Part 5 of The Sacred Mother's Ring - Call of the Time

第2章 望む道(3)




 そのころ、三人の男の子たちは図書館の勉強を終えて、我が家への道をたどっていた。シャトルのステーションまでぶらぶら歩きながら、パトリックとマーティンは陽気にしゃべり、ジェレミーもにこにこしながら頷いている。必要な勉強なら、家の端末からでも中央のデータベースにアクセスできるから、わざわざ図書館まで出向いて調べる必要はない。だが、一日中家に閉じこもりきりでなく、たまには外へ出て気分転換をし、環境を変えて勉強したい。そういう若者たちのために図書館はある。もともと外出好きなパトリックとマーティンは、週に一、二度はそこに出向いて勉強をしていた。ジェレミーが来てからは、三人一緒に行く。それはいつもの楽しい散策だった。
「ところで、パット。前から思っていたんだけれど、学術研究局の専門課程っていのは、どういう勉強をするんだい?」マーティンがそんな問いかけをした。
「ああ、自由課題なんだよ。何を読めとか、何を調べろとか、そんな課題は何もないんだ。まず、自分の興味を持った分野を決めて、その中からテーマを決めて、レポートを書くんだ。二ヶ月に一回、二万〜三万語くらいのレポートを提出しろって、それだけなんだよ。そのレポートを添削してもらって、出来が良ければ、資料文献として採用されるらしいんだ。添削される以外、正規の職員とやっていることは何も変わらないよ」
「テーマは何でも良いわけかい? でも、それはかえって難しそうだなあ」
「うん。僕もちょっと考えているんだ。僕の場合、歴史を専攻したんだけれど、とりあえず隆盛期までというテーマで、書こうと思って」
「歴史か……隆盛期のねえ。君らしいな、パット。でも過ぎたことに興味があるなんて、やっぱり僕には理解しかねるな」
「君は現実主義者だからね、マーティ。まあでもその問題は、お互いの興味の差なんだから、議論するのは止すよ。ただ、君の宇宙にかける情熱と同じくらい、僕の過去に向ける情熱は熱いんだ。なんて、ずいぶん大げさだけど、でも本当だよ。やっと夢が叶って僕がどんなに嬉しいか、君にわかるかなあ? 晴れて学術研究局コースになったということは、一般の閲覧では見ることの出来ない初期の資料も、自由に見れるってことなんだ。隆盛期の歴史は、単なるとっかかりに過ぎない。本当に知りたいのは、もっと昔のことなんだ」
「もっと昔? いつごろの?」
「黎明期だよ。できたら、もっと前も知りたいんだけどね」
 新世界黎明期――それは不思議な、そして奇妙にジェレミーの心の琴線にも触れるものがある言葉だった。彼は従兄の顔を見、質問をしようとした。ああ、でも立ち止まって携帯ボードのキーを打つ間に、会話は変わっていってしまうだろう。もどかしい――。
 
 その一瞬、ジェレミーは前方への注意を忘れ、誰かに正面からぶつかった。軽い衝撃。一瞬よろけたあと相手を見る間もなく、ジェレミーは乱暴な動作で肩を掴まれ、激しく突き飛ばされた。同時に、頭の上から怒号が飛んできた。
「この野郎! 気をつけろ!」
 ジェレミーは驚きに路上に打ち付けた身体の痛みも忘れて、相手を見た。十八才か十九才くらいの若者だ。さほど背丈はないが、がっちりとした体格で、浅黒い肌、ぎろりとしたはしばみ色の目、暗褐色の縮れ毛を短く刈り込み、いかつい顔に頬の赤い星をかたどったペイントが、奇妙なバランスで浮き上がって見えた。反対側の頬には、すっと長い傷跡が走っている。首には太い銀色のチェーンを下げ、黒い半袖シャツに黒の細身ズボン、むき出しの腕には、どくろのマークが書いてある。そこにもまた傷跡があった。他にも同じような服装をし、不機嫌そうな顔をした連中が三人取り巻いている。
 イヤな相手に関わったな――マーティンとパトリックの表情は、明確にそう語っていた。不良とも愚連隊とも呼ばれる、やっかいな奴らだ。たいていは劣等コースの学業不良者や労働局に振り分けられた者だが、勉強をすることなく、研修労働をすることもなく、ただつるんでぶらぶらと遊び、時にはカウンセリングや警察のやっかいにすらなるような乱暴や悪事を働く、たちの悪い連中だ。連中はたいてい黒シャツに黒ズボンという服装で、首にチェーンを下げ、顔と腕に模様を書く。その模様によって、いくつかのグループに識別されるという噂も聞いた。連中は喧嘩の時にはチェーンを武器がわりに振り回し、中にはナイフさえ持っている、悪質な者もいるという。その不良グループ同士の乱闘は時々あったが、警察もあまり動きはしなかった。善良な一般市民に被害が及ばなければ、悪どうし傷つけあってもかまいはしないという論法だろう。
 二人ほど世事に詳しくないジェレミーは、そういう連中のことは何も知らない。ただ、相手の激しく不機嫌な悪意だけは感じられた。
「謝れよ、この野郎。俺にぶつかっておいて、一言もなしか!」
 相手は一歩前に踏み出し、ジェレミーの襟首をつかみながら、乱暴に言いつのった。
「ジェレミーはしゃべれないんだ。だから謝りたくとも、無理なんだよ」
 パトリックが前に飛び出し、相手の若者とジェレミーとの間に割って入った。
