Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 4  AGE Purple (紫の時代) (1)



( 1 )

 それから六年の月日が過ぎていった。ラズウェル家にとって、それは平穏で幸福な年月だった。長男のダリルは十九歳の立派な青年に成長し、中級課程を終えて医療班に入るための研修段階に入っていた。ヴィクトリアは十六才の明るい少女になり、教育班に入るための勉強をしている。再びみどりの家に週三回通うようになった母の留守中は、家のことを取り仕切る、主婦がわりでもあった。九歳の末っ子ジュリアンも快活な少年に成長している。弟が死んだ時に引き取ったアドルファスとエディスの遺児クレアランスも十二才になり、その屈託のない、面倒見の良い気質は、常に周りの人をひきつけて止まなかった。
 アール、メアリ、ヴィエナは揃って健在で、彼らの五人の子供たちも、それぞれ立派に成長した。オーロラの夫エフライムは妻の死後十年間、子供たちを守り通したが、四年前ついに病に屈し、世を去った。しかし成長した四人の子供たちはもう庇護を必要とせず、自分たちの力で生きていけた。アドルファスの恋人だったマデリーン・セルシュもまだ健在で、メイベリンとフローレンスも、十八と十四歳の美しい少女に成長している。

 その間に、社会の方も少しずつ変わっていった。世界崩壊時、無人のゴーストタウンと化したオタワの街も、シルバースフィアを中心にして徐々に整備され、新しい農園や工場がかなり出来ている。コミュニティの作業班も、文学や芸術をコンピュータにインプットする文化保存班の作業が、三年前にすべて終了した。シェイクスピアやチョーサーといた伝説の文豪から、ブロンテ、オルコット、モンゴメリー等の古典女流作家、ヘミングウェイやジード、ヘルマン・ヘッセ、トルストイなどの純文学、ハインラインやクラーク、アシモフなどのSF、アガサ・クリスティーやコナン・ドイル、ヴァン・ダイクなどの推理小説。現代劇のシドニー・シェルダンやダニエル・スティールまで約一万冊の小説、ウェブスターの辞書とアメリカーナ百科事典全巻、アンデルセンやグリムなどの伝承童話、各国の神話と民話、ベートーベンやモーツアルトなどのクラシックを中心に、ジャズやブルース、プレスリーやビートルズなどの代表的なポピュラー・ロック音楽、音楽や美術の基礎理論、各種スポーツの歴史とルール、ダ・ビンチからピカソまでの代表的絵画などが、コンピュータのデータベースに治められ、後世に永久保存されている。その膨大な作業を終えた後、文化保存班は解散し、そのメンバーたちは休暇の後、新しくできた『総合文化班』へと移っていった。これは、今まであったことを記録するのではなく、新しいものを作っていこうとする試みで、まずはコミュニティ内の新聞を発行することから始めていた。それは毎日更新され、各家庭のPCや中央広場の掲示板で見ることができた。
 初等から中級課程までの教育はコンピュータによってなされ、そのための教育プログラムも完成していた。エディス・バーネット・ローリングスが最後の数年間の情熱を注ぎこんだ農業班の成績もあがり、食物の完全自給に加えて、木々や花も街に再び定着しつつあった。もっとも、まだ木々は若く、いちばん大きなものでも人間の背丈と同じくらいの状態であったけれども、これから先の希望をおおいに持たせる勢いを持っていた。五年前の春には初めてチューリップが咲き、数十本のバラが根付いた。しかし以前あった鋭い刺はなくなり、燃えるような赤やミルクのような白、太陽の光の黄色や霞のピンク、そしてさまざまな色の混合の中に交じって、一本空の色を映したような青いバラが咲いた。だが第二、第三世代の人々にとっては、初めて本物の花を見たという珍しさと感激の他には、他の赤やピンクやクリームと言ったありふれた色の花と同様の認識しかされなかった。
