Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 3  AGE Red (赤の時代)(3)




 やがてエフライムは空になった二つのカップを再びトレーに載せ、立ち上がった。
「ところでね、オーロラ。今から一時間ばかり、プログラミング本部に行ってきていいかな。夕方、問い合わせが入ってね。子供たちを寝かせたら、見に行くって言ったんだ。本当に一時間ばかりで、帰ってくるから」
「大丈夫よ。子供たちも寝ているし、行ってらっしゃいな」
「ああ、じゃあ、ほんの少しね。そうだ。ついでにパリスを子供部屋に戻しておこう」
「このままでも大丈夫よ」
「いや、この子はあまり寝相がよくないから、万が一君のおなかを蹴っ飛ばしてしまうと困るからね」
 エフライムは妻の傍らに寝ている末息子を抱き上げ、部屋を出ていった。パリスは普段、隣の子供部屋で、二段ベッドで眠るアティーナとライラスの傍らで、小さな子供用寝台で寝ているのだ。
「もうそろそろ三人は狭いから、ティーナに個室をあげない? その隣の。元のあたしたちの部屋を。それで今の子供部屋はライラスとパリスの部屋にするの。部屋はたくさん空いているから。それでこの子が生まれて、ある程度大きくなったら、ライラスにも個室をあげて、パリスとこの子を同じ部屋にするの」
 夫が戻ってくると、オーロラはそう提案した。
「そうだね。そして子供たちが大きくなったら、それぞれ個室が持てる」
 エフライムは頷いた。
「贅沢ね。ここで一人一部屋なんて。みんなほとんど誰かしらと一緒なのに」
 オーロラは肩をすくめ、言葉を継いだ。
「今ここは余裕があるから、マデリーンたちを受け入れてもよかったんだけれど。お互いに約束事を決めて、それをちゃんと守れるなら」
「ああ。でも君が言い出しにくいのはわかるよ。エディスやエヴィーや、他にも同じグループで、彼女を歓迎しない人は多いからね」
「まあ、あの娘もお姉さんと暮らした方が気楽でしょうしね」
 オーロラはエフライムに支えられながら、ゆっくりした動作で横になった。
「ありがとう。でも大丈夫よ、一人でも。ゆっくりやるから」
「いや、心配なんだよ。じゃあ、僕はちょっと出かけてくる。鍵はどうしようか」
「かけなくていいわ。誰かがあたしを襲いにきたりなんて、ないでしょうから。それにアールが来るかもしれないし」
「ああ、そうだね。じゃあ、出かけてくるよ」
「いってらっしゃい」

 ドアの締まる音がして二十分ほどたった後、再び玄関のドアが開く音がした。やがて誰かが入ってきて、寝室のドアをノックする。
「オーロラ? 寝ちゃってるかい? 僕だけれど。誰もいないの? エフライムは?」
「やっぱりアールね」オーロラは微笑し、入ってくるように声をかけた。
「予感が当たったわ。なんとなく今日は、あなたが来るような気がしていたの」
「だから鍵もかけないでいたのかい? 僕だからいいけれど、少し不用心だよ」
 アールは椅子に腰かけると、苦笑して妹を見やった。
「あたし、それほど人に恨みは買っていないつもりよ」
 オーロラはベッドに寝たまま、頭を巡らせて兄を見、そして笑った。
「それにもし鍵をかけちゃうと、起きて開けないといけないでしょ。今はそれが大変だから、それもあるのよ」
「ああ、まあそうだね」アールは頷き、ついで再び聞いた。
「それで、だんな様は留守?」
「今ちょっと、プログラミング班の部屋に行っているわ。問い合わせが来たんですって」
「まあ、引継ぎは完璧に済ませても、何かしら突発事態は起きるものだからね」
「何か問題があったの?」
「いや、特に大問題じゃないと思うよ。中央委員会の耳には何も入ってないから」
「そうなのね。じゃあ、いいけれど」
「調子はどう?」
「まあ、悪くないわ。というか、変わらないって言うべきね。あと一ヶ月半はベッドに釘付けかと思うと、ちょっと気がめいるけれど」
