Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 4  AGE Purple (紫の時代) (4)




(そしてもう一つ、あなたに告げなければならない、重大な事実があります。グランドパージはいわゆる整地ですから、そこにまくべき種がなければ起こらない。つまり、その時に起源子が生存していること、それがパージを起こす条件になるのです)
「ええっ!」
(そう。なぜグランドパージが起きるのか、それがわかれば理解できると思います。グランドパージは地球が我々の後継の民となるためにくぐらなければならない、いわば通過儀礼です。我々の後継となるためには、我々の因子が地球人のそれと混ざり合い、最終的な変容を遂げるまで、伸びていかなければならない。数千年後に滅びてしまう人類では困る。地球と、地球人類が半永久的に生きながらえるために、また、我々の因子の融合と最終変容を助ける放射性変異を起こさせるためにも、グランドパージが必要となるのです。しかし、その受け継がれて行かねばならない我々の因子がなくなってしまったら、どうなりますか? もはや地球は、我々の後継にはなりません。グランドパージを起こす必要も、なくなるわけです。この場合、過去のタイムスリップ自体が起こらなかったこととなり、残った五人の記憶から消えます。もちろん新世界も)
「そ……う」アールは頷くのがやっとだった。
(ただしその結果、数千年の退廃した文明が続き、やがて自然収束して行くという、他の星のような結末にはならないのです。その結果は……恐ろしすぎて、とても言えません。地球が我々の後継でなくなることは、この宇宙全体にとっても、致命的な失策となります。選民の星は、常にただ一つの輪でつながれてきている。それは宇宙が始まって以来、連綿と続いている掟です。我々アクィーティア・セレーナから、後継の星のパイロットとなるべく定められているのは、アルフィアさまと私、ただ二人だけ。そしてその後継の星とは、この地球。それ以外の選択は最初からありません。与えられたチャンスも一度だけ。もし万一失敗し、チェーンが切れてしまった場合、どれほど重大で恐ろしい事態となるのか……グランドパージは、その時に生きている人々の命を断ちますが、魂は救う。しかしチェーンが切れてしまった場合、すべての魂を滅ぼすことに……恐ろしい、恐ろしいことです。そう、今ははっきりと言うことが出来ませんが、最後の答えを知る時、その意味も悟るはずです)
「最後の答えを……?」
(ええ。四千年後の未来世界で、私たち四人が交差する時に)
 相手は一瞬の沈黙を置いて、再び言葉を続けた。
(二つの世界をつなぐ、ただ一つの輪。それが起源子の持つ意味です。それは、非常に重い宿命なのです。グランドパージは神の祝福です。はっきりとそう言えます。しかし地上から六十億の民を、動物たちさえも一気に抹殺する、その事実だけみれば、たしかに衝撃的な悲劇でしょう。文明を一気にゼロに戻してしまい、一万人にも満たない生き残った人間たちが苦難を経て、そこから立ち上がっていかなければならない。その時代を生きる人たちすべてにとって、グランドパージは悲劇以外のなにものでもありません。ですからアルフィアさまが覚醒された時、起源子としてのあの方は、一瞬思ったのです。滅びはどうしても避けられないのか、何がトリガーなのか、と。しかし、地球が今の文明のまま栄えるという選択肢はないのです。後継に選ばれてしまった以上は。グランドパージを回避すると、もっと重大な事態を招く。地球を選民の列からはずすことは、地球人たちにとっても、また我々にとっても、ひいては宇宙全体にも、取り返しのつかない致命傷になってしまうのです。それは、闇へと続く道です。広い、けれどもすぐに徹底的な破滅が訪れる。そう、起源子の存在は重いのです。あの方がおっしゃったように。しかし、屈するわけにはいきません。このまま進むしかない。その結論は、最初からわかっていることなのですが、それを心から納得するために、そして今までのご自分と、その知識を自我意識に統合するまで、多少の時間がかかるのは致し方ないのです。むしろあっさり納得できる起源子の方が、少々危ないと私は思いますが、それも個性なのでしょうね。実際そういう方も、何人かはいました)