 植物のよみがえりは、街の美しさという彩り以上に人々を元気づけた。全体で百六十体いるロボットたちはみな、音声認識、言語機能のついたヒューマノイド型万能ロボットとなって、人々の生活を支えている。ただし、人工頭脳AIは彼らに搭載されているものの、あえて感情回路は発達させないよう、プログラミングされている。仕事を終わらせた時の満足感、うまくいかなかった時の、少しの困惑――彼らに搭載されている感情は、それだけだ。それ以上発達させると、人間に近くなりすぎる懸念があるからと、中央委員会と科学班プログラミング班の総意で、決めたことだった。そして、これからもその分野には手を付けないことを、未来への申し送りとしていた。クリスタル太陽発電システムは、ロボットには内蔵電池となり、前電気状態で床や壁や道路を流れると言うエネルギーシステムも完成された。建物のセントラル・ヒーティングによる完全空調設備も、それに伴い実現された。文明の基礎は、完全に固まったのである。
 アドルファスのあとを継いだランディスとライラスは、ゆっくりではあるが確実なペースで、これらの科学技術を開発していった。ライラスはプログラミングの他に総合文化班で発行している新聞の編集にも興味を持ち、科学系のコラムを一つ担当しているし、昨年結婚して、最初の子供が生まれたばかりであった。ランディスは六年前に結婚し、父の家を出て、今は、四才と一才半の子供たちの父親でもある。ランディスとライラスは研究室だけでなく、それぞれの家族と同じ居室を共有していた。ライラスの姉アティーナが夫とともに以前の居室に住んでいるので、いくら五ベッドルームでも、二組の夫婦と未婚の弟妹で暮らすには、将来的に狭いからだ。ランディスも自分が育った居室は父母と妹、そして父の恋人と三人の異母妹弟のほかに自分たち夫婦は狭いだろうと、かねがね結婚して二人目の子供ができたら、独立するつもりだったようだ。そして子供たちが増えるまでは、そこに次に結婚して独立する必要がある兄弟や従兄と一緒になる、と宣言していた。それゆえ、今はライラスの一家三人と暮らしているのである。そして二人とも、子供が生まれてからはその育児にもかかわり、研究ペースはさらにゆっくりになったが、コミュニティの人々も、それを認めているようだった。「まあ、それでいいだろう。家庭や自分自身の興味を犠牲にしろとは、言えないから。アドルファスとエディスのような第二世代の天才の悲劇を、繰り返してほしくはないし」と。
 エヴェリーナにとっても、同様の思いだった。もしアドルファスが彼らのように自分のペースを守ってゆっくり研究が出来ていたら、今ごろはまだ生きていたかもしれないのにという無念の思いもある。しかし弟の場合はまわりの環境から、それが出来なかった。
 科学班にとってただ一つの問題は、彼らの後継者が、いまだに出てこないということだった。「科学系の才能のある、IQ二百以上の天才が他には誰もいないというのは、心許ない。またもし彼らに万が一のことがあったら、どうするのだ」
 こんな危惧も、科学班内にはかなり出ていたが、こればかりは待つことだけしかない。科学班の一般メンバーたちは、自分たちに残された科学文献や知識のすべてをコンピュータのデータベースに打ち込み、後世の天才たちがそれをもとに発展を続けてくれるのを、待っていた。
「時間はかかるよ。これからも多くの人の手をへて、科学は発展していくんだと思う。でも、まだこの世界は始まったばかりだよ。時間は、たっぷりあるさ」
 ランディス自身も、よくそう語っていた。