「そうか。まあ、君はいつもつわりはひどいし、ライラスの時にはかなり産後の回復が遅れたけれど、今回もずいぶん大変だね」
「あたしはお産とは、あまり相性が良くないのかしら」
 オーロラはかすかに肩をすくめた。
「だからエフもね、今度の子供で最後にしようって言うの。四人いれば、十分だって。幸いティーナもライラスもパリスも健常で元気なんだから、この子も含めて、精一杯がんばって育てれば、いいんじゃないかって」
「僕もそう思うよ。君の身体あってのことだからね」
「本当にエフと同じこと言ってるわね、アール」
「彼も君のことが心配なんだと思うよ」
「あたしは子沢山でもいいんだけれど。子供は好きだし、この家も広いし」
 オーロラは頭を巡らせ、窓の外を見やった。ブラインドもシャッターも下ろしていないその窓越しに、夜の空が広がっている。
「今日は星がきれいね」
「そうだね」
 アールもベッド越しに、窓の外を見た。妹がベッドの位置を変えた時、『カーテンを引き忘れたら、朝まぶしいんじゃないかい?』と彼は忠告したが、彼女は『かえって目が覚めるから、ちょうどいいわ。どっちにしろ、夜はカーテン閉めなきゃいけないし、今は』と答えていた。二人は夜空を眺め、しばらく、沈黙が流れた。
「ねえ、アール」オーロラが兄を見、口を開いた。
「何?」
「お父さんの星って、どこにあると思う?」
「えっ?」アールは虚をつかれ、振り返った。
「覚えていない? ジャスティン伯父さんの記録にあったこと。『夜空を見ると、どこかに自分の星があるような気がして、いつも探している』って、お父さんが言っていたって」
「ああ……そうだ、そんなことが書いてあったね」
「あたしね、星空を見ると、いつも思い出すのよ、そのことを。それで……今までこのこと、考えるのいやだったんだけれど……こんなこと、あなたにしか言えないわ、アール。だから今、言ってしまいたいの」
「なんだい?」
「お父さんは本当に、光の民だったのかしら?」
 真剣なまなざしでこう問いかけられ、アールは一瞬返答に詰まった。その思いは、ジャスティン伯父の記録を読んだ時から、時々無意識のうちに自分でも沸きあがってくる問いでもあったからだ。
「わからない」アールは首を振った。
「夢は、あくまで夢だしね。証拠もないし」
「でも、もし本当だったら……」
「本当だったら……?」
「光の民っていうと聞こえは良いけれど、でも地球人じゃないわけでしょう。そうなると、あたしたちって、宇宙人のハーフなわけよね」
「うん。そうなる……」
 アールは胸に感じる小さなわだかまりを飲み込んで、妹に向き直り、問いかけた。
「だから……?」
「だから……って?」オーロラは少し当惑気味に、そう反復する。
 アールは窓の外を見、そして妹に視線を移して、自分にも言い聞かせるように言った。
「僕たちが僕たちであることに、かわりはないよ。お父さんがお父さんであることに、かわりはなかったように。ジャスティン伯父さんが、そう書いていたように。お父さんは人間として生きていた。僕たちも人間として生きている。それだけの……はずだ」
「……そうよね」オーロラは少し沈黙を置いてから、頷いた。
「あたしはあたしに、変わりないのよね。あなたがそうであるように。子供たちも、その子供たちも」
「そんなこと気にしてたの、オーロラ?」
「ちょっと引っかかっていただけよ」オーロラは髪を振りやり、笑った。
「ありがとう、アール。なんだかすっきりしたような気がするわ」
「いや、君の問題は、僕の問題でもあるからね。ジャスティン伯父さんの記録を読んでからずっと、僕も同じことを考えなかったわけじゃない。考えたくはなかったけれどね。それでも……やっぱり僕は僕だとしか思えないんだ。この身体に流れる血が、もしかしたら普通の人と違っているのかもしれないとしても、僕は生きているし、他の人を愛して、子供を設けて、そう、他の人と同じように生きている。だから……」
