Part 5 of The Sacred Mother's R ing - Call of the Time

第4章 新世界創立伝説(3)




【「彼らは元の時代へ帰りたがっているが、君はどう思うかね?」
 パストレル博士は、そう聞いてきた。
「元の時代へなど、帰れる可能性があるのですか?」と、私は問い返した。
「理論上では、不可能だ。だが、可能性は否定できない。彼らは興味あることを言っていた。ここへ来るワームホールの中で、赤いエアロカーに乗った彼ら自身を見た。その車は逆方向へ走り去っていったと。どういう意味か、わかるかね? それは彼らがまたワームホールを通って、過去へと戻っていくことを示唆しているんだよ」
「まさか……」私は思わず絶句した。
「まさか、だろうと、私も思う。しかも過去への逆行は、重大な宇宙秩序のタブーだ。過去へ飛んでしまったエスポワール号の場合も、シークエンス・クラッシュを招かないために、当初の目的の星へは、行けなかったくらいだからな。わざわざプレーリアという、未知の惑星を目指さなくてはならなくなった」
「そうですね。でもその惑星って、本当にあるんでしょうか? 夢なのでしょう?」
「ああ、そうだ。普通なら本気にせんよ。だが彼らはその前に、いやと言うほど不思議な経験をしたようだからね」
 博士は苦笑し、そしてしばらく黙った後、再び口を開いた。
「そう言えば、今日私も不思議な経験をしたよ。あの子がプレーリアを知っていた。私は星の名前を言わないのに、『夢は時々思いも寄らない真実を引き出すこともあるから、プレーリアは実在するんじゃないかな』と、はっきり言ったんだ。そして『エルファン・ディアナの神殿は〜』とも言った。私はその星の中心部にあったのが大きな神殿であったことなど、一言も言っていないのに。おまけにシンクレア船長とスタインバーク女史の名まで知っていた。その特徴さえ、ぴたりと当てた。不思議じゃないかね。君が話したはずもない。図書館で資料を見られるはずもない。現に他の子たちは誰も知らなかった。なのになぜだ? 私はそれを問いただそうとしたが、彼は答えてはくれなかった。自分でもわからないと、本気で怖がっている感じだった。そう――たしかに彼がその知識をしゃべっている様子は、文献で見たような憑依現象に近い印象を受けたから、知らないというのは本当だろうと、私もそれ以上は質問しなかった。でも、やはり不思議なんだ。あれが憑依現象だったとしたら、あの子にそれを言わせたのは、果たして何者だったのだろう。それにあの子自体、何者なのだろうとね」
「あの子って?」
「あの子だ、BBのあの子。『夜明けの大主』に、顔も名前もそっくりな子だ。だから私は何となく畏れ多いような気がして、あの子の名をなかなかはっきり呼べないのだ」
「ああ!」
 私は思わず声を上げた。あの最年少の少年だ。たしかに今博士が上げたような理由で私も気にはなっていたし、実際始めて彼を見た時には、あまりに大主と似た顔立ちに、驚いたものだった。しかし彼が「六歳の妹が旧世界にいる」と言ったので、初代大統領はその少女の子孫なのかと思っていた。そう思わせるほど、二人の間に相似があるのは事実だ。初代大統領はアルシス・リンク・シンクレア・ローゼンスタイナー、彼の名前はアーディス・レイン・ローゼンスタイナーだ。ファーストネームは読み方が違うだけで、同じArthisという綴りを持つ。実質上の違いはミドルネームと、大主の方にある第二姓だけなのだ。アーディスの方はまだ十四才なので、若干顔立ちに幼さが残るが、髪の色が違うだけで、容貌も明らかにそっくりなのである。
「あの子は、ひょっとしたらキーパーソンになるかもしれない」博士はそう続けた。
「PXLにせよ、『夜明けの大主』にしろ、あまりにもぴったりしすぎている。もしかしたら、あの子は過去へ戻っていたのではないか。そんな可能性が否定できないほどに。ということは、あの子が戻るなら、他の子たちも戻っている可能性も高いと思う」
「そうですね……」私は考え込んだ。
「しかし、彼には妹がいると言っていました。その妹だって、血縁なのだからBBかもしれませんし、隔世遺伝で兄弟に似た子孫が生まれるかもしれません。それは、確証ではないですよ」
 ここで一つ、BB、もしくはPXLについて、解説しておく必要があるだろう。専門的な説明を省いて簡単に言うなら、PXL因子にはPXLPとPXLSがあり、PXLPは我々より二種多い六種の塩基を持つDNAであり、PXLSはそれの対応酵素を持つ核酸である。通常、PXLPは我々のRNAでは解読できない。しかしPXLSがプラスであると解読でき、さらにその比率が五十パーセントを超えると、我々とは似て非なる人体を作り出す。それがBB――ブルーブラッドである。出現率は非常に低いが、まれに出現する。認知できる限りでは、新世界が出来てから今までの間に、四人出現した。
