Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 4  AGE Purple (紫の時代) (6)




 頭の上に、少し緑がかった青い空が広がっていた。中天にかかる太陽は白い輝きを放ち、それより少し低いところに、オレンジ色の太陽が光っている。絹雲のような白い雲が少し浮かんだ青緑の空に輝く二つの太陽、それはかなり不思議な光景だった。足下の草は柔らかく、緑や青、黄色の、剣のような葉っぱだ。一匹の小さな白い、毛のむくむくした見慣れない生き物が草をはんでいた。ふわふわした丸いボールのような形で、愛嬌のある顔と小さな手足がちょこんとついている。
「ここがクィンヴァルス・アルティシオン。ヴィヴァールとわたしが出発する直前の記憶を再生したものです。季節は秋なので、街にはシールドはかかっていません。あなたの足下に見える生物は、マナェカイムという、この星土着の小動物の一つで、草食性の無害なものです。かなり賢く、人にもよくなつくので、一つの都市で約百匹以上保護しています。本来彼らは移動生物で、春か秋になる場所を渡り歩いて暮らしているのですがね。クィンヴァルス・アルティシオンは連星系の惑星なので、冬や夏の環境は非常に厳しいのです」
「僕、生きている動物なんて、初めて見たよ。かわいいね」
 アールは思わず手を伸ばしたが、空しく宙をかすっただけだった。
「それはイメージ投影ですから、実体はないのですよ」
 アルフィアは微笑し、ふっと手を動かした。景色が変化し、アールの目の前に大きな建物がそびえ立った。空の青と緑を投影し、太陽の白とオレンジの光を反射して輝く、壮麗なクリスタルの神殿――。
「それは聖太母神の神殿です。わたしにとっては、ずっと暮らしていた家です。これは地球で言えば、水晶よりダイアモンドに近い、この星から産出される天然鉱物で出来ていて、建国の時に建てられて以来一億三千万年の間、一つの腐食も汚れも損壊もなく、今なおこうして建っているのです。この建材のかけらを小さな円盤状の装飾にし、マークを刻印したものを、神官長としてのわたしは持っていました。それをわたしが起源子として生まれた時にヴィヴァールが持たせてくれましたが、それはあなたも身につけていましたね。今はわたしの分身、アルシス・リンクが持っていますが。その結晶を身につけていると、身体にあるわたしたちの因子と反応して、生体パワーを少し高めてくれるのです。そして定められたものが手を触れる時、光を持って輝きます」
「そう……僕はお母さんが渡してくれたから、お父さんのお守りとして、昨日アルシスに渡すまで、ずっと持っていたんだ。そんな力があったんだね」
「あの結晶の元が、この神殿の建材なのです。神殿の建材は、その星にある最も力を秘め、なおかつ神殿を作るだけの量のある鉱物で作られます。アクウィーティアでは青い輝きを放つ白い鉱物で、エルファン・ディアナでは、かすかにピンクがかった白い鉱物が使われています。クィンヴァルスでは、神殿は透明なのです。この星に建てられた三つの都市、アヴェリア、セリオン、ディルファの中間に位置する丘の上にこの神殿はあり、その神殿を取り巻いて、聖都フィディスティアがあります。ここはクィンヴァルス・アルティシオンのパワーが集結する場所、我々の仕える神の存在を感じられる所なのです。その神殿のそばの木が見えますか? それは光の樹と呼ばれています。この樹は宇宙からのエネルギーを吸収して、クィンヴァルスの厳しい夏や冬にも、決して枯れず、いつも緑と黄金の美しい葉を茂らせているのです。この樹に、見覚えはありませんか? ヴィヴァールが最初にあなた……アリステア・ランカスターを連れてくる時に、あの草原にこの樹の種をまいたのです。それが上手く地球の環境でも芽を出し、成長しました。わたしはそれを、同じく光の木と呼びました。同じ種類の木ですからね」
「ああ、あの……マインズデールの、ランカスター草原の光の木……?」
「ええ。あの木はこの神殿の、光の木の種から芽を出した木なのです。だからわたしも、子供の頃からあの木に惹かれていたのでしょうね」