 アールは言葉を探したが、何も言えなかった。幻影は語り続けている。
(自らの存在の重さに押しつぶされず、その悲劇も苦悩もすべて乗り越えて、悲しむ慈愛の心と、より気高い使命のために進んでいける精神の強さとが、起源子には必要なのです。その光の強さで、その接触を通じて、人々の魂に光の種をまくのですから。しかし我々の使命の前には、妨害しようとする闇の力がつきものです。光と反対のもの、すべてを破壊する力が。闇の力は常に存在しますが、真に危険なのは起源子の時代だけです。ただ一つの輪、ただ一つのチャンス――ことに時がたつにつれ、闇は強大になっていきますから。パージが起きる前に起源子が死んでしまうことは、闇の勝利です。生きて通過儀礼をくぐり、初めて光への路が開けるのです。それゆえ、闇の妨害も激しくなります。光の継承を断ち切ろうと。しかしいったんグランドパージが起きれば、いかに闇が妨害をしようと、次のステージまで行くことが出来ます。そのステージの最後にパイロットが旅立ってしまえば、その使命は完遂されるのです。我々も起源子期を無事に超えたので、私は心から安堵しています。一度は非常に危険な事態になりましたが、無事に切り抜けましたしね)
「ああ……父がロンドンで殺されかかった時のこと?」
(ええ。あの時は私も警告に行きましたし、アルフィアさま自身も危険を悟っておりました。しかし、あの方はどうも情動的過ぎて、とんでもない解決法を取ろうとする。まったく、肝を冷やしましたよ、私は。博愛主義なのはいいのですが、彼女は度し難い楽天主義者でもありますから。困ったものですよ。昔からなのですがね)
「そうなんですか……」
 アールは思わず苦笑気味に頷いたが、ふとある疑問が頭をもたげてきた。
「でも、でも、アーヴィルヴァインさん。あなたがたの遺伝子を残すことが、その……グランドパージの目的ならば、その時には、もうすでにロザモンド姉さんが生まれていたわけですよね。姉は結果的にアイスキャッスルで死んでしまったけれど――あの時点で、もし父が死んでも、姉がアイスキャッスルを生き延びられたら、カタストロフは起きたのでしょうか……?」
(いいえ、残念ながら、ロザモンドさんには最初の一年間を生き延びる力はなかったのです。初めから、それはわかっていました。どんな形であれ、子供が生き延びられるチャンスは、アイスキャッスルにはありません。今回の過渡期の条件は、今までの十三の輪の中で、一番厳しいものなのです。過渡期の条件、問題解決の試練、それは後へ行くほど、難しくなりがちです。闇の力も強くなるので。でもアルフィアさまは、十三人の光の継承者の中で、最大の能力を持っておられます。それゆえに、最難関級の条件も乗り越えられたのです。アクウィーティアでは、リセフィールのコミュニティにおける子供の生存率は、二十パーセントほどでした。ですからパージ以前に生まれた子が、まだ生きていられるチャンスがあった。しかしアイスキャッスルでは、生存率はゼロ。子供が生きられるチャンスがあるとすれば、シルバースフィア以降、つまり、あなた方の受胎まで、待たなければならなかったのです)
「そう。やっぱりアイスキャッスルは過酷すぎたんですね」
(ええ。ただこの問題は、グランドパージの時期を五、六年ほど延ばしさえすれば、ロザモンドさんも成長しますので、クリアできますが。でもそれだけでは、だめなんです。グランドパージ以後も、起源子が生きていなければならない、その理由がもう一つあるのです。パージ以降、新しいコミュニティの過渡期には必ず大きな存亡の危機が訪れますが、それを回避できるのは起源子だけなのです。今回のプログラムにおいては、それはオタワの放射線量を、一年で居住可能なレベルにまで薄めることでした。自然に任せていては、不可能ですからね)
「たしかに一年でオタワに住めたのは奇跡だって、ジャスティンさんも書いていたけれど。父が最後の調達隊にオタワに行って、そのとき嵐が起きて……それがやんだら、放射能が薄まっていたって……」
(そう。その時の状況を、よく考えて下さい。アーディス・レインさんがオタワに行かなければならなかったのは、なぜだったか。それは上空の気流が変わってしまったから、コンピュータの自動操縦が使えず、コンパスも狂ったために通常飛行が不可能になったからですよね。あれはまわりの汚染した空気がオタワへ流れ込まないように、気流を変化させたからなのです。そのために、地磁気の統制も一時的に失われた。その結果です)
