの十三の輪のひとつなら、シークァから続いて地球で終わる、十三の輪なのなら、これは二者択一なんかじゃない。選択肢は一つしかないんだ。たとえ僕がどんな思いをしたって、結果は変わらない。生きてる限り」
 彼はゆっくりと立ち上がり、まっすぐ自分を見つめた。その眼差しも、十分覚えがある。
「でも、どっちにしても地球の滅びは逃れられないけど……ひどい話だよね。選ばれてしまったことの不運……僕にはやっぱり、そうとしか思えないけど。でも地球の場合、真のトリガーは僕じゃないんだ。起源子は、たしかにそれまで生きているとパージが起きてしまうけど、死んだらもっとひどいことになるから、本当にこれは二者択一なんかじゃない。僕が死んだら、誰も救えない。もう、本当に負いきれないくらい重いんだね、この命は」
「そうですよ。あなたは絶対に死んではいけないのです。あなたの天命が終わるまで」
「怖いな」彼は両手を身体に回して、少し震えた。
「でも、僕は負っていかなきゃいけないんだ、すべてを。輪を切ることはできない。地球がアクウィーティアと同じように、マザーの生贄なら、いや、そんなことを思っちゃだめなんだろうけど……選ばれた星なら、運命は回避できないんだ」
 彼は決然と頭を振り、こちらを見ながら、言葉を継いだ。
「この人生は……短い。だからこそ、僕は重さにつぶされたくない。その間に悔いは残したくない。前から思ってた。世界が終わるまで、貴重な猶予期間だから、一日一時間を、大事にして生きようって。今もそれは変わらない。その間にいろいろ思ってしまうだろうけど、でも、それに負けたくない。がんばって、僕に出来るだけのことをして、でもできる限り楽しんで生きなきゃ。そう……やっとそう思えるようになったよ」
「あなたは強い人ですよ、アルフィアさま」
「その名前で呼ばれると、すごい違和感なんだけど、ヴィヴ」
 彼は肩をすくめた。そして少し黙ったあと、言葉を継ぐ。
「彼女は僕なんだ……それはわかってるんだけど、本来の名前の僕は、こんな言葉遣いでしゃべったりしないし、こんなに気分のアップダウンが激しくもない。まあ、もともとの傾向がそうなんだけど、よけい拍車がかかっちゃってる。今は起源子としての僕なんだから、その名は彼女に戻ってから呼んで欲しいな」
「たしかにそうですね。アーディス・レインさん」自分は苦笑して言いなおす。
 彼は軽く肩をすくめると、まわりを見、再び口を開いた。
「ありがとう。この場所があって、助かった。じゃないと、とても耐えられなかった。自己との統合って、難しいな、ホント」
「起源子は、本当に特殊な存在ですからね。たいてい、覚醒時にはどの起源子もそうなるのですよ。だからシェルターが必要になるんです」
「エルファヴィースも、そうだったのかな……他の起源子たちも」
 彼は言葉を止め、しばらく黙ってから再び言う。
「そう……僕だけじゃないんだな。他にも十二人……」
「そう、あなたは一人じゃありませんよ」
「なんか、他に十二人もいるのかと思うと、同情するな、その人たちに。みんな僕より、よっぽどしっかりした、まじめな起源子さんなんだろうけど。エルファヴィースもそうだったし」
「みな、あなたより真面目で理性的で論理的な方々ではあるでしょうね、たしかに」
 自分は再び苦笑した。
「でも、あなたにはあなたの特性があり、美点があります。あなたは昔から前向きで、運命を呪わない。なぜ自分が起源子になってしまったのか、ということは問わないですし」
「なぜ自分が、ってフレーズは嫌いだよ」彼はちょっと頭を振る。
「自分の代わりに誰かに負わせたい、って言ってるみたいで。たださ、どうしても思ってしまうだろうけど……こういう役目を負う人が、そもそも誰もいなければいいのにって。でも、そういうわけにはいかないなら、負っちゃった以上は仕方ないって思う。アンラッキーとは思うけどね」
「そうですね。私は直接的には、このくらいしかあなたを助けられません。でも、忘れないでください、ミストレス……いえ、アーディス・レインさん。私はいつも、あなたを見ています。故郷から遠く離れても、あなたは決して一人ではありませんよ」
「ありがと、ヴィヴ。見られてると思うと、ちょっと緊張しそうだけど」
 彼は小さく首を振り、笑った。
「やっと、また笑えるようになりましたね」
「うん。やっともとの僕に近い状態に戻れそうだけど……ヴィヴ。今までもずっと見ててくれてたんだね、僕を」
「見ていましたよ。あなたがここに赤ん坊として来てから、ずっと。本当に大変でしたね、今まで……ただ見ていることしか出来なかったのが、もどかしかったです」
「まあ、悪い時代ばかりじゃなかったから……って、ジャスティンにもそう言ったけど」