「しゃべれない、だと? へっ、ざけたことを言ってんじゃねえぞ、こら!!」
「本当さ。彼は小さい頃はしゃべれたようだけれど、ちょっと育った環境に問題があって、声が出なくなったんだ。それに悪いのは彼だけじゃない。君だって、いきなり突き飛ばしたじゃないか。ジェレミーはうっかり軽くぶつかった程度だけれど、君はわざと、しかも思い切り押したんだ。ジェレミーが謝る必要なんてないさ」
「なんだと!!」相手の浅黒い顔が怒りで紅潮した。 
「パット……こんな連中を相手に、そんなことを言ったら危ないよ。僕らでかわりに、さっさと謝って行こうよ……」マーティンが袖を引いて、小声でささやく。
「こんな連中とはなんだ! おまえも無礼な奴だな!」
 相手にも、その言葉は聞こえたらしい。いきなり拳を振り上げ、次の瞬間、猛烈な拳固が飛んできて、顔に直撃を食らったマーティンは、歩道にすっ飛んで倒れた。
「マーティ!」パトリックは声を上げて、そばに駆け寄った。
 マーティンの片頬は紫色に張れ、鼻血が吹き出している。
「マーティは関係ないだろ! いきなり何をするんだ!」
「うるせえ! 俺はいかにも行儀のいい坊ちゃん風の奴が、良い子ぶって俺たちを見下すのが、大嫌いなんだよ!」
「見下してやしないだろう。それはおまえたちのひがみだ! だいたいおまえたち、仕事も勉強もしないで、いつも喧嘩したり、人に因縁を付けたり、暴れたり、そんなことばかりしていて、尊敬なんかされるわけはないだろう!」
「なんだと!」相手の顔は、今や憤激のあまり真っ赤になった。血走った目を見開き、激しい憎悪をむき出しにして、にらみつける。
「パット、よせ……僕のことは良いから」
「君は黙っていた方がいいよ、マーティ。何か言って、また手を出されたら大変だ」
 パトリックは振り返ると、改めて相手に向き直った。
「おまえたち、なぜこんなことをするんだよ?」
「そもそもそっちが最初に、ぶつかってきたんだろう。だから、おまえらが悪い。何か金目のものを持ってるなら、よこしな! 慰謝料がわりにもらってやって、見逃してやるよ。俺らもあまり一般人相手に、派手なことはしたくないからな」
 仲間の一人がそう声を上げ、じろじろと三人を見回した。
「ふん、たいしていいものは持ってねえな。携帯通信端末も持ってねえのかよ」
「家には二台しかないからね。今日は母さんと姉さんが持っていったんだ」
「へ、しけてんな。それなら、時計でもいいが……おっ、そいつはなんだ?ちっ、ガキのおもちゃか、くだらねえ!」
 その男はジェレミーのバックからこぼれた携帯電子ボードを取り上げ、地面に乱暴に叩きつけると、踏みつけた。ぐしゃっと鈍い音がして、液晶が割れた。
「なにするんだ! それがないと、ジェレミーは話が出来ないのに!」
 パトリックは憤激した口調で叫んだ。「それに、なぜ慰謝料なんだよ。僕らがおまえたちに何かあげる理由なんて、何もないじゃないか!」
「パット……」マーティンが袖を引く。
「よしなよ。何かをあげて連中の気がすむなら、それで良いじゃないか。僕の時計でいいなら……」
「それだって、このあいだの適性検査のあと、父さん母さんがお祝いにくれたものだろう? こんな連中にやることないじゃないか。第一、僕らは何も悪いことなんてしていない。ジェレミーがうっかりぶつかって、謝れなかったからって、なぜこっちが慰謝料なんて払うんだよ。おまけに君はそんなにひどく殴られたし、ジェレミーも突き飛ばされた上に、ボードも壊された。理不尽もいいところだ」
「ふん。とんだ正義漢だな!」最初の若者が、吐き捨てるように言った。
「正義の味方って奴か。反吐が出るほど、むかつくぜ」
 言葉だけでなく、路上にぺっと唾を吐く。
「それじゃあ、こういう条件でどうだ? 俺たちが欲しいものをさっさとよこすのがいやなら、おまえたちの誰かが俺たちと決闘しろ。そうだな……俺たちのほうは、このモーリスだ。そもそも当事者だしな。で、おまえらのほうは誰が出る? 正義の味方君か?」
 別の若者が、ニヤニヤしながら横から言った。
「いいよ、じゃあ、僕が決闘でもなんでも、やってやる!」
 パトリックもかなり憤激していたのだろう。上着を脱ぎ捨て、相手をにらみつけた。
「おっ、決闘するってのか!」
 相手の仲間たちが素っ頓狂な声を上げ、はやし立てた。
「こいつは面白いぜ、じゃ、おまえが勝ったら、この場は見逃してやる。負けたら、相方の時計をもらう。それでどうだ?」
「……こいつに勝ったらいいんだな」
「勝てる気でいるのかい? 聞いたか、モーリス? おまえもなめられたもんだよなあ」
 仲間の一人が揶揄するように声を上げると、モーリスと呼ばれた若者はさらにどす赤い顔色になり、「ふざけるな!」と低くうなった。他の連中はすっかり面白がっているようだ。
「よし、じゃあ俺はモーリスにかけるぜ。ドリンク一本でどうだ?」
「俺もモーリスだな」
「おいおい、それじゃ賭けにならないぞ」
 そんなことを言い合いながら、揶揄するように笑い声をあげている。

 ジェレミーは最初、呆然と立ち尽くしていた。我に返ったあとも、マーティンの所へ駆け寄り、ハンカチを渡すだけしかできない。ジェレミーは激しい懸念を抱いて、パトリックを見やった。そして口を開いた。