「誰が? 誰が気流を変えた? まさか、あなた方のその……神さま?」
(いえ、正確には、そのあたりは御子の仕事ですね)
「御子……」
(そうです。御子の定義は、今は言えませんが、その名の通り、聖太母神様の子供と言えますね。アイスキャッスルが致命的なフォールアウトを逃れたのも、御子のお力です。短時間だけなら、放射線を遮ることができますので。ただ、地球上どこでもできるというわけではなく、それが可能な場所、それが、アイスキャッスルが建てられた、あの地点だったのです。アイスキャッスルやシルバースフィアを作らせるという意思を、当時の政府関係者や重鎮の心に起こさせたのも、すべて御子のお力です。彼らは私たちのバックについて、起源子の使命を遂行できるよう、支えているのです)
「そうなんですか……」
(ただ、聖太母神様や御子のお力は、気流を変えたり、嵐を起こしたりすることは出来ますが、気象条件を利用して、もとからある汚染を薄めることまでは、単独では出来ません。触媒が必要になるのですよ。アルフィアさまは以前から、母なる神の触媒としての力を多大に持っていましたが、地球での生においては、その力は使えない。肉体の地球人因子が、本来の力を封印してしまうのです。でも、あの時のアーディス・レインさんは、身体的にはもう壊れる寸前だった。それゆえ逆に肉体の封印は弱まり、精神の力が解放されたのです。ヒーリング能力の解放もそうでした。もう少し早くこの力が得られたら、子供たちを救えたのに――あの方はオタワで、私にそう仰いました。『無理なのですよ。あの時に、あなたがこの段階まで肉体が壊れてしまったら、ここまでたどり着けません』私はそう言うしかなく、アーディスさんも『わかってる』と頷いておられましたが。子供さんたちを、ご自分のお子さんだけでなく、他の方たちのお子さんも含めて、目の前でなくすということが、相当お辛かったのでしょうが、それもやむをえない試練であるとしか、私には言えません。しかし自然現象さえも逆転させる力は、生死ぎりぎりまで肉体が壊れないと、解放されないのです。アルフィアさま本来のパワーに比べれば弱くはありましたが、あの時にはそれゆえ、媒介を果たすだけの力が得られたのです。水と風の力を使って放射性物質を取り込み、空へと巻き上げ、遠くへ吹き飛ばす。それは、壮大な除染です。そうして、オタワの放射線量は薄まったのです)
「そう……お父さんは本当に奇跡を起こしたんだね。伝説じゃなく……」
(ええ。それが起源子の最後の使命なのです。聖太母神の触媒の力を解放して、危機を回避すること。それはすべての起源子に共通の、最終プログラムです。それは常に、命と引き換えになります。そうしなければ、必要なパワーの解放ができないのです。今回の場合も、最後のパワーを解放したあと、アーディス・レインさんの身体は、物理的には死んでしまいました。しかし今回はオタワからアイスキャッスルまで帰還しなければならないという難条件がありましたからね。なんとかアイスキャッスルまで帰って来られたのは、アルフィアさまとアイスキャッスルのみなさんとの、連携のおかげです。アルフィアさまは触媒としての力を解放した時点で、物理的な命が終わることを知っておられました。聖太母神の触媒となることは、精神的にも肉体的にも、多大なエネルギーを必要としますから、ただでさえ死にそうな身体に、その負荷は耐えられないだろうと。それゆえあの時アイスキャッスルとのコミュニケーション回路を開き、アイスキャッスルの人々の思いの力を吸収し、それを生体エネルギーに変えて、物理的な命のなくなった身体に精神を再び戻し、一時的に動ける状態にしたのです。アイスキャッスルに帰り着くまでの、六、七時間ほど、その間だけですが、あの時のアルフィアさまの力なら、それも可能だった。そしてその間は同じく肉体の枷がほとんど外れた状態でしたので、滑走路を片付けることも、操縦しながら正確な飛行地図を書くことも出来た。どちらも、手は触れずに――あの時コックピットでは、飛行機の計器も、地図の上のペンも、ひとりでに動いていたわけなんですが、そこには目の見えなくなったパイロットしか一緒にいなかったので、わからなかったのでしょう。