Part 4 of the Sacred Mother's Ring - The Children of the Light

ACT 2  AGE Blue (青の時代) (2)




 その翌日から、科学班とリサイクル班の第一世代メンバー三十人と供に、アドルファス・ローリングスとエディス・バーネットは、動物たんぱく質の再現という難作業に入った。サンプルを得るため、探索モデルの一台にトラックを運転させ、対岸の街ガティノーを超えて(ここの物資もほぼ取りつくしたので)、その北にあるチェルシーという小さな町まで走らせ、そこにあったビーフジャーキーやコンビーフ、真空パックのスモークチキン、ボイルド・ポークやチキンの缶詰、加工用の卵粉末やスキムミルクを集めて、シルバースフィアまで持って帰った。その間にアドルファスとエディスは市内の図書館などに残っていた、動物たんぱくの分子構成に関する専門文献を読んでいた。
 集められたサンプルのうち、ビーフとポークはとりあえず後回しにして冷凍保存し、クリスマスに必要なチキンと卵、ミルクの三つに絞って、研究ははじめられた。文献を参考にし、実際の現物から経年劣化の影響を考慮して、正しい分子構成サンプルを作る。最初の三か月は、単分子分解と再合成の技術開発に費やされた。それほど大がかりな装置を使うことなく、どうすれば単分子に分解できるか。そしてさらに分子を入れ替えたり、結合させたりできるか。その環境を作り出し、それに必要かつ効率的な触媒を見付け、さらに指定した構成に組み替えること。その機械の開発に、アドルファスとエディスは、科学班二十人のメンバーの協力を得、十月下旬になって、ようやく成功したのだった。そのあとはその装置の助けを得て、エディスはミルクと卵を、そしてアドルファスはチキンの再現を担当した。
 十一月の終わりに、エディスが担当している卵とミルクが再現できた。卵の方は全卵粉末で、ミルクの方も粉末状だが。だがアドルファスはチキンの形状も再現しなければならないため、かなり試行錯誤を繰り返していた。難関の一つは、白身肉と皮では、構成が全く違うこと。部位によっても、構成が違うことだった。それで彼はとりあえず、ささみと皮、この二つの部位の再現に絞り、分解統合作業を繰り返し、ある程度形になると、第一世代の人たちに試食してもらって、彼らの覚えているオリジナルに比べてどう違うかというアドバイスをもらい、それに基づいて実験をやり直すということを、何度も繰り返していた。やがてその努力もついに報いられ、研究開始から五ヵ月たった十二月のはじめ、ついにチキンも再現できた。試食した大人たちも、『ほぼこの味だ。間違いない』と、太鼓判を押してくれた。

「あー、なんとかクリスマスまでに、間にあったあー!」
 研究室へ戻ってきたアドルファスは大きくため息をつくと、机の上に身体を投げ出し、のばした腕の上に頭をもたせかけた。ここ数か月、この研究に夢中で、寝ても覚めても頭から離れたことがなかった。寝ている間にも気になって、途中でベッドから抜け出し、研究室へ行くこともしょっちゅうだったのだ。
「ご苦労さま。良かったわねえ」エディスがその背中を、ポンと叩いた。
「ああ、エディス、ありがとう。良かった、ぼくもこれで責任はたせて。まあ、牛肉と豚肉はまだこれからだけど、クリスマスに必要な鶏肉は間に合ったから。君の方はもうとっくに終わっちゃったのにね。君は、やっぱりすごいよ」