「そう、それで……」
 アールは頷いた。父が失踪した時に言った言葉――『光の木は、僕と同じだな。本来の場所でないところで、一人育ってる』その意味を今、理解した。
「幸い光の木と違って、わたしは新しい土地に多くの新芽を生み出すことが出来ましたが。あなたと、オーロラによって」
 アルフィアは心を読んだように微笑した。
「ええ……」
 アールは再び頷きながら、なお目の前に広がる神秘的な風景に見とれていた。
 神殿の扉から、誰かが出てきた。アルフィアによく似た人で、同じような姿をしているが、しかし本人ではないようだ。光のような髪の両翼に青い房があるが、目は青でなくエメラルド・グリーンである。
「故郷においてきたわたしの子、エルフェディアです。わたしはエルフィと呼んでいますが、正式な名前は、エルフェディア・アルティスマイン・セルート。そう、あの子はヴィヴァールとわたしの子供なのです」
「ええ!? じゃあ、あなたとアーヴィルヴァインさんは、夫婦だったの?」
「夫婦とか結婚などという観念は、わたしたちにはもうないのですよ。男女に分化するのも、ほんの短い間だけですしね。ヴィヴァールとわたしは長い間男女のパートナーだったのですから、こういう形の結びつきになっても不思議はないでしょう。もうあの人とは、二億年近くにわたって、ずっとこういう関係なんですよ。アール、変な想像はおやめなさい。あなたとジャスティンが将来に夫婦になるなどということは、想像しなくても良いですよ。エルファスとヴェリアや、ヴィヴァールとわたしのように、基本形が男と女のパートナーの場合は、こういうこともひんぱんに起こりますが」
 アルフィアは、どことなくいたずらっぽい微笑を浮かべ、言葉を継いだ。
「エルフェディアは、もうすぐ三百歳で、繁殖前期ですから、女性ですね。わたしたちの娘です。彼女は今、わたしのあとを継いで神殿の神官長を勤めています」
「えっ! 三百歳!?」
 思わず目を丸くしたアールに、相手はかすかな笑みを漏らした。
「言い忘れていましたね。わたしたちアクィーティア・セレーナの民の平均寿命は、地球年にして約千年だということを。アクィーティアにおいても、一年の長さは地球とさほど変わりません。日にちは五日ほど短いですが、一日は二十分ほど長いので。移民先の一年は星によって違いますが、わたしたちはどこにいても、アクィーティアの一年を基準にして年令を数えます。クィンヴァルス・アルティシオンの一年は、母星の約十二年弱ですので、一年を十二のフェーズに分けて一フェーズごとに年齢が進む。でも感覚的には、わたしたちの三百歳はあなたがた地球人でいえば、十七、八くらいの年齢です。四百歳で二六、七歳くらいの感覚です。二百四十歳あたりから三五〇歳くらいまでが繁殖前期。繁殖前期から、四七〇歳ころまでの繁殖期では性を持ちますが、わたしたちが一生のうちで男女に分化するのは、この時期だけです。男性には生殖器が芽生え、女性は身体が少し丸みを帯びて、生殖口が開く。地球人のようにバストは膨らみませんけれどね、妊娠後期から授乳期以外は。これは元々そうでした。わたしたちアクウィーティアン独特のバリエーションです。ですから起源子時代の不完全両性でも、胸は膨らまずにすんで助かったと思いましたが」アルフィアは少し苦笑に近い笑みを浮かべた。
「あの……ひとつ、微妙なことを聞いても良いですか」
 アールはそこで、そう切り出した。
「なんですか?」
「あなたは起源子……お父さんだった頃は不完全両性だったと、さっきも仰いましたが……それに、アーヴィルヴァインさんも、あなたは本来女性形が強いので、三十になる前に完全に女性に変化する、と仰っていましたが……」
「ああ。両性といってもどういう形だったか、というのを知りたいのですか?」
 アルフィアは、今度は少し困ったような笑みを浮かべた。
