Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 4  AGE Purple (紫の時代) (5)




 アールは虚無の空間を歩いていた。ここはどこだろうと、いぶかりながら。あたりは暗く、足の下にも頭の上にもなにもなく、ただ宝石箱をまいたように、星があちこちで瞬いている世界――。
 遠くに、誰かが立っている。近づいていくと、その姿がはっきりとわかった。膝の辺りまで届くような、光の色をした長い髪、頭の両サイドに半インチほどの幅で、青い色がすっと流れている。見覚えのある顔だ。直接的には会ったことがなくとも、写真や映像で何度も見ている、あの面影にひどく似ている。目の前の相手はたしかに人間的な表情など、もうなくなっているが。
「お父さん……」
 アールは思わず手を伸ばして、呼びかけていた。だがある程度までの距離しか、近づけない。アーヴィルヴァインの衣装を白くしたような長いローブ、胸元の宝玉と金色の飾り、頭には金色のカチューシャのように見えるものをつけ、その両翼には虹色に光る翼のような飾りが着いている。そして左手に、装飾のついた黄金の杖のようなものを持っていた。その人は、静かな眼差しでアールを見ていた。ジャスティン伯父の日記からイメージしていた父親像ではない。おまけに今、目の前にいる人は、男性的な要素などまったくない。完全に性を、人間さえも超越したその姿は、自分の父親とはとても呼べそうもないという認識を、強烈に呼び覚ました。
『お父さんはもう姿が変わってしまったから、向こうに行っても会えないのかしらね』
 双子の妹オーロラが死の一ヶ月前に、そう言っていたことが思い起こされた。アールは固唾を呑み、ただ目の前の人を見つめた。たしかに会うことはできたけれど、この人は光の民の神官長で、アーディス・レイン・ローゼンスタイナーとしての父ではない、と。
「アルフィアル……アルティスマイン……レフィアスさん……?」
 アールは思わず、そう呟いていた。
「もう、僕のお父さんじゃないんだね……?」
 相手はふっと微笑した。慈愛に満ちた美しい微笑を。そしてゆっくりと空いたほうの手を差し伸べた。「あなたがわたしの子供であることには、変わりはありませんよ。アール……アール・ランディス・ハミルトン・ローゼンスタイナー。地球では、ついに会うことはなかったですが」
「僕を知っているんですね!」
「ええ。記憶も思いも、すべて残っています。太古に戻って見た、一晩の夢のようなものですが。わたしの一部はつい先ほどあなたの孫として、もう一夜の夢を見るために去っていきました。こちらは起源子よりは三倍ほど長生きですが、それでも地球人の生は、はかない夢のようなものなのですよ。でも起源子の生では、わたしも初心に返って、かなり新鮮でした。忘れていた原始の情動を、思い出しました。ここ一億年以上もの長い間、アクウィーティアやクィンヴァルスで生まれ変わるたびに、わたしは神殿の神官長で、穏やかに幸福に暮らしていましたが、その間に感情の激しさを忘れてしまったようですね。でもわたしにも、かつて生々しい情動に支配されていた時代があった……遠い昔に。そう、わたしが適合子であった頃、そしてあなたと同じステージにいた頃からエルファヴィースたちを見送った頃まで、そしてクィンヴァルスの聖戦の頃のわたしを、思い出させてくれました」
「そう……」アールは頷きながら、畏怖とともにかすかな安堵も感じていた。少なくとも相手は自分のことを覚えていてくれる。
「お父さん……とも、もう言えないけれど、僕……」
「わかっています。あなたの思いは。わたしはここであなたに会えて、良かったと思っています。あなたのイメージする父としての姿で、あなたに会うことは出来なかったですが。でも、あなたの休息所に行く前に、わたしも一度あなたに会いたかったので、ここへ呼んだのです。今のわたしは、あなたの休憩場所に行くことが出来ませんから」
「ここは、どこですか……?」アールはそう問い返した。
「ここは、選ばれた四人のための交差点。かつてジャスティンとも、わたしはここで会いましたが。彼が書いた記録に、そのことが書いてありませんでしたか? ここは彼に会った場所とは違い、光の子供たちの路からは外れていますが。あの時は彼に、光の子供たちの行進を見せたかったので、あえてあそこの場所にしたのですが、ここはその裏側、と言っていいでしょうか。まあ、空間もここはあやふやですけれどね」
