Part 5 of The Sacred Mother's R ing - Call of the Time

第4章 新世界創立伝説(2)




【新世界が正式に発足したのはNA元年――西暦に換算すれば、二〇九二年のことでした。西暦というのはADと略される、旧世界の通暦ですが、西暦元年というのが旧世界の始まった年ではないことを、誤解のないように断っておかねばなりません。それより数千年前から旧世界は続いており、六千〜七千年ほどの期間、栄えていたようです。西暦、略してADとは、旧世界で広く信仰されていたキリスト教という宗教の、教祖が生まれた年とされています。宗教という概念は君たちには理解しづらいと思いますので、旧世界の最新文明が始まった年、と考えてもらえば、わかりやすいでしょう。
 AD二〇九二年、つまりNA元年は、『夜明けの大主』という通称を持つ、新世界初代の大統領が就任した翌年に、初めて『新世界』という国を建国し、その建国宣言と創立憲法が発せられた年でした。以下がその建国宣言です。中等教育課程で習うことなので、カリキュラム内容が変更になっていなければ、君たちも目にしたことがあるはずです。
『我々は、ここに一つの国が始まったことを宣言します。それは単なる国でなく、一つの世界。この地球上で、ただ一つの世界です。かつての世界が消えたあとに生まれた、新しい世界です。それゆえ、我々はこの国、この世界を、「新世界」と呼びます。まだ生まれたての赤子のような、小さく頼りない新世界ですが、ここから無限に大きな世界が発展して行くでしょう。我々は愛と希望と勇気の信念に乗っ取り、過去にとらわれることなく、常に未来を見据え、前に進んでいくこと、この世界の発展に尽くすことを誓います』
 新世界憲法も、時代が経るごとに項目がつけ加わったり一部修正されたりはしましたが、現在でも使われています。その基本理念は、愛と希望と勇気を持つこと。共同体同士に優劣を付けて争ってはならないこと。みなが人間としての権利を持ち、尊厳を持って生きられること。お互いに助け合うこと。さらにこの憲法の中で、殺人、傷害、暴行、強姦、強制わいせつ、窃盗、脅迫、詐欺、誘拐、拉致、監禁、不法侵入、搾取、騒乱、中傷、不倫という十六の犯罪行為とその罰則についても、明確に定義されています。なお暴力を伴う反乱は、傷害、および騒乱罪として禁止されていますが、個人的に相手を侮辱、誹謗する、いわゆる中傷罪に当たらない限り、言葉で抗議すること、自分の意見を主張することは認められています。
 この時代、居住都市はオタワのみで、人口はわずか三千人あまりという少なさでした。平均寿命も放射線障害の影響などで、四五才前後という短さでした。しかし傑出した科学者たちが次々に出現したことによって、科学技術はもうすでに後世のプロトタイプとでもいうべきものが完成されていました。ロボットはごく初期のモデルが数種開発され、コンピュータや現代式太陽発電による電化システムもほぼ整備され、動物蛋白合成や植物再生のバイオ技術など、基本的なものは研究されはじめていたのです。初代大統領も職務のほかに、科学者としても活躍していたようです。なお、新世界発足の十年あまり前に、外科手術も再び導入されました。
 初代大統領は五八年の長きに渡って新世界初期を統治し、その間に新世界は完全に安定し、なおかつ発展していく社会へと変化を遂げました。初代大統領『夜明けの大主』は当時の平均寿命より遥かに長く八二歳まで生き、亡くなる二年前、すぐ下の妹リディアの孫の一人、アンセット・ミラン・ローゼンスタイナー・カーライル氏に二代目を譲り渡しました。カーライル大統領は二三年間在職にあり、その後健康上の理由で三代目、ジェラルド・ジョン・ローリングス・シンクレア氏に大統領職を譲りました。
 この三代目大統領の任期中に、実に驚くべき事件が起こりました。NA八五年、通歴にして二二世紀後半に、『エスポワール十三号』事件が起こったのです。これは『新世界創立伝説』同様、実に超常的な事件なのですが、一応理論的には説明が可能です。
 この年、オタワ市より西に八百キロメートルほど離れた地点に、超近代的な大型宇宙船が不時着したのでした】

「ええ?!」
 ここまで読んで、二人は声を上げた。新世界の黎明期に宇宙船が来た――? 
 予想外の記述に度肝を抜かれたためか、ポーズキーを押していないため、スクリーンに文章はゆっくりと流れ続けている。パトリックはあわてたように一回ポーズをかけ、スクロールの早さをよりゆっくりと調整した。記述は続く。