それは、念動力なんですよ。アルフィアさま本来の能力からすれば、こんなことはわけもないことなのです。もっとも土台になる肉体が物理的に機能しておらず、精神と肉体が今にも外れそうな細い鎖一本でつながっているような不安定な状態だったゆえ、そのくらいしか能力は使えませんでしたが。本来のアルフィアさまなら顔色一つ変えず、ほとんどエネルギーも消費せずに、瞬きする間にアイスキャッスルまで、飛行機ごと帰ってこられたでしょうが、あの時はそんな負荷をかけたら、肉体と魂がまた分離してしまったでしょうからね。ともかく、それであの方の使命は終わった。あなたとオーロラさんも無事受胎し、生き残った人々はオタワへと移住できた。そう、それゆえにアルフィアさまは本来の女性ではなく、たとえ不自然な形であれ、男性にならなければならなかったのです。女性では、シルバースフィアに移住する前に死んでしまうので、子孫が残せませんから。しかし男性なら可能です。あなたとオーロラさんが、無事生まれたように)
『だから僕は男になったんだ。そして君に出会ったんだ。今、はっきり納得した』
 オタワに行く前に母に語ったという父の言葉が、思い起こされてきた。そしてその言葉についての、ジャスティン伯父の考察も。それは正しかったのだ――アールは思った。父からアルシスまでの血をつなぐため――ジャスティンはその理由をそう捉えていたが、実際はそれ以上に、父にとって自分の子孫を残すことが、その人生の大命題だったのだ。
(ええ。ジャスティンさんも鋭い人ですよ)
 幻影は微かに笑いを浮かべた。
(あの人は、アルフィアさまもおっしゃったように、歴代最強の影ですからね。もともとの精神能力値が、十三人の影の中で一番高いのです。あなたも心強いと思いますよ)
「そうなんだ……」
 アールは思わず笑みを浮かべた。そして思った。父が歴代最強の起源子で、ジャスティンが歴代最強の影なら、このコンビは恐ろしく強力だろうな、と。実際の、光と影のパートナーではないのだが。
(そうですね。それゆえに、現役時代の星での影響力も、歴代最強でしたよ。それゆえに、このひときわ闇の多い地球であってもなお、今までで最大の光の接触を届けることが出来たのです)アーヴィルヴァインは再び思いを読んだように、頷いた。
「光の接触……?」
(起源子のタッチ。精神に光の種をまくこと。しかしその意味は、今はまだ言えません。その意味も、最後の答えとともに、知ることになるでしょう)
 幻影は微かに笑いを浮かべた。
(そして無事にこれで、第一段階は完了しました。環の接点としての、我々の使命は成し遂げられたのです。聖太母神のご意志によって、地球は無事選民への道をたどることでしょう。あとは四千年後の第二段階、パイロットの旅立ちが終われば、アクウィーティアから地球への環つなぎ、聖太母神の環の、十三番目の環つなぎも完了です。そこまでの道は、もう開けています。そして今、あなたへの最後の説明も済んだので、私がこの生でしなければならないことも、これで終わりです)
「終わり?……じゃあ、あなたの使命というのも?」
(ええ。もう私の現生での地球における使命は終わりました。私はアイスキャッスルからオタワへの移動とあなたがたの誕生を見届けたあと、宇宙船を出発させ、カプセルの中に入って、深い眠りに落ちています。今も私の身体は、光速に近いスピードで銀河系を進んでいる宇宙船の中で眠っています。でも今のところ、私の精神はまだ地球に飛んでこられます。定められた人の目にだけ見える波長を持って。私たちの種族は進化が進んだため、非常に精神能力が強くなっています。私は人の心が読める。過去や未来を見ることが出来る。遠く離れた光景をも、見ることができる。『知識』を知ることが出来る。精神体になって飛んでいける。物理的にも、太陽系内からくらいなら、瞬時に飛んでこられます。地球にもそうして来たのですよ。そして宇宙船の中から、物体を地球に瞬時に送り込める。アリステア・ランカスターさんも、アグレイア・ローゼンスタイナーさんも、みんなそうやって地球に戻したのです。他にも多くのことが、精神の力で出来る。アルフィアさまもそうでした。あの方は私などより、ずっと強い力の持ち主です。なんといっても、十三人の適合子の中では、最大の精神能力をお持ちになっているのですから。あの方は一億年以上の間、宇宙神神殿の神官長を勤めていて、ほとんど全能でした。三億七千万光年の距離を、一瞬間で飛ぶことが出来るほどに)