「そうなんですか……」
 アールは少し息をのみ、頷いた。ジャスティンが重病で倒れる直前、夢で父に会った。その記録は、日記に残されている。『異次元の、真宇宙とでも言うべきだろうか。次元的には、あの世と同じ場所に属してる。物質世界じゃないところ』『このエリアは言ってみればトワイライトゾーンみたいなところで、あの世とこの世がクロスできる場所、凄く特殊なエリアなんだ。僕らの側からは資格がいる。そっち側からは、資格を持って呼ばれること、それと同時に、かなりこっち側に近い状態になってることなんだ』そう父が言っていたという、あの場所――。
「あなたは……普段はどこにいらっしゃるんですか?」
「指定席、とわたしは呼んでいますが、正式な名前は御子の繭という、特別な場所があるのです。地球人の休息場所でなく、アクウィーティアンのそれでもない場所が。それは先達の光が起源子としての生を終えた後、最後のステージに行くまで、影とともに待機している場所です。いずれあなたも起源子の生を終えると、そこに行くことになりますが、そこは泡のような独立した空間で、神殿の広間に似たような作りですが、周りには宇宙空間が広がり、広い窓を通して見ることができます。そして壁と床に、鏡のようなものがあり、そこから地球の様子も見えます。現実の宇宙空間とは、違う次元にあるのですが。あなたがたの様子も、見ることが出来ます。その鏡に向かって軽く念じれば、そこに映るのです。ですからわたしも、シルバースフィアの様子をずっと見てきました」
「そうなんですか……」アールは再びそう繰り返した。
「他にすることもありませんしね」アルフィアはふっと笑った。
「まだヴィヴァールはそちらの世界で生きているので、今のところわたしだけしかいませんから」
「寂しくないですか?」思わずそんな言葉が漏れた。
「心配してくれるのですか? ありがとう」相手は緩く微笑する。
「そうですね。今のところ孤独ではありますが、疎外感はともなわないので、それほど寂しさの感情はありません。話し相手がいないのが、少しつまらないとは思いますが、そろそろヴィヴァールも来てくれるでしょうし。まだ起源子の姿と心の状態でいた時には、単調だなーと、思いましたが。今より多少原始的な情動が強かったので。でもあの時には、時々地球人の休憩場所へ行けましたしね。今は無理ですが、でも同時に、わたしも少しは耐えやすい心理状態になりましたので。指定席から、御子の繭から、これから四千年近くの時を、わたしたちはずっと見ていくことになるでしょう。あなたたちがこれから育てていく世界を」
「僕たちが……育てる世界を?」
「ええ。そして時が来たら、また現世で会いましょう。約束の時が来たら。その時は父と子では、もうないですが。でも、あなたとわたしが今、親子の関係になったのは、偶然ではないのです。わたしはかつて遠い過去で、あなたの立場に生きていたし、あなたもまた遠い未来で、わたしを生きることになるのですから……」
「うん。アーヴィルヴァインさんから、詳しい話は聞いたけれど……」
 アールは漠然と頷いた。激しい不安を抱きながら。
「わたしもかつて、アクィーティアの新世界が始まった頃、ヴェリアから話を聞き、そして生と死のトランスで、こうしてエルファス、いえ、エルファヴィーティス・ラフィートゥバルディ・ロリンティスに会いました。わたしはあなたの場合と違い、一才になるまで父は生きていたのですが、なにぶん幼かったので、その頃のステージのわたしでは、そこまで記憶がなかったのです。ですから、今あなたがわたしに対して抱いている思いは、理解できます。その時のわたしも、あなたと同じ気持ちでしたから。そしてこれから先を考えると、大きな不安でした。わたしが遠い将来に、彼の役をやれるのか、それがとりわけ怖いことでした。でもエルファヴィースは、『大丈夫。私も、かつてそうだったのだから』と言ってくれました。これは、つながっていく環なのです。エルファスの前には、十一回の連鎖がありました。エルファヴィースからわたしへが、十二回目、わたしからあなたへ、それが十三回目。そして、あなたが最後の輪となるはずです。二億年はたしかに長い年月ですが、いずれは来てしまいます。それゆえ、わたしもエルファヴィースと同じことを、あなたに言います。怖れる気持ちはわかります。しかし、心配することはありません、と。地球にいた頃、こんなことわざを知りましたっけ。『案ずるより産むがやすし』そう、行動するより前に、あれこれいろいろと悩むのはあまり益がないですよ。やってみれば案外、出来るものです。たとえ感情の海の中でもがくにせよ」