 彼らは知能と五感の能力値が非常に高く、代謝系も変わっていて、排泄が通常の半分から三分の一、あとは無害で無臭の気体となって揮発してしまう。老廃物も半分ほどは単分子まで分解し、揮発する。それゆえ何もしなくとも、ある程度は清潔でいられる。そして高い回復力を持つ。その回復力は睡眠時に最大に発揮される。眠っている間に細胞代謝をフルに上げて、傷なども回復できるようだ。そのためか彼らは他の人々より寿命が長く、なおかつ二十代後半から三十代初期より、外見が老化しないという特徴がある。八代目アスター・マッコール・ローゼンスタイナー大統領、十二代目カーライル・ローゼンスタイナー・シンクレア大統領は、ともにこの体質の持ち主であるが、三十代に入ったころより容貌に変化なく、両者ともに百年以上生きた。また初代大統領『夜明けの大主』も当時の平均寿命よりもかなり長い八二歳まで生き、しかしその容貌は二十代後半の頃よりほとんど変化しなかったということから、同じ体質であると推測される】

「へえ。BB方式って、これが由来なのかな」
 パトリックがそこで、そう呟いた。
「ああ、君がモーリスにひどくケガを負わされた時に取った治療方式だね。昏睡状態にして、細胞促進させるという、今ではポピュラーな治療法だよね。うん、でも……わかるよ。たしかに、これと同じ方法だものね」ジェレミーは頷く。
「でもあの初代大統領、八十歳を過ぎても、あのままの容貌だったとしたら……なんと言うか、想像を絶するね」
 パトリックは肩をすくめていた。そして、二人は再び画面に目をやった。

【もう一つBBの特徴を上げるならば、彼らはほぼ例外なく左利きだということだ。しかし普通の人々にも左利きは珍しくないので、あまり重要な特徴とはされていない。他にも頭髪は豊富だがその他の体毛は非常に薄く、男性でも髭は生えないと言う特徴もある。
 BBの純度は、DNA中の指標となるパターンのうちに含まれる、PXLPのパーセンテージで表される。五十以下のBBはない。その場合PXLP因子は潜在化するが、その割合が二五を超えてしまうと、相手方にPXLSがない場合、ごく初期に流産となる。二五以下の場合は、おおむね正常な普通人になれる。五十以上ではBBになるか、もしPXLSを持たない場合は、受精しないという。現在のところ、総人口二万二千人中、潜在的なPXLPの持ち主は千人前後である。PXLSは優性遺伝で、子孫への遺伝率は約六五パーセントである。プラスの人は約千三百人いる。現在、生存中のBBはいない。ちなみに、今までに検出されたBBは、純度五八が二人、五三が二人である。それ以上の純度は、確認されてはいない。(夜明けの大主は少なくとも六十パーセント以上のBBであったと推測されるのだが、正式には確認されていない)
 だが、そこに平均純度八五という、まさに掟破りの高純度BBが出現した。それが旧世界からやってきた、十四才のあの少年だったのである。これは生理学者たちには、まさに驚天動地だった。なぜならば、PXLP因子は放射線による激しい突然変異の産物で、その源は『夜明けの大主』の両親だろうというのが定説なのだ。それなのに、カタストロフをくぐっていない少年が最高純度のBBだというのは、どうしたわけだ。それで、パストレル博士や生理学者のジョセフ・プリンストン・スタンディッシュ博士は考えたのだ。もしかしたら彼、アーディス・レインが、BBの父祖なのではないのか、と。しかし反論もある。彼にも当然、親がいる。八五のBBなら、最低でも五十と三五か。妹とは父親が違うらしいが、少なくともこのパーセンテージを保持するためには、両親ともにPXLPの持ち主でなくてはならない。
 もっともスタンディッシュ博士は、私にこんなことを聞いたが。
「西暦一九九〇年代の旧世界で、人間のクローンや遺伝子操作は可能だったのか?」と。
 私は答えた。
「調べた限りでは、まだ羊などの家畜の研究に着手したばかりのはずだ」
 すると博士は首を傾げていた。
「では、この子はDNAキマイラか? どうも奇妙だ。もしそうでなく、遺伝子操作の産物でもないなら……もっとも、こんな高度な技術は現代でも、いや、たぶん将来的にも、とても無理だがね。細胞パターンがひどく特殊なんだ。PXLP純度が九五でXXのものが五十パーセント、七〇でXXのもの、八〇でXYのものが二五パーセントずつだ。受精卵が二分割した段階で一回、さらに四分割した時点で二回、DNAが切り張りされているような感じだ。この子が普通に生まれたとは、とても考えにくいのだが」と。