【それは、空想的な宇宙人の侵略などではありませんでした。宇宙船に乗っていたのは、地球人だったのです。しかも、二千人という大勢の地球人たちでした。彼らは旧世界の末期に、安全な世界を求めて宇宙に脱出していたのでしょうか? 違います。旧世界では、そこまで宇宙開発は進んでいませんでした。初歩的な宇宙ステーションはありましたが、旧世界の崩壊時にそこにいた人々は、地上の制御機能が失われていたために地球へ帰れず、そのまま宇宙で命を終えるしかなかったようでした。
 では、やってきたのは誰だったのか? 彼らは未来人でした。七二世紀に、地球から近隣宇宙の居住可能惑星へ移住するために、旅立った人たちでした。それなのになぜ、彼らが二二世紀半ばの地球に現れたのでしょう。宇宙船のキャプテンは、偶然当時の大統領と同じ姓を持つ、エルマー・シンクレアという四一才の人物でした。彼はNA七一二四年の生まれで、彼が語ったところでは、宇宙を航海中に宇宙嵐に巻き込まれ、ワームホールのようなものに入ってしまったとのことでした。それで五千年も時を逆行してしまったのです。驚くべきことでした。
 彼らはそこに一週間ほど留まり、必要な材料をもらって宇宙船を修理し、再び宇宙へと旅立っていきました。その際、光子ロケットの基本理論と設計図を記したファイルを大統領に託し、時期が熟したらロケット開発の参考にすると良いと言い置いて行ったそうです。シンクレア大統領は渡されたファイルを、今の時代にはまだまだ時期尚早であると判断し、三五世紀までは固く封印し、それ以降に開封されるように計らいました。それは彼の没後跡を継いだ四代目大統領、エイドリアン・ニコルス・マクミラン・ローゼンスタイナー氏に引き継がれ、以降代々大統領の申し送りとして伝えられていきました。今現在でもまだそのファイルは封印されたままですが、君たちの時代ではどうでしょうか?】

「もうたぶん開封されているね、今は。四一世紀だもの」
 ジェレミーは頷き、そしてため息とともに言葉を継いだ。
「この話、マーティンが聞いたら驚くだろうね。ワームホールが実在したなんて」
「うん。たしかにね。でもマーティに話せないのが、つらいなあ」
 パトリックは苦笑した。宇宙開発への情熱は誰にも負けないマーティンにこの話を知らせることができたら、きっと彼も興味を引かれるに違いない。三十世紀のちには彼らの研究開発が確実に実を結び、宇宙移民という現代では夢のようなことが、現実になっているのだから。もしここに書かれていることが真実ならばだが。不時着した宇宙船やクルーの証言を収めた映像でもなければ、懐疑的なマーティンが信用するかどうかは、ちょっと怪しい。でも、門外不出の極秘資料に虚偽の記述をする必要がどこにあるだろう。これはきっと真実に違いない。第一資料の真偽など、これまで疑ったこともなかった。文学は別として、どの資料もすべて真実しか書かれていない。それは常識だ。だからこそ彼らは未知の真実を求めて、こうして資料をひもといているのだ。
 パトリックも、それは疑っていない。だが――この記述には何か引っかかるものが感じられる。彼は考え込みながらポーズキーを押して、もう一度その記述を読み返した。
「エスポワール……十三号……この話自体は、たしかに本当なんだろうけれど……」
 パトリックはもどかしげに頭を振って、さらに読み返した。
「どうしたの、パット?」ジェレミーが不思議そうに聞いてきた。
「僕にはすごく興味深い話だけれど、君が宇宙関係の事件に、そんなに熱心になるとは思わなかったよ」
「いや……なんだかね、この話……本当に、これだけだったかなあって気がして……」
「君はこの話を知っているの、パット?」
「いや、知らないよ、全然。だから最初に読んだ時には、ただただびっくりしたさ。でも、何か引っかかるんだ。なぜだかわからないけれど、なんだかどこかで……覚えがないくらい前に、この話をどこかで聞いたことがあるような、そんな気がするんだ。変だな、そんなはずはないのに。でもこの話……たしかに知っている。それも、何かが抜けているっていう気がするんだ。ここに書かれていることは、たしかに本当だけれど、それで全部じゃない。何かもう一つ、すごく肝心なことが抜けている。そんな気が強くしてね……」
「へえ……」ジェレミーは不思議そうな表情だった。
 パトリック自身も不思議な気分だった。今知った知識、それも驚きを持って迎え入れた新知識なのに、以前から知っているような気分がするなんて。それも、これは不完全な記述だ。あえて書かれなかったのか、伝えられなかったかして落とされた何かが、まだあるはずだ、などと思えてしまうなんて――ここのところいろいろなことが起こって、少し神経が過敏になっているのだろうか?
 知るはずのない体験や知識、景色などを以前から知っているような気がする、それをデジャヴと言う――なにかの文献に、そんなことが書いてあった。では、自分のもそうだろうか? でもそれは精神病かなにかではなかったか? だがデジャヴという言葉も、それ以前に聞いたことがあるような――。
『なんだかもやもやしてたけど、わかった。これって、デジャヴなんだって』
 誰かが、そんなことを言っていたような気がする。その誰かはまた、遠い昔に知っていた話のような気がするとも言っていたような――それは今のパトリックの知識と、同じような状況だったのかもしれない。その中にはたぶん、これと同じ話も含まれているような気がする。記憶が遠すぎて、誰が言っていたのかは、わからない。自分は今のジェレミーと同じ、ただ不思議に思っていただけだ。誰が、いつ、どこで、どういう状況で――?
 思い出せない。不可思議の混迷が彼を包み、圧倒した。しかし、次の瞬間には当惑は消えていた。現実の認識が、深い無意識からわき上がってきた記憶を、再び闇へと蹴落としたように。パトリックはため息をついて、頭を振った。
「ジェレミー、コーヒーでも飲もう。なんだか少し疲れちゃったよ」
「そうだね。ちょっと休憩しようか?」
 ジェレミーも頷き、二人は画面を止めたままキッチンへ行った。そこで二人分のコーヒーとビスケットを数枚持って、再び部屋へと引き返す。しばらく休憩して軽い雑談をかわしたあと、再び画面を進めた。