 アルフィアはふわりと微笑した。慈愛と優しさに満ちてはいたが、どことなくいたずらっぽい微笑の中に、アールは自分がイメージしていたアーディス・レイン・ローゼンスタイナーの笑みを見たような気がした。
「ありがとう、お父さん。僕を励ましてくれて」アールも思わず微笑をこぼした。
「でも、大変だったろうね。故郷から一人で遠く離れて、重い宿命を背負って、それを誰にも言えなかったなんて。キャリアは華やかでも……それで幸せだったの?」
「幸せでしたよ。ヴィヴァールに言わせると、わたしは基本的に何でも楽しく感じる性格のようですから。地球での生活は楽しかったし、幸せを感じる瞬間も本当にたくさんありました。ただ、原始的な情動の扱いには、いささか手を焼きましたが。なぜこんなに生々しい感情を感じ、なぜ心がこれほど乱されるのかと。やはりグランドパージは、恐ろしかったです。それが真の救済であることも、本当の意味もわかっているし、他に道はない。そうわかってもなお、なぜ目先の悲劇に惑うのだろうと、かなり情けなく、悲しかったです。もしわたしが死ぬことで地球の滅びが回避できるなら、喜んでそうしたでしょう。しかし、どの道、滅びは避けられないのです。むしろわたしが死んだ場合、もっとはるかに広範囲の、徹底的な滅びになってしまうので、退路は断たれている。道は一つしかない。しかし、パージを真の祝福なのだと、割り切ることは出来なかったです。自分の存在意義の重さを考えると、思わず震えるような怖さを感じました。自分には負いきれない……思わずそう言ってしまったくらいですから」
 アルフィアは優雅なしぐさで頭を振り、続けた。
「しかし、それは今あなたが知るべきことではありませんね。それは最後の答えに属するものです。あまり深く考えないでください、今は」
「そうなんですか……」
「しかし、わたしは一度、恐ろしい賭けをしてしまいました。起源子は絶対にパージ前に死んではいけないのに。たとえそれでパージが起きてしまっても、それは避けられない犠牲であり、そして光の路を開くために不可欠なのです。しかしそれゆえ、闇の力の妨害は激しいのです。起源子時代、何度か命の危機はありましたが、最大のものはロンドンでの銃撃でしたね」
「ああ……あれは死んでもおかしくなかったと、ジャスティンさんも書いていた……」
「ええ。なぜあんな解決法をとるのだと、あとでヴィヴァールに叱られましたが。でも、あの中にはエミリー・ライトさんがいたので。ソフィアさんとノーマさんの姉妹のすぐ近くに。あの子があそこで死んでしまったら、そこから先の未来が狂いますから」
「ええ。その話は、ヴィエナから聞きました。それだから……あなたはエミリーさんを殺させまいとして、自ら銃口の前に立ったのですか……?」
「ええ。でもそれは、もう一つの方法でも回避できましたが。わたしがあの時、一度ホテルの部屋へ帰る、と言えば。忘れ物をしたとでも、気分が悪いとでも、なんとでも言えたと思いますし、二、三十分なら待ってくれたでしょう。その間にあの邪魔な物販車は、ホテルの関係者によって退かされたはずなので、その後なら、すぐに車に乗り込めたでしょうから」
「それなら、なぜあなたは、あえてそうしなかったのですか……?」
「最初は、そうしようと思いました。でもその場合、コンサート会場の外で爆弾テロと銃撃が起きて、百人ほどの人が犠牲になってしまいます。それがわかったので」
 アルフィアはふっと目を閉じて首を振った。
「そこで犠牲になる命は、すべてが五年先に、グランドパージが起きた時に終わってしまう命ではあったのですが、それでもわたしは、そこで終わらせたくはなかったのです。誰も犠牲者がいない方法をとりたかった。そう。わたしは、そこで死ぬつもりはなかったですから。ひとつ間違って弾丸に心臓を直撃されたら、いくらわたしでも無理でしたが、そうはならないという確信がありました。少しでも外れさえすれば、身体を死なせない自信はありましたし。あの時には最後のオタワの時と同じく、かなり肉体の枷が弱まっていましたから、自己ヒーリングも使えましたしね」