「そんなことないわよ。わたしよりあなたの方が、難しいことをやってたんだもの。わたしは白身と黄身とか区別せずに、ただ全卵粉を再現すればいいだけだったし、ミルクもね、ミルクのような豆乳、というサンプルも手に入ったから、両方参考にできたのよ。ほんの少し、豆乳の構成を入れ替えて、それに乳脂肪分を合成して入れるだけですもの。あなたは形から作らなければいけないし、大変だったんじゃない? ここのところ遅くまで研究室にいたから、あんまり寝てないようだったし、食事もうわの空みたいだったし、わたし心配したのよ。大丈夫? 今もちょっと顔色よくないわよ」
「本当?」
「そうよ。ほら、鏡見てみたら」
 エディスは悪戯っぽく笑って、いつも自分が使っている、赤い飾りぶちのついた、直径二十センチくらいの、丸い手鏡を差し出した。
「ふうん……そうかなあ」アドルファスは鏡に映る姿を覗き込んだ。
「うん。言われてみると痩せたかもね、たしかに。それに今年の夏は全然外へ行かなかったから。だから、青白く見えるのかなあ。でも大丈夫だよ。本当、ほっとしているんだ、ぼく。今は冬になっちゃったから、またしばらくは外へ行けないけど、春になったら、少し運動するよ。でも、髪のびたなあ。ここのところ、切ってなかったから。もうちょっと落ち着いたら、切らなくちゃ」
「あら、でもそのままでもいいんじゃない? なかなか素敵よ。あなたのお父さんみたい」
「ぼくのお父さん?」
 アドルファスは軽い驚きを感じて、鏡に映る自分の姿をまじまじと眺めた。伸びた金色の巻き毛は、たしかに昔写真で見た父と同じような長さにまで達してはいるが――。
「ぼくは、お父さん似じゃないって話だよ。お父さんの髪は金褐色だし、目も緑で。エヴィーの方が、ぼくよりずっとよく似てるみたい」
「わたしが似てるって言うのは、姿形のことじゃないわ。雰囲気が似てるの。わたしもあなたのお父さんの写真を、お母さんが持っていたスマートフォンの中の写真で、見ただけだけれど。昔ネットにあったものを、ダウンロードしたって言っていたのよ」
「そう。まあいいや」アドルファスは鏡を返し、軽く頭を振って笑った。
「ともかく、これでクリスマスにプディングとローストチキンができるかな。七面鳥は無理だったけれど」
「サンプルがあまりなかったものね。仕方がないわ。でも分子合成機ができたから、もしサンプルを手に入れられたら、きっと作れるわよ」エディスも肩をすくめた。
「うん。今アイスキャッスルにある凍結受精卵をここに持ってこられて、人工孵化できる技術が出来たらね。だいぶ先だけど」
「そうね。第一アイスキャッスルまで取りに行くのって、かなり大変よ。ここに保管していたものが、使えたらよかったんだけれど」
「ここのは、放射線でやられちゃったんだよね。世界が終わる時、ものすごく大量の放射線が降ってきたみたいだから。保存食料にも虫が湧かなかったのは、よかったと思うけど。今は微生物が復活してるから、そろそろ気をつけた方がいいのかな。まあ、それはともかく、アイスキャッスルにも凍結受精卵が保管されていて良かった。それはノアの方舟計画、なんだってね」
「ノアの方舟計画?」
「うん。アールお兄ちゃんが言っていたけれど、ロブ小父さんの日記に書いてあったって。ぼくも後で読ませてもらったんだけど、アイスキャッスルを建設する時、あそこは万が一のためのシェルターという目的もあるから、地球上の動物たちの凍結受精卵を、当時のカナダ政府、アメリカ政府が協力して、アイスキャッスルのシェルター部の奥に保管したらしいんだ。お父さんたちのバンドのミックさんが、大臣だった父親に働きかけて、それはいい計画だっていうことになって、実現したらしいんだけれど。アイスキャッスルの発電施設は動かしたままできたから、冷凍は溶けないし。仮に冷凍装置が止まっても、あそこは寒いから、平気かもしれないけどね。だから、取りにいくまでに何百年かかかっても、大丈夫らしいよ」