『やめて! 僕のせいだから……』
 しかし、声は出なかった。電子ボードも壊されてしまい、伝えるすべはない。彼は従兄のところへ行きかけた。しかしパトリックは振り返って、戻れと制する。
「君はマーティンの所にいな、ジェレミー。危ないよ。こんな連中に関わるな」
「こんな連中だと?」相手が再び吠える。
「そうだろ。だって、こんな連中じゃないか。他に言いようがあるか?」
「やめろ、パット! 挑発するな」マーティンが声を上げた。
「喧嘩なんかしてはダメだ。君はどうも一本気すぎるよ。彼らは何をするか、わからないんだぞ」
「喧嘩じゃないよ。一対一の決闘なんだろう? 僕は無茶なことには我慢できないんだ」
「だから、それが危ないんだよ。相手を見ないと。第一、君と彼は従兄同士じゃないか」
「えっ!」パトリックも相手の若者も、一瞬呆気にとられたようにお互いを見た。
「彼はモーリス・ハイマンだよ。エセル叔母さんの息子の」
 マーティンはハンカチで血を拭いながら、立ち上がった。
「さっき仲間たちが、彼をモーリスと呼んでいたから、思い出したんだ。どこかで見覚えのある顔だと思ったんだよ。ほら、写真で見ただろう?」
「あ、ああ……そうだ」
 パトリックは改めて相手を見、納得したようだった。
「そうだ、モーリスだ。エセル叔母さんのところの。写真じゃ十四、五才くらいだったから、わからなかったよ。でもよく見れば、たしかに面影があるな……」
「おまえらが、俺の従弟だと?」
 相手は二人を見、再びぺっと路上に唾を吐いた。
「へっ、だからどうだってんだ。俺はおまえらなんか、知らないぞ。それに、もし本当におまえらが俺の従弟だっていうんなら、なおさら容赦はしねえ。俺は親戚連中なんか、反吐が出るくらい大嫌いなんだ!」
「ふん! たしかにお祖母ちゃんたちが嘆くだけのことはあるな。本当にワルになっちゃってるんだ。まあ、気持ちもわからないことはないけれど……」
「わかってたまるか! おまえなんかに、俺の気持ちが!」
 モーリス・ハイマンは猛り狂ったように吠えた。そして首の鎖を外すと、ぶんぶん振り回しながら構える。「さあ、来いよ! どうした? 落とし前をつけるんだろう!? 来ないなら、こっちから行くぜ!」
 だがパトリックは相手が従兄と聞いて、一瞬戦意をそがれたのだろう。彼は一瞬立ちつくし、相手を見ていた。名前だけは知っている、親戚中から疎まれている従兄――しかし相手のほうには、そんなためらいはないらしい。短くうなると、モーリスはチェーンを振り回し、勢い良くパトリックめがけて打ち出した。パトリックの方は、あわや顔にあたりそうになるのをかろうじて避けると、腕を上げてかばった。そこにチェーンが当たった。びゅっと勢い良くチェーンが空を切る音、続いてばしっと言う鈍い音が聞こえた。小さく血の飛沫が飛び、同時にパトリックが「うっ!」と声を上げ、打たれた腕を押さえた。裂けた皮膚から、血がぽたぽたと垂れる。
「パット、逃げろ! 僕は警察を……」
 マーティンが立ち上がりかける。と、その前に、相手の仲間たちが立ちふさがった。
「おっと、おまえたちはここにいて、見物してな。それとも、おまえたちもやるというのかい?」彼らはにやにやしながら手を伸ばして、マーティンとジェレミーの肩をしっかりと押さえつけている。
 パトリックは二人の方を振り返った。悪い仲間が何か危害を加えはしないかと、気になったのだろう。そのとたん、背中に再びチェーンの一撃を食らってよろめいた。
「ほらほら、よそ見なんかしてんじゃねえぞ!」
 モーリスがあざけるように声を上げる。
「後ろからなんて、卑怯じゃないか! それにそんな道具を使うのも、汚いぞ!」
 パトリックは痛みをこらえるように顔をしかめながら、背中に手を当て、抗議した。
「へっ、これは俺たちの一部さ。結構きくだろう? 食らいたくなかったらよけるんだな、お坊っちゃん!」
 相手はますますうなりをあげてチェーンを振り回す。その顔は紅潮を増し、目には凶暴な光が宿っていた。

 パトリックも最初の戸惑いと混乱、それに打たれたショックが収まると、生来の負けん気が頭をもたげてきた。従兄だろうがなんだろうが、こんな奴に負けたくはないと。振り回されるチェーンの軌道が、はっきり見えてきた。彼は巧みに身体を翻し、打撃をかわす。もっともかわしきれない一撃もたまにはあって、そうすると痛みのために動きが遅れ、次のも食らうことになってしまう。
 こんなことをしていては、らちがあかない。パトリックは苛立ちながら思った。チェーンをかわすだけで精一杯で、中へ飛び込めない。それではいつまでたっても相手を攻撃できないし、自分のダメージばかりが大きくなるだけだ。思い切って、中へ飛び込まなくては――あのやっかいなチェーンを取り上げないかぎり、勝負は目に見えている。
 チャンスはなかなか来なかったが、モーリスがチェーンを大きく振り上げた時、やっとパトリックは相手の懐へ飛び込むことが出来た。そして渾身の力を込めて相手の腹に拳をたたき込み、相手がひるんだすきにチェーンをもぎ取って、投げ捨てた。