「そうよね。生きて、人を愛して、人を生み出して、人を育んで、慈しんで、人とかかわりあって、泣いたり笑ったり喜んだり悲しんだり……生きているのよね、あなたもあたしも、他の人たちと同じように」
「ああ。そうだよ。僕もそう思うことにしたんだ。そうしたらね、ふっと思ったんだ。お父さんは、どう感じていたんだろうって。やっぱりそういう風に思っていたんだろうかって。お父さんもやっぱりお母さんと結婚して、子供をもうけて、家庭を築いて、友達と遊んで、バンド活動をしていた。ジャスティンさんの記録では、あんまり怒る人じゃなかったみたいだけれど、よく笑う人だったらしいし、怖がったり、悲しんだりしてたし、ジャスティンさんとケンカしたこともあるって言うし……」
「……ああ……そうね」
 オーロラは窓の外から兄へと視線を移し、そして天井に目を向け、また窓の外を見た。そしてしばらく黙ったあと、再びアールに目を向けた。
「あたし、今はじめて思ったわ。はっきりと……お父さんに、会ってみたかったって」
「ああ……」
「でもきっと、そう思ったのは初めてじゃないのよ。ずっと……たぶん、物心ついてから、ずっと思っていたのかもしれない。お父さんに会いたかった。だから、あたしたちを置いていったなんて、なんだか恨みがましい気持ちを持ってしまったのかもって……そう思えるの。だからさっきエフにも、お父さんに会ったことがあるかって、聞いてしまったりね。そして、なんだか複雑な気分になったわ。なぜ、大勢の一般ファンの人たちと話をしていたのに、あたしたちには会ってくれなかったのって……なんだかね、昔エヴィーが言っていたことを思い出したわ。あの子たちが覚えていないエステル叔母さんの記憶をあたしたちが持っているなんて、羨ましいって。今になって、あたしも自覚したわ、その思い」
「君はあの時、そんなことを言ってもしかたがないから、その分想像しろって言ったよね」
 アールは肩をすくめた。
「今にしてみれば、無情なことを言ったわね」
 オーロラも肩をすくめる。そしてしばらく黙った後、小さく続けた。
「でも本当に、もうお父さんに会うことはないのかしら。こっちでは会えなかったけれど……仮に向こうの世界に行ったとしても、元の姿に戻ってしまっていたら」
「ああ、あの夢の話が、本当だったらね……もうたぶん、別の存在になっているはずだから……そう思うと、僕も寂しいな……」
 アールの瞳は深い感慨に染まったことを示す紫色に変化していた。二人はしばらく沈黙した。アールは妹を改めて見た。妊娠中毒の影響からか、透き通るような顔色の彼女の姿に、ふと別の面影がだぶる。遠い昔、まだエヴェリーナとアドルファスが生まれる前、彼らが胎内に宿っていた頃の、エステル叔母の記憶が。アールは首を振り、言葉を継いだ。
「君のお父さんに対するこだわりが少し取れたみたいで、良かった。でも君の思いは寂しさの裏返しなんだって、僕はなんとなく気づいてたよ。だから君はベッドをこの位置にして、星空を見ていたんだろう。少しでも、お父さんの思いを知りたいって」
「ああ……そうね。たぶん、そうなのかもしれないわ。今まで、はっきりと意識はしていなかったけれど」
「それに、君はお母さんのペンダントを、お母さんが亡くなってから、ずっとしているしね。お父さんからクリスマスプレゼントにもらったっていう……」
「ティファニーの三連オープンハートっていうらしいわね、これ」
 オーロラは胸元で金色に光るペンダントを、手にとって見ていた。
「エフがそう言っていたわ。それであたしが、これはロザモンド姉さんがお母さんのおなかにいる時に、お父さんがクリスマスプレゼントとして、ニューヨークから買ってきたものらしいって言ったら、エフったら、『うわぉ!』なんて子供みたいに声を上げて、なんだかおかしかったわ」