「そうなの。よかったわ。でも、ノアの方舟って何?」
「聖書の話だよ。君は読んだことない、エディス? ぼくはエヴィーが教えてくれて、読んだんだ。世界が滅びた時、神様はノアっていう人の一族を特別に助けてくれることになって、大きな方舟を作れって言ったんだって。それでその人は大きな方舟を作って、そこに自分の一族と、世界中の動物たちをひとつがいずつ、船に乗せたらしい。その後世界に大雨が降って、すべては水の底に沈んで、でもその船だけは水の上に浮かんでいたから、助かったっていう話なんだ」
「なんだかまるで、わたしたちのお父さんお母さんたちのお話みたいね。世界が滅びて、唯一助かったっていうのが」
「うん。だからお父さんも記録で、アイスキャッスルのことを『現代のノアの方舟』って書いていたんだ」
「そうなのね……」
 エディスは不思議そうに首をかしげた後、首を振って言葉を継いだ。
「でも、どっちにしろ、今は七面鳥無理だから、鶏肉と卵とミルクだけでも再現できて、本当に良かったわ。お疲れ様、アドル。部屋へ帰る? でも急ぐんじゃなかったら、わたし、何か飲み物を作ってあげるわ。休憩室へ行きましょうよ」
「うん、ありがとう」
 アドルファスはデスクから立ち上がった。だが、急に立ち上がりすぎたのか、それとも今までの無理が少々たたったのか、瞬間目の前が暗くなり、よろめいた。
「あ、危ない! 大丈夫!」
 エディスは支えようと思ったのだろう。手を差し出したが、支えることはできなかったようだ。二人は同時に、壁に倒れかかった。
「あ! ご、ごめん!」
 アドルファスは瞬間的に右手で壁を突っ張り、激突を避けると、あわてて謝った。
「う、ううん。気にしないで……」
 エディスはどぎまぎしたような表情で、そう答えている。
 アドルファスは、一瞬胸の鼓動が止まったように感じた。この感情は? エディスも赤くなりながら、同じような思いを感じているようだった。その時、二人は初めてお互いの異性を、まともに認識したのだろう。二人の顔は同時に紅潮し、しばらくそのままの体勢で、お互いにじっと見つめ合っていた。それは不思議な感情――今までの八年半、仲の良い友達であり、研究パートナーだった二人だったが、その友情の中から別種の熱い感情が、いつのまにか生まれてきた。そのことをこの瞬間、アドルファスは認めた。それはエディスも同じだったようだ。
 その時ドアがバタンと開いて、エヴェリーナが入ってきた。
「ねえ、やったじゃない、アドル! 動物たんぱく合成、成功したんですってね。みんな凄く喜んで……」
 エヴェリーナは、目に入ってきた光景に仰天したらしく、言葉を飲み込んだようだった。見る見る彼女まで真っ赤になりながら、ぱっときびすを返す。
「あら、ごめんね、お邪魔して!」
「エヴィー、違うって! 誤解だよ!」
 アドルファスは壁を支えていた手を離すと、頭を振ってそう叫んだ。しかし、もう扉を閉めて廊下に出てしまった姉の耳には届かなかったようだ。
「本当に誤解なの?」
 エディスが口を尖らせ、頬を紅潮させたまま、少し気分を害したように言う。