 やっとこれで、ハンデはなくなった――パトリックは肩で息をしながら思った。すでに何度となくチェーンで打たれたので、あちこちがずきずきして痛かった。素手になったとはいえ、まだ余力がある相手を倒せるだろうか。
 モーリスは突然食らった打撃で思わずよろめき、しりもちをついて咳き込んでいた。痛みにその怒りはいっそう激しく燃え上がったようで、顔は紅潮を通り越してどす黒くなっている。
「うおお!」
 次の瞬間、まるで獣のような声を上げて、パトリックに殴りかかった。しかし、パトリックの方はいくぶん冷静だった。相手の動きが見えていた。そこで足払いをかけると、モーリスはもんどり打って地面に転がった。
 
「見かけによらず、やるなあ、あいつ……」
「感心している場合か、バカ野郎!」
 ジェレミーとマーティンを押さえている三人の不良たちは、そんな呟きを漏らした。やがて彼らはお互いに目を見交わし、頷いて立ち上がっている。
「俺たちも加勢に行くか」
「ちょっと待った。一対一なんじゃないのか? 卑怯だろう?」
 自由になったマーティンも立ち上がって、すかさずそう抗議した。
「うるせえな! じゃあ、おまえが俺たちとやるか?」
 三人の若者は、威嚇するようににらみつける。
「うっ」マーティンは性格的に争いを好まないし、腕にまるで自信もないのだろう。そう言われると、返答は出来ないようだった。だが一対四になっては、どう考えてもパトリックに勝ち目はない。下手をすれば、ひどいケガを負ってしまうだろう。
 ジェレミーもまた、マーティンが感じているだろうものと同じもどかしさを感じていた。でもマーティンと違って、言葉で抗議することすら出来ない自分が、どうしようもなく情けない。元はと言えば、自分が起こしたトラブルに、従兄たちを巻き込んでしまったというのに。
「おとなしく見てなよ。そっちの坊やのようにな」
 不良の一人が侮蔑を込めてマーティンに言うのを聞いて、ジェレミーの頬は憤激と恥ずかしさのあまり、深紅に染まった。僕だって、おとなしく見ていたいわけじゃない! 声が出ないんだ――ああ、でもなぜなのだろう? なぜ忌々しいことに、何も言えないのだろう。自分を理解し、いろいろと教えてくれた一番大好きな従兄が、自分のために危険に巻き込まれているのに、一言も言えない自分は、なんと情けないのだろう。昔はしゃべれたはずなのに。いつ、どこで声を忘れてしまったのだろう。
 もどかしさのあまり、思わず彼はパトリックとモーリスの間に飛び込んで、自らの身を呈してかばいたいという衝動に駆られた。でもそんなことをすれば、かえってパトリックの足手まといになりかねない。
 せめて、せめて大声で助けを求められたら。通りを歩く人々は、(ああ、また不良たちが何かやっている。関わらないようにしよう)とばかり、足早に通り過ぎて行くだけだ。ロボット警官の姿も少し離れたところに見えるが、彼らはあるキーワードがなければ来ない。『助けてくれ!』と。
 マーティンも振り返って、ロボット警官を見つけたようだ。そして声に出して、彼はこのキーワードを叫ぼうとした。しかし相手の一人が素早く口を塞ぎ、羽交い締めにした。
「おっと、ポリロボットなんか呼ぶなよ。せっかくの楽しみが台無しだ」
「うー」マーティンは手足をばたばたさせて逃れようとしていたが、相手にがっちり押さえられて、もはやうめき声しか出せないようだ。
「こいつはどうするかな?」もう一人がジェレミーを見て言う。
「こいつ、さっきから口をぱくぱくさせてるが、声は出ないんだ。どうやら、本当にしゃべれないらしいぜ」
「なんだ、だったら大丈夫だな」
「でも念のために、身体だけは押さえて置いた方がいいな」
「じゃあ、ずっと押さえてるのも面倒くさいから、縛ってしまえ」
 彼らはジェレミーを押さえ、一人が持っていた鎖を身体に巻き付けて、身動きできないようにした。
「おまえらは、そこで見物してな。ジム、そいつをしっかり押さえてろよ」
 二人はそう言うと、モーリスの加勢に行く。
「パット、逃げて! 一対三じゃ、勝てないよ!」
 ジェレミーは叫びたかった。それはかすかな声になった。だが、あまりにかすかすぎて届かない。非力ながら加勢に行きたくとも、鎖で縛られて身動きが取れない。それはマーティンも同じで、屈強な男に押さえつけられ、口を塞がれて、叫ぶことも出来ないようだ。

 その間にも、パトリックとモーリスは決着を付けるべく、やりあっていた。体格や力はモーリスの方が勝り、スピードと機転ではパトリックの方が上だ。そしてモーリスが冷静さを失っている分、パトリックの方に分があった。邪魔さえ入らなかったら、本当に一対一でやり合ったならば、彼はこの喧嘩に勝っていた可能性が高い。しかし不良仲間の喧嘩には、良識やルールはない。彼らにある唯一のルールは、『自分たちは決して負けてはならない』それだけだ。
 二人の若者は、両側から同時にパトリックに飛びかかった。モーリスだけに意識を集中していた彼は、完全に不意を打たれたのだろう。飛びつかれ押し倒されて、パトリックは地面に転がる。そこへすかさず一人が、鳩尾に強烈な一撃を食らわせた。
「加勢に来たぜ、モーリス!」もう一人がそう叫んだ。
「フレッド、クライド! これは俺の喧嘩だ!」