【エスポワール十三号の事件は、たしかに不可思議な驚くべき事件でしたが、それ以外にも、まだ地球上に残留していた放射性物質を無害化するという、画期的な発明がなされ、広く除染が行われました。そうして、新世界は順調に発展していきました。
 五代目大統領、パリス・カーライル・ブランデル氏の時代には、人口約六千五百人、音声付きロボットが開発され、本格的に外世界の探索が始まりました。その結果、新世界として認知されているこの社会の他には、地球上にいかなる人間も存在していないことがはっきりしました。人間はおろか、一部の小昆虫以外、動物や鳥などの生物さえ絶滅していたのです。そこで、再び地球の生命系を復興すべく、発見された動物の死骸からDNAを採取する作業も行われ始めました。
 六代目はジョイス・バーネット・アーデルガードという女性大統領で、彼女の任期中に、放射性障害を押さえる画期的な新薬が開発され、人々の寿命がぐんと延び、平均寿命も六十才を超えました。七代目のウォルター・マーシャル・スミス大統領の時代には、第二の都市、ニューヨーク市の復興が開始され、次の八代目、アスター・シンクレア・ローゼンスタイナー大統領の任期十二年目より、大規模な移住が行われ、以後そこを新世界の首都と定めました。また、この八代大統領の時代に世界探索マップが完成し、アイスキャッスルの慰霊祭も行われました。このころの人口は、一万人弱です】
 
 その後、九代から十四代までの歴代大統領の名前と、その任期時の人口、特筆すべき社会現象や科学開発が述べられていたが、それは穏やかで緩やかな発展の歴史だった。そしてその記述は、後半期最初に登場してきた大統領、第十五代のジョン・タッカー氏就任の年、NA二四五年で終わっている。
 記述のあと、後半と同じように第十四代から初代まで、歴代大統領の写真が逆順にゆっくりと表示されてくる。代が少なくなっていくにつれ、若い人の写真が目立つようになったが、これはファイルにあったとおり平均寿命が短かったせいでもあろうか。それ以上大した感銘は持たずに二人は写真を眺めていたが、最後まで来て、思わず「うわぁ!」と感嘆の声を上げた。
 初代大統領、『夜明けの大主』の肖像の衝撃度は、群を抜いていた。これほど美しい人、これほど強烈な磁力の持ち主を見たことがない。その衝撃はコンピュータのスクリーンの画像からも、余すところなく伝わってきた。鮮やかな青い髪も国旗のデザインの子供以外見たことはないし、そもそも新世界を建国した初代大統領が、こんなに若い人だったなんて――。驚きのあまり言葉も出なかった。画像の下には、こう書かれている。
【初代大統領 『夜明けの大主(Great Lord of Dawn)』
 アルシス・リンク・シンクレア・ローゼンスタイナー  
 AD二〇六九年六月出生 二一五一年十月没(NA六〇) 八二歳
 就任期AD二〇九一〜二一四九(NA五八)】