「それは……テレポーテーション?」
(そうです。あなたがたの用語で言えば。今私が駆使してるのは、アストラル・プロジェクションと呼ばれるものです。しかし、私がこうしてあなたの前に現れるのは、もうこれで最後でしょう。そろそろ、私の力を届かせる限界の距離まで来ました。地球時間にしてあと十年ほどで、私の乗っている宇宙船は、銀河系のある恒星に飛び込んでしまいます。すべては跡形もなく蒸発し、私の生も終わるでしょう)
「ええ! なぜ? どうして、あなたまでそんな自殺行為を……」
(あとは痕跡を残さず、消えること。これが現在の生での、私の最後の使命なのです。すべては、最初から定められたことなのですよ)
 相手は相変わらず泰然とした笑みを浮かべている。
(まもなく私にも死が訪れる。しかし、まったく恐れてはいません。肉体の死は、一つの通過点に過ぎないのです。ちょうど毎朝夢が終わって目覚める、あの感覚です。私自身の肉体にとっても、眠ったままなんの苦痛もなく、一瞬で逝けます。アルフィアさまがそうであったように、私もまた自らの命を、神の使命のために捧げるのです。あの方の使命の九十パーセント以上は、もう終わった。あとは今生まれたばかりの分身が生を終えれば、アルフィアさまの仕事は終わりです。それからは、見ていればいい。しかし私の場合、真の使命はこれからです。私は二度、地球に生まれ変わるでしょう。それぞれ一部だけの分身ですが。私にも、最終試練が待っているのです。あと二十世紀が過ぎたあとにですが。私は、最初はあなたのために、二度目はジャスティン・ローリングスさんのために生きることになります。いずれの場合も、私は志半ばで倒れる運命でしょう。しかし、恐れはしません。すべては神のお導きなのです。私たちアクィーティア・セレーナの民が神のパイロットであるエルファスとヴェリアの二人に導かれて永遠の命を得たように、アルフィアさまと私も、神の命を受けたパイロットとして、地球にやってきました。私たちは導く人としての使命を、全力を挙げて果たさなければならないのです)
 その口調には、いささかのためらいも気負いも感じられなかった。静穏な悟りの表情で、幻影は佇んでいる。その一点の曇りもない心の静けさに、アールは畏怖を覚えた。
(彼らは、光の民なんだ……)――我知らずそんな思いを抱いた。
(自分とは違う。そう思っていませんか)
 相手はたちまち彼の思考を読んだように、ふっと微笑んだ。
(そんなことはありませんよ。私たちも初めは、あなたがたと同じでした。時がたてば、今度はあなたの番になるのですよ、アール・ローゼンスタイナーさん。地球が今のアクィーティア・セレーナの状態にまで進化した時、あなたとジャスティン・ローリングスさんは、今の私たちのように、後継の星を導くパイロットになるのです。二億年という、長い時を経て。それまで、陰と陽のパートナーであるあなたがたは、何度も交錯しながら生きていくことになるのです)
 アーヴィルヴァインは、ゆっくりと微笑した。それはすべての感情を超越した、美しい笑みだった。
(さようなら、アール・ローゼンスタイナーさん。今度は、現世でお会いしましょう)
「待って、アーヴィルヴァインさん。僕はまだ、聞きたいことがいっぱいあるんだ。あなたたちの星のこと、あなたたちのこと、地球のこれからのこと……もっと教えて。それに僕……僕は自信がないんだ。僕はお父さんには……なれない」
(自信をお持ちなさい。あなたには出来ますよ。あなたは選ばれた人なのですから)
 沈黙の声が頭の中に響き、幻影は、くるりと手に持った銀のリングを回した。淡い銀色の光とともに、その姿はゆっくりと消えていく。ひとりでにぱたんと開いた窓から吹き込んできた微風に青いカーテンが翻り、その背後には無数の星が広がる、夜空だけがあった。


( 3 )

 幻影が消えた後、アールはしばし虚空を見つめて、佇んでいた。今聞いた話を整理して考えようとしたが、そこに自分自身の思いを付け加えることは出来なかった。アールは軽く身震いし、そして再び窓辺に歩み寄った。窓の外には、深い夜空が広がっている。
「宇宙。この星の広がりは……みんな宇宙なんだ」