 モーリスが強い口調で、怒ったように叫んだ。
「おまえがだらしないから、加勢に来たんじゃないか!」
「だらしない、だと?」
「大分押されていたぜ、この細っこいお坊っちゃん相手によ」
「おまえが負けたりしたら、俺たちも恥なんだよ。一般人相手に負けたなんてことになったら、グループは大恥だ」
「負けやしねえよ!」
「そうさ、負けは許されねえんだ。それともおまえ、相手がおまえの従弟だから、手加減しているのか、モーリス?」
「手加減など、するものか」
「じゃあ、やれよ。俺たちがこいつを押さえててやるから、思う存分ぶちのめせ」
 仲間の一人が、モーリスにチェーンを二本手渡した。
「おい、一般人相手にそこまでやって大丈夫か?」
 他の一人が少し心配そうに声を落とした。
「かまわねえだろう? そもそもこいつは決闘を承知したんだからな。それに身内なら、訴えやしねえだろう」最初の奴がにやっと笑って言い、
「あ……あ」
 モーリスはごくっと固唾をのんだような表情で、チェーンを受け取っている。
 
 パトリックは突然食らった打撃に、一瞬気が遠くなっていた。やっとふらつきながら立ち上がろうとしたところへ、二人が飛びかかるようにして、再び地面に押さえつけられた。一人が両手を、もう一人が両足を押さえつけたので、もはや動くことすら出来ない。
「汚いぞ、おまえら! 離せ!」
 パトリックは身をもがいて自由になろうとしたが、二人がしっかりと押さえているので、身体をよじることすら出来なかった。
「やれよ! それとも、身内はやっぱりやれねえのか、モーリス!」一人がそう叫ぶ。
「やってやるさ!」
 モーリス・ハイマンは獣のようなうなり声を発した。そして太いチェーンを二本、しっかりと握りしめた腕を振り上げる。それはうなりをあげて勢い良く打ち下ろされ、びしっと激しい音になって響いた。同時にパトリックが、悲鳴に近い叫びをあげた。まともに胸に打ち下ろされた、二本分のチェーンの打撃は、気が遠くなりそうなほどの激痛だった。着ていた黄色いシャツもろとも皮膚が破れ、押さえている二人にも血の飛沫がかかる。

「やめろ! やめてくれ! 誰か、助けて!」
 ジェレミーはそう叫びたかった。でも、声にならない。マーティンも押さえ込まれて、声も出せない状態だ。モーリスは狂ったように、チェーンを振るい続けていた。その打撃を止めるものは、誰もいない。ジェレミーの位置からは、パトリックの状態は見えない。だが、チェーンが打ち下ろされるたびに響く激しい衝撃音、続いて上がる血の飛沫はジェレミーからも見え、聞こえた。最初は悲鳴のような叫びだったパトリックの声も、だんだん深くくぐもったようなうめきに近くなってくる。もはや叫ぶ力もないのだろう。
 こんなことを続けたら、死んでしまうかもしれない――そんな思いに、ジェレミーは全身の血が凍るようだった。元は自分がまいたトラブルなのだ。パトリックはただ、かばってくれただけだ。彼の正義感のせいで、真っ向からものを言いすぎたかもしれない。でも、間違ったことは決して言っていない。相手が卑怯なのだ。
 やめさせなければ――やめさせなければ! もう、とても耐えられない! 黙って見ているだけなんて。自分が死んだ方が、よっぽどましだ! 今、パトリックのかわりに自分があのチェーンに打たれるべきなのだ。それが当然だ。なのに自分はおめおめとここで眺めていることしかできないなんて――。
 その憤激がジェレミーの心の中で頂点に達した時、舌を縛っていた呪縛がほどけた。
「やめろ! やめてくれー!」
 鋭く高い声でジェレミーは叫んでいた。声が出たとたん、間髪を入れず続いて叫ぶ。
「助けて! 誰か、助けてくれー!」
 その声は、その界隈の人々はおろか、近隣の建物の中にまで響いたようだった。向かいの建物の中から何人かが顔を出し、少し離れたところにいたロボット警官も、そのキーワードを認知した。ピーッと鋭い警報を発して、こっちへやってくる。
「やばいぞ! ポリロボットが来ちまった!」
 マーティンを押さえていた若者が、思わず手を離して叫ぶ。
「誰だよ、あいつがしゃべれないなんて言ったのは! やっぱり嘘じゃないか!」
 パトリックを押さえていた一人が立ち上がって言い、もう一人もついで立ち上がる。
「モーリス! もうそのくらいでいいぜ。早くずらかろう!」
「あ、ああ……」
 モーリスは半ば呆然とした表情だったが、仲間に促されて走り出した。
 
 四人の不良たちが逃げ去ると同時に、ロボット警官が到着した。
『どうかしたのですか、みなさん』
「助けて下さい! 弟が……双子の弟が不良グループに乱暴されて、ひどい目に!」
 マーティンが真っ青な顔でそう訴えた。
『わかりました。救護車を呼びます』
 パトリックの所へ駆けつけようとしたのだろう。身を翻しかけたマーティンを、ジェレミーは呼び止めた。
「待って、マーティン。僕もパットの所へ行きたいんだ。僕のチェーンをほどいて」
「あ、ああ……」
 行きかけていたマーティンは、その声で戻ってきた。
「そうだね、君は縛られていたんだった……」
 そして改めて気づいたように、驚きの声を上げた。