「だから……肺が再生したんですか? 花に埋もれて眠る夢というのは、ジャスティンさんも書いていたけれど、それはヒーリングドリームなんですか?」
「ええ。あれは身体の損傷が一定限度を超えた時に発動する、ヒーリングモードなんです。わたしも起源子時代は本当に無力でしたが、身体を死なせないための、最低限度の力は持っていましたから。力の種類は違いますが、薬でショックを起こした時も、ダメージの進行を少し遅らせ、携帯電話を手元に移動させるくらいは出来ました。それは本当にピンチにならないと発動しない力ですが、あの時にはずっと放っておかれたらさすがに厳しい、そう感じましたので。弾丸を半分不発に出来たのも、同じ念動の力なのですが、あれが精一杯でした。ですから結構わたしも、起源子時代には綱渡りをしてきたのでしょうね」
 アルフィアは少し苦笑するように笑った。
「そう。起源子の心は、そしてわたしの今は、大きく情動に傾いてしまっているので、まだ少し不完全なのです。起源子に転生する時、少し因子が足らず、魂のすべてを入れることが出来ませんでしたから。それで理性部分を三分の二ほど落としたのです。それは小さな青く光る球になり、私の分体転生、アルシス・リンクが生まれるまで、指定席でわたしの傍らにありました。あの子が生を終えればその球は戻り、わたしは完全になります。それゆえ今のわたしのクラウンは、通常より細いのです」
「クラウン?」
「わたしたちの頭の両翼に生えている、色違いの髪の毛をそう呼ぶのですよ。あなたとオーロラにも、不完全なクラウンが遺伝しましたが、わたしたちの場合は左右対称で、ヴィヴァールの髪に生えている、緑の毛もそうです。わたしのクラウンはこのように青なのですが、今は細いです。アルシス・リンクが戻れば、この倍の幅になりますが。それは完全体の印なのです」
「そうなんだ。でも、あなたがお父さんだった頃にも、その青い髪は、生えてきていましたよね。途中からですが。それは……?」
「力の波動の影響でしょうかね。いったん肉体の枷が弱まって、わたし本来の力が多少なりとも発動するような状況になると、身体の中のアクウィーティアン、本来のわたしが活性化されてしまうのです。地球人的要素を押しのけて、本来のわたしにより近くなってしまう。それゆえですね」
「そうなんですか……」
「起源子の身体の十五パーセントは地球人由来ですが、いったんアクウィーティア人由来の要素が活性化されると、そのパーセンテージが少し変わってしまうのです。セルフヒーリングで復活した後のわたしは、そのせいで五パーセントほど地球人要素が減じてしまいましたから。そこまで行くと、わたしのすべてが入るのですがね。でも、生まれた時には不完全だったので。それゆえ起源子は、そして今のわたしは多少、理性的部分が弱くなっています。ただでさえ、わたしは理性的ではないので、わたし本来の傾向に拍車がかかっているとも言えます。止めるものがあまりないので。知っていますか? 今、あなたとオーロラの孫になっているわたしの分体は、わたしのシャドウ、情動を超えた正義と理性。それが具現化したものなのです。だから人には多少情が薄いと思えるかもしれませんが」
「そうなんだ。まだ、生まれたばかりで、わからないけれど」
「そう。そして、それがあの子の個性ですね、あの子は生まれたばかりの新世界を、実質的に導いていかなければならない。それゆえ理性分身の方が、都合がいいのです。しかしそれは、わたしにとってはシャドウですから、わたしの一部ではあるけれど、普段意識しない部分でもあるのです」
「そうなんだ。そうすると、アルシス・リンクは理性の分身で、あなたは情動の本体、なのですね。僕のお父さんとして生きた……」