 アドルファスは早くなる心臓の鼓動を感じながら彼女の目を見、再び顔を赤らめながら呟いた。
「う、ううん。そういうわけじゃないけど……」

「ああ、びっくりしたわ……」
 廊下に走り出たエヴェリーナは、胸を手で押さえて、大きく息を吐き出した。
「ひょっとしたら、そんなことになるんじゃないかなって思ってたら、やっぱり。ああ、でもなんかしゃくだわ、アドルったら。あたしより奥手のくせして、そういうことだけはちゃっかり早いなんて」
 エヴェリーナは首を振り振り自分の部屋へ帰り、考えこんだ。エディス・バーネットは嫌いではないし、いずれは弟も誰かを愛するわけだから――そう思いながらも、気持ちの底流に淋しさのような感情が付きまとって離れない。ああ――そうか。いつかオーロラと交わした会話が思い起こされてきた。自分とアドルファスと、どちらが先に大人の領域に入ることになるのか。自分が取り残されたら、どう感じるか。今、その思いを味わっているのだと。自分の愛する人たちが、誰か他の人を愛するようになって、関心が減るのは、いや。その感情にも気づいて、彼女は少し自分を恥じた。そういえば、アールがメアリと結婚すると告げた時に感じた思いも、それに似ている。でもそれは、あんまり利己的すぎる。エヴェリーナ・ローリングスよ、弟や従兄はおまえの恋人ではないのだから、あたりまえのことではないか――。
 でも胸の中の淋しさは、純然たる独占欲だけではない。自分と一緒に生まれて育ってきたアドルファスが、一人だけ先に愛の領域へ入っていってしまったことに対する、取り残されたという思いだ。
「本当アドルったら、あたしより心は子供のくせに。なのにいつも、あたしより先に大人の世界に行ってしまうのね。不公平だわ」
 エヴェリーナは自分に向かってそう呟き、再び長いため息をもらしたあと、首を振った。
「でも、それも仕方ないわ。アドルだって、結婚しなくちゃね。あたしより早いっていうのがしゃくだけど、エディスはいい子だし。そうね、アドルはアールお兄ちゃんみたいに他の人を同時に愛して、彼女を悲しませなければいいけど」
 エヴェリーナは従兄の家庭のことを考えていた。二ヵ月前に、ヴィエナ・ライトが生まれたばかりの娘――アイスキャッスルで死んだ下の姉の名前を取って、ティアラ――ティアラ・マリアと名付けられた赤ん坊を連れて、彼女たちのグループに加わってからの、アールをはさんだメアリとヴィエナの関係を、エヴェリーナはとても気にかけていた。メアリとヴェエナは、表面的には仲が良かった。家事を分担し、一緒に食事さえ取っているようだ。でも二人は決して、普通の仲良しではない。何か目に見えない障壁のような、薄い氷の壁のようなものがあるようだ。時々従兄の家に出入りしているエヴェリーナにさえ、感じられるほどに。もちろん、どうして心からの友になどなれるというのだろう。お互いに、愛するものを奪っていこうとするような相手と。
「なんでお従兄ちゃんは、そこのところをわかっていないのかしら」
 エヴェリーナは思わずそう呟くと、頭を振り、再びため息をついた。
(まあ、でもね、お従兄ちゃんには二人もお相手がいて、お従姉ちゃんには大事にしてくれる素敵なだんな様がいて、そしてアドルにはエディスが……あたしだけ、まだひとりじゃない。あたしだけっていうのは、ちょっといやよね。いずれはアドルもエディスと結婚して家を出て行って、あたしだけずっと一人で残っていたら、ちょっとへこむわ。そもそもあたしって、結婚できるのかしら……?)