「ジャスティンさんが奥さんに買っていたから、ついでに自分も買ってみたくなった、きれいだったから、なんて言ったらしいけどね、お父さん。エステル叔母さんにも、同じものを買っていたそうだし。叔母さんのは、亡くなった時に一緒に埋めたらしいけれど。昔お母さんがそう言っていたのを、覚えているんだ」
「あたしもそれは、おぼろげに覚えているわ。まあ、お父さんって、恋愛があまりよくわからなかった人らしいから、お母さんも大変だったと思うわ。そういう点も宇宙人っぽいって言えば、そうなのかもしれないけれど」オーロラは小さく肩をすくめた。
「愛は大事だけれど、恋は良くわからないし、知りたいとも思わないって言っていたらしいからね。お母さんに会う前だけど。ジャスティンさんがそう書いていたっけ」
 アールも肩をすくめ、そして言葉を継いだ。
「ねえ、オーロラ、君はロブ小父さんからCDをもらってからも、今までお父さんたちの音楽を聴いたことが、ほとんどなかっただろう。今なら聴けるんじゃないかい? 僕が預かっているCD、しばらく君が預かってみないか」
「うん、そうね……」オーロラは天井を見ながら、しばらく考えているようだった。
「ああ、でもCDはいいわ。エフが持っているから。戻ってきたら、貸してもらうわ。エフのはCDじゃないのよ。HDプレイヤーなの。アイスキャッスルにいたころは充電ができなくてほとんど聞けなかったけれど、ここでは自由に聞けるようになってありがたいなんて、だいぶ昔に言っていたわね。それを貸してもらうわ。あ、でも、DVDだけ貸して。明日で良いから、プレイヤーと一緒に。あたし今まで映像集会って、行ったことがなかったのよ。だから、動くお父さんの姿を見ていないの。それもなんだか違和感のような気がして、避けていたから。でも、今は見てみたい気がするの、エフと一緒に。今のあたしはお父さんより年上になっちゃったから、やっぱり違和感かもしれないけれど……特に十代の頃の映像とかは。でも、それでもね……」
「そう。わかった。明日持ってくるよ」

 そしてアールが帰ったあと、入れ違いに帰ってきた夫に、オーロラはその再生機をヘッドフォンと一緒に貸してくれるよう、頼んだのだった。
「やっと聞く気になったんだね」
 エフライムは笑いながら、その機械を妻に手渡した。
「この中、全部エアレースだからね。ああ、アクアリアもあるか。ともかく、他のアーティストは入っていないよ。スタジオ盤だけでなく、ライヴからレア音源まで、百四十曲くらい入っているからね。ゆっくりきいてごらん。今はアドルのおかげで、いつでも充電できるから」
「ありがとう、エフ。おかげさまで時間だけはあるから、じっくり聞いてみるわ」
 オーロラはにっこり笑うと、ヘッドフォンを耳にかけた。

 それから一ヶ月あまりは、平穏にすぎていった。しかしその後、事態は急転した。あと二週間で予定日となった日の朝、オーロラは産気づいた。しかしそれには今までのお産以上の激しい痛みが伴い、やがて意識がなくなった。『胎盤早期剥離だろう』と、医療班の産婦人科医は診断を下した。胎内で起きた大出血のために、一時は子供も絶望視されたが、母は意識を失いながらも、その本能なのだろうか、お産は進行し、手遅れになる前に、赤ん坊は胎内から出た。千七百グラムと小さかったが、それゆえ赤ん坊は生きることができた。女の子だった。しかし母親であるオーロラ・ロゼット・シンクレアは娘が無事に誕生した事を知らないまま、二八歳の若さで世を去ったのだった。

 葬儀に出た誰もが、彼女の死を悼んでいた。さらに残された三人の子供の姿が――涙のあとを見せながら、気丈に佇むアティーナ、時折しゃくりあげながら、姉にぴったり寄り添っているライラス、そして母親がいなくなったことが理解できず、眠っているかに見える母のそばに行こうとする小さなパリスが、参列者の新たな涙を誘っていた。
「お従姉ちゃん……それだけはパパとママと同じにならないでって、言ったのに……」