「ジェレミー! 君、しゃべれるようになったんだね! 助けを呼んだのも、君だね!」
「うん……なんだか夢中だったんだ」
 ジェレミーは頷き、ついで二人は弾かれたようにパトリックの所に駆け寄った。
 二人の位置からは見えなかった彼の様子をあらためて目にした時、マーティンは気分が悪くなったように青ざめて吐き、ジェレミーも失神しそうになった。
 パトリックの状態は、想像以上にひどかった。右の胸から脇腹にかけて、何度も同じ箇所を打たれたのだろう。洋服も皮膚もずたずたに裂け、顔や手足にまで血が飛び散っている。小さな肉片すらあたり散らばり、血にまみれた傷口から肋骨の一部が見えるほどだった。しばらくしてやってきた医療局救急部の医局員すら、「うっ、これはひどいね」と顔をしかめるほどだ。
「パット……ごめん! 本当に……ごめんね!」
 ジェレミーは思わず叫ばずにはいられなかった。
「僕の不注意で、君をこんな目に会わせてしまって。それなのに僕は、黙って見ているしかできなかったんだ。本当にごめんなさい!」
 パトリックには、まだかろうじて意識があったようだ。
「なぜ……君が謝るのさ」
 彼は目を開け、そう呟いた。そしてにっこり笑って、続ける。
「良かったね、ジェレミ……しゃべれるように、なってさ」
 ジェレミーは何か言おうとした。しかし涙があふれてしまって、声にならない。
「はい、しっかりして。今、楽にしてあげるからね」
 医局員がパトリックの腕を取って、しゅっと鎮痛剤と麻酔を注入した。すぐに彼は意識を失い、マーティンとジェレミーが付き添って、救護車は病院へと向かった。

 やがて連絡を受けたアンソニーが、まだ帰宅前だったマチルダと一緒に、病院に駆けつけてきた。
「なんだってパトリックは不良の喧嘩になんて、巻き込まれたの?」
 孫たちの顔を見ると、マチルダは興奮気味に声を上げていた。
「僕が悪いんです……」ジェレミーがうなだれて答える。
「僕がうっかり、ぶつかってしまったから。相手は怒って謝れって言ったんだけれど、僕は声が出なかったから……それで僕が突き飛ばされて、マーティンが殴られたから、パットは怒っちゃって……」
「まあ、あの子も見境なく短気なのねえ、困ったこと……」
「それがパットの性分だからね。あの子は気が強くて、正義感も強いから、相手が不良でもひるまなかったんだろう。それが、あの子の美点でもあるんだけれどね」
 改めてマーティンからも話を聞いたアンソニーは、頷いていた。
「だからって、無茶ですよ。相手は愚連隊なんですからね。それにジェレミー、あなたって本当に疫病神なのね。こんなトラブルを起こすなんて」
「ジェレミーを責めないでやってよ、お祖母ちゃん。彼は悪くないんだから。しかたがなかったんだもの」マーティンが横から助け船を出してくれた。
「そうだよ、母さん。ただ、相手が悪かっただけだ。それにジェレミー、今気づいたんだけれど、君は普通に話が出来るようになったんだね」アンソニーも優しく声をかける。
「助けも彼が呼んだんだよ、父さん。ボードはあいつらに壊されたけど、もうそれも必要ないね」
「そうか。それだけは、本当に良かったな」
「ただね……あとで警察にいろいろ事情を聞かれると思うんだけど、一つ困ったことがあるんだ。パットをこんな目に会わせたのは、モーリスなんだよ。モーリス・ハイマン」
「なんだって?」
「まあ!」
 マーティンの言葉に、アンソニーとマチルダが同時に声を上げる。
「それじゃ、困ったわねえ。訴えたら、モーリスが警察に捕まるわ」
「ああ、エセルがまた嘆くだろうなあ……」
「一族の恥を、これ以上さらしたくはないわね。ねえ、アンソニー。なんとか考えてもらえないかしら。被害者がパトリックだったのは、考えようによっては、幸いかもしれないわ。訴えずにすませることは、出来ないかしら」
「それは、パットの状態によって考えるよ」アンソニーは厳しい顔つきで答える。
「もしも息子に万が一のことがあったりしたら、僕は一族の恥なんか考えずに、自分の甥だって訴えるつもりだよ。さもないと、とても収まらない」
「まあ、気持ちはわかるわ。そんなことには、なって欲しくはないわね……」
 マチルダも浮かない顔で、首を振っていた。
 連絡を受けたメラニーがあわてた様子で病院に駆けつけてきた頃、手当を終えた医師が病室から出てきた。
「たいぶひどくやられたけれど、命に別条はないですよ。肋骨の一本にひびが入っていて、肝臓も少々傷ついていましたが、幸い太い動脈は無事だったので。ただ傷がかなり大きくてひどいので、人工皮膚を貼って、敗血症を防止するために、一週間ほど無菌室にいる必要がありますけれどね。傷の完全回復には少し時間がかかるでしょうが、皮膚移植を使えば、さほど痕も残らないでしょう。完治するまで、一ヶ月くらいの入院が必要でしょうが」
「そうですか、よかった……ありがとうございます」
 医師の言葉に、その場にいた全員が、ほっとしたように深いため息をついていた。

 夕方帰ってきて、初めて事態を知らされたヒルダとヘイゼルも、驚き、震え上がり、そして弟の命に別状はないことを知って、安堵した表情を見せた。
「でも、怖いわねえ。なんてひどいことをするのかしら。ぞっとするわ」