 そう思ったとたん、記憶の断片が脳裏を掠めた。十四歳の誕生日に見た、父の日記。その中に書かれた、未来の彼女自身の言葉。
『私はエヴェリーナ・ローリングス・ラズウェル』
 ということは、あたしは結婚できるんだ。でも誰と? ラズウェル? そんな名字の人がいたかしら――。
 次の瞬間、彼女は思い当たって、小さく飛び上がった。思わず声が出た。
「フェリックス? 嘘よ! そんなのいやだわ! あたしあんな人となんて、絶対に結婚なんかしないわよ!」

 フェリックス・ラズウェルは今年十九才になる若者で、彼女と同じ「みどりの家」で働いていた。彼は教育班ではなく、医療班から派遣されている機能訓練担当で、教育班から来ているエヴェリーナとは職種が違い、身体の運動機能に障害のある子たちを、少しでも動けるように訓練する係だが、二人とも同じセクションで働いているため、ほとんど毎日仕事場で顔を合わせていたし、よく言葉もかわしていた。
 フェリックスは比較的長身で、鳶色のもじゃもじゃした巻き毛を肩まで伸ばし、後ろで束ねている。少し間隔の離れた茶色の目に、鼻や頬に少しそばかすのある青年だ。エヴェリーナの審美眼から言えば“取り立ててハンサム”というタイプではない。醜男というほどでは決してないが、彼女の好みとは違う。彼女の理想のタイプというのは、薄色の髪で細身の美しい男性――ちょうど従兄アールが、理想サンプルだ。もしくは皮膚が浅黒く髪も目も黒い、精悍でりりしいタイプの男性もいいなと思っていた。フェリックスはどちらにも属さない。つまり、平凡なのだ。おまけに非常に現実的な考え方をしていて、ロマンチックなところなどかけらもなさそうで、職場の同僚として付き合うのはいいけれど、恋人にはあまりしたくないタイプだと思っていた。おまけによく彼女をからかうし、意外と頑固なタイプらしく、時々子供たちの扱いについて、口論をすることもあった。全体において、エヴェリーナはフェリックスのことをあまり気のあう同僚とはみなしていなかったし、また彼の方でもそうだろうと思っていた。
「まったく、とんでもないわね……」
 エヴェリーナは、ため息混じりに頭を振った。
「でも他にラズウェルって名前の人、いたかしら。アールお兄ちゃんに聞いてみよう」

 エヴェリーナはその足で、中央委員会のセクションに向かった。そしてコントロール・セクションの仕事部屋で、各グループの第二世代の動向報告をチェックしていた従兄を、つかまえることができた。
「ラズウェル?」
 アールはエヴェリーナの質問を聞くと、少し眉間にしわを寄せて、一瞬考えこんでいるような表情をした。
「このファミリーはたしか、第二三グループにいるんじゃないかな」
 アールは毎日名簿の更新をしているため、八百人近い第二世代全員の所属や現在の状態を、ほとんどそらで記憶しているようだ。彼はチェックしかけの名簿を、パソコンを通じて探索し、確認して頷いている。
「うん。二三グループ所属。えーと、第一世代のビリー、正式にはウィリアム・ジョン・ラズウェルが元で、奥さんがマーガレット・エリザベス、第二夫人がアン・クローディア、と。奥さんとの間にフェリックス・ウィリアムとキャロライン・エリザベス、アンとの間にルイーズ・キャサリン。ビリー・ラズウェルは五年前に死んでるね。マーガレット・ラズウェルはそれより二年前に没。アンはまだ健在。マーガレットとアンは姉妹で、だからマーガレットの没後は、彼女が三人の子供を育てているみたいだね」
「まあ、本当? で、キャロラインとルイーズって、女の子よね。じゃあ男の子でラズウェルって姓の人は、フェリックスだけなの? 他にラズウェルさんってファミリーもいないの?」
「そうだね。ああ、彼の異母弟にエリック・トーマス・ラズウェルって子がいたけど。アンの子供の。でも五年くらい前に死んじゃっているから、ラズウェル姓の男子は、今はフェリックスだけじゃないかな。他に同名のファミリーもいないし」
 アールは答え、少し怪訝そうなまなざしを向けた。