「あれは本当に不自由しましたね。発生的に完全な男にはなれない、というのはわかってはいたとはいえ……すべてはもう過去で、ある意味、面白い体験だったのかもしれませんが。外見的にはわたしは、十三歳の誕生日までは完全に男性形でした。でもその頃から身体的には繁殖前期に差しかかって、女性機能が発動し始めたので、そこからは表面的には、男性期と女性期を交互に繰り返していたのです」
「ええ? いわゆる両性具有、とかではなくて?」
「潜在機能的にはそうなのですが、どちらが優勢になるかは、発生の都合上、起源子の場合はホルモンバランスで決まるので、優勢になった方に外見が変化するのです。地球人の生理のような、ホルモンの周期的変化がわたしたちアクウィーティアンにもあって、三六日で一周期なのですが、その周期でホルモンも分泌されるので、それが元からある男性ホルモンの量を上回ると、外見が女性形になってしまうのです。でもアクウィーティアンの女性形なので、妊娠しない限り胸は膨らまない。それで助かったと思いましたが。フルサークル……全期間で女性形にならない限り、生理もないし妊娠もしないので、その心配はなかったですし」
「そう……なんですか。じゃあ、本当にお父さんが……女の人だった時期というのも、実際にはあったのですね……」
「外見上は、そうですね。まだ最初の頃は女性ホルモンの活動も弱いので、それほど期間は長くなかったですが、成長するとどんどん伸びていって、ある意味、本当にやばい、あっ、わたしとしたことが、つい起源子的な言葉遣いになってしまいましたが……まあ、バンドのみなにバレなかっただけ良かったと……あら、すみません。本当になんだか危ないですね。ですから女性期には、気を使いました。バンドの仲間たちと一緒にスパに入ったりは出来ないし、特に病院に運び込まれるような事態になってはならない、面倒なことになる、と気を使いました。幸い、すべて男性期に当たって、助かりましたが。上衣の着丈を長くしたのも、女性期には出来るだけ前をカバーしなければ、という意味も多少はあったのです。そういうスタイルが好きだったこともありますがね」
「そうなんですか……」
 アールは頷きながら、その人の中に見る“父”に、憧憬を抑え切れなかった。
「あなたがたが受胎した頃には、わたしはもう三六日の一周期の間に男性形でいられたのは、一週間ほどしかありませんでしたから。生殖能力は最低三日間、男性形のままでいなければならないので、あと二年ほどで完全に失っていたでしょうね。ですから長くともその頃までには自分の一生は終わるのだろうと、あの頃から思っていました」
「それなら……本当に、僕たちが生まれたのは、奇跡だったのですね。ちょうどあなたと母とのタイミングが合ったのが、まさにその時だったのだから……」
「そうですね。それも、母なる神に定められた運命でしょう」
 アルフィアは再び穏やかな口調に戻り、ゆるく頭を振った。
「話がそれましたね。そう……わたしたちアクウィーティアンの寿命は千年ですが、繁殖期のころから寿命が終わるまで、老いることはなく、状態は変わらないままです。地球人でいえば、二十代から八十歳を超えて死ぬまで同じ姿で、同じ機能を持っているようなものです。わたしたちの因子が多くなると発現する特殊体質も、同じ老化のメカニズムを持ちますので、たとえば起源子の場合、二三才で外見変化は完結しましたし、分体であるアルシス・リンクも、二七でそうなる予定です。そして内部がどれほどダメージを受けても、外見上はさほどその影響は現われません。細胞がダメージを受けて死ぬと消滅するので、密度は下がってしまいますが。ですから起源子のころ、最後にアイスキャッスルに帰り着いた時点では、半分くらい細胞が死んで消えていましたから、ジャスティンが書いていたように、『妙に透き通るような感じ』になってしまいましたが」
「そうなんだ……それで……」
「老いなければ不死かと言えば、決してそんなことはありませんけれど。わたしたちは生体エネルギーによって、肉体を支えている。それは無尽蔵ではありませんから、尽きれば死ぬことになります。普通では千年。地球の環境ですと、わたしたちの因子の構成比率によっても、状況によっても違いますが、一般の人よりはかなり長生きでしょうね。そして進化が進めば、地球人もやがて同じようになると思います」