「この人って、二二才で大統領になって、その翌年に建国宣言をしたんだね……」
 ジェレミーが感嘆の呟きを漏らした。
「それで、八十才まで大統領を務めて、八二才で亡くなった……か。この頃は本当に初期だから、任期とかはなくて、手腕のある人は、できるかぎり勤めたんだね、大統領を」
 パトリックが首を振り、軽くため息をついた。「なんだかもう、恐ろしいくらいインパクトのある人だね。それにこれほど凄い美青年を見たこともないよ。美女にも見えるけれど。芸能局のスターも、足元にも及ばないくらいだ。もっとも、芸能人なんかと比べちゃ、失礼だろうね。なんといっても、新世界の初代大統領なんだもの」
「夜明けの大主か。本当に、そんなイメージだね」
 ジェレミーが吐息を漏らした。
「ひょっとして、国旗の図案の青い髪の子供って、この人のイメージかな?」
「うん、そうかもしれないね。そういえば、初期ファイルの歴代大統領二七人の中に、ローゼンスタイナー姓の人が六人いて、それ以降もかなりあるし、結構頻発するなあって思ったら、初代大統領の家系なんだね。このファイルを見れる姓でもあるしね」
「うん。そうだね。でも、そう珍しくない姓だよ。このファイルを開けられる十九の姓って、みんなわりとポピュラーな名前だよね。最後の三つは、最初の十六よりも少し珍しいけれど、それでもアンダーソンさんの第二姓がスタンフォードだし」
「ああ、そう言えばそうだね。それで僕らは、ローリングスだしね。しかもローリングス家のブランチはたくさんある」パトリックも頷いて、肩をすくめる。
「それに、このローゼンスタイナー家だって、相当な数のブランチがあるよ。それに知っているかい、ジェレミー。お祖母ちゃんの実家のラーセン家もファイルを開けられる姓だけれど、結婚前の名前は、マチルダ・ローゼンスタイナー・ラーセンだったんだよ。お祖母ちゃんのお母さんが、そのブランチの一つの出だったんだって」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、僕らもこの人の遠い遠い子孫なのかなあ?」
「うーん。あまりそういう感じはしないけれどね。だってこの人って、なんだか凄く……僕らと同じ人間だとは思えないくらい、超絶しているよ」パトリックは苦笑し、
「うん……僕もそう思う」ジェレミーも軽く肩をすくめている。
 二人は次の画面に進んだ。次は再びインデックス画面だ。

【これで、新世界黎明期、及び初期の概要は終わりました。
 より詳しいファイルが見たい場合は、それぞれの項目を参照して下さい】
・ 社会機構
・ 科学の発達
・ 旧世界の伝承文学