 世界崩壊から四六年、シルバースフィアのコミュニティでも四五年が過ぎていた。混沌の中から再生したこの社会に統制と秩序がしっかりと根付き、科学技術や農業も一定のレベルまで達して、ゆっくりとした進歩に変わっていた。生まれたばかりの『新世界』は赤ん坊の時代から、ようやく立ち上がり第一歩を踏み出した幼児に成長し、初期の混乱と急流の時代から、次第にゆったりとした安定の流れの中に乗り始めたのだった。そしてその間に、シルバースフィア・コミュニティには、以前の世界を体験した人は、一人もいなくなっていた。今ここに生き、生活している人々はみな、世界が壊れたあと再生したこの町で生まれ、育った人々だ。しかし、あの世界滅亡の大惨劇とアイスキャッスルの暗黒時代を生きぬき、シルバースフィア初期の苦難にも耐えて再建に力を尽くしてきた第一世代の人たちが子孫に伝えた思いは、第二、第三世代へと、受け継がれていく。子供たちは直接的には在りし日の世界も、大カタストロフの恐怖も知らない。しかし親たちが残したそれらの記憶は、彼らの胸の中にも響き続けているだろう。語り継がれる木霊として。

 アールの一家も、奇妙な妻妾同居状態ながら、さながら母親が二人いる一家のように、平穏な日々を送っていた。長男ランディスはすでに結婚して、二人目の子供の誕生とともに独立していった。ティアラも三年前に結婚し、今は別の居室に住んでいて、一歳半の娘がいる。ジョスリンも三ヶ月ほど前に結婚したが、居室に住む人数が減ったため、家族の了承を得て、父母と一緒の居室に住んでいる。そしてこの春、もうすぐ二二歳になるアリステア・ショーンが『結婚したい』と、言ってきたのだった。
 早ければ十代の終わり、標準的には二十代初めの間に結婚することが多いシルバースフィアのコミュニティだが、アリステアにはこれまで、恋人と呼べる娘はいなかった。アリステアは母譲りの黒髪とすみれ色の目に父譲りの整った顔立ち、気さくな性格で、思いを寄せる娘も少なくなかったが、誰とも特定の付き合いは持たなかったのだ。アールもヴィエナも、そんな息子に対して心配はしていなかったが、ある日息子が突然「結婚したい娘がいるんだ」と宣言した時には、驚きを隠せなかった。
「まあ、あなたに付き合っている娘なんていたの?」
 ヴィエナはすぐさま、こう問い返したほどだった。
「そんな話は聞いていなかったわよ。秘密のお付き合いだったの? 何か、秘密にしておかなければならない理由があったのではないでしょうね」
「そんなことは言ってないよ、母さん。誰も秘密になんてしていないさ」
 アリステアは少し照れたように笑っていた。
「それで、相手はどんな娘なんだい?」
 アールに問われ、アリステアはちょっとうつむいたあと、両親を見て答えた。
「ポラリスなんだ。ポラリス・ロゼット・ローゼンスタイナー・シンクレア」
「えっ!!」
 ポラリス。オーロラが命と引き換えに生んだシンクレア家の末娘は、十六歳の少女に成長していた。純粋な銀色の柔らかな髪――アール、オーロラの子供たちのうち、銀髪を受け継いだのは彼女だけだった。長いまつ毛に囲まれた、母譲りの青い夏の空のような、大きな瞳。抜けるような白い肌と、美しく整った顔立ち。ただ美しいだけでなく、清純な雰囲気も漂わせる彼女は、彼女を知るすべての人の歓びであり、また大勢の男の子たちを惹きつけずにはいられなかった。しかし彼女も十六歳の今まで、特別なボーイフレンドは持たなかったのだ。
 従兄妹同士のこととて、アリステアとポラリスは小さい頃から仲は良かった。もともとアールの五人の子どもたちと、オーロラの四人の子たちは、よく行き来していた。そしてオーロラが十六年半前に突然の死を迎えてからは、アールとその二人のパートナーたちは、彼女の子供たちを自分の子供たち同様保護すべき相手として、エフライムが世話をしきれない時など、なにくれとなくフォローしていたのだ。ポラリスはアールの末娘、エイプリル・エイミーと年が近く、とりわけ緊密な仲良しだったが、アリステアともまるで兄と妹のように、よく一緒に遊んでいたものだ。