 エヴェリーナは泣きじゃくりながら、フェリックスにすがっていた。
「でもオーロラさんだって、そんなつもりじゃなかったはずだよ」
 夫をさえぎるようにして、エヴェリーナはなおも叫んでいる。
「わかってるわ! わかってるのよ! 誰よりお従姉ちゃんが、子供たちのことを気にしてるはずだって! かわいそう! エフライムさんもお従姉ちゃんも、ティーナもライラスもパリスも、今度生まれた赤ちゃんも……あの子はあたしと同じ、生まれた時からお母さんを知らないのよ! なぜ、なぜこんなことが、繰り返されるの! あんまりひどいわ!」
「赤ちゃんの名前、決まりましたか……」アールは静かに義兄に聞いた。
「ああ……」
 再びやもめになったエフライム・シンクレアはやつれきった表情で、頷いていた。
「ポラリス。ポラリス・ロゼット・シンクレアとつけたよ。エアレースの……六枚目のアルバムから取って。オーロラと決めていたんだよ。一週間前……星空を見上げながら。彼女はちょうど、そのアルバムを聞き終わったあとで……彼女は一ヶ月前から、ようやくエアレースの音楽をじっくり聴きはじめて、DVDも一緒に見て……どれも凄いけれど、自分はこれが一番好きだって言っていた。特にこのタイトルトラックを聞いていると、わけはわからないけれど、幸せな気持ちになってくる、と。そして、北極星があそこに見える……あれが天の方位針なんだって……」
 エフライムはこらえきれないように、ひとしきり嗚咽をもらしていた。
「お願いね、エフライムさん……その子を恨まないでね。かわいがってあげてね。お従姉ちゃんも分も……」エヴェリーナは訴えるように言った。
「ああ、恨んだりはしないよ、もちろん。するわけがない。そんなことをしたら、オーロラだって報われない」エフライムは少し驚いたような表情で、頷いていた。
「ただ、君たちにお願いがあるんだ。僕は命のある限り、四人の子供たちを全力で育てる。この子たちを守って、生きていこうと思う。でも僕はこの通り、もう若くない。いつまで生きられるかわからない。もし僕が、そう、末っ子のポラリスが一人前になるまでに力尽きてしまったら、その時には……」
「ええ、大丈夫。責任を持って、わたしが面倒を見ます」
 みなまで言い終わらないうちに、メアリがきっぱりとした口調で宣言した。
「オーロラはわたしの親友だったし、義理の妹でもあるのよ。その子たちはアールの姪や甥なのだから、あなたにもしものことがあったら、わたしが引き受けます」
「もちろん、わたしもそうするわ」ヴィエナも一歩前に進み出ている。
「だから、安心して、エフライムさん。大丈夫よ」
「ありがとう。万が一の後ろ盾があると、安心だよ」
 エフライムは寂しげな笑みを浮かべていた。
「ありがとう、二人とも……そう、もちろんその時には、僕が責任を持つよ」
 アールは長いため息をついた。
『君のほうが長生きしそうだね、気楽だから』
 十三歳の頃、ロブ・ビュフォードに未来世界の話を聞かされ、父やジャスティン伯父の遺品を託された時、オーロラと二人、どちらがあとに残って遺品を最終的に管理し、処分することになるのだろうと言った時の、自分の言葉が思い起こされてきた。たった一時間の差しかない、ほぼ時を同じくして生まれた妹は、少なくとも自分の命ある限り、一緒に生きているものと思っていた。
 アールは紫色に煙る眼で、義兄弟というにはかなり年の離れた、妹の夫を見た。エフライムはいっぺんに、さらに二十歳くらい歳をとったように見えた。彼の喪失感と自分の思いは、どちらが大きいだろうか。たぶんエフライムのほうなのだろうが、それでも――。
 十月の末、初雪の降った日だった。来週にはもう、シルバースフィアの窓もシャッターで閉ざされる。それでも、星はそこにあるのだろう。今頃彼女は彼方の世界で、父に会えたのだろうか。もしその姿が変わっていたら、彼女はどう思ったのだろうか――。