 ため息のような、呟きが漏れた。天文学の本で習ったことだ。この宇宙は、全体でどのくらいの広がりを持つのだろう。父の故郷だというアクィーティア・セレーナという星は、六億光年の彼方。それは、どれだけ途方もない遠さを意味するのだろう。第二の故郷クィンヴァルス・アルティシオンでさえ、三億七千万光年の彼方。ここからでは、精巧な望遠鏡を使っても、その所属する銀河すらわからない、遠い遠い星――。
『僕は異邦人だ。心の底では、いつもそう感じてた』
 記録に書かれていた父の言葉が、死んだあとでジャスティン伯父に語ったという幻想的な下りで発せられたそれが、不意に心の中によみがえってきた。それは紛れもなく、父の本心だっただろうということも。彼は夜空の星を見上げるのが好きだったという。父と母が最初に出会ったのは、当時住んでいたアパートメントの屋上。母は身投げをしようとして、だと語っていたらしいが、父が屋上に来たのは、星を見るためだったのかもしれない。少しでも空に近いところで見るために。ふと、アールはそう気づいた。それでも、『都会では光に邪魔されて、なかなか見られない』インドの高原でジャスティンにそう語っていたという父は、旅行先に選んだのも、妹や子供たちを喜ばせるためのテーマパークを除けば、星がきれいに見える地域ばかり――そう、彼らの六枚目のアルバム、『Polaris』のジャケットにあった、ウユニ塩原のような。彼は最初の子ロザモンドが生まれてから、トロントのかなり郊外に土地を買って、家を建てた。敷地は広かったものの、家そのものはさほど大きくない。だが、リビングの窓はほとんどガラス張りに近いほど大きく、食堂とリビングは吹き抜けで、二階の主寝室と広間には、開閉式の天窓がついている。これほど開放的な家を造ったことに、回りは驚いたという。しかし、眠る時も星の光を見ていたかったという父は、どんな思いで、その星空を見ていたのだろう。遠い遠い故郷と、自らに貸せられた重い宿命を抱いて。
『見えないけれど、どこかに僕の星があるような気がして、それを探してるんだ』
 覚醒する前に、彼はそう語っていたと言うが、その不思議な憧憬の意味を知ったあとでも、探し続けていたのだろうか。ジャスティン伯父の記録に書いてあった、父に関する神秘。アーヴィルヴァインの話で、その謎は解かれた。
 十六歳の時に覚醒し、自分の正体と使命を知った父が、探しに来たジャスティンとロビンに、ランカスター高原で発した言葉。
『誰も僕を救うことは出来ない』『みんなを救うことも出来ない』そして、『ごめん』と謝った。自分が生き続けることで、地球は滅ぶ。いや、ほとんど滅びかける、というのが正しいだろう。しかし、死んでしまうと、もっと恐ろしいことになる。それが何かははっきりわからないが、『恐ろしすぎて言えない』「すべての魂を滅ぼすことになる』『徹底的な破滅が待ち受ける』『闇の勝利』――その道を選ぶことは、決して出来ない。それは最悪と、もっとひどい最悪の二択。いや、現実には選択肢などないのだろう。
『なんて運命なんだろう!』彼はそう声を上げたという。
 そしてそれゆえ、父はサイレーンと呼ばれることを、怖れたのかもしれない。覚醒して初めてツアーに出た時、その目覚めた恐ろしいまでの力に畏怖し、狂気にかられたヘッドライナーのバンドのメンバーが、父に投げつけた言葉。
『おまえはサイレーンだ』
 それに対し、彼は楽屋で震えながら呟いたという。
『僕はサイレーンじゃない。そうはならない。なりたくない……』
 それは地球の滅びを導くものには、なりたくないという思い――。
「ひどい理不尽だ!」
 アールは思わず声を上げ、窓枠をどんと叩いた。
「僕だったら、絶対変になる。自分のせいじゃないのに、存在してるっていうだけで、そんなとんでもない重責を背負わされたら、たまらない。僕だったら、絶対に耐えられない。そんなことは!」
 そのとたん、はっと驚きに見舞われた。自分は父の後継者――ということは、それは遠い遠い将来に、自らもたどる道なのだ。二億年がどれだけ長い年月か、今の彼には見当もつかない。しかし事実の重みだけは、生々しいほどはっきり感じられた。アールは思わず両手で自分の身体を抱え込み、小さな震えと共に呟いた。
「怖い。お父さんは、どうして耐えられたんだろう、そんなこと……僕には支えられない。自信がない……」