 周りの世界が消えた。元通り漆黒の空間が、所々に星の輝く宇宙空間が広がっている。
「もうやめましょう。おそらくあなたがた地球人にとって、わたしたちの世界は異質すぎる。クィンヴァルス・アルティシオンの人々の細かい生活を見ても、わたしの記憶に残るアクィーティア・セレーナを見ても、ただあなたを幻惑させるだけでしょう。かつてエルファン・ディアナを訪れた、エスポワール号の乗組員たちのように。わたしも故郷は懐かしむだけでいい。どちらかといえば、地球のこれからの方に興味がありますしね」
 アルフィアは緩く首を振り、ロッドを手にして、再び立ち上がった。
「そう、今のあなたには、わたしたちの世界は、まだ異質すぎるのです。わたしたちの世界には、科学は存在しない。ロボットも機械も電気も存在しないのです。ただ精神の力だけがある世界。言ってみれば、ほとんどこちらの世界と変わりのないところなのです。ですから、わたしたちにとっては、生きるのも死ぬのも、大した違いはない。ですがアール、わたしたちも最初は、地球人と同じでした。アクィーティアの初期文明においては、わたしたちもあなたがたと、ほとんど変わるところがなかった。水の中での耐久時間がかなり長く、思春期までは中性という点だけは違いますが、生まれて成長し、七、八十年で老いて死に、科学に支えられた文明を築いていた。でも、二億年という年月が、わたしたちをここまで進化させたのです。人類が進化すると、科学は不要になる。科学の力を借りなくても、ほとんどすべてのことが、精神エネルギーで出来るようになるのです。魔法、超能力、錬金術――あなたがたの世界でそう呼んでいる力が、現実にあなたがたのものになる日が、遠い未来に必ずやってきます。科学とは、赤ん坊の乳母車のようなものです。科学の力に頼っている間は、その星の文明は、まだ幼年期だと言えるでしょう。でも、いずれ自分の力で立って歩く日が来る。地球はまだまだ、生まれたばかりの赤ん坊です。しかしこの星の民たちも、やがて進化する。あなたがたは神に選ばれた民なのですから」
 アルフィアル・アルティスマイン・レフィアスは、ゆっくりとアールの方へやってきた。
「さようなら、地球の我が子よ。これだけ最後に言っておきます。現世を生きるうちには、思い通りには運ばないこともあるでしょう。不自由や困難、束縛、トラブル。いろいろな試練が起きてくることもあります。始めから終わりまで、自分の思うように生きた人は、まずいないと言ってもいいでしょう。ですから、それに負けないでください。あなたには出来るはずです」
「はい」アールはしっかりと頷いた。
「では四千年後に、また会いましょう。そう、それまでは、あなたにはかなり試練の多い人生になるでしょう。でも第一ステージが終われば、流れは驚くほど緩やかになります。転生のインターバルもゆっくりになり、いわゆる『ご褒美の人生』――多くのものに恵まれ、運にも恵まれた幸福な生を送れるようにもなる。いつもでは、ありませんけれどね。そして昇華寸前の段階に来ると、それ以降はわたしとヴィヴァールのように、穏やかな凪のような状態になります。でも最初の四千年、それに最後の最後だけは、試練は多くなります。心して、でもあまり気負うことなく、精一杯生きて下さい」
 相手はゆっくりと手を伸ばしかけた。たぶん、もう父子の会合は、これが最後になるのだろう。そう悟ったアールは一抹の寂しさを感じながら、最後の疑問を投げかけた。
「待って……最後に一つだけ。オーロラには、会ってくれた?」