 それを聞いて、私もひどく奇妙な気がしたものだ。一つの身体に三種のDNAとは。しかも遺伝子的には、女性形優勢だ。表面的には男性なのだが、実際はセックスチェックで潜在的両性と判定されたのだから、彼と書くのは正しくないかもしれないほどだ。
 私は聞いてみた。「この子は、生殖は可能かい?」と。
 スタンディッシュ博士は頷いた。
「性染色体異常は不妊につながりやすいのは事実だが、この子の場合は可能だろう。生殖機能は影響を受けていないようだからね。現在、男性機能はまだ年が若いので若干未熟ではあるが、正常に働いているようだ。女性機能の方はまったく未発達だが、萎縮はしていないから、ホルモンの刺激さえあれば女性形が発現してくると思われる。そう、シュミレーションしてみた結果、この子の外面が男女どちらになるかは、ホルモンバランスで決まるようだ。まあ、今のままのホルモンバランスが続けば、男性機能は保持できるだろうから、子供は作れるよ。一対七の確率で、女の子の方が圧倒的に多くなるだろうが。ただし、かなり相手を選ぶだろう。PXLSプラスの相手でないと、受胎できないか、化学流産になる。減数分裂してPXLP二五以下のものが出来る確率は、遺伝子乗換えを考慮しても、ほぼゼロだからね。だから、PXLSマイナスの相手との間には、子供が出来る可能性はないだろう。余計なお世話かもしれないとは思ったが、本人にも伝えてしまったよ。特殊な相手でないと、子供は出来にくいだろうと。しかしPXLSプラスの人間も、子孫に伝わっているからには存在していると思うから、完全にゼロではないな」
 PXLSプラスの人間が旧世界にどのくらいいたのかはわからないが、たしかにスタンディッシュ博士の言うとおり、現代に伝わっているのだから、存在はしていたのだろう。そう考えると、BB父祖説も完全には否定できない。だが果たして彼らがもとの時代に帰るなど、本当に可能なのか? 私は半信半疑だった。
 パストレル博士は言ったものだ。
「だが、それを言うなら、彼らがここに来たこと自体、そもそも不可能なのだよ。超常的な力が不可能を可能にしたのなら、また同じことが起きないとも限らない。だが、超常現象が起きるには、何か理由があるに違いないというのが、私の持論だ。ゴールドマン博士、悪いが社会学主任のライト博士と協力して、彼らの直系子孫が現世界に存在していないかどうか、調べてもらえないだろうか」と。
「しかし、系統図は新世界創立時までしか、さかのぼれないんですよ。私も一応は調べましたから。ローゼンスタイナー家系は有名ですし、それにローリングスもある程度知られています。あの六人のうちの二人がそれと同じ姓ということで、興味を持って、改めて調べてみたんです。それから何回となく見たので、すっかり覚えてしまっているくらいですよ。ローゼンスタイナーは初代大統領の出身家系ですが、大主には子供がいなかった。でもレナードとギルバートという二人の弟から、家系が発展している。これが、シンクレア・ローゼンスタイナー家系ですね。他にもカートライト・ローゼンスタイナー家系――大主とは従兄弟にあたる家系がありますね。その他にマッコール、バーネット、マーシャル、カーライル、タッカー、この五つが最も近い傍系です。現大統領は、最後の系統の子孫でいらっしゃいますし、パストレル博士の母上はマーシャル系統の子孫でいらっしゃいますね。初代大統領の父親であるアリステア・ショーン・ライト・ローゼンスタイナーの父親が、アール・ランディス・ハミルトン・ローゼンスタイナーという名前だと言うことも、わかっています。彼は新世界の発足以前、中央のリーダーだったという記録もあります。でもさかのぼれるのはそこまでで、その人の親まではわからないんですよ。もう一つ、ローリングスという姓も存在します。クレアランス・ルーク・バーネット・ローリングスという人が二代目大統領の母方の祖父であるという記録が残っています。大主のすぐ下の妹リディアの息子ケネスとクレアランス・ローリングスの末娘ヘザーが結婚していますから。この二人が、二代目大統領の両親です。クレアランス・ローリングスには二人の息子がいて、長男ノエルがローリングス家系の父祖になり、次男エドウィンは結婚時に曾祖母の旧姓、祖父の第二姓であるステュアートを第一姓とし、ローリングス・ステュアートという別家系になっています。途中で消えた姓を復活させるために、結婚時に四代前まではさかのぼれるという特例を利用したようですね。そしてクレアランスには異母姉妹が二人いて、ここからターナーとラーセン、これが傍系ですよ。この三人の父親がアドルファス・ルーク・ステュアート・ローリングス――通称、科学の父祖です。でも、やっぱりさかのぼれるのは、ここまでなんです。この人の親まではわからない。アイスキャッスル生き残りの、いわゆる第一世代のデータとのリンクは、途絶えているんです。ロックがかかっていて」