 そんな従兄妹という兄妹のような関係が恋愛に発展していくのか、アール自身は理解できなかったが、息子はそうだったらしい。特に二人の恋に反対する理由は見つからなかった。ただ、血が濃くなりすぎないか、という懸念以外は。ことにアールもオーロラも、ともに特異な、と言われている父の血を受け継ぐ子供である。その血が孫の代で再び合わさることになると、どうなるのだろうか。もしかしたら、子供は生まれないかもしれない。生まれても、障害を背負うリスクが高くなるかもしれない。
 その懸念を息子に話すと、アリステアは頷いていた。
「うん。それは、わかってる。でもそれでも、僕は彼女と結婚したいんだ」
「でもポラリスは、まだ十六だわ。この秋で十七よ。せめて十八になるまで、待ってみては?」と勧めたヴィエナにも、「彼女は人気があるから、待っていられないよ」と笑う。
 二人は最終的に、この結婚を許すことにした。ポラリスの姉兄たち、もう家庭を持っているアティーナ、ライラスも、姉一家とともに家に残ることになる二歳上の兄パリスも、妹のお相手と早い結婚に驚きながらも、理解は示していた。
 こうしてその年の七月に二人は式を挙げ、アリステアにとっては姉で、ポラリスにとっては従姉であるティアラの一家と、居室を分け合うことになった。

 従兄妹という近い血筋ではあったが、ポラリスは結婚後ほどなくして身ごもり、翌年の六月半ばに子供が生まれた。出産にはアリステアのほか、ヴィエナも付き添っていた。
 夕方、アールが中央本部の仕事部屋から帰ろうとした時、ヴィエナが訪ねてきた。報告に来たのだな、とすぐに気づいたアールは、振り返ってたずねた。
「やあ、ヴィエナ。どうだった? 僕たちの孫は無事生まれたかい?」
「ええ。午後三時過ぎに生まれたわ。幸いお産はそれほど重くなくて、母子ともに健康よ。赤ちゃんは、千九百グラムだったわ」
「そう、標準よりはちょっと小さいけれど、僕らの家系の赤ん坊は小さめだからね。僕ら基準から言えば、まあ普通の範疇だな。それで、どっちだった?」
「どっち……というのは、性別よね。男の子か女の子か」
 ヴィエナはちょっと目をそらせた。年を経て髪にはかなり白いものが混ざっていたが、まだ美しさをとどめる顔に当惑した表情を浮かべている。
「そうだよ。どうかしたのかい?」
「お医者さまの話では、赤ちゃんには性別がないそうなの。あのね、つまり……男の子ではないし、女の子でもないそうなのよ。外見だけでなくて、超音波で調べて、わかったそうなのだけれど、赤ちゃんにはどちらの生殖器もないらしいの」
「ええ!」
 それはまた残酷な奇形だな、驚きの中で、アールは一瞬そう思った。ヴィエナも同じように感じているらしく、沈んだ口調で話している。
「男の子でもなく、女の子でもなくて……あの子は子孫が残せないのよ。アリステアもポラリスも、ショックを受けたみたいだったわ。たしかにね、従兄妹同士は血が濃いから、奇形率は上がるって、二人とも覚悟はしていたみたいだったけれど、実際に生まれてみるとね……わかるわ。わたしもショックは隠せないわ。今まで、幸いうちの子供たちは健常だったし、ティアラの子も大丈夫だったわ。ランディの子たちも、ティーナやライラスの子たちも、先月生まれたジョスリンの子も大丈夫だったのに……やっぱり血が濃すぎたのかしらね。いまさらそんなことを言っても、仕方がないのだけれど……」
「たしかにね……」アールはヴィエナとともに病院に向かいながら、頷いた。
「でも本当に、起きたことは仕方がないさ。その子は生まれつきハンデを背負うわけだから大変だと思うけれど、普通の子として出来るだけ幸せな人生を送れるようにしてあげるのが、僕ら大人の務めだよ。それに、その子は子孫を残せないかもしれないけれど、まだ二人とも若いのだから、他にも子供は生まれるだろうと思うし、それにランディにもう二人子供がいるから、ローゼンスタイナーの家系が途切れるわけでもない。ああ……君の血も入ったライト・ローゼンスタイナーの方となると、アリステアだけになるけれど……大丈夫さ。まだこれですべてが決まったわけじゃないんだから。僕らが動揺するのはよそう、ヴィエナ。子供たちの力になってやることだけを考えようよ」