「会いましたよ。彼女はここには来られないので、夢の中という形をとらざるをえませんでしたが。だから、あまり時間も取れませんでしたし。彼女が生の終わりに意識がなくなった時、その深い眠りの中で、彼女の想いが呼んでいました。『あたしは死ぬのかしら、まだ生きていたかったのに……仕方がないのかもしれないけれど、でも少し怖い。赤ちゃんは大丈夫かしら? 向こうへ行ったら、お母さんやお姉さんたちに会えるかしら。でも、もうお父さんには会えないのかも……会いたかったのに』と。わたしは意識の中で、差し伸べられた彼女の手を握り、そして呼びかけました。『オーロラ。姿は変わっても、わたしはわたしです。あなたの父親であったことには変わりはありません。わたしもあなたに会いたかったけれど、こんな形になってしまってごめんなさい。でも、心配しないで。怖れないでください。赤ん坊は大丈夫です。あの子は運命に守られていますから』と。『お父さん?』と彼女は問いかけ、そしてこう続けました。『お父さん、ああ、会えてよかった。それに赤ちゃんが大丈夫なら、嬉しいわ。でも、あたしはあの子の成長も、他の子たちの成長も見たかったわ』と。『心を済ませば、思いを感じることは出来ますよ』としか、答えられませんでしたが。でも彼女は、最後にわたしに笑顔で言ってくれました。『お父さん、大好きよ!』と」
「オーロラらしいな」アールは思わず笑みを漏らした。
「もうすぐ彼女にも会えますよ」
 アルフィアは微笑し、手にしたロッドを前にかざした。それが回転すると同時に、やわらかい光が弾け、足元が揺れる。やがてまわりの景色が一変した。白い靄の中から、呼ぶ声がする。母が、双子の妹オーロラが、そして幼くして死んだ娘グロリアが。他にも大勢、聞き覚えのある声がする。
 アールはそちらに向かって、歩き出した。

 心電図計がつーっと平行に流れ、その手を取っていた医師が首を振った。アール・ランディス・ハミルトン・ローゼンスタイナーは四六年の生涯に突然幕を下ろし、別の世界へと旅立っていった。やっと基礎が固まったばかりの赤ん坊の社会は、突然そのリーダーを失ったのだ。彼の死は、多くの人に打撃を与えた。二人のパートナーたち、子供たちや孫たちはもちろん、兄として慕っていたエヴェリーナにも、子供時代最後の碇が外れてしまったような思いとともに、深い嘆きをもたらした。
 一時期混乱に陥った中央委員会は、幾多の議論をかわした末、長いこと彼の補佐役をしていたアンドリュー・パーキンスに、二代目リーダーを努めてもらうことに決定した。


( 4 )

 十四年の時が流れた。子供たちは成長し、それぞれが新たな家庭を築いていた。
 アールが亡くなって十日ほどのち、ヴィエナは末っ子エイプリル・エイミーを連れて新しい居室へ移り、ほどなく結婚した末娘と一緒に暮らした。メアリは同じく末娘ジョスリン一家と、やはりもう少し小さい住居へと引っ越した。それきり二組の交流は途絶えたが、翌年の夏にはヴィエナが、そして秋にはメアリが、まるでアールの後を追うように、病で没した。しかし彼の子供たちは、そのころにはもう全員結婚していて、その後の十四年で、十九人の孫たちに恵まれた。オーロラの四人の子たちもすべて家庭を築き、十七人の孫が生まれている。アールとオーロラの子供たちの交差点であるアリステアとポラリス夫妻からも、アルシス・リンクのほかに、正常な男の子と女の子が二人ずつ生まれている。
 アドルファス・ローリングスがマデリーンとの間に残した娘メイベリンは十八才で結婚し、二男二女の幸福な母である。妹フローレンスには、二人の息子と娘が一人いた。彼女たちの母マデリーンもまだ健在で、フローレンスの一家と暮らしている。アドルファスとエディスの一人息子クレアランスはエヴェリーナのもとで育ち、専門課程を終えたあとは中央委員会へ行き、そのメンバーとなった。そして、結婚して一年後にノエル、四年後にエドウィンが生まれ、妻は三人目の子供を妊娠している。

 クレアランス・ルーク・バーネット・ローリングスは、二二才で結婚して独立した。今では第三世代は、結婚すると、親たちや未婚の弟妹と一緒に住む場合以外は、他のカップルと住居を分けあうことなく、一つの独立した居室を持てるようになっていたのだ。
 エヴェリーナは彼が家を出る時、ローリングス家のファミリートレジャーボックスを渡し、彼の亡き両親のこと、祖父にあたる人が残した、不思議な出来事の記録などを話した。