「ロックがかかっている?」パストレル博士は眉をピクリと動かした。
「ならば、今なら解除できているかもしれないな」
「どうしてですか?」
「いや、ロックというのは時限式が多いので、必要があれば、解けているかもしれない。そして今が、その必要な時ではないかという気がするだけだ。いや、根拠はないがね」
 パストレル博士は大統領の母方の従兄に当たり、卓越した頭脳で学者たちの間でも一目置かれている人ではあったが、かなりユニークな発想の持ち主でも知られている。この時には、博士の論理はいささか飛躍しすぎているように私には思えた。
 半信半疑ながら、私はライト博士とともに家系図の逆行調査を、もう一度行ってみた。新世界創立時のデータまで絞り込むと、そこには約八一四の原「ファミリー」がある。その中にはローゼンスタイナーも、ローリングスも、そしてビュフォードもあった。だがスタンフォードとストレイツはない。その親、いわゆる第二世代までは、元からたどれる。しかし、さらにその親たちは――半信半疑で探っていくと、以前は『ここから先は見られません』という記述が出てきたのだが、なんとそこからまた、枝が伸びて行くではないか! パストレル博士の見通しは正しかったのだ。
 今、アイスキャッスルを生き延びた旧世界の「第一世代」から、原始ファミリーへの流れが、はっきりと明らかになった。そして、知りたいことはわかった。ローゼンスタイナー・ファミリーの父祖、アール・ランディス・ハミルトン・ローゼンスタイナーの父親はやはりアーディス・レイン・ローゼンスタイナーで、彼はさらにオーロラ・ロゼット・ローゼンスタイナー・シンクレアの父でもあった。アールとオーロラは双子の兄妹で、妹の方はエフライム・ジョセフ・シンクレアと結婚し、『夜明けの大主』の母親であるポラリス・ロゼット・シンクレア・ローゼンスタイナーを生んだ。つまり初代大統領は二重にローゼンスタイナーの血を受けた、従兄妹同士の夫婦の間に生まれた子供なのである。そしてオーロラの長女アティーナ・ジェーンはエドワード・モーリス・スミス・スタインバーグと結婚し、ここからスタインバーク家系が発生している。つまりシンクレアとスタインバーグもローゼンスタイナー家系の傍系なのだ。
 そしてローリングス・ファミリーの父祖アドルファス・ルーク・ステュアート・ローリングスの父親は、ジャスティン・クロード・ローリングス――今、現世界に来ている十七才の、長身の少年だ。さらに個人的なことだが、もう一つ驚くべき発見があった。アドルファス・ローリングスにはエヴェリーナという双子の姉がいて、その息子ダリルとジュリアンによる、二つのラズウェル・ファミリーが展開している。さらにジュリアン・ウィリアム・ローリングス・ラズウェルの次女キャロライン・アンがジョナサン・ラルフ・ウェイン・アンダーソンと結婚し、その長男が、アンダーソン市長の七代前の先祖だった。さらにエヴェリーナの娘、ヴィクトリア・ルイーザはゴールドマンという若者に嫁いでいるのだ。それは私の家系に他ならない。ということは、あのジャスティン・クロード・ローリングスという少年は、アンダーソン市長だけでなく、私のご先祖でもあるのか。いやはや、不思議な驚きであった。
 ビュフォード・ファミリーの父祖は残念ながら、ここに来ているロバート・ダニエル・ビュフォードではなく、別人であった。しかしローゼンスタイナーとローリングス、この二系統の直系子孫は、確実に存在している。元となった第一世代の人の氏名も、生年月日もぴったり一致しているので、同姓同名の他人だという可能性も薄いだろう。

 その三日後、さらに場面が展開した。午前中に、歴史班に所属している一人の女性が訪ねてきた。彼女の家のファミリートレジャーという、家族の伝承物を代々保管しておく箱の中に、古い本とアルバムがあったのだが、そのアルバムの裏表紙が二重構造になっていて、偶然はがれてきたので全部はがしてみたら、中からこんな写真が出てきた。これは夜明けの大主にも非常に似ているし、ニュースで見たタイムトリッパーの子とも非常に似ている。それで、何か参考になるだろうかと思って、持ってきたみたのだ。そう言って、硬めのビニールで裏打ちされた一枚の紙を差し出した。