「そうです。わたしもいろいろと転生してきましたが、起源子の人生は、めまぐるしくて、情動が強くて、そして短い。力は使えないし、原始的だし、いろいろ不自由で、本当に無力で心細い。生まれた瞬間から、そう思いましたが。でも、アール、わたしは本当に、幸福な人生を送ることが出来たと思っています。重い宿命はありましたけれど、神官長としての静かな、ある意味単調な生活に慣れきっていたわたしにとっては、非常に刺激的でした。原始的な遊び、会話、ゲーム、食物、娯楽、ファッション、どれも新鮮で、楽しかったです。とうの昔に、忘れてしまった感覚でしたから。それに音楽。あれはわたしにとっては、一種のミサや伝導の原始的な形と同じでしたから、自分が解放されたようで、とても幸福を感じましたっけ。アルディーナの頃から、歌うことは好きでしたしね。何も知らなかった頃も、そして宿命を知った後も、ただ行くしかない、そう覚悟を決めてからは、もう、その幸福を妨げるものは、何もありませんでした。短い、私たちの感覚からすれば、本当に短い人生でしたが、中身は濃かったと思います。何と言っても、最後から二番目、いいえ、実質は最後の人生に、自らの原点に帰り、忘れていた感覚を思い出させてくれた。ええ、十分有意義で、幸福な人生でした」
「良かった……」アールは心から、安堵のため息をついた。
「ありがとう、わたしのことをそこまで思ってくれて」アルフィアは再び微笑した。
「ところで、あなたの休息場所へ行ったら、アール。一つだけ頼みがあるのです。わたしは以前、ジャスティンと約束をしたのです。次の段階の知識を、アールを通じて教えるからと。だから、彼に教えてあげて下さい。ヴィヴァールがあなたに語った話を。どうしてわたしたちが地球に来たか、そしてグランドパージの本当の意味と、その秘密を」
「はい。きっと、そうします」アールは力強く頷いた。
「わたしはあの時、彼にあの段階までしか知識を明かせなかったことに、少しほっとしていました。起源子の意義、その解釈によっては、わたしがグランドパージのトリガーととられてしまうかもしれない。それを怖れたので。そうとられてしまうと、彼はわかってはくれるでしょうが、しかしいささか複雑な感情を呼び覚ましてしまいそうな気がしました。そう、わたしは親友を失うのが怖かったのです。やはり、今出ている理性分身の助けがないと、わたしも完全にはなれませんね。ことに原始の状態では」
 今度の微笑みは、少し自嘲的なものも含まれているようでもあった。
「アルフィアル・アルティスマイン・レフィアスさん……あなたはやっぱり、僕のお父さんなんだね!」
 アールは思わず、そう叫んだ。目の前にいる、いかにも浮き世離れした、神々しくさえある相手は、しかし彼にとって見も知らぬものではなく、紛れもない彼の父親――姿や属性が変わってしまってもなお、彼がイメージしていた人間アーディス・レイン・ローゼンスタイナーの精神性を有していることが、はっきりと感じられたのだ。
「魂は植物の球根のようなものです。しかし植物と違って、永遠に枯れることのない球根です。現実の生で形成される自我は、そこから生える花のようなものです。自己を反映する自我ですから、あまりかけ離れたものにはなりませんよ。その生を終えても、その精神はしばらく残っています。こちらの世界で。その精神がイメージを作り出し、こちらの世界で活動することになるのですが、それはだんだん減衰して溶けていきます。そして最後には小さな球になり、転生して、新しい意識に生まれ変わります。この時に、以前の知識や記憶、認識はリセットされた状態になるのですが、転生を重ねて魂が成長していくと、だんだん減衰の仕方がゆっくりになっていき、最後にはまったく同じ力を持ち続けることになります。こちらへ来ても向こうへ行っても、意識がつながって変わりなくなります。わたしももう一億年近く前から、そういう状態になりました。普通はそうなると、次の段階、進化の究極、昇華へと向かうのですが、わたしとヴィヴァールは次のステージまで昇華できないので、このままなのです。ですから起源子自我も、意識の上ではつながっているのですよ。地球への転生なので、表面上の意識は多少変形していますが」
「そうなんですか……」
「しかし意識的な本質は同じでも、今はわたし本来の姿に戻ってしまったので、起源子的な話し方は出来ませんけれどね。今のわたしは長年染み付いた神官長としての自分で、地球の起源子、ロックシンガーではないですから。わたしは気に入っているのですが、あの身体であの環境でないと、やはり違和感があります。肉体の方は本当に一時的なものなので、元に戻らざるを得ませんでしたし」
「そう……なんだ……でも、なんだか……ほっとしました」
 アールは微笑をもらした。