 窓から吹き込んできた微風が、ふわりと頬をなでた。アールは思わずはっとして顔を上げた。まるで父に、(心配しなくて良いよ)と、頬をつつかれたような気がした。
「風か……そういえばお父さん、エアリィってあだ名だったからかな……」
 彼はふと微笑し、頬に手を当てた。アールはこの時、完全に父を理解できたような気がした。そして改めて彼の存在を実体として、身近に感じられたように思えた。
「アルシス・リンク・ローゼンスタイナーが生まれたよ、お父さん」
 アールは夜空に向かって、小さく語りかけた。
「この子は、お父さんのシャドウなんだってね。入りきらなかった分体だそうだね。そして、新世界の『夜明けの大主』となるべくして生まれたって。でも、どんな子なのかな。出来ることなら、この子の成長を見守っていきたかったけれど。この子の大人になった姿が、お父さんそっくりにだったって、ジャスティンさんも書いていたから、この子を通じて、お父さんの面影に会えるかなって、そうも思っていたんだ。でも僕には、もうその時間はないんだね」
 アールは窓を閉め、頭を振ると、決然とした口調で呟いた。
「でも僕は、恐れないつもりだよ……できるだけね。だから、見ていて」
 アールは振り返って、時計を見た。もう二時近かった。しかし、眠くはない。妙に頭が冴えていた。空気がはりつめて、ピーンと磨ぎすまされたように感じる。不意に、あるはっきりした予感が襲ってきた。
(もう、僕の時間は長くない。もしかしたら、今すぐにでも病気で倒れるかも知れない。今日が最後の日になる可能性だって、あるんだ)
 自分の身体に、特に異常は感じていないが、奇妙な違和感はここ数ヶ月、ずっと感じていた。ときおり襲ってくる頭痛も。時間――自分に時間は、どのくらい残っているのだろう。今、家族は眠りについている。一人で過ごす眠れない夜に、今何をしたらいいだろう――。
 アールは立ち上がり、棚にしまってあった父たちのバンドのコンパクトディスクを、全部引っ張り出した。今は二時。七時には家族が起き出してくる。全部聞いている時間はなさそうだ。ソファに腰掛け、ヘッドフォンをかけて、再生する。音楽が――聞き慣れた音楽が、勇気づけるように、慰めるように、激しく、優しく、神聖に包み込んでいく。アールはソファに身を埋めたまま目を閉じて、その渦巻きの中に心地よく巻かれていった。初めにサードアルバム『Children for the Light』を聞き、次いで『Eureka』へ。

 炎の光が、道を照らす
 その道の行く先が、君のゴール
 炎の熱が、君を温めてくれる
 だから前を見て、怖れないで

 光の炎が連なって、路となっていく
 その路を歩き続けるんだ
 最終到達点にたどり着くまで
 生まれた時に定められた最後のゴールまで
 光が君とともにある
 怖れないで
 ただ歩み続けるんだ――

 その道の果てに、道は再びつながる、果てしなく
 その意味を、最後に君は知るだろう
 だから、歩み続けるんだ、最後まで

『これは僕の歌だ――』
 父がそう言っていたという、アルバム四曲目の『Abandoned Fire』――その意味が、不意にアールにも理解できた。生まれた時に定められた、最後のゴール。自らの命と引き換えに生き残った人々を救い、未来を開く。滅びは避けられないことを知り、おそらく自分は天寿を全うできないことも知りながら、その行く末を見つめ、それがいつになるのかは、その直前になるまで知ることなく、ただ歩いて行くしかなかった運命――。
 涙が頬を伝うのを、アールは感じた。そしてこの道は、自分もやがて行く道なのだ。その言葉はまた、彼に向けてのメッセージでもあるように響いた。
『光が君とともにある/怖れないで/ただ歩いて行くんだ』と。
「お父さん……」
 アールは呟いた。自分も歩いて――行けるのだろうか、同じ道を。でも、それは運命なのだ。行くしかないのだろう。ただその時には、今の自分でなく、別の自分なのだろうが。
『直面するのが僕であって、僕じゃないことに感謝しよう』
 父が覚醒した時に出てきた人格、アヴェレット・ロンダセレーンがそう言ったという。そのアヴェレットは、父が今のアールと同じステージにいたころの人格らしい。そうすると、いずれ自分も遠い未来で不意に目覚め、同じことを言ったりするのだろうか。そう考えると、不思議な気がした。自分とは――いったいなんなのだろう。