 もとの紙自体はかなりよれていて古く、どうやら旧世界の雑誌の表紙だったらしい。上部に「ローリング・ストーン」と飾り文字で書いてあるが、どうやらそれがこの雑誌名らしかった。が、私は一目見て仰天した。その表紙に彼が映っている。大統領室の前のギャラリーで見る、あの肖像そのもの――しかし、大主ではない。髪の毛は光る淡いブロンドで、ひと筋だけ青い――名前も刻まれている。アーディス・レインと。
 それは彼の十年後の姿だった。今の彼には、そこに写っているような青い髪束はないが。二〇二一年、まさにカタストロフの年、その五月号――あの惨事の半年前に発行されたものらしいが、それはとりもなおさず、やはり彼は帰っているのだという物証である。
 その紙の下部には、印刷されたものではない、手書きの文字が書き込まれていた。インクが薄れているところから見ると、相当以前に書かれたものらしい。こう書いてあった。『エアリィ――私たちはあなたが託してくれた未来と希望を信じて、がんばります。だから私たちをいつまでも、見守っていて下さい』と。
 エアリィ――それはたしか、アーディス少年の愛称だ。他の五人がそう呼んでいたから、記憶にある。なぜ名前と関係のない愛称なのかと、私は一度不思議に思って、聞いたことさえあった。「うーん。身軽だからなのかなあ?」と彼は答え、「あと、雰囲気だね」と、他の五人は答えていたものだ。そうすると、この呼びかけの主はまさしく彼で、ということは、この肖像も本人と言うことになる。やはり彼は二〇二一年五月に、旧世界に存在していたことになるのだ。
「これも、かなり有力な物証だな」と私は呟きながら、不可能が可能になりつつあるのを悟らざるを得なかった。さらにその女性は、その紙と一緒にこんなものも入っていたと言って、一枚のステッカーも見せてくれた。これは国旗ではないか? でも、下に入っている文字が違うと。私も見て驚いた。たしかにその図案は、新世界国旗そのものだ。しかし、国名が英語とラテン語で入るべき所に、別の文字が入っている。少し読みにくい飾り文字だが、こう書いてある。『AirLace』――エアレース? いや、どこかで聞いた言葉だったが、何だろう。思い出せないまま、私はそれも預かることにした。

 その夜、もう一つ決定的な物証が得られた。そのきっかけは私の甥、アイザック・ゴールドマン・ジョンソンとその従兄、ヘンリー・ジョンソン・メイヤーの二人が、偶然図書館で彼ら六人に接触し、いろいろと話をする中で、非常に興味深い事実を引き出したと、連絡してきたのだ。まず、アイスキャッスルの持ち主は彼らの二人、ジョージ・マーティン・スタンフォードとロバート・テレンス・スタンフォード兄弟の祖父、そして父親であったという事実。さらに始源の三賢者と呼ばれる科学者たち――最初の万能ロボットを開発し、文明復興の礎を築いた三人のうちの二人、ジャーメイン・マイケル・ステュアート博士とアラン・スコット・ステュアート博士はアーディス・レイン・ローゼンスタイナーの継父と継兄であり、もう一人のジョセフ・ルイス・ローリングス博士はジャスティン・クロード・ローリングスの兄だと言うのだ。しかもジャーメイン・ステュアート博士は、旧世界では高名な機械科学者だと言うではないか。
 さらに、もう一つ驚くべき事実があった。カタストロフの日、アイスキャッスルで解散公演を行った音楽楽団、その団体名を『エアレース』というのだが(国旗の図案に入っていた言葉に覚えがあったのは、そのためだ)、彼ら――ロバート・ダニエル・ビュフォードを除く五人もやはり音楽楽団で、しかも名前を同じAirLaceというのだ。しかも、そのメンバー二人の父親が、アイスキャッスルのオーナー。まさに、事実と符合するではないか。
 出来たらそのメンバー名も照合できたらして欲しいとアイザックは言うので、今ならファイルも開くだろうと、私は検索してみた。すると、ほどなく【アイスキャッスル八二五二人の名簿】というファイルに行き当たった。その先頭に、こうある。【エアレース・バンドメンバー】その下にある五人の名前は、まさに彼らと同じだった。さらにその下に、【スタッフ】の項目があり、その筆頭にロバート・ダニエル・ビュフォードの名前がある。ここまで見れば十分だった。彼らはやはり帰っている。不可能は、やはり可能になっていたのだ。
「超常現象が起きるには、何か理由があるはずだ」と、パストレル博士が言っていたことも、はっきりと納得できた。その理由は、これだったのだと。