「むしろ覚醒時に、アヴェレットやセディフィリアのような、一度溶けた原始自我を一時的に蘇らせた方が大変でした。ただそれも完全に溶けたわけではなく、小さな球のような形で記憶の中に残っていますから、物理的な肉体があれば、できるのです。しかしあれには、特に深い意味はないのですよ。ヴィヴァールが言ったように、ただ彼らに認識の行く末を見せたかったのです。ついにここまできたことを。それは起源子自我に間接的に知識を与え、統合させるための時間稼ぎでもありました。わたしと意識の障壁がそれまであったので、あなたはわたしであり、わたしはあなたなのだ。その認識と統合に、少々時間がかかりましたから。本来のわたしから起源子へと転生した時、最初は地球環境に適応させるため、わたしの一部を一度知識から切り離し、起源子自我として発展させたのです。そしてわたしの核になる部分は、いわば眠った状態で、夢を見ているようにその体験を共有していました。ですが、いつまでも切り離した状態では先へ進みませんので、時期を見て統合する必要があったのです。しかし表面上の彼の認識は、一度切り離してしまったために、わたしの存在を最初は怖がったので。ただ、その意識もわたしには違いないのですが」
「なんだかその辺は……複雑だね」
「実際はそうでもないですよ。元は同じなので。人の心には、いろいろな自分がいますからね。ただ自我意識が別になってしまうと、セディフィリアが言ったような対話というのは、できないですけれど。わたしの自我たちはどれも、同時には咲かない花ですから」
「同時には咲かない花……」
「ええ。それは進化していく花です。そして進化がある程度進むと、それは枯れない花になる。場所は変わっても、ずっと咲き続ける花に。しかし、わたしもアルディーナの頃から、精神的にも物理的にも多少進歩はしたと思ってはいますが、困ったことに、ずっと咲き続ける花になっても、基本的な気質傾向はあまり変わりません。エルファスやあなたは、もう少し真摯で真面目な人だというのに、わたしはどうもいろいろと余計なことを思ってしまう。それに物事を理論立ててみるのは、あまり好きではないのです。よく、ヴィヴァールに言われましたっけ。あなたはいささか情緒的でありすぎると。わたしはきっと、起源子としては一番の問題児だったでしょうね。パージ前に一つ間違えば死にかねないような危険を何度も冒してしまうし。それに、迷いは振り切ったはずなのに、最後の三十分になってパニックに落ちるとも、思いもよりませんでした。重さに耐え切れないと、あの時は思いました。でもロブが、もっとも適切な言葉をかけてくれましたよ。『そのまま続けていくしかない』と。それはロブを通じた聖なる母の言葉、そしてアクウィーティアの人々の思いのように感じました」
「最後に楽屋に戻っていってしまった時だね。ジャスティンさんも書いていたけれど」
「そうです。ですが、その時わたしが楽屋で何をしたのかは、彼は知らないでしょうけれど。あまり人には見られたくない姿でしたね。ロブやスタッフたちには、見られてしまいましたが。それでステージに戻った時、次の曲はもうイントロが始まっていて仕方がなかったので、その次を『Abandoned Fire』のリプライズにし、youをmeに変えて歌いました。自分を奮い立たせるために。もう行くしかないのだ、と。アンコールになってからの選曲は、わたしに任されていましたから。『Abandoned Fire』から『A Paradise in Peace』『Fancy Free』そして『Evening Prayer』リプライズ。最後の三つは、沈み行く世界のために。わたしにできることは、それだけしかありませんでしたから……」
「そうなんだ……」
「それでも、なぜこんなことに……なぜ、こんな運命なのだろう。その意識は、最後まで残りました。わたしは、選民という言葉は嫌いです。神に選ばれた、という意味では正しいのですが、そしてそれは確かにとてもありがたいことなのですが、それはむしろ生贄のようなものなのかもしれない。そう感じることさえあります。起源子のころ、わたしは言いました。『仕方がないことだと思っている。他には道がなかった。それに最終的にはきっと幸いになる。そう、九十パーセントはそう信じてるけど、残りの十パーセントは、やっぱり割り切れない』――今もそう思っています。パーセンテージは変わっていますけれど。割り切れない部分は、今は五パーセントですね。分体が戻れば、きっと一パーセントくらいになると思います。それでも、やはり百パーセント確信することは、わたしにはできないでしょう。最後の最後まで、心の隅で思ってしまうのです。『祝福には違いないけれど、犠牲でもあるのだろう』と。たぶん本当に幸せなのは、聖なる輪に加わることなく、文明を暴走させることなく、母星の自然と調和できる民。本当に稀ではあるのですが、もしそういう民が生まれたなら、それこそが楽園であり、真の勝者であるのかもしれないと」