「あっ、これこれ、この最後のインデックスに紐付けされていた文献から入ったんだよ、僕は。そこから親ファイルにたどり着いたんだ」パトリックはそう説明した。
「へえ、そうなんだ。でも本当に幸運だったね」ジェレミーは微笑して頷く。
「でも、これでこのファイルは終わりなの? あの『新世界創立伝説とその関連ファイル』っていうのは、いったいどこから行くんだろう?」
「あ、ああ……そうだね」
 言われて、パトリックも気づいた。しかし、画面を探ってもこれ以上の項目はなかった。あとは【最初のインデックスへ】。それと、グランド・ホーム・リターン――つまり最初にコンピュータセッションを開いた状態に戻す、その選択キーがあるだけだ。
 パトリックはキーボードをコツコツ叩きながら、考え込んだ。もしかしたら、さらに枝ファイルにあるのかもしれない。ジェレミーもその考えに頷き、とりあえず三つのファイルインデックスを開き、その内容をざっと見た。旧世界の伝承文学はかなり面白そうだが、あとはたいして目新しい発見はない。それに最初の二つはそれ以上の子ファイルはなく、三番目もジャンル別に枝分かれはしているが、それだけだった。
 その時、マーティンがドアをノックした。
「パット……それに、ジェレミーもそこにいるのかい? お昼はどうするの?」
「あっ、ああ! もうそんな時間だね!」
 二人はいったんセッションをグランド・ホームへ戻して、部屋を出た。
「もう十二時を二十分も回っているよ。ダイニングで待ってみたんだけれど、君たちちっとも出てこないから」
 そうぼやくマーティンに、パトリックは肩をすくめて謝る。
「ごめん、すっかりファイルに一生懸命になってて、忘れちゃってたよ」
「いったい、何をそんなに一生懸命になっていたんだい? それにジェレミーまで」
「実はね……」パトリックはこれまでの経緯を、簡単に説明した。
「ふうん。そうか。とうとうファイルが見られたんだ。良かったね」
「うん、ありがとう、マーティ。でもその内容を、君に話せないのが残念だな。面白そうなものもあるのに。でもそれを君に言ってしまったのがわかったら、僕は学術研究局研修生の資格を剥奪されてしまうんだ」
「良いよ。僕はそんなに興味がないから」マーティンは肩をすくめる。
「君が雑務局のオペレータになったり、モーリスと一緒に労働局へ行こうっていう気じゃないなら、あえて言わなくて良いよ、パット。それにジェレミーも論文が終わって、退屈していたところだから、ちょうどよかったじゃないか。話し相手がいれば、君の話したい病も大丈夫だろ?」
「そうなんだよね」パトリックは苦笑して頷く。
 三人は簡単に昼食を整えた。そして食後しばらく雑談したあと、マーティンは専門課程の勉強へ戻り、パトリックとジェレミーは再びファイルへと取り組みはじめた。

「やっぱり、この画面がポイントだと、僕は思うんだ」
 それから二時間ほどあちこち検索し、真っ当に行く道は見つからないとわかると、ジェレミーはそう言いだした。概要が終わったあと三つの枝ファイルに行く、あのインデックス画面だ。
「うん。僕もなんとなくそんな気がしているよ。たぶん、『新世界創立伝説』っていうのは、隠しファイルなんだろうな」パトリックも頷いている。
 そしてしばらくその画面をじっと見ていたが、やがて二人同時に気づいた。
「あれ……これって?」
「うん。今まで気づかなかったけど、この最後は何だろう?」
 最初からタブキーで項目を飛ばしていくと、三つ目の子ファイルである、【旧世界の伝承文学】の項目の下、何もないところで一瞬点滅するのだ。もしかしたらここに――。
 パトリックはポインタをそこに持ってきて、選択キーを押した。ふっと画面がブラックアウトした。続いて、こんなメッセージが現れる。
【この項目の閲覧のために、もう一度パスワードを入れてください】
 もう一度姓を入力すると、二、三秒で反応が返った。画面がホワイトアウトする。と、再びスクリーンが変化して、またあの見慣れた図案だ。新世界国旗――。
「うわぁ、やった!」
 二人は、思わず抱き合って喜んだ。これが目指すファイルであって欲しいと願いながら、もう一度改めてスクリーンを見る。このデザインはいつも導入部に出てくるが――。
「あれ?」
 二人は同時に気づいた。これはちょっと違う。図案は新世界国旗なのだが、下に入っている言葉が違っている。何と書いてあるのだろう。派手な飾り文字なので少々読みにくい。だが、ようやく読めた。『AirLace』――そう書いてある。
「エア……レース?」
 二人はその言葉を反復し、同時に顔を見合わせた。そのまったく意味不明の言葉は、いったい何を示すのだろう? なぜ『新世界連邦』ではなく、この不可思議な言葉なのか。
 訝っているうちに図案は消えた。こんなイントロダクションが続く。

【先ほどのデザインに不審を覚えた人、その疑問はこれからのファイルを読めば、解消できると思います。とうとう、ここにたどり着きましたね。ここから先は、実に奇妙で摩訶不思議、そして強力な世界が待っています。覚悟して進んで下さい。
 なお、これ以降の『新世界創立伝説』関連のファイルには、音楽ファイルの再生管理以外、私は一切手を加えておりません。二四世紀、NA二五五年に当時の主任歴史学者、ラリー・ウェイン・ゴールドマン氏が編纂したファイルを、そのまま使っています。では、不思議な世界に行っていらっしゃい。君たちが無事に帰って来られますよう、願っています】