 彼は言葉を止め、ふっと頭に手をやって、苦笑に近い笑みを漏らした。
「なんか……ジャスティンがヴィヴの後継者なんだなって思うと、変な感じがする、今だと。あいつも君みたいになるのかなって、一億年後くらいには」
「彼もあなた本来の姿を見たら、かなりの違和感を覚えるのではありませんか?」
 自分も苦笑しながら、そう言葉を返す。
「それは言えるかも。今は僕自身ですら、違和感あるから」
 彼は再び笑うと、髪を振りやり、ふと真顔に返って自分を見た。
「ヴィヴァール。たぶん直接君に会って話すのは、これが最後だよね。ありがとう……君がいてくれて、本当に良かった」
 彼は手を差し出した。左手で、肘から上をあげ、手を組み合うアクウィーティア式の握手。自分も同じようにその手を取りながら、完全に目覚めた“彼女”をその中に見ていた。
「これからも、私はあなたに会いに行きますよ。実体では、もう無理ですが」
「うん。いろいろ話したいことはあるから、楽しみにしてるよ。でも、ヴィヴ。今、最後にひとつだけ、きいていいかな?」
「ええ。なんですか?」
「僕は地球では、パージの真のトリガーじゃない。でも、アクウィーティアではそうだよね。ヴィヴはアクウィーティアのパージを経験してて、その悲惨さもくぐってるけど……本当に僕を恨んだりしていない?」
「何度も言いましたが、しませんよ、ちっとも。むしろ、感謝しています。そのおかげで我々の今があるのですから。私はいつも言っています。グランドパージは神の祝福だと。あの時代は確かに苦難の連続でしたしが、根本からアクウィーティアを救うには、荒療治ですが、ああするよりほかはなかったのだと思います。他の起源子の方々は、その点もっと割り切っていらっしゃいますよ。エルファスは覚醒期を乗り切るのに一週間ですみましたし、三代目のファーヴィルなどは、二日しかかからなかったと聞きます」
「ホントに? じゃあ、僕はかかりすぎだな。みんなにも迷惑かけちゃったし」
「しかし、短ければいいというものでもありませんし。ファーヴィルとあなたは同じ女性適合子を源に持つ起源子でも、性格はかなり対照的な気がしますね」
「そうなんだ……ファーヴィルは、二番目の星ニアルィスの適合子を源に持つ起源子だよね、次のエスヴィディスに生まれ出た……光の画家、だっけ。彼女は女でもOKのプログラムだったから、そのまま女になれたけど」
「あなたは本来の性別を引き継げなかったために、今はいろいろ不都合でしょうね」
「いや、僕は今まで元は女だなんて、意識してなかったから……」
 彼は軽く首を振り、苦笑した。
「見た目女の子なのは、散々言われてたけど、自分じゃ男のつもりでいたから。でも最初に、自分は普通の男じゃないんだなってわかった時の衝撃は、凄かったな、たしかに。あれ、どこ行った?って、もう、すごく焦った。オルタネートって、勘弁してほしかった。両性っていっても、こういう風に出るのって、やばいよね」
「まあ、地球とアクウィーティアの性決定システムの違いゆえ、致し方なかったのですよ。私にできることはしたのですが……」
「それはわかってるけど……これから外見女期間が伸びてくわけだから、ホントやばいね。ばれなきゃいいけど……そういえば、新世界でジャスティンに科学検査結果見られた時には、すごく焦った。性別M/Fなの見られなかったみたいだから、ほっとしたけど」
「すみませんね。本当に、いろいろ不都合をおかけしてしまって。なにぶんにも、あなたは本来女性なのですから、完全に男性にはなれないんですよ」
「うん。まあ、それもわかってるけど……今は。多少無理やりにでも男の機能が必要で、女だとまずいプログラムってことは……僕は、アイスキャッスルで終わる運命なんだな。良くてオタワの初期か」彼はふっとため息をついて言葉を続けた。
「でも、それはともかく……ファーヴィルはパージにあまり動揺しなかったのかな。そんなはずはないと思うんだけど、彼女はきっと理性的な人だったんだろうね。うーん、それ以上の知識は今の僕だと、かなり深く意識を潜らないといけないから、あまり追求したくないな」
「あなたの現世の自我には、若干負担かもしれませんね。ギャップが大きいでしょうから」
「うん。意図的に潜るのは違和感だし、やらないつもりだよ。夢は仕方ないけど」
 彼はちょっと笑い、頭を振ってこっちを見た。
「君は、たぶん知ってるんだよね。僕の運命、これから進むべきコースを。でも、僕は知りたくないんだ。彼女も、そこまでは見ていない。潜在意識では知ってたんだろうけど、見たくなかったんだろうと思う。それで、すごく助かったけど、って、彼女は僕なんだから、同じこと考えて当然だね。あらかじめ何が起こるかわかってる人生なんて、面白くない。だから僕は最後まで、先を知ろうとはしないようにするつもりだよ、絶対に」