「聖なる輪に加わらず、文明を暴走させず、母星の自然と調和できる民……?」
「ええ。それは選ばれない民のパラダイスですね。生物の進化には、大絶滅は避けて通ることは出来ないものですが、当事者にとっては好んで遭遇したいものではありません。いくら魂は生まれ変わるといっても、その人、その自我にとっては、人生は常に一度きりです。グランドパージの時に生きていた六十億の自我は、さぞ無念だっただろうと思いますし、その悲劇を選民の祝福なのだから喜べ、とは、とてもわたしには言えません。でも母なる神は非常に寛大な方なので、わたしのようなものをも認めてくださっておられるのが、幸いですが」
 相手は再び微笑し、衣装の胸の辺りをさしながら、言葉を継いだ。
「このシンボルは、その刻印なのです。神に選ばれた十三の民の」
「ああ、それはお父さんたちのバンドロゴの、星の中のマークだね」
「昔、ジャスティンにこのシンボルの意味を聞かれて、わたしは『聖なるマザーの輪。選ばれたものが引き継ぐシンボル』と答えました。そう、これは聖太母神に選ばれた十三の星の民に共通のシンボルなのです。アクウィーティアの国旗にも、このシンボルは描かれています。同じ星の中に。モチーフは変わらないのですよ。子供、星、シンボル。細かい意匠や構図が、少し変化しているくらいです。これがヴィヴァールの言う選民の証、輪の一部であることの証なのです。あなたもいずれ、このシンボルを引き継ぐことになるでしょう」
「そうなんだ……」
「では、そろそろ行ったほうがいいでしょう、アール。あなたの休息場所に。四千年の時が流れるまで、わたしはあなたに会うことはないでしょう。現世でも、そしてこの世界でも。でも、あなたのこれからの幾多の人生を、わたしはいつも見ています」
「はい……ありがとう」
 アールは頷いたが、やっと出会えた父のもとを離れ去るのは、名残惜しかった。そうしなければならないのはわかっていたし、また彼が渋ったとしても、相手が行くべき世界へ押しやってしまうだろうと悟ってはいたが。
「アルフィアさん……本当はアルフィアさまって、呼ばなくちゃいけないのかな。アーヴィルヴァインさんでさえ、そう呼んでいたもの。でも僕の休息場所へ行く前に、一つだけお願いがあるんだ」
「敬称はいりませんよ。ヴィヴァールがあんなもったいぶった呼び方をするのは、あの人の性のようなものですから、わたしもあきらめていますが」
 アルフィアはふっと微笑み、言葉を継いだ。
「それで、あなたの願いというのは何ですか、アール?」
「あなたたちの故郷が見てみたいんだ。あなたとアーヴィルヴァインさんの故郷を。あなたはまだお父さんの姿だった頃に、ジャスティンさんに言ったって書いてあったから。見せてあげられたら手っ取り早いけれど、今は時間がない、と。ここに長いこといると、戻れなくなるから……でも今の僕は……戻れるのですか? もしもう間に合わないのなら、時間は気にしなくていいから……だからお願い、見せてください。あなたたちの故郷を。光の民の故郷を。僕は、僕の父親だった人の魂の故郷を、見てみたいんだ」
「あなたは細かいことを、よく覚えていますね」
 相手はかすかに苦笑を浮かべた。
「そうですね。少しくらいなら可能です。それに、あなたの人生では、もう現世に戻ることはないですから、少しくらいここに長くいても、大丈夫なのでしょうね。わかりました。わたしたちにとっては、もう帰ることのない故郷を……アクウィーティアの記憶は二千万年ほど隔たってしまいましたので、より生々しく残っている方の、クィンヴァルスを見せてあげることにしましょう。そのほうがより簡単ですから。ただ、少々異質な世界ではありますが」
 アルフィアは静かに後ろへ下がり、その場に座った。目を閉じて両手を組むと、目に見えない光のシャワーがあふれ出す。そして不意に周りの景色が一変した。




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