「でも、それが何か? 君に関係あるのかい、エヴィー?」
「ちょっとね。いいえ、ふかーい関係があるみたいなの」
 エヴェリーナは絶望的な仕草で首を振った。
「あたしは、ラズウェルって人と結婚しなきゃならないの。ああ、本当にとんでもないわ。そうよ、エヴェリーナ・メイ・ローリングス! あなたは本当にとんまよ。なぜ、わざわざ名字まで書いたのよ!」
「何のこと?」
「あのね……」エヴェリーナはチラッと従兄の顔を見上げた。
「お従兄ちゃんにだから、話しちゃうわ。あたし、ヴィエナの件があってから、昔ほど崇拝はしないけど、でもそれでもやっぱり、アールお兄ちゃんにはちがいないから」
「それは……ありがとう」アールは苦笑いしている。
「じゃあ君は、ヴィエナが嫌いなのかい?」
「だいっ嫌いってわけじゃないけど、なんだか好かないわ。あたしはメアリの方が好きよ。ヴィエナはわりと性格的に激しいし、第一奥さん子供のある人を横取りして平気なんだもの。ああ、横取りってわけじゃないわよねえ。お従兄ちゃん、メアリと子供たちは捨ててないもの。もしそうだったら、あたしお従兄ちゃんに幻滅するわよ」
「厳しいなあ、エヴィーは。でも第一世代では、そう珍しくないことだと思うけれど」
「それは男の人と女の人の数が、相当違うからでしょ? それに子供を増やすっていうのが大命題だったから、そのために男の人を借りただけ、ということもわりとあったって聞くし。でも第二世代は、そうじゃないもの。それに、そういう理由だけじゃなくて、本当の愛情は、一対一じゃなきゃいけないような、そんな気がするの」
「そう、まあね。それができたら、一番いいんだろうね。僕も認めはするよ」
 アールは椅子をくるっと回して、エヴェリーナを正面から見た。
「でもエヴィー、それはあくまで理想論だと思う。僕も昔は、そう考えたこともあったけどね。僕はメアリを好きだし、彼女一人だけを守って、生きていくつもりだった。でもヴィエナに会って……なんていうかな……僕は運命だと思ったんだ。結婚って、お互いを縛る鎖になっちゃいけないと思うんだ。自分の感情を押さえて、その気持ちに嘘をついて、無理に切り捨てていくことが、本当の幸せだろうかと思うんだよ。たとえメアリを苦しめることがわかっていても……そのことについては、正直僕も悩んだ。彼女も好きだから、彼女を苦しめたくはないと思った。だけど、僕はヴィエナを愛する気持ちを止められないから、メアリには謝ったんだ。本当にごめん。君のことは好きだけれど、ヴィエナのことも愛してる。ランディとグロリアは、君の子であると同時に僕の子でもあるから、最後まで父親としての責任は持つけど、もし君がそんな状態に耐えられないなら、君は僕から自由になるかいって」
「それって、つまりメアリと別れるっていうこと?」
 エヴェリーナは驚いて、目を見張った。
「うん。でも捨てるとか、そういうんじゃない。彼女に委ねようと思ったんだ」
「ヴィエナの方をあきらめるっていう選択肢は、お従兄ちゃんにはなかったの?」
「そうだね。その時の、それに今の僕にも、それは考えられなかった。彼女にも子供がいたし。でも僕がそう言ったら、メアリは泣いて、それはいやだって言った。それよりは、共存の道を選びたいって。ヴィエナもそれでいいって言ったから、僕もそうした。みんなで大きなファミリーになればいいと思った。男の勝手な理屈だって、君は言うかもしれないけどね。メアリは『わたしへの愛情も、少しでもいいから残していて』と言って、僕も『もちろんだよ』と答えた。彼女のことは好きなんだ。ずっと。ただ、ヴィエナへのそれとは違う。たぶんね、愛情って言うのは、君の想像以上に、いろんなバリエーションがあると思うんだ。そんなにすんなりとはいかない場合もあるってことさ。それに君はまだ、実際に恋愛感情というものを、体験したことはないわけだろ?」
「そうよ。だって、まわりに素敵な人がいないんだもの。あくまで恋愛対象では、ていう意味よ。お従兄ちゃんは素敵だもの。でも、いつかはあたしも素敵な誰かと、よく読んだお話に出てくるような恋愛をしたいなって、思ってたの。それがね……」