「あなたらしいですね」自分は微かに苦笑した。
「私は知っている、けれど未来はまだ不確定なものです。あなたがそれを現実に変えていくまで、何も確定ではありません。ですからこれからも私はきっと、はらはらしながらあなたを見ていくことになりそうですね」
「でも現実の重みを信用しろ、ってパストレル博士も言ってたしね、未来世界の。宇宙の神秘に近づく人は、その素養があったら『知識』を垣間見れるって、本当だな」
「あの時には、自我同士の対話という本当に珍しいことが起こっていましたね」
「そうだね。同時には咲かない花だけど、タイムワープしちゃうとあり得るんだよね。僕も似たようなことをやったし。自我と自己だけど。ああ、あと、エスポワール13が地球に到着して新世界側の人たちと対面した時とかも、そうだ……って、これは未来の記憶だなあ。間接的な。おかげでパストレル博士に怪しまれたし」
 彼は再びちょっと笑ってから、言葉を継いだ。
「ありがと、ヴィヴ。僕はもう大丈夫だから、みんなのところへ帰るよ」
「そうですか……帰りますか。どこに帰りますか? あなたの部屋へ? それとも、合宿所に直接行きますか?」
「一回部屋に戻って、それから行こうかな……」
「わかりました」自分はそっと手を伸ばし、微笑む。
「それでは、送って差し上げますよ。ここへ来た時と同じように。そのために実体で来たのですから」手を伸ばし、相手の肩に触れる。そして光が弾けた。
「えっ、ちょっと待って! いきなり!? あっ、バッグ!」
 彼は目を見開き、手を伸ばして、小さく叫ぶ。その姿は次の瞬間、消えた。
「ああ、そうでしたね。これが必要でしたっけ」
 苦笑を浮かべ、地面においてあった水色のバッグを取り上げ、軽く投げ上げる。再び光が弾け、荷物も消えた。自室のソファに着地した彼の膝の上に、今そのバッグが届いているだろう。
「地球に生きるのは、原始的で不便ですね。それに、この中にいれば生体エネルギーは消費されませんが、その反動がこれから来ると思いますよ、アルフィアさま。かなりの疲労感と空腹感に襲われると思いますから、お気をつけて」
 自分だけが残った空間にたたずみ、そう呟くと、軽く頭を振って苦笑をする。
(でも私も、遠い未来にこの星に生きることになるのですね。アルフィアさまのような重い宿命はないですが。もうこの結界は要らないですね。私も船に帰りましょう。健闘を祈ります。あなたの真の使命はこれからですから、アルフィアさま……今のあなたは、そう呼ばれるのを嫌いますが。いえ、もともとさま付けは嫌いましたっけ。それでも私にとっては、あなたはアルフィアさまです……あなた自身も、そう自覚していらっしゃるように。多少表面自我が変わっても、それは変わりませんよ)

 場面はさらに転換した。夜だった。激しい嵐が吹きすさび続ける夜――それは聖なる母神が起こした、清めの嵐。窓の外は、うなりを上げて吹き付ける風と叩きつけるような激しい雨、空にひらめく稲妻――建物のこの部分は窓が多く、その向こうの広い空間には何機かの飛行機と、散乱したコンテナや車、フォークリフト、そしてかなりの数の屍も見える。建物の窓はところどころひび割れ、そこから雨や風が吹き込んでくる。
 自分はその窓から、部屋の中を見下ろすような視点で見ていた。まだ割れていない窓のところに座り込んだ彼を。あれから十年後――彼は膝の上に頭を乗せ、肩で荒く息をしていた。身体の中で熱と痛みが渦巻き、細胞が加速度的に死につつある今の状態も、明らかに終わりが近づいてきていることが、自分にもはっきり感じられる。
『お辛いことと思います、アルフィアさま……』
 自分はそう呼びかけていた。
『でも、もうすぐ楽になりますよ』
「うん……わかってる。たぶん……この痛みと熱が引いた時が……終わりなんだ」
 彼は自分を見上げ、軽く頭を振った。その顔はやつれてはいないが、透き通るような色があった。全体に色を失った顔の中で、目だけが力を宿している。
『本当に厳しいですね、今回の条件は。帰還はどうされるおつもりですか?』
「僕一人では無理だから……みんなの力頼りかな。いちかばちか……でも、出来ると思うんだ、きっと」
『私もあなたの力を信じます、アルフィアさま……ところで今は、そう呼んでも抗議しないのですね』
「もう細かいことには、かまってられないよ。力も戻ってきてるし……」
『そうですね。肉体の枷が、かなり外れてきていますから。もう少しで完全に外れると思います。そこまでが、かなり過酷ですが……』