「そういうわけで、これにはアドルが鍵をかけちゃったから、あなたたちが何か追加することは出来ないんだけれど、大事に持っていてちょうだいね」
 エヴェリーナは甥に、その箱を手渡した。
「うん。わかった。僕の父さん母さんって、本当に偉大な人だったんだね、エヴィー伯母さん。そしてお祖父さんたちも。ああ、僕はこの家に生まれてきたことを、誇りに思わなくっちゃ」
 クレアランスは大事そうに箱を抱きかかえたが、やにわにそれを下へ置くと、エヴェリーナの両肩に手を回し、彼女を抱きしめた。
「今までありがとう、エヴィー伯母さん。僕を育ててくれて。僕は今まで、本当の父さん母さんって、実感があまりなかったんだ。でも伯母さんの話を聞いて、父さん母さんのことが、初めて僕の中で実体を持った気がするよ。でもね、僕にとっては伯父さん伯母さんが、僕の両親でもあったんだ。ああ、僕は人の倍、親を持てたんだね。うれしいよ」
「幸せにね、クレア」
 エヴェリーナはわが子同様に育てた甥の背中を、軽く叩いた。亡き弟に似た顔立ちのこの忘れ形見が、弟と同じ天真爛漫な愛情を示して、昔よくしたように自分に抱きついてきた時、エヴェリーナは自分の子供たちとはまた違う母の喜びと誇らしさと、弟への追慕を感じた。また一人子供が巣立っていった。それを見送る彼女は、そのたびに誇らしさと淋しさが入り交じった感情を覚えるのだった。

 エヴェリーナ自身の子供たちも、次々と独立していった。長男のダリルは二二才で結婚し、一度別の住居に移ったが、妹ヴィクトリアが結婚独立した後、両親の家に戻り、一緒に暮らしていた。彼は医療班のエキスパートとして活躍する傍らで、二人の娘マリアとジェシカ、息子エイドリアンの父親でもあった。この末っ子エイドリアン・ジョン・ラッセル・ラズウェルが生まれる時、非常な難産だった。赤ん坊は逆子で、さらに旋回異常を起こし、このままでは母子ともに死んでしまうという危機にさらされたのだ。
 妻の出産を見守っていたダリルは、いよいよ危ないという時になって、きっと唇を噛んで頭を振り、きっぱりとした口調でこう告げた。
「帝王切開しよう」
「え!」付き添っていた看護助手が、驚いて顔を上げた。
「帝王切開ですか? でも、まだ奥様は生きてらっしゃいますよ?」
「母親が死んで子供が生きている場合に、緊急避難でやるあれじゃない。僕はアンナを殺すつもりはない」
「でも、切ったら奥様は死にませんか?」
「だから、昔やっていた帝王切開をするんだ。妻も子供も助ける」
「できるんですか、そんなこと?」
「昔はやっていたじゃないか」
「でも今は、やっていませんよ。一度だって。あまりに危険すぎます」
「今だって、危険なことは同じだ」ダリルはあくまで譲らなかった。
「麻酔道具と手術用具を、ここに持ってきてくれ。これから帝王切開をする」
「やり方は知っているんですか? もし万一のことがあったら、どうするんです」
「やり方は知ってるさ。一度、その緊急避難での帝王切開はやったからね。それにDVDで、昔の手術の演習も見た。生体だから難しいとは思うけれど、もし万一のことがあっても、自分の家族だから自分で責任を取れる。さあ、早く!」
「はい」
 その強い口調に気おされるように、看護助手はロボットの助けを借りて、手術の準備をした。手術器具は明らかに長い間使われていなかったが、みな滅菌器の中で、新品状態で保存されていたため、すぐに使えた。麻酔は、とりあえずクロロホルムを使うことにした。
 ダリルはガーゼに薬品をしみこませ、妻の鼻と口を覆った。妻のアンナは苦痛のために朦朧となりかけていたような状態だったが、クロロホルムをかがせられると、すぐに意識を失った。ダリルは麻酔のきき具合を確かめてから、消毒液で手を洗ったあと薄い手袋を填めた。そのあと、妻の腹部を消毒し、メスを握った。
「器具はみんな消毒済みだね」彼は振り返って確認した。
「ええ。もともと滅菌器に入っていましたが、念のためさらに消毒液に浸しました」
 看護助手は緊張した面持ちで頷いている。