「この人って、名前が同じせいか、父さんに性格が似ていそうだな」
 パトリックが思わず苦笑いをした。
「でも、とうとう来たんだね。『新世界創立伝説』のファイルへ」
 ジェレミーはすっかり興奮したように頬を紅潮させながら、声を弾ませる。
「ああ、そうだ!」その興奮は、たちまちパトリックにも伝染した。とうとうここまで来たのだという歓喜に、圧倒されそうになる。
 画面を進めると、反転表示の字体で、こんなインデックスが出てきた。

【新世界創立伝説――時の円環。新世界を作ったのは、誰の意志だったのだろうか?】
 その言葉に二人が考え込んでいる間に、画面はゆっくりスクロールを始めた。反転表示のまま、本文が流れていく。スピードが遅いので、熟読する暇は十分あった。

【新世界創立伝説は、二二世紀初めごろまで人々の間に語り継がれ、その世紀半ばほどで消えた。私は歴史を専門研究としながら、そのことを知らなかった。しかし七年前、伝説は甦った。その時、私は悟る。なぜこのような重要な伝承が、新世界の初期に消えてしまったのか。それは、この時甦るために意図的に消されたのであったことを。
 旧世界の終焉。それは西暦二〇二一年十一月二日、二三時四一分であったことは初等教育の後半で習うことなので、小さな子供以外誰でも知っている事実だ。この日は現在『受難回顧の日』と呼ばれる祭日で、一日非常食で過ごし、大人は日付が変わるまで就寝せず、二三時四一分に鐘の音を合図に一分間の黙祷を捧げる日である。この時、旧世界に何が起こったか、それもかなりの事実が調査済みだ。小惑星の予期せぬ異常接近によって引き起こされたのであろう天変地異と、おそらくはそれが原因であろう、おびただしい核爆弾の誘爆。核兵器は冷戦下ではなかったため、一時期ほど数は多くなかったが、それでも放棄されず各国で密かに所持していたものらしい。さらに各地にあった原子力発電所も爆発したことが、ほぼ確実である。それによって地球規模で発生した大量の放射線のスカイシャイン線とフォールアウトで、地球上の人々のほとんどが即死し、生き残った人々も、おそらく重篤な障害を起こし、亡くなったらしい。その年の十二月には、地球上からいっさいの人間がいなくなった――ただ一カ所、その時アイスキャッスルにいた人間以外は。北緯六七・六度、西経七六・五度に位置する極北の島にあるこの地は、当時、有事のシェルターをかねたレジャー施設だった。そして地球で唯一この場所のみ、スカイシャイン線が届かず、フォールアウトも免れたのである。その理由は、おそらく気流の関係であったと思われるが、それだけでは十分な検証にはならない。しかし、その結果だけは明白な事実なのだ。
 北極圏にあるゆえ、この施設は十月から四月までは閉鎖されるのが常なのだが、この日は旧世界で非常に人気のあった音楽グループの公演があったため臨時営業し、シェルター部まで全解放して、ほぼ定員いっぱいの観客たちが詰めかけていたのだ。アイスキャッスルの持ち主の息子たちがその楽団のメンバーだったことも、この時期に営業できた理由だったという。そして彼らとその関係者、観客たち、全部で八千人あまりが、幸運にも地球で唯一生き残った人間たちとなったのである。
 夥しい核爆発の影響で、地球上には放射性物質があふれ、とても移住は不可能だったので、彼らはその後一年近くアイスキャッスルに留まって過ごした。幸いここはカナダ(当時は独立国家の一つだった)政府の方針で、大型核シェルターの機能も併せ持っていたため、なんとか生き延びることが出来たのだが、それでも二千四百人以上の人がここで死んだ。その後、生き残った人々はオタワに移住し、そこから徐々に復興して、現在の新世界のもとが出来たのだ。
 旧世界が滅びた日から新世界建国宣言までの約七十年間を、『暗黒の過渡期』と呼ぶ。この時代が人類の歴史上おそらくもっとも人数が減り、もっとも生存に困難な時代であったためだ。放射性物質による汚染、慢性的な食糧不足、生活の不便さ――最低限の動力や資源は幸いにも確保できたようであるが、それでもやはり困難な時代であったことは想像に難くない。人口は最低で二千人ほどに落ち込み、新世界が建国した時の人口も、わずか三千人あまりであった。それから二百五十年で二万二千人に回復したことは、状況を鑑みれば、かなり順調な発展と言えるだろう】
 