 アールはぼんやりと、そう考えていた。


( 4 )

 季節は流れ、それから四年がすぎた。エフライムはまだ元気で、妻のいなくなったシンクレア家を守っていた。長女のアティーナは十二歳になり、すっかり家事が上手になったので、エフライムも彼女に家を任せて、仕事に戻ることが出来るようになった。ライラスは十歳、パリスは六歳、そしてオーロラが命を賭して生んだ末娘ポラリスも四歳に成長し、母はいないながらも、笑い声の絶えない家庭になっていた。
 アールの子供たちも順調に育っていた。メアリとの長子ランディスはもう十四歳になり、ジョスリンは八歳、ヴィエナとの三人の子供たちも十一歳のティアラ、九歳のアリステア、そして末子で五歳のエイプリルとで、にぎやかな家族を形成していた。
 従兄と同じく三角関係の渦中の人となったアドルファスは、マデリーンとの間に五年前に生まれた娘メイベリン・ジェーンの他に、三歳になるニコラス・クロードと、一才半のフローレンス・ローラが生まれていた。マデリーンが次々と夫の子供を身ごもり、生んでいくのを見るのは、正妻エディスにとって心穏やかなことでは、なかったであろう。だが、表面的には二人の間に表立った衝突はなく、穏やかに過ごしているようだった。二人が正面切って顔を合わせることが、ずっとなかったせいもあろう。
 エヴェリーナは、夫と六才になった息子ダリル、三才の娘ヴィクトリアとともに、母として妻として、多忙ではあるが満ち足りた日々を送っていた。娘が生まれた時、夫はアンジェリーナと付けたかったが、彼女はこの子をヴィクトリアと呼ばなければならないと主張した。
「そうしなければ、未来が狂ってしまうわ。あたしは二番目の娘はヴィクトリアだって、書いているんだもの。だからこの子は、ヴィクトリアじゃなきゃいけないのよ。あなたがどうしてもアンジェリーナって付けたかったら、ミドルネームにするか、この次生まれる女の子につければいいわ。もし生まれればだけれど」
 生まれて一ヶ月で死んでしまっているとはいえ、彼女にとって最初の娘はあくまでグレイスなのであり、今度生まれた女の子は二番目の娘だ。そうとしか思えなかったのだ。
「やれやれ、厄介な制限をおってるんだなあ、僕たちは。じゃあ、ミドルネームはすぐに幽霊化するから、この次の子につけよう。娘が生まれることを願ってね」
 フェリックスは苦笑して肩をすくめたが、娘をヴィクトリアと名付けることには同意し、ミドルネームはエヴェリーナの母、エステル・フローラの双子の相方、本来の彼女であるメイベル・ルイーザのミドルネームであるルイーザをとり、ヴィクトリア・ルイーザとなった。そして呼ぶ時には、簡単にヴィッキーと呼んだ。彼女は父親譲りの鳶色の巻き毛で、目は母親譲りの緑だった。三才の今、快活なよく笑う幼児に成長している。
 廃墟の中から生まれたばかりのシルバースフィア・コミュニティは、赤ん坊の時代を脱して、安定をはじめていた。今やコミュニティ全体で三百人足らずまで減ってきていた第一世代の人たちも、自分たちの苦闘が報いられたことを知った。長い夜を抜け、ついに完全な朝が訪れたのだと。

 その夏は、経験したことがないほど暑かった。長い間放射性の雲に覆われて、本来の暖かさを遮られていた太陽が、やっとその輝きを完全に取り戻したのだ。第二世代以降の人々にとって、夏はいつも『暖かくてしのぎやすい季節』であったのだが、それは本来、春の盛りのものであって、夏のものではないと言っていた第一世代の人たちの意見を、やっと実感したのである。
 寒さには慣れている彼らも、初めて経験する暑さという感覚に、初めは戸惑っていた。シルバースフィアの空調に、世界が再生して初めて冷房が作動した。外へ出ていて、暑さ負けする人も出始めた。人々はカタストロフ以降初めて、半袖の服を着た。オタワ市内の衣料倉庫にあったものを集め、科学班とリサイクル班が共同開発した、洗浄・繊維強化プロセスを施された後、長いテーブルの上や大きな箱の中にサイズ別に入れられたそれを、規定の枚数ずつ、人々は好みのものを取っていったのだ。