 ヒルダは恐ろしそうに身を震わせ、
「正気じゃないわよね、モーリスも。赤の他人にでも困るけれど、従兄同士なのに」
 ヘイゼルも真剣な顔で頷いたあと、言葉を継いでいた。
「でもこれで、パットも少しは懲りて、危ない連中に向こう見ずに突っかかっていくようなことは、もうしないといいんだけれど」と。
「あの子は懲りないんじゃないの? 昔からそうよ。いじめられている子を見ると我慢できなくて、なんとかしてやめさせようとしてしまうの。サンパウロでもあったじゃない。パットが八歳くらいの時、小さい子に意地悪をしていた悪ガキグループを止めようと喧嘩になって、一人で自分より年上の子を三人もやっつけてしまって、向こうの親から抗議されて……でも、お父さんもお母さんも、引かなかったのよね。うちの子は決して、間違ったことはしていませんって。いじめられていた子とその場で見ていた人たちが証言してくれたから、うまくおさまったけど」
 ヒルダは首を振り、ヘイゼルも頷いていた。
「たしかに、パットが悪いわけではないのよね。でも、気が強くて正義感が強くて、ある程度喧嘩も強いっていのは、ある意味では危ないわ。相手を選ばなければ、とんでもないことになりかねないじゃない。だからこんなことになるのよ」
「僕が悪いんです。ごめんなさい……」ジェレミーは従姉たちに再び謝った。
「あら、あなたのせいじゃないわよ。喧嘩になったのはパットの性分なんだから、あなたが気にすることはないわ」と、ヒルダは顔を向けて笑顔を浮かべ、
「それに、あなたが普通に話せるようになって、良かったわね。それが唯一の救いだわ」
 ヘイゼルも穏やかな笑みを見せて、そう言ってくれた。
「でも、本当に不思議だね。一回声が出たら、あっという間に普通にしゃべれるんだから」
 マーティンは、改めて感嘆したような口調だった。
「ジェレミー君の失語症は心理的なものだから、何か大きなきっかけがあれば、声は出るのよ」メラニーは微笑んで、甥を見やった。
「ただ、ちょっとやそっとの刺激では、だめなのね。全身全霊で、話したいという圧倒的な、絶望的な要求が必要だったのでしょう。今回はまさに、それだったのね。話を聞いて、思ったの。あなたがあそこで声を出してくれたから、パトリックは助かったのかもしれないって。さもなければモーリスはあの子を殺すまで、打つのをやめなかったかもしれない……そんな気がするのよ」
「本当に怖いわね……」
 ヒルダとヘイゼルは、ぞっとしたように身を震わせていた。
「あの時のモーリスは、半ば狂っていたような、そんな感じがして……」
 ジェレミーの脳裏に、あの時の情景が浮かんできた。
「最初は彼も、戸惑っていたように見えたんです。自分の喧嘩なんだから手を出すなって、仲間たちにも言っていたし、チェーンを渡された時にも、ためらってて。でも……」
 彼はそこで一度言葉を止め、思わずぶるっと震えた。
「モーリスは憎悪に狂っていたのかも。でも、相手はパットじゃない。なにか他のものに対して狂ったように憤っていて、それを抹殺したかった。そんな感じで……」
「だったら、なにもパットに当たることはないんだ!」
 マーティンは憤りを感じているようだった。
「それに、世間の連中はみんな敵だなんて、そんなふうに思うことだってないだろう。元はといえば、自分からそう思わせているようなものなんだから。僕に言わせれば、単なる甘えだよ!」
「まあ、いわゆる不良には良い子にはわからない屈折した感情があって、恨みを抱いているんでしょうけれどね」メラニーは考えこむような表情をしていた。
「破壊衝動が強すぎるのは、かなり危険だわね。ああ、そういえばエセルさんからは何か連絡があって、アンソニー?」
「いいや、まだ何もないよ。母さんが知らせただろうから、知ってはいるだろうけれどね。僕はてっきり、訴えないでくれって、言って来るかと思ったんだが……」
 結局、事件後エセルからの連絡は、とうとう何もなかった。息子の所行を信じないのか、アンソニーは訴えないと思っているのか、それとも、もうどうでもいいと投げやりになっているのかもしれない。だが、自分たちは親戚なのだ。彼女の息子の引き起こしたトラブルで、こちらはかなりのダメージを被った。一言言ってきても良いのではないか――アンソニーもメラニーもそんな苛立ちは感じているようだったが、あえてこちらからは何も連絡せず、医師から「どうします? 傷害事件として、警察に提訴しますか?」と聞かれた時も、「いいえ。相手の若者は僕らには甥ですし、売られた喧嘩を買ってしまったこちらにも、多少の責任はあるのですから、提訴はしません」と、きっぱり答えていた。
 
 パトリックも初めて病室で両親に面会した時、提訴をしないでくれて、ほっとしたと言った。彼は重傷者の治療に良く取られる方式、一週間ほど深く眠らされ、その間に細胞再生促進剤を使って傷を修復する、通称BB方式という治療法を使ったので、最初の一週間は意識がなかった。さらに傷口から細菌感染を起こして敗血症になるのを防ぐために、無菌室に入れられていたので、家族とも面会は謝絶だ。一週間後に眠りから覚め、やっと面会許可が下りたが、最初は親兄弟に限られていたので、ジェレミーは会えなかった。