「そうね……そのとおりね」ヴィエナは頷いていた。
「あなたは何でも見抜いているのね、アール。たしかにわたし、動揺していたのよ。ローゼンスタイナーの名を継ぐ男の子は、たしかにランディもいるけれど、わたしは自分の血を分けた子供にも、あなたの家の名を引き継がせたかった。アリステアは、わたしのただ一人の息子だわ。なのに、あの子の家系がその次の代で途絶えてしまったらと思うと、心穏やかではなかったのよ。恥ずかしいことなのだけれど……そうね、もう少し前向きに考えてみるわ。一人生まれたのだから、あの二人には、まだ子供が生まれるでしょうし、みな同じ障害を持つとも考えにくいから……希望を持つことにするわ」
「そうだよ。そして、喜んであげよう。また一人僕らの孫が生まれたことに。僕と君との間では、アネット・エミリーについでの、二人目の孫だ」
「メアリの系統を入れると、あなたにとっては五人目ね。アレックスとメリンダ、フェリシアが入って」
「そしてオーロラには四人目の孫だ。ヴィクター、ミランダ、ナディア、そしてこの子と。彼女が生きていたら、なんて言ったかな」
「そうね……やっぱり少しは動揺していそうな気がするわ、彼女なら」
「うん。わかる……」
 アールはいまだに感じる一抹の寂しさを噛み締めながら、頷いた。
「でも、ハンデはあってもね、本当に素晴らしくかわいい赤ちゃんなのよ」
 病院に入ると、少し気を取り直したように、ヴィエナは明るい口調になった。
「本当に、とてもかわいいの。今まで見た赤ちゃんの中で、一番かわいいんじゃないかしら。髪の色は変わっているけれど」
「髪の色?」
「ええ。それも血が濃いせいなのかしらね。あなたもオーロラも青い髪が混じっていたでしょう。今度の赤ちゃんの髪も青いの。あなたのその青い髪束と、同じ色よ。それも、右側の一部だけ金髪で、それ以外はきれいな青い色なの。あなたとオーロラの髪以外では、初めて見た色だわ。ああ、元はあなたのお父様なのでしょうけれど」
「青い髪?!」
 記憶の断片が、脳裏を掠めていった。ジャスティン伯父が残した記録に書いてあった、未来世界での下り。青い髪の、新世界初代大統領。アルシス・リンク・シンクレア・ローゼンスタイナー。その生年は――アールは薄れかけていた記憶を掘り起こした。新世界建国が西暦二〇九二年――SS七〇年がNA元年という記載が、ジャスティンの記録にあった。そして今は、SS四七年。新世界大統領アルシス・リンクは、二二歳の時、初代大統領になったという。そして翌年二月に建国宣言――とすると、ちょうど今頃出生した計算ではないだろうか。シンクレア・ローゼンスタイナーという姓にしても――それはアリステアとポラリス夫妻以外、コミュニティにはいないのだから、彼らの子供になるはずだ。

 アールは足を早めて、病室に駆け込んだ。ポラリスは少し青ざめた顔でベッドに横たわり、アリステアがその傍らに、気遣わしげな表情で立っている。そのそばに小さなコットが置いてあった。アールはコットの中を覗き込んだ。
 白い産着を着た、小さな赤ん坊が眠っていた。胸の辺りからは、ふわりとしたクリーム色の毛布がかけられている。雪のように白い肌をした、昔の絵画に出てくる美しい天使のような顔立ちの赤ん坊だった。柔らかそうな明るい青い髪がふわふわとその小さな頭を覆い、右側の一部だけ、明るい金髪になっている。長いまつげと細い眉毛も青い。頬はほんのりとピンク色をしている。その小さな手は、しっかりと握られていた。
 アールは手を伸ばして、赤ん坊を抱き上げた。そして息子夫妻を見た。
「かわいい子じゃないか」
「そうだね」アリステアはかすかに笑みを浮かべて、頷いた。