 ダリルはメスを妻の腹部に当てた。一瞬、重圧と不安に襲われたように、彼は手を震わせて止めた。その後、彼は大きく深呼吸をすると、唇をぎゅっとかみしめ、メスを握り直した。そして一瞬躊躇したように手を止めた後、思い切った動作で引いた。
 それは新世界初めての手術だった。その十数分間、はりつめた緊張感が部屋中に漂い、器具の触れ合うかちゃかちゃという小さな音の他は、静寂が支配していた。彼の手はもう震えず、その手際は非常に正確で、一つのミスも犯さなかった。
 やがて静寂を打ち破って、赤ん坊の声が部屋に響きわたった。ダリルはほっと大きく息をつき、赤ん坊の処置を助手に任せると、妻の縫合に取りかかった。
 この短い決断と勇気のおかげで、彼の妻アンナと息子エイドリアンはともに助かり、術後の経過も順調だった。それは新世界の医学において、今まで危険であるという理由で閉ざされていた分野が、再び開けた瞬間だった。
「やっぱり、これからの医療を考えたら、手術は避けて通れない問題です。この技術が定着できたら、きっと人々の死亡率も出産のトラブルも、もう少しは減るでしょう」
 ダリルは妻が退院したあと、医療班主任にそう訴えた。
「そうだね。でも、手術は難しいよ。一つ間違えば、人を救うどころか殺してしまうし、熟練する迄にはある程度場数をふまなきゃならない。やり方は昔の、医大の授業教材があったから、勉強は出来るだろうけれど、実践段階の実験は、たぶん無理だろな。第一、実験台になる患者は、たまったもんじゃない」
 主任は考え込むようにあとは黙ったが、ダリルの主張の正当さも認めている様な表情を、見せてもいた。
 中央委員会はこの問題でしばらく紛糾したが、最終的にダリルの主張は認められた。手術の実践練習は、献体してくれた死者を使ってやる。実際の手術にあたっては、危険を伴うことを患者や家族に話し、それでもいいという場合にのみ行い、失敗の責任は負わない。中央委員会でその案が承認された一ヵ月後、ダリル・エリック・ローリングス・ラズウェルを主任とした、医療班外科グループが発足した。そして彼らは、手術と言う未到の分野に踏みだしていったのだ。中にはあまりの生々しさに気分の悪くなるメンバーもでたが、しかし恐れずに進んでいった結果、さらに科学班が開発してくれた手術仕様の医療ロボットの救けも得て、数年後には帝王切開や盲腸、初期のガンの切除などの、簡単な手術技術が完成された。その結果、新生児死亡率は一割減少し、一般の大人たちの寿命も少し延びたのである。

 エヴェリーナの娘ヴィクトリア・ルイーザは、十八才の時に結婚の約束をした相手を病気で失うという悲恋のあと、二一才で教育班のフランセス・ジェームズ・セイモア・ゴールドマンと結婚した。そして彼との間に出来たアーサー・フェリックス、クリストファー・アンドリュー、ジェローム・ダニエルという三人の男の子のあとに、末娘エレーン・テレーザが生まれたばかりだ。ラズウェル家の末っ子ジュリアン・ウィリアムは農業班のエキスパートとして活躍し、妻との間に最初の子供が生まれていた。
 ファミリーは細胞分裂を起こし、雛たちはつぎつぎと巣立っていった。エヴェリーナはそんな変化が訪れるたびに、満足とあきらめ、それに淋しさが交錯したような気持ちを味わったが、すべての子供たちが幸せにやっているという事実を、喜んでもいた。
「ファミリーって、本当に樹のようね。幹から新しい枝がのびて、広がっていくから」
 末っ子が結婚してまもなく、エヴェリーナはフェリックスに向かってそう言った。
「そうだね。そしていくつもの枝が複雑に絡み合って、のびていくんだろうね」
 フェリックスは妻の肩に手を回しながら答えていた。
「そうね……伸びていくのよね、どんどん」
 エヴェリーナは軽く吐息をつき、子供の頃からの癖で手を組合せながら、そっと呟いた。
「苦難の時代はもう終わったのね。これからのあたしたちは、伸びていくだけ。そう。そうであってほしいわ、絶対に」

 季節は十二月になっていた。また一年が過ぎようとしている。第一世代の人たちがアイスキャッスルからシルバースフィアに逃れてきてから、もう六一年が過ぎようとしていた。その日は、アンジェリーナの命日だった。エヴェリーナは雪の降る外へ出ていき、娘の幻想だった“雪の鳥”の舞を見ていた。毎年、夫には内緒で、その日の午後に必ずそうしていたのだ。