「仕方ないよ。みんな、苦しんできてるんだから。僕だけじゃない。むしろ……この痛みや苦しみを、知ることが出来てよかったって、思ってる。じゃないと、フェアじゃないから……でも、ちょっと悔しい部分も、あるんだ。ヴィヴァール。今になって……ヒーリングが、出来るようになるって。あの時出来てれば……子供たちを、助けられたのに……」
『あなたがあの段階で、そこまで身体を壊してしまっては、ここまで到底たどり着けないですよ。お辛い気持ちはわかりますが、致し方ないことなのです』
「わかってるけど……」
 言いかけて、彼は激しく咳き込んだ後、その場に蹲った。胸の中から引きちぎられるような激しい痛みが襲ってきているのだ。数分後、やっと痛みは少しひいたらしく、彼はトレーナーの袖で血を拭い、再び顔を上げた。
「ほんと、きっついけど、あとは……これだけなんだ。それ以外はもうみんな……組織的には……死んじゃったみたいだ、今までに。これも……もう一息な、気がする」
『そのようですね……』
 自分は無力感と、愛おしさの感情を抱いていた。彼は表面上の属性が多少変わっても、二億年間愛し続けてきた人だ。苦しみに晒される姿を見るのは辛かった。地球で成長する過程で何度か闇の攻撃に晒され、苦しみ悲しむ姿を見守っている時に感じた思いのように。
『私がこのお役目を変わってあげられたら、と思います、アルフィアさま。あなたにしかできないということは、わかっているのですが』
「その気持ちだけで、嬉しいよ、ヴィヴァール」
 彼は自分を見上げ、微かに笑った。
「むしろ僕は……この役が、君じゃなくて、良かったって、思ってる。ありがとう、ヴィヴァール。今まで僕を……見守って、くれて」
 彼は左手を上げた。今は実体でないので、あの時のようにその手をぎゅっと握ることは出来ない。でも自分はその手をとろうとした。投影なので遠いが、それでも、その手が氷のように冷たくなっているのは感じ取れる。身体は四十度以上の発熱に苛まれているにもかかわらず……涙があふれてきた。
『アルフィアさま……もう一息です。あなたのゴールまで。それから先は……待っていてください。私もいずれ、そちらへ行きますから……』
「うん……待ってるよ。でも……僕はもう、これで終わりだけど……ああ、分体が、あるけど。君は……これからだよね。あまり……試練が多くないことを……祈ってるよ」
『あなたとは、比べ物にならないと思います、アルフィアさま。あなたは起源子ですから。でも私も、ひとりの地球人として生まれ出る時には、試練を怖れまいと思います。あなたのように、全力で生きたいです。たぶん、時間はとても短いのでしょうけれど』
 でも、さすがにこんな形になるとは、私にも意外でしたけれど――まあ、私の一部分だけ、なのですが――。
 
 その思いとともに、はっとしたように、ジェナインは目覚めた。涙が頬に流れていた。彼はしばらくそのままベッドに目を開けて、横たわっていた。衝撃が心を捉えていた。
(ミストレス・アルフィア……僕は彼女とともに、生きてきた。長い長い年月を。彼女がアルディーナで、僕がタマリクであった頃から、僕は彼女を見守り、愛してきたんだ。だからアイスキャッスルで声を聴いた時、懐かしかったんだ。だから僕は二千年前、彼らを見ていたんだ。記憶が残っていたのは彼らを、いや、彼女を見ていたからなんだ。僕の光を……。遠くから、ずっと見守っていた。生の始まりから終わりまでの、二六年と三ヶ月を。そして現世を生きるのは、今は僕の番なんだ。本当に、こんな形になるとは思わなかったけれど……わかった。すべてが。僕は……そして、ジェレミーとパトリックは……僕たちは十三番目の環の、選ばれた四人なんだ)
 彼は目を閉じた。かつて自分が自分になる前、ジェレミーになる前のキーライフを生きていた人に語った言葉が、不意によみがえってきた。
『私は二回生まれ変わります。私の一部だけですが。一度はあなたのために。もう一度はジャスティン・ローリングスさんのために。どちらも私は、志半ばで倒れる運命にあるでしょう。でも私は、恐れはしません』
 試練を恐れはしない――自分は彼女にも、そう言った。最初から肉体を失うという条件でスタートした、この星での最初の人生。その中で精一杯生きることが、この人生での自分の務め――そう悟りながら、ジェナインは再びゆっくりと目を開けた。夜明け前だ。もう一度眠り、目覚める時にこの身体の主導権を、ジェレミーに渡そう。彼の自我を戻す準備は、もう整っている。昔から自分は、観察者なのだ――。
 ジェナインは長い息を吐き出すと、再び目を閉じた。




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