「ハンデはあるのかもしれないが、大事に育ててあげなさい。そのハンデ以上に、この子が幸せになれるように」
「うん。僕らもそうしようと、今話していたんだ」
 アリステアはベッドの上のポラリスと目を見交わし、再び頷いていた。
「二人ともまだ若い。これからも恐れずに子供を生むんだね。大丈夫さ」
 アールは赤ん坊を抱いたまま、息子に、ついで嫁となった姪に向かって頷く。
 二人の顔が、かすかにほころんだ。
「ありがとう、父さん。これでもう完全に迷いはなくなったよ」
 アリステアは父親の腕から赤ん坊を抱きとった。
「でもアール伯父さん、じゃなかった、お義父さん。ひとつだけ困っていることがあるの」
 ポラリスがベッドの上から、両手を合わせ、アールを見た。彼女の声はいつも、美しい音楽を思わせた。
「なんだい?」
「赤ちゃん、男の子か女の子か、どちらかとして育てたいの。どっちでもないなんて、やっぱりかわいそうだから」
「そうだね……」
 アールは頷き、再び記憶を手繰った。エヴィーに頼んでもう一度あのノートを見せてもらおうか、とも思ったが、幸い必要な記憶は再生できた。そう、未来でジャスティン・ローリングスはその世界の大統領が、こう話すのを聞いている。
『彼は新世界の初代大統領だった――』
「男の子として育てなさい」アールは息子夫婦に告げた。
「そして、この子の名前をこう付けなさい。アルシス・リンクと」
 若い夫婦は顔を見合わせていた。そしてアリステアが代表するように、口を開いた。
「名前に異存はないけれど……僕ら、どっちにしても最初の子は父さんに名付け親を頼みたかったから。でも、男の子として育てて、大丈夫だろうか。いろいろ、ほら……わかってしまうかもしれないから」
「トイレに行ったりした時とかかい? まあ、それはそうだろうね。でも男の子でも個室を使う人はいるし、丈が長めの服を着れば、ズボンのふくらみがなくとも、目立ちはしないと思う。それに、そう躍起になって隠す必要はないと思うんだ。事情を理解してくれそうな人には、正直に話をしたらいい。一応男の子だ、ということにしているんだ、とね。大丈夫。ここにはいろんな種類の人がいるんだから、理解はあるはずさ」
 二人は納得したようだった。次いでアリステアは一風変わった子供の名前のスペルを聞いてきた。アールは答えた。A-R-T-H-I-S Link。
「えっ!」若い二人だけでなく、ヴィエナまで声を上げた。
「それ、あなたのお父さまと同じ名前よね!」
「ああ。でも同じ読みだと紛らわしいから、読みを変えるんだ」
 アールは三人を見やり、答えた。
「お祖父さんの名前!」アリステアは感嘆したような声を上げる。
「それを、この子に?!」
「それが、この子の運命なんだよ」
 アールは息子から赤ん坊を抱き取り、そっとコットの中に寝かせた。そしてずっと身につけていた、父の形見のペンダントを外した。その先端についた、きらきら輝く透明な、水晶のような結晶は、赤ん坊の柔らかい頬に触れると、光を発した。部屋の光源を反射した光ではなく、その内部から発せられたような、白くまばゆい光だった。
「これを、この子に譲るよ」
 アールは鎖を二重にして絡ませると、赤ん坊の首からかけてやった。その小さな胸に宿ると、結晶の中の光は少しずつ収束していったが、完全には消えることなく、ぽおっとした小さな光源を、その中に保ち続けている。
「この子はたぶん大きくなったら、お父さん……この子にとってはひいお祖父さんに、そっくりになると思う。それに同じ誕生日だ。今日は六月十四日だからね。お父さんは午前三時ごろの生まれらしい。はっきりとはわからないけれど。そしてこの子は午後三時。でもこの子は、お父さんの生まれ変わりじゃなく、カウンターパート。対になる存在なんだと思う。だから名前とこの護符を、この子に譲る。この子は……運命の子だからね」
「父さん……」