 彼らは未来世界に来て、世界最後の日と、唯一の救いの地を知った。そののち過去に帰り、その問題の日に、問題の地で人を集めた。その人たちが旧世界唯一の生き残りとなり、そこから社会を復興して、新世界を起こした。実に不可思議な、しかし完璧なシナリオだったのだ。私は預かっていたステッカーを取り出し、眺めた。疑問は解消した。ここに書かれている言葉は、彼らの楽団名だ。このデザインは本来、彼らの楽団のシンボルマークだったに違いない。それが、新世界のシンボルマークとなったのだ。まさにこの世界は彼らが先導し、作り上げたものなのだから――。
 それを知った時、私は思わず震えずにはいられなかった。彼らは旧世界に帰っていた。未来へ来て、また帰ったその理由も、はっきりわかった。もはや疑いようがない。しかし最後の一環、その帰還の手段だけはまだ謎だった。だが思い煩うまもなく、その謎は解けたのだ。

 その夜二一時を過ぎた頃、私はタッカー大統領から通信を受け取った。
「ゴールドマン君。君の家のファミリートレジャーの中に、時限ロックがかかった箱があるはずだ。そのロック期限が今日で切れる。そんな記述が、歴代の申し送りファイルの中にあったんだ。その箱を開けて、中身を次の朝、私の所へ持ってきてくれ。君の見つけた証拠品なども揃えてね。明日は九時から緊急会議だ。なにせ、新世界の存亡がかかっているようだから、心してかかる必要があるね」と。
 私は驚き、そして直ちにファミリートレジャーボックスを探した。その箱はキャビネットの奥にしまい込まれ、長年開けたことがなかった。開けてみると、たしかに薄い緑色の、ロックがかかった平たい箱がある。しかしもうロック期限は切れ、私はたやすく箱を開けることが出来た。中から出てきたのは、一通の手紙だった。封筒は花柄で、宛先には女性らしい丸みを帯びた筆跡で、こう書いてある。
「我が父、ジャスティン・ローリングス様、そして一緒に来た五人のみなさまへ」と。
 では、これを書いたのは、彼の娘か? ラズウェル家に嫁いだ――そして彼女の娘が、ゴールドマン家に嫁いできた。なるほど、それなら納得できる。彼女は他ならぬ私にこの手紙を発見させるために、この手紙を時限式ロックのかかった箱に入れ、ゴールドマン家へ嫁いだ娘に託したのだ。
 深い感慨を覚えながら中を開けてみると、科学関係の数式がびっしり書かれた紙が五枚、それから本文の手紙が三枚入っている。手紙には彼らの正確な帰還日時、その方法、さらに帰還後の注意まで、しっかりと書かれてあった。その翌々日二二時ちょうどに、彼らがここに来たポイントの近く(手紙には正確な地点が記してあった)に、もう一度ワームホールの入り口が開く。それは元の世界、AD二〇一〇年に帰る道だと。最後の輪の一環が、見事にはまったのだ。

 翌日、午前中の会議ですべてが確認され、全員に非常な驚きと畏怖を持って迎えられた。そして午後、当の彼らに手紙を公開し、宣告した。
「君たちは帰れるのだ。いや、帰ってもらわなければならない。そうしないと、新世界が存在しなくなるのだから」と。
 彼らはみな非常に驚き、当惑していたようだった。
「そんな重責を負う自信はない」
 言葉にこそ出さなかったが、明らかにその表情はそう語っていた。無理もないだろう。彼らのうち三人はまだ十代、二人はやっと成人に達したばかり。旧世界と新世界の命運を握るなど、あまりに重大すぎると感じても当然だ。仮に私がその立場に立たされたら、と想像すると、彼らの思いは理解できるだろう。
 十一年という決められた時間しかない、元の時代へ帰る。旧世界を完全な滅びから救い、生き残った人々を新世界へと導いていくために。どんな人間だって、そんな立場に立たされたら、平静ではいられないだろう。
 しかし彼らはその重責を背負って過去へ帰ることに、躊躇はしなかったようだ。
「その時まで、悔いのないように精一杯がんばっていこう」とさえ言い合っていた。その強い精神に私たちはみな打たれ、なるほど彼らが創立先導者たる資格があると、改めて納得もしたのだ。
 彼らは帰還に当たり、現代に一つ置きみやげを残していった。彼らに興味を持って接触した先述のアイザックとヘンリーが、彼らともっと交流したいとその宿舎に出向いていき、話しているうちに、彼ら本来の職業――旧世界の音楽楽団は、現代のものとかなり形態が違うという話題になったらしい。実際どんなものか、彼らに演奏してもらった二人はすっかり感銘を受け、自分たちも習いたいと申し出、その夜と翌日の夕方まで、彼らに音楽を教わった。アイザックとヘンリーがどうしてもその関連のファイルを編纂したいと言うので、大統領の許可を得、彼らが編纂した音楽ファイルを、このあとに付加しておく。詳しくは、そちらを参照すると良いだろう。発見された楽団の音源も納められている。