 その日はとりわけ寒く、外には誰もいなかった。吹雪が舞う、身を切られるような寒さの中、エヴェリーナは外に佇み、亡き娘を忍んでいたが、寒さで感じがなくなってきたため、再び中へ入ろうとした。その時、雪の中に誰かが立っているのを認めた。薄色の靄の中から、青い影が近付いてくる。
「きゃ!」彼女は思わず小さく悲鳴を上げた。
「雪の女王……?」
 ふと、昔の幻想が襲ってきた。もう四十年以上前、小さな生徒エヴァの幻想。そのあとに見た夢。一瞬、背筋に冷たいものが走り抜けた。
 しかし、さらにその影が近付いてきた時、彼女は相手の正体に気付き、驚くと同時にほっとした。青い影のように見えたのは、相手の髪の色と、着ていたロイヤルブルーのセーターのせいだったのだ。
「ア、アルシス……どうしたの、こんな雪の中を?」
 少年はエヴェリーナを認めると、ちょっと驚いたように目を開き、ふっと笑った。アリステアとポラリス・ローゼンスタイナー夫妻の長子アルシス・リンクは、男の子としてコミュニティには認知され、十四歳に成長していた。夫妻はアルシスの下に、二人の息子と二人の娘をもうけていたが、それぞれに器量に優れたその子たちの中でも、アルシスの存在感は飛びぬけていた。その容貌も能力も群を抜いていて、どこにいても必ず目を惹き、その微笑みは見る人をひきつけた。磁力の微笑み――コミュニティの人々はそう形容した。
 アルシスは無言のまま髪や服に付いた雪をゆっくりと叩き落とし、再び相手を見た。
「寒くないの、コートも着ないで? そんな恰好で外にいたら、風邪を引いてしまうわよ。着た方がいいわ」エヴェリーナは気遣わしげに、そう声をかけた。
「雪がひどくなってきたよ。しびれるみたいな寒さだね」
 アルシスは手に持っていた白いコートを羽織り、言葉を継いだ。
「エヴィー小母さんこそ、どうしてこんな所にいるの? こんな日に」
「亡くなった小さな娘を悼んでいるのよ。今日はあの子の命日なの」
 エヴェリーナは問われるまま、アンジェリーナの思い出を語りだした。
「詞的な幻想だね」アルシスは、かすかに笑みを浮かべた。
「雪の鳥なんて、うまい形容だよね。その子がもし生きていたら、芸術味豊かな子になっただろうね」
「そうね……」エヴェリーナはいまだに喉元にこみ上げてくる塊を飲み下し、頷いた。
「でもさ」アルシスは平穏な目で彼女を見つめ、言葉を継いだ。
「悲しんでいても、仕方ないよ。それがその子の運命だったんだから。その子にしても、ここよりは向こうの世界の方が、幸せなんだし。それに、いつかはまた、その子にも会えるよ。生も死も、表層的な現象にしかすぎないんだから。『誰も生まれず、誰も死なない。ただその形態が変化しただけだ』って」
「あなたのひいお祖父さんと同じことを言うのね、アルシス」
 エヴェリーナは父の記録で読んだ、その下りを思い出していた。悲嘆の中にいる父を勇気づけたその信念が、少年の口から再び出てきた時には、なぜかずいぶん冷静な響きのように聞こえた。
「あの人も、きっとそう言うと思ってた」アルシスは髪を振りやって笑った。
「だって、同じ教えを受けてるわけだからね、ぼくたち。元々同じ人だし。あの人は情動の本体で、ぼくは理性分身、彼女の影なんだから。Arthis女王、 Arthisつながりって、ミドルネームから、ぼくたちの関係を語っているよ。偶然、じゃないよね、これはきっと。小母さんに言っても、わからないだろうけど」
 エヴェリーナが返事を探している間に、アルシスは再びにこっと笑って、言葉をついだ。
「小母さん。中へ入らない? ここは寒いから。何も小母さんまで、その子の二の舞することないと思うけど」
「え、ええ……そうね」
 エヴェリーナは頷き、ドアを開けて中に入っていった。




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