「お義父さん……」
 アリステアとポラリスは同時に小さな声を上げ、アールを見、次いで赤ん坊を見つめた。そしてポラリスが、小さな声で言った。
「この子は……運命の子……特別な子なのね……」
「そう」アールは息子夫婦に向かって頷いた。
「でもね、おまえたちはこの子を特別扱いしないで、普通に育ててやることだよ」
「ああ。もちろんだよ」
「ええ。そうするわ」
 二人は同時に頷いていた。


( 2 )

 その夜、家族がみな寝静まったあと、アールは一人書斎へと向かった。妙に目が冴えて、寝つかれなかったのだ。アルシス・リンク誕生の、興奮のせいかもしれない。未来が確実に生まれつつあるのだという――。
 アールはパソコンの前に座り、仕事をしようとしてみた。コミュニティの名簿は更新したばかりだが、まだアルシスの誕生はインプットしていない。アールは孫の名前とデータを打ち込んだ。その性別は本来の『不明』ではなく、『男性』と記して。そしてバックアップを取ると、セッションを閉じた。それ以上、作業をする気にはなれなかった。立ち上がって本棚に行き、本を読もうとしてみた。しかし、手にした本はどれも読もうという意欲を起こさなかった。アールは首を振り、窓辺に歩み寄った。
 この部屋は角部屋なので、書斎にも小さな窓がある。その窓を開けて空を見上げると、少し青みがかった夜空に、数限りない大小の星がそれぞれのかすかな光を投げて、夜を彩っていた。金色の月が中天にかかり、それより少し西の空を天の川が横切り、ときおり流れ星が糸を引いて落ちていく。
 自分はいくつになったのだろう。しばらく前から年を数えるのをやめていたが、アールはふとそう思った。四六歳――結構な年になったものだ。若くして逝く人が多い中では長生きなのだろうが、第一世代の最後の生き残りは六五歳まで生きた。昔の世界では、寿命はもっとずっと長かったとも聞く。これから少しずつ、寿命はまた延びていってくれればいい。第一世代が浴びたり、体内に取り込んだりしてしまった放射性物質は、第二世代以降にも悪さし続けるが、深刻さの度合いは確実に減ってきているはずだ。事実、第二、第三、第四と世代が下がるにつれて、奇形率や病気率も、少しずつではあるが下がってきているのだ。
 アールは壁にかかった鏡に映る自分の姿を見た。もともと銀髪なので、髪は多少白いものが混じっても、まったくといっていいほど目立たない。加齢のしるしは多少見られるものの、まだその顔は若々しさを保っていた。アールは肩をすくめ、きびすを返そうとした。眠くはないが、部屋に帰って寝たほうがよさそうだ、と。
 メアリとの主寝室と、ヴィエナがいる個室、ともにダブルベッドが置いてあり、アールは普段はヴィエナと、一週間に二回ほどはメアリとともに眠っていた。家族もそういう状態に慣れているようであったし、ジョスリンが以前、『うちは一夫多妻ね』と一度口にしただけで、母親の違う子供たち同士や、それぞれの母親たちの自分の子ではない子供に対する態度、また自分の母親ではない人に向ける子供たちの様子に、感じられる摩擦はなかった。しかし、水面下の軋みはあるのだろうか――自分は気づかないようにしていたが。ふと、そう思った。そしてもし自分が死んだら、メアリとヴィエナはどうするのだろう。もはや一緒にはいないのだろうな――そんな予感もした。
 メアリと結婚していながらヴィエナを愛したのは、運命なのかもしれないが、同時に自分の業にもなるのだろう――その時、改めてそう思えた。メアリにすまないとは思ったが、後悔の気持ちは起きなかった。アールはふっとため息をつき、今日はメアリが眠る主寝室へ行こう、そう思って書斎のドアを開けかけた。
 その時、不意に声が響いた。
(アール・ローゼンスタイナーさん)




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