 彼らは最後の夕に、演奏会を開きたいと申し出た。大統領と市長は許可し、好奇心に駆られたニューヨーク市の人々が二千人以上も公園に出向いてきたその場で、彼らは一時間ほど演奏をした。なるほど、たしかに現代の音楽形式とはかなり異なる。想像していたものとは、まるで違った。音量の大きさに加え、激しく、情熱的で鋭く、起伏の多い音楽だ。あまりビートの激しいものは、私のような中年には少々刺激が強すぎるかもしれないが、若い世代はすっかり魅了されていたようだし、最後に演奏したような静かな音楽では、私のようなものでも十分感動したことを認める。
 詳しくはアイザックたちが著述しているが、音楽楽団という言葉で最初に私が想像したのは、彼ら五人がシンセサイザーを合奏するという形態だった。しかし実際は違った。楽団のシンセサイザー奏者は二一才の恰幅の良い若者マイケル・プレスコット・ストレイツ一人だった。そしてアーディス・レイン・ローゼンスタイナーはマイクロフォンで増幅するものの、自らの声で歌を歌う。あとの三人は、旧世界の資料で見たことのある、原始的な電気楽器を奏でているのだ。ジョージ・マーティン・スタンフォードは大小十個ほどの太鼓と数組のシンバルを自らのまわりに固定し、二本の棒で忙しく打ち鳴らしている。弟のロバート・テレンス・スタンフォードと、もう一人、ジャスティン・クロード・ローリングスは似たような曲線形の木製電気楽器を奏でていた。スタンフォード弟の楽器はベースギターと呼ばれるもので、弦が四本。主に低音部を受け持っているようであったし、ジャスティン・ローリングスの方はエレキギターという名称の六本弦で、もっと音が鋭く、さまざまな音を同時に弾いたりメロディを弾いたりする。
 全員同時にそれぞれの楽器を鳴らすのだが、決して不協和音にはならぬ。音量が大きくなることはたしかだが、実に調和的な音なのだ。鮮やかで生き生きとして、機械音楽ではとても出せぬであろう、躍動感や繊細さがある。しかし、これだけ楽器の音量が大きければ、いくらマイクロフォンのヴォリュームを上げても歌い手は大変だろうが、この楽団の彼は全く問題にしていなかった。小柄な身体のどこからあんな声が出てくるのか、と思えるほどだ。
 音源ファイルを聞いて、実際に体感してみると良い。彼らの音楽は我々の時代でも爆発的に広まり、人気が出たのだが、その理由は実際に音楽を聞けば、きっと理解してもらえるだろう。彼らの音楽を聞くと大量のドーパミンとエンドルフィンが放出されるというのが生理学者の報告であるが、なぜそうなるのかというのはわからない。それに脳内分泌のレベルという以上に、彼らの音楽には訴えかけるものがあるようだ。科学分析など野暮かもしれない。

 演奏会を終え、その夜、彼らは帰っていった。元の時代へ。彼らの帰還を見守った我々全員の思いを、理解してもらえるだろうか。新世界の存亡が、すべてこの一瞬にかかっていると知り、この世界も自分の存在も消え去るのか、それともこのまま存在し続けるのか――その一瞬が近づきつつあると感じることが。
 彼らのエアロカーの後ろからついていきながら、私は同乗のパストレル博士に聞いた。
「もし万が一、彼らが帰還に失敗するということが起きたら、どうなるのでしょう?」
「さっき中央ビルを出る時に、彼らに同じことを聞かれたよ」博士は苦笑していた。
「失敗したら、この世界は消える。だが、もしこの世界が消えたら、そこにいる君たちはどうなる。それはシークエンス・クラッシュだ。だから逆説的に言えば、そんなことは起こらないだろう。私はそう答えたよ。君にも、同じことしか言えないな」と。
 そして博士は続けた。「あるいは、もし彼らが無事帰還できたあと、あえて注意を破り、滅びの日を回避する努力を行ったとする。もし回避手段があるなら、なんとかして自分の生きている世界を守りたい――それは人間として自然な感情だからね。だが、ここで知った事実に基づいて回避手段をとることは、やはり重大なシークエンス・クラッシュを招くんだ。この世界がなくなれば、彼らのタイムリープ自体がなくなり、その事実を知り得ないということになるわけだからね。そうすると、歴史は無限ループに陥ってしまう。だからまあ、楽観的かもしれないが、逆説的に言って、やはりこれも起こり得まい、と思うんだ。だがね、もしこの世界での知識に基づかない回避手段があったとしたら――まあ、そんなものはあるかどうか、わからないがね――シークエンス・クラッシュを招かず、マイナーチェンジで終わる方法で、回避できるかもしれない。もしそうなったら、この世界は彼らが帰った次の瞬間に、消滅するだろうよ」
「ええ、なんですって?」その場にいた全員が、思わず声を上げた。