 エヴェリーナは両手を組み合わせ、前に身をのり出した。
「もうその相手が、あらかじめ決められちゃってて、しかもその相手を好きになれないとしたら、こんな不幸なことってある? あたしが読んだことのある、昔のお話にもあったわ。親同士で相手を勝手に決めて、無理やり結婚させるっていう……ちょうどそんなものよ。でも、もっと悪いことには、そういう昔の人たちは、ファミリーを捨てるという代償を払う勇気があれば、親の言いつけに背いて他の好きな人と結婚することもできたけど、あたしには絶対、その余地がないってことだわ」
「君が誰か決まった人と結婚しなくちゃならないなんて、いったい誰が決めたんだい?」
「お父さん、じゃないわね。あたし……でもないわ。誰なのかしら、いったい」
「エヴィー、わけのわからないことを言っていないで、もっとわかりやすく説明してくれないかな?」
「ええ。あのね……もともとはお従兄ちゃんたちが、あたしたちの十四才の誕生日に渡してくれた、お父さんの記録なの。その中でね、あたしが死ぬ前に、未来のお父さんたちのためにメッセージを残すんだって、書いてあったでしょう? そのあたしが残すメッセージにね、『私はエヴェリーナ・ローリングス・ラズウェル』って、書いてあったのよ。ということは、あたしは将来誰か名字がラズウェルっていう人と、結婚するっていうことでしょ、たぶん? それでその姓の男の人は、フェリックスしかいないじゃない。だから、あたしはフェリックスと結婚しなきゃならないみたいなの。好きでもないのに!」
「そうだった。書いてあったね。しかも最後に、フルネームで署名してあったっけ。エヴェリーナ・メイ・ローリングス・ラズウェルって。日付入りで。ジャスティン伯父さんも、結構罪作りだな」アールは思い出したように、小さく笑った。
「ねえ、考えてみたら、お父さんもひどいわよね。でもやっぱり、あたしがいけないのかしら。わざわざ名字まで書いて、しかも最後に日にちまでしっかり書いて、署名して。ということはよ、あたしはその日までは生きていて、それからすぐに死んじゃうっていうことよねえ。なんだかそう考えると、すごく変な気分がするわ。お父さんはただ見たままを書いただけだから、責められないんだけれど。でも、もしあたしがうんと年を取って、そのメッセージを書き残す時に、わざとその部分を書かなかったら、フェリックスと結婚しなくてもすむかしら」
「だめじゃないかな。それは……」
 アールは首を振ったが、考えこむように一瞬間をおいて続けた。
「あ、でも、わからないな。僕も昔、科学関係の勉強をやった時、時空間移動っていうのも少し調べたんだけど……ロブ小父さんに話を聞いてからね。たしかタイムシークエンスには、メジャーチェンジとマイナーチェンジがあって、メジャーだとシークエンス破綻を引き起こす可能性大だけど、マイナーの中には大筋には関係のないものもあるんだって。だからひょっとして、君がラズウェル以外の名字になったら、きっとそこの記述だけが変わるんじゃないかな」
「じゃあ、ひょっとしたら、あたしはフェリックスと結婚しなくてもすむわけね」
「かもね。だからそこはそう意識しないで、自然に任せてればいいんじゃないかな。でもそのフェリックス・ラズウェルを、君はなぜ、そんなに嫌いなんだい?」
「嫌いって言うんじゃないけど、でも絶対愛してないもの」
 エヴェリーナは首を振った。「そりゃあね、フェリックスにも良い所はたくさんあると思うわ。だけどあの人、性格的にあたしとは合わないし、理想のタイプとも全然違うんですもの。そんな人とは、とても結婚できないわ」
「理想と現実は必ずしも一致しないもんだよ、ひよっこさん。そのうちに乙女の幻想は、現実によって修正されていくからね。でもまあ、今は夢を追っていてもいいんじゃないかな。未来の記述にこだわらずにね」
「ええ、ありがとう、アールお兄ちゃん」
 エヴェリーナはいくぶん気分が楽になったように感じ、にっこり笑った。