「へえ……」
 二人は思わず声を上げた。旧世界が劇的に滅亡したこと、さらに新世界が出来る経緯の偶然さ、幸運さ――その創世のドラマに感嘆したせいである。下手をすればその大災害が発生した時に、人類は滅亡していたかもしれなかった。新世界が発足し、発展して二千年近くが経過した今、ここに自分たちがいるという幸運が不思議にも思えた。
 画面はゆっくりとスクロールを続け、記述は進んでいく。

【私たちは、この事実を知っていた。そして二〇二一年のカタストロフ(旧世界を終わらせた大災害の総称)時点で人類が完全に滅び去ることなく、生存者たちが新世界を発足できたのは、幸運な偶然だと考えていた。新世界が建国して二百五十年近い年月が過ぎ、社会は順調に発展し、安穏とした生活が当たり前になって、旧世界の滅亡と新世界創立のドラマは、ただ初等課程後半の歴史カリキュラムの一環で習うだけのものとして記憶の奥底へとしまわれ、年一回の『受難回顧の日』も、単なる儀式と化しかけた頃だった。あの事件が起こったのは。

 忘れもしないNA二四八年十一月二日、ちょうど『受難回顧の日』に、それは起こった。その日、十六時二十分頃、ニューヨーク市の移民局に入所ゲートから一本の連絡が入った。「六人の青少年たちが市内に入ろうとしているが、チェックしてみたところ、彼らには該当するIDがない。どう処置するべきか」と。
 ニューヨーク市移民管理局主任のエリザベス・マーレイ・シンプソン氏は、当局で調べるので、彼らを治安維持局の第一控室に護送するようにと伝え、そこで彼らと対面した。一目見た時、彼女は非常に驚いたという。それもそのはず、六人の風采は明らかに一般人とは異なっていたからである。ある者は厚手のシャツに厚手の上着、ある者は襟の付いたシャツにベスト、その上にまた上着を着ていた。下半身は全員堅い生地のズボンと厚手の靴下、それにゴムと革や布で出来た、ぶ厚いひも靴を履いている。部屋の中は暖かいので、みな上着は脱いでいたが、着ている服はどれも街で生産されているようなデザインではなく、生地も違いそうだった。おまけに彼らは一人を除いて、全員が髪を長くしていた。ある者は肩を覆うくらいまで、長い者は背中まで届いている。彼らは全員男性にも関わらずだ。現在は、女性でも髪を長くする習慣はない。
 シンプソン移民官は出来るだけ平静に応対しようとしたが、彼らの名乗る生年月日を聞いて、また仰天したという。彼らはみな自らの生年月日を一九八十年代、または九十年代と答えたのである。彼らは大まじめだった。何かそれを証明するものはあるかと問うと、全員が見慣れないカード、もしくはノートを差し出す。こんなものは、この時代にはない。当惑しながら見てみると、なるほど生年月日は二十世紀末だ。しかも紀元にはADとついている。そしてその証明書にはフルネームが記されていたが、それは現代のような、ファーストネームのあとに姓が二つつくものでなく、二つの名前と一つの姓という、旧世界方式のものがほとんどであった。この二つの名前の習慣は、新世界の初期までは慣例的にあったが、フルネームが四つになるという煩雑さからか、二三世紀ごろには、ほとんど見られなくなっていたものだ。
 シンプソン女史は仰天しながらも、彼らの皮膚の一部をそれぞれ採取して、DNA鑑定に回した。この時代ではすでに、全世界の住民のDNAマップが取られている。鑑定をすれば明らかになる。彼らがこの時代の誰かで、当局を担ごうと悪戯しているのか、あるいは本当に彼らはこの時代に属していない、旧世界の人間なのか。
 鑑定の結果、この世界の住民には、誰一人該当はなかった。その後詳しい科学検査を経て、驚くべき事実が明らかになった。彼らはやはり、旧世界の人間たちだったのである。彼らの話を総合すると、属していた時代は二一世紀初めの二〇一〇年で、覚えている『今日』は十一月一日だと言う。申告した生年月日と、彼らの認識している『今日』をつき合わせて出てきた年齢が、科学検査で算出された生体年齢と、ほぼ同じであることもわかった。科学尋問の結果、彼らがだれ一人嘘は言っておらず、全員がきわめて正気であることも証明された。しかし、なぜ旧世界末期、カタストロフの十一年前、二一世紀初頭に生きていた若者たちが、三百年あまりの時を超えて現代にやってきたのか。それは私たちにはまるで見当もつかず、彼ら自身にも理解不可能だったようだ。
 翌日、ニューヨーク市長である、ジャーヴィス・カーライル・アンダーソン氏が彼らと対面し、ここは二四世紀であると告げた時、彼らは一様に激しく驚き、動揺していたという。それはとりもなおさず、彼らがここにやってきたことは、彼ら自身もあずかり知らぬ不思議な現象で、動機も理由も方法も、当の彼らにもさっぱりわからぬと言うことを、明確に意味していた。