「そして、もう一つの可能性もある。彼らが何らかの理由で、救いの地アイスキャッスルにおいてのコンサートができなかった場合、もしくはそこからオタワに移る段階までに、何らかの突発事態が起きて、生き延びられなかった場合、旧世界はカタストロフで完全に滅んでしまう。その場合も同じように、この新世界は消えるよ」
「なんですって?」私たちは再びそう繰り返すしかなかった。
「だが、私の考えでは、そんな可能性はあまりないとは思うがね。こればかりは、彼らを信用するしかない。さもなければ、現代ではあまり一般的でないが、運命を信用するんだね。いや、私だったら、現実を信用するよ」
 新世界が消滅する可能性がある――それは、まさに衝撃的なことだった。

 その時が近づいてきた。先を行く彼らの車のテールランプと、その先にある誘導マーカの赤い光が見える。私たち二台のエアロカーはその後ろから、タイムホールに一緒に巻き込まれる危険性を避けるために、十分な距離を置いてついてきていた。
 二二時きっかりになった時、突然光は白く色を変え、激しく増幅した。正確に言えば夜空から一条の細く青白い光がすっと地上に落ち、一瞬で激しく膨れ上がって、直径五〜六メートルほどの青白い光の円になったのだ。彼らの車はその中心へ向かって、まっすぐに飛び込んでいった。まばゆい光が色を増し、はじけた。
 眩惑された目が再び視力を取り戻した時には、あたりは再び漆黒の闇だった。誘導マーカの赤いライトだけが残っていた。私たちはその場に車を着陸させ、地面に降り立った。同行してきたもう一台のエアロカーも、同じように降りた。タッカー大統領、アンダーソン市長、シンプソン移民管理主任、パストレル博士、スタンディッシュ博士、ライト博士、アイザックとヘンリー、そして私――合わせて九人が、この運命的な瞬間に立ち会っていたのだ。
 しばらくみな沈黙していたが、やがてパストレル博士が口火を切った。
「やあ……私たちは、みんなここにいるね。世界は消えていない。旧世界を生きている、見知らぬ誰かになったわけではないし、消滅してもいない。私たちはみな、それぞれの意識を持って、ここにいる。彼らは、すべてをやってくれたんだ。この瞬間、新世界が完全に確立したのだよ。なかなか歴史的な一瞬ではないかね」
「光栄だね。私たちが、この瞬間に立ち会えたことは」
 タッカー大統領が空を仰いで、静かに言われた。
「あの子たちはあれから、どうなったのだろう。どのようにして、この世界を築いてくれたのだろう。きっと、大変な道だったに違いない。私たちは、忘れてはならないのだよ。若き先導者たちが、そして旧世界から生き残った人すべてが、どんな思いでこの世界を築いていったのかを」
「そうですね……」全員が深く頷いた。
「調べてみましょう……」
 私は深い感動を覚えながら言った。
「あの子たちのそれからを。カタストロフから新世界創立までの、暗黒の過渡期の様子を。今まではすべてロックがかかっていて、見られなかったのですよ。でもその理由が、今わかりました。彼らがこの時代にやってくる。それがわかっていたから、彼らに関する伝承や資料を、いっさい目に触れなくしたのでしょう。でも、彼らは今帰っていったのだから、その封印は再び解けるはずです。そうでしょう、パストレル博士。あなたは以前言われましたね。理由があるから封印してある。必然があれば、封印は解けるはずだと。アイスキャッスル関連の資料など、まさにその通りでしたよ。とりあえず、あれから詳しく調べたいと思います」
「調査結果は、我々に報告してくれよ、ゴールドマン君。我々も知りたいからね」
 アンダーソン市長がにやっと笑って、そう言われた。
「はい。まとめ次第、ファイルを提出します」私は背筋を伸ばして、答えた】

 ここまでの記述を読み終わると、二人とも同時に、ほおっと深く息をついた。
「……新世界が、こんなに超自然的な力で出来ていたなんて」
 パトリックがため息混じりに小さく首を振り、
「うん……」と、ジェレミーもただ頷くだけしかできない。
 二人はここでいったんポーズをかけた。十五時三十分、お茶の時間だ。隣室のマーティンに声をかけ、コーヒーとクッキーで半時間ほど休憩した。マーティンは専門課程後半になってカリキュラムが増えたため、まだ仕上げなければならない小レポートがあるからと、お茶がすむと自室に引き取った。ジェレミーとパトリックもファイルの続きを読むべく、部屋に戻った。二人とも目の前に開いた扉、そこに展開する世界に、すっかり魅せられていた。




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