 途中でプレイヤーを止めてしまったので、演奏を再開する。そしてそのアルバムが終わると、いつしか夜が明け始めていた。残り三枚をすべて聞く時間がないことを悟り、その次を飛ばして、『Polaris』をかけた。最後に『Neo Renaissance』
 ラストアルバムの最後の曲『Mother』が始まった。

 マザー、僕らに光を
 マザー、僕らに希望を
 マザー、僕らに愛を
 マザー、僕らに勇気を
 マザー、僕らに信念を
 混沌の地に未来を開くために
 導く光を教えてください

「お父さん……」
 再び呟きがもれた。最後の祈りの、なんと純粋で強く、優しく切ないことだろう。父を支えた信仰、アーヴィルヴァインの幻影も言っていた彼らの信じる神とは、どんな神なのだろう。「天の母よ」と繰り返されるリフレインが呼びかける、彼らの神は――。
 最後の音が消えると同時に、別のメロディが響いてきた。

 わたしの腕で遊びなさい、子供たちよ
 わたしの膝で眠りなさい、子供たちよ
 わたしの胸にいらっしゃい、子供たちよ
 おまえたちの光が、わたしの光になるまで
 強くなりなさい、子供たちよ
 勇気を持ちなさい、子供たちよ
 愛を輝かせなさい、子供たちよ
 それがおまえたちを導く光となるのだから

 聞き覚えのない歌だった。印象的なリフレインが、無限の広がりを感じさせる。背後には何も音のない静寂の空間の中に、ただ歌声だけが響く。一点の混じり気もない、純粋な清らかさと神聖さに満ちた声。男声か女声か、それすらもわからない。でもそれは、父の歌だろうか? CDで何度も聞いたことがあるような気がする。だけどこんな歌は、CDには入っていないはずなのに――。

 訝しんでいるうちに、アールははっと正気に返った。
「寝ていたのかな……」
 アールは最後のCDをプレイヤーから抜き取った。窓の外は、すっかり明るくなっていた。アールはため息をついて立ち上がると、しばらくすべてのCDとDVDを手にとってじっと眺めていた。そして意を決したように、部屋のシュレッダーにかけた。以前の世界からあったものに科学班が改良を加えたそれは、CDも楽々と細切れの金属片に変える。それは金属ごみとして回収され、リサイクル班によって、再生に回されるだろう。
 アールはしばらく、その場に佇んでいた。そして深くため息をつくと、窓に歩み寄って、肩に垂れ下った髪をばさっと後に振りやり、朝の太陽と明るい水色の空をじっとながめた。
(死は恐ろしいものじゃない。みんな、そう言っていた。お父さんもアーヴィルヴァインさんもジャスティンさんも……それは、一つの変化に過ぎないって。だから僕も、恐れるのはやめよう。一つの夢が終わるだけなんだ。アール・ランディス・ハミルトン・ローゼンスタイナーとして生きた、四六年間が。僕がいなくても大丈夫だ。家族は自立しているし、コミュニティはもう軌道にのった。基礎は出来たから。コミュニティ……コロニ……―いや、もうそんな呼び方じゃ駄目だろうな。社会だ、一つの独立した。世界は新しい夜明けを迎えた。今太陽が昇っていくんだ。今度僕が生まれ変わる時には、新世界はもっと広がっているに違いない)
 その時ふいに、頭の中で白い閃光が弾けた。それは生命の火を砕き、アールはその思いを最後に、ゆっくりと床に崩れるように倒れていった。

 それからまもなく、起き出してきたメアリとヴィエナは、書斎の窓のところで倒れているアールを発見した。かろうじて息はあったが、もう意識はなく、昏睡状態だった。知らせを受けて飛んできた医療班のリーダーは、二、三人の手を借りてアールをベッドに寝かせ、器材やロボットを使ってあれこれ検査した後、こう結論付けた。
「クモ膜下出血の疑いがあります。それもかなり大規模でしょう。残念ですが、もうほとんど望みはないと思います」
 その言葉に、メアリとヴィエナが同時に悲鳴を上げた。
「アールは助からないんですか?」
「ええ。非常に残念ですが。心臓が止まるのも、時間の問題かと……」
 医師は重々しい顔で、首を振った。




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