 その翌日から三日間、私は彼らに面会した。私の研究テーマは旧世界だ。その旧世界の生き証人が現れたのだから、研究を進める上で、これ以上の資料はない。私は面談を通して、旧世界の様相をいろいろと聞いた。その時代に生きている者たちの、生の描写と感想を。それはどれも興味深く、一部では理解不可能な概念もあったが、全体として私の研究に非常な助けとなってくれた。面談初日、初めて彼らに会った時にはもう普通の服装、センターから支給された現代の衣服になっていたので、あまり違和感を覚えなかった。髪が長いのも最初は気になったが、慣れてくれば、ごく自然に見えてくる。
 彼ら六人は、それぞれ印象が違った。最年長の二七才の青年は髪も短く実直な感じで、この社会の一員であっても何ら不思議はないという印象を受ける。二一才前後の二人の青年は、片方は太り気味で片方は筋肉質、前者は知的で礼儀作法も良く心得ているという感じで、後者もいくぶん直情的ではあるが気だては良く、なかなか頭も切れそうだ。十七才の二人の少年は、二人とも礼儀正しく真面目な印象だ。背の高い子の方がより好男子で、容貌も整っているし誠実な感じを受ける。背の低い子はかなり内気なようで、あまり口数も多くない。仲間うちでは気楽に話しているようだが、それでもあまり発言はせず、皆の話を聞いている方が多いようだ。最年少の十四才の少年は、六人の中で群を抜いて存在感のある子で、少女と言っても疑いなく信じただろうと思える美貌だ。礼儀作法はやや不完全な印象だが、明るく気さくな子でもある。
 六人とも程度の差はあれ、さほど感情抑制が利いていないのは、旧世界の人間だから致し方なく、基本的にはみな非常な善人だ。私はすぐにそう認め、彼らに好感を抱いた。しきりに元の時代に戻りたがる彼らに、あえて十一年後に迫ったカタストロフの話をしたのも、未来の途切れた世界に固執するより、ここに満足して留まり、生きていて欲しいとの思いからだった。
 当然、この話は彼らに強いショックを与えたようだ。しかし翌日、時空学者のハロルド・マーシャル・パストレル博士との面談で、彼らはそれでも帰りたいと言い切ったという。未来が途切れていても、なじみ深い世界に帰りたい。ここでは僕らはなじまない異分子だと。今はそうでも、ずっとここに住めば思いも変わると博士は諭したようだが、彼らの望郷の思いは変わらなかった。無理もないだろう。ここには彼らの見知ったものなどほとんど何もなく、家族も親戚も友人も、お互い以外はいないのだから。しかしみな若いのだし、これからここで一からすべてを築いていっても十分幸福になれると考えるのは、私の勝手な思いこみだろうか? 
 パストレル博士は彼らとの面談の結果、驚くべき仮説を出してきた。
「ありそうもない話だが」彼はこう前置きして、続けたのである。
「彼らは地上に出現したワームホールを通って、時を超えたという印象が強い」と。
「ワームホールなど、宇宙空間にしか存在しないのではないですか? エスポワール号の例ならわかりますが」私はそう問い返した。 
「だから、ありそうもない話だ、と言っただろう」
 博士は苦笑して首を振っていたものだ。
「だがね、ワームホールはブラックホールと違い、理論上は人工的に作れるのだ。もちろん、我々の技術では無理だがね。それに、たぶん逆説的な言い方になるが、人間の技術ではとうてい作れないだろうな」と。
 人間の技術で作れないのなら、いったい誰がそんなものを地上に出現させ、旧世界の青少年たちを未来に飛ばすなどという、悪戯をしたのだろう】

「なんだかこれって……さっきの宇宙船以上に、超現実的な話だね」
 パトリックがため息をついて首を振り、ジェレミーもつられて深く吐息をもらした。
「うん。でも、旧世界末期の人たち六人が、地上に出現したワームホールに巻き込まれて、二四世紀の新世界に行ってしまった。それと新世界創立伝説と、どういう関係があるんだろう」
「うん。先を読めば、わかるかなあ」
 二人は頷きあって、再び画面に流れる記述を読み始めた。




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