「もうこだわるのはやめるわ。ああ、そう言えばね、もう一つ耳寄りなニュースがあるの。アドルとエディスが、お互いに好き合ってるみたいよ」
「やっぱり? いつかは、そうなるだろうとは思ってはいたけれどね。もし、あの二人が結婚したら、生まれる子供はスーパー天才児かな?」
「そうかもしれないわね」笑って頷くと、エヴェリーナは立ち上がった。
「お仕事中お邪魔しちゃってごめんね、アールお兄ちゃん。色々と相談にのってくれてありがとう。なんだかすっきりしちゃった。もう、フェリックスにこだわるのやめるわ。明日みどりの家であったら、今までどおりにふるまうつもりよ。今はその自信が湧いてきたし。お従兄ちゃんのおかげよ。やっぱりあなたは、あたしの一番尊敬する人だわ」
「それはありがとう」アールは笑って肩をすくめた。
「今夜あたり、家に遊びに来ないか、エヴィー」
「ありがとう。でもあたし、できるだけ家のことやらなくちゃ。オーロラお姉ちゃん、ライラスを産んでから、あまり具合がよくないから。夕食とお洗濯とリビングのお掃除は、あたしがやっているのよ。アドルは仕事が忙しいし、エフライムさんもね。それでもあの人、ティーナの面倒を見ながら、朝は作ってくれるのよ。だからあたしも、できるだけ手伝いたいの」
「ああ、そうだね。僕もいくらか手伝いたいと思って昨日訪ねて行ったら、『あなたはもう三人の子持ちでしょ、アール。主婦が二人いるとはいっても、忙しいはずよ。あたしは大丈夫だから』って、言われたよ。君にも世話をかけるね、エヴィー」
「そんなこと、当然よ。家族だもの」エヴェリーナは笑って答えた。

 従妹が帰ってしまうと、アールは再びチェック中の書類に戻った。
「どこまで行ったっけ? ああ、二六からだ……」
 アールはパソコンのキーを叩き、名簿をめくった。
【エセル・フェリシア・ポーリー、十九才。健常。文化保存班。営繕班所属のクリストファー・ジョン・ヤングとの婚姻のため、十二月五日から第一八グループへ移動。ジョナサン・ケント・ハミルトン二十才、プログラミング班と、妻ケイト・アレクサンドラ、旧姓マーレイ二十才の間に、第一子マーティン・アラン誕生。男子。出生年月日、SS暦二二年(AD二〇四四年)十二月六日。健常児。アンナ・スーザン・ティンバレン、一二月六日に死去。死因は急性白血病。享年八才。あとは変動なし。第二七班。第一世代キャサリン・ルイ―ザ・ニコルス死亡のため、二人の子供たちルイーザ・マリー十三才と、ヘンリー・ディーン九才は『光の家』へ。マリア・アン・ケネディ十八才は、専門課程終了、医療班看護部へ正式登録。あとは変動なし】
 書類に目を走らせながら、パソコンを通じて、シルバースフィアのデータベースに、修正された情報を打ち込んでいく。最終グループまで行くと、彼はほっとため息をついて書類を閉じ、バックアップを取った後、コンピュータ・セッションを切って、デスクから立ち上がった。そして自分の家に帰る時、改めて従妹から聞いた話を、思い出したのだった。
(まあエヴィーにはああ言ったけど、たぶん彼女は、フェリックス・ラズウェルと結婚することになるんだろうな。ことによったら本当に、それは変更可能範囲内のマイナーチェンジかもしれないけれど。でも、それはこれから三百年間の目に見えない歴史の一部分なんだから、変更されるっていうのは、不可能かもしれない。少なくとも、これから三百年の歴史って、もう固定されたも同然なんだから。でもそれがどうなるのかは、今の僕らには、わからないんだ。ただエヴィーは例外で、偶然それを少し垣間見て、戸惑ったんだな。先のことがわかっちゃうっていうのは、たしかにあまり有り難いことじゃないな。誰と結婚して何人子供を産んで、育てて、いつ死ぬか、なんて。ジャスティン伯父さんが…そう、いや、未来のエヴィーかな、そこまで書かなくて、良かったなぁ)
 アールは苦笑を浮かべ、頭を振った。




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