 薄い衣服や剥き出された手足が、運動公園や広場のあちこちに散らばり、第二世代以降の人たちは、生まれて初めて日焼けというものを知った。

 この十二月に四人目の子供を出産する予定のエヴェリーナも、ゆったりしたクリーム色更紗の袖なしワンピースを着、ダリルとヴィクトリアを連れて、外へたびたび日光浴に出ていた。ただ日の光を浴びることは好きでも、日焼けは彼女の好むところではなかったので、この副産物を発見した時、夫に向かってぼやいた。
「見て、こんなに肌が黒くなっちゃったわ。あたし、もとからそんなに色白じゃないのに、これ以上黒くなったら、本当にみっともないわね。そばかすも出ちゃったし、ああ、どうしましょう」
「それがいやなら、外へ出ないことだね。でも、いいじゃないか、エヴェリーナ。日光は浴びすぎなければ身体にいいんだし、たとえ君が真っ黒けでそばかすだらけになったとしても、僕は君を見捨てないからね」
「いやよ。あなたがよくても、あたしは恥ずかしいもの。やっぱり帽子を被らなくちゃ。第一世代の人がそう言ってたのを、聞いたことがあるのよ。そうすれば顔はいくらか日に焼けなくなるって。ああ、もっと早くそうすべきだったわ」
「今からじゃ、もう手遅れじゃないかな。もう八月の終わりだよ」
「そうね。でもこれ以上日に焼けないためには、今からでもそうするべきよ。あたし、アールお兄ちゃんに頼んで、帽子を配ってくれるようにしてもらうわ」

 それからまもなく、同じように長い間倉庫で眠っていた日よけ帽が、きれいに洗って乾かされた後、中央広場の箱の中に並べられ、人々は再び好みの帽子を取りにいった。多くの人が、昼間はよく外で過ごしていた。外の時間制限は、今や六時間に延びていた。紫外線はかなり強いものの、空中の放射線量は、カタストロフ以前より少し強い程度になってきている。雨も、もはや危険なものではなくなった。黒でも灰色でもなく、透明に輝きながら落ちてくる。雪はあくまで白く、混じり気はない。あれから三十数年の年月を経て、地球に播かれた猛毒は地域限定ではあるが、ようやく効力を失い始めようとしていた。
 シルバースフィアを中心として、周囲百五十ヘクタールほどの土地が整備され、将来的に新しく地上に住居を移す準備段階として、建設仕様のロボットたちと、昔からあった重機を使って、いくつかの建物が建設され始めていた。だが人間の方は、二千人近くにまで減っている。第一世代の人々は、もはや二百人を切り、第二世代が千二百人ほど、そして第三世代が七百人強という構成比である。この時代が有史以来、もちろん新世界においても、一番人口が減っていた時だった。だがこれからは、第三世代以降がだんだん増えていくとともに、全体人口もまたゆっくりとではあるが、増えていくだろう。過渡期にあたる今を乗り越えれば。
 十年ほど前から、すべての中心は第二世代に移行していた。一番移行の早かった科学班はもとより、農業班、リサイクル班、医療班、教育班、文化保存班、養育班、戸籍班など、すべての作業班はリーダーから主要メンバーまで、ほとんど第二世代の若者であり、数少なくなった第一世代の人々は、オブサーバーとして意見を仰がれるための存在になっていた。五年前から各グループのリーダーもすべて第二世代に移行し、第一世代の生き残りたちはサブリーダー、もしくは監督として、影に回り彼らを支えていた。中央執行委員会でも、七年前に第一世代のリーダーだったクレイグ・ロビンソンの死去に伴って、アール・ローゼンスタイナーを中心とする第二世代グループに、すべての権限が完全移行していた。最初の世代交代が、ここで終決したのである。




BACK    NEXT    Index    Novel Top