 ジェレミーが従兄に会えたのは、その翌日の夕方だ。この時はマーティンと二人で来た。
「やあ、マーティ、ジェレミー。来てくれて嬉しいよ」
 パトリックは二人の姿を見ると、弱々しい笑みを浮かべた。
「参ったよ。午前中、お祖母ちゃんが来たんだ。おまえは考えなしで向こう見ずだ、だからこんなことになるんだ、反省しなさいって、延々一時間もお説教を食らっちゃったよ。僕も今は弱っているんだから、少しは手加減してくれたら、よかったのになぁ」
「でもお祖母ちゃんの言うことも、多少は当たっているよ、パット。君は本当に向こう見ずなんだから。少しは懲りると良いんだ」
 マーティンは肩をすくめていた後、言葉を継いでいた。
「でも、無理なんだろうな。ヒルダ姉さんも言っていたけれど、君の性格じゃ懲りないって。僕もそう思うよ」と。
「僕だって、やりたくてやってるわけじゃないさ。でも、わかってくれないんだよなあ」
 パトリックも苦笑を浮かべている。
「ごめんね、パット。君をこんなひどいトラブルに巻き込んでしまって」
 ジェレミーは改めて、従兄にそうわびた。
「だからなぜ君が謝るんだよ。君は何も関係ないじゃないか」
「でも、連中に関わってしまうきっかけを作ったのは、僕だから」
「関係ないよ。穏便に済まそうと思えば、出来たんだろうから。喧嘩にまでなってしまったのは、僕も悪いんだ。たしかに、お祖母ちゃんの言うとおりだね」
「そうだよ、あんな連中に関わると、ろくなことはないんだ」
 マーティンが嫌悪を露わにしたような表情を浮かべていた。
「君は不良嫌いだね、マーティ」
「君だって嫌いだろう、パット。あんな目にあったんだしね」
「ああ、嫌いだよ。だいたい連中は甘えてるし、乱暴だし、卑怯だ。でもさ、一口に不良と言っても、なんだか二通りあるような気がしてね」
 パトリックはしばらく考え込むように黙ったあと、再び続けた。
「本当にそういう悪いことが好きな奴と、根は良い奴なんだけど、ひねくれちゃってるのと。あの時僕を押さえてた奴の一人なんかは、完全に楽しんでいたんだ。僕が苦しんでいるのを見て、心から嬉しそうに笑ってやがってさ。こういうのは、きっと本物のワルなんだろうなって気がしたんだけれど、モーリスは後者のような気がして……本当はやりたくなかったんだろうけど、やらなくちゃならないから、自棄になっているのかな、なんて気がちょっとだけしたんだ」
「あんな目にあってまで、あいつをかばうことはないじゃないか。僕にはわからないな」
 マーティンは鼻白んでいるようだ。
「でも、僕もそれはなんとなく、わかるような気がするよ」
 ジェレミーは頷いたあと、きいた。
「ところで、もう傷は痛まない? 大丈夫?」と。
「ああ。完全に痛くないわけじゃないけれど、でもBB方式は、本当に偉大だね。救護車の技師が僕に麻酔を打つまでは、半分痺れたようなひどい痛みでたまらなかったけれど、気がついたらもう一週間たっていて、ほとんど痛くなくなっていたんだ。ガーゼの上から触ると、まだ痛いけれどね。明日、植皮をやるんだって。だからまた二、三日眠ることになりそうだけれど、起きる頃にはかなり治っているんじゃないかな」
「そう。良かったね」ジェレミーは安どのため息をついた。
「でも、BB方式のBBって、何の略語なのかな?」
 パトリックは少し不思議そうに、そんなことを言っている。
「普通そういうことを気にするかい? だから君は学術になるんだな」
 マーティンは苦笑していた。
「おあいにくさま。これも僕の性分なんだ」
「でも僕も、ふと同じことを思っちゃったよ」と、ジェレミーもかすかに笑いを浮かべた。
「意外と性格が似ているのかなあ、パットとジェレミーは。違うような気もするんだけれど。パットにジェレミーの素直さがあれば、良いんだけどなあ」
 マーティンは二人を見比べながら、笑って肩をすくめている。
 三人は病室で、一時間ほどしゃべりあった。話の内容は真剣なものもあり、たわいのないこともある。だが――ああ、いつかこうして三人で話すことが出来たらいいと切望していたことが、ついに叶ったのだ――そんな歓びがジェレミーを圧倒した。
 見舞い客の帰り際に、パトリックも言っていた。
「でもさ、ジェレミー。一つだけ良かったこともあるじゃないか。君がしゃべれるようになったことがさ。いつかこうやって三人でしゃべれたらいいなって思っていたんだ。そのために僕もいくらかは役に立ったんだって思えば、少しは報われるよ。それに、君に助けてもらったようなものだしね。ありがとう」
「お礼なんて……言いたいのは僕の方だよ、パット。本当に君にはすまなくて。でも声が出るようになったことだけは、感謝したい気持ちなんだ」
 伯父の家へ帰る道を、マーティンと二人でたどりながら、ジェレミーは幸福を感じていた。パトリックのケガもすぐに治るだろう。そうしたらまた、以前の楽しい日課を続けていける。これからは自分も彼らの会話に参加し、思いを分かち合うことが出来る。夢が叶ったのだ。これ以上、もう